カテゴリー「昭和の思い出」の221件の記事

2021年9月13日 (月)

【おもしろ映像】ターミネーターT-600の真実

 サイバーダインシステムズ・モデル101シリーズ600は世界初の量産型人形ターミネーター。

 T-600はT-800のひとつ前のモデルであり、皮膚がゴム製のため、アンドロイドあることがすぐにばれてしまいます。そのため骨格のままのアンドロイド兵士として使われることが多いモデルです。

 T-600が肩を揺らしながら歩いている姿はとても気味が悪く、こんなのが本当にいたら、ひとたまりもないという感じです。

 でも、本当はこんな風に歩いていたのだそうです。このT-600はCGではなくパペットを使った特撮です。

 最後の方に首を絞められながらT-600 に連行される男が出てきますが、T-600を動かしているのは・・・

TERMINATOR SALVATION Behind-the-Scenes: T-600 Puppet Test

 ところで2019年に「ターミネーター:ニュー・フェイト」が公開されています。これは「ターミネーター2」の続編という位置付けです。ディズニーが20世紀フォックス(現:20世紀スタジオ)を買収したため「ターミネーター」はディズニー配給作品となりました。

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2021年9月12日 (日)

松川事件被告全員が無罪(昭和38年 1963年9月12日)

 松川事件は昭和24年(1949年)8月17日に福島県の国鉄東北本線の松川駅ー金谷川駅間で発生した列車転覆事件です。国鉄に関わる事件として、同年7月5日に下山事件、7月15日に三鷹事件が起きており、この2つの事件と松川事件を合わせて国鉄三大ミステリー事件と呼ばれています。

 松川事件の列車転覆は人為的な線路の破壊が原因であることが判明し、合計20名の容疑者が逮捕されました。昭和25年(1950年)12月6日の一審では福島地裁が20人全員を有罪とし、うち死刑5名の判決を下しました。昭和28年(1953年)12月22日の二審では仙台高裁では3名が無罪、17名が有罪うち死刑4名の判決をくだしました。

 しかしながら、裁判が進むにつれてさまざまな事実関係が解き明かされ、無実を証明する証拠を捜査機関が隠していたことが明らかになりました。そして、昭和38年(1963年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員を無罪としました。当日は最高裁の前に報道陣が多数集まり、NHKはテレビ中継を行いました。

松川事件最終審取材(昭和38年9月12日)
松川事件最終審取材(昭和38年9月12日)
最高裁南通用門にて。全員無罪の判決に世論が湧いた

 松川事件は真犯人の特定・逮捕には至らず1964年8月17日午前0時に時効を迎え未解決事件となりました。

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2021年9月10日 (金)

カラーテレビ放送開始(1960年9月10日)

 日本のテレビ本放送はNHKによって昭和28年(1953年2月1日)に開始されました。テレビ放送の準備はNHKよりも民間の日本テレビが先に進めていましたが、機材の準備などで遅れを取りNHKに先をこされてしまったという経緯があります。

 テレビが登場する前は映像の娯楽と言えば映画でした。大画面ではないにしろ映像が家庭で見られるテレビ放送は大人気となりました。しかし、初期のテレビの価格は当時のサラリーマンの平均給料が数万円のところ20〜30万円もしたのです。ですからテレビを購入できるのは一部の富裕層のみでした。そこで駅や公園など街中に街頭テレビが設置されるようになり、街頭テレビは大衆の娯楽となりました。

 当初のテレビは白黒で、映画のようにカラー映像を見ることができませんでした。カラーテレビの放送がテレビ本放送から7年後の昭和35年(1960年)9月10日で、NHKおよび民放各社がカラーテレビ放送を開始しました。しかし、家庭に普及していたテレビの多くは白黒テレビであり、カラーテレビはそれほど普及していませんでした。経済成長に伴いサラリーマンの給与も増えてテレビの価格も下がり、1964年東京オリンピックをきっかけとしてテレビの普及率は上昇しましたが、カラーテレビの普及率はそれほど高くありませんでした。多くの国民は1964年東京オリンピックを白黒テレビで観戦していたのです。

 カラーテレビ放送開始後も白黒で放送された番組がたくさんあり、カラー放送の番組はめずらしかったのです。次の写真は1968年10月1日の新聞のテレビ欄です。この日はウルトラセブンの放送が開始した日ですがタイトルの前に[カラー]と表示されています。このようにカラーで放送される番組には[カラー]と表記されることが慣例でした。ウルトラセブンの後番組のパーマンのタイトルには[カラー]がありません。モノクロのアニメ作品だったのです。おそらく多くの子どもたちはウルトラセブンもパーマンも白黒で見ていたことでしょう。

カラー放送を示す新聞のテレビ欄
カラー放送を示す新聞のテレビ欄

 カラーテレビが本格的に家庭に普及し始めたのは昭和40年代後半です。昭和49年(1974年)にカラーテレビの普及台数が白黒テレビを超え、昭和50年代にはカラーテレビが当たり前となりました。

 我が家にカラーテレビがやってきたのは昭和45年(1970年)ぐらいだったでしょうか。親がカラーテレビを買ったというので、カラーテレビはいつくるのかと毎日しつこく聞いた記憶あります。そして、ある日のこと学校から家に帰ると、お茶の間に当時テレビCMで有名だった日立製作所のキドカラーがポンパの人形と一緒にあったのです。昭和48年(1973年)の許潤軍の長嶋茂雄さんの引退セレモニーや仮面ライダーはカラーテレビで見ることができました。

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日本でテレビの本放送始まる(昭和28年 1953年2月1日午後2時)

日本初の民間テレビ局が放送開始(1953年8月28日)

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2021年9月 8日 (水)

欲張り過ぎた正義の味方(昭和43年頃)

 5歳ぐらいの少年が自分の持っているヒーローグッズを身につけて記念撮影。

 頭にはスーパージェッターのお面、腰には忍者赤影の刀と西部劇の拳銃です。着ている服もちょっと西部劇っぽい。

 使いこなせるのかどうかは別にして本人は完全装備に大満足だったようです。

欲張り過ぎた正義の味方
欲張り過ぎた正義の味方

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ウルトラマンの空気ビニール人形(昭和42年 1967年4月2日)

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2021年9月 6日 (月)

ソ連戦闘機が函館空港に強行着陸(1976年9月6日)

 1976年9月6日午後1時11分、航空自衛隊奥尻レーダーサイトが高度6,000 mを速度800 km/hで西方から北海道に近づく識別不明機を捉えました。午後1時20分、航空自衛隊千歳基地からF-4EJファントム2機がスクランブル発進しました。

 識別不明機は高度を下げながらさらに北海道に近づいて来たため奥尻レーダーサイトが無線で警告しましたが、午後1時22分に北海道茂津田岬沖合いで領空に侵入しました。同期は進路を南方に向け、さらに高度を下げたためレーダーから機影が消えました。F-4EJファントムは午後1時25分に同機をレーダーで捉えたものの30秒ほどで見失いました。奥尻レーダーサイトはロシア語と英語で警告を続け、午後1時35分に再び機影を捕らえたもののすぐに見失いました。その後、奥尻レーダーサイトもF-4EJファントムも同機を捜索するものの発見することはできませんでした。

 その後、函館上空を旋回するジェット戦闘機が発見され、函館空港事務所が航空自衛隊に問い合わせを行いました。この連絡を受けて午後1時49分にF-4EJファントムが函館方面に向かいましたが、ジェット戦闘機が函館上空を3回旋回し午後1時57分に函館空港に強行着陸したため千歳空港へ引き返しました。ジェット戦闘機は着陸時にパラシュートを開きましたが、滑走路の中央あたりに着地したためオーバーランしました。空港で工事をしていた民間人が同機に近づくと、パイロットが銃を空に向けて威嚇発砲しました。

 午後2時過ぎに航空管制官の通報を受けた北海道警察が到着し、函館空港を完全封鎖しました。当初、警察と自衛隊のどちらが対応するか混乱があったようですが、領空侵犯は自衛隊の管轄だが国内の空港への着陸は警察が管轄する事件であるとして、自衛隊は警察に締め出され空港に入ることができなくなりました。

 北海道の西方からやって来た識別不明機はソビエト連邦(ソ連)のジェット戦闘機ミグ25で、パイロットはヴィクトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ中尉で米国への亡命を要望していることがわかりました。ソ連はベレンコ中尉の身柄とミグ25の引き渡しを要求しましたが、ベレンコ中尉は米国への亡命が認められ、ミグ25は自衛隊の百里基地に移送され日米共同の機体調査が行われることになりました。

函館空港に緊急着陸したMiG-25Pの同型機
函館空港に緊急着陸したMiG-25Pの同型機

 自衛隊はソ連が最高機密のミグ25を取り返しに来たり、破壊しに来きたりした場合に備えました。陸上自衛隊は函館駐屯地に戦車、歩兵部隊、高射砲を配置し、函館の防衛戦闘の準備をしていました。会場自衛隊も日本海側と太平洋側、そして函館付近に艦船を配備し警戒に当たりました。航空自衛隊はF-4EJによる哨戒飛行を24時間体制で行いました。実際にソ連軍が函館にやって来ることはありませんでした。

 ミグ25は1967年7月にモスクワで行われた航空ショーで初めてその姿を現しました。ミグ25の詳細は秘密のベールに包まれていましたが、最高速度はマッハ3を超え、航続距離の長い高性能な戦闘機と考えられました。当時、米国の主力戦闘機はF-4ファントムでミグ25に対抗できる戦闘機ではありませんでした。このため米国はF-15の開発に着手することになります。F-15が実戦配備されたのは1976年1月で、この事件のわずか8ヶ月前のことでした。

 日米の調査の結果、ミグ25は予想されていたほど高性能ではないことが判明しました。たとえば主翼や胴体には耐熱性の高いチタンが使われておらず、マッハ3を超える速度には耐えらず最高速度はマッハ2.83であることがわかりました。またエンジンには旧型のターボジェットエンジンが採用されており、機体が重たいため燃費が悪く、後続距離もF-15に劣ることがわかりました。電子機器には真空管が多用されており、従来の技術の信頼性を重視したもので先進的なものではありませんでした。高速で運動性が優れた戦闘機と考えられていたミグ25は領空の防衛を目的とした迎撃撃機であり、制空戦闘機ではないことがわかりました。つまりソ連や東側勢力が高性能戦闘機ミグ25で攻撃を仕掛けてくるという西側諸国の懸念が払拭されたのです。

 調査後、ミグ25はソ連に返還されましたが、ソ連は防空システムの情報が漏洩したと考えミグ25の搭載機材をすべて変更しました。同年米国が実戦配備したF-15は速度性能を抑えて運動性を重視した戦闘機でした。その後、戦闘機の基本性能は超音速より亜音速での戦闘能力が重視されるようになり、最高速度の向上は求められなくなりました。そのためミグ25は現在においても世界トップクラスの超高速戦闘機です。

 さて、ミグ25によってあっさりと領空侵犯され、函館空港に強制着陸を許してしまった日本は防空の脆弱性が露呈する形になりました。もし、ベレンコ中尉の目的が亡命ではなく攻撃だったとしたら、たいへんな被害が出ていたことは間違いありません。日本はレーダー網を見直し、また、これをきっかけに早期警戒機E-2Cを導入しました。

 自分は当時中学生で北海道の小樽市に住んでいましたが函館市に引っ越すことが決まっていました。とんでもない事件が起きたということはわかりましたが、プラモデルが趣味の友人とミグ25の話で盛り上がったように記憶しています。飛行機のプラモデルといえばハセガワが有名ですが、この事件の前にミグ25のプラモデルが販売されていました。このプラモデルはずいぶん売れ、ハセガワが飛行機のプラモデルの老舗となりました。

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航空自衛隊 F-4EJ ファントム II プラモデル作成

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2021年8月28日 (土)

日本初の民間テレビ局が放送開始(1953年8月28日)

 日本で初めてテレビ放送が始まったのは昭和28年(1953年)2月1日です。同日午後2時に「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンでありま」のアナウンスとともにNHKによる日本初のテレビの本放送が始まりました。

 実は日本初のテレビ放送の開始をめざしていたのは民間の日本テレビでした。日本テレビは1952年7月にNHKに先駆けてテレビジョン放送予備免許を取得し、テレビ放送開始の準備を進めていました。しかしながら、放送機材の取り揃えでNHKに遅れを取り、日本初のテレビ放送開始を実現することはできませんでした。

 日本テレビがテレビジョン放送本免許を取得したのは1953年8月27日です。翌28日午後11時20分、「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」のアナウンスとともに日本初の民間テレビの本放送が開始しました。

 正午には日本初のテレビCMが精工舎の提供によって時報を知らせる時計のコマーシャルが放映される予定でしたが、フィルムを裏返しにセットしてしまったために反転した映像が流れてしまい中断となり日本初の放送事故となりました。このテレビCMは午後7時に改めて放映されました。

Seiko 日本初のテレビCM

 当初のテレビは1台30万円もしました。この頃の平均給与は3万円ぐらいですから、テレビを買える人はほとんどいなかったので。そこで多くの人が街頭テレビの前に集まり、テレビ放送を楽しみました。

 日本でテレビが普及し始めたのは1950年代の終わり頃からです。1959年の皇太子ご成婚のパレードのテレビ中継を多くの国民が見ました。一家に一台のテレビの時代がやってくるのは1960年代以降です。

一家に一台のテレビ(1960年代)
一家に一台のテレビ(1960年代)

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日本でテレビの本放送始まる(昭和28年 1953年2月1日午後2時)

地上波アナログテレビ放送が終了(2011年7月24日)/p>

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2021年8月27日 (金)

科学特捜隊ムラマツキャップを偲ぶ日(1996年8月27日)

 ウルトラマンの科学特捜隊のムラマツキャップ、仮面ライダーの立花藤兵衛と言えば俳優の小林昭二さんです。小林昭二さんは昭和5年(1930年)9月26日に生まれで平成8年(1996年)8月27日に他界されました。当時、まだ65歳でしたので訃報にびっくりしましたが、時はあっという間に過ぎてもう25年が経ちました。

 小林昭二さんは、たくさんの映画やテレビドラマに出ていますが、自分が初めて認識したのはやはり科学特捜隊のムラマツキャップでした。科学特捜隊の隊長としての厳しさ、人間としての優しさと面白さが画面を通じて伝わってきました。子どもながらにムラマツキャップの人柄を感じることができたのは小林昭二さんの名演技にほからりません。

 ウルトラマンの第34話「空の贈り物」では、怪獣スカイドンが空から落下した時に発生した地震で、作戦室に慌てて集まってきた隊員たちを叱る場面がありますが、ムラマツキャップも隊員服を後ろ前に着ていて、寝ぼけて大きな枕を抱いて出てきたイデ隊員に指摘されてバツが悪そうな表情となるシーンがあります。実装時監督の怪獣出現の緊張感の中でのコメディ演出を見事に演じています。

隊員服を後ろ前に着ているムラマツキャップ(ウルトラマン第34話「空の贈り物」)
隊員服が後ろ前のムラマツキャップ(ウルトラマン第34話「空の贈り物」)

 仮面ライダーでは改造人間となって人間の平和のために戦う本郷猛や一文字隼人を支えるおやっさんこと立花藤兵衛、強靭な本郷毅や一文字隼人が精神面ではおやっさんを信頼しており、おやっさんが2人を支えていることが伝わってきます。

 そして面白いのはウルトラセブン第47話「あなたはだぁれ?」のふくろう団地のサトウさん。最後のシーンで部屋を間違えてしまったお隣のサトウさん。あわてて階段を降りてきて念願の自分の家族にやっと会えて一安心。

 先日(2021年8月21日)、ウルトラマンのイデ隊員役の二瓶正也さんが他界されましたが、小林昭二さんが他界した翌年の作品「ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影」(1997年作品)では写真家役の二瓶正也さんが小林昭二さんの遺影を手にしていました。

 イデ隊員とムラマツキャップ、久しぶりに空に輝く星空の中で再開していることでしょう。

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1967年夏季ユニバーシアード開幕(1967年8月27日)

 ユニバーシアードは国際大学スポーツ連盟(FISU)が主催する全世界の学生を対象とする競技大会です。オリンピックの前年と翌年に2年おきに開催されるこの大会は学生オリンピックとも呼ばれます。ユニバーシアードはユニバーシティとオリンピアードに因んだ造語です。

 日本で初めてユニバーシアード大会が開催されたのは1967年で第5回目の夏季大会です。1967年夏季ユニバーシアードは同年8月27日に開幕し9月4日まで開催されました。1964年東京オリンピックの開場がそのまま利用され、東京オリンピックの興奮と感動の余韻もあり日本国中でたいへんに盛り上がりました。日本は金メダル19個、銀メダル18個、銅メダル24個の合計61個のメダルを獲得し、メダル総獲得数で第一位となりました。

1967年ユニバーシアード東京の入場式
1967年ユニバーシアード東京の入場式

 開幕式ではオリンピックの聖火さながら澤木啓祐選手が「ユウジョウノ火」の電光掲示板を背景に友情の火を掲げて走りました。澤木選手は陸上競技の5000メートルおよび10,000メートルで金メダルを獲得しています。

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友情の火を掲げて走る澤木啓祐選手

 

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国立競技場落成記念日(昭和33年 1958年3月30日)

1964東京オリンピックの聖火の点火

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2021年8月20日 (金)

スプートニク5号の宇宙犬ベルカとストレルカが生還(1960年8月20日)

 1961年4月12日、ソビエト(当時)のユーリー・ガガーリンは宇宙船ボストーク1号で宇宙へと旅立ち世界初の有人宇宙飛行を成し遂げました。

  ココログ 夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号

 このボストーク計画を成功させる目的で打ち上げれたのがスプートニク計画のスプートニク2号でした。スプートニク計画は地球周回軌道に人工衛星をのせるための計画でした。1957年10月にスプートニクス1号の打ち上げが成功すると、同年11月に打ち上げられたスプートニクス2号には搭乗席が設けられ、ライカという1匹の雌犬が宇宙へと向かいました。ライカは世界で初めて地球軌道を飛行した動物になりましたが、スプートニクス2号は地球に帰還する機能はもっていませんでした。1958年2月に打ち上げられたスプートニクス3号は人工衛星による大気や宇宙空間の観測を目的としたものでした。

 1960年5月、コラブリ・スプートニク1号とも呼ばれるスプートニクス4号が打ち上げられました。スプートニクス4号の搭乗席には生命維持装置が取り付けられ設備の試験が行われましたが、大気圏突入のための耐熱シールドが装備されていなかったため生物は搭乗させませんでした。同年6月に2匹の犬が搭乗した宇宙船が打ち上げられていますが、ロケットが爆発して打ち上げに失敗しています。この宇宙船には名前がつけられませんでした。

 1960年8月19日、生命維持装置を備えた搭乗席と大気圏突入の対策を施されたスプートニクス5号(コラブリ・スプートニク2号)が打ち上げられました。宇宙船の安全性を確認するため搭乗席にはベルカとストレルカという2匹の犬がその他の動植物と乗り込んでいました。スプートニクス5号のミッションは有人宇宙船の試験でボストーク計画の試験機でした。宇宙船は翌20日に地球に帰還し、ストレルカとベルカおよびすべての動植物が生還を果たしました。

ベルカとストレルカと記念切手
ベルカ(上段左)とストレルカ(上段右)と記念切手(下段)

 スプートニクス5号の成功を受けて打ち上げられたのがボストーク1号です。ガガーリンの乗せた宇宙船ボストーク1号はスプートニクス5号と同じ軌道に乗り、世界初の有人宇宙飛行を成し遂げたのです。

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2021年8月18日 (水)

真田丸の春(竹林院)より凄い赤ちゃんの障子破り

 障子を貼るのは大変ですが、子どもにとっては障子を破るは楽しいようです。障子の張り替えの時期が近づいたのか、気がついたらある程度破られていたのでしょうか、10ヶ月の赤ちゃんに障子を好き放題破らせています。

 大河ドラマの真田丸で嫉妬した春(竹林院)が障子を指で突いて破るシーンがありますが、この赤ちゃんの破り方はその比ではありません。障子紙に手を突っ込んで破りまくります。あ〜あっ。あっという間にご覧の通りです。

赤ちゃんの障子破り
赤ちゃんの障子破り(1964年6月)

 障子の張り替えは夏場が良いそうです。夏は湿度が高いため障子紙が湿気を吸うため張り替えがしやすくなります。また 水分が蒸発すると障子紙がピンと張って綺麗な張り具合になるそうです。6月ですからちょうど良い時期だったのかもしれません。

 障子を張り替えるときには障子を剥がさなければいけません。これも結構な重労働ですが、赤ちゃんが代わりにやってもらったのでしょうか。この赤ちゃん、やりたい放題の障子破りでずいぶん体力を消耗したようで、あっという間にスヤスヤと寝てしまったそうです。

障子破りで疲れてスヤスヤ眠る赤ちゃん
障子破りで疲れてスヤスヤ眠る赤ちゃん(1964年6月)

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