カテゴリー「音楽」の127件の記事

2023年1月24日 (火)

Jeff Beck Crazy Legs - ジェフ・べックのロカビリー

 Jeff Beckというと後年はインストゥルメンツですが、Yardbirdsやその後のJeff Beck Groupを聞くとわかる通りもともとJeff Beckはロカビリー、ロックンロールが大好きだったようでずいぶん影響を受けています。

The Yardbirds(1966. 左から Jeff Beck, Jimmy Page, Chris Dreja, Keith Relf, and Jim McCarty.)
The Yardbirds(1966. 左から Jeff Beck, Jimmy Page, Chris Dreja, Keith Relf, and Jim McCarty.)

 Jeff Beckは12歳の頃にギターを手にしました。このギターは弦が3本しか張られていませんでしたが、満足できなかったJeff Beckはベニア板を使ってギターを自作しました。両親はJeff Beckがギターを弾くことに反対していました。たびたびJeff Beckが作ったギターを捨てていたようですが、ギターが大好きだったJeff Beckはめげずにギターの練習をしました。

 そんあJeff Beckが大好きだったのはGene Vincent and THE BLUE CAPS、特に初代のギタリストCliff Gallupは神様のような存在だったようです。

Gene Vincent and His Blue Caps feat. Cliff Gallup LIVE be-bop-a-lula 1956

 このアルバムはJeff BeckがCliff Gallupに捧げるとして1993年にリリースしたトリビュート・アルバムです。Jeff BeckがCliff Gallupのロカビリーをコピーしています。バックバンドはBIG TOWN PLAYBOYSです。いつもと違うJeff Beckの演奏ですが、このアルバムを聴けば、彼の原点はここにあるということがわかるでしょう。

1. Race With The Devil 
2. Crusin' 
3. Crazy Legs 
4. Doble Talking' Baby 
5. Woman Love 
6. Lotta Lovin' 
7. Catman 
8. Pink Thunderbrid 
9. Baby Blue 
10. You Better Believe 
11. Who Slapped John? 
12. Say Mama 
13. Red Blue Jeans And A Pony Tail 
14. Five Feet Of Lovin 
15. B-I-Bickey-Bi-Bo-BO-Go 
16. Blues Stay Away From Me 
17. Pretty Pretty Bady 
18. Hold Me, Hug Me' Rock Me 

 

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2023年1月19日 (木)

ザ・ベストテン放送開始(1978年1月19日)

 「ザ・ベストテン」は昭和53年(1978年)1月19日にTBSで放送が開始された歌番組です。毎週木曜日午後9時から生放送で放送されました。

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 この時代は歌謡曲が隆盛で各放送局で多くの歌番組が放送されていました。しかし、歌手が出演して歌うだけの番組はマンネリ化していました。そこでトークショーやコントなどを組み入れた歌番組が企画されるようになりました。

 TBSでは昭和51年(1976年10月)から「トップスターショー・歌ある限り」が放送されていましたが視聴率がふるわず、それまでとは違う新しい音楽番組を企画することになりました。そこで出てきたアイデアが人気曲を第10位から第1位まで順次発表し歌手が登場して歌うベストテン形式の番組とするものでした。この企画はすぐに了承され制作の準備が始まりました。

 当時の日本の音楽は従来の歌謡曲の他にニューミュージックが台頭し始めた頃でした。この分野のミュージシャンはテレビに出演しないことが多いことから、そのままベストテンを発表すると歌手が登場せず番組が成り立たなくなることが危惧されました。そこでベテランスタッフたちが番組が独自に選んだベストテンを発表することを提案しましたが、若手スタッフたちはありのままのベストテンを発表することを提案しました。両者の意見は対立し折り合いがつかなくなりましたが、最終的には若手スタッフの意見が取り入れられることになりました。

 昭和52年(1977年)12月27日、「トップスターショー・歌ある限り」の最終回が放送され「第19回日本レコード大賞」でノミネートされた10組の歌手が出演しました。この番組の司会を務めていたのが俳優の二谷英明さんと当時TBSアナウンサーの久米宏さんでした。

 番組の終わりに二谷さんか番組の放送終了が告知されると、後番組「ザ・ベストテン」の司会者の黒柳徹子さんが登場し新番組の案内を行いました。また久米宏さんは「ザ・ベストテン」にも引き続き出演し司会を務めることになりました。2人は同年12月31日に放送された「第19回日本レコード大賞」で司会を務めています。

 「ザ・ベストテン」は当時の人気曲をほぼそのまま発表していたためベテランスタッフが危惧していた通りニューミュージックのミュージシャンが出場辞退をする事例が多々ありました。その分、当時のアイドル歌手のトークやスタジオ演出に時間をかけることができたり、アイドル歌手が移動中の新幹線のホームなどからテレビ中継で出演して歌うなどの斬新な企画が盛り込まれました。

 こうして「ザ・ベストテン」は当時を代表する定番の音楽番組となりました。多くの人が木曜日の午後9時にテレビの前で「ザ・ベストテン」を楽しみました。「ザ・ベストテン」を見てるだけで日本で流行している歌がわかり、そして様々な演出やハプニングが楽しみとなり、金曜日には「昨日のザ・ベストテン見た?」と話題に出るほど人気だったのです。

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セシルチョコレートの写真|昭和の風景

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2022年12月29日 (木)

シャンソンの日(1990年12月29日)

 フランス語のシャンソン(chanson)の意味は「歌」です。ですからフランスでシャンソンと言えば特定のジャンルの歌ではありません。一方、フランス語圏以外の国ではシャンソンと言えばフランス語の歌のことです。フランス語の歌をその国の言語に翻訳したもののシャンソンと呼ばれます。いずれにしても特定のジャンルの歌ではありません。

 日本においてシャンソンと言えば1960年代の初め頃までに流行したフランスの歌謡曲のことです。日本語に翻訳された歌を日本人歌手が歌ったシャンソンも流行しました。1960年代の半ばからフランス人歌手のシルヴィ・バルタンの曲が流行しましたが、これはフレンチ・ポップスと呼ばれシャンソンとは呼ばれませんでした。ですから日本でシャンソンと言えばかつてある時代に流行したフランスの歌謡曲と考えて良いでしょう。

 さて12月29日は「シャンソンの日」とされています。銀座7丁目の老舗シャンソン喫茶「銀巴里」が1990年12月29日に閉店したことに由来します。「銀巴里」は1951年に開店し、1954年から美輪明宏さんや戸川昌子さんなどが出演されました。その後はオーディションで出演者が決められ多くのシャンソン歌手を生み出しました。また演出には三島由紀夫さん、なかにし礼さん、寺山修司さん、吉行淳之介さんが尽力されたそうです。

銀巴里(銀座7丁目)
銀巴里(銀座7丁目)

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バルタンが唄うレナウン娘

ビヤホールの日(1989年8月4日)

銀座西五番街の帽子屋さん(銀座ボーグ)(昭和37年頃)

銀座四丁目交差点 三愛ビルと和光本館と東京タワー 昭和38年 (1963年)以前

北海道新聞社銀座ビル(旧東京支社)昭和39年

ソニー水族館(Sony Aquarium)昭和41年(1966年)

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2022年12月17日 (土)

シューベルトの交響曲第7番「未完成」の初演(1865年12月17日)

 オーストラリアの作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの交響曲第7番。この番号は当初はシューベルトが作曲した順番に付けられていましたが、この番号付けは完成時期の解釈などによって度々変更されています。交響曲第7番も過去を番号付けを振り返ると3曲あります。

 しかし現在において交響曲第7番と言えばかつては第8番とされていた「未完成交響曲」ロ短調 D 759です。「未完成交響曲」はシューベルトが1882年に作曲した交響曲です。単に「未完成」とも呼ばれるこの交響曲はタイトルが示す通り未完成ですが、ベートーヴェンの「運命」と並ぶ人気の作品で古くから大衆に親しまれています。

 シューベルトがこの曲を作曲したのは25歳にしてグラーツ楽友協会から授与された名誉ディプロマへの返礼としてでした。シューベルトは出来上がった第1楽章と第2楽章を送りましたが、残りの楽章は送らず次の作品の作曲を手がけました。そしてシューベルトは1828年に帰らぬ人となりロ短調 D759は未完となったのです。

シューベルトと第3楽章冒頭の自筆総譜
シューベルトと第3楽章冒頭の自筆総譜

 この2楽章が出版されたのはシューベルト没後数十年後でした。初演は1965年12月17日にウィーンで行われました。このときこの曲がなぜ未完になったのか話題になりましたがその理由を解明できるような証拠は見つかりませんでした。第3楽章についてはスケッチのみが見つかっていますが、最初の2楽章に比べると完成度は高くありませんでした。そうしたことからシューベルトは最初の2楽章の完成度の高さから未完とした、あるいは第3楽章と第4楽章も作曲していたが楽譜が散逸したなどの説があります。もっともシューベルトの楽曲には未完成のものも多くく、そのような中でこの「未完成」の完成度が高かっただけで驚くことではないという主張もあります。

 後に「未完成」には第三者により第3楽章と第4楽章が補筆されていますが賛否両論のようです。

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2022年12月14日 (水)

アニキ初のアニメソング「原始少年リュウが行く」

 「原始少年リュウが行く」は1971年10月30日から1972年3月25日までTBS系列で放映された東映動画制作のテレビアニメ「原始少年リュウ」のOP主題歌です。作詞は石ノ森章太郎先生が手がけ、作曲は大塩潤こと渡辺岳夫先生が手がけました。 

 「原始少年リュウが行く」を歌ったのはアニメソング界帝王と呼ばれた我らがアニキ(ANIKI)こと水木一郎さんです。アニキは昭和43年(1968年)にレコードデビューを果たしました。5枚のシングルを発売しましたが残念ながら歌謡曲歌手としては成功しませんでした。1971年には作曲家に転身することを考えていましたが、そのときに仮面ライダーの音楽制作に関わり、アニメソングの女王こと歌手の堀江美都子さんの担当をしていた日本コロンビアの木村英俊プロデューサーの勧めで「原始少年リュウが行く」を歌うことにななったのです。

 「原始少年リュウが行く」はアニキにとって6枚目のシングルで初めて歌ったアニメソングです。このシングルには堀江美都子さんが歌うEDテーマ「ランのうた」が収録されました。

〇「原始少年リュウが行く」

歌:水木一郎
作詞:石森章太郎 / 作曲:大塩潤 / 編曲:高原哲

〇「ランのうた」

歌:堀江美都子
作詞:石森章太郎 / 作曲:大塩潤 / 編曲:高原哲

 次のレコードは当時よく販売されていたオムニバス版の「原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎」のレコードです。シングルですが33回転で片面に「原始少年リュウが行く」「ランのうた」の2曲が収録されています。もう片面は「ゲゲゲの鬼太郎」「カランコロンの歌」が収録されています。

原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎
原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎

 アニキが原始少年リュウの主題歌を手がけてから多くのアニメソングを歌唱するようになりました。「超人バロム1」「変身忍者 嵐」「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「バビル2世」「ロボット刑事」「仮面ライダーX」「仮面ライダーストロンガー」「がんばれ!!ロボコン」「宇宙の騎士テッカマン」など数多くの特撮・アニメソングを歌いアニメソング界帝王として不動の地位を築いたのです。

 水木一郎さんがアニキと呼ばれるのはNHKの「おかあさんといっしょ」の初代うたのおにいさんである田中星児さんの後を継いで1976年4月から1979年3月まで2代目うたのおにいさんとして活躍したからです。アニキは当時の子どもたちにとって身近な存在だったのです。

 ありがとうアニキ!アニキは我々にとって永遠の存在、永遠のヒーローです!

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2022年12月 2日 (金)

【おもしろ映像】ラジコンカーでマリオ・ブラザーズ

 長い直線コースにボトルを並べてラジコンカーを走らせます。

 水が適量入ったボトルが適度な間隔で並べられています。

 ラジコンカーには棒が取り付けられいます。ラジコンカーが走り出してカンカンカンと音を鳴らすと・・・

 なんとマリオが現れました。

マリオ
マリオ

 マリオが現れる映像をお楽しみください。

Mario Theme song with bottles

リモートコンロオールカー マリオカート(マリオ)


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2022年10月11日 (火)

「リンゴの唄」の日(1945年10月11日)

 第二次世界大戦後、日本が連合国の占領下になるとGHQは連合国軍や米国への批判を禁止し民間への情報統制を開始しました。1945年9月22日に民間情報教育局(CIE:Civil Information and Educational Section )が設置されました。CIEは教育と文化に関する広範囲にわたる施策を担当し、国内で発信される情報について検閲を行いました。たとえば歌舞伎など日本の伝統的な文化系術は国粋主義的として抑圧されました。音楽については戦時中に禁止されていた欧米の音楽やジャズなどが持ちこまれ流行しました。

 このような状況の時世において映画業界においても新しい映画の企画が進められていました。松竹は1945年8月の終戦直前に空襲の恐怖を忘れることができるような明るい映画の制作を企画していましたがこれを新しい企画として再立ち上げすることにしました。脚本は戦中に戦意高揚映画として企画された岩沢庸徳の「百万人の合唱」を元にしました。そして1945年10月11日に戦後初めて企画された映画「そよかぜ」が封切りしました。この映画の中で主役の並木路子が歌う挿入歌「リンゴの唄」が大ヒットし戦後を象徴とする歌謡曲となりました。「リンゴの唄」のレコードが発売されたのは1946年1月です。

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 「リンゴの唄」は作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正が担当しました。早撮りで有名だった佐々木康監督が「そよかぜ」の撮影を早々に終わらせてしまったため曲が間に合いませんでした。そのため並木路子は撮影中に本来は「リンゴの唄」を歌うシーンで「丘を越えて」を歌い、アフレコで「リンゴの唄」を改めて吹き込みました。

 映画「そよかぜ」はCIEによって検閲された上で上映された初めての映画とされていますが、当時の関係者の証言では検閲を受けていないとう証言もあります。

リンゴの唄 - 並木路子、霧島 昇 (1946)

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2022年10月10日 (月)

【面白映像】ワンコインで始まる驚愕のストリートオーケストラ

 街角にコントラバスを持って静止したストリートミュージシャン。

 どんなパーフォーマンスをするのかと思って1人の少女が帽子にコインを入れます。

ワンコインを入れる少女
ワンコインを入れる少女

 コインをもらってさっそくコントラバスを奏で始めるストリートミュージシャン。すると少女やまわりで見ている人たちの前で驚愕のパーフォーマンスが始まります。たった1人のコントランバスがやがて・・・・

 大喜びの子どもから大人。いったいこの何気ない普段の街角がどう変貌したのかは次の影像をご覧下さい。

Best coin ever spent

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2022年10月 3日 (月)

「スター誕生!」放送開始(1971年10月3日)

 歌謡曲が流行し次々と新人歌手がデビューする昭和40年代。昭和46年(1971年)10月3日に始まったのが日本テレビの視聴者参加型のオーディション番組「スター誕生!」でした。

 「スター誕生!」と言うと司会の萩本欽一さんを真っ先に思い出しますが、このテレビ番組を企画したのは審査員を務めていた作詞家の阿久悠さんで、テレビからスターを生み出したいと考えていた日本テレビで放送が始まりました。チーフプロデューサーの池田文雄さんが番組名を「スター誕生!」と名付けそれまでにないオーディション番組とすることになりました。そのような背景もあり放送時間は日曜日午前11時に設定されました。

スター誕生!
スター誕生!

 番組の司会者は欽ちゃんこと萩本欽一さん。最初は司会に難色を示したそうですがスタッフに説得されて引き受けたそうです。さて番組が始まると欽ちゃんが観客から現れ「おはよう」の挨拶の一声をあげます。観客が「おはよう」と応じて欽ちゃんが舞台にあがります。テレビの放送では予選の回と決勝の回があります。

 予選の回では予選会の合格者が曲を歌います。歌い終わるとまず会場の一般審査員が審査を行います。一般審査員の審査は500点満点です。次に5人のプロ審査員が審査を行います。プロ審査委員の1人あたり持ち点は100点です。一般審査員とプロ審査員の合計で1000点が満点で規定の点数(250点のちに300点)以上になると合格となります。挑戦者全員に副賞が渡され、合格者にはブレザーがかけられ奨学金が渡されます。プロ審査員のコメントは辛口のことも多く欽ちゃんは挑戦者をよくフォローしていました。予選の回が最後は合格者がいた場合はバンザイで締めくくられましたが、合格者がいなかった場合は欽ちゃんが「バンザーイ、なしよ!」と締めくくりました。 

 決勝の回は数ヶ月に1回行われます。決勝の回にはいつものプロ審査員の他に芸能プロダクションとレコード会社のスカウトマンが審査にあたります。予選合格者が歌うとプロ審査員がコメントし、スカウトマンが質問をします。すべての合格者が歌い終わると1人ずつ最終結果が発表されます。スカウトマンが会社の名前を書いたプラカードを掲げたら合格となり歌手の道を進むことになります。

 すべての挑戦者の歌が終了すると審査が行われますがその前には「欽ちゃんと遊ぼう」というコーナーがあり、いろいろなゲーム遊びが行われました。このコーナーは欽ちゃんの発案で始まったそうですがとても面白かったです。クロベエこと黒部幸英さん、西山浩司さんがチャンピオンとなり素人がテレビ番組からお笑いの世界に入る先駆けにもなりました。

 「スター誕生!」は最初は応募者ものど自慢的な感じだったようです。本当にスターを生み出すことができることを証明したのは1972年にこの番組から初めてデビューを果たした森昌子さんでした。森昌子さんのデビューで本格的に歌手をめざす挑戦者が増えました。

 1973年には桜田淳子さん、山口百恵さん、城みちるさん、1974年には伊藤咲子さん、1975年には片平なぎささん、岩崎宏美さん、1976年には新沼謙治さん、ピンクレディーなど、その後も石野真子さん、柏原芳恵さん、小泉今日子さん、中森明菜さんなどたくさんの歌手を生み出しました。昭和の歌謡界を支えた番組と言っても良いでしょう。

 やがてプロダクションが個別にオーディションを行うようになると挑戦者も少なくなり「スター誕生!」は1983年9月25日に12年間にわたる役目を終えたのです。

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2022年9月28日 (水)

英国「国王陛下万歳」初公開(1745年9月28日)

 「神よ国王を守り給え(God Save the King/Queen)とも呼ばれる「国王陛下万歳」は英連邦王国とイギリス王室属領の賛歌です。英国においては法的には国家として定められていませんが、一般にはこの曲が国家とされています。

 イギリスの君主は国王もしくは女王ですので「国王陛下万歳」の詩は国王か女王で変わります。国王のときは「God Save the King」となり「his/him」が使われます。女王のときは「God Save the Qeeng」となり「her/her」が使われます。一方、旋律は国王か女王で変化することはありません。

エリザベス2世(1944年)
エリザベス2世(1944年5月)

 「国王陛下万歳」の作者は不明ですが曲調はルネサンス時代にヨーロッパで流行した舞曲ガリヤルドに似ていると言われています。またイギリスの作曲家でオルガン建造家のジョン・ブルの鍵盤楽曲に似ているという指摘もあります。イギリスの作曲家ヘンリー・パーセルの作品の冒頭に似ており歌詞には「God Save the King」が存在するという指摘もあります。1611年にトマス・レイヴンズクロフトによって作曲されたスコットランドの賛美歌「Remember, O Thou Man」が元になっているという説もあります。

Remember O thou Man

 

 「国王陛下万歳」はチャールズ2世が国王だった1744年に「Thesaurus Musicus(1994年)」に掲載されたものが初版とされています。 翌年に起こった「1745年のジャコバイト蜂起」のときにイギリスの作曲家トマス・アーンが君主と国家の平穏を願いこの曲を編曲し「神よ、国王陛下を護り給え」を仕上げ、1745年9月28日にロンドンのドゥルーリー・レーン劇場で初めて歌唱されました。

 最後にエリザベス2世のご冥福をお祈りし「女王陛下万歳」で本記事を終わります。

イギリス 国歌「女王陛下万歳」(神よ女王陛下を守り給え)(God save the Queen)日本語訳/National Anthem of the United Kingdom

 

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ロンドンの時計塔ビッグベンの名前がエリザベス塔に変更

ロンドンのペリカンおじさん


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