カテゴリー「音楽」の111件の記事

2021年5月20日 (木)

ビル・ヘイリー「ロック・アラウンド・ザ・クロック」発売(1954年5月15日)

 ロック・アラウンド・ザ・クロックを初めて聞いたのはアメリカのテレビ・ドラマ「Happy Days」のオープニングを見たときです。なんとノリの良い曲だったことでしょう。

 このドラマは1950年代の高校生たちの青春コメディドラマで、米国では1974年から1984年まで放送されました。日本で初めて放送されたのは1978年です。当時、自分は高校生でロックンロールやハードロックを聞いていましたが、ちょうどこの頃ビートルズがデビューする前の1950年代のロカビリーが再燃し始めていたころでした。当時は矢沢永吉さんのキャロルや宇崎竜童さんのダウン・タウン・ブギウギ・バンドなどの影響もあり、リーゼントやロックンロールが流行っていましたので、過去への回帰もあったのかもしれません。 

 さて、話をもとに戻しましょう。ロック・アラウンド・ザ・クロックは1952年にアメリカの作曲家マックス・C・フリードマンとジェームズ・E・マイヤーズが共同で作曲した楽曲です。実際には2人のどちらが作曲したのかはよくわかっていません。完成した曲はビル・ヘイリーに提供されましたが、ビルが所属していたエセックス・レコード社とマイヤーズの関係がこじれていたため、レコーディングは見送られました。

 ビルの友人だったソニー・デイが1954年3月20日にアーケイド・レコード社から「ソニー・デイ・アンド・ヒズ・ナイツ」の名でこの曲をリリースしました。続いて1954年にビルのエセックス・レコード社からデッカレコード社への移籍をきっかけに、同年5月15日、ビル・ヘイリーのシングルレコード「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がリリースされました。

ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ(1954年)
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ(1954年)

 ソニー・デイとビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は競作に近いもので、どちらがオリジナルでどちらカヴァーという関係にはありませんでした。「競作」とは一つの作品を複数の歌手に歌わせる曲のことです。

 ビルの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は映画「暴力教室」の主題歌として起用され、全米チャートで8週連続1位の大ヒットとなりました。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が採用されたのは、主演で教師役のグレン・フォードの息子ピーター・フォードがレコードを持っていて、非行少年の雰囲気に合う主題歌を探していた映画監督リチャード・ブルックスにこの曲を紹介したからと言われてます。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」以前にもロックンロールは存在していましたが、この曲の大成功が世界的なロックンロール流行のきっかけとなりました。

 Rock Around The Clock - Happy Days Theme

Rock Around the Clock

Bill Haley & His Comets

 

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2021年5月 8日 (土)

ビートルズ最後のアルバム「Let It Be」発売(1970年5月8日)

 「レット・イット・ビー(Let It Be)」は1970年5月8日に発売されたビートルズの13作目アルバムです。

「レット・イット・ビー」は12作目の「アビイ・ロード」より前に行なわれた「ゲット・バック・セッション」を元に制作されました。そのため、「アビイ・ロード」がビートルズの最終アルバムと考えられていましたが、1990年代に「レット・イット・ビー」の収録が「アビイ・ロード」発売以降も行われていたことを示す資料が見つかり、「レット・イット・ビー」が名実ともに最終アルバムであることが確認されました。

 ビートルズがレコーディングと映画撮影のために「ゲット・バック・セッション」を開始したのは1969年1月2日です。この頃、すでにビートルズの人間関係は不安定になっていましたが、当初はポールの原点に帰ろう(Get back)というコンセプトでうまく進んでいるように見えました。

 しかし、まもなくポールとジョージ・ハリスンが対立し、さらにジョージとジョン・レノンの対立が起こり、ジョージが参加を拒否しました。その後、話し合いにより1月21日にジョージが復帰し、ジョージの提案でキーボード奏者のビリー・プレストンが参加することになりました。1月30日にはビートルズ最後のライブ「ルーフトップ・コンサート」が行われました。

 このような状況の中で「ゲット・バック・セッション」は頓挫し、ビートルズは2月22日から新しい楽曲の録音を開始、4月11日に「ゲット・バック・セッション」の成果である「ゲット・バック」が発売されるものの、7月1日から「アビイ・ロード」の制作を開始しました。

 その一方で「ゲット・バック・セッション」をアルバムにまとめる作業も進められ、5月28日にはマスターテープができあがっていました。12月になると、映画のサウンドトラックとして作り直すことになり、追加の収録も行われました。1970年1月5日に新しいマスターテープができあがりましたが、これもビートルズの判断でお蔵入りとなりました。

 「ゲット・バック・セッション」のテープを「レット・イット・ビー」にまとめたのはアメリカ人プロデューサーのフィル・スペクターです。フィルは3月23日からテープの編集を依頼され、短期間でアルバムにまとめあげました。そして、1970年5月8日、ついに「レット・イット・ビー」が発売開始となりました。

 レノンとハリソンはフィルの仕事ぶりを高く評価しましたが、ポールは「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の出来栄えに不満を示し、アルバム発売を中止することまでを考えましたが実行には移しませんでした。

 発売後「レット・イット・ビー」は全英アルバムチャートで3週連続1位を獲得しました。1970年5月18日にはアメリカで発売となり、全世界で1,000万枚以上の売上となりました。

 ビートルズは1970年4月10日にポール・マッカートニーが脱退を表明したことにより事実上の解散となりましたので「レットイットビー」はビートルズ解散後に発売されたアルバムになりました。

 

 

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2021年5月 7日 (金)

ベートーヴェン「交響曲第9番」の初演(1824年5月7日)

 交響曲第9番 ニ短調 作品125はベートーヴェンが1824年に発表した交響曲です。独唱と合唱を伴うことから「合唱」や「合唱付き」とも呼ばれますが、日本では「第九」として親しまれ、年末に演奏会が行われるのが恒例となっています。

 第四楽章の「歓喜の歌」が有名ですが、歌詞はドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラー「歓喜に寄す」が採用されています。ベートーヴェンはシラーの「歓喜に寄す」の詩が大のお気に入りで、22歳の時にこの詩に曲をつけたいと考えるようになりました。交響曲第1番の作曲に手掛けた1799年より7年も遡ること1792年のことでした。当時から「歓喜の歌」の構想を抱いていたと考えられますが、交響曲に仕上げることになるとは本人も考えていなかったようです。

 1817年にロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲の作曲の依頼があり、ベートーヴェンは交響曲第9番の作曲を本格的に始めました。当初は2曲の交響曲を作曲する予定でしたが、最終的には構想していた2つの交響曲を統合することにしました。有名な「歓喜の歌」のメロディは1822年頃に考えられ、1824年に全体ができあがり、数回の改訂を経て同年5月7日にウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました。

ベートーヴェンとケルントナートーア劇場
ベートーヴェンとケルントナートーア劇場

 この初演にはベートーヴェン本人も立ち合いました。ベートーヴェンはすでに聴覚を失っていましたが、指揮台に立ってメトロノームでテンポを指示し、その後ろでミヒャエル・ウムラウフが実際の指揮を行いました。演奏はリハーサル不足で出来栄えは良くなかったようですが、観客は歓喜に満ちた拍手喝采しました。

 ベートーヴェン本人は初演は失敗したと考え、演奏後に観客の方を振り返ることができなかったようです。歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンを聴衆の方を振り向かせました。ベートーヴェンは観客に深々と一礼して降壇したそうです。

 その後、ベートーヴェンは第十交響曲の作曲の構想を開始しましたが、ベートーヴェンの作曲活動は交響曲から弦楽四重奏曲に移っていきました。ベートーヴェンは1827年3月26日に57歳で亡くなり、第十交響曲は断片的なアイデアが残るのみで楽章はありませんでした。かくして第9番がベートーヴェンの最後の交響曲となったのです。


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2021年4月18日 (日)

YAMAHAのレトロオルガンS-20型

 先日、中古ショップの店内を歩いていたらとても懐かしいものが目に入ってきました。昔、実家にあったYAMAHAの電子オルガンと同型のものです。自分は6才ぐらいまでオルガンを習っていたのでこのYAMAHAの電子オルガンを使っていたのですが、どんなモデルだったのかはうる覚えでした。Googleで「ヤマハ レトロ オルガン」で画像検索してみたところ、このオルガンはYAMAHA S-20型ということがわかりました。 

 鍵盤の右側に電源スイッチと電源ランプ、左側には音量か音程の調整レバーがあり、写真では見にくいですが右下にペダルがあります。

YAMAHA オルガンS-20型
YAMAHA 電子オルガン S-20型

 オルガンを習うのは6才やめてしまったので現在は弾くことができませんが、当時は練習曲の「ちょうちょ」や「チューリップ」は両手で弾くことができました。このオルガンを弾いてよく遊んだものです。

 小学校6年の時の引っ越しの際、このオルガンは近所付き合いをしていた低学年の子がいる家に譲られることになり、このオルガンと別れ別れになる門出となったのです。

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2021年4月11日 (日)

マリンバ奏者 藤澤仁奈さんにサイン頂きました!

 先日、こちらで紹介させて頂いたマリンバ奏者の藤澤仁奈さんの「リサイタル」(ココログ 夜明け前 藤澤仁奈さん(マリンバ奏者 )のファーストアルバム「リサイタル」)を購入しました。知人を通じてサインを頂くことができました。ありがとうございます!

 サインの右下にはマリンバを奏でるのに欠かせないマレットが描かれています。マリンバの深みのある音色に加えて奏者の繊細な音への思い入れがマレットから鍵盤に伝わり一音一音に現れており、さまざまな音色に耳を澄ませて聞くことができます。

「リサイタル」(マリンバ奏者 藤澤仁奈)
「リサイタル」(マリンバ奏者 藤澤仁奈) 

 収録曲は下記の通りです。

「リサイタル」(マリンバ奏者 藤澤仁奈)

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2021年4月 7日 (水)

ベートーヴェンの英雄は誰か(1805年4月7日)

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」。エロイカ」と呼ばれることも多々ありますが、これは原題のイタリア語「Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo」に由来します。

 「英雄」はベートーヴェンが1804年に完成させた交響曲で1805年4月7日にオーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。

 原題の日本語訳は「英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」ですが、実は「英雄」が誰のことであるかがよくわかっていません。ベートーヴェンはナポレオン・ボナパルトを尊敬していることから、「英雄」はナポレオンのことであるとされています。

 この曲の完成後にナポレオンが皇帝に即位したことからベートーヴェンがナポレオンの野心に怒り「奴もまた俗物に過ぎなかったか」と言ってナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てたという有名な逸話があります。これはベートーヴェンの弟子によって伝えられたものですが、現存する浄書には表紙を破り捨てた形跡はなく、表紙に書かれたナポレオンへの献辞がペンで書き消されて、題名が「ボナパルト」から「シンフォニア・エロイカ」と改題され、さらに「ある英雄の思い出のために」との一文が加えられています。

交響曲第3番 浄書総譜表紙(ウィーン楽友協会)
交響曲第3番 浄書総譜表紙(ウィーン楽友協会)

 「英雄」の最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵(フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ)となり、ナポレオンへの献呈は取りやめになっています。

 「英雄」の第2楽章Marcia funebre: Adagio assaiは英雄の死をテーマにしているため、ナポレオンを尊敬していたベートーヴェンがナポレオンに対して無礼であると考えて題名を改題して献呈は取りやめたという説もあります。

 また「英雄」は1804年12月にロブコヴィツ邸で非公開で演奏されていることがわかっています。このとき、プロイセン王国のルイ・フェルディナント王子が立ち会っていました。フェルディナント王子は1806年7月9日にイエナ・アウエルシュタットの戦いで戦士しており、このルイ・フェルディナント王子が英雄であるという説もあります。

 「英雄」の第4楽章 Finale: Allegro moltoはベートーヴェンのバレエ曲「プロメテウスの創造物」の終曲から転用しています。プロメテウスはギリシア神話に登場する神で天界の火を盗んで人類に与えたとされています。

 「英雄」の英雄は誰だったのでしょうか。

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エリーゼのためには誰のために?

ベートーヴェンの「運命」初演の日(1808年12月22日)

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2021年4月 4日 (日)

ピアノ調律の日(4月4日)

 ピアノは鍵盤を押すと音が出る楽器で、縦型のアップライトピアノも横型のグランドピアノも同じ仕組みです。

ピアノ
グランドピアノ

 普通のピアノには鍵盤が88個あり、ピアノの内部にはそれぞれの鍵盤の音に対応する弦が貼られています。鍵盤の先にはハンマーが取り付けられており、鍵盤を押すとハンマーが弦を叩き、弦を振動させます。弦の振動は音を共鳴させる響板に伝わり、響板の振動がピアノの音となります。また、ピアノのペダルは弦の振動を変化させることによって音を延ばしたり、和らげたりする働きがあります。

 ピアノの弦には非常に強い力で張られた金属製のピアノ線が使われています。同じ長さの弦では細い弦の方が音が高くなります。また弦が長くなると音が低くなります。1つの鍵盤あたりに張られる弦の数は音の高さによって異なります。一般的には低音域で1本から2本、中音域以上では3本の弦が張られており、弦の総数は200本以上になります。特に低い音には長い弦が必要となりますが、弦が長くなるとピアノに収まらなくなるため、金属線に金属線を巻きつけた巻線が使われています。

 ピアノを長らく使用していると、弦に緩みが出てきます。弦が緩むと音程が狂うためですから、定期的に調律をして音程を調整しなければいけません。

 調律の基準音Aの周波数が440Hzであることから、国際ピアノ調律製造技術協会が1993年に4月4日をピアノ調律の日と制定しました。

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2021年4月 2日 (金)

エリーゼのためには誰のために?

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1810年に作曲したピアノ曲WoO.59「エリーゼのために」。誰もが知っている曲だと思います。

ベートーヴェン/バガテル「エリーゼのために」WoO.59

 このあまりにも有名すぎる「エリーゼのために」はその曲名からすぐに想像できるとおり、ベートーベンがエリーゼさんのために作った曲・・・・ではないのです。

 エリーゼさんは実在の人物ではありません。なんだ仮想の人物エリーゼさんに作った曲なのか・・・と思いきや事実は小説よりも奇なりでした。

 ベートーベンは自分が愛したテレーゼ・マルファッティという女性のために、この曲を作り、曲名を「テレーゼのために」と書き記したそうです。ところが、ベートーベンは悪筆で、彼の書いた文字は判読が難しかったようです。テレーザ(Therese)がエリーゼ(Elise)と読まれ、「テレーゼのために」が「エリーゼのために」になってしまったようです。エリーゼの正体については他にも説があるようですが、テレーゼが曲の原稿を所有していたことが確認されており、エリーゼはテレーゼ・マルファッティとされています。

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ベートーベンとテレーゼ

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2021年4月 1日 (木)

古代遺跡からロックバンド壁画発見

 アメリカのニューヨークの古代都市遺跡から、11000年前に活躍していたと思われる音楽バンドの壁画と彼らが音楽を奏でるのに使っていたと思われる楽器という道具が見つかった。

古代遺跡ロックバンド壁画
古代遺跡ロックバンド壁画

 専門家によると、このバンドは20世紀後半から21世紀にかけて活躍していたKISSという名前のバンドらしい。彼らは覆面バンドとして有名だったようで、壁画の顔からも顔に仮面をつけていたことがうかがえる。

 当時、ニューヨークで流行していた音楽はロックンロールというジャンルで、現代の音楽とはまったく違っていたという。彼らが使っていた楽器は、エレキギターといって、金属で作った弦を木製のボディに取り付け、この弦をつま弾くことによって出る音を電気回路で増幅していたという。また、円筒の両側に動物の皮などを張り付けて、それを叩くことによって音を出したドラムという楽器や、円盤状の金属を叩いて音を出すシンバルという楽器も使っていたという。こうした楽器は多くの遺跡からも出てくるが、このように古いタイプのものが発掘される例はめずらしいという。

 現代における音楽は、私たちが考えたり、想像したことを、脳から電気信号として取り出し、コンピュータを使って音として再現したものである。当時はそのような技術がなかったため、楽器という道具を使って音を鳴らすことにより、人間の考えや感情を音楽として表現していたという。この楽器を使った音楽の作成は人類が古くから音楽を作る方法として開発してきたもので、楽器もいろいろな種類があったという。遺跡からは、また違うタイプの楽器が新たに見つかることも期待されており、多くの専門家が注目しているという。

(西暦13021年4月1日 A.P.ルフール記者)

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2021年3月27日 (土)

藤澤仁奈さん(マリンバ奏者 )のファーストアルバム「リサイタル」

 年末にNiftyトレンドニュース「NHK FM リサイタル・パッシオ 選 藤澤仁奈(マリンバ)」に掲載されたマリンバ奏者の藤澤仁奈さんがファーストアルバムを2月にリリースしました。

 このアルバム「リサイタル」は下記の音楽雑誌の4月号で取り上げられいます。推薦文の一部が藤澤仁奈さんのホームページのニュース「藤澤仁奈 CD〈Recital〉「レコード芸術」誌・準特選盤に選出」で紹介されていますが、読んでみたところこれが非常に高い評価を得ています。

◆レコード芸術「準特選盤」
◆音楽現代「注目盤」
◆stereo「今月の優秀録音盤」

 自分はあるイベントで藤澤仁奈さんの生演奏を聴いたとき、この音色は一味違ううぞと聴き入ってしまいました。マリンバの演奏についてほとんど知識はありませんが、これはすごいという直感だけは当たったようです。また、これもその後で知ったことですが、さすが国際マリンバ・コンクールの優勝者です。現在、藤澤仁奈さんは若手マリンバ奏者のホープとして国内外で高い評価を受けているそうです。

リサイタル

藤澤仁奈

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内容紹介

[1] エマニュエル・セジョルネ: ヘネラリフェ
Emmanuel Séjourné: Generalife

[2] エマニュエル・セジョルネ: プレリュード 第1番
Emmanuel Séjourné: Prélude N°1

[3] エマニュエル・セジョルネ: ロマンティカ
Emmanuel Séjourné: Romantica

J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009
Johann Sebastian Bach: Cello Suite No.3 in C major BWV1009
[4] Prélude
[5] Allemande
[6] Courante
[7] Sarabande
[8] Bourrée I-II
[9] Gigue

[10] 服部和彦: ミザール、あるいは並行する反射 マリンバのための
Kazuhiko Hattori: Mizar, in parallel with reflex for marimba

トマシュ・ゴリンスキー: ルミノシティ
Tomasz Goliński: Luminosity
[11] I
[12] II

[13] リー・ハーライン: 星に願いを(編曲: 加藤大輝)
Leigh Harline: When You Wish upon a Star (Arr. Daiki Kato)

[14] アメイジング・グレイス(編曲: 加藤大輝)
Amazing Grace (Arr. Daiki Kato)

国立音楽大学打楽器科を首席で卒業し、目覚ましい活躍を見せる藤澤仁奈のデビュー・アルバム。
2016年 The Great Plains 国際マリンバコンクール(アメリカ)第1位、
2013年 国際マリンバコンクール(ベルギー)第3位、併せて審査委員長Igor Lesnik賞受賞、
2012年 第22回日本クラシック音楽コンクール最上位(1位なしの第2位)ほか、受賞歴多数。
このディスクに収められた包容力に満ちた演奏を聴けば、彼女のさらなる将来性を強く感じるであろう。

メディア掲載レビューほか
国立音楽大学打楽器科を首席で卒業し、目覚ましい活躍を見せる藤澤仁奈。2016年 The Great Plains 国際マリンバコンクール(アメリカ)第1位、2013年 国際マリンバコンクール(ベルギー)第3位、併せて審査委員長Igor Lesnik賞受賞、2012年 第22回日本クラシック音楽コンクール最上位(1位なしの第2位)ほか、受賞歴多数。繊細かつ上品、優しさに満ちた演奏は、聴き手の心をあたたかく包み込む。 (C)RS

アーティストについて
藤澤仁奈 Nina Fujisawa

国立音楽大学附属高等学校を経て、国立音楽大学を首席で卒業。
同時に「武岡賞」を受賞。2016 年The Great Plains 国際マリンバコンクール(アメリカ)第1位。
2013年国際マリンバコンクール(ベルギー)第3位。併せて審査委員長Igor Lesnik賞受賞。
2012年第22回日本クラシック音楽コンクール最上位(1位なしの第2位)。他、受賞歴多数。
2013年クロアチア国際打楽器フェスティバル出演。2014年ルーマニアで開催された国際打楽器フェスティバルに於いて
E.Sejourne氏のピアノ伴奏でマリンバコンチェルトを共演。
2015年ベルギーにゲストアーティストとして招かれ、ソロ・リサイタルを行う。
2017年より毎年「藤澤仁奈マリンバ・リサイタル」を東京オペラシティリサイタルホール、近江楽堂にて開催。
2018年ミューザ川崎シンフォニーホールにて、ランチタイムコンサート、ナイトコンサートに出演。
2020年 NHK-FM「リサイタル・パッシオ」に出演。

『Shiniti Uéno & PHONIX-Réflexion』のメンバーとしてコンサート・レコーディングに参加、CDをリリース。
打楽器デュオ『Nino Nina』メンバー。2021年、打楽器デュオ『Nino Nina』CDをリリース予定。
現在、マリンバ・ソロ、アンサンブル、室内楽などの活動の傍ら後進の指導も行っている。

日本最大のマリンバメーカー(株)こおろぎ社契約アーティスト。

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