カテゴリー「音楽」の118件の記事

2022年5月 7日 (土)

セシルチョコレートの写真

 HDDの写真を整理していたら、グリコのセシルチョコレートの写真が出てきました。2008年に復刻発売されたものと思います。撮影日は2010年になっていましたが今も売っているのかどうかはわかりません。

 セシルチョコレートが発売されたのは1974年です。白い箱のと赤い箱のがあったように思います。

セシルチョコレート(ミルク)
セシルチョコレート(ミルク)

 三浦友和さんと山口百恵さんのCMをよく覚えています。

1977年 グリコセシールチョコレート CM 山口百恵 三浦友和

GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション

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2022年3月11日 (金)

【おもしろ映像】STARWARS 強い者に巻かれるオーケストラ

 オーケストラがダースベイダーのテーマとして知られる「帝国のマーチ(The Imperial March)」を演奏しています。そこに予想通りに現れるストームトルーパー。指揮者は調子良く指揮棒を振り続けます。

 そこに舞台の袖から現れたのがダースベイダーです。真っ赤なライトセイバーを振りかざしながらやって来ます。そして左手を指揮者に向けて掲げフォースをかけます。指揮者は催眠術にかかったかのようにふらふらと舞台の袖へと消えて行きます。

ダース・ベイダー(帝国の逆襲)
ダース・ベイダー(帝国の逆襲)

 さぁダースベイダーのやりたい放題の世界です。ベイダーはライトセイバーを指揮棒にして観客席に向かって指揮者の真似をし始めます・ずいぶん気分が良さそうです。なんだ途中でライトセイバーをギターにしている。手が焼ききれるぞ!でも観客は盛り上がっている。すっかり観客を魅了しホールを支配したダースベイダー。しかしベイダーにとって天下の楽しい時間はそう長くは続かなかったのである。

 部隊の袖に現れたのはなんとダース・シディアスこと皇帝パルパティーンです。皇帝の登場に気が付かず調子こいて指揮を続けるベイダー。皇帝はベイダーの背中をつんつんして「ベイダー、わしなんだが」と声をかける。ベイダーはびっくり。皇帝には頭があがらないベイダーはすごすごと舞台の袖に消えていきます。

 そう帝国のマーチはベイダーのマーチではないのだ。わしのマーチだと言わんばかりにオーケストラの指揮を続ける皇帝。帝国のマーチが終演し皇帝が正体を明かします。

 なんと!皇帝の正体は最初にベイダーに蹴散らされた指揮者だったのです。

Vader and The Florida Orchestra

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2022年2月26日 (土)

あゝやんなっちゃった♪

 1960年代、TVでよく流れていたのは牧伸二さんの「あゝやんなっちゃった 」。当時の子どもたちは歌詞の意味もわからず「あゝやんなっちゃった 」と歌うのでした。ある日、お爺さんの家に遊びに行ったらお兄ちゃん(叔父さん)がウクレレを買っているではないですか。ウクレレを手にして大喜び。適当に弦をはじきならがら歌い出したのはやっぱり「あゝやんなっちゃった 」で牧伸二さんのものまねなのでした。周りの大人達は大受けしたのです。ちょっと!左手は勢いよく弦を弾いているけど右手は弦を押さえてませんぞ。

牧伸二さん「あゝやんなっちゃった 」を歌う子ども
牧伸二さん「あゝやんなっちゃった 」を歌う子ども

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2022年2月10日 (木)

ヴァン・ヘイレン「炎の導火線」をリリース(1978年2月10日)

 ヴァン・ヘイレンは1978年1月にキンクスのカヴァー曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」でデビューしました。無名時代のヴァン・ヘイレンの才能を早くから認めたのはKISSのジーン・シモンズでした。ジーン・シモンズは1976年にヴァン・ヘイレンに資金援助し、デモ・テープの作成やプロデューサーの紹介などのサポートしています。

 「ユー・リアリー・ガット・ミー」でエドワード・ヴァン・ヘイレンのギターは炸裂していますが、自分が度肝を抜かれたのがデビュー1ヶ月後の1978年2月10日にリリースされた「炎の導火線(現代:Van Halen)」でした。

炎の導火線(現代:Van Halen)
炎の導火線(原題:Van Halen)

 このルバムが出たのは高校に進学する前だったと思います。当時はMTVもまだなく、海外の音楽情報はラジオや雑誌や仲間同士の口コミやいきつけのレコード屋さんです。「炎の導火線」はロック好きの同級生に教えてもらいました。その後、レコード屋さんのお兄さんに試聴聞させてもらったのですが、残念ながらレコード買うお小遣いなし。すぐには購入できませんでしたが高校に入学した後に買いました。

 当時、家にはパイオニアのプロジェクトA5というステレオがありました。音を前後から聞こえるようにするため、スピーカーを4本ほど取り付けていました。ボリュームを上げて、入手した「炎の導火線」をさっそくプレーヤーのターンテーブルに置き、スタートボタンを押しました。プレーヤーのアームがすーっと動き出し、レコードに針が落ちます。

 「悪魔のハイウェイ(Runnin' with the Devil )」がかかり、さらにボリュームをあげます。そして、かかったの「暗闇の爆撃(Eruption) 」です。今まで聞いたことがないようなエドワードのライトハンドのギターの音響でちびりそうになりました。

 歴史に残る名曲が収録されていますが、自分はブルースのジョン・ブリムのカヴァー曲の「アイス・クリーム・マン(Ice Cream Man )」を今でも良く聞いています。ブルース調で奏でるアコースティックギターから一転してエドワードのギターが炸裂します。 

炎の導火線

01. 悪魔のハイウェイ(Runnin' with the Devil)
02. 暗闇の爆撃(Eruption)
03. ユー・リアリー・ガット・ミー (You Really Got Me)
04. 叶わぬ賭け(Ain't Talkin' 'bout Love)
05. アイム・ザ・ワン (I'm the One)
06. ジェイミーの涙 (Jamie's Cryin')
07. アトミック・パンク (Atomic Punk)
08. おまえは最高(Feel Your Love Tonight)
09. リトル・ドリーマー(Little Dreamer)
10. アイス・クリーム・マン(Ice Cream Man)
11.炎の叫び(On Fire)

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2022年2月 8日 (火)

ロカビリーの日(1958年2月8日)

 昭和33年(1958年)2月8日(土)、東宝が有楽町の日本劇場で第1回日劇ウエスタンカーニバルを開催しました。この催しは1週間に渡り開催され初日9,500人のべ45,000人の来場を記録し大成功を収めました。

 ウエスタンカーニバルは元々は1954年から有楽町の東京ヴィデオ・ホールで行われていましたがやがて会場が多くのファンで埋め尽くされるほど大盛況となりました。各バンドのメンバーは仕事やアルバイトをしながら音楽活動を行っていました。

 1955年1月に渡辺プロダクションを夫の渡辺晋社長と設立した渡辺美佐副社長は当時流行していたジャズに対して次世代に流行する音楽は何か探していました。このとき出会ったのが東京ヴィデオ・ホールのウエスタンカーニバルで演奏されていたロカビリーでした。渡辺美佐副社長は閑散期の2月に大きな劇場にウエスタンバンドを集めてウェスタンカーニバルを行う企画を思い立ちました。これを浅草の国際劇場に提案しましたが無名のバンドを集めても観客が来ないだろうという理由で断られてしまいます。続いて日劇レビューの演出を担当していた山本紫朗プロデューサーと一緒に東宝が運営する日本劇場に提案したところ最初は懐疑的だったものの2月の閑散期の開催ならばということで承諾を取り付けることができました。

日本劇場(1950年代)
日本劇場(1950年代)

 同じ頃、東京ヴィデオ・ホールのウエスタンカーニバルを実質的に運営し後に掘プロダクションの社長となるロカビリーバンド「スウィング・ウエスト」の堀威夫リーダーはもっと大きな劇場でウエスタンカーニバルをやりたいと考えていました。しかし、劇場に話をするつてもなく知人の渡辺晋社長に相談したところ渡辺美佐副社長を紹介されました。そして渡辺美佐副社長、山本紫朗プロデューサー、堀威夫リーダーの3人は第1回日劇ウエスタンカーニバルの開催に向けて準備を進めることになったのです。

 第1回日劇ウエスタンカーニバルはロカビリー三人男の平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスらも登場し大成功を収めまたことで定期的に開催されることになりました。5月26日から2回目が開催され水原弘、井上ひろし、かまやつひろしの三人ひろしが登場しますます人気が高まりました。こうしてロカビリーは渡辺美佐副社長が考えていたとおり次世代に流行する音楽となったのです。そして1960年代後半にはグループ・サウンズが台頭し大流行したのです。

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2022年1月25日 (火)

結婚式の定番曲の由来(1858年1月25日)

 結婚式で流れる定番の曲と言えばドイツのフェリックス・メンデルスゾーンの「結婚行進曲(独:Hochzeitsmarsch、英:Wedding March)」と同じくドイツのリヒャルト・ワーグナーの「婚礼の合唱(独:Treulich geführt、英:Bridal Chorus)」です。

 「結婚行進曲」はメンデルスゾーンが1842年に作曲した「夏の夜の夢」の劇付随音楽(作品61)の一曲です。1847年にイングランドのデヴォン州のセント・ピーター教会で行われた結婚式で演奏されたという記憶が残っていますが、このときは世界的に広まることはありませんでした。

 「婚礼の合唱」はワーグナーが1850年に作曲したオペラ「ローエングリン」の一曲です。この曲はオペラ劇中で結婚式の後に披露宴の女性たちがヒロインに付き添って花嫁の部屋まで行くときに歌われる合唱曲です。キリスト教会ではこの曲が演劇的な作品であるという理由から使用を禁止しているところもあります。

 どちらの曲も結婚式に関するものですが結婚式の定番曲と言えるほどのものではありませんでした。この2つの曲が結婚式で演奏される人気の曲となったのは1958年以降です。1958年1月25日、プロセイン王国の皇太子フリードリヒ3世とイギリスの王女ヴィクトリアの結婚式でこの2曲が演奏されたことがきっかけとなり結婚式の定番曲となったのです。

「王女ヴィクトリアの結婚 1858年1月25日」John Phillip作
「王女ヴィクトリアの結婚 1858年1月25日」John Phillip作

「結婚行進曲」と「婚礼の合唱」
 

 

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2021年8月31日 (火)

ラデツキー行進曲の初演(1848年8月31日)

 ラデツキー行進曲は「ワルツの王」「ワルツの父」と呼ばれたオーストリアのヨハン・シュトラウス1世が作曲した行進曲です。ヨハンの最高傑作と言われ、たいへんに人気のある楽曲です。

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでは恒例のアンコールの最後の曲として演奏され、オーケストラの演奏に観客の拍手が加わって会場が一体化して盛り上がります。テレビやインターネットなどで見ることもできますので、クラシックをあまり聞かない人でも耳にしたことがあるのではないかと思います。

 ワルツの作曲で有名だったヨハンが行進曲を作曲することになったのは1848年のフランス革命(2月革命)が関係しています。この革命で国王ルイ・フィリップ1世が退位することになり、これを機会に革命運動がヨーロッパ中に広がり、オーストリアにも波及しました。

 この頃、ヨハン・シュトラウス1世はオーストリア皇帝フェルディナント1世に自らが提案した称号の宮廷舞踏会音楽監督を務めていましたが、オーストリア宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒの自由主義を抑圧する政治に反対の姿勢をとっていました。そのような中で、ヨハンは自由主義を支援する「学生軍団行進曲」や「自由行進曲」など行進曲の作曲を手がけるようになりました。

 革命運動は勢いを増していきましたが、やがて君主制の打倒を主張する勢力が中心となりました。多くの人々は自由主義的な政治を望んでいましたが、君主を倒すことまでは考えていませんでした。そして、革命運動の内容を根底から覆す事件が起きました。労働者たちが陸軍省に押し寄せて、陸軍大臣テオドール・ラトゥールを殺害し吊るし首にしたのです。これを機会に自由主義を政府に求めていた多くの人々が政府側につくことになりました。そして、ヨハンも多くの人々と同様に政府側を支援することになりました。

 革命運動はオーストリア領の北イタリアにも波及し、激しい闘争が展開されていました。これを1848年7月に鎮圧したのがオーストリアのヨーゼフ・ラデツキー将軍です。同年8月31日にこの戦いの勝利の感謝祭が行われることになり、ヨハンは感謝祭のための楽曲の制作を依頼されました。ヨハンは2時間ほどでラデツキー行進曲を作りあが1948年8月31日に披露されました。

ヨハン・シュトラウス1世(左)とヨーゼフ・ラデスキー将軍(右)
ヨハン・シュトラウス1世(左)とヨーゼフ・ラデスキー将軍(右)

 ラデツキー行進曲は政府軍の士気を大いに高め、その後の戦いでも勝利をもたらしました。ヨハンは君主制を支持者とされ、とくに革命運動を進めていた人々からは裏切り者と呼ばれるようになりました。しかし、多くの人々はヨハンがウィーンを革命から救ったと評価しました。ラデツキー行進曲はオーストリアの愛国の曲とされ、ワルツ王ヨハンの代表曲となったのです。

 小澤 & ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート 2002 <DVD>

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【記事訂正】

・オーストリアとするべきところがオーストラリアとなっていたため修正しました。

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2021年8月20日 (金)

コロナ禍でみんな頑張れ!TIF de Debut2021開催中

 新アイドルグループ結成オーディションの「TIF de Debut2021」が開催中です。

 TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)は2010年に始まった日本で最大規模の女性アイドルグループを中心とした音楽イベントで、TIF de Debut2021はそのTIFのステージでデビューが決まっている新しいアイドルグルーブのオーディションです。今回のオーディションで結成されるグループのサウンドプロデューサーは「HoneyWorks」です。

 現在のところ4次審査のSHOWROOM審査(2021/07/27-08/29)が行われています。知り合いから教えてもらってSHOWROOMのアプリでライブを見てみたのですが、どのライブも大変な盛り上がりようで、たくさんのサポーターがお気に入りの子を応援しています。この中から5〜7名が選ばれて新アイドルグループが結成となるようです。競争も激しそうです。

 自分が最初に見たライブは「エントリーNo.490あさひりい子」さん(twitter @asahi_riiko)。実はアプリの使い方がわからかったところ、いろいろ丁寧に教えてくれました。

Photo_20210819135601

 4次審査が終了すると次は合宿審査(2021/09/03〜05)になるようです。あさひりい子さんの現在の順位は16位ぐらいで厳し状況のようですが最後まで諦めずに頑張りたいとのことでした。

 コロナ禍でいろいろと活動制限があると思いますが、参加者全員が目標に向かって歩んでいます。

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2021年8月 9日 (月)

白鳥の湖の日本初演(1946年8月9日)

 「白鳥の湖」はロシアのピョートル・チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽です。1875年の春にボリショイ劇場から作曲を依頼され、翌年1876年の春に完成させました。初演は1877年3月4日にボリショイ劇場で行われましたが、1883年1月の41回目の上演を最後に打ち切られました。その後、しばらくの間は本格的な上演が行われることはありませんでした(ココログ 夜明け前「バレエ組曲「白鳥の湖」の初演(1877年3月4日 )」)。

 「白鳥の湖」が再び脚光を浴びるようになったのは1895年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で行われた蘇演でした。この「白鳥の湖」はプティパ=イワノフ版と呼ばれ、振付師のマリウス・プティパとレフ・イワノフが台本と振り付けを手がけたものです。この蘇演で台本、振付、音楽が大幅に改訂されました。その後も改訂版が創作されていますが、現在上演されている「白鳥の湖」の多くはプティパ=イワノフ版が元になっています。

 「白鳥の湖」は蘇演から多くの国で上演されるようになりましたが、日本で全幕が初演されたのはチャイコフスキーが作曲を完成してから70年後の1946年のことでした。日本におけるバレエの初演は帝国劇場の完成がきっかけとなりました。1911年に帝国劇場のオープンを記念に「フラワー・バレー(フラワー・ダンス)」が公演されました。翌1912年にロンドン劇場で活躍していたイタリア人舞踏家ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーが来日し、日本でバレエの指導が行われるようになりました。

 ロシアはバレエの本場ですが日露戦争(1904年〜1905年)の影響で日本に初めてロシアのバレエダンサーがやってきたのは1916年のことでした。マリンスキー劇場のダンサー3人が帝国劇場で上演を行いました。この後、ロシアではロシア革命が起こり、ロシアのバレエにも影響が及びます。1919年7月にロシアのバレリーナ、エリアナ・パヴロワはロシアから逃れて日本にやってきました。1927年に鎌倉に日本初のバレエ学校を開校し、多くの日本人にバレエを指導しました。1922年、ロシアを亡命しロンドンで活躍していたバレリーナ、アンナ・パヴロワが来日し、各地でバレエの公演を行いました。このときアンナ・パヴロワが演じた「瀕死の白鳥」が大人気となり、芥川龍之介も「僕は兎に角美しいものをみた」と絶賛しました。こうして本場ロシアのバレエが日本で広まっていったのです。

 第二次世界大戦が始まると多くの文化・芸術活動が影響を受けましたがバレエも例外ではなく活動ができなくなりました。戦争が終わるとダンサーたちバレエ界に舞い戻り、日本のバレエの活動が再開しました。このとき、服部・島田バレイ団の島田廣が日本のバレエ団体が協力し全幕上演を行うべきと考えました。島田の相談を受けた舞踊評論家の蘆原英了が声をかけ、服部・島田バレイ団、東勇作バレエ団、貝谷八百子バレエ団が合同で全幕公演を行うことになりました。

 1946年4月、蘆原を顧問として東京バレエ団が結成され「白鳥の湖」の全幕上演することが決まりました。こととき蘆原は上海で活躍していた小牧正英を紹介します。小牧正英は少年時代にアンナ・パヴロワの公演を見てバレエダンサーになることを決意し、中国ハルビンのバレエ学校に留学し、その後実力を認められハルビンや上海で活躍していたバレエダンサーでした。経験豊富な小牧が「白鳥の湖」の演出と振付を担当することになりました。

 戦後の混乱の中で「白鳥の湖」の全幕上演を行うことはたいへんだったようです。東宝がバレエ団のスポンサーとなりましたが、男性のダンサーが島田、東、小牧を加えて6人しか集まりませんでした。そのような状況ですから女性ダンサーが男性のパートも踊りました。また、男性エキストラには大学の演劇部の学生たちを出演させました。この中にはフランキー堺もいたようです。また、タイツやバレエシューズも不足し、男性は水泳パンツ、女性もタイツの代わりに男性用ももひきを使うこともあったようです。トウシューズも練習用のズック製バレエ靴を利用するダンサーもいたそうです。

 そして1946年8月9日、帝国劇場で東京バレエ団第1回公演「白鳥の湖」の初演が実現したのです。当初、この公演は8月25日までの予定でしたが、大好評となり8月30日まで延長となり21日間に渡って行われました。

東京バレエ団の白鳥の湖(1946年)
東京バレエ団の白鳥の湖(1946年)
ジークフリート役の東勇作とオデット役の松尾暁子

 東京バレエ団の「白鳥の湖」は大成功しましたが、元になったそれぞれのバレエ団体の関係が悪化しました。やがて東京バレエ団の「白鳥の湖」は実態的には小牧正英が1947年に結成した小牧バレエ団の公演となり、東京バレエ団は1950年に解散しました。

 ところで1967年に放映された円谷プロダクション「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のキリヤマ隊長を演じた中山昭二さんが元々ダンサーであったことはファンの間では有名な話ですが、小牧バレエ団のメンバーだったそうです。東京バレエ団としての「白鳥の湖」の舞台にも立っていたのかもしれません。

  

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2021年7月12日 (月)

ローリング・ストーンズ記念日(1962年7月12日)

 1962年7月12日、イギリスのロック・バンドのローリング・ストーンズがロンドンのマーキージャズクラブでデビューしました。

 ローリング・ストーンズは1962年4月に結成され、 7月のデビューのメンバーは、ボーカルのミック・ジャガー、ギタリストのブライアン・ジョーンズとキース・リチャード、ピアニストのイアン・スチュワート、ベイシストのディック・テイラー、ドラマーのミック・エイヴォリーだったようです。ドラマーはトニー・チャップマンという説もあるのですが、キース・リチャードが2010年にミック・エイヴォリー(元キンクス)だったと語っています。

ストーンズのファンサイトの「 It’s Only Rock and Roll によると、1962年のストーンズが演奏したのは次の曲だったとのことです。

  1. Kansas City
  2. Baby What’s Wrong
  3. Confessin’ the Blues
  4. Bright Lights, Big City
  5. Dust My Broom
  6. Down the Road Apiece
  7. I’m a Love You
  8. Bad Boy
  9. I Ain’t Got You
  10. Hush-Hush
  11. Ride ‘Em on Down
  12. Back in the U.S.A.
  13. Kind of Lonesome
  14. Blues Before Sunrise
  15. Big Boss Man
  16. Don’t Stay Out All Night
  17. Tell Me You Love Me
  18. Happy Home

最初の頃はチャック・ベリーのカバー曲なども演奏していました。

The Rolling Stones Johnny B Goode 1962

 次の写真はローリング・ストーンズ1965年の3回目の北米ツアーの広告です。

ローリング・ストーンズ1965年北米ツアーの広告
ローリング・ストーンズ1965年北米ツアーの広告

 下記のアルバムは1981年の北米ツァーを収めたスティル・ライフというアルバムです。ステージ録音とライブではここまで盛り上がり方が違うのかということを実感できます。

  1. A列車で行こう (イントロ)
  2. アンダー・マイ・サム
  3. 夜をぶっとばせ
  4. シャッタード
  5. トゥエンティ・フライト・ロック
  6. ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー
  7. レット・ミー・ゴー
  8. タイム・イズ・オン・マイ・サイド
  9. ジャスト・マイ・イマジネーション
  10. スタート・ミー・アップ
  11. サティスファクション
  12. 星条旗 (アメリカ国歌) (アウトロ)

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