カテゴリー「旅の空から」の21件の記事

2023年9月20日 (水)

浜名湖が海とつながった理由|明応地震(1498年9月20日)

 浜名湖は静岡県浜松市と湖西市にかけて存在する湖です。浜名大橋が架る今切口(いまぎれぐち)で遠州灘と接続された汽水湖となっており太平洋の海水が流入しています。

浜名湖の航空写真
浜名湖の航空写真

 浜名湖は最初から汽水湖だったわけではなく元々は淡水湖でした。室町時代の1498年9月20日(明応7年8月25日)に発生した明応地震による津波で現在の国道1号線の浜名大橋が架る場所にあった砂州が決壊しました。これによって浜名湖は遠州灘とつながる汽水湖になりました。その後も暴雨風や地震によって今切口が広がり現在のような地形になりました。

 地震と津波で大きな被害があり多くの尊い命が失われました。その一方で浜名湖は栄養豊富な生物多様性に恵まれた汽水湖となりました。浜名湖の特産品であるウナギも浜名湖が汽水湖となりシラスウナギが集まるようになったからです。 

【関連記事】浜名湖が海とつながった理由|明応地震(1498年8月23日)

「津波防災の日」と「稲むらの火」(1854年11月5日)

春華堂のうなぎパイ 静岡県浜松市のお土産

春華堂 うなぎパイ 12本入りx1箱

 

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2023年9月 7日 (木)

鬼の洗濯板|宮崎県青島の波状岩

 宮崎県の青島は宮崎市の南東部に存在する島です。青島は周囲が約860メートル、面積が約44,000平方メートルで対岸の青島海岸から架けられた弥生橋によって陸続きとなっています。砂州の形成により陸繋島になりつつあります。

 島内には青島神社があります。かつては神聖な場所として祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていました。天文2年(1737年)に弥生(旧暦3月)の後半の一時期に、明治以降は年間を通して一般人の参詣が許可されました。現在は観光地となっており年間多数の観光客が同地を訪れています。

青島(宮崎県)
青島(宮崎県)

 この辺りは砂岩と泥岩が交互に重なった水成岩が隆起した土地で隆起波食台と呼ばれる特徴的な地形をしています。青島のまわりの波状岩は規則的に浸食されていて巨大な洗濯板に見えることから「鬼の洗濯板」と呼ばれるようになりました。この「鬼の洗濯板」は海岸沿いにもあり、城山公園や青島サンクールを経て巾着島まで続いています。

鬼の洗濯板(宮崎県青島)
鬼の洗濯板(宮崎県青島)

【関連記事】

函館山から望む大森浜

舞浜の由来は「浦安の舞」だった|東京ディズニーランド開園(1983年4月15日)

「今月今夜の月の日」はどんな月(1897年1月17日)

雲仙岳が水蒸気爆発(1990年11月17日)

桜島の大正大噴火(1914年1月12日) 

桜島大根|世界最大の大根

西表島を「いりおもてじま」と読む由来

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2023年8月14日 (月)

函館山から望む大森浜

 先日、函館山に登りました。天気が良くて函館市の全景を見ることができました。

函館山から望む函館市
函館山から望む函館市

 太平洋側(右側)の海は白波が少し立っているように見えたので大森浜の方へカメラを向けてズームインしてみました。確かに白い波が立っていてなかなか良い感じに見えます。

函館山から望む大森浜
函館山から望む大森浜

 

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2023年2月18日 (土)

第1回「さっぽろ雪まつり」開催(1950年2月18日)

 北海道札幌市で毎年2月上旬に開催される「さっぽろ雪まつり」。大小の雪像や氷像が作られ展示される雪と氷の祭典です。

 「さっぽろ雪まつり」は1950年2月18日に札幌観光協会と札幌市の主催によって開催されました。雪まつりの会場となっている大通公園はかつては冬期間は市民の雪捨て場となっていました。ここに札幌市内の中学校と高校の生徒たちが雪像を制作しました。また札幌駅前には国鉄(現JR北海道)が雪像を設置しました。雪像の展示の他に歌のコンクール、ダンス、演芸大会、仮装行列なども行われ、第1回「さっぽろ雪まつり」は盛況に終わり次の年も開催されることになりました。

第9回さっぽろ雪まつり雪像(昭和33年 1958年)
第9回さっぽろ雪まつり雪像(昭和33年 1958年)

 当初は学校の生徒が制作した雪像の展示が中心でしたが市民が加わるようになり、さらに陸上自衛隊や役所や企業が加わり開催規模が次第に大きくなりました。雪像の高さは当初は約7 m、やがて15 mの高さのものが作られましたが、1972年札幌オリンピックが開催された年には高さ25 mの「ガリバーようこそ札幌へ」の雪像が作られました。この雪像は札幌オリンピックの中継で世界中で紹介され「さっぽろ雪まつり」が世界的に知られるようになりました。

 自分も子どもの頃に何度か「さっぽろ雪まつり」に遊びに行きました。雪像も迫力がありましたが真駒内会場の長い滑り台で遊ぶのが楽しみでした。

【関連記事】

札幌時計台が竣工(1878年10月16日)

札幌オリンピック開幕(1972年2月3日)

日の丸飛行隊がメダル独占(1972年2月6日)

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2022年5月16日 (月)

旅の日(1689年5月16日)

 5月16日は「旅の日」です。松尾芭蕉が1689年5月16日(旧暦 元禄2年1869年3月27日)に「奥の細道」の旅に出発したことに由来し、1988年に「日本旅のペンクラブ」が制定しました。「日本旅のペンクラブ」の「旅の日」のページによると「年に一度、旅を愛する人々が集い、日本人の旅行観や旅行関連業界の将来など、旅について考え、語り合う機会」とされています。

 ところで芭蕉が156日をかけて約450里(1768キロメートル)に渡る「奥の細道」の旅をしたのは45歳のときでした。1日の平均移動距離は7里半(約30キロメートル)に及び40キロメートル以上歩いた日もありました。このことから芭蕉の正体は忍者で幕府の密命により東北を調査するための旅をしたという説があります。

 しかしながら当時の男性は1日10里(約39キロメートル)は歩くことができたそうです。東海道なら江戸の日本橋から京都の三条大橋までの124里124里8丁(約488キロメートル)を13日で歩きました。つまり1日あた9.6里(37.5キロメートル)も歩いていたのです。このことを考えると、松尾芭蕉が歩いた距離は当時の男性より少し速かったぐらいでしかありません。忍者は1日40里(160キロメートル)移動するそうですから芭蕉の歩行速度は忍者には及びません。

 「奥の細道」の旅で芭蕉に同行した河合曾良という人物がいます。曾良は長野県諏訪の出身で芭蕉との旅を終えた1709年に幕府の巡見使随員として九州諸国の大名の監視の旅に出ています。もしかすると曾良には忍者の素養があったのかもしれません。

松尾芭蕉と河合曾良
松尾芭蕉(左)と河合曾良(右)
森川許六作

【関連記事】

都内観光バス「はとバス」運行開始(1949年3月19日)

日本初の海外パックツアー開始(昭和40年 1965年1月20日)


日本の空にキャビンアテンダント登場(1931年3月5日)

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純国産飛行機「神風号」がロンドンに到着(1937年4月9日)

世界初のジェット旅客機の初飛行(1949年7月27日)

YS-11初公開|YS-11記念日(昭和37年 1962年7月11日)

ボーイング747が就航(1970年1月22日)

バスガールの日(1920年2月2日)

円太郎バス走る|都バスの日 (大正13年 1924年1月18日)

地下鉄記念日 (1927年12月30日)

個人タクシーの日(1959年12月3日)

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2022年1月 9日 (日)

ゴミ箱とANAと函館空港ラウンジ

 ときどき函館を訪れるのですが東京に戻るときに函館空港のラウンジを利用します。次の写真はそのラウンジに設置されているゴミ箱です。こういう場所でよく見かける普通のゴミ箱ですが、このゴミ箱を見た瞬間にあることを思い出し嬉しくなりました。

ゴミ箱
函館空港ラウンジのゴミ箱

 実は過去にこのラウンジを利用したとき、いつもの通り飲んだコーヒーの紙コップをゴミ箱に捨てたところ手がゴミ箱の蓋に引っかかってしまいました。蓋のバネが強くて想定していたより早く閉まってしまったのです。

 痛いなと思って見てみたら指先が切れていました。さほどのことではないなと思っていたのですが絆創膏もないのでティッシュで抑えていましたがなかなか血が止まりません。しばらくすると出血しなくなりANAの搭乗時間が近づいてきたのでラウンジを出て搭乗ゲートに向かいました。まもなく傷口が再び開き出血が始まりました。今度はなかなか止まりません。

 ここでずいぶん切れていることに気が付きました。そこで搭乗ゲートにいたANAの地上職員の女性にラウンジのゴミ箱で指を切っってしまったのでと事情を説明して絆創膏をもらえないかお願いしました。搭乗ゲートに絆創膏があるはずもなく、ANAの地上職員の方は自分の指を見てずいぶん心配してくれ、わざわざ事務所に電話をして絆創膏を持って来てくれたのです。そして自分が絆創膏を装着し終わるのを確認すると、大丈夫ですかとの声がけの後に、空港のラウンジと相談して同じことが起こらないように対策を考えると言われたのです。

 飛行機に乗った後も指先はずきずきしていましたが絆創膏のおかげで血も止まりました。家に到着した頃には痛みもなくなっていたのです。そして月日が経過し、この怪我のことはいつの間にか忘れてしまっていたのです。

 そして先日、函館を訪れた復路でいつものように函館空港ラウンジに立ち寄りコーヒーを飲みました。紙コップを捨てようとしたときに、あのときのANAの地上職員さんの対応を思い出したのです。

 なぜですって?ゴミ箱の蓋の下の方に手が挟まっても怪我をしないようにクッションが貼られていたからです。

 函館空港のラウンジはカード会社のラウンジでANAラウンジではありませんが、あのときに地上職員さんが言っていた通りANAと空港ラウンジで相談して対策を施してくれていたのです。思わず感動して撮影した一枚の写真がこのゴミ箱の写真だったというわけです。

 そして今回も無事に搭乗してお気に入りのAnother Skyを聞きながら出発を待ったのでした。

ANA「音楽につばさを〜テレワーク演奏〜」:Another Sky(ANA Team HND Orchestra)<ANAグループの有志社員が音楽をお届けします!第2弾>

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2021年9月27日 (月)

ヨセミテ渓谷トンネルビューとハーフドーム

 今から20年ぐらい前ですが数年間にわたり仕事でサンフランシスコ近傍の都市に何度も訪れました。同じ年ではないにしろ1月から12月まで訪れなかった月はありません。一度の訪問で10日から2週間の滞在が多かったので休みの日は周辺の観光に出かけました。中でもよく出かけたのが滞在地から車で2時間半ほど走ると到着するヨセミテ国立公園でした。

 次の写真は米国カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のトンネルビューというポイントから撮影したヨセミテ渓谷のパノラマ写真です。左側の岩盤がエルキャピタン、正面に見えるとんがった岩がハーフドーム、右側の滝がブライダルフォールです。

ヨセミテ国立公園トンネルビュー
ヨセミテ国立公園トンネルビュー

ハーフドームはこのような形をしています。これはグレシャーポイントから撮影したものです。

トンネルビュー(グレシャーポイント)
トンネルビュー(グレシャーポイント)

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2021年6月27日 (日)

1964東京オリンピック間近の静岡市にて(昭和39年)

 昭和39年に静岡市内で撮影した写真です。新幹線開通や東京オリンピックの懸垂幕と横断幕で賑わう街の様子です。

1964東京オリンピック間近の静岡市にて(昭和39年)
1964東京オリンピック間近の静岡市にて(昭和39年)

 この写真が撮影された場所がどのあたりかをGoogle Mapで調べてみました。ヒントは「江崎書店」です。検索してみると静岡駅前の「呉服町通り」に「(株)江崎書店 本部 外相部」が見つかります。そのあたりをストリートビュで見てみました。上の写真にも下のストリートビューにも右側に角が曲面になった特徴的な形をした建物がありますので、ここで間違いないと思います。

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2021年2月27日 (土)

茨城県霞ヶ浦近くの大きな2つのトラックは?

 北の国から羽田空港に向かう航空機が茨城県の霞ヶ浦を通過した頃、眼下に写真のような広大な土地に2つの大きなトラックが現れます。

JRA美浦トレーニングセンター(航空写真)
JRA美浦トレーニングセンター(航空写真)

 この施設はJRA(日本中央競馬会)の美浦トレーニングセンター(美浦トレセン)です。美浦トレセンは競走馬のトレセンとしては日本で最大級の施設です。上空から見ても、Google Mapで見ても、すぐに見つけることができます。

 大きな2つの調教コースに挟まれた領域には厩舎や公園があります。敷地内には調教コースや厩舎のみならず、厩務員・騎手・JRA職員など家族を含めて約5000人が暮らす宿泊施設があります。その他、競馬に関わる産業を含めて考えると、周辺地域合わせて数万人の生活の馬となっており、ショッピングセンター、郵便局、病院など生活に必要な施設も存在しています。

 調教コースには芝コース、ダートコース、障害用コース、ウッドチップコースに加えて、オールウェザー対応の新素材を敷き詰めたニューポリトラックなどがります。また、プール調教用のプール、森林馬道、診療所などが設置されています。

美浦トレセン南側調教コース
美浦トレセン南側調教コース(上記写真では右側)

 美浦トレセンは競走馬の訓練施設としては最大級かつ最高級の水準にありますが、関西のJRA栗東トレーニングセンターに比べて所属馬の勝利数と獲得賞金が少ないという指摘が昔からあります。関東で行われる競争を予想するときに、関西馬が出場しているかどうかを気にする人もいます。いろいろな原因が考えられますが、有力な原因としては調教コースの坂路コースの問題があげられます。

 美浦トレセンが開場したのが1978年4月、栗東トレセンが開場したのは1969年11月です。関東の競馬場は坂が多く、関西馬は坂に慣れていないという問題がありました。1985年に栗東トレセンに坂路コースが作られると、関西馬の実力が向上し、東京競馬場や中山競馬場で関西馬の活躍が目立つようになりました。美浦トレセンには坂路コースがないため、関西馬と関東馬の実力に差がつき始めました。

 美浦トレセンに坂路コースを設置する場所を確保することは難しく、1993年まで坂路コースが設置されることはありませんでした。新設さらた美浦トレセンの坂路コースは栗東トレセンのものに比べて勾配が小さく、十分に競走馬を訓練することができませんでした。2004年に坂路コースの改修が行われましたが解決には至っていません。美浦トレセンの坂路コースのこれ以上の改善は環境的な要因から困難とされています。そこで、競走馬は栗東トレセンに留学したり、馬主都合で美浦トレセンから栗東トレセンに転厩する事例も少なくありません。

 この問題は関東馬の実力低下だけに止まらず美浦トレセンの存続にも関わることになります。そこでJRAは2018年に美浦トレセンの大規模改修を始めました。改善が難しいと言われていた坂路コースも距離を延長するのと同時に地下を掘り下げることによって高低差を栗東トレセンと同程度にすることになっています。坂路コースの完成は2022年、2026年に全体の工事が完了する予定です。

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2021年1月28日 (木)

行商のおばさん(昭和41年 取手駅)

昭和41年の秋頃に茨城県の取手駅で撮影した写真です。

取手駅前と駅前の商店街
取手駅前と駅前の商店街

 行商のおばさんが大きな荷物を背負って改札口にやってきました。行商はお客さんがいそうな場所まで商品を運んで販売する方法です。市場に出向いたり、住宅街を巡回して、物品やサービスを販売してまわります。このおばさんは、取手からどこへ向かうのでしょうか。都内であることは間違いありません。上野あたりでしょうか。

取手駅の改札口と行商のおばさん
取手駅の改札口と行商のおばさん

 さて、当時の駅ですが、切符の自動販売機もなければ、改札も自動なはずもありません。窓口で買った切符を、切符切りの駅員さんが改札鋏で改札します。混んでいる駅では改札鋏をリズムのようにカチャカチャと音を鳴らしながら流れるように改札していました。

1990 新宿駅JR有人改札

改札口の写真をカラー化してみました。躍動感が出て記憶が蘇るかのようです。

取手駅の改札口と行商のおばさん(カラー化)
取手駅の改札口と行商のおばさん(カラー化)

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