カテゴリー「天気・気象」の67件の記事

2022年11月23日 (水)

宝永大噴火(1707年11月23日)

 日本最大の活火山である富士山が最後に噴火したのは江戸時代中期の宝永4年(1707年)11月23日の宝永大噴火です。

宝永大噴火は平安時代の延暦の大噴火(800~802年)と貞観の大噴火(864~866年)と並んで富士山の三大噴火のひとつです。噴煙が上空20キロメートルまで昇り100キロメートル先の江戸の町に火山灰が積もるほどの大きな噴火でしたが溶岩が流れ出ることはありませんでした。

 噴火は富士山山頂からではなく東南の斜面で発生し3つの火口ができました。ここに富士山の側火山(寄生火山)である標高2693メートルの宝永山ができました。これにより富士山は肩をもつようになりました。

富士山と宝永山
富士山と宝永山

 この噴火で火山灰が大量に流出し関東一円に大きな被害をもたらしました。被災地の復興には莫大な費用がかかり、幕府は全国の大名に増税し資金調達しました。復興に要する時間も長期に渡り、とりわけ農作物の収穫に大きな影響を及ぼしました。数十年経過しても収量が元に戻らない地域もたくさん存在しました。小田原藩の米の収量が元に戻るまで90年もかかったそうです。また静岡県および神奈川県を流れる酒匂川では火山灰が大量に積もり、以降は長年にわたって大雨のたびに水害が発生しました。この水害は100年も続き本格的な復興工事が始まったのは享保11年(1726年)でした。。復旧にあたったのは徳川吉宗の時代に大岡越前守忠相のもとで働いていた地方巧者の田中休愚でした。

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2022年11月17日 (木)

雲仙岳が水蒸気爆発(1990年11月17日)

 雲仙岳は長崎県の島原半島に存在する火山です。雲仙岳は三峰五岳(普賢岳・国見岳・妙見岳と野岳・九千部岳・矢岳・高岩山・絹笠山)が有名ですが、実際には1990年代の火山活動でできた平成新山をはじめとする大小20以上の山々からから成ります。

 雲仙岳の火山活動は有史以前の約50万年前に始まったと考えられ現在の地形の基礎が形成されたと考えられています。有史以降では島原の乱から26年後の1663年と1792年に噴火しています。1792年の噴火では眉山が崩壊により津波が発生し島原や対岸の肥後に被害を与えた島原大変肥後迷惑と呼ばれる大災害が起きています。その後、噴煙が生じたり大地震が発生したりしましたが大きな火山活動は発生していません。1934年には日本初の国立公園に指定され、1957年にはロープウェイが開業するなど多くの人々が観光に訪れました。

 自分が島原を訪れたのは今から約20年ほど前です。2003年末から知人数人で屋久島を訪れ、年が明けてから九州縦断の旅をしました。屋久島からフェリーで鹿児島に向かい、その後はレンタカーで熊本へ。熊本港から島原港へ向かいました。島原を訪れたのは2004年1月6日です。

 島原港を出て57号線を少し自動車で走り最初に見た風景が火砕流で覆われてしまった水無川です。1990年代の雲仙岳の火山活動は知っていましたが実際に訪れてみて噴火や火砕流の被害がいかに甚大なものだったのかを認識しました。

雲仙岳火砕流跡・水無川(国道57号線から)
雲仙岳火砕流跡・水無川(国道57号線から)

 そのまま57号線を進んで雲仙岳を昇り仁田峠の駐車場に向かいました。ここには標高1333メートルの妙見岳まで昇る雲仙ロープウェイがあります。このロープウェイでは普賢岳(標高1,359メートル)には昇れませんので歩いて普賢岳頂上をめざすことにしました。そして到着したのが下記の写真の山頂です。前方に見える普賢岳より高い山は火山噴火でできた標高1,483メートルの平成新山です。

普賢岳頂上(標高1,359メートル)
普賢岳頂上(標高1,359メートル)

 普賢岳山頂から麓の方を見たのがこの景色です。木々の緑の中に削られた跡が目に飛び込んできました。

普賢岳山頂から火砕流跡をのぞむ
普賢岳山頂から火砕流跡をのぞむ

 1991年に発生した火砕流では40人の尊い命が失われました。木々は焼き尽くされ多くの家が埋もれてしまいました。噴火から10年以上経過しても当時の甚大な被害を想像できましたが、自然はありのままの姿で静寂に佇んでいました。噴火前は雲仙岳が最高峰でしたが、平成新山が高さを増していったそうです。平成新山は国の天然記念物(2004年指定)です。

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2022年11月 7日 (月)

冬の始まり|立冬(11月7日)

 「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」(太玄斎の著書「こよみ便覧」の立冬)。

 冬至は二十四節気の最初の立春から数えて22番目の節です。定気法に従う二十四節気では太陽黄経225度のときで多くは11月7日となり、この日は秋が極まり冬の気配が立ち始める日とされています。23節の小雪の前日までが立冬の期間になります。天文学では太陽黄経225度になった瞬間が立冬となります。

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太陽の日周運動(春分・夏至・秋分・冬至)

 立冬は秋分と冬至の中間でこの日から冬が始まり立春の前日まで続きです。 ただしこれは昼夜の時間を基準とした季節の区分です。北海道や東北を除く多くの地域では11月7日は冬の始まりというよりも秋も大詰めと言ったところです。美しい紅葉が見られるシーズンです。

紅葉シーズン
紅葉シーズン

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2022年11月 5日 (土)

「津波防災の日」と「稲むらの火」(1854年11月5日)

 2011年3月11日に発生した東日本大震災によって制定された「津波対策の推進に関する法律」において毎年11月5日が「津波防災の日」と定められました。2015年12月には国連総会決議で11月5日は「世界津波の日」となりました。

 東日本大震災で津波が発生したのは2011年3月11日でしたが被害を受けた人をはじめ多くの人々の心情に配慮し3月11日を「津波防災の日」とすることは避けられ11月5日となりました。それでは11月5日に定められたのはどうしてでしょうか。

 実は嘉永7年(1854年)11月5日にマグネチュード8以上、最大震度6強の安政南海地震が発生しました。このとき最大で16メートルを超える大きな津波が発生し南海道・東海道の広範囲で大きな被害を受けました。

 地震が発生したのは午後4時30分頃で間もなく日の入りの時間が迫っていました。紀伊国広村の醤油醸造業濱口儀兵衛家(現:ヤマサ醤油)の七代目濱口儀兵衛を名乗った濱口梧陵はいち早く津波が来襲することを察知し、自身の田の稲藁に火を着けて村人に津波の襲来を知らせました。これによって村人は安全な高台に避難することができ多くの村人の命を救ったのです。

濱口梧陵と稲藁
濱口梧陵と稲藁

 大地震の後に大きな津波がやって来るのは当時も多くの人に知られていましたが、濱口梧陵の行動によって津波の被害を避けるにはいかに迅速に情報を伝えるかが重要であるかが証明されたのです。震災後、濱口梧陵は資材を投じて村の復興と防災対策に取り組みました。この史実によって「津波防災の日」を11月5日に定められたのです。

 濱口梧陵の活躍は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の1896年の著作「A Living God」で紹介されました。1852年に濱口梧陵が創設した耐久中学校(現:和歌山県立耐久高等学校)卒業生の中井常蔵がこの本を読んで感銘を受け、1934年にこの本を翻訳し「燃ゆる稲むら」として国語教科書の教材公募に応募しました。この作品は国語の教材として採用され「稲むらの火」の物語となり後世に語り継がれることになりました。

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2022年8月 2日 (火)

霧と靄の違い

 霧(きり)と靄(もや)はどちらも空気中に小さな水滴が漂って視界が悪くなる現象です。視界が悪くなるのは光が水滴で散乱して雲のように見えるからです。

 霧と靄の発生原理は同じですが、それぞれがどのように定義されているかというと、霧は1キロメートル先が見えない状態、靄は1キロメートル先が見える状態です。つまり、霧と靄の違いは視界の違いです。霧の方が靄よりも視界が悪いことになります。また霧や靄は地面と接しているものです。地面に接しておらず空中に存在する場合は雲と呼びます。なお英語では霧は「fog」で靄は「mist」になります。ちなみに霞がかかっている状態は「haze」です。

霧・靄のかかった街
霧・靄のかかった街

 霧の街で有名なのはサンフランシスコです。サンフランシスコでは夏に霧や靄が発生しやすくなります。夏の暑い日に湾内に水温の低い寒流が流れこむと霧が発生します。

The Crazy San Francisco Fog

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2022年7月24日 (日)

飛行機雲はどうしてできるのか?

 澄み切った青空を突き抜けていく飛行機雲。まるで飛行機が白い煙を吐き出しながら飛んでいるようですが、飛行機雲は空に浮かぶ雲と同じものです。どうして飛行機が飛んだ跡に雲が現れるのでしょうか。

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飛行機雲

 飛行機雲ができるしくみを考える前に空に雲ができる理由を考えてみましょう。空に浮かぶ雲の正体は細かい水や氷の粒です。それらはもともと地上や海上で蒸発した水、水蒸気です。

 空気は暖かいほどたくさんの水蒸気を含むことができますが暖かい空気は軽いので上空へと昇っていきます。気温は高さが100メートル上がるごとに1 ℃づつ低くなります。上空へ昇る空気はどんどん冷やされます。冷蔵庫に霜ができるのと同じように、空気に含まれていた水蒸気は水蒸気の形ではいられなくなり、細かい水や氷の粒になります。これが雲の正体です。

空に立ち上る雲<
空に立ち上る雲

 飛行機雲は雲がひとつもない空でも飛行機が飛んだだけでできます。空に雲がないということとは、上空の空気に含まれた水蒸気が水蒸気の形でいられるということです。飛行機雲が空に浮かぶ雲と同じなら、飛行機雲も細かい水や氷の粒でできているはずです。空に雲がないのにどうして飛行機が飛んだ跡に雲ができるのでしょうか。

 飛行機雲を良く観察してみると、飛行機雲が飛行機の主翼のエンジンから出ているのが分かります。エンジンから出る排気ガスには水蒸気が含まれています。飛行機が飛ぶのは高度1万メートルの高さですが、その気温は真夏でもマイナス60 ℃ぐらいになります。飛行機のエンジンから出た排気ガスはあっという間に冷やされて、排気ガス中の水蒸気は細かい水や氷の粒になります。これが飛行機雲として見えるのです。

 このため飛行機雲はエンジンの本数だけできることになります。ですから、エンジンが2基の飛行機は次の写真のように飛行機雲が2本できます。

エンジン2基の飛行機の飛行機雲
エンジン2基の飛行機の飛行機雲

 エンジンが4基の飛行機は飛行機雲が4本できます。

エンジン2基の飛行機の飛行機雲
エンジン4基の飛行機の飛行機雲 

 ところで、飛行機雲を出していない飛行機が飛んでいるのを見たこともあるでしょう。

飛行機雲を出していない飛行機
飛行機雲を出していない飛行機

 飛行機雲が生じないということは、飛行機の排気ガスに含まれている水蒸気が、水や氷の粒にならずに、水蒸気のままで空気中に存在できるということです。どのようなときに、そのような状態になるかというと、上空の空気に含まれる水蒸気の量が少ないときです。逆に、飛行機雲がなかなか消えないときは、上空の空気に水蒸気がたくさん含まれていて、飛行機雲の水や氷の粒がそのまま残っている状態です。

 飛行機雲がすぐに消える場合には快晴の日が続き、飛行機雲がなかなか消えない場合は天気が崩れる可能性があります。

 アクロバット飛行機が飛行機雲を吐き出しながら飛んでいるところを見たことがあると思います。この飛行機雲は上述の「雲」ではなく、油をエンジンの排気熱を利用して気化した油が上空で冷やされて白い煙となったものです。ですから、これはスモークで飛行機雲ではないのですが、広義で飛行機雲と呼ばれています。人為的に作っているため、飛行機雲を出したり、止めたりすることができるのです。また、油に染料を混ぜると色のついた飛行機雲を作ることができます。

 次の写真は1964年の東京オリンピックの開会式で航空自衛隊のブルーインパルスが飛行機雲で作った五輪のマークです。

ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)AIカラー
ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)

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2022年3月23日 (水)

なごり雪と桜のつぼみ

 春分も過ぎ3月も後半になり暖かくなってきましたが昨日(21日)は思いがけなく雪が降ってきました。春雪は「なごり雪」とも言いますが、なんだか本格的に降って積もり始めました。この辺りはそろそろ桜の開花の時期ですが、この雪で桜のつぼみも縮こまってしまった感じもします。

なごり雪と桜のつぼみ(2021年3月21日)
なごり雪と桜のつぼみ(2021年3月21日)

 桜の開花は気温の積算と寒暖差が関係しています。これからますます暖かくなってくるので桜の開花は間もなくです。今週末はカメラを片手に近くの公園に花見にでも出かけてみよう。

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2022年2月23日 (水)

富士山の日(2月23日)

 2月23日は語呂合わせ「ふ(2)じ(2)さん(3)」から富士山の日とされています。「富士山の日」は山梨県富士河口湖町(当時は山梨県河口湖町)と静岡県がそれぞれ2001年12月と2009年12月に制定しています。山梨県河口湖町は「富士山の恩恵に対する感謝を表すとともに、富士山の環境保全ならびに観光資源としての重要性を認識する機会」、静岡県は「県民が富士山について学び、考え、想いを寄せ、富士山憲章の理念に基づき、後世に引き継ぐことを期する日(静岡県富士山の日条例)」としています。

富士山
富士山

 さて「富士山の日」を最初に制定したのは自治体ではなくパソコン通信NiftyServe(現@nifty)のフォーラム「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」です。1996年(平成4年)1月に日本記念日協会に登録されました。日本記念日協会のサイトで「富士山の日」を検索すると下記の説明が表示されます。

『オンラインを通じて、全国一斉に富士山の見え具合をネット上で報告し合うなど、富士山をテーマとした活動を活発に行っているパソコン通信上の「山の展望と地図のフォーラム」が制定。日付は2と23で「富士山(ふじさん)」と読む語呂合わせと、この時期は富士山がよく望めることから』(引用:一般社団法人・日本記念日協会

 「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」は@niftyのフォーラム終了後もこちら(FYAMAP)で現在も活動が続いています。自分もNiftyServeをよく利用していました。あるフォーラムのSUBSYSを努めていた関係でこちらのフォーラムもNifTermやNif-Xで自動巡回していました。

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2022年1月28日 (金)

白瀬南極探検隊が大和雪原に到着(1912年1月28日)

 日本初の南極観測隊は白瀬矗陸軍中尉が率いる白瀬南極探検隊です。白瀬隊は1910年11月29日にわずか204トンの開南丸で芝浦ふ頭を出港しました。1912年2月8日、開南丸はニュージーランドのウェリントンに到着し物資を調達し南極を目指して出港しました。しかし南極の夏が終わりに近づき船の安全な航行に支障をきたすため5月初めにオーストラリアのシドニーに入港しました。書記長の多田恵一と船長の野村直吉が資金調達のために一時帰国しました。

 シドニーに至るまで開南丸ではいくつかの事件が起きていました。まず航海中に犬ぞりを引く樺太犬たちが原因不明で死にました。また、白瀬隊長と多田恵一書記長、野村直吉船長と隊員の間で確執が生じ、隊員による白瀬隊長の毒殺未遂事件まで起きる事態となっていたのです。

 やがて多田らが樺太犬を連れてシドニーに戻ってくると白瀬隊は内紛を和解し、開南丸は1911年11月19日に南極に向けて出港しました。1912年1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と名付けました。しかしながら、開南湾は拠点として環境が悪くグレート・アイス・バリアのクジラ湾から再上陸しました。

 同年1月20日、白瀬隊は南極点に向けて出発しましたが悪天候に遭い、さらに装備や食料の不足からそれ以上の前進は断念しました。1912年1月28日、もっとも南極点まで近づいた南緯80度05分西経156度37分付近を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し「南極探検同情者芳名簿」を埋めて引き返しました。

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海南丸と大和雪原(中央が白瀬隊長)

 開南丸は同年2月4日に南極を出向し6月20日に芝浦ふ頭に無事生還しました。白瀬隊は南極点到達は果たせませんでしたが後の南極探検の礎となったのです。しかし、日本が再び南極探検隊を派遣することができたのは第二次世界大戦後の1956年のことでした。

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2022年1月 6日 (木)

それでも大陸は動いている(1912年1月6日)

 現代においては大陸が地球の表面を移動するという大陸移動説はプレートテクトニクス理論で実証されていますが、今から100年ほど前は馬鹿げた理論として受け入れられませんでした。

 大航海時代末期に正確な世界地図が作られるようになると、一部の学者は大陸の形状から大昔は大陸と大陸がつながっていたのではないかと考えました。また世界中に散らばる化石の分布から昔はいくつかの大陸が大きなひとつの大陸だったと唱える学者もいました。しかし、これらの説では地球が収縮することによって陸地と海洋の様子が変わったり、地球が膨張することによって大陸間の距離が大きくなったと考えられました。それらの説はそれぞれ地球収縮説、地球膨張説と呼ばれますが、どちら説も大陸同士の相対的な位置関係が変化するもので大陸自身が移動するものではありませんでした。

 ドイツの気象学者アルフレート・ロータル・ウェーゲナーは大学で天文学を学んでいましたが極地探検に興味をもち気象学を学ぶようになりました。大学卒業後は兄の働く航空気象台に就職し、気球を用いた気象観測や探偵観測を行いました。1906年にデンマークの探検隊に参加し、グリーンランドを訪れ地図の作成や極地の気象観測を行いました。

 1910年、ウェーゲナーは世界地図を見て大西洋の両岸、アメリカ大陸の東海岸とアフラ大陸の西海岸の形がよく合致することに気がつきました。当初ウェーゲナーはこれを偶然の一致ぐらいにしか考えていませんでしたが、1911年になって古生物の化石の分布から南アメリカ大陸とアフリア大陸がつながっていたことを示す古生物学的証拠の存在を知り、大陸が移動したと考えるようになりました。そして1912年1月6日にドイツのフランクフルトで行われた地質学会で太古にアメリカ大陸とアフリカ大陸が移動したとする「大陸移動説」を唱えました。

 ウェーゲナーは世界で初めて「大陸移動」という言葉を使って自説を唱えましたが当時は地球収縮説が主流でした。大陸と海底は高度が異なるものの同じものであるから、海底の上を大陸自身が移動するはずがないというのが常識だったのです。ですから、ウェーゲナーの大陸移動説は非常識な異説とされ多くの学者に相手にされませんでした。

 1914年に第一次世界大戦が始まるとウェーゲナーは陸軍の気象調査を手がける部隊で働きました。このとき大陸移動説の研究を進め自身の考えを著書にまとめました。1915年に「大陸と海洋の起源」を発表し、測地学、地質学、地球物理学、古生物学、古気候学のデータを示しながら大西洋は古代には存在しておらずひとつの大きな大陸が分離移動して大西洋ができたとする「大陸移動説」を唱えました。しかしながら、ウェーゲナーの説は認められませんでした。ウェーゲナーは諦めずに調査を進め「大陸と太陽の起源」の第二版を1919年、第三版を1922年に出版しました。1929年に出版した第四版では現存する全ての大陸はもともと1つの大陸であったが、約2億年前に分裂して移動し、現在のようになったと唱えました。

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ウェーゲナーと大陸移動の図(「大陸と太陽の起源」第4版)

 ウェーゲナーの「大陸移動説」ではマントル対流に関する言及がありましたが、大陸がどうして動くのかについてまでは説明できていませんでした。また、化石の分布についてはかつて地続きになっていた部分が海中に沈んだと考えれば説明がつくと多数の地質学者から反論されました。ウェーゲナーの「大陸移動説」が認められることはなかったのです。

 1930年、ウェーゲナーは大陸移動説の有力な手がかりを見つけるために5度目のグリーンランド探検に向かいました。グリーンランドが西に移動していることを証明することができると考えたのです。1930年11月1日、ウェーゲナーは探査から基地に戻る途中で遭難し帰らぬ人となりました。この日はウェーゲナーの50歳の誕生日でした。

  ウェーゲナーの死後、マントル対流の研究が進み地球内部でのマントルの熱対流が大陸移動の原動力と考えられるようになりました。また地磁気の調査によって大陸が移動したことを裏付ける証拠が見つかり、ウェーゲナーの大陸移動説が高く評価されるようになりました。1960年代後半に地球の表面を覆ういくついかの固い岩盤が動くことによって地震や大陸移動が引き起こされるというプレートテクトニクス理論が提唱されたのです。

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