カテゴリー「動物の豆知識」の243件の記事

2025年4月 8日 (火)

忠犬ハチ公の日(昭和9年 1934年4月8日)

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 忠犬ハチ公として有名な秋田県のハチは大正12年(1923年11月10日に秋田県北秋田郡二井田村(現:大館市)大子内の斉藤義一宅で生まれました。縁があってかねてより秋田県の子犬を育てたいと考えていた東京帝国大学農学部教授の上野英三郎の宅で飼われることになりました。ハチが東京にやってきたのは大正13年(1924年)1月15日です。

忠犬ハチ公(1934年頃)
忠犬ハチ公(1934年頃)

 愛犬家の上野はハチをたいそうかわいがりました。上野が出かけるときにはハチは玄関先で見送り、上野も最寄り駅の渋谷駅までハチを連れていくことがよくありました。ハチも渋谷駅まで上野を迎えに行きました。

 ハチが上野宅にやってきてから約1年後の大正14年(1925年)5月21日、上野は大学で会議に出席した後に脳溢血で倒れ死去しました。上野がいなくなったことを悟ったハチは食欲がなくなり3日間は何も口にしなかったと伝えられています。上野の通夜は25日に行われましたが、このときハチは上野を迎えるため渋谷駅で待っていました。

上野家と忠犬ハチ公
上野家と忠犬ハチ公

 その後、ハチは上野の妻の親戚や浅草の知人の家に預けられましたが散歩中に逸走して上野を迎えに渋谷駅を訪れることもしばしばあったようです。近所とのトラブルもありハチは上野宅に戻ってきました。しかし近所の畑を走り回って荒らすことから、昭和2年(1927年)に渋谷の隣町の富ケ谷に住んでいた上野宅の出入りの植木職人の小林菊三郎に預けられることになりました。小林はハチが子犬の頃から可愛がっていたことからハチも小林に慣れ親しんでいました。小林の家に移り住んでからハチは上野の帰宅時間に合わせて渋谷駅に出かけるようになりました。このときハチは必ず旧上野邸に寄り家の中の様子を窓越しに見ていたそうです。食事の時間になると小林宅に戻りまた渋谷駅に出かけることを繰り返し、上野の姿を探しながら帰りを待ち続けました。

 ハチは通行人からいたずらされたり野犬と間違われてよく捕まったりていましたが、ハチが上野を迎えに渋谷駅に通っていることを知っていた日本犬保存会の初代会長の斎藤弘吉が昭和7年(1932年)にハチの物語を東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」という題名で寄稿しました。これがきっかけとなってハチは多くの人々に知られるようになり、その忠犬ぶりが人々を感動させました。やがて渋谷駅で上野の帰りを待ち続けるハチは「ハチ公」と呼ばれるようになり人々からかわいがられるようになりました。渋谷駅もハチが駅で寝泊まりすることを特別に許可しました。

 新聞で「忠犬ハチ公」のことを知った彫刻家の安藤照は斎藤弘吉にハチ公の銅像を造りたいと申し出ました。小林はハチを連れて安藤のアトリエに通い銅像の製作が始まりました。ところが上野家からハチのことを任されたと称する人物が現れハチ公の木像を製作する資金集めと称して絵はがきの販売を始めました。安藤は「忠犬ハチ公」の銅像の完成を急ぎました。

 昭和9年(1934年)4月21日、渋谷駅正面に「忠犬ハチ公像」が設置され除幕式には上野の妻をはじめとする多くの人々が集まり銅像の完成を祝いました。このとき銅像のモデルとなったハチも除幕式に参列していました。銅像の完成を急いだためハチが生存中に銅像が設置されたのですが、生存中に銅像が設置されることは異例なことでした。

 ハチは除幕式の翌年の昭和10年(1935年)3月8日に亡くなりました。ハチは渋谷駅のいつもの場所と反対側で見つかりました。渋谷駅の「忠犬ハチ公」の像は花環で囲まれ大勢の人々がハチの死を哀しみました。ハチは解剖され剥製とされました。当時の解剖で死因はフィラリアもしくは焼き鳥の串を飲み込んだことと伝えられていますが、後年の調査で重度の癌にかかっていたことが判明しています。

初代「忠犬ハチ公」銅像(ハチの一周忌)
初代「忠犬ハチ公」銅像(ハチの一周忌)

 第二次世界大戦が始まり物資の不足が深刻化すると昭和16年(1941年)に金属回収令の勅令が出されますた。「忠犬ハチ公」の銅像ももれなく対象となり供出されることになりました。これに対して抗議運動が起こりましたが他の銅像や鐘あらゆる金属製品が供出されるなかで「忠犬ハチ公」の銅像だけ特別に対応するわけにはいきませんでした。そこで示しがつかないという理由で昭和19年(1944年)10月に渋谷駅から「撤去」されることになりましたが、昭和20年(1945年)8月14日に溶解され東海道線を走る機関車の部品となりました。

 終戦から3年後の昭和23年(1948年)、安藤の息子の安藤士によって「忠犬ハチ公」の銅像が再建されました。た連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)もハチの忠犬ぶりを理解し関係者が銅像の再建を支援しました。再建された「忠犬ハチ公」の銅像の除幕式は同年8月15日に行われました。

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2025年3月 6日 (木)

【おもしろ映像】トラのように威嚇する猫

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 猫がハーという声を出して威嚇しています。牙を剥いてトラのような表情です。そのうちトラのように吠えそうです。

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【おもしろ映像】トラのように威嚇する猫

 虎だ!虎だ!お前は虎になるのだ。 

 吠える~!

 やっぱり猫でした。

~When a cat angers...~ 猫が「ハーッ!!」って怒るところ。

 

 

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2025年2月 5日 (水)

映画「ジュラシックパーク」に登場するヴェロキラプトルは別の恐竜だった

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 1933年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督、マイケル・クライトン原作の映画「ジュラシック・パーク」。この映画にはさまざまな恐竜が登場しますが映画後半から存在感が高まりその名が広く知られるようになったのが小型の肉食恐竜「ヴェロキラプトル」です。

映画「ジュラシックパーク」に登場したヴェロキラプトル
映画「ジュラシックパーク」に登場したヴェロキラプトル

 「ヴェロキラプトル」はおよそ8千300万年から7千7万年前の中生代白亜紀後期に東アジアの大陸に生息していた獣脚類の恐竜です。細くてすらりとした小さな体格に比べて頭部が大きく後肢には大きな鋭い鉤爪があります。頭部から尾にかけての体長は約2メートルで体高は約50センチメートル、体重は約15キログラムです。だいたい七面鳥やコヨーテぐらいの大きさです。

 映画「ジュラシック・パーク」に登場した「ヴェロキラプトル」は実際の「ヴェロキラプトル」よりもずいぶん大きな体格をしています。原作の小説「ジュラシック・パーク」には「ラプトル」と呼ばれる小型恐竜が登場しますが記述されている特徴からこの「ラプトル」は「ヴェロキラプトル」と考えられています。

 映画では「ヴェロキラプトル」ではなくより全長およそ3.5メートル、体重およそ100キログラムの「デイノニクス」が採用されましたが、スピルバーグ監督が「ヴェロキラプトル」という名前を気に入り、「デイノニクス」を「ヴェロキラプトル」として登場させた経緯があります。

実際のヴェロキラプトルの大きさ
実際のヴェロキラプトルの大きさ

 映画公開当時は「ヴェロキラプトル」と「デイノニクス」は同属と見なされていましたが現在では異種であることがわかっています。映画では「ヴェロキラプトル」は知能は高く社会性を持ち集団で狩りする恐竜として描かれていますが実際にそのような痕跡を残す化石は見つかっていません。一方の「デイノニクス」は脳が大きく高い知能をもっていた可能性があり、化石が集団で発見されていることが多いことから群れを作り狩りをしていたと考えられています。また映画の公開直前に「ユタラプトル」という「デイノニクス」に似た新種の恐竜が発見されています。「ユタラプトル」は体長およそ7メートル、体重およそ500キログラムで「デイノニクス」より大きな恐竜です。

 結論として映画「ジュラシック・パーク」の「ヴェロキラプトル」は「デイノニクス」であり「ヴェロキラプトル」ではありませんでした。

 

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2025年1月18日 (土)

ワライカワセミとラジオオーストラリア日本語放送

 

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 ワライカワセミはブッポウソウ目カワセミ科ワライカワセミ属の鳥です。ワライカワセミは体長が40~47センチメートルでカワセミの仲間では最大級の大きさです。体型はずんぐりしていて頭が大きく太くて短い嘴をしています。

ワライカワセミ
ワライカワセミ

 ワライカワセミはオーストラリア東部原産ですが放鳥などにより分布域が広がっています。森林や草原に生息していますが近年は都市部で見かけることもあります。

 ワライカワセミの名前はヒトの笑い声に似た鳴き声に由来します。ワライカワセミは家族で生活し家族ごとの特徴のある鳴き声で縄張りを守ったり、配偶者を引きつけたり、家族同士あるいは他の群れとコミュニケーションしたりしています。一羽が鳴き出すと数羽が調和して鳴き始めます。他の群れに遭遇すると縄張りを守るため家族全員が調和して鳴き出します。

 自分がワライカワセミを始めて知ったのは子どもの頃に流行したBCL(Broadcast Listening)で短波放送のABCラジオオーストラリア日本語放送を聞いたのがきっかけです。なおABCラジオオーストラリアは2017年1月31日をもって短波放送を終了しています。

Radio Australia日本語放送インターバルシグナル(1975年)

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2025年1月15日 (水)

トラフグのおはなし

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トラフグの生態

 トラフグ(虎河豚)はフグ目フグ科の魚類です。トラフグの名は虎のような模様があることにに由来します。

トラフグ(虎河豚)
トラフグ(虎河豚)

 トラフグは日本では北海道から九州にかけて沿岸や湾内に広く分布しています。水深200メートルほどまでの海域で群れをなして生息しています。産卵期は3~7月で産卵は湾口など浅瀬で行われます。稚魚は産卵場所の付近で育ち10センチメートルほどまでに成長すると沖合に移動します。成魚は体長70センチメートル、体重11キログラムぐらいになります。体型や丸味を帯びた円筒形です。腹鰭はなく胸鰭の上後方に白い縁取りのある黒い大きな斑紋があります。背鰭は黒く臀鰭は白い。くちばし状になった4枚の板状の歯があります。トラフグはこの歯を使って貝など硬いものをかみ砕いて食べています。

トラフグの歯
トラフグの歯

フグ食とフグ毒

 トラフグは食用のフグの中では最高級です。日本のフグ食の歴史は古く縄文時代の遺跡からもフグの骨が出土しています。しかし、フグには毒があり食中毒も多数発生していたようです。豊臣秀吉は朝鮮出兵の文禄・慶長の役において多数の兵士がフグ食による中毒死したため「河豚食禁止の令」を出したと伝えられていますがそれを裏付ける資料は見つかっていないようです。江戸時代においては各藩でフグ食が禁止されています。トラフグで有名な下関のある長州藩ではフグが良く食べられていたようですが藩の取締りは厳しかったようです。明治時代になり下関でフグを食べてその美味しさに感銘した伊藤博文が明治21年(1888年)に山口県におけるフグ食を解禁しました。これをきっかけに全国にフグ食が広まりました。

 トラフグは他のフグと同様に神経毒テトロドトキシンを含みます。テトロドキシンンは熱に強く加熱しても分解されません。ヒトの経口摂取による致死量は1~2ミリぐらいであり青酸カリの850倍程度の毒性を有します。このことからフグを調理する場合には毒を有する部位を完全に除去する必要があり業務として調理する場合には特別な免許を取得する必要があります。

 トラフグの毒は主に肝臓や卵巣などの内臓に含まれています。フグの種類によって毒を有する部位は異なります。たとえばトラフグは皮を食べることができますがマフグは皮に毒が含まれているため食べることはできません。フグの毒化の仕組みはよくわかっていませんが、生まれたての幼魚や養殖で育てられたトラフグには毒がありません。トラフグが食べている餌のハナムシロガイが毒化の原因と考えられていますが完全に無毒で育てられるかどうかは研究途上のようです。

トラフグの「歯切り」

 トラフグの専門店や料亭などに行くと生け簀や水槽で泳いでいるトラフグをよく見かけます。

トラフグ
トラフグ

 トラフグは歯が鋭く咬む力も強いため生きているトラフグに指を噛まれないように注意する必要があります。この歯で噛まれたらひとたまりもありません。横から見るとこんな感じです。

トラフグの歯 トラフグの歯
トラフグの歯

 多くの場合はトラフグは捕獲されると「歯切り」が行われます。養殖の場合でも生け簀で他のトラフグを傷つけるのを防ぐため「歯切り」を行っています。現場で「歯切り」されていないものは流通過程で「歯切り」が行われることもあります。

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2025年1月13日 (月)

北海道ユルリ島の野生馬

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 北海道根室市昆布盛の南東約2.6 kmに無人島のユルリ島があります。ユルリ島の周囲は約7.8 km、海抜43.1 mの断崖に囲まれた島です。面積は約200ヘクタールで東京ドーム約43個分の広さです。ユルリ島は古くから船の泊地として利用され昆布漁が行われていました。江戸時代には高田屋嘉兵衛が航行の安全を祈る金刀比羅神社を創祀しています。

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ユルリ島の航空写真
Copyright © 地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=126486779

 島名のユルリ(ウリル)はアイヌ語で「鵜の居る島」という意味です。ユルリ島は名前の通りエトピリカ、チシマウガラス、ケイマフリなどの海鳥の繁殖地になっています。また島の中央部には希少な植物がたくさん生息しています。昭和38年(1963年)に北海道により天然記念物に指定されましたが当時は人の立ち入りや居住に制限はありませんでした。現在は人の立ち入りは禁止されています。

 ユルリ頭にはかつて多くの野生馬が生息していました。大正時代に馬の放牧がされるようになりましたが第二次世界大戦により放牧は行われなくなりました。現在、ユルリ島に生息している野生馬の祖先は戦後の昭和20年代に昆布漁のために輸送手段として北海道から持ち込まれた馬です。昭和40年代に島民が島を離れたときに放牧されると、馬たちは水や餌が豊富なユルリ島で自然繁殖しながら野生化していきました。

北海道ユルリ島の野生馬
北海道ユルリ島の野生馬

 1990年代初めには約30頭の野生馬が生息していました。定期的に種牡馬が持ち込まれていましたが2000年代に入ると種牡馬の持ち込みができなくなりました。牝馬しかいないため繁殖ができなくなりました。2017年にはわずか3頭の牝馬が確認されていますが、ユルリ島の野生馬はいずれ消えゆく運命にあります。YouTubeにユルリ島の映像がありました。野生馬の群れ疾走する姿が映っています。

ユルリ島

ユルリ島は北海道根室市昆布盛の南東約2.6km(北緯43度12分、東経145度35)にあります(Google Map)。

 

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2025年1月11日 (土)

アムールトラ|ネコ科ヒョウ亜科ヒョウ属

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 トラはネコ科ヒョウ亜科ヒョウ属に分類される食肉類の動物です。ヒョウ属にはトラの他にヒョウ、ライオン、ジャガー、ユキヒョウがいます。ネコ科の猛獣といえば他にピューマ(マウンテンライオン)やチーターがいますこれらはネコ亜科でヒョウ亜科ではありません。

 トラにはベンガルトラやアムールトラなどいろいろな種類がありますが全て亜種です。アムールトラはトラの仲間で最も大きいトラで雄では体長2.5 m、体重300 kgに達すします。しかしながら最近は生息地域の餌不足により十分に成長できずベンガルドラより小型化しているという報告もあります。

 アムールトラはロシアと中国の間に流れるアムール川の周辺に生息していることからアムールトラと名付けられました。シベリアトラとも呼ばれるようにトラの中でも最も北方に生息いるトラです。またかつては朝鮮半島にも生息していることからチョウセントラとも呼ばれますが現在も朝鮮半島にアムールトラが生息しているかどうかはわかっていません。加藤清正が朝鮮出兵の際にトラ退治をしたという逸話がありますがこのトラはアムールトラでしょう。

 次の写真は多摩動物園で撮影したアムールトラです。

アムールトラ
アムールトラ

 横を向いたので撮影。横顔も精悍な顔つきをしています。

アムールトラ(横顔)
アムールトラ(横顔)

 でも警戒が不要な動物園ではトラといえども基本的には猫なのでこうなってしまいます(^^ゞ

アムールトラの居眠り
アムールトラの居眠り

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2024年12月27日 (金)

【おもしろ映像】猫のジュラシックパーク

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 映画「ジュラシックパーク」のパロディ映像です。作中で公園を見学用の自動車で移動中にティラノサウルス(T-LEX)に出くわすシーンがあります。この映像ではそのシーンのティラノサウルスを巨大な黒猫に差し替えています。

【おもしろ映像】猫のジュラシックパーク

 オリジナルの映像のティラノサウルがそのまま黒猫になった感じでティラノサウルスの不気味な表情も再現されています。作者の他の作品を見見ると黒猫そのものはCGではなく飼い猫のようです。とても面白いアイデアです。

Jurassic Park but with a Cat

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2024年12月14日 (土)

猟師の山本兵吉が三毛別羆事件のヒグマを退治(1915年12月14日)

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 エゾヒグマ(蝦夷羆)は食肉目クマ科クマ属のヒグマの亜種で北海道(蝦夷地)に生息するクマです。エゾヒグマは日本における最大の陸棲動物として知られています。エゾヒグマによる熊害事件は何度も発生していますが、その中でも日本における史上最悪の熊害事件とされているのが三毛別羆事件です。

 大正4年(1915年)12月9日、北海道苫前郡苫前村三毛別(苫前町三渓)六線沢の開拓民の集落にエゾヒグマが出現し死者7名、負傷者3名を出す熊害事件「三毛別羆事件」が起こりました。集落を襲ったエゾヒグマは体重340 kg、口先から後足の踵までの長さが2.7 mありました。

三毛別の現地で再現されたエゾヒグマ
三毛別の現地で再現されたエゾヒグマ

 このエゾヒグマが開拓村の民家に最初に現れたのは同年11月始めでした。約2週間後、同じエゾヒグマが同じ民家に再び現れました。幸い人的被害は出ませんでしたがこの事態に危険を感じた住民はマタギに対策を依頼しました。エゾヒグマが3度目に現れたときにマタギが駆除を試みましたが手負いの状態で取り逃がしました。

 12月9日、このエゾヒグマは別の民家に現れ、住人の女性と子どもを襲いついに2人の死者を出しました。翌10日、捜索隊が組織されエゾヒグマを発見しましたが銃の手入れが行き届いておらず取り逃がしました。このとき女性の遺体が発見されその状態からこのエゾヒグマが人を襲うことを覚えたことがわかりました。同日夜に2人の通夜が執り行われましたが、そこにエゾヒグマが乱入してきました。幸い人的被害は出ませんでした。一同は通夜が行われた民家から500 mほど離れた別の民家に身を寄せていましたが再びエゾヒグマが乱入し人々に襲いかかりました。この事件で5人が亡くなり3人が重傷を負いました。

 12日、北海道庁警察部(北海道警察)による討伐隊が組織されましたがエゾヒグマは現れませんでした。そこでエゾヒグマが獲物を取り戻しに来る習性を利用し事件の被害者の遺体を囮にしておびき寄せる作戦を実行しました。これによってエゾヒグマが現れ討伐隊は駆除を試みましたが取り逃がしました。警察と住民で集落を守っている間に陸軍歩兵第28連隊が出動することになりました。ちょうどこの頃、三毛別付近で猟を行っていた猟師の山本兵吉が開拓民集落に現れエゾヒグマの討伐に参加しました。

山本兵吉
山本兵吉(1913年頃)

 山本兵吉は北海道苫前郡初山別村出身とされています。幕末の安政5年(1858年)生まれで事件当時は57歳でした。若い頃に猟師となり山中をかけめぐりました。樺太でエゾヒグマを鯖裂き包丁で仕留めたことから「サバサキの兄」と呼ばれました。射撃の腕前も優れていました。

 13日夜、警察の討伐隊がエゾヒグマを発見し発砲しました。14日朝、エゾヒグマの足跡と血痕が見つかりました。エゾヒグマの動きが鈍くなっていると判断した討伐隊は大がかりな山狩りを行うべくエゾヒグマの足跡を追いかけました。このとき兵吉もエゾヒグマを仕留めに向かいましたが討伐隊とは別行動を取りました。

 討伐隊より先に山に入った兵吉はおよそ200 m先にいるエゾヒグマを発見しました。エゾヒグマは大勢の討伐隊を警戒しており兵吉は気がついていませんでした。兵吉は身を隠しながらエゾヒグマの背後20 m手前まで近づき発砲しました。弾は心臓付近に命中しましたがエゾヒグマは立ち上がり兵吉の方を振り向きました。兵吉は2発目を発射、弾はエゾヒグマの頭部を貫通、エゾヒグマはその場に倒れ絶命しました。12日から14日にかけて天候は晴天で視界は良好だったようです。

 これによって11月から開拓民を恐怖に陥れた三毛別羆事件は終結しまいた。警察討伐隊が組織された12月12日から事件解決の14日まで討伐隊員が約600人が動員され、10頭以上のアイヌ犬が同行しました。ヒグマの死骸は開拓民がそりで運びました。このとき天候が急に荒れて吹雪きとなりました。開拓民はこの突然の吹雪を「熊嵐」と呼びました。ヒグマの死骸は解体されましたが三毛別羆事件の数日前に別の場所で3人の女性を殺害したエゾヒグマと同じ個体であることが判明しています。つまり三毛別熊事件より前に人を襲うことを覚えていたのです。

 この不幸な熊害事件は幕末から続く北海道開拓より野生動物と人間の生活圏が重なったことに起因します。このような事件が起きないよう人間が責任をもって動物たちの環境を保護することが重要ですが、いったん事件が起きてしまうと大きな人的被害が出てしまいます。たいへん残念な結果となりますが、その個体との共生が困難と判断される場合などは駆除も仕方ありません。

 この三毛別羆事件における山本兵吉の活躍は吉村昭著の小説「熊嵐」で取り上げられています。

羆嵐 (新潮文庫) 文庫 – 1982/11/29 吉村 昭

羆嵐 (新潮文庫) 文庫 – 1982/11/29 吉村 昭

 

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2024年11月23日 (土)

牡蠣の日(12月23日)

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 12月23日は「牡蠣の日」です。平成15年(2003年)6月に全国漁業協同組合連合会(JF全漁連)が「勤労感謝の日」に栄養価の高い牡蠣を食べて日頃の疲れを癒そうという願いが込めて毎年11月23日を「牡蠣の日」に制定しました。

カキ(牡蠣)
カキ(牡蠣)

 カキ(牡蠣)はウグイスガイ目イタボガキ科とベッコウガキ科の二枚貝です。岩に着生しているものを「かきおとす」ことから「カキ」と言う名がついたとされています。また身を取るのに殻を「かきくだく」ことから「カキ」と呼ばれるようになったとも言われています。

 漢字の「牡蠣」には「かきおとす」「かきくだく」という意味はありません。「蠣」はたくさんの貝がブドウの房のようにくっついている様子を示したものです。「牡」は昔はカキには牡しか存在しないと考えられていたため「蠣」の始めに「牡」がつけられたとされています。

 英語で「牡蠣」のことを「オイスター(oyster)」と言いますが、「オイスター(oyster)」は岩に着生する貝のうち表面が凸凹している貝すべてを含むため日本と牡蠣と呼ばれるもの以外も含まれます。真珠を取るアコヤガイはウグイスガイ目ウグイスガイ科ですが英語では「オイスター(oyster)」の仲間になっています。

 カキは約2.95億年前のペルム紀に出現し三畳紀までにかけて生息範囲を広げました。現在は北極と南極を除く全世界に分布しています。

 カキの貝殻は方解石を主成分としています。方解石は炭酸カルシウムが主成分の炭酸塩鉱物です。石灰石や大理石とも呼ばれます。そのためカキの殻は建材の原料としても利用されます。

 牡蠣には多くの種類が存在しますが食用にされるのはマガキとイワガキです。マガキは秋から冬にかけてグリコーゲンの含量が増えることからこの時期が旬とされています。月の英名に「R」のつかないMay(5月)、June(6月)、 July(7月)、 August(8月)は産卵期のため食用には適しません。一方、イワガキは春から夏に旬を迎えます。

 カキを生で食べるときには食中毒に気をつける必要があります。貝毒、腸炎ビブリオや大腸菌などの細菌、ノロウィルスなどのウイルスが食中毒の原因となります。日本で生食用として店頭されているものは食中毒の心配はありませんが、生食用でないものや天然物で流通過程を経ていないものは生で食べないようにしましょう。

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