カテゴリー「化学」の62件の記事

2022年5月 3日 (火)

【おもしろ映像】ガスライターの火がつく瞬間

 ガスライターに火がつく瞬間をハイスピードカメラで撮影した映像です。発火石から出た火花がガスに着火して炎となります。その瞬間がハイスピードカメラでしっかりと捉えられています。 火花がなくなる頃に炎が出でいることがわかります。

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2022年3月21日 (月)

通産省がPCBの生産使用禁止を通達(1972年3月21日)

 PCBとはポリ塩化ビフェニル(Polychlorinated biphenyl)という化学物質のことです。PCBは2つのベンゼン環がつながった「ビフェニル」の水素原子の1つ以上が塩素原子に置き換わった構造をしており、広い意味ではダイオキシンの一種とされています。

PCB(ポリ塩化ビフェニル)の化学構造
PCB(ポリ塩化ビフェニル)の化学構造

 PCBは1881年にドイツで開発され1929年にアメリカで工業的な製造が始まりました。日本でも1954年に製造されるようになりました。PCBは耐熱性や絶縁性に優れているためので、トランス(変圧器)やコンデンサの電気機器の絶縁油などに使用されました。トランスやコンデンサは工場などの大掛かりな機械の他、蛍光灯、テレビ、電子レンジなど家電製品にも使われていました。また、熱によって分解されにくいため、いろいろな機械の加熱・冷却用の油にも使用されていました。

 PCB非常に幅広い分野で使用されるようになりましたが、毒性が高く1968年に「カネミ油症事件」が起きました。福岡県のカネミ倉庫株式会社で製造された米ぬか油を食べた人たちの身体に異常が発生したのです。皮膚が黒くなったり、肝臓が働かなくなったり、手足のしびれが起きるなどしました。原因は米ぬか油の製造ラインで脱臭工程の熱媒体として用いられていたPCBやPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)が米ぬか油に混入していたからでした。この事件によってPCBの問題が注目されるようになり、当時の通商産業省は1972年3月21日にPCBの生産・使用禁止の通達を出しました。

 PCBは国内では使用されなくなってもう30年以上経ちます。PCBに対する人々の意識は薄れてきていますが、回収されていない製品が未だに存在しています。また過去に廃棄されたものから漏れ出したPCBが土壌や水質を汚染し、PCBが生物の体内に蓄積されて害を及ぼす可能性も指摘されています。

 世界的には2028年までにPCBを全廃しようというPOPs条約が2001年に成立しています。未だにPCBを含む電気機器が見つかったり、回収されたPCBの処分が遅れたりするなどの問題があります。2028年に向けてPCB問題は再び注目されるようになるでしょう。そういう意味では30年経過した現在においてPCB問題は古くて新しい問題と言えそうです。

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2022年3月 6日 (日)

メンデレーエフが周期律表を発表(1869年3月6日)

 19世紀初めにドルトンが原子論を発表すると科学者たちは競って新しい元素の発見に取り組むようになりました。そして元素が発見されていくにつれて多くの科学者は元素がその性質によって分類できるのではないかと考えるようになりました。

 1864年、イギリスのジョン・ニューランズは、元素を原子量の順に並べて行くとまるでドレミの音階のように8番ごとに性質が良く似た元素が現れることに気がつきました。ニューランズはこれを「オクターヴ説」として発表しましたが大きな原子量の元素には当てはまらなかったため支持されませんでした。

 1860年代初めにヨーロッパに留学していたロシアのドミトリ・メンデレーエフは留学後にロシア濾紙のペテルブルグ大学で化学の教授となりました。執筆中の化学の教科者で元素をどのように説明するか考えていました。そして当時発見されていた63種類の元素について同じ原子価の元素を原子量の順に並べるとよく似た性質の元素が周期的に現れることを見い出しました。

メンデレーエフはこれを表にまとめ1869年の3月6日にロシア化学学会で「Соотношение свойств с атомным весом элементов(元素の性質と原子量の関係)」と題した発表をしました。メデレーフの発表はロシア語、ドイツ語、英語の専門誌に掲載されました。

メンデレーエフと1869年に作成された周期表
メンデレーエフと1869年に作成された周期表

 他にもたくさんの科学者が「元素は同じ性質の元素が周期的に現れる」ことを示し周期表を作りましたが、現在ではメンデレーエフが周期表の発明者とされています。それは多くの科学者達が既知の元素に対してのみ周期表を作成したのに対して、メンデレーエフは周期表に元素を割りてるにあたって対応する元素が存在しない場合はそこに未知の元素があると予言したからです。その後、それらの場所に入る元素が発見されていきメンデレーエフの周期表の正しさが実証されたのです。

 現在では、100種類を超える元素が発見されておりメンデレーエフの周期表の修正もありましたが基本的にはメンデレーエフの周期表が受けつがれています。元素の周期表には、元素の性質に関するたくさんの情報が示されており、また後に原子の構造や化学反応の基礎研究や新しい物質の開発などに大いに役立ったのは言うまでもありません。

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2022年2月12日 (土)

ペニシリンの臨床実験が行われる(1941年2月12日)

 1928年、スコットランドの細菌学者アレクサンダー・フレミングはブドウ球菌をペトリ皿で培養中にアオカビが混入し、カビの周囲で細菌の生育が阻害されていることを発見しました。フレミングは追試を行い確かにアオカビが細菌の生育を阻害することを突き止めました。その物質を突き止めることはできませんでしたがこれをアオカビ(Penicillium notatum)の名称からペニシリンと名付けました。

 フレミングの発見からしばらくの間はペニシリンがどのような物質がわかりませんでした。1940年にオックスフォード大学の細菌学者ハワード・ウォルター・フローリーと生化学者エルンスト・ボリス・チェーンがアオカビからペニシリンを単離することに成功し、ペニシリンが1つの物質ではなく混合物であることを発見しその化学組成を突き止めました。その後、フローリーの部下だった生化学者ノーマン・ヒートリーがマウスを使ってペニシリンの効果を確かめました。

 当時ペニシリンの構造がわかっていなかったため人工的に合成することはできませんでした。アオカビから得られる天然のペニシリンは量が少なく大量生産ができませんでした。そのためヒトの臨床実験にはペニシリンが足りませんでした。ヒートリーはアオカビを培養する方法を考案し臨床実験ができる量のペニシリンを確保しました。

 1940年12月、警察官のアルバート・アレキサンダーは誤ってバラのトゲで顔を怪我し細菌に感染し敗血症となりました。サルファ剤を投与するなど従来の治療を施しましたが全く効きませんでした。ペニシリンの副作用が懸念されましたが、アレキサンダーが瀕死の重傷で末期状態であったため1941年2月12日にペニシリンが投与されました。これがペニシリンの臨場実験となりました。アレキサンダーの体温は下がり、食欲も回復、感染症も治り始めました。しかしながら、ペニシリンの量が不足していたためアレキサンダーは再発し亡くなりました。

 第二次世界大戦中のイギリスではペニシリンの大量生産は難しく、米国のロックフェラー財団と微生物学者アンドリュー・J・モイヤーがペニシリンの工業的な生産方法を確立しました。これによってペニシリンは第二次世界大戦で負傷した多くの兵士の命を救いました。

 1945年、ペニシリンの功績によりフレミング、フローリー、チェインの3人がノーベル生理医学賞を受賞しました。受賞者に3人の制限があったため研究の多くを手がけたヒートリーはノーベル賞を受賞できませんでした。

らフレミング・フローリー・チェイン・ヒートリー
左からフレミング・フローリー・チェイン・ヒートリー

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2022年2月 1日 (火)

ミルクティーは紅茶が先かミルクが先か

 ミルクティーを作るときに「紅茶とミルクのどちらを先に入れるか」という議論があります。この議論については、2003年6月に英国王位化学協会(The Royal Society of Chemistry)が「How tomake a Perfect Cup of Tea」という論文を発表していて「ミルクを先に注ぐべし」と結論づけています。

ミルクティーは紅茶が先かミルクが先か
ミルクティーは紅茶が先かミルクが先か

 その理由として牛乳のタンパク質の変質があげられています。熱い紅茶に牛乳を注いだ方が冷たい牛乳に紅茶を注いだときよりも、牛乳のタンパク質が変質しやすいことがあげられています。牛乳のタンパク質のほとんどはガゼインと呼ばれる物質ですが、その他、乳清タンパク質が微量ながら含まれています。ガゼインは熱に強いのですが乳清タンパク質は熱に弱く熱をかけると変質して固まります。

 牛乳に含まれる乳清タンパク質は微量なので沈澱は生じませんがありませんが変質はするでしょう。また、牛乳は温度が高くなると皮膜ができます。これをラムスデン現象と呼びますが牛乳中のタンパク質に脂肪が付着したものと考えられています。

 いずれにしろ、ミルクティーの場合は牛乳に含まれるタンパク質の変質があるので、カップにミルクを先に入れ、ミルクに紅茶を注ぐ作り方が推奨されたようです。なぜ王位協会がこの調査に乗り出したのか・・・・イギリスではミルクティーは歴史的権威のある伝統的な飲み物だからではないでしょうか。

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2021年11月27日 (土)

ノーベル賞制定記念日(1895年11月27日)

 スウェーデンの化学者アルフレッド・バルンハート・ノーベルは1833年に貧しい建築家の家庭に生まれました。父は1837年にロシアのサンクトベルぐで機械や爆発物の製造で成功し兵器開発を手掛けるようになりました。

 ノーベルは父の影響で幼少期から爆発物に興味をもちその原理を学んでいましたが、父が事業成功し家庭が裕福になると化学と語学の英才教育を受けました。1850年にフランスの化学者テオフィル=ジュール・ペルーズの講座を受講し、1851年から4年間米国に留学しました。

 ペルーズの元にはニトロセルロースの研究でパイログリセリンを開発したアスカニオ・ソブレロがいました。パイログリセリンは後にニトログリセリンと改名されますが、ソブレロはニトログリセリンが非常に扱いにくい危険な物質であると警告していました。 ニトログリセリンは黒色火薬より7倍の爆発威力を持つため鉱山の発破に使われていました。しかし、導火線で点火しても爆発せず、そのくせ衝撃や摩擦で爆発してしまうため非常に扱いにくい物質でした。そのため事故が多発していました。

 1856年にクリミア戦争が終結すると父の事業はうまくいかなくなり、1859年に父はノーベルと一緒にスウェーデンに戻りました。ノーベルは1855年頃にはニトログリセリンのことを知っていたようで、スウェーデンに戻るとニトログリセリンの安全な製造方法、保管方法、使用方法などの研究開発を始めました。1863年に特許を取得するものの、この爆薬が危険であることには変わりありませんでした。

 1864年にノーベルの弟と助手の計6名がグリセリンの精製中に爆発事故で亡くなりノーベル自身も怪我を負いました。この事故でスウェーデンにおけるニトログリセリンの研究開発が許可されなくなり、ノーベルはドイツで研究を進めることにしました。ノーベルはニトログリセリンを安全に扱う方法を求め続け、1866年にニトログリセリンを珪藻土に染みこませ雷管を用いて爆発させるダイナマイトを発明しました。1867年に米国と英国でダイナマイトの特許を取得しました。

 ダイナマイトは鉱山や工事現場などで使われ人々の生活を豊かにするものとなりました。同時に軍事にも使われるようになりました。ノーベルはダイナマイトが軍事目的で使われることは想定していたようですが、ダイナマイトの破壊力が戦争を抑止すると考えていたようです。しかし、ダイナマイトは多くの人の命を奪うことになりました。「死の商人」とまで揶揄されたノーベルは自身の評価を気にするようになりました。

 ノーベルは自らの発明が多くの人命を奪っことに対する償いや自身の名誉回復のため何かできないかを考えました。そして1895年11月27日にダイナマイトで手に入れた巨額の財産を基金として人類のために最大の貢献をした人たちに賞を与えると遺言状に書いて署名しました。賞の対象となる分野は物理学、化学、医学または生理学、文学、軍縮や平和推進に貢献した個人や団体とされました。その後、経済学が追加されました。

ノーベルと遺言書
ノーベルと遺言書

 ノーベル本人は遺言書に書いた賞に名をつけませんでしたが「ノーベル賞」と呼ばれるようになりました。そして翌年12月10日にノーベルは永眠したのです。ノーベル賞の授賞式は毎年ノーベルの命日に行われています。

ノーベル (コミック版 世界の伝記)

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2021年10月23日 (土)

モルの日(10月23日午前6:02ー午後6:02)

 化学で習うモル(mol)は物質量を示すSI単位で1モル中には6.02214076×10の23乗個の粒子が含まれると定義されます。6.02214076×10の23乗はアボガドロ定数と呼ばれています。

 アボガドロ定数はイタリアの化学者アメデオ・アボガドロに由来します。アボガドロは1811年に同一の圧力と温度のもとで気体の体積はその種類に関わらずそれに含まれる原子または分子の数に比例することを発見しました。1909年にフランスの物理学者がジャン・ペランがその比例乗数をアボガドロ数と名付けることを提案しました。アボガドロ定数の値を最初に求めたのはドイツの物理学者ヨハン・ロシュミットです。

アメデオ・アボガドロ
アメデオ・アボガドロ

 このアボガドロ定数に因んで10月23日の午前6:02から午後6:02の間は「モルの日」とされています。1980年代の初めにThe Science Teacher誌に高校の化学教師がこの日を祝うという記事が掲載されました。この記事をきっかけとしてウィスコンシン州プレーリー・ドゥ・シーン市の高校化学のモーリス・オーラー教師が1991年5月15日に全国モルの日財団(National Mole Day Foundation、NMDF)を設立しました。

 「モルの日」は一般にはあまり知られていませんが、アメリカやカナダなどの国では化学の啓蒙としてこの日に化学やモルに関する活動が行われます。アメリカ化学会は10月23日を挟んだ日曜日から土曜日の1週間を全米化学週間としています。

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2021年9月16日 (木)

オゾン層保護のための国際デー(9月16日)

 1785年、オランダの化学者マルティン・ファン・マルムは水面上で放電の実験を行ったていたところ異臭が発生することに気がつきました。これがオゾンの最初の発見ですが、マルム自身は異臭の原因がオゾンによるものとは気がつきませんでした。

 1828年頃、スイスの化学者クリスチアン・シェーンバインはマルムが発見した異臭に改めて気がつき、この臭気が落雷の時にも発生することから、原因となる物質は大気から生じると考えました。そして、この物質をギリシア語で「臭ぐ」を意味するὄζειν に因んでオゾン(Ozon) と名付けました。シェーンバインは1839年にオゾンの匂いが白リンをゆっくりと酸化させたときに発生する匂いに似ていることを突き止め、オゾンが酸素から成る物質であることを突き止めました。オゾンが酸素原子3つが結合した物質であることを明らかにしたのはスイスの化学者ジャック・ソレです。

 1879年、フランスの物理学者マリー・アルフレッド・コルニュは300 nmより短い紫外線が地表に届いていないことを確認し、大気が短波長の紫外線を遮蔽していることを発見しました。1881年、アイルランドの化学者ウォルター・ハートレイはオゾンが短波長の紫外線を吸収することを発見し、コルニュが発見した大気の紫外線遮蔽の原因物質はオゾンの可能性があることを報告しました。1913年にレイリー卿ことジョン・ウィリアム・ストラットが大気の下層では紫外線の吸収が発生しないことを確かめ、紫外線遮蔽の原因物質が大気の上層に存在することが示唆されました。同年フランスの物理学者シャルル・ファブリとアンリ・ビュイソンが大気上層に存在するオゾンが吸収する紫外線が太陽光の紫外線と一致することを確かめオゾン層を発見しました。1920年にイギリスの物理学者ゴードン・ドブソンがオゾン層の存在を証明しました。

 オゾンは大気の上層部で生成と分解を繰り返していますが、生成と分解のバランスが取れている限りオゾン層は保たれます。しかしながら、近年、クーラーや冷蔵庫に用いられる冷媒や半導体部品の洗浄剤に含まれるフロンや多くの化学物質に含まれる塩素が大気中に排出され、オゾンを分解していることがわかりました。

 ・オゾン層からオゾンが落ちてこない理由(オゾンの生成と分解のプロセス)

 オゾン層が破壊されると有害な紫外線が地表に届くことになります。1985年に南極のオゾン層が減少する論文が報告されると、オゾン層の保護が国際的な課題となり、同年3月22日にオゾン層の保護のためのウィーン条約が採択されました。

南極のオゾンホール
南極のオゾンホール
Image from NASA  showing a map of a hole in the ozone layer over Antarctica on Oct. 20, 2019.

 1987年9月16日に「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択され1999年までにフロンガスなどオゾン層破壊の原因となる物質の消費量を半減することが決定され、日本をはじめ24カ国が調印しました。1994年の国際連合総会でこの日を「国際オゾンデー」とすることが決議されました。 

Unusual Winds Drive a Small 2019 Ozone Hole

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2021年5月27日 (木)

絶対に面白い化学入門「世界史は化学でできている」

絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている

左巻 健男 (著)

 左巻健男さんの大著作「世界史は化学でできている」です。この本は化学を専門とする筆者があえて化学者の目線で世界史を振り返ったものです。ですからタイトルは『世界史は「科学」でできている』ではなく『世界史は「化学」でできている』なのです。「科学」にするとより範囲が広くなり、いろいろな話を取り上げられるはずですが、あえて「化学」に絞っているところがこの本の企画が優れているところです。

 全392ページですから相当の時間を費やして調査および執筆をされたことは容易に想像がつきます。何十年にも渡る執筆活動で書き上げてきたたくさんの化学本の経験と知識から新たに生み出した集大成の本と言えるでしょう。下記に目次を紹介してありますが、多岐にわたった人類の歴史がいかに化学と密接な関係にあるのかがわかります。専門書のような難しい解説はいっさいなく、あくまでも読み物として楽しめます。

絶対に面白い化学入門 「世界史は化学でできている」
絶対に面白い化学入門 「世界史は化学でできている」

 筆者者の左巻さんからサインをいただくことができました。「これたいへんだったんだよ」と。「やーそう思います」と。

左巻健男さんのサイン
左巻健男さんのサイン

出版社からのコメント

「化学」は、地球や宇宙に存在する物質の性質を知るための学問であり、物質同士の反応を研究する学問である。火、金属、アルコール、薬、麻薬、石油、そして核物質・・・。化学はありとあらゆるものを私たちに与えた。本書は、化学が人類の歴史にどのように影響を与えてきたかを紹介するサイエンスエンターテインメント。

出版社 : ダイヤモンド社 (2021/2/17)
発売日 : 2021/2/17
言語 : 日本語
単行本(ソフトカバー) : 392ページ
ISBN-10 : 447811272X
ISBN-13 : 978-4478112724

 

【目次】

はじめに

第1章 すべての物質は何からできているのか?

第2章 デモクリトスもアインシュタインも原子を見つめた

第3章 万物をつくる元素と周期表

第4章 火の発見とエネルギー革命

第5章 世界でもっともおそろしい化学物質

第6章 カレーライスから見る食物の歴史

第7章 歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒

第8章 土器から「セラミックス」へ

第9章 都市の風景はガラスで一変する

第10章 金属が生み出した鉄器文明

第11章 金・銀への欲望が世界をグローバル化した

第12章 美しく染めよ

第13章 医学の革命と合成染料

第14章 麻薬・覚せい剤・タバコ

第15章 石油に浮かぶ文明

第16章 夢の物質の暗転

第17章 人類は火の薬を求める

第18章 化学兵器と核兵器

おわりに

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2021年5月 6日 (木)

ゴムの日に天然ゴムのおはなし(5月6日)

 毎年5月6日は「ゴムの日」とされています。この日に因んでゴム製品をPRする企業はたくさんありますが、どの団体がいつ頃に「ゴムの日」を制定したのかはわかっていません。

天然ゴムの原料

 人類が初めて使ったゴムは、南米のアマゾン川流域の熱帯雨林を原産地とするパラゴムノキの樹液を固めた天然ゴムです。パラゴムノキはトウダイグサ科パラゴムノキ属の常緑高木で、名前の「パラ」はブラジル北部のパラ州に由来しています。

パラゴムノキ(函館市熱帯植物園)
パラゴムノキ(函館市熱帯植物園)

 このパラゴムノキの幹に傷をつけると、乳液状の白い樹液が得られます。これが天然ゴムの原料となります。

天然ゴムの採取
天然ゴムの採取

 採取したばかりのパラゴムノキの樹液は、ゴムの成分が分散した白い水溶液(ラテックス)です。これに少量の酸を加えて凝固させて乾燥すると生ゴムになります。

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生ゴム

天然ゴムの発見

 紀元前1200年頃から紀元前300年頃、現在のメキシコのベラクル州とタバスコ州の境目あたりでオルメカというアメリカ大陸最古の文明が栄えていました。オルメカという名前は現地のインディオの言葉で「ゴムの国の人」という意味です。このあたりにはパラゴムノキが豊富にあり、人々は天然ゴムを使いこなしていたのでしょう。

 オルメカの遺跡から、宗教的儀式として球技が行われた祭祀場と、その球技に使われた天然ゴム製のボールが発見されています。この球技は「トラチトリ」と呼ばれるフットボールによく似た球技として、その後に発展したマヤ文明やアステカ文明にも受け継がれました。

 1493年にクリストファー・コロンブスが第2回目の航海でジャマイカに立ち寄った際に、原住民が天然ゴムで作ったボールで遊んでいるところを発見したことで、天然ゴムがヨーロッパに伝わりました。

クリストファー・コロンブス
クリストファー・コロンブス

 しかし、その後約300年の間は特に利用価値もなく希少品として扱われるのみでした。天然ゴムが初めて道具として使われたのは1700年代後半になってからです。酸素の発見者としても有名なイギリスの科学者ジョセフ・プリーストリーが天然ゴムを使うと鉛筆で書いたものを消せることに気がつき、1772年に消しゴムを作りました。この天然ゴムを使った消しゴムはあっという間に世界中に広まりました。ゴムのことを英語でRubberといいますが、これはrub out(文字を消す)という言葉が語源になっています。

天然ゴムの主要生産地が東南アジアなのは

 19世紀の終わりになると、自動車などのタイヤに天然ゴムが使われるようになり、天然ゴムは需要に対して供給が不足して価格が暴騰しました。そのため、イギリスは南米からもち帰ったパラゴムノキの苗木を、当時植民地支配していた東南アジアのセイロン島(現在はスリランカ)に持ち込み天然ゴムの栽培を始めました。これが南米を原産とするパラゴムノキの樹液から作られる天然ゴムの主要な生産地が東南アジアとなっている理由です。

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