カテゴリー「天文」の122件の記事

2025年1月27日 (月)

地球近傍小惑星「2023 BU」(2023年1月27日)

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 2023年1月27日00:29(UT)(米東部標準時の26日19:27、日本時間27日9:27)、直径が3~8メートルの地球近傍小惑星が「2023 BU」が南米大陸の南端の高度約3600 kmの上空を通過しました。「2023 BU」は人工衛星が飛んでいる高度約36000 kmの静止軌道よりはるかに地球に近い位置を通過していたことになります。

2023 BUの軌道(赤)
2023 BUの軌道(赤)

引用:NASA System Predicts Small Asteroid to Pass Close by Earth This Week

「This orbital diagram from CNEOS’s close approach viewer shows 2023 BU’s trajectory – in red – during its close approach with Earth on Jan. 26, 2023. The asteroid will pass about 10 times closer to Earth than the orbit of geosynchronous satellites, shown in green line. Credits: NASA/JPL-Caltech」(CNEOS の接近ビューアによるこの軌道図は、2023 年 1 月 26 日に地球に接近した際の 2023 BU の軌道 (赤) を示しています。この小惑星は、緑の線で示された静止衛星の軌道よりも地球に約 10 倍近い距離を通過します。クレジット: NASA/JPL-Caltech)

 

 「2023 BU」は「2020 VT4(370 km、直径5~10 m)」「2020 QG(2950 km、直径3~6 m)」「2021 UA1(3047 km、直径2 m以下)」に次いで4番目に地球に最接近し通過していった小惑星となりました。

 「2023 BU」 は2023年1月21日に恒星間天体「ボリソフ彗星」を発見したマチュア天文学者のゲンナジー・ボリソフ氏によって発見されました。この発見はすぐに小惑星センターに報告され伝えられ世界各地の天文台により追認されました。

2023 BUのレーダー画像
2023 BUのレーダー画像

 正確な軌道計算が行われた結果、地球に最接近する天体であるものの地球に衝突する危険性がないことがわかりました。 仮に直径8メートルの小惑星が地球に衝突しても上空約30 kmの大気圏で摩擦熱によって燃え尽きてしまうため大きな影響はありません。

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2024年10月 2日 (水)

幕末の混乱期に大地震|安政江戸地震(1855年10月2日)

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 安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時頃、関東の南部でM7を超える大地震が発生しました。この地震は「安政の大地震」とも呼ばれますが同時期に多発した他の地震と区別するには正式な名称の「安政江戸地震」と呼んだ方が良いでしょう。

 「安政江戸地震」は江戸を中心に大きな被害をもたらし、特に隅田川の東側地域で震度6を超える強い揺れが発生したと推定されています。江戸の下町や深川や浅草などの被害は甚大であり、多くの家屋が倒壊しました。また火災が発生したことにより被害がさらに拡大しました。調査によって江戸の町の死者は約4700人とされていますが周辺地域を合わせると1万人にのぼると考えられます。また東北地方から東海地方にかけて広い範囲で震度4を超える揺れが発生した地域もあります。次の図は瓦版(読売)に掲載された安政の大地震絵図です。肥大側に被害の様子が描かれ、右側に被災者救済場所や各地の被害情況を記載されています。

瓦版(読売)に掲載された安政の大地震絵図
瓦版(読売)に掲載された安政の大地震絵図

 前年の嘉永7年(1854年)にはアメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が黒船で再来航し日米和親条約が締結されました。これによって国内では開港が攘夷かで意見が対立し幕政の混乱が始まりました。

 第9代藩主徳川斉昭は水戸学をもとに尊王攘夷の考え推し進めましたが、安政江戸地震で小石川の水戸藩藩邸が倒壊し斉昭の重臣の戸田忠太夫、藤田東湖が死亡しています。重臣を失った水戸藩では内部抗争が生じ後に水戸藩を脱藩した浪士たちが安政7年3月3日(1860年3月24日)の「桜田門外の変」を引き起こすことになります。尊王攘夷運動は倒幕運動へとつながっていきます。

 幕末の混乱期に発生した「安政江戸地震」は江戸の人々にとって大きな影響を与えました。幕政が混乱する中で江戸の町は復興し後の明治維新へとつながる歴史の1ページとして刻まれました。

 安政7年3月19日(1860年4月8日)、黒船来航以来で国内が混乱する中で「江戸城火災」「桜田門外の変」など災異(凶事)が続いたため第121代天皇の孝明天皇の強い意向で元号が万延に改元が行われました。このときの江戸幕府の将軍は第14代の徳川家茂です。

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2024年9月17日 (火)

中秋の名月(2024年9月17日)

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 2024年9月17日の月は「中秋の名月(十五夜の月)」です。「中秋の名月」は太陰太陽暦の8月15日の夜に見える月です。太陰太陽暦では新月の日が、その月の初めになります。2024年は新月は9月3日でしたからこの日が太陽太陰暦の8月1日になります。ですから9月17日が太陰太陽暦での8月15になります。「中秋の名月」を愛でる習慣は平安時代に中国から伝わったと言われています。日本では「中秋の名月」は農業の行事と結びつき「芋名月」などと呼ばれることもあります。

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中秋の名月(2024年9月17日)

「中秋の名月」というと満月と考えがちですが実際には満月と異なる場合が多く最大で2日の差があります。満月になるのは9月18日11時34分です。2023年まで3年連続で「中秋の名月」と満月が重なりましたが、今年からしばらくの間は満月ではなく次に満月の「中秋の名月」を見られるのは2030年になります。

 2024年の「中秋の名月」ではすぐ近くに土星がありますが月が明るいため土星は見えないかもしれません。

ここ数年、中秋の名月と満月は同じ日でしたが、今年は9月17日が中秋の名月、翌18日が満月と日付が1日ずれています。

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2024年7月10日 (水)

伊能忠敬の大日本沿海輿地全図を完成(1821年7月10日)

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 大日本沿海輿地全図は江戸時代後期に伊能忠敬らが作製した日本の国土の実測地図です。伊能図、伊能大図とも呼ばれます。

伊能忠敬像(伝青木勝次郎画 伊能忠敬記念館蔵)
伊能忠敬像(伝青木勝次郎画 伊能忠敬記念館蔵)

 伊能忠敬は江戸時代後期の商人・天文学者・地理学者・測量家です。忠敬が天文学や測量を学び始めたのは隠居後50歳を過ぎてからのことです。幕府天文方の高橋至時のもとで測量・天体観測などについて学びました。この頃、地球の子午線の長さが正確に求められていなかったことから至時と忠敬は子午線を正確に測定したいと考えていました。

 ロシアの南下政策による海防の必要性に目をつけた2人は蝦夷地の測量を兼ねて子午線の測定を行うことを幕府に上申しました。幕府はこれを許可し、忠敬は寛政12年(1800年)に第一次測量として蝦夷地と東北・北関東の測量を開始しました。幕府は異国船が日本沿岸に出現することになっていたことから全国の各藩に忠敬の測量に協力するよう命じました。

 忠敬は蝦夷地の測量が終わると享和元年(1801年)に東日本沿岸を測量を完了しました。それらの測量結果から文化元年(1804年)に東日本の地図(大図69枚・中図3枚・小図1枚)を作成し幕府に提出しました。当初の目的であった子午線1度の弧長は測量結果から28.2里(約110.74キロメートル)と求めました。この値は現在の測定値とほぼ同じです。

 忠敬の作成した地図は従来のものと異なり極めて精密なもので第11代将軍徳川家斉をはじめとする幕府首脳陣は地図の出来栄えに満足しました。そして忠敬を正式に幕府天文方の役人とし測量への支援を強化することに決めました。忠敬は私財を投じて測量と地図作成を行っていましたが文化2年(1805年)の第5次測量からは江戸幕府の事業となりました。

 忠敬の測量は文化13年(1816年)の第10次測量まで17年もの間続けられ最終的に日本全土の地図が作られました。ただし蝦夷地については忠敬は東側しか測量していなかったため他社の測量結果を採用しています。弟子の間宮林蔵の測量結果を使用したという説もあります。

 忠敬は文化15年(1818年)に73歳でこの世を去りましたがこのとき地図は完成していませんでした。忠敬の死は伏せられ高橋至時の長男の高橋景保が地図作成作業を行い文政4年7月10日(1821年8月7日)に「大日本沿海輿地全図」が完成しました。「大日本沿海輿地全図」は全国の主要な地名や緯度を収録した「大日本沿海実測録」とともに幕府に提出されました。

大日本沿海輿地全図
大日本沿海輿地全図

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2024年2月17日 (土)

ジョルダーノ・ブルーノの忌日(1600年2月17日)

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 ジョルダーノ・ブルーノは16世紀のイタリアの哲学者で天文学者、詩人、劇作家としても知られています。ドミニコ会の修道士となり神学について学びました。

ジョルダーノ・ブルーノ
ジョルダーノ・ブルーノ

 ブルーノはコペルニクスの地動説を支持し宇宙が無限であることを主張しました。そして無限の宇宙には無数の太陽系が存在するとして地球は唯一の存在ではないと唱えました。そして神と宇宙、神と自然は同一であるという汎神論に基づく哲学を展開しました。さらにカトリック教会が認めていない転生思想をもち、キリスト教や聖書の内容を批判しました。

 ブルーノの哲学は異端とされ1576年にドミニコ修道会を離れてました。優れた記憶力の持ち主だったブルーノはイタリア北部、フランス、イギリス、ドイツなどで学者として活躍しましたが論争したり反感を受けたりと仕事を続けることができず15年間ほど放浪しました。

 1591年、ドイツのフランクフルトに滞在していたブルーノはヴェネツィアの貴族ズアン・モチェニゴと会い記憶術の指南をするためイタリアに戻ることを決意しました。ヴェネツィアに向かう途上でパドヴァに滞在しパドヴァ大学の数学教授職に着任しようとしましたが採用されませんでした。このとき教授職に採用されたのがガリレオ・ガリレイです。

 ブルーノはヴェネツィアでモチェニゴの家庭教師を2か月間務めました。このときブルーノが異端的な考えを吐露したため、モチェニゴはブルーノをヴェネツィア異端審問所に告発、ブルーノは1592年5月22日に逮捕されました。ブルーノは巧みに持論を展開し自己弁護しましたが、ブルーノの噂を聞きつけたローマ異端審問所がローマへ移送するよう要請しました。ヴェネツィア異端審問所をこの要請を渋りましたがローマ当局と議論を重ね1593年1月にブルーノを引き渡しました。

 ブルーノは7年間投獄され裁判にかけられました。残された裁判記録によればブルーノに対する告発はブルーノの著書やブルーノの発言などを聞いた証人らの証言に基づいていました。ブルーノはヴェネツィアのときと同様に自己弁護し、教会の教えは受け入れると主張しましたが、自身の宇宙論や世界観は放棄しませんでした。

 1600年1月、ブルーノは裁判ですべての持論を撤回するように求められましたがこれを拒否しました。異端審問担当枢機卿としてこの裁判に出席したロベルト・ベラルミーノはブルーノが改心の見込みのない異端者であるとしました。そしてブルーノは死刑判決を受けました(ロベルト・ベラルミーノはガリレオ・ガリレイの裁判にも関係しています)。

 そして1600年2月17日、ブルーノはローマ市内のカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑となりました。ブルーノは処刑を宣告する執行官に対して反論したため舌枷をはめられました。刑の直前に司祭が十字架を差し出すと侮蔑的な態度を取り顔を背けました。遺灰はテヴェレ川へ投げ込まれ、遺族は葬儀や墓の造営を禁じられました。

 時は流れて20世紀、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のもとでカトリック教会の過去の裁判を再検証され、カトリック教会はガリレオ・ガイレイを無罪しました。しかし、ブルーノについては火刑は遺憾だったと表明していますがキリスト教を批判し、彼の著作がキリスト教の教えと相容れないとして異端は撤回されませんでした(撤回されたという説明もありますが原典となる資料は見つけられず、英文資料などでは異端は撤回されなかったと説明されています)。

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2023年9月24日 (日)

NASAの人工衛星UARSが大気圏突入(2011年9月24日)

 大気観測衛星UARS(Upper Atmosphere Research Satellite、和訳:上層大気観測衛星)は1991年にスペースシャトル・ディスカバリーとともに打ち上げられ、高度580キロメートの軌道を周回していました。地球の上層大気、オゾン層の観測が主たる目的でしたが、2005年に燃料がつきたため軌道高度を下げた後、同年12月15日に運用を停止しました。以降は制御不能な状態で地球を周回していました。

大気観測衛星UARS
大気観測衛星UARS

 2011年9月、米航空宇宙局NASAはUARSが23日頃に地球に落下するとの見通しを発表しました。UARSは全長10メートル、重さ6トンの大きさです。大気突入時に大部分は燃え尽きますが、分解した衛星の破片が地上に落下してくる可能性があります。破片が落下する正確な日時や場所について発表時点ではわかっておらず800キロ四方に分散して落下すると発表されました。このためNASAは落下の12時間前、6時間前、2時間前に、予想される落下時刻と落下点を発表することにしましたが2時間前の予想でも時刻で25分以上、落下点で最大1万2000キロの誤差が生じる可能性がありました。

 UARSの破片が地上にいる人に衝突する確率は3,200分の1と予測されました。一般に通常の人工衛星の落下で被害が出る確率は10000分の1と言われています。ですから3,200分の1は人工衛星の落下としては比較的高い確率です。他の確率と比較してみましょう。1回だけ5枚のカードを配るポーカーでフォーカードが出る確率は4165万分の1です。 18頭立ての競馬ででたらめに3連単を買ったときに当たる確率は4896分の1です。

 NASAは9月27日にUARSが9月24日午前4時1分(GMT)に南緯14.1度、西経170.2度の太平洋上で大気圏に突入したと発表しました。この場所は南半球の付近に陸地のない海洋です。UARSは海の藻屑となりました。破片による被害や落下の目撃の証拠もありません。

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宇宙開発記念日(1957年10月4日)

米国サターンロケットの打上げに成功(1961年10月27日)

テルスター衛星打ち上げ(1962年7月10日)

ランドサット1号の打ち上げ(1972年7月23日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

パイオニア10号が太陽系を離脱(1983年6月13日)

・科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

木星探査機ガリレオが運用終了(2003年9月21日)

赤外線天文衛星「あかり」打ち上げ(2006年2月22日)

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2023年8月31日 (木)

ブルームーンのスーパームーン(2023年8月31日)

 本日2023年8月31日は満月です。月と地球の距離が最短になるため月の見掛けの大きさが通常よりも大きくなります。このような満月はスーパームーンと呼ばれます。また1ヶ月間に2回目の満月はブルームーンと呼ばれます。つまり本日の満月はブルームーンのスーパームーンということになります。次の写真は2023年8月31日午前1時過ぎに撮影したものです。

スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日 f:8 ss:320 iso:100)
スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日01:16 f:8 ss:320 iso:100)

 月の平均公転半径は384,400 キロメートルで月と地球の平均距離は約38万キロメートルです。この距離は季節によって変化します。2023年2月6日の満月は月と地球の距離が最大となり約40万6千キロメートルでした。見掛けの大きさが最も小さい満月となりました。2023年8月31日の満月は月と地球の距離が最小となり約35万7千キロメートルで見掛けの大きさが最も大きい満月となりました。

【撮影機材】

 この月の写真の撮影に使用したカメラはパナソニック デジタルカメラ ルミックス FZ85 ブラック DC-FZ85-Kです。焦点距離が20 mm〜1200 mmで、光学ズームでは60倍まで拡大可能です。超解像iAズームで2400 mm相当まで画質の劣化がほんどなく拡大できます。

 このカメラにパナソニックの純正のテレコンバージョンレンズ DMW-LT55を装着しました。倍率は1.7倍です。純正ではありますが、FZ-85で光学ズームを最大にすると、色収差の影響が出て月の縁が青みがかって写ります。

 なおFZ-85にこのテレコンをつけるには、パナソニック レンズアダプター ルミックス DMW-LA8が必要です。

 

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2023年8月24日 (木)

冥王星が惑星から除外され準惑星に(2006年8月24日)

 冥王星は1930年にクライド・トンボーが発見し長らく太陽系第9惑星とされていました。発見当初から冥王星は他の惑星と比較して離心率の大きい軌道と黄道面から傾いた軌道傾斜角を持つことが知られていました。1990年代に太陽系外縁天体(TNO)が発見されるようになると、冥王星が惑星であることに異論が出るようになりました。

冥王星
冥王星

 冥王星の質量は地球と同じか数倍程度と考えられていましたが、天体観測技術の向上により予想よりはるかに小さい質量であることが判明しました。また冥王星の氷の成分が彗星の氷と同じであることから冥王星は微惑星が集合したものと考えられるようになりました。 1990年代後半には様々な観測データから冥王星は太陽系外縁天体と考えられるようになりましたが、国際天文学連合(IAU)は冥王星の立場を変えることなく惑星のままとしました。

 しかしながら天体観測技術のさらなる向上によって多くの太陽系外縁天体が発見されるようになり、その中には冥王星の大きさに匹敵するものもありました。冥王星が惑星とするならば新たに発見された冥王星級の太陽系外縁天体も惑星ということになってしまいます。

 2006年8月14日からチェコのプラハで開かれたIAU総会で惑星の定義を改める議論が行われました。最初に提示された原案の定義では冥王星は惑星とされ、他に3つの天体が惑星が加えられて太陽系の惑星が12個となりました。しかしながら、この原案に対して多くの反対が声があがり大幅に見直されることになりました。そして、同年8月24日に「惑星」「準惑星 (dwarf planet)」、「太陽系小天体(small Solar system)」 が定義されることになりました。これによって冥王星は惑星ではなくなり準惑星となったのです。

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海王星の日(1846年9月23日)

冥王星が発見される(1930年2月18日)

準惑星エリスを新天体として確認(2005年1月5日)

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2023年8月20日 (日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

 ボイジャー2号はNASA (アメリカ航空宇宙局)の木星より離れた天体の観測を目的とする無人宇宙探査機です。1977年8月20日、ボイジャー2号は1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号に先行してフロリダ州ケープカナベラル空軍基地からタイタンIIIEセントールロケットで打ち上げられました。

ボイジャー2号
ボイジャー2号

 ボイジャー2号は打ち上げから2年後の1979年7月9日に木星に最接近しました。この観測で木星の大赤斑が反時計回りで回転していることがわかり、新たな衛星アドラステアが発見されました。1981年には土星に再接近し、土星の上層の大気の観測を行いました。ボイジャー2号の当初の任務は土星の探査まででしたが、天王星や海王星に到達できることから計画が延長されました。

 ボイジャー2号が天王星に再接近したのは1986年1月24日です。わずか24時間ほどの観測で環の調査、大気の調査、磁場の発見、新たな10個の衛星の発見など天王星に関する様々な情報を得ました。海王星に再接近したのは1989年8月25日です。海王星が太陽より受ける熱より多い熱を放射していることを発見しました。また海王星の新たな6個の衛星を発見し、環が海王星を中心に同心円状に1周していることを確認しました。

 ボイジャー2号は海王星を探査した後、衛星トリトンでフライバイを行い太陽圏外に向かいました。現在は太陽圏外の領域の探査を目的とした星間空間ミッションに取り組んでいます。2023年7月18日、ボイジャー2号はパイオニア10号を追い抜きボイジャー1号に次いで太陽から2番目に遠い宇宙船となっています。Voygaer 1号とVoyager 2号の現在の情報は下記のサイトで参照することが可能です。2023年8月時点でボイジャー1号は地球から約149億マイル(約240億キロメートル)、ボイジャー2号は約124億マイル(約200億キロメートル)を飛んでいます。

Voyager - Mission Status

https://voyager.jpl.nasa.gov/mission/status/

 さてボイジャー1号とボイジャー2号には地球外知的生命体によって発見された場合に備えて様々な情報を記憶させたゴールドディスクを搭載しています。そのディスクには地球と地球の生物の写真、科学的な情報、地球人類からの挨拶の声、様々な地球の音や音楽が記憶されています。両機は特定の天体に向かっているわけではなく地球からどんどん離れていきます。地球との交信ができなくなっても宇宙の果てに向かって飛行を続けます。遠い未来に地球外知的生命体に発見される可能性もありますが、そのときに地球が存在しているかどうかはわかりません。

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2023年8月18日 (金)

ソ連の探査機「ルナ24号」月面着陸(1976年8月18日)

 ルナ24号はソビエト連邦の無人月探査計画であるルナ計画の最後に打ち上げられた無人月探査機です。ルナ24号のミッションは月からの無人サンプルリターンです。同じミッションで月面に向かい着陸に失敗したルナ23号のリベンジでもありました。

 ルナ24号は1976年8月9日15時4分(UTC)にバイコヌール宇宙基地からプロトンロケットにより打ち上げられました。同年8月11日に軌道修正を行いました。その3 日後に月周回軌道に入り、1976年8月18日06:36(UTC)に北緯12度45分、東経62度12分の危難の海に無事に着陸しました。この場所は着陸に失敗したルナ23号から場所から約2.3キロメートル離れたところです。2012年の調査でルナ24号の正確な着陸位置 は北緯12.7145度、東経62.2097度と判明しています。

月着陸船ルナ24号の模型
月着陸船ルナ24号の模型

 地球からの指令によりルナ24号の着陸船はサンプルアームで2メートルほどの深さからサンプルの土を帰還用カプセルに採取しました。同年8月19日05:25(UTC)、着陸船は帰還用カプセルを打ち上げました。同年8月22日、カプセルは地球の大気圏に突入し、その後パラシュート降下し同日05:55 (UT) にシベリア西部スルグトの200km南東に着陸しました。

 回収された170.1グラムのサンプルの分析が行われました。1978年2月にソビエトの科学者により月面の土壌に水が含まれているという論文が発表されました。これはアメリカ合衆国のアポロ計画による月面の水の発見の報告を裏付けることにもなりました。

 ルナ24号が月面に着陸し探査を行った以降は月面探査は行われず、月面探査は月周回軌道から観測を行う探査機が主流となりました。ルナ24号の月面着陸から37年後の2013年12月14日に中国の嫦娥3号が月面着陸に成功しています。

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