カテゴリー「物理」の49件の記事

2022年12月30日 (金)

【おもしろ映像】水の入った風船の挙動

 ハイスピードカメラを使うと光速で運動する物体などを撮影することができます。特撮の撮影にも利用されています。

 今回紹介する映像は水が入った風船をハイスピードカメラで撮影したものです。

 最初の映像は水の入った風船を床に落としたときのものです。床にぶつかった風船は割れずに大きく変形した後、跳ね返りながら再びもとの形に戻ります。

A water balloon not exploding in high-speed

 次の影像は水の入った風船を針で刺して割れる瞬間をとらえたものです 。風船のゴムが割れて縮みますが、その直後は水は風船の形を保っています。

Busted water balloon in slow motion

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2022年10月20日 (木)

単位メートルが光速度基準になる(1983年10月20日)

 国際単位系(SI)およびMKS単位系で定義されているメートル(記号: m)は長さの計量単位です。メートルは秒(s)、質量(kg)、アンペア(A)、ケルビン(K)、モル(mol)、カンデラ(cd)に並んで他の量とは関係しない独立した7つのSI基本単位の1つでものです。

 長さの普遍的測定単位(universal measure)は1668年にイギリスの建築家で天文学者クリストファー・レンが提案した39.25イギリス・インチ(997 mm)が採用されました。当時はまだメートルという単位はなく、この値はオランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスが求めた2秒を刻む振り子の長さ38ラインランド・インチに相当しています。

 1675年にイタリアのイタリアの科学者ティト・リビオ・ブラッティーニがギリシア語でuniversal measure を意味するμέτρον καθολικόν(メトロン・カトリコン)から普遍的測定単位を「metro cattolico」と記したことがきっかけとなり長さの単位がメートルになりました。

 もともと長さの単位は世界中でバラバラでした。たとえば長さの単位にフィートがあります。フィートは足の大きさに由来する長さですが、古代においては権力者などの足の大きさを元に定められていました。フィート以外にも様々な長さの単位が存在することからわかるように各地で独自の単位が使われてきたのです。それぞれの単位の標準化が進んでも国際的に共通化されたものではありませんでした。

 15世紀半ばからの大航海時代になると正確な地図が必要となりました。それぞれの国が使っていた単位をもとにしていては安全な航海ができなくなり貿易にも支障を来すようになりました。長さの標準化を精力的に進めたのはフランスでした。1971年にフランスの科学アカデミーはいくつかの案の中から地球の子午線を基準にすることを決めました。単位を定義するにあたって当時求められていた子午線長より正確な測量が必要でした。フランスは単独で1798年までに測量を行いました。1799年、測量の結果から北極点から地球の赤道までの子午線長の1千万分の1の値を1メートルと定義しました。そして、白金で1メートルの長さのメートル原器(アルシーヴ原器)を製作しました。

 しかしながら実際の地球の形状から考えると子午線を長さの基準に用いることは適切ではありませんでした。技術の進歩によってより正確に子午線長を求めることができるようになりましたが、子午線が長さの基準として不適切であることには変わらないため1869年にアルシーヴ原器そのものをメートルの基準とすることになりました。1872年にはアルシーヴ原器を元に30本のメートル原器が製作され、1889年にパリで開催された第1回国際度量衡総会において最も正確とされた6番目のメートル原器を国際メートル原器としました。 メートル原器のその正確さには限界があることは当初から指摘されていましたが、製作時の誤差があることが判明しました。

 1873年、イギリスの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルは光の波長を長さの基準にするべきという提案をしました。この提案に基づきアメリカの物理学者るアルバート・マイケルソンがメートル原器を光で測定しました。その後も光による測定が試みられ、1960年にメートルはクリプトン-86が真空中で発する橙色の波長の1650763.73倍と定義されました。これによってメートル原器はその役割を終えました。

 クリプトン-86による測定実験は再現性があまりよくないという問題を抱えていました。1950年代半ばに開発されたセシウム原子時計が1967年に1秒の定義に使われるようになると長さの単位を光速と時間で表すことになりました。1983年に開催された第17回国際度量衡総会において同年10月20日に1メートルは「1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」として定義されました。

【関連記事】単位メートルが光速度基準になる(1983年10月20日)

メートル法公布記念日(1921年4月11日)

グリニッジ天文台を経度0度に制定(1884年10月13日)

光速の測定実験は航海図の作成がきっかけだった

レーマーが光の速さは有限と発表(1676/11/22)

日本に2つ時刻があった|日本標準時制定記念日(1886年7月13日)

時の記念日(1920年6月10日)

 

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2022年7月 5日 (火)

アイザック・ニュートンの「プリンキア」出版(1687年7月5日)

 1687年7月5日、アイザック・ニュートンの著書「プリンキア」(自然哲学の数学的諸原理、プリンシピア)全3巻が出版されました。「プリンキア」は現在の物理学に通じる古典力学の基礎をなすニュートン力学を解説したものです。天体の運動や万有引力の法則をはじめとした運動の法則が数学的に論じられています。

 ニュートンが「プリンキア」を出版するきっかけはエドモンド・ハレーが作ったと言われています。エドモンド・ハレーは1705年に軌道計算からハレー彗星の出現を著書「彗星天文学概論」で予言したイギリスの天文学者です。1680年代前半に月の観測や重力の研究を行っていたハレーはケプラーの惑星運動の法則を証明することができずにいました。

 この頃、ニュートンはケンブリッジ大学のルーカス教授を務めていました。そのニュートンにもとに会いに来たのがハレーでした。1684年8月のことです。ハレーは自身が証明できずにいた「惑星が距離の平方に反比例する力で太陽に引き寄せられると仮定した場合、惑星が描く曲線はどのようになるか」という課題をニュートンに尋ねました。ニュートンはハレーの質問にすぐに「楕円」と答えました。ハレーはニュートンが既にケプラーの法則を証明していたことに驚きました。ニュートンは偉業を論文にしていなかったのです。

 ニュートンは1684年11月に自身でまとめた論文「回転している物体の運動について」をハレーに送りました。ハレーはニュートンの力学の研究成果を論文にまとめるように薦めました。ニュートンはハレーのアドバイスを得て500ページにもなる論文をまとめあげました。

ニュートンとハレーとプリンキア
ニュートン(左)とハレー(中)とプリンキア(右)

 この論文の出版について王立協会が資金提供などを行うと約束をしていました。しかし、ちょうど出版間近に王位協会が財政的に厳しい状況になり資金提供ができなくなりました。そこでエドモンド・ハレーが出版費用のやりくりしました。こうしてあまりにも有名な「プリンキア」は自費出版という形で1687年7月5日に初版が出版されたのです。

【関連記事】

ニュートンの思考実験「万有引力の法則」

ニュートンのプリズム分光実験が1666年である根拠

記録に残る最古のハレー彗星の接近の記録(紀元前240年5月25日)

地球がハレー彗星の尾の外側を通過(1910年5月19日)

ハレー彗星が近日点を通過(1986月2月9日)

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2022年3月 6日 (日)

メンデレーエフが周期律表を発表(1869年3月6日)

 19世紀初めにドルトンが原子論を発表すると科学者たちは競って新しい元素の発見に取り組むようになりました。そして元素が発見されていくにつれて多くの科学者は元素がその性質によって分類できるのではないかと考えるようになりました。

 1864年、イギリスのジョン・ニューランズは、元素を原子量の順に並べて行くとまるでドレミの音階のように8番ごとに性質が良く似た元素が現れることに気がつきました。ニューランズはこれを「オクターヴ説」として発表しましたが大きな原子量の元素には当てはまらなかったため支持されませんでした。

 1860年代初めにヨーロッパに留学していたロシアのドミトリ・メンデレーエフは留学後にロシア濾紙のペテルブルグ大学で化学の教授となりました。執筆中の化学の教科者で元素をどのように説明するか考えていました。そして当時発見されていた63種類の元素について同じ原子価の元素を原子量の順に並べるとよく似た性質の元素が周期的に現れることを見い出しました。

メンデレーエフはこれを表にまとめ1869年の3月6日にロシア化学学会で「Соотношение свойств с атомным весом элементов(元素の性質と原子量の関係)」と題した発表をしました。メデレーフの発表はロシア語、ドイツ語、英語の専門誌に掲載されました。

メンデレーエフと1869年に作成された周期表
メンデレーエフと1869年に作成された周期表

 他にもたくさんの科学者が「元素は同じ性質の元素が周期的に現れる」ことを示し周期表を作りましたが、現在ではメンデレーエフが周期表の発明者とされています。それは多くの科学者達が既知の元素に対してのみ周期表を作成したのに対して、メンデレーエフは周期表に元素を割りてるにあたって対応する元素が存在しない場合はそこに未知の元素があると予言したからです。その後、それらの場所に入る元素が発見されていきメンデレーエフの周期表の正しさが実証されたのです。

 現在では、100種類を超える元素が発見されておりメンデレーエフの周期表の修正もありましたが基本的にはメンデレーエフの周期表が受けつがれています。元素の周期表には、元素の性質に関するたくさんの情報が示されており、また後に原子の構造や化学反応の基礎研究や新しい物質の開発などに大いに役立ったのは言うまでもありません。

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2021年12月18日 (土)

磁石に引きつけられる金属は3種類

 磁石につくものと言えば、すぐに金属を思い浮かべると思います。しかしながら、すべての金属が磁石に引き寄せられるわけではありません。たとえば日本で使われている硬貨で試してみるとすべての硬貨が磁石につきません。

 実は磁石につく金属は鉄・コバルト・ニッケルの3種類しかありません。金属が磁石につくかどうかは、原子のもっている電子の状態で決まります。電子は自転しているため、まわりに磁界を作ります。そのため、物質の中に小さな磁石がたくさん存在しているような状態になっています。普通の物質は、この小さな磁石がバラバラの方向を向いているので全体としては相殺されて磁石の性質をもちません。ところが鉄・コバルト・ニッケルに磁石を近づけると物質中の小さな磁石の向きがそろうため磁石に引き付けられるのです。

磁石の仕組み
磁石の仕組み

 鉄・コバルト・ニッケルを含むある種の合金や金属酸化物は磁石に引き寄せられますが、これら3つの金属元素を含まない銅・マンガン・アルミニウムから成る磁石にくっつく合金が1903年に発見され、発見者の名前からホイスラー合金と名付けられました。ホイスラー合金はその構造の中で3つの金属元素が規則的に配列し自由電子のスピンの方向が一方向に揃っているという特徴があります。そのため磁石に引き付けられるのです。現在、ホイスラー合金は新しい材料として研究が進められています。

 ところで、ゴムやプラスチックの磁石を見たことがある人は多いと思います。これらの磁石はゴムやプラスチックにフェライト磁石やネオジム磁石などの磁性粉体を練り込んだものです。このような磁石をボンド磁石と呼びます。

 最近では高分子材料そのものに磁性を持たせたる研究も進んでいます。1991年に世界で初めて磁性をもつp-NPNN(p−ニトロフェニルニトロニルニトロキシド)という、極低温で磁石につく有機化合物が発見されました 。2004年には室温で磁性をもつ高分子材料PANiCNQがイギリスで発明されています 。高分子材料に磁性をもたせるには、分子中に安定な有機ラジカルをつくり、ラジカルの電子のスピンの向きを揃えます。分子間でスピンをそろえることができれば、強い磁石を作ることができます。磁石の仕組みが解明できたのだから、プラスチック磁石も作れるはずだという試みです。

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2021年5月29日 (土)

皆既日食で証明されたアインシュタインの相対性理論(1919年5月29日)

 ボールを投げると放物線状に曲がりながら落下するように、私たちの身の回りにある質量をもつものはすべて地球の重力に引かれて地面に落下します。

 ニュートンは光は粒子であるから、光は投げたボールのように重力に引かれて落ちると考えました。ただ、光の速度があまりにも速いため、地球上では観測できず、光は弾丸のように直進すると考えたのです。

水平投射
水平投射

 アインシュタインはエネルギーと質量は等価であり、相互に交換可能であることを示しました。この理論によれば、エネルギーをもっている光も重力の影響を受けて曲がることになります。

アインシュタイン
アインシュタイン

 アインシュタインは自ら導き出した結果から大きな重力が働いている空間は歪んでいるため、光の道筋も曲がると考えました。つまり、光は歪んだ空間の中を直進するが、そもそも空間が曲がっているのだから、その様子を外から見ると光が曲がって進んでいるように見えると説明したのです。

重力で歪んだ空間を進む光
重力で歪んだ空間を進む光

 アインシュタインの理論は1919年5月29日の皆既日食のときに、太陽の陰に隠れて見えないはずの星が見えたことによって確かめられました。星の見える位置がアインシュタインの予言通りにずれていて、光の曲がり具合が太陽のまわりの空間の曲がり具合と同じであることが分かったのです。すなわち重力によって空間が歪んだ分だけ、光も曲がるということが証明されたのです。

 下記の映像を見ると上図のイメージがつかめると思います。

Lente gravitacional durante un eclipse de Sol

 さて、エネルギーと質量が同等で、光が重力によって曲がるならば、光に質量があると言っても良いのしょうか。私たちが物体の質量を考えるとき、物体は静止しています。この静止した物体の質量を静止質量といいます。光のような素粒子の質量も静止質量で表しますが、光の静止質量はゼロになります。

 ただし、光は静止することなく常に一定の速度で動いていますから、光の静止質量がゼロであるというのは便宜的な意味でしかありませんが、光はそのエネルギーに相当する質量をもつと考えることができます。

 エネルギーと質量が同等であるということについては、重力は質量だけでなくエネルギーを持ったものと相互作用するので、光も重力の影響を受けると考えて良いのです。

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2021年3月 1日 (月)

アンリ・ベクレルが放射線を発見(1896年3月1日)

 ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンがエックス線を発見したのは1895年のことでした(夜明け前「エックス線の発見(1895年11月8日)」)。レントゲンの論文を読んだフランスの物理学者アンリ・ベクレルはエックス線が蛍光を生じるのであれば、蛍光物質もエックス線を生じるではないかと考え、蛍光物質とエックス線の関係を調べる実験に着手しました。

 1896年2月、ベクレルは強い隣光を出すウラン化合物を2枚の非常に厚い黒紙に包んで遮光した写真乾板の上におき数日間日光をあてたところ、写真乾板が感光していることを発見しました。そして、27日にフランス科学アカデミーにおいて、ウラン化合物から写真乾板を感光させるXエックス線のような光線が出ていることを報告しました。このとき、ベクレルはこの現象は日光やウラン化合物が出す燐光と関係があるのではないかと考えていました。

 ベクレルは追試のため前述と同じ写真乾板を準備しました。しかし、天候が悪い日が続いて実験が出来ないため、写真乾板を黒い紙で包み、紙の上にウラン化合物とマルタ十字の形をした文鎮を重しとして乗せて机の引き出しにしまっておきました。

 1896年3月1日、ベクレルは、この写真乾板にマルタ十字が写っていることを発見しました。このことから、ベクレルは写真乾板の感光には日光や燐光は関係しておらず、ウラン化合物から出たエックス線と似た光線によるものと考えました。そして、その光線について、エックス線の実験のような特別な装置を使っておらずウラン化合物自身から直接出ていることからエックス線とは違うものと考え、ベクレル線と名付けました。その後、この放射線はエックス線と同様に空気を電離することがわかりました。このウラン化合物は放射能を持つ放射性物質であり、ベクレル線とはウラン化合物から出ている放射線だったのです。

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ベクレルとウラン化合物で感光した写真乾板(下側にマルタ十字)

 キューリー夫妻がラジウムを発見したのは、このベクレルの発表に関心を持ちベクレル線を出す物質の研究を続けた成果とされています。その後も放射性物質の研究を続けたベクレルは、キューリー夫妻とともに1903年ノーベル賞を受賞しています。

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2021年2月 8日 (月)

郵便マークの日(1887年2月8日)

 郵便でおなじみの「〒」は郵便記号または郵便マークといいます。

 日本では古代から近世にかけて駅伝制により交通や通信の整備が進められてきましたが、現在の国営の郵便事業が始まったのは明治4年(1871年)4月20日です。郵便事業の始まりについてはココログ 夜明け前函館と郵政記念日の関係」をご覧ください。

 実は郵便事業が開始されたときには郵便マークは存在しておらず、文字で郵便と記されているだけでした。明治10年(1877年)頃から、赤い太い横線に赤い丸を重ねた「丸に一引き」と呼ばれる記号が考案され、郵便車の郵便旗や郵便配達員の制帽や制服に使われるようになりました。この記号が郵便の紋章として広く認知されるようになり、1884年に正式に郵便紋章として定められました。

 明治18年(1885年)に郵便等の所管官庁として逓信省が創設されると、逓信省は新しい郵便紋章を考案し、明治20年(1887年)2月8日に「今より(T)字形を以って本省全般の徽章とす」という告示を出しました。つまり、発表当時の郵便紋章は「〒」ではなく「T」だったのです。「T」の由来は逓信省(Teishinsho)の「T」からとも、甲乙丙丁の「丁」からとも言われています。

 ところが逓信省は発表から6日後の2月14日に郵便紋章を「〒」に変更し、2月19日に「T」は誤りだったという告示を出したのです。

 「T」が「〒」に変更になった理由は諸説あるようですが、「T」が国際郵便の万国共通の記号として郵便料金不足を意味するもので、郵便紋章として適切ではないと判断されたというのが有力の説のようです。「〒」はテイシンショウの「テ」に由来するとも、逓信大臣の榎本武揚(ココログ 夜明け前榎本武揚らが日本初の公選入札を行う(1868年12月15日)」)が「T」の上に横棒を入れるアイデアを出したとも言われています。「〒」の由来の説は枚挙にいとまがありませんので、ここでは有力な説のみの紹介に留めておきます。

 いずれにしろ、郵便紋章は「〒」と定められ、郵便配達員の制帽や制服、郵便旗、郵便ポストにつけられるようになり、現在に至るまで使用されています。「丸に一引き」は併用が許され、次第に「〒」に置き換えられていきました。

郵便マーク「〒」と「丸に一引き」
郵便マーク「〒」と「丸に一引き」

 実際に「〒」が郵便紋章として定められたのは2月14日もしくは2月19日ですが、2月8日が「郵便マークの日」と定められました。

なお、日本国内では「〒」は広く郵便の記号と認知されていますが、日本国外では郵便記号として通用しませんのでご注意ください。

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2020年12月14日 (月)

マックス・プランクがプランクの法則を発表(1900年12月14日)

 プロイセン王国のオットー・フォン・ビスマルク首相は1862年に「現在の大問題は演説や多数決ではなく、鉄と血でこそ解決される」という熱血演説を行い、ドイツの統一を果たすためには軍事力しかないことを力説しました。優れた大砲を手に入れるには、高純度の鉄を得る必要があります。プロイセン王国は鉄鉱石の産地アルザス・ロレーヌ地域で製鉄に力を入れました。

 高純度の鉄を作るためには溶鉱炉の温度を正確に管理しなければなりません。しかし、鉄が溶融する数千度の温度を測れる温度計はありませんでした。そこで、職人が長年の経験から溶融した鉄の色からを見て温度を見極めていました。物体から出てくる光の色が物体の温度によって変わることは知られていました。そこで、溶鉱炉の温度を正確に知るため、物体の温度と光の色の関係を解明する研究が盛んに行われるようになりました。

 高温の物体から出てくる光を研究するためには、色のついていない黒い物体が放射する光、黒体放射を調べる必要があります。黒体から放射されるエネルギー関して、イギリスの物理学者レイリー卿ことジョン・ウィリアム・ストラットとジェームズ・ジーンズ、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・ヴィーンはそれぞれ近似式を導くことを試み始めました。しかし、レイリー・ジーンズの式は振動数が大きくなると実測値と合わず、ヴィーンの式は振動数が小さくなると実測値と合いませんでした。

 ドイツの物理学者マックス・プランクはレイリー・ジーンズの式とヴィーンの式を組み合わせると黒体放射スペクトルをより正確に再現できると考え、光のエネルギーの値がある最小単位の整数倍しか取れないと仮定すると、実測値と理論値が合致することを発見し、1900年12月14日にプランクの法則を発表しました。プランクの法則における光の最小単位の定数はプランク定数と名づけられ、物理定数となっています。

マックス・プランク
マックス・プランク

 プランクの法則は後にアインシュタインやボーアによって確立されていく量子力学の根幹となるものでした。この発見が量子論の扉を開いたことからプランクは「量子論の父」と呼ばれ、1918年にノーベル物理学賞を受賞しました。

 この記事の最初に説明した通り、量子力学が発展するきっかけは純鉄の製造でした。鉄の温度を正しく測ろうという試みが、分子、原子、電子、光子やその他の素粒子などのミクロな世界を探究する量子力学へとつながったのです。量子力学の幕開けについては、ココログの「光と色と」に下記の解説記事がありますので、興味がありましたらご一読ください。

純鉄の製造を求めて|量子力学の幕開け(1)
高温の物体から出る光を調べる|量子力学の幕開け(2)
飛び飛びのエネルギー|量子力学の幕開け(3)

 

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2020年11月 8日 (日)

エックス線の発見(1895年11月8日)

 健康診断や病院の検査でおなじみのレントゲン写真。肺や胃などの内臓、骨折、虫歯の状態など、体の内部の様子を確認することができます。レントゲン写真の撮影にはエックス線(X線)と呼ばれる電磁波を使います。エックス線は物質を透過する性質があるため、ものの内部の様子を確認することができます。その様子を撮影したものがレントゲン写真です。

 エックス線は1895年11月8日にドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンによって発見されました。 発見者の名前に因み、エックス線による写真がレントゲン写真と呼ばれるようになりました。

ヴィルヘルム・レントゲン
ヴィルヘルム・レントゲン

 レントゲンはもともとエックス線の発見を目的とした実験をしていたわけではありません。当時、レントゲンは真空放電や陰極線の研究をしていました。真空のガラス管の両端に電極を取り付け、高い電圧をかけると、ガラス管壁が発光します。この実験装置をクルックス管(真空放電管)と言います。クルックス管の陰極から飛び出し来るものがガラス管壁を光らせていると考えられ、陰極線と呼ばれるようになりました(陰極線の正体は1897年に電子であることが突き止められています)。

 レントゲンがクルックス管に高電圧をかけて陰極線を発生させているとき、近くに置いてあった蛍光紙(シアン化白金バリウムの紙)が暗く光っていることに気がづきました。クルックス管は黒い紙で覆われており、光が漏れていないのに蛍光紙が光ったのです。レントゲンはクルックス管の内部から黒い紙を通り抜けて未知の放射線が出ていると考え、これをエックス線と名付けました。レントゲンはエックス線の実験を重ね、エックス線が1000ページを超える分厚い本、ガラス、薄い金属箔を透過するが、鉛の板は透過しないこと、磁場の影響を受けないことなどを突き止めました。また写真乾板を用いることにより、エックス線で手の骨の写真を撮影することに成功しています。

 レントゲンはエックス線の発見と研究の成果により、1901年にノーベル物理学賞を受賞しました。ノーベル賞は1901年が第1回目でしたから、レントゲンはノーベル物理学賞を世界で初めて受賞した科学者にもなったのです。 

 レントゲン写真が撮れる仕組みを簡単に説明しましょう。エックス線はすべての物質を透過するわけではありません。エックス線が透過したところは黒く映り、透過せずに吸収されたところは白く映ります。たとえば、骨はエックス線を吸収するため、レントゲン写真では白く映ります。肺は空気が多量に含まれているので、黒っぽく映りますが、肺炎などにかかると、炎症が生じている部分が白い影となって映ります。

レントゲンが撮影した妻の手のレントゲン写真
レントゲンが撮影した妻の手のレントゲン写真

 エックス線は普通のレントゲン写真のほか、体内を輪切り状に撮影するCT(Computed Tomography、コンピューター断層撮影法)にも使われています。空港の手荷物検査にも利用されていることは良く知られていると思います。また、DNAの分子構造がわかったのもエックス線のおかげです。エックス線をDNAに当てたときに生じる回折現象(波が障害物のうしろに回り込む現象)を調べたたところ、DNAが二重螺旋構造をしていることがわかったのです。このようにエックス線の人類と医療への貢献は計り知れません。

 さて、今ではエックス線は電磁波の一種の電磁放射線であることがわかっています。その波長の範囲は10-8~10-12 nm(1 mの1億分の1~1兆分の1)です。ところで、同じ電磁放射線のガンマ線(γ線)にはエックス線と同じ波長のものがありますが、エックス線とガンマ線の違いは波長ではなく、その発生の仕組みの違いです。エックス線は原子核の周囲の電子の状態の変化によって発生し、ガンマ線は原子核の内部の状態の変化に伴って発生する電磁放射線です。

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初のノーベル賞授賞式(1901年12月10日)

アンリ・ベクレルが放射線を発見(1896年3月1日)

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