カテゴリー「音楽」の102件の記事

2021年3月 8日 (月)

白鳥の湖とタンチョウの舞

 3月4日の記事「バレエ組曲「白鳥の湖」の初演(1877年3月4日 )」で「白鳥の湖」のダンスを踊る「白鳥」はタンチョウがモデルになっており、ツルのダンスにハクチョウをあわせたのではないかという話を紹介しました。

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タンチョウ

 YouTubeにアップされている「タンチョウの舞」を見ながら「白鳥の湖」を聴くと確かにしっくりします。

サルルンカムイ華麗に舞う【タンチョウ・北海道鶴居村】4K

カラヤン指揮の「白鳥の湖」です。「タンチョウの舞」と同時に再生してみてください。

チャイコフスキー - バレエ組曲《白鳥の湖》 Op.20 カラヤン ベルリンフィル

ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」も「タンチョウの舞」にあっているようにも感じています。

日本的なゆったりとした流れの小澤征爾さん指揮の「美しく青きドナウ」を選んでみました。

シュトラウスⅡ世 美しく青きドナウ  小澤征爾 ウィーン・フィル

タンチョウの舞にはワルツも似合うようです。

個人的には「白鳥の湖」の方が力強くて「タンチョウの舞」にあっているように思います。

いずれにしろ共通の合言葉は「優雅」でしょうか。

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2021年3月 4日 (木)

バレエ組曲「白鳥の湖」の初演(1877年3月4日 )

 「白鳥の湖」は「眠れる森の美女」と「くるみ割り人形」に並ぶピョートル・チャイコフスキー作曲のバレエ組曲です。国立アカデミー・ボリショイ劇場の依頼によってチャイコフスキーが1875年に作曲に着手、1876年に完成させました。

 「白鳥の湖」はチャイコフスキーにとって初めてのバレエ組曲の作曲で、初演は1877年3月4日、ボリショイ劇場バレエ団によって公演されました。現在ではバレエと言えば「白鳥の湖」が定番のように頭に浮かぶ人もたくさんいると思いますが、1877年に行われた初演では高評価を得られず、40回ほど上演されたのちお蔵入りとなりました。

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チャイコフスキーと初演のオデッタ役Anna Sobeşanskaya

 1893年にチャイコフスキーが急死すると、バレエダンサー振付師マリウス・プティパとレフ・イワノフが「白鳥の湖」の振り付けを改めて行い、1895年1月15日にサンクトペテルブルク・マリインスキー劇場バレエ団によって蘇演されました。現在上演されている「白鳥の湖」には演出の異なる様々な版がありますが、どれも初演版ではなくプティパとイワノフの蘇演版が元になっています。日本での初演は1877年の初演から約70年後の1946年8月9日、東京バレエ団が帝国劇場で上演しました。

 ところで、日本の音楽学者の西岡信雄さんは、ハクチョウはダンスを踊らないことから、ダンスを踊る「白鳥」はタンチョウがモデルになっており、ツルのダンスにハクチョウをあわせたのではないかという見解を示しています。実際に「白鳥の湖」のリズムはタンチョウの求愛ダンスによく合うそうです。

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2021年3月 3日 (水)

だんご三兄弟のシングル発売(1999年3月3日)

 NHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」に今月の歌がありますが、 1999年1月に全国の子どもたちを魅了したのが「だんご三兄弟」でした。

 「だんご三兄弟」と言えば、串だんごに刺さった3つの団子が兄弟だったという奇抜な設定ですが、これは「だんご三兄弟」を作詞したメディアクリエーターの佐藤雅彦さんのアイデアです。佐藤雅彦さんの「クリック」(講談社 1998年3月発売)という短編集に「串だんごが兄弟だったら一番上と一番下どちらが長男になるのか」が掲載されています(amazon.co.jp クリック~佐藤雅彦超短編集)。佐藤雅彦さんはピタゴラスイッチやポリンキーなど傑作をたくさん生み出しています。この短編集にはちょっと微笑ましくなるような普段の生活の中からの疑問がたくさん掲載されています。またピタゴラスイッチと言えば内野真澄さんが有名ですが、「だんご三兄弟」にも作曲・アニメ担当として参加しています。

 この奇抜な発想を元にした歌詞に加えて、だんごをタンゴとかけたタンゴ調のメロディは、多くの子どもたちの、いや大人たちまでの多くの人の心をわしづかみにしました。「おかあさんといっしょ」で当時のうたのおにいさんとおねえさんの速水けんたろうと茂森あゆみが歌う「だんご三兄弟」が流れると、NHKには問い合わせの電話が殺到し、「おかあさんといっしょ」のオリジナル曲としては初めてのシングルの発売が決まりました。そして、1999年3月3日にポニー・キャニオンから「だんご三兄弟」のCDシングルが発売されました。

 「だんご三兄弟」は初回80万枚が出荷されましたがすぐに完売となり、発売日から3日目には250万枚を超えるCDが出荷され大ヒットとなりました。1999年オリコン年間チャート1位となり、出荷枚数は350万枚を超え、1990年代(集計期間:1989年12月 - 1999年11月)オリコンシングル売り上げランキング第1位にもなりました。「ひらけ!ポンキッキ」の「およげ!たいやきくん」の売上記録を超えそうな勢いでしたが、記録を破ることはできませんでした(ココログ 夜明け前およげ!たいやきくんのシングル発売(1975年12月25日)」)。

 自分は三十代半ばでしたので、テレビで流れたり、街の中で流れている「だんご三兄弟」を聞くぐらいでしたが、やはり歌詞の発想は面白く、そしてタンゴのノリが心地よかったことを覚えています。カラオケで歌っている大人もたくさんいたように思います。タンゴのノリは楽しくなりますね。「だんご三兄弟」で皆川おさむさんの「黒ネコのタンゴ」がずいぶん流行したことを思い出したのですが、その後、皆川おさむさんが「黒ネコのタンゴ/だんご3兄弟」を歌った両A面のCDを発売し、やっぱりそうだよねと思いました。

 下記のCDはオリジナルの「だんご三兄弟」のシングルCDです。裏面は、なぎら・・・ではなくて「だんご3兄弟(オリジナルカラオケ)」です。「およげ!たいやきくん」と違って、「だんご三兄弟」は歌手の速水けんたろうと茂森あゆみさんには2%の印税を支払う契約になっていたそうです。最初から売れると予測できていたからかでしょうか。

 下記のCDは皆川おさむさんの「黒ネコのタンゴ/だんご3兄弟」のCDです。皆川おさむさんは現在はひばり児童合唱団代表になられています。

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2021年2月15日 (月)

美しく青きドナウの初演日(1867年2月15日)|ドナウ川とは無関係だった

 「美しき青きドナウ(An der schönen, blauen Donau)」はヨハン・シュトラウス2世が1876年に作曲したウインナ・ワルツです。

ヨハン・シュトラウス2世
ヨハン・シュトラウス2世

 1865年、ウィーン男声合唱団はシュトラウス2世に合唱曲の作曲を依頼しました。シュトラウス2世は合唱用ワルツを作曲したことはありませんでしたが、1867年に無伴奏の四部合唱の未完成の状態の曲を合唱団に送りました。その後、ピアノ伴奏部が遅れて送られてきました。

 さっそくアマチュアの詩人ヨーゼフ・ヴァイルによって作詞が行われましたが、作詞が完成したときにシュトラウス2世が5部目のワルツを送ってきました。さらにシュトラウス2世はヴァイルの作詞にいくつかの改定の注文をつけました。ヴァイルはシュトラウス2世の要求に何とか応えながら、1866年の普墺戦争でプロセイン帝国に敗れたオーストリア帝国の国民を元気づけるような歌詞を作詞しました。

 シュトラウス2世とヴァイルによって完成した曲は1867年2月15日にウィーンのディアナザールでの初演を迎えることになりました。ところが、初演の直前まで曲名がつけられていませんでした。ハンガリーの詩人カール・イシドール・ベックの詩「An der Donau」の中の「An der schönen, blauen Donau(美しく青きドナウのほとりで)」が曲名として選ばれました。残念ながら記録が残っていないため、誰が曲名をつけたのかはわかっていませんが、シュトラウス2世の父のヨハン・シュトラウス1世のワルツ「ドナウ川の歌」に似ていたことからこの曲名となったようです。

 「美しく青きドナウ」はまるで計算しつくされてできあがったような完璧とも言えるワルツです。誰もが目をつぶれば美しいドナウ川の情景を想像できるような名曲ですが、実はドナウ川を想像して作曲・作詞された曲ではなかったのです。ですから、ヴァイルの歌詞にはドナウ川が一切登場しませんし、シュトラウス2世は初演の直前になってオーケストラ伴奏を作曲しています。ドナウ川のさざなみを表現したかのような序奏も初演の直前になって追加されたものです。

 さて、よく耳にする「美しく青きドナウ」には合唱が入っていません。実はヴァイルのオーストリア国民を元気づける歌詞が時世や曲名や曲に合わなくなったことから、曲に若干手が加えられて歌詞なしでの演奏が行われるようになりました。これによって歌詞が入った曲が上演されることはなくなりましたが、曲の出来栄えがよくなり、このことが「美しく青きドナウ」を世界中の誰もが知る名曲へと押し上げたのです。

美しく青きドナウの楽譜(シュトラウス2世のサイン入り)
美しく青きドナウの楽譜(シュトラウス2世のサイン入り)

 自分が初めてこの曲を聴いたのは映画「2001年宇宙の旅」のワンシーンでした。真っ暗な宇宙空間にぽっかりと浮かぶ宇宙ステーション。回転する宇宙ステーションに、これまた回転しながら近づいて到着する宇宙船、壮大な景観にぴったりな選曲でした。

 また、オーストリア航空でウィーンを訪れたとき、着陸時にこの曲が流れていました。高度を下げ始める飛行機、窓から見えるウィーンの街、そして着陸までのプロセス、この曲がぴったりと合いました。オーストリアでは公式ではありませんが国民に第二の国家として親しまれています。だからこそナショナル・フラッグのオーストリア航空の機内でこの曲が流されるのでしょう。

 「美しく青きドナウ」、ドナウ川の美しい景観を想像するような、とても素晴らしい名曲で、完璧な出来栄えのワルツと信じ込んでいたのですが、この曲がドナウ川とは無関係に作曲されたことを知ったのはずいぶん後のことでした。

 あの名曲が・・・でもやっぱり名曲です。

ワルツ「美しく青きドナウ」

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2021年1月30日 (土)

ビートルズの最後のライブ(1969年1月30日)

 1962年10月5日、イギリスのリバプール出身のバンド、ビートルズがシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューしました。「ラヴ・ミー・ドゥ」はミュージック・ウィーク誌トップ50で17位でした。約1ヶ月後の11月5日に発表した2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がメロディー・メーカー誌のトップ50で1位となると、ビートルズは一躍脚光を浴びて人気グループとなり、ここにビートルズの輝かしい歴史がスタートしました。

 ビートルズは数年後にはワールド・ツァーを開始し、世界各国で最も有名な大人気のロックバンドになりました。1966年6月には武道館で日本公演を行いました。1966年10月にワールド・ツァーが終了すると、ビートルズはスタジオ録音を中心とした音楽活動や映画制作を進めました。

 1969年1月、レコーディングと映画の撮影のため映画スタジオでトゥイッケナム・スタジオでゲット・バック・セッションを開始しましたが、メンバー同士の人間関係の悪化が目立つようになってきました。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンが対立し、ジョージが参加を拒否します。話し合いの結果、ジョージは復帰することになりましたが、彼の要望により、スタジオをビートルズのアップル・コア社があったサヴィル・ロウに移動し、セッション・プレイヤーとしてビリー・プレストンを参加させての再開となりました。

 このスタジオで録音された楽曲はアルバムとして直ちにリリースされず、次作「アビイ・ロード」が1969年9月に先に発表されました。このことから長らくの間ビートルズが最後に収録したアルバムは「アビイ・ロード」と考えられていましたが、1990年代になってゲット・バック・セッションが「アビイ・ロード」の発表後も続いていたことが判明しました。これによってビートルズの最終アルバムはゲット・バック・セッションの録音を中心に制作された「レット・イット・ビー」であることがわかりました。

 さて、ビートルズはゲットバックセッションの中でライブ・コンサートを収録する計画を立てていました。このコンサートは事前に通知されることなく、1969年1月30日午後にアップル・コア社の屋上で行われました。突如としてロンドンのビジネス街で始まったビートルズのコンサートを見ようと、路上ではたくさんの人がアップル・コア社の屋上を見上げ、近くのビルの屋上にもたくさんの人が集まり、警察がビートルズの演奏を制止するために出動する事態となりました。

 ビートルズは警察官が屋上に到着した後もそのまま演奏を42分間にわたって続けコンサートを終了しました。ポールは最後の曲「ゲット・バック」で「You've been playing on the roofs again, and you know your Momma doesn't like it, she's gonna have you arrested!(また屋上で遊んでるよね。ママが好きじゃないことは知ってるよ。ママに逮捕されるよ)」と歌詞を替えて歌いました。すべの曲の演奏が終わると、ジョン・レノンが「I'd like to say "Thank you" on behalf of the group and ourselves and I hope we passed the audition.(グループと我々を代表して「ありがとう」と言いたい。オーディションに通ったことと願っています)」とジョークを飛ばしました。

 このコンサートは「ルーフトップコンサート」と呼ばれ、ビートルズの最期のコンサートとなり、映画「レット・イット・ビー」のラストでみることができます。ビートルズは映画「レット・イット・ビー」の公開から1年も経たない1971年3月に解散するに至りました。

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2021年1月19日 (火)

「NHKのど自慢」放送開始(昭和21年1946年1月19日)

 心地よいチューブラーベルの音で始まる「NHKのど自慢」。「のど自慢素人音楽会」として1946年1月19日午後6時から7時半まで、NHK東京放送会館においてラジオ第一放送で公開放送されました。戦後、GHQによって放送の民主化が進められ、政府による放送の統制がなくなると、いろいろな番組が登場するようになりました。「のど自慢素人音楽会」もその中のひとつで、一般市民の聴衆者が歌声を披露できる素人参加型の番組でした。一般市民にとってラジオは聴くもので、自分の声が電波に乗るということは想像もつかないことでした。当時としては画期的な企画の番組だったのです。

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 第一回の出演者をニュースで公募したところ、900人もの応募があったそうで、瞬く間に大人気の番組となりました。「のど自慢素人音楽会」は軍隊で行われていた演芸会にヒントを得ているそうです。カラオケが日本発祥であることからも想像できますが、日本人はもともと歌を歌うのが好きだったのでしょう。

 昭和22年(1947年)には番組の名前を「のど自慢素人演芸会』に変更し、歌だけではなく、ものまねや漫才なども対象とし、面白い素人がたくさん登場しました。昭和35年(1960年)にはテレビとラジオの同時放送が開始され、昭和45年(1970年)に再び歌のみを対象とした番組とななり、番組名は「NHKのど自慢」となりました。

 「のど自慢素人音楽会」を軍隊の演芸界にヒントを得て企画したのは、当時NHKで音楽番組を担当していた三枝嘉雄(ペンネーム三枝健剛、音楽家の三枝成彰さんの父)さんだったそうです。いろいろなアイデアを盛り込んだ歌番組を企画したそうです。「NHK紅白歌合戦」を企画したのも三枝嘉雄さんです。「のど自慢素人音楽会」の開始から5年後のことでした(ココログ 夜明け前「NHK紅白音楽合戦(昭和26年 1951年1月3日)」)。

 自分は「のど自慢」というとアコーディオン奏者の横森良造さんを思い出してしまいます。出演者がマイクの前で「○番、○○を歌います」と言って歌い始めるのですが、横森さんはいかなる曲でも、どんな歌い方にも合わせてアコーディオンの伴奏をこなしていました。  

 のど自慢の影響は大きく、素人や歌や演芸を競う番組がたくさん登場しました。「スター誕生!」や「お笑いスター誕生!!」などの番組に登場した素人が後に有名な歌手や芸人になった例は枚挙にいとまがありません。

 ところで北海道出身の歌手の北島三郎さんは、函館市西高等学校に通っていたときに函館市で行われた「NHKのど自慢」の公開放送に出場されたそうです。鐘は2つしか鳴らなかったそうですが、司会者の宮田輝アナウンサーに「いい声でした」「お上手でした」と声をかけられ、この言葉で歌手を目指すことにしたそうです。

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2021年1月10日 (日)

ビクターが45回転のレコードを公開(1949年1月10日)

 アナログレコードと言えば円盤に音声を記録したものですが、初期のレコードはエジソンが1877年12月6日に発表した蓄音器フォノグラフに用いられていた円筒状のものでした。レコード盤の原型を備えた円盤式の蓄音器グラモフォンが1885年にベル社のエミール・ベルリナーによって発明されると、円盤式が主流となりました。また、フォノグラフは音の信号を溝に対して縦方向(溝の深さの違い)に記憶しましたが、グラモフォンは音の信号を溝に対して横方向(溝の幅の違い)に記憶しました。蓄音器の開発の経緯についてはココログ「夜明け前」の「エジソンが蓄音機を公開(1877年12月6日)」に説明があります。

 さて、当初の円盤式アナログレコードは蓄音器がゼンマイ仕掛けであったため製品によって回転数が異なりましたが、後に定速回転が可能な電気モーターを使った蓄音器が登場したことで、回転数が78回転のものが主流となりました。これはSP盤(Standard Play)と呼ばれ、収録時間が3分間の直径25センチ(10インチ)のものと5分間の直径30センチ(12インチ)のものがありました。どちらにしても収録時間が短いため、演奏時間の長いクラッシックなどの音楽は複数枚に分けて収録され、アルバムのような入れ物に収められていました。やがて1枚でも複数の曲が収録されたメディアはアルバムと呼ばれるようになりました。

 SP盤のレコードは収録時間が難しく、レコードの材質も天然樹脂のシェラック(カイガラムシの分泌物)などで長時間の収録には適していませんでした。1940年代後半にポリ塩化ビニル製のレコードが実用化されると、1947年には33 1/3回転の直径30センチ(12インチ)のLP盤(Long Play)が登場しました。収録時間は30分で同サイズのSP盤の6倍の長さの曲を収録できるようになりました。

 その後、米国のビクター社がジュークボックスで再生可能で5〜8分の曲を収録することができる45回転の直径17センチ(7インチ)のレコード盤を開発し、1949年1月10日に公開しました。このレコード盤には正式な名称はつけられませんでしたが、中心の穴が大きいことからドーナツ盤と呼ばれました。日本ではLP盤に対してシングル盤と呼ばれました。LP盤とシングル盤は用途が異なるため競合することはなく、レコード盤の主流となりました。

Lp
シングル盤とLP盤

 さて、円周は半径をrとすると2πrですから、直径30センチLP盤の外周は約94センチ、17センチのシングル盤の外周は約53センチになります。LP盤は1分間に33 1/3回転ですから、レコード盤が1回転するのに要する時間は0.030分、約1.8秒になります。外周においては1.8秒で94センチ進むのですから、1秒あたりは約52センチ進むことになります。一方、シングル盤は45回転ですから、外周が1回転するのに要する時間は0.022分、約1.33秒になります。外周においては1.33秒で53センチ進むのですから、1秒では約40センチ進みます。つまり、外周での比較では、1秒間の音の信号を記録するのに、LP盤がの方が長い距離を使って信号を記録していることになります。LP盤はシングル盤より音の信号をより細かく記録しており、分解能が高いことになります。

 それではLP盤の中心から17センチのところではどうでしょうか。1回転する時間は約1.8秒で変わりませんが、17センチのところの円周はシングル盤と同じ約53センチになります。1.8秒で53センチ進むのですから、1秒では29センチ進みます。ここでは、シングル盤の方がLP盤よりも音の信号をより細かく記録しており、分解能が高いことになります。

 以上のことだけを考えると、回転数が高ければそれでか音が良くなるわけですが、それ以外にも溝の幅をどれぐらい取れるかということも重要です。これは1曲しか録音されていないシングル盤の方が有利です。幅が広ければダイナミックレンジも広くなり、音をより正確に記憶し、再現できることができるようになります。このあたり奥が深くいのですが、回転数が早くて、曲数の少ないレコード盤の方が音が良くなるでしょう。

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2021年1月 3日 (日)

NHK紅白音楽合戦(昭和26年 1951年1月3日)

 年末に放送されたNHK第71回紅白歌合戦。新型コロナウイルスの影響で初の無観客開催となりました。さて、紅白歌合戦の第1回は昭和26年(1951年)1月3日20:00〜21:00にNHKラジオ第一で放送されました。当時の番組名は紅白音楽合戦でしたが、現在ではこれが第1回NHK紅白歌合戦とされています。

 実は昭和20年(1945年)12月31日22:30〜0:00に紅白音楽合戦の前身である紅白音楽試合が放送されていました。番組終了の0:00には除夜鐘の音が生放送され、現在の紅白歌合戦からゆく年くる年までの年越しの流れの原型ができあがっていました。

 この紅白音楽試合がNHK紅白歌合戦の第1回とならなかったのは、当時は同じ番組を毎年繰り返して放送することは企画能力のなさを露呈することになるとタブー視され慣例がなかったからです。紅白音楽試合は非公開ながら大反響となりましたが、翌年以降の年末には別名の音楽番組が放送されました。

 しかしながら、紅白音楽試合があまりにも人気だったため、NHKは6年後の昭和26年(1951年)1月3日にNHK東京放送会館ラジオ第1スタジオから紅白音楽合戦を放送しました。紅白音楽試合は非公開で無観客でしたが、紅白音楽合戦には約300人の観客を入れての公開放送となりました。放送日が年末から正月に変更になったのは、前述のタブー視が関係しており、年末番組を正月番組としたからのようです。また、番組名が試合から合戦に変わっていますが、昭和20年に放送された紅白音楽試合も元々は紅白音楽合戦として企画されていたそうです。終戦後間もない放送のため、GHQの指導により合戦という言葉を試合に変えた経緯がありました。いろいろな経緯がありましたが、紅白音楽合戦はラジオの電波にのって日本中に流れ、たくさんの国民が歌手たちの歌声を楽しみました。

 さて、紅白音楽合戦も翌年以降に放送する予定がなかったため、第1回紅白音楽合戦とういう番組名にはなりませんでした。しかしながら、大反響となった番組への期待は高く、その後も特別番組として昭和27年(1952年)1月3日、昭和28年(1953年)1月2日に放送されました。そのため、これらの番組名にも第2回、第3回はつけられていません。昭和28年(1953年)の放送は2月1日からのNHKテレビ放送を控えていたため、テレビの実験放送が行われました。番組の反響に加え、テレビ放送が始まったことに後押しされて、次回以降は毎年末に放送されることになりました。そして、昭和28年(1953年)12月31日に第4回NHK紅白歌合戦が放送され、このとき初めて番組名に第4回とつけられました。

 ところで昨年が2020年で第71回、さかのぼると1950年からの放送になるはずですが(2020-1950+1=71)、第1回は1951年です。これは1953年に正月と年末に2回放送されたからです。

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2020年12月29日 (火)

【おもしろ映像】口笛の天才ロジャー・ウィテッカー

 ケニアのシンガーソングライターのロジャー・ウィテッカーさんは、バスとテノールの中間のバリトンの声をもつ歌手です。

 写真ではギターを弾いていますが、彼はもうひとつ強力な楽器をもっています。

Rogerwhittaker

 その強力な楽器とは口笛です。

 小鳥のさえずりのようなとても綺麗な口笛の音色で、聴いているとうっとしてしまいます。

Roger Whittaker - Finnish Whistler

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2020年12月26日 (土)

NHK FM リサイタル・パッシオ 選 藤澤仁奈(マリンバ)

 2016年The Great Plains 国際マリンバコンクールで第1位となったマリンバ奏者の藤澤仁奈さんが8月にNHK FMの番組「リサイタル・パッシオ 選」に出演されましたが、このたび好評であったため再放送されることになったそうです。

 以前、あるイベントで生演奏を聴かせて頂いたことがあり、マリンバの音色を聴き入ってしまいました。マリンバは木琴の一種で、楽器の分類は体鳴楽器、弦や膜などを用いず、物体そのものが叩いたり、振ったり、擦ったりすることで振動させて音を出す楽器です。シンバル、カスタネット、トライアングル、ベル、マラカス、カリンバなどがあります。マリンバは長さの異なる木製の音板を叩いて音程をつくり、音を金属製の共鳴パイプで響かせるようになっています。マリンバの音程や音色は音板の長さだけでなく、音板の裏側をいかに削るかによっても変わります。かなり奥が深い楽器です。

 さて、そんなマリンバの音色を藤澤仁奈さんの演奏で是非お楽しみください。

番組:NHK FMの番組「リサイタル・パッシオ 選」

日時:12月27日(土)20:20〜22:55(35分)

出演:マリンバ奏者 藤澤仁奈、司会:金子三勇士

楽曲:次の4曲です。

ジェネラライフ
エマニュエル・セジョルネ:作曲
(マリンバ)藤澤 仁奈
(1分35秒)

無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009から 前奏曲
バッハ:作曲
(マリンバ)藤澤 仁奈
(3分55秒)

ミザール、あるいは並行する反射
服部 和彦:作曲
(マリンバ)藤澤 仁奈
(8分15秒)

ロマンティカ
エマニュエル・セジョルネ:作曲
(マリンバ)藤澤 仁奈
(5分38秒)

藤澤仁奈さんのYouTubeチャンネル:Nina Fujisawa

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