カテゴリー「昭和の思い出」の203件の記事

2021年6月17日 (木)

在りし日の品川区二葉町の風景(昭和38年6月)

 昭和38年(1963年)に撮影された品川区二葉町のある通りの写真です。ボンネット型のバスの後ろに同じくボンネット型のダンプカーが並んでいます。狭くなった通りでその様子を見ているいる人たち。

在りし日の品川区二葉町の風景
在りし日の品川区二葉町の風景

 写真には次の説明が書いてあります。

(38.6)二葉町交番前で。この通りはバスが一台通ると、車が交差できない程狭い。向こうのガードは貨物船の引き込み線だが、近々東海道新幹線が通る。来年10月に間に合わせようと突貫工事中だ。

 さて、この場所はどこだろうと思って探してみました。ヒントになったのは「二葉町交番前」。これは警視庁荏原警察署の二葉町交番のことです。Googleで検索すると交番が出てきました。ストリートビューで覗いてみると、そこには当時と同じような風景がありました。

 電柱の位置は異なるようですが、バスとダンプの後ろにある建物の窓の配置は同じような感じです。当時の建物を元に改築したのでしょうか。

荏原警察署二葉町交番前

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2021年6月14日 (月)

昭和の懐かしの昆虫採集セット

 昭和40年代の小中学生は夏休みになると昆虫採集を始めたりします。捕まえてきた昆虫はそのまま虫かごで飼う場合と研究の対象(-_-:)になったりするわけです。

採集した昆虫を処理する子どもたち
採集した昆虫を処理する子どもたち

 その研究に必須のアイテムが次の写真のような「昆虫採集セット」でした。

昆虫採集セット
昆虫採集セット

 現代では「昆虫採集セット」と聞けば「虫取り網」や「虫かご」や「虫めがね」が入った次のような昆虫を捕まえるための本格的なセットを思い浮かべるかもしれません。

 しかし、昭和の子どもたちが使っていた「昆虫採集セット」はまったく違うものでした。どんなものだったのかなと検索してみたら、amazon.co.jpで当時のものが販売されていました。レトロ品なので高音がつけられています。

 当時の子どもたちが使っていた「昆虫採集セット」は次の写真のような駄菓子屋さんで銀玉鉄砲などの横に並んでいた玩具です。値段によっていろいろありますが、虫眼鏡、ピンセット、虫ピン、注射器、殺虫液(赤色)、保存液(緑色)、メスなどが入ってるものもありました。


昭和レトロ 昆虫採集セット 2点まとめて コレクション

 子どもたちはこの「昆虫採集セット」を使って昆虫の研究(-_-;)に取り組むのです。緑色の液体は昆虫を生き返らせる薬だと言い張っている子もいました。この昆虫採集セット、いつの頃か入手できなくなりました。見るからに危険な玩具ですが、大人たちは子どもたちの遊びを黙認していたように思います。PTAの反対が全国的に起こったため製造販売中止に至ったようです。

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2021年6月 7日 (月)

五稜郭公園の航空写真(昭和37年6月)

 昭和37年(1962年)6月某日に撮影された北海道函館市の五稜郭公園の航空写真です。公園の北側上空から撮影したもので、よく見る五稜郭の写真とは上下逆さまになっています。写真の右上が半月堡と一の橋と二の橋で、下側が裏門橋です。

五稜郭公園の航空写真(昭和37年6月)
五稜郭公園の航空写真(昭和37年6月)

 撮影当時は有名なシンボルがありません。五稜郭タワーです。初代の五稜郭タワーは昭和40年(1964年)12月開業です。写真の右上の右斜め上方に向かう道路の左側に建設されました。また、昔は公園内は広場になっていて箱館奉行所(復元)はありませんでした。

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2021年6月 6日 (日)

ソビエトのコンピュータゲーム「テトリス」登場(1984年6月6日)

 落ちものゲームの先駆けとなったソビエトのコンピュータゲーム「テトリス」は1984年6月6日に登場しました。自分がテトリスを初めて知ったのは1988年です。当時、ゲームセンターのアーケードゲームで流行しましたが、自分はプレイしたことはありませんでした。自分が初めてプレイしたテトリスは同年11月にビー・ピー・エス社(BPS)が発売したNEC PC-9801版のものです。

 BPSのテトリスはフロッピーディスクから立ち上がると、いかにもソビエトというかロシアというBGMがかかります。上から落ちてくる種々の形のブロックを回転させて落としブロック同士を組み合わせて消していくというルールは画期的でした。ブロックが下に落ち切る前に答えを出さなければならにハラハラ感、どうして大流行したのかすぐに理解でき、同時に自分もはまってしまいました。平日の夜遅くまでテトリスで遊んでいたことを思い出します。

テトリス
テトリス

下記の映像はビー・ピー・エス社(BPS)が発売したNEC PC-9801版のものです

BPS版TETRIS PC-9801版の様子

 

 テトリスを参考にたくさんの「落ちものゲーム」が開発されました。現在、スマホで遊べる落ちものゲームアプリはたくさんありますが、そのルーツとなったテトリスのゲームアプリもあります。PS版もあるようです。久しぶりにプレイしてみようか。

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2021年5月31日 (月)

特急おおとり(キハ183形100番台)

 「おおとり」は昭和39年(1964年)10月から昭和63年(1988年)3月まで北海道の函館駅ー網走駅・釧路駅を結んでいた特急列車です。昭和45年10月に釧路発着編成は「おおぞら」となり、「おおとり」は函館駅ー網走駅を運行しました。昭和63年3月(1988年)のダイヤ改正で函館駅-札幌駅を結ぶ列車が「北斗」、札幌駅-網走駅を結ぶ列車が「オホーツク」となり、「おおとり」は廃止となりました。

おおとり(キハ183形100番台)
おおとり(キハ183形100番台)

 「おおとり」には80系気動車が使用されましたが、この写真の「おおとり」は80系ではなくキハ183形100番台です。キハ183形100番台は国鉄末期の昭和60年(1985年)3月のダイヤ改正で、北海道の特急の増発にあわせて導入された気動車です。当時、先頭車が不足していたため、中間間のキハ184系に運転台を取り付け、キハ183形100番台としました。分割併合を可能とするため貫通ドアを備えた車両となっています。キハ183形100番台は4両だけ作られました。

 このことからこの写真は昭和60年から昭和63年の間に撮影されたものであることがわかります。撮影場所も定かではないのですが、おそらく函館駅と思われます。

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2021年5月28日 (金)

気分はノンマルトな少年

 海水浴で砂に埋まってお昼寝は良く見るシーンです。この少年、首だけ出して砂に埋まり寝ていたところを写真に撮られて笑い顔。

気分はノンマルトな少年
気分はノンマルトな少年

 当時、ウルトラセブンを見ていた子どもにとって、こうやって首まで砂に埋まるのはやってみたかったことだったのです。

 なぜなら「うるさいわねぇ。あれ、あれって、何よ!」と言いたかったからです。

 この子どもがなぜ喜んでいるのか、単純に海水浴のひとときを楽しんでいると思っている大人はさっぱり理解していなかったことでしょう。

ウルトラセブン ウルトラマンシリーズ 金城哲夫シナリオコレクション

金城 哲夫 (著)

伝説の脚本家・金城哲夫が残したウルトラマンシリーズのシナリオが、全2巻・新装版となって新たによみがえる!第二弾では2017年放送開始50年を迎える日本特撮の金字塔“ウルトラセブン”の金城哲夫単独執筆シナリオすべてを収録!

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2021年5月23日 (日)

公衆電話をかける女性|昭和の風景②

 先日、昭和40年頃に撮影した公衆電話をかける男性の写真を掲載しました(ココログ 夜明け前「公衆電話をかける男性|昭和の風景①」)。つづいての写真は昭和38年に撮影した公衆電話をかける女性の写真です。

公衆電話をかける女性
公衆電話をかける女性

 雑貨屋さんの赤電話(委託公衆電話)はよく見た風景です。現在、このような赤電話もすっかり見かける機会がなくなりましたが、まだ現役で使われているものもあるようです。

 委託公衆電話の制度は1952年に戦災による公衆電話の不足を補う目的で始まりました。雑貨屋さんや駅の売店などに設置されていました。当初は普通の黒電話が使われていました。1953年に普通の電話と区別するため、赤色の電話が使われるようになりましたが、電話料金はお店に支払いしました。そのため夜間やお店が休みのときには使えないという問題がありました。10円玉で電話をかけられる赤電話が登場したのは1955年ですが、市外へ電話をかけることはできませんでした。写真のようなダイヤル市外発信ができる赤電話が登場したのは1961年です。

 この女性はこの年に子どもが生まれる予定です。撮影者は旦那さんでので、実家にでも電話をしているところでしょうか。

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2021年5月18日 (火)

公衆電話をかける男性|昭和の風景①

 昭和40年代の写真です。当時はもちろん携帯電話などありませんから、外出時に連絡が必要なときには公衆電話を探したものです。携帯電話がなかった時代、公衆電話は店先などにもありましたから、簡単に見つけることができました。

公衆電話をかけるサラリーマン|昭和の風景①
公衆電話をかける記者|昭和の風景①

 写真の男性は記録によれば新聞社の記者さんで、会社に連絡をしているところを同僚が撮影した写真です。ご存知の通り公衆電話をかけるには10円玉が必要です。当時はテレホンカードなどもありませんから、10円玉をたくさん準備していたはずです。公衆電話機は674-A1小型ピンク電話(特殊簡易公衆電話)に見えます。

 テレホンカードが日本で発売開始したのは1982年(昭和57年)、携帯電話が普及し始めたのが1990年代後半です。現在は公衆電話はめっきり少なくなりましたが、当時は人と人とをつなぐのに無くてはならない通信機器だったのです。

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2021年5月 5日 (水)

アンドロイド0指令の証拠写真を発見か!

 ウルトラセブンの第9話「アンドロイド0指令」。おもちゃを買った子どもにワッペンを配る「おもちゃじいさん」。その正体は地球侵略を狙ったチブル星人でした。

 チブル星人の「アンドロイド0指令」とは、おもちゃに偽装した武器を子どもたちに持たせ、受信機となっているワッペンに催眠周波を送って子どもたちを操り、子どもたちに攻撃させる。大人たちは子どもたちに武器を向けることはできず、子どもたちは地球をやすやすと占領してしまうというものでした。

 先日の記事ココログ 夜明け前「ウルトラマンの空気ビニール人形(昭和42年 1967年4月2日)」の子どもが武器をもって眠っている写真を発見しました。なぜこのような小銃を抱えて眠る事態になったのでしょう。

 これは「アンドロイド0指令」の出撃直前の証拠写真に違いありません!

「アンドロイド0指令」武器を持って眠る子ども
「アンドロイド0指令」武器を持って眠る子ども

 おもちゃじいさんのワッペンよりも子どもたちが大好きだったのはウルトラ警備隊のエンブレム。このデザインは秀逸です。

ウルトラ警備隊のネクタイピン
ウルトラ警備隊のネクタイピン

 

  

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2021年5月 4日 (火)

今も健在!ある扇風機の小さな物語(昭和38年)

 昭和38年(1963年)4月21日に秋葉原に若い夫婦が扇風機を買いに行きました。店員さんの話などいろいろ聞いて購入したのは東芝扇風機AA形。購入価格は8,000円でした。当時の大卒初任給は19,400円とのことですから、扇風機はたいへんな高級品だったのです。2020年の大卒初任給が約21万円ですから、当時の8,000円を現在の価値に換算すると約9万円にもなります。当時、生活に必要な電化製品の三種の神器と言えばテレビ・洗濯機・冷蔵庫でした。扇風機は贅沢品だったのです。

昭和38年(1963年)秋葉原で東芝扇風機AA形(上段真ん中)を購入
昭和38年(1963年)秋葉原で東芝扇風機AA形(上段真ん中)を購入

 さて4月21日にこの若い夫婦の家庭にやってきた扇風機。どうして春に贅沢品の扇風機を買ったのかというと、8月に子どもが生まれる予定だったからのようです。当時は今ほどは暑くなかったとはいえクーラーなどありませんから、生まれてくる赤ちゃんのために扇風機を買ったのでしょう。それから数年の歳月が経過した昭和42年の夏も扇風機は子どもを見守ってきました。

東芝扇風機AA形と子ども(昭和42年 1967年)
東芝扇風機AA形と子ども(昭和42年 1967年)

 そして、あれから60年近くの歳月が過ぎ去りましたが、扇風機は壊れることもなくずっと現役で動いています。

東芝扇風機AA形(令和3年 2021年)
東芝扇風機AA形(令和3年 2021年)

 東京芝浦電気株式会社製の「東芝扇風機AA形 羽根径30 cm」の小さな物語でした。 

東芝扇風機AA形の製品ラベル
東芝扇風機AA形の製品ラベル

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