カテゴリー「光の話」の89件の記事

2023年1月 6日 (金)

2023年のトレンドカラー|色の日(1月6日)

 2023年のトレンドカラーは「ビバマゼンタ」cだそうです。

 トレンドカラーは世界的な色見本帳を作っている会社PANTONEおよび色に関係する事業を手がけているJAFCA(日本流行色協会がそれぞれ独自に毎年発表しているものです。「ビバマゼンタ」はPANTONEが発表したもので、「ルミナスイエロー」はJAFCAが発表したものです。

〇ビバマゼンタ

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 ビバマゼンタのカラーコードは#CE3256(R:206 G:50 B:86)です。普通のマゼンタ(カラーコードは#FF00FF R:255 G:0 B:255)の赤色を少し弱めて若干の緑を加え青を大きく減じたものです。

PANTONEは選定にあたって「鮮やかで躍動感に満ちた色。自然の赤系に根ざした新たな力強さを表現する色合い。楽しく楽観的な祝いをプロモートし新しい物語を生み出す勇敢で大胆不敵な鼓動する色」と説明しています。

PANTONE Pantone Color of the Year 2023 / Introduction

〇ルミナスイエロー

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 ルミナスイエローのカラーコードは#FEF6B7(R:254 G:246 B:183)です。普通のイエロー(カラーコードは#FFFF00 R:255 G:255 B:0)に青を加えたものです。

 JAFCAは選定にあたって「ほんのりと光がたまったような、陽だまりのような明るいイエロー 」「優しく穏やかで、希望を感じさせてくれる色です。淡く柔らかい色は不安で固まった心にも無理なく入っていき、そっと癒し、明るい気持ちにしてくれるのではないでしょうか」と説明しています。

JAFCA 2023年の色は、「やさしさに包まれるイエロー」

【関連記事】

カラーの日(1月6日)

マゼンタのおはなし|単色光(波長)が存在しない色

青色光より短波長の光はなぜ紫色なのか|青紫と赤紫の違い

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2022年11月18日 (金)

実用的写真術を発明|ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの誕生日(1787年11月18日)

 1787年11月18日は世界で初めて実用的な写真技術を発明したフランスの画家・写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの誕生日です。

 ダゲールは若い頃にパノラマ画家ピエール・プレボに師事し、建築、劇場の舞台美術、パノラマ画を学びました。タゲールは優れた劇場イリュージョン技術により劇場設計者として有名になり、1822年7月にパリでジオラマ劇場を開きました。

ダゲレオタイプで撮影したダゲールの肖像写真
ダゲレオタイプで撮影したダゲールの肖像写真

 同じ頃、写真の技術の基礎となる印刷技術ヘリオグラフィを発明したフランスのニセフォール・ニエプスはカメラ・オブスクラの画像を写真に残す技術の開発を始めました。写真の撮影はすぐに成功したものの長く定着させることができるまで数年かかりました。何とか画像を写真として残すことができるようになりましたが、写真を撮影するのに非常に長い露出時間を要するためこの写真技術は実用的なものではありませんでした。

 1829年、ニエプスは自身が発明した写真技術を実用化するためダゲールと共同研究を始めました。そして光化学反応で変色する銀化合物を写真に利用することに成功しました。しかしながらニエプスは研究途上の1833年にこの世を去りました。ダゲールは単独で研究を継続し、ついに銀板写真法を発明し1839年に発表しました。この写真技術はダゲレオタイプと呼ばれ、10~20分の露光時間で写真を撮影することができました。フランスの科学者フランソワ・アラゴはこの実用的な写真撮影法を政府に推薦しました。ダゲールは政府から終身年金を受け取るかわりにダゲレオタイプを公開しました。これによってタゲレオタイプは世界中に広まりました。

 ダゲールがこの世を去ったのは1851年7月10日、有益な技術を研究開発した科学者として彼の名前はエッフェル塔に刻まれています。

【関連記事】

写真技術の先駆者 ジョセフ・ニセフォール・ニエプス没

カメラ発明の日(1839年8月19日)

カメラ発明の日は3月19日ではなく8月19日

写真の日(6月1日)

カメラと写真の仕組み

ピンホール現象とカメラオブスクラ 写真の仕組み(1)

カメラオブスクラの像を写真に残す 写真の仕組み(2)

白黒写真の仕組み 写真の仕組み(3)

カラー写真の始まり 写真の仕組み(4)

加色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(5)

減色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(6)

 

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2022年9月30日 (金)

ビスマルクの鉄血演説(1862年9月30日)

 「現在の大問題は演説や多数決ではなく鉄と血でこそ解決される」。1862年9月30日、プロイセン王国の議会が軍拡問題で混乱したときにオットー・フォン・ビスマルク首相がドイツ統一について論じた熱血演説の言葉です。

 「Nicht auf Preußens Liberalismus sieht Deutschland, sondern auf seine Macht; Bayern, Württemberg, Baden mögen dem Liberalismus indulgieren, darum wird ihnen doch keiner Preußens Rolle anweisen; Preußen muß seine Kraft zusammenfassen und zusammenhalten auf den günstigen Augenblick, der schon einige Male verpaßt ist; Preußens Grenzen nach den Wiener Verträgen sind zu einem gesunden Staatsleben nicht günstig; nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die großen Fragen der Zeit entschieden – das ist der große Fehler von 1848 und 1849 gewesen – sondern durch Eisen und Blu」

 「ドイツが注目しているのはプロイセンの自由主義ではなく力である。バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデンはそれぞれの自由主義を認めるだろうがプロイセンの役割を割り当てることはないだろう。プロイセンはその力を結集し好機のために保持しなければならない。好機はすでに幾度も逃してきた。ウィーン条約後のプロイセンの国境は健全な政治を行うにはふさわしくない。現在の大問題は演説や多数決によってではなく鉄と血でこそ解決される。

 1862年、プロセイン国王のヴィルヘルム1世はプロセイン議会で軍制改革が拒否されると「軍制改革が議会の承認を得られないなら無予算統治も辞さない」としてビスマルクを首相に任命しました。ビスマルクはプロイセンの法学者・政治家であるフリードリヒ・ユリウス・シュタールが提唱した空隙説「主権者である国王は憲法に明確な規定がないために起こる空隙を埋める権力がある」を唱えて軍制改革を行いました。そして富国強兵によりドイツ統一を進めたのです。

ヴィルヘルム1世とビスマルク
ヴィルヘルム1世(左)とビスマルク(右)

 このビスマルクの鉄血政策でプロセイン王国は軍事力を高めるため優れた大砲(鉄)と兵(血)を揃えることになりました。優れた大砲を作るためには高純度の鉄が得られる製鉄技術が必要となりました。高純度の鉄を作るためには溶鉱炉の温度管理が必要です。しかしながら溶鉱炉の温度は温度計では測定することができません。そこで職人が鉄の色を見て温度を判断しましたが、より正確な温度を知る必要がありました。そこで鉄の色と温度の関係の研究が進んだのです。この研究が後の量子力学の幕開けとなったのです。続きは【関連記事】をご覧ください。

【関連記事】

純鉄の製造を求めて|量子力学の幕開け(1)

高温の物体から出る光を調べる|量子力学の幕開け(2)

飛び飛びのエネルギー|量子力学の幕開け(3)

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2022年9月 6日 (火)

黒の日(9月6日)

 9月6日は「黒の日」です。1989年に京都黒染工業協同組合が9(く)6(ろ)の語呂合わせで制定しました。語呂合わせで9月6日が「黒の日」というのはわかりますが「黒の日」を制定した理由は黒染めを広く知ってもらい黒紋服や黒留袖の普及を図るためです。和服の黒染めは普通の洋服の黒とは異なり伝統的な技術なのです。

 さて、黒というと色のひとつですが黒い色を作るにはどうしますか。

黒

 色光で色を作る場合、混ぜる光の色の種類(波長)が増えると、次第に明るくなっていきます。たとえば、光の3原色(RGB=赤・緑・青)をすべて混ぜると白色光になります。

 W=R+G+B

 緑(G)と青(B)を混ぜると青緑(C、シアン)、赤(R)と青(B)を混ぜると赤紫(M、マゼンタ)、赤(R)と緑(G)を混ぜると黄(Y、イエロー)になります。

 C=G+B

 M=R+B

 Y=R+G

 このように光の色を加えていき色を作ることを加法混色といいます。加法混色で黒というのは光が存在しないということです。つまり真っ暗闇が黒になります。

 一方、絵の具などの色材で色を作る場合、混ぜる色材の色の種類が増えていくと黒ずんでいきます。これは色材が光の吸収体だからです。特定の色の色材を混ぜて別の色を作るというのは、色材で吸収される光が増え、反射して私たちの目に届く光の波長の種類が減っていくということです。これを減法混色といいます。

 色の三原色(CMY=青緑・赤紫・黄=シアン、マゼンタ、イエロー)の色材を混ぜると黒い色を作ることができます。これは青緑の絵の具が赤色系の光を吸収し、赤紫の絵の具が緑系の光を吸収し、黄色の絵の具が青色系の光を吸収するからです。

 C=W-R

 M=W-G

 Y=W-B

 それぞれの色の色材に吸収される赤・緑・青は光の三原色と一致します。光の三原色がすべて吸収されることになりますから、

 W-R-G-B = Wー(R+G+B) = W-W

ということになり、黒になるということになります。

 つまり光が何もない世界は黒、鮮やかな色材をたくさん混ぜても黒です。

 ところで4月6日はどうやら「白の日」のようです。

【関連記事】黒の日(9月6日)

「光の三原色」と「色の三原色」の原理と仕組み|色が見える仕組み(7)

アリストテレスの変改説(変容説・変化説)と色彩論|白と黒のはざまに(1)

白と黒は色なのか?ー白と黒のはざまに(2)

白と黒から色が生じる 主観色とベンハムの独楽ー白と黒のはざまに(3)

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2022年6月 6日 (月)

【おもしろ映像】内部に入れそうな鏡

 この鏡は見るからに普通の鏡なのですが奥行きがあるように見えて内部に入ることができそうです。

Infinity Mirror(無限の鏡)
Infinity Mirror(無限の鏡)

 この鏡は普通の鏡とマジックミラーを重ねて内部にLEDを組み込んだものです。マジックミラー側からのぞくと光が無限に続くように見えます。このような鏡を「Infinity Mirror(無限の鏡)」と言いますが内部で反射を繰り返して無限の世界を表現しています。下記の映像を見ると鏡に写真のような奥行きの厚みがないことがわかります。

My Infinity Mirror

 「Infinity Mirror(無限の鏡)」の世界は2枚の平面鏡を向かい合わせた「合わせ鏡」でも見ることができます。さて、この鏡の無限の世界はどこまで続くのでしょうか。本当に永遠に続いているのでしょうか。その答えは下部の【関連記事】を参照してください。

【関連記事】

鏡の中の世界はどこまで続くか

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2022年1月 7日 (金)

【おもしろ映像】陽炎と新幹線と舞雪

 陽炎でゆらいで見える線路にさっそうと現れる新幹線。陽炎の中、雪を巻き上げながら近づいてきます。新幹線の車体の光の反射もとても幻想的で全体としてかっこいい映像ですね。

雪を舞いあげる新幹線

 陽炎は空気の密度の小さい部分と大きい部分ができ、光が屈折して進む方向が乱れるために起こります。夏によく見られる現象ですが、冬でも空気の温度差が生じれば見ることができます。

【関連記事】

空気のゆらぎが光を曲げる 陽炎の仕組み

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2021年12月 4日 (土)

アワビを食べたら虹が出た

 甲斐の国(山梨県)の名産品アワビの煮貝を頂きました。甲斐の国は海がありませんが昔から駿河の国(静岡県)や相模の国(神奈川県)から海産物が入ってきました。これらの海産物は産地で塩漬けや醤油漬けにされて甲斐の国まで運ばれてきました。アワビの煮貝は駿河湾で獲れたアワビを醤油漬けにして木の樽に入れて馬に運ばせたようです。馬に運ばれている間に醤油がほどよくしみ込んで甲斐の国に到着すること美味しいアワビの煮貝に仕上がったそうです。当時のアワビの煮貝は貝殻から外されて運ばれたようです。

 甲斐の国の名産というと武田信玄に由来すると思うかもしれませんが資料を見る限りでは武田家で食べていたのはアワビの貝殻に身を盛った「貝鮑」という名の料理と考えられ、いわゆる産地から運ばれてきたアワビの煮貝とは異なるものであったと考えられているようです。

 さてアワビの煮貝を食べると虹色に輝く貝殻が出てきます。アワビの貝殻は内側から層が重なって厚くなったものです。この層に光が当たると光の波が干渉し、色が強め合ったり弱め合ったりするため幕の表面が色づいて見えます。

虹色に輝くアワビの貝殻
虹色に輝くアワビの貝殻

 アワビの貝殻が色づいて見えるのはシャボン玉や油膜の表面が色づいて見えるのと同じ原理です。原理については関連記事の「その色、どこから」で説明している「シャボン玉や油膜の色はどこから」をご一読ください。なおアワビの貝殻は何層も重なった多層膜のため干渉の仕組みは複雑です。

【関連記事】

その色、どこから

玉虫色とは何色?

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2021年11月22日 (月)

レーマーが光の速さは有限と発表(1676/11/22)

 光の速さは秒速約30万キロメートル、1秒で地球を7周半することができる速さです。光はあまりにも速いため昔の科学者たちは光は瞬時に伝わると考えていました。近世においても、光の屈折について考察し虹ができる仕組みを解き明かしたフランスのルネ・デカルトや、天体の運動を考察しケプラーの法則を導いたドイツのヨハネス・ケプラーも光は一瞬にして伝わると考えていました。しかし、光速が無限大である証拠は何もなかったのです。

 世界で初めて光速を測定したのはパリ天文台で働いていたデンマークの天文学者オーレ・クリステンセン・レーマーとされています。レーマーは1676年11月12日に光速の測定結果を発表し、光速を秒速22万キロメートルと求めたと言われています。ところが、レーマーは実際には光速は測定していませんし、光速の値を発表したわけでもありません。どうしてレーマーが世界で初めて光速を測定したことなったのでしょうか。

 レーマーがパリ天文台にやってきたのは1672年のことでした。このとき天文台台長を務めていたのはイタリアの天文学者ジョバンニ・カッシーニです。カッシーニは木星の衛星や土星の衛星を観測し天体観測で多大なる功績を残しています。

レーマーとカッシーニ
レーマー(左)とカッシーニ(右)

 当時はヨーロッパ諸国が海外進出を果たした大航海時代が終盤に差し掛かった頃でした。多くの航路が発見されて盛んに貿易が行われるようになると、船の安全な航行が求められるようになりました。そのためには正確な航海図と船舶が周囲に何もない洋上で自分の位置を正確に把握する方法が必要でした。

 位置は南北の位置を表す緯度と東西の位置を表す経度で求めることができます。南北の位置を表す緯度は水平線と太陽や北極星のなす角度から比較的簡単に求めることができます。一方、東西の位置を表す経度を求めるためには基準の位置と自分が存在する位置の時差を求める必要があります。当時は正確な時計がなかったため経度を正確に求めることはできませんでした。そのため、いかにして正確に時間を測るかが正確な航海図を作るための重要な鍵となっていました。

 ヨーロッパの多くの国が自国の天文台を基準にした海図を作成しようと経度を正確に求める方法の発明に懸賞金をかけていました。例えば、ガリレオは 1610 年に自作の望遠鏡で木星の4つの衛星を発見していますが、これらの衛星の食(衛星が木星の裏側に隠れる現象)が規則的に起こることから、世界のどこからでも確認できる標準の時計として使えると考え経度を求める方法を提案しています。しかし、この方法は詳細な観測データを必要としました。ガリレオの提案した方法はカッシーニによって実現されましたが、この方法は衛星の観測に時間がかかるという欠点がありました。この方法は地上で経度を求める目的には使えましたが、洋上で経度を求める目的には使えませんでした。

 レーマーはカッシーニのもとで木星の衛星の動きを調べていました。衛星イオの食が始まる時刻を調べているうちに、地球が木星の近くに存在しているときと遠くに存在しているときでは食が始まる時刻が22分ずれていることに気が付きました。

木星の衛星イオの食のずれ
木星の衛星イオの食のずれ

 レーマーはイオの公転周期は一定であることからこの現象は観測によるものと考えました。そして、光が一瞬で伝わるのであれば地球と木星の距離に関係なく食が始まるのは同時刻になるはずであり、この時間のずれは光が木星から地球に伝わる時間に関係しており、光の速度は無限大ではなく有限であるに違いないと結論づけました。そしてこの理論を1676年11月22日にパリの王立科学アカデミーで発表しました。

 実はこの現象はカッシーニも気がついていましたが、光速は無限大と考えていたため時刻のずれの原因を突き止めることはできていませんでした。そして、カッシーニはレーマーの光速は有限の値であるという主張を決して認めませんでした。そのため、レーマーの結論はフランスでは認められませんでした。一方、イギリスのニュートンやオランダの物理学者で後に光の波動説を唱えたクリティアーン・ホイヘンスはレーマーの考えを支持しました。

 さて一般にレーマーが求めた光速は秒速約 22 万キロメートルとされていますが、レーマーの興味は光速が有限であることを証明することだったようで値までは求めませんでした。レーマーの理論から光速の値を求めたのはホイヘンスです。

 ホイヘンスはレーマーが観測した食のずれの時間 22 分(1320 秒)と当時知られていた地球の公転の直径2億 9120 万キロメートルから、光速を秒速 22 万キロメートルと求めました。この値が実際の光速の値である秒速 30 万キロメートルからかけ離れているのは、地球の公転の直径や食が遅れる時間が不正確だったからです。現在、知られているそれらの値(ずれ:16 分 36 秒= 996 秒、公転直径:2億 9920 万キロメートル)を使って計算すると光速は秒速30万キロメートルに近い値になります。

【関連記事】

グリニッジ天文台を経度0度に制定(1884年10月13日)

単位メートルが光速度基準になる(1983年10月20日)

光速は有限か無限か 光速の測定(1) ガリレオ

光速は有限か無限か 光速の測定(2) レーマー

光速は有限か無限か 光速の測定(3) ブラッドリー

光速は有限か無限か 光速の測定(4) フィゾーとフーコー

光速の測定実験は航海図の作成がきっかけだった

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2021年10月21日 (木)

あかりの日(1879年10月21日)

  10月21日は「あかりの日」です。1879年10月21日に米国の発明家トーマス・アルバ・エジソンが実用的な白熱電球の開発に成功したことに因んで昭和56年(1981年)に日本電気協会・照明学会・日本照明工業会が制定しました。

 エジソンが白熱電球のフィラメントとして日本の竹を使ったという話は有名ですが、エジソンが最初に作った実用的な白熱電球のフィラメントは木綿を炭化させたものでした。この電球の寿命はわずか約45時間でしたが、当時としては実用的な寿命の長い白熱電球でした。エジソンは1880年1月27日に電球の特許(米国特許0223898)を取得し、ほぼ同時に英国でも同じ内容の特許(英国特許4576)を取得しています。

エジソンの白熱電球の米国特許の図(1880年)
エジソンの白熱電球の米国特許の図(1880年)

 よくエジソンが白熱電球の発明者と言われますが、白熱電球そのものを発明したのは英国の科学者ジョセフ・スワンです。スワンは1860年に白熱電球を発明しています。しかし、スワンの電球は寿命が短く大電流を流さなければならないなど実用的なものではありませんでした。

 エジソンの白熱電球の電源電圧は100Vで複数の電球を並列に接続してもそれぞれ独立に点灯と消灯ができました。またソケットをねじ式にすることによって電球が交換できるようになっていました。また配電設備を構築し、白熱電球を広く普及させました。

 エジソンは配電システムを含めた実用的で効率的な白熱電球の開発に成功したのです。

白熱電球を発明したのは誰?|エジソンが電球の特許取得(1880年1月27日)

白熱電球の原理と仕組み

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2021年10月 2日 (土)

望遠鏡の日(1608年10月2日)

 1608年10月2日、オランダの眼鏡技師ハンス・リッペルハイは遠くの物を近くに見ることができる道具の特許をオランダ政府に申請しました。このとき、やや遅れてヤコブ・メチウスも同様な道具の特許を申請しました。しかし、原理が単純であり発明に当たらないとされ特許は受理されませんでした。しかしながら、リッペルスハイの道具はよくできていて、オランダ政府はリッペルスハイに報奨金を与え、製造・販売を許可しました。このことから、このことからリッペルスハイが望遠鏡の発明者とされ、10月2日は「望遠鏡の日」とされています。

ハンス・リッペルスハイ
ハンス・リッペルスハイ

 オランダ政府は当初この道具の軍事利用を考え秘密にしようとしましたが、リッペルスハイの道具はあっという間にヨーロッパ中に広まりました。なかでもイタリアのガリレオ・ガリレイはリッペルスハイの望遠鏡を改良し天体望遠鏡を作りました。1609年に天体観測を行い、木星や土星の衛星、月面のクレーター、太陽の黒点の動き、金星の満ち欠けなどを発見しました。

 ガリレオが1611年に科学アカデミー・アッカデーミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)にこの道具を献上したとき、メンバーのジョヴァンニ・デミシアニがこの道具をギリシャ語の「τῆλε(tele、遠く)」と「σκοπεῖν(skopein、見る」からTelesocpe(望遠鏡)と名付けました。

【関連記事】

望遠鏡を発明したのは誰?

誰が光学顕微鏡を発明したのか|顕微鏡の歴史①

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