カテゴリー「天文」の117件の記事

2023年9月24日 (日)

NASAの人工衛星UARSが大気圏突入(2011年9月24日)

 大気観測衛星UARS(Upper Atmosphere Research Satellite、和訳:上層大気観測衛星)は1991年にスペースシャトル・ディスカバリーとともに打ち上げられ、高度580キロメートの軌道を周回していました。地球の上層大気、オゾン層の観測が主たる目的でしたが、2005年に燃料がつきたため軌道高度を下げた後、同年12月15日に運用を停止しました。以降は制御不能な状態で地球を周回していました。

大気観測衛星UARS
大気観測衛星UARS

 2011年9月、米航空宇宙局NASAはUARSが23日頃に地球に落下するとの見通しを発表しました。UARSは全長10メートル、重さ6トンの大きさです。大気突入時に大部分は燃え尽きますが、分解した衛星の破片が地上に落下してくる可能性があります。破片が落下する正確な日時や場所について発表時点ではわかっておらず800キロ四方に分散して落下すると発表されました。このためNASAは落下の12時間前、6時間前、2時間前に、予想される落下時刻と落下点を発表することにしましたが2時間前の予想でも時刻で25分以上、落下点で最大1万2000キロの誤差が生じる可能性がありました。

 UARSの破片が地上にいる人に衝突する確率は3,200分の1と予測されました。一般に通常の人工衛星の落下で被害が出る確率は10000分の1と言われています。ですから3,200分の1は人工衛星の落下としては比較的高い確率です。他の確率と比較してみましょう。1回だけ5枚のカードを配るポーカーでフォーカードが出る確率は4165万分の1です。 18頭立ての競馬ででたらめに3連単を買ったときに当たる確率は4896分の1です。

 NASAは9月27日にUARSが9月24日午前4時1分(GMT)に南緯14.1度、西経170.2度の太平洋上で大気圏に突入したと発表しました。この場所は南半球の付近に陸地のない海洋です。UARSは海の藻屑となりました。破片による被害や落下の目撃の証拠もありません。

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宇宙開発記念日(1957年10月4日)

米国サターンロケットの打上げに成功(1961年10月27日)

テルスター衛星打ち上げ(1962年7月10日)

ランドサット1号の打ち上げ(1972年7月23日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

パイオニア10号が太陽系を離脱(1983年6月13日)

・科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

木星探査機ガリレオが運用終了(2003年9月21日)

赤外線天文衛星「あかり」打ち上げ(2006年2月22日)

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2023年8月31日 (木)

ブルームーンのスーパームーン(2023年8月31日)

 本日2023年8月31日は満月です。月と地球の距離が最短になるため月の見掛けの大きさが通常よりも大きくなります。このような満月はスーパームーンと呼ばれます。また1ヶ月間に2回目の満月はブルームーンと呼ばれます。つまり本日の満月はブルームーンのスーパームーンということになります。次の写真は2023年8月31日午前1時過ぎに撮影したものです。

スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日 f:8 ss:320 iso:100)
スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日01:16 f:8 ss:320 iso:100)

 月の平均公転半径は384,400 キロメートルで月と地球の平均距離は約38万キロメートルです。この距離は季節によって変化します。2023年2月6日の満月は月と地球の距離が最大となり約40万6千キロメートルでした。見掛けの大きさが最も小さい満月となりました。2023年8月31日の満月は月と地球の距離が最小となり約35万7千キロメートルで見掛けの大きさが最も大きい満月となりました。

【撮影機材】

 この月の写真の撮影に使用したカメラはパナソニック デジタルカメラ ルミックス FZ85 ブラック DC-FZ85-Kです。焦点距離が20 mm〜1200 mmで、光学ズームでは60倍まで拡大可能です。超解像iAズームで2400 mm相当まで画質の劣化がほんどなく拡大できます。

 このカメラにパナソニックの純正のテレコンバージョンレンズ DMW-LT55を装着しました。倍率は1.7倍です。純正ではありますが、FZ-85で光学ズームを最大にすると、色収差の影響が出て月の縁が青みがかって写ります。

 なおFZ-85にこのテレコンをつけるには、パナソニック レンズアダプター ルミックス DMW-LA8が必要です。

 

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2023年8月24日 (木)

冥王星が惑星から除外され準惑星に(2006年8月24日)

 冥王星は1930年にクライド・トンボーが発見し長らく太陽系第9惑星とされていました。発見当初から冥王星は他の惑星と比較して離心率の大きい軌道と黄道面から傾いた軌道傾斜角を持つことが知られていました。1990年代に太陽系外縁天体(TNO)が発見されるようになると、冥王星が惑星であることに異論が出るようになりました。

冥王星
冥王星

 冥王星の質量は地球と同じか数倍程度と考えられていましたが、天体観測技術の向上により予想よりはるかに小さい質量であることが判明しました。また冥王星の氷の成分が彗星の氷と同じであることから冥王星は微惑星が集合したものと考えられるようになりました。 1990年代後半には様々な観測データから冥王星は太陽系外縁天体と考えられるようになりましたが、国際天文学連合(IAU)は冥王星の立場を変えることなく惑星のままとしました。

 しかしながら天体観測技術のさらなる向上によって多くの太陽系外縁天体が発見されるようになり、その中には冥王星の大きさに匹敵するものもありました。冥王星が惑星とするならば新たに発見された冥王星級の太陽系外縁天体も惑星ということになってしまいます。

 2006年8月14日からチェコのプラハで開かれたIAU総会で惑星の定義を改める議論が行われました。最初に提示された原案の定義では冥王星は惑星とされ、他に3つの天体が惑星が加えられて太陽系の惑星が12個となりました。しかしながら、この原案に対して多くの反対が声があがり大幅に見直されることになりました。そして、同年8月24日に「惑星」「準惑星 (dwarf planet)」、「太陽系小天体(small Solar system)」 が定義されることになりました。これによって冥王星は惑星ではなくなり準惑星となったのです。

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海王星の日(1846年9月23日)

冥王星が発見される(1930年2月18日)

準惑星エリスを新天体として確認(2005年1月5日)

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2023年8月20日 (日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

 ボイジャー2号はNASA (アメリカ航空宇宙局)の木星より離れた天体の観測を目的とする無人宇宙探査機です。1977年8月20日、ボイジャー2号は1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号に先行してフロリダ州ケープカナベラル空軍基地からタイタンIIIEセントールロケットで打ち上げられました。

ボイジャー2号
ボイジャー2号

 ボイジャー2号は打ち上げから2年後の1979年7月9日に木星に最接近しました。この観測で木星の大赤斑が反時計回りで回転していることがわかり、新たな衛星アドラステアが発見されました。1981年には土星に再接近し、土星の上層の大気の観測を行いました。ボイジャー2号の当初の任務は土星の探査まででしたが、天王星や海王星に到達できることから計画が延長されました。

 ボイジャー2号が天王星に再接近したのは1986年1月24日です。わずか24時間ほどの観測で環の調査、大気の調査、磁場の発見、新たな10個の衛星の発見など天王星に関する様々な情報を得ました。海王星に再接近したのは1989年8月25日です。海王星が太陽より受ける熱より多い熱を放射していることを発見しました。また海王星の新たな6個の衛星を発見し、環が海王星を中心に同心円状に1周していることを確認しました。

 ボイジャー2号は海王星を探査した後、衛星トリトンでフライバイを行い太陽圏外に向かいました。現在は太陽圏外の領域の探査を目的とした星間空間ミッションに取り組んでいます。2023年7月18日、ボイジャー2号はパイオニア10号を追い抜きボイジャー1号に次いで太陽から2番目に遠い宇宙船となっています。Voygaer 1号とVoyager 2号の現在の情報は下記のサイトで参照することが可能です。2023年8月時点でボイジャー1号は地球から約149億マイル(約240億キロメートル)、ボイジャー2号は約124億マイル(約200億キロメートル)を飛んでいます。

Voyager - Mission Status

https://voyager.jpl.nasa.gov/mission/status/

 さてボイジャー1号とボイジャー2号には地球外知的生命体によって発見された場合に備えて様々な情報を記憶させたゴールドディスクを搭載しています。そのディスクには地球と地球の生物の写真、科学的な情報、地球人類からの挨拶の声、様々な地球の音や音楽が記憶されています。両機は特定の天体に向かっているわけではなく地球からどんどん離れていきます。地球との交信ができなくなっても宇宙の果てに向かって飛行を続けます。遠い未来に地球外知的生命体に発見される可能性もありますが、そのときに地球が存在しているかどうかはわかりません。

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パイオニア10号が太陽系を離脱(1983年6月13日)

 

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2023年8月18日 (金)

ソ連の探査機「ルナ24号」月面着陸(1976年8月18日)

 ルナ24号はソビエト連邦の無人月探査計画であるルナ計画の最後に打ち上げられた無人月探査機です。ルナ24号のミッションは月からの無人サンプルリターンです。同じミッションで月面に向かい着陸に失敗したルナ23号のリベンジでもありました。

 ルナ24号は1976年8月9日15時4分(UTC)にバイコヌール宇宙基地からプロトンロケットにより打ち上げられました。同年8月11日に軌道修正を行いました。その3 日後に月周回軌道に入り、1976年8月18日06:36(UTC)に北緯12度45分、東経62度12分の危難の海に無事に着陸しました。この場所は着陸に失敗したルナ23号から場所から約2.3キロメートル離れたところです。2012年の調査でルナ24号の正確な着陸位置 は北緯12.7145度、東経62.2097度と判明しています。

月着陸船ルナ24号の模型
月着陸船ルナ24号の模型

 地球からの指令によりルナ24号の着陸船はサンプルアームで2メートルほどの深さからサンプルの土を帰還用カプセルに採取しました。同年8月19日05:25(UTC)、着陸船は帰還用カプセルを打ち上げました。同年8月22日、カプセルは地球の大気圏に突入し、その後パラシュート降下し同日05:55 (UT) にシベリア西部スルグトの200km南東に着陸しました。

 回収された170.1グラムのサンプルの分析が行われました。1978年2月にソビエトの科学者により月面の土壌に水が含まれているという論文が発表されました。これはアメリカ合衆国のアポロ計画による月面の水の発見の報告を裏付けることにもなりました。

 ルナ24号が月面に着陸し探査を行った以降は月面探査は行われず、月面探査は月周回軌道から観測を行う探査機が主流となりました。ルナ24号の月面着陸から37年後の2013年12月14日に中国の嫦娥3号が月面着陸に成功しています。

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2023年7月 7日 (金)

七夕と夏の大三角形(7月7日)

 七夕はアジアの多くので行われる伝統的な年中行事です。旧暦の7月7日に行われ日本では「七夕」または「七夕祭り」と呼ばれます。

 七夕は古代中国の織女(織姫)と牽牛(彦星)の伝説に由来しています。織女は天帝の娘で機織り職人、織女は牛飼いでした。織女の婿を探していた天帝は牽牛が気に入り2人を引き合わせます。めでたく2人は仲の良い夫婦となりました。ところが夫婦は仕事をそっちのけでいつも2人で談笑 ばかりするようになりました。天帝が注意しても2人は改めようとしません。ついに天帝の怒りに触れ、天帝は2人を引き離してしまいました。あまりの悲しさで落胆する織姫のために、天帝は2人が真面目に仕事をするのであれば1年に1度、7月7日に会うことを許しました。

 この伝説は天の川と星座から生まれた物語に見立てられています。織女と牽牛はそれぞれこと座のベガとわし座のアルタイルです。夏の夜、ベガとアルタイルはちょうど天の川で隔てられた位置に見えます。織女と牽牛が出会うためには天の川を渡らなければなりません。毎年、カササギの群れが現れて羽を広げて天の川を渡す橋となりました。このカササギの橋は鵲橋(しゃくばし、かささぎばし)と呼ばれています。カササギは頭の良い鳥で中国ではいろいろな物語に重要な役柄で登場します。

夏の大三角形
夏の大三角形

 なぜカササギが天の川を渡すのか諸説あります。ここでははくちょう座との関係について説明します。ベガとアルタイルにはくちょう座のデネブを加えた3つの星を繋ぐと大きな三角形になります。これを「夏の大三角形」と呼びます。

 はくちょう座は天の川を大きな翼を広げて飛んでいくように見えます。その翼がベガとアルタイルを繋ぐように見えます。この星座が白鳥であるというのは古代ギリシアの星座に由来しますが、もともとはこの星座は単純に鳥の意味だったそうです。この星座がカササギに見立てられ鵲橋となったという説がありますが、はくちょう座と鵲橋は関係ないという説もあります。

 七夕の物語と夏の大三角形、デネブだけが仲間外れなのでしょうか。ベガとアルタイルとはくちょう座を見ていると鵲橋が織女と牽牛を引き合わせたと思えてしまいます。

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 カテゴリー:天文 宇宙

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月と金星と木星がランデブー(2023年2月22日)

皆既月食と天王星の天体ショー(2022年11月8日)

 

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2023年6月23日 (金)

南極はどこの国?|南極条約が発効(1961年6月23日)

 地球の南方に大きな大陸が存在するという考えは紀元前の古代ギリシアの時代からありました。もちろんこれは自然哲学的な思考によるもので実際に南極大陸が発見されていたわけではありません。しかし、当時の人々は地球は対称性があり北半球の大陸群とバランスを取ることができる大きな大陸が南方に存在するはずと考えたのです。

 南方で氷山が発見されたのは紀元後のことです。15世紀以降の大航海時代では南洋の探検が盛んに行われ卓状の氷山も発見されていますが、18世紀後半のジェームス・クックの南極圏の探検では南極大陸の発見には至りませんでした。

 南極大陸が発見されたのは19世紀に入ってからです。1820年にロシア海軍ファビアン・ゴットリープ・タッデーウス・フォン・ベリングスハウゼン、イギリス海軍エドワード・ブランスフィールド、アメリカ人アザラシ漁師で探検家ナサニエル・パーマーが氷山とは異なる氷の地形を発見したことを報告していますが3人のうち誰が最初に南極大陸を発見したのかは判明していません。彼らの発見後、南極大陸への上陸が行われるようになりました。当初は南極大陸は探検の対象とされていましたが南極は環境が厳しく人類が定住することは困難なためこの地を実行支配しようとする国はありませんでした。

南極大陸の地図
南極大陸の地図

 20世紀に入るとイギリスが南極大陸に基地を設営し内陸部の探検を始めました。1908年にイギリスは探検した範囲の諸島の領有権を主張、これをきっかけに他の国々も一定の範囲の領有権を主張するようになりました。国際法による国家の領有権の根拠は他の国に先んじてその地を実行支配してきかどうかの先占に基づきますが、南極大陸は先占が不可能なため一定の範囲の領有権を主張するセクター主義が主張されるようになりました。そして、探検の成果からオーストラリア、ノルウェー、イギリス、ニュージーランド、フランスの5カ国はお互いの承認のうえでそれぞれが主張する地域の領有権を認めるようになりました。またアルゼンチンとチリはイギリスが主張する地域の領有権を主張しました。

 やがて南極探検の対象は科学的調査になり各国が南極基地を設営するようになりました。当初は基地の生活は厳しい環境でしたが、科学技術の進歩によって定住が可能となり実効支配の可能性も出てきました。そこで南極の調査研究で国際協力体制を築く日本、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカの12か国が南極の平和的目的利用のため1959年12月1日に南極条約を締結、1961年6月23日に発効されました。この条約により南極の軍事利用は禁止され、南極の特定地域を実行支配する軍事行動はできなくなりました。

 しかしながら、前述の各国の領有権の主張は南極条約締結以前のことです。南極条約の第4条には、締結国の過去の領有権主張の放棄はしないこと、条約が有効期間中は締約国は領有権の新たな主張や拡大の主張は禁止されるとあります。つまり過去の領有権は棚上げ状態になっているものの無効になったわけではないことを意味します。

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2023年6月22日 (木)

ガリレオは「それでも地球は動く」と呟いたのか(1633年6月22日)

 ガリレオが天動説で裁判にかけられたのは1611年と1633年です。1611年の第1回目の裁判では天動説を仮説として唱えるのであれば許容範囲とされたという記録があり本当は無罪だったと考えられています。ガリレオが1632年に「天文対話」を発表すると、1633年に2回目の裁判にかけられました。このときに確証のない書類を証拠とされ第1回目の裁判も有罪とされ、第2回目の裁判も1633年6月22日に有罪の判決が下りました。ガリレオには無期刑が言い渡されましたが間もなく減刑となり軟禁処分になりました。命が脅かされることはありませんでしたが監視付きの家で軟禁され外出は許可されませんでした。

 ガリレオが有罪となったときに「それでも地球は動く」と呟いたといエピソードがあります。実際にガリレオはイタリア語「E pur si muove」で呟いたされています。他人にわからないようにギリシア語で呟いたという説もありますがイタリア語で「E pur si muove」と同じことを呟いたとされています。

 「E pur si muove」は直訳すると英語では「And yet it moves」で日本語では「それでもそれは動く」となります。ですからガリレオが言った言葉の「それ」は地球には間違いないのですが「それでも地球は動く」と呟いたわけではありません。そもそも第2回目の裁判の様子を鑑みるとガリレオが「E pur si muove」と呟いたとは考えにくく、この話は後付されたものという説が有力です。

 この話が語られるようになったのはガリレオの1642年の死から115年後の1757年に文芸評論家のジュゼッペ・バレッティの著書「イタリアン・ライブラリー 」の著述によるものです。一方、裁判の記録にはこの言葉は残っていません。またガリレオが軟禁状態にあったときに助手を務めたヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニが1655年から1656年にかけて執筆したガリレオの伝記にも記載がありません。

 1911年、ベルギーの美術品収集家ジュール・ファン・ベルが入手した絵画に「 E pur si muove 」という文字が描かれていることが判明しました。この絵画には1643年か1645年に描かれたもので軟禁されているガリレオと壁に太陽を周回する地球の図が描かれておりその図の下に「E pur si move」の文字がありました。絵画に署名はないもののファン・ベルは17世紀のスペインの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョの作品と比定しました。この絵画の発見はガリレオが「E pur si muove」と呟いたことを裏付ける証拠とされましたが、間もなく所在が不明となりました。

 ファン・ベルの絵画は画家オイゲン・ファン・マルデゲムが1837年の作品「刑務所のガリレオ」とそっくりであることが判明しています。つまり同じ絵が別に存在していたことがわかったのです。ファン・マルデゲムがファン・ベルの絵画を模倣したのか、あるいはファン・マルデゲムの作品を誰かが模写したものがファン・ベルの絵画となったか謎が深まりました。この謎を解くにはファン・ベルの絵を再発見するしかありませでした。

「刑務所のガリレオ・ガリレイ」(1937年ファン・マルデゲム作品、ベルギー・シントニクラス市立博物館所蔵)
「刑務所のガリレオ・ガリレイ」
(1937年ファン・マルデゲム作品、ベルギー・シントニクラス市立博物館所蔵)

 調査によってファン・ベルの絵は2007年に売却されていたこがわかり、このときファン・ベルの絵は19世紀に描かれたものと鑑定されていました。事実であればファン・ベルの絵は「E pur si muove」の話は1757年のバレッティの著書「イタリアン・ライブラリー 」によって広く知られるうになってから描かれた絵画と考えられます。

 ガリレオが「それでも地球は動く」と呟いたいうのは伝承でしょう。しかし、事実が認められなかったことに対する警鐘として語り継がれていくでしょう。

 この調査論文は2020年にMario Livio 氏がSCIENTIFIC AMERICANに投稿しています。

SCIENTIFIC AMERICAN

Did Galileo Truly Say, ‘And Yet It Moves’? A Modern Detective Story
An astrophysicist traces genealogy and art history to discover the origin of the famous motto

By Mario Livio on May 6, 2020

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3-03. 大航海時代が光速の測定を必要とした

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1-08. 思考実験「重いものほど速く落下するのか」

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2023年3月 6日 (月)

小惑星「トキオ」と「ニッポニア」を発見(1900年3月6日)

 日本の天文学者の平山信は1903年3月6日と9日に東京麻布台の東京天文台で天体写真を撮影しました。その写真を解析すると太陽系の火星と木星の公転軌道の間に存在する小惑星帯(アステロイドベルト)の中に2つの未発見の天体が存在することがわかりました。これらの天体は日本で初めて観測された小惑星と考えられましたが軌道計算ができなかったため小惑星の発見とは認められませんでした。

平山信
平山信

 1902年12月2日、2つのうちの1つの小惑星についてフランスのニース天文台の天文学者オーギュスト・シャルロワが観測を行い軌道が確定しました。この小惑星の発見者はシャルロワとなりましたが、シャルロワは小惑星の命名権を平山信に譲りました。平山は発見場所にちなんでこの小惑星を「Tokio」と名付けました。

 もう一方の小惑星は1912年2月11日にドイツのハイデルベルクのケーニッヒシュトゥール天文台の天文学者アダム・マシンガーによって観測が行われ軌道が確定しました。発見者となったマシンガーはこの小惑星の命名について平山信の意見を求めました。平山信は「Nippon」を提案し、マシンガーはこれを女性名詞とした「Nipponia」と命名しました。

 平山信が撮影した写真は長らく消失されたと考えられていましたが、2012年に再発見されました。

アーカイブ室新聞 (2012年3月16日第565号)

国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室 中桐正夫

*100 年以上前の天体写真乾板発見-その 1-(日本人最初の小惑星検出乾板の発見)

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2023年3月 4日 (土)

続・月と金星と木星がランデブー(2023年2月23日)

 2023年2月から金星と木星が接近しています。22日には上から順に木星と金星と月が縦に並びましたが(月と金星と木星がランデブー(2023年2月22日) )、翌日23日には月が上側に来て月と木星と金星が縦に並びました。木星と金星はさらに近づきます。

続・月と金星と木星がランデブー(2023年2月23日)
続・月と金星と木星がランデブー(2023年2月23日)

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月と金星と木星がランデブー(2023年2月22日)

地球照とは

月の満ち欠けの仕組み

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皆既月食 2011年12月10日

2021年5月26日は皆既月食

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ほぼ皆既月食の部分月食(2021年11月19日)

半影月食 皆既月食 部分月食 月食の仕組み(1)

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皆既月食 2011年12月10日

満月と月食の関係

 

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