カテゴリー「映画・テレビ」の274件の記事

2023年10月 2日 (月)

映画「オーメン」日本公開(1976年10月2日)

 映画「オーメン」は1976年に製作されたアメリカ映画です。監督は リチャード・ドナー、脚本は デヴィッド・セルツァー、主演は グレゴリー・ペックです。ダミアンは子役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンスが演じました。1974年に映画「エクソシスト」が日本で公開、オカルト・ホラー映画ブームの中で「オーメン」は大ヒットしました。

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 オーメンとは英語で「前兆」「予兆」「予言」などを意味します。6月6日午前6時、アメリカ人外交官ロバート・ソーンはローマの病因で死産となった子の代わりに同時刻に誕生した孤児を養子として引き取りダミアンと名付けました。しばらく平和の日々が続きましたがダミアンが5歳になると異変が起こります。ローマからやって来た神父がダミアンを悪魔の子であると告げに来ましたがロバートは無視しました。次々と異変が起こり、ロバートはダミアンの出生の秘密を知りダミアンの頭に悪魔の印である666のアザがあることを見つけます。ダミアンを悪魔の子と認識したロバートはダミアンを殺そうとしますが警察官に射殺されてしまいます。孤児となったダミアンは大統領に引き取られ、ロバートの葬儀で怪しげに微笑みなす。

 「オーメン」に出てくる様々なシーンの構図は秀逸なのですが、それもそのはず撮影監督はギルバート・テイラーだったのです。テイラーは後に「スター・ウォーズ」の撮影監督も務めています。ラストシーンでダミアンが微笑んだのは本体はNGだったそうです。撮影時は笑わないようにダミアンを演じた子役に指示したそうですが微笑んでしまったそうです。その微笑みがあまりにも不気味に感じられたことから採用されました。次作に繋がる意味深い微笑みとなったのは言うまでもありません。

 またこの映画の制作にまつわる不吉なエピソードがたくさんあり、これも話題になりました。「オーメン」は続編が作られ「オーメン3/最後の闘争」まで制作されました。「オーメン3」で青年となったダミアン役はサム・ニールが演じました。サム・ニールは「ジュラシック・パーク」でアラン・グラント博士を演じた俳優さんです。「オーメン4」はテレビ映画で「オーメン」シリーズの続編ですが内容は関係ありません。

 「オーメン」には衝撃的なシーンがたくさんありましたが当時は制限なく見ることができましたが、子どもにとってはトラウマになるほどの怖さでした。この映画を見て悪魔サタンやヨハネの黙示録に興味を持つようにもなり、悪魔がいるなら神様もいるはずだろうとトラウマを払拭した記憶があります。

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ミッキー・マウス初登場(1928年11月18日)

ミッキー・マウス「プレーン・クレイジー」に登場(1928年5月15日)

ドナルドダック登場(1934年6月9日)

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ゴジラの日 1954年11月3日(昭和29年)

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映画「2001年宇宙の旅」一般公開(1968/04/06)

「男はつらいよ」の日(1969年8月27日)

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映画「スターウォーズ」米国公開(1977年5月25日)

映画「スター・ウォーズ帝国の逆襲」米国公開( 1980年5月21日)

映画「レイダース/失われたアーク」公開(1981年6月12日)

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映画「ターミネーター」米国公開(1984年10月26日)

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映画「エイリアン2」公開(1986年8月30日)

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映画「プレデター」日本公開( 1987年6月28日)

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2023年10月 1日 (日)

特撮アニメ「恐竜探険隊ボーンフリー」放送開始(1976年10月1日)

 「恐竜探険隊ボーンフリー」は1976年10月1日から1977年3月25日までNET(現・テレビ朝日)系列で毎週金曜18:00 - 18:30に放送されていた円谷プロダクション制作の特撮・アニメ番組です。第2期ウルトラシリーズの最終作であるウルトラマンレオが1975年3月で終了して約1年半後に始まったこともあり怪獣ではないものの毎週楽しみに見ていました。

 当時、特撮(実写)とアニメは別物という認識でテレビを見ていたのですが、「恐竜探険隊ボーンフリー」は登場する恐竜や特殊メカはコマ撮りを含む実写特撮、登場人物などはアニメという実写特撮とアニメがハイブリッドした作品でした。円谷プロダクションはこの表現手法のことを立体アニメ(立体アニメーション)と位置付けています。同時期に円谷プロダクションは「プロレスの星 アステカイザー」を制作・放送しており、こちらは基本は実写特撮でしたが、最後の戦闘シーンのみアニメで表現されていました。

 「恐竜探険隊ボーンフリー」は地殻変動で中生代の環境を維持していて地底の空洞から地上に現れた恐竜たちを保護する組織です。恐竜が現れると大型の探検車ボンフリー号で現場にかけつけ特殊メカを使って敵対する組織や密猟者から恐竜たちを保護します。

 救助の対象は恐竜ですが特殊メカの活躍はサンダーバードのような感じです。また毎回どんな恐竜が出現するのかもとても楽しみでした。このドラマと恐竜辞典を見比べながらたくさんの恐竜の名前と姿を覚えたように思います。

『恐竜探険隊ボーンフリー』【冒頭映像公開】− TSUBURAYA・GALAXY Vol.4で配信中! −

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2023年9月 8日 (金)

SFテレビドラマ「スタートレック」放送開始(1966年9月8日)

 「スタートレック」は米国の映画プロデューサーのジーン・ロッデンベリーの原案により制作されたSFテレビドラマです。

 ロッデンベリーはテキサス州で生まれ第二次世界大戦で陸軍の爆撃機B-17のパイロットを務めた後にパンアメリカン航空で働きました。このときパンアメリカン航空121便墜落事故で事故機に乗り合わせましたが幸運にも生還することができました。ロッデンベリーにとっては3回目の航空機事故の経験でしたが、これがその後の彼の人生を変えるきっかけとなりました。

 ロッテンベリーはフライトの間に小説を書くようになりました。やがて航空雑誌に寄稿するようになりました。1948年にパンナム社を辞任し、当時新しい媒体として発達したテレビ文化で脚本やプロデューサーの仕事を目差すことを決意しました。しかしながら、いきなり独立することは困難なためロサンゼルス市警で働く傍ら執筆業に取り組みました。当初は注目されませんでしたが、1950年代にはテレビドラマの脚本を担当するようになり、独立の目処がついたこからロサンゼルス市警を退職しました。

 当時、米国はベトナム戦争に介入しており、ロッテンベリーは自分の作品に社会風刺や戦争批判などを盛り込むことを試みましたが検閲によってお蔵入りになることが多く不満を感じていました。しかしながら、その経験から比喩的な表現での風刺や批判は検閲されないことに気が付き、その手法を作品に取り組むことにしました。SFテレビドラマであれば検閲は受けないだろうと考え、かねてから構想していた「スタートレック」に取り組みました。ロッテンベリーは「スタートレック」を構想するにあたってアメリカ西部開拓テレビドラマ「幌馬車隊」を参考にしました。幌馬車の代わりに宇宙船が西部開拓の代わりに宇宙開拓をする物語を考えました。

 1964年、ロッテンベリーは「スタートレック」の企画をMGMとCBSに持ち込みましたが却下されました。その後、デシル・プロダクションに企画を持ち込んだところNBCからプロット3話の制作を依頼されました。そのうち1話からパイロット版「The Cage(歪んだ楽園)」が製作されましたが、アクションシーンが少ないことが指摘されました。NBCは「スタートレック」を却下せず、内容を改善した新たなパイロット版の製作を依頼しました。ロッデンベリーは旧知のウィリアム・シャトナーをジェームズ・T・カーク船長役とし、スポック以外の登場人物を一新したパイロット版「Where No Man Has Gone Before(光るめだま)」が製作しました。このパイロット版が評価され1966年2月に最初のドラマシリーズとなる「スタートレック」の放映が決定し同年9月8日に第一話が放送されました。

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 「スタートレック」の初回放送では視聴率が伸びず第2シーズンで打ち切られる可能性がありました。多くのファンが番組継続の手紙を送ったため第3シーズンが製作されることになりました。しかしながら、製作費の削減や放送時間が変更されるなどで視聴率がさらに低下し第3シーズンで打ち切りとなり1969年6月に放送が終了となりました。ところが「スタートレック」が再放送されると再評価されて人気が急上昇しました。大都市でイベントが行われるようになり、スタートレックのマニアが登場するようになると、「スタートレック」は世界中で知られるようになりました。

 「スタートレック」は日本では日本テレビ系で1969年4月27日に「S.0401年 宇宙大作戦」の題名で放送が始まりました。この放送は「スタートレック」の第1シーズンのみの放送でした。1972年4月16日からフジテレビ系で「宇宙パトロール」の題名で第2シーズンと第3シーズンが放送されました。

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2023年9月 2日 (土)

テレビドラマ必殺シリーズ第一作「必殺仕掛人」放送開始(1972年9月2日)

 必殺シリーズと言えば弱者の恨みを晴らすために裏稼業を遂行する仕掛人や仕置人などと呼ばれるものたちの活躍を描いたドラマです。彼ら普段はまともな職業についていますが、裏稼業の依頼を受けるとその代償として金銭を受け取り、それぞれの商売道具を使って務めを果たします。

 その必殺シリーズの第一作「必殺仕掛け人」の放送がTBS系列で始まったが昭和47年(1972年)9月2日です。「必殺仕掛け人」は池波正太郎の短編小説「殺しの掟」を元にして「小説現代」で1972年3月から連載された同氏の小説「仕掛人・藤枝梅安」を原作として制作されたドラマです。原作がドラマ放送と同時期に執筆されていたためドラマと原作に異なる部分も多く登場人物も異なります。藤枝梅安は登場するものの他は「殺しの掟」の登場人物が登用されています。

 1972年の時代劇はフジテレビの「木枯らし紋次郎」が視聴率30%を超える人気を博していました。これに対抗するため朝日放送は少し前の人気時代劇「鬼平犯科帳」を執筆した池波正太郎の作品を原作とした時代劇を企画しました。正義の味方、勧善懲悪が多いテレビドラマの時代劇の中で、恨みを晴らすのが目的とは言え金銭を得て人をあやめる者たちが主人公というドラマは他に類を見ないものでした。そして、当時の型にはまった時代劇ではなく現代劇や家庭的な要素を取り入れた時代劇とすることになりました。

 こうした工夫が功を奏して「必殺仕掛人」は視聴者に受け入れられあっという間に人気時代劇となったのです。「必殺仕掛人」は土曜日の夜10時から放送されました。当時のTBS系列の土曜日は午後8時から「8時だョ!全員集合」、午後9時から「キーハンター」が放送されました。この後に「必殺仕掛人」が放送されたことから土曜日の夜はTBSに釘付けになった視聴者がたくさんいました。「必殺仕掛人」によって後に続く必殺シリーズの礎が作られたのです。

 さて「必殺仕掛人」のメンバーは藤枝梅安、西村左内、岬の千蔵、櫓の万吉、音羽屋半右衛門でした。必殺シリーズと言えば藤田まことさんが演じる中村主水を思い出す人が多いと思いますが、中村主水が登場するのは 1973年4月21日から放送が始まったシリーズ第二作目の「必殺仕置人」からです。 なぜ中村主水が登場することになったのかはまた別の機会に。

必殺シリーズDVDコレクション 創刊号 (必殺仕掛人 第1話~第3話) [分冊百科] (DVD付)

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2023年8月30日 (水)

映画「エイリアン2」公開(1986年8月30日)

 映画「エイリアン2」は「エイリアン」の続編として米国で1986年7月18日に公開されました。日本での公開は1986年8月30日です。

  映画「エイリアン」日本公開(1979年7月21日)

 「エイリアン」はリドリー・スコット監督、ダン・オバノン脚本でしたが「エイリアン2」は当時ターミネーターで有名になっていたジェームズ・キャメロン監督が監督と脚本を担当しました。「エイリアン」はSFホラー映画でしたが、「エイリアン2」はSFホラーに加えて多数のエイリアンと兵士の戦いを描いたSFアクション映画となりました。映画のキャッチ・コピーも「This time it's war.」でした。主演は前作と同じく シガニー・ウィーバーで前作の主人公エレン・リプリーを演じました。

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 当時のSF映画はCGの技術が十分ではなかったため実写で製作されていました。「エイリアン2」も実写で製作されました。数体のエイリアンを使って撮影が行われましたがカット割りの工夫や探知機などの映像で無数のエリアンが存在しているかのような臨場感を作りだしました。いつどこからエイリアンが現れるのかハラハラドキドキで手に汗を握りながら映像に釘付けとなりました。この不気味さは「ターミネーター」に通じるものがあります。1986年のアカデミー賞で視覚効果賞、音響効果編集賞を受賞しました。

 現在となっては「エイリアン」も「エイリアン2」も名作ですが、第一作「エイリアン」が生み出されるまでには脚本の制作や映画化の過程で様々な困難がありました。「エイリアン」の成功により続編の「エイリアン2」が企画されましたが、ホラー映画が下火になっていたこともあり制作費や興行成績の懸念があり企画が頓挫を繰返し「エイリアン2」の公開までに5年を要しました。

 「エイリアン2」は脚本をキャメロン監督が担当したことにより深みのある映画になりました。リプリーの宿命、ニートや海兵隊との人間模様、そしてエイリアンと海兵隊との戦いなど楽しめる要素がたくさんあります。そしてラストシーンのリプリーとエイリアンの一騎打ち。

 脇役の俳優のキャスティングも楽しめました。ドウェイン・ヒックス役のマイケル・ビーンは「ターミネーター」のカイル・リースを演じています。アンドロイドのビショップを演じたランス・ヘンリクセンは「ターミネーター」のハル・ブコヴィッチ捜査官を演じています。ジェニット・バスクエスを演じたジェニット・ゴールドスタインは後年に公開された「ターミネーター2」ではジョン・コナーの養母ジャネル・ヴォイトを演じています。キャメロン監督つながりのキャスティングです。

 エイリアンシリーズはその後の続編も見ましたが「エイリアン」と「エイリアン2」が面白いです。特に「エイリアン2」はエンタテインメント性が高い作品です。ジェットコースターに乗っているかのような展開です。映画を見た後にビデオを買って何度も見直しました。

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2023年8月25日 (金)

映画「羅生門」公開(1950年8月25日)

 映画「羅生門」は1950年8月25日に公開された黒澤明監督、黒沢明・橋本忍脚本の日本映画です。原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」で芥川の短編小説「羅生門」をもとにタイトルや設定が考案されました。三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬などが出演しました。

映画「羅生門」の公開時のポスター(1950年)
映画「羅生門」の公開時のポスター(1950年)

 時は平安時代の京の都の羅生門で杣売りと旅法師と下人の3人の男が雨宿りをしていました。そのうちの1人が武士の金沢武弘の遺体を発見した経緯について話を始めます。「羅生門」は武士の殺害事件について、その目撃者や関係者がそれぞれの視点から証言する姿を描いた映画です。食い違った証言が行き交い真相がわからなくなる人間のエゴイズムの醜さに焦点が当てられます。

 すっかりと崩れてしまった人間の信頼関係。そこに羅生門のどこかから赤子の泣き声が聞こえてきます。 下人は手前勝手でない人間は生きていけないと言い切り赤子の着物を剥ぎ取ってしまいます。その後、杣売りが赤子に手を伸ばしたので、旅法師はその手を払いのけます。しかし、杣売りは自分の子として育てると言って赤子を抱えて去っていきました。旅法師は自分を恥ながらも人間の良心に改めて希望を見い出したのです。

 「羅生門」の脚本を最初に手掛けたのはと橋本忍です。原作ものを手掛けていなかった橋本は師匠の伊丹万作の助言で文学作品を手掛けることにしました。このとき橋本が選んだのが芥川龍之介の「藪の中」で、この小説を元に「雄雌」という脚本を書き上げました。「雄雌」は知人を通じて黒澤に手渡されました。

 黒澤は「静かなる決闘」の次作の映画製作をすることになり「雄雌」を採用することにしました。「雄雌」は長編映画には短すぎたため黒澤は橋本に加筆するように言いましたが出来上がったものが気に入りませんでした。脚本を2人で書き直すことにしましたが橋本の体調不良により黒澤が1人で書き直すことになりました。黒澤は芥川の短編小説「羅生門」のエピソードなどを加え、ラストシーンで杣売りが赤子を育てるというエピソードを加えました。題名は「雌雄」から「羅生門物語」とされましたが後に「羅生門」と改められました。橋本は黒澤と「生きる」や「七人の侍」の脚本も手掛けました。「日本沈没」「八甲田山」「八つ墓村」も手掛けています。

 さて映画「羅生門」は映画に新しい風を吹き込みました。「羅生門」以前には同じ出来事を複数の登場人物の視点から描くような物語はなかったのです。「羅生門」によって同様な手法の物語の映画が国内外で多く製作され、羅生門効果と呼ばれるようになりました。「羅生門」は第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞し、日本の映画が国際市場に進出するきっかけを作りました。

【映画】映画「羅生門」公開(1950年8月25日)

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2023年7月31日 (月)

円谷フィールズホールディングスの株主優待

 7月29日(土曜日)の朝に玄関のチャイムがなりました。家に荷物が届く予定はないけどと思いながらインターホンに出ると宅急便でした。何だろうと思って発送先をみると円谷フィールズホールディングス株式会社でした。円谷フィールズホールディングス株式会社の株式は会社名がフィールズだったときから保有していました。株主優待のカレンダーでも送ってきたのかなと思っていました。とこりが届いた荷物はこんなに立派な化粧箱でした。

円谷フィールズホールディングスの株主優待のパッケージ
円谷フィールズホールディングスの株主優待のパッケージ

 いったい何が入っているのかなと思って開けてみたところ、次のような盾が入っていました。株主優待の正式名称は「円谷フィールズホールディングス株式会社 記念額装ピンズセット」です。

円谷フィールズホールディングス株式会社 記念額装ピンズセット
円谷フィールズホールディングス株式会社 記念額装ピンズセット

 1966年のタケダアワーのウルトラシリーズの特撮ドラマ「ウルトラマン」、2019年のアニメ「ULTRAMAN」、そして2022年に公開された映画「シン・ウルトラマン」の写真と科学特捜隊などのマークのピンズ、特製ロゴプレートが額縁にセットされています。

 この株主優待は円谷フィールズホールディングスや円谷プロダクションのWebサイトに案内が出ていたようですが、まったく気が付いていまなかったので自分にとってはサプライズプレゼントとなりました。ありがとうございます。

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2023年7月30日 (日)

映画「モスラ」公開(1961年7月30日)

 「モスラ」は昭和36年(1961年)に公開された本多猪四郎監督、円谷英二特技監督の東宝製作の怪獣映画です。

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  昭和29年(1954年)公開の「ゴジラ」で成功を収めた東宝は昭和30年(1955年)に「ゴジラの逆襲」を公開しました。「ゴジラの逆襲」も成功を収めた東宝は昭和31年(1956年)には新しい怪獣ラドンを登場させた「空の大怪獣 ラドン」を公開します。そして、昭和32年(1957年)には東宝初のロボット怪獣モゲラが登場する「地球防衛軍」、昭和33年(1958年)にはむささび怪獣バランが登場する「大怪獣バラン」と怪獣映画の製作を続けました。

 東宝の怪獣映画はいったん区切りが付けられましたが、怪獣映画が世界で大人気となったことから世界規模で配給できる新しい怪獣映画を企画することになりました。新しい企画では、これまでの怪獣が暴れ回る内容から脱却し、女性でも楽しく見られるような怪獣映画を制作することになりました。このことから双子の小美人を登場させ、2人を救い出しにやって来る怪獣の物語が作られました。登場する怪獣は悪玉という設定ではなく双子の小美人が暮らしていた島の守護神の巨大な蛾モスラしました。そしてモスラが卵から孵化して幼虫となり繭をへて成体となる成長の過程が描かれました。

 モスラで記憶に残っているのは双子の小美人を演じたザ・ピーナッツが歌う「モスラの歌」です。「モスラの歌」はモスラを召喚するための歌です。モスラを召喚する歌が何語だったかは諸説ありますが、本多監督によれば日本語の歌詞をインドネシア語に訳したものとされています。インドネシア語の歌詞をカタカナにしてそれをザ・ピーナッツが歌いました。この意味のわからない歌が小美人とモスラの故郷である南の島を想起させ何とも神秘的だったのです。

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2023年7月21日 (金)

映画「エイリアン」日本公開(1979年7月21日)

 「エイリアン」(Alien)は1979年5月25日に米国で公開されたリドリー・スコット監督、ダン・オバノン脚本、シガニー・ウィーバー主演のSFホラー映画です。日本では同年7月21日に公開されました。

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 商業用宇宙貨物船ノストロモ号が知的生命体からの信号を受信し調査に向かいます。しかし、その信号は警告でした。調査に向かった1人がサソリのような生物に寄生されます。ノストロモ号に戻った彼を助けようとしたところ生物が船内に逃亡。攻撃的な地球外生命体エイリアンは次々と乗組員に襲いかかります。最後の1人となったリプリー(シガニー・ウィバー)とエイリアンの死闘が始まります。

 エイリアンの原案は脚本のオバノンが作成しました。1974年に「ダーク・スター」というSF映画を制作したオバノンは「宇宙船が未知の惑星に降り立ち謎の生命体を発見、乗組員がそれに寄生され、やがて体内から怪物が誕生する」という内容のSFホラー映画「メモリー」を企画しました。しかし、この原案は未完成で怪物のデザインも決まらず頓挫していました。

 このとき「ダーク・スター」を見て共感した脚本家のロナルド・シャセットがオバノンのもとを訪れました。シャセットはオバノンに自分の作品「追憶売ります」の仕事を手伝うかわりに「メモリー」の映画化に協力をすることを約束しました。2人は「追憶売ります」を共同で書き上げました。これは1990年に「トータル・リコール」という題名で映画化されました。その後、オバノンは映画「デューン/砂の惑星」の制作に特殊効果の担当して参加しますが、この映画の制作は資金難で頓挫してしまいオバノンは資金を使い果たしてしまいました。

 失意に暮れていたオバノンにシャセットは「メモリー」を完成させるように促しました。このときオバノンは「B-17にグレムリンが侵入し、乗組員を一人また一人と殺していく。怪物を倒さない限り乗組員は故郷へ帰れない」というあらすじの別の作品を構想していました。シャセットはオバノンにこの作品を応用するよう助言し、オバノンは「メモリー」を書き進め作品の題名を「スタービースト」に変更しました。

 オバノンは「スタービースト」のプレゼンテーション用に「ダーク・スター」で知り合ったロン・コッブにイラストを依頼しました。コッブが書き上げたイラストを見てオバノンは「エイリアン」という題名を思い付きました。関係者の協力を得て「エイリアン」は映画制作会社ブランディワイン・プロダクションズとの契約が成立しました。20世紀フォックスに売り込まれましたが映画化には至りませんでした。しかし、「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」が大人気となったことで「エイリアン」の映画化が決まりました。

 オバノンはもともとは映画監督をめざしていましたが、20世紀フォックスからの評価は高くなく映画製作に深く関わることはできませんでした。一方のシャセットは評価され製作総指揮に任命されました。オバノンは視覚デザインのコンサルタントとして製作に関わることになりました。そして監督にリドリー・スコットを迎え、1978年7月5日に映画の製作が始まりました。映画の脚本はブランディワイン・プロダクションズのデヴィッド・ガイラーとウォルター・ヒルによって何度も書き直されました。

 スコット監督が最初に重要視したのはエイリアンのデザインでした。コッブのデザインはあくまで原案で満足のいくものではなかったからです。これより少し前にオバノンは「デューン/砂の惑星」に参加していたスイスの造形作家のハンス・リューディ・ギーガーに連絡を取り「人間に寄生する幼生を産み付ける第1形態」「人間の体を突き破って現れる第2形態」「成長した第3形態」のアイデアを伝えていました。オバノンはスコット監督にギーガーの作品を紹介しました。

 スコット監督はギーガーの奇抜なデザインに衝撃を受けエイリアンのデザイナーとして採用することにしました。ギーガーは「エイリアン」の主人公は自身がデザインするエイリアンに他ならないと考え高額なギャラを要求しました。交渉は難航しましたが20世紀フォックスはギーガーと契約しました。ギーガーはさっそく撮影に参加しましたが完璧主義だったため現場のスタッフや上層部と対立し、20世紀フォックスはギーガーを解雇しました。ギーガーはこれを受け入れましたが自分がいなけれな映画は完成しないと自信をもっていました。ギーガーの予想通り撮影現場は混乱し、20世紀フォックスはギーガーを呼び戻すことになりました。

 このような混乱の中、撮影は1978年10月21日に終了しましたが編集作業に数ヶ月かかりました。1979年5月25日に「エイリアン」が米国で公開されたとき、「オバノン」は自宅に引きこもっていたそうです。映画が受け入れられるかどうか恐怖に慄いていたそうですが、呼び出されて観客の行列や反響を見て感動したそうです。オバノンは「エイリアン」の映画の製作には満足に参加できませんでしたが、その後の「エイリアン」シリーズにおいても原作者としてクレジットされています。

 ところでエイリアンと言えばもともとは外国人を意味する英単語です。それまで宇宙人はインベイダーと呼ばれていましたし、エイリアンのような化け物の姿をしたものは怪物や怪獣でした。この映画で「エイリアン」が攻撃的な地球外生命体という意味を持つことになりました。コッブの原図からオバノンの着想で「エイリアン」と呼ぶことになったのですがこれは画期的な命名でした。

 自分は「エイリアン」を見て「スターウォーズ」や「未知との遭遇」などのSF映画とは異質なオカルト映画に通じるSFホラー映画と思いました。映画館の大きな銀幕に映る薄暗い気味の悪い映像の中でエイリアンが突然現れるシーンでは、びっくりして悲鳴をあげる観客もいました。

 エイリアンは怪物のような姿ではあるがおそらく知的な生命体、そして繁殖が目的で交渉の余地などはない。エリアイアンはそれまでにない斬新な地球外生命体でした。映画のキャッチコピーはこの映画を見る観客に相当なインパクトを与えたことでしょう。

 宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない

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2023年7月20日 (木)

ブルース・リーの忌日(1973年7月20日)

 ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」が日本で公開されたのは1973年12月22日です。当時、小学生の中学年だった自分は映画館で「燃えよドラゴン」を見ることはできませんでした。しかし、映画公開後にブルース・リーは大人気となり雑誌やテレビ番組などで特集が組まれ、映画を見ていない世代にも広く知られるようになりました。引き締まった身体で上半身裸でパンチやキックを繰り出し、ヌンチャクという見た子もない武器を使って闘うブルース・リーが大人から子どもの間で大人気となりました。とりわけ子どもたちにとっては仮面ライダー、ウルトラマンがシリーズ化してややマンネリ化していたところに斬新なヒーローが登場となりました。

 当時、仮面ライダースナックやウルトラマンスナックなどが販売されており子どもたちの間でカードが大人気でした。ブルース・リーのスナックは販売されませんでしたが駄菓子屋さんにはカードが売っていました。どんな写真が入っているかわからない袋に1枚ずつ入ったカードを買いあさった記憶があります。その後、「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」が公開、1974年には倉田保昭さん主演で「闘え!ドラゴン」も放映されされ、ブルース・リーの人気はさらに上昇しました。

 そして1975年に公開されたのが「最後のブルース・リー/ドラゴンへの道」でした。このタイトルを見たときに「最後のブルース・リー」ってどういうことなのだろうと素朴に思ったのです。子どもだった自分にとってブルース・リーは銀幕のヒーローで武道家や俳優としてのブルース・リーのことはあまり知らなかったのです。

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 そして友達と調べて分かったのがブルース・リーは「燃えよドラゴン」の公開前に亡くなっていたということです。もう亡くなっているので、これ以上はブルース・リーの映画はない。だから最後のブルース・リーと知って友達と頭が真っ白になって愕然とした記憶があります。この数年間かっこいいなと思って見ていたヒーローが既に亡くなっていたとは夢にも思っていませんでした。ブルース・リーが亡くなっていたことを知らなかった人は大勢いたようで、その後は雑誌やテレビなどで武道家や俳優としてのブルース・リーの生誕から亡くなるまでを解説した特集が組まれるようになりました。自分はブルース・リーの本や写真集などを買い集めるようになっていましたが、当時はそれほど多くはありませんでした。いや、あったのかもしれませんが子ども向けののものはなかったのでしょう。

1978年になると「死亡遊戯」の宣伝が行われるようになり映画雑誌の「スクリーン」や「ロードショー」などで特集号が販売されるようになりました。本や写真集も多く出回り、お小遣いで買える範囲のものは購入しました。ブルース・リーのファンクラブにも入会し、香港から通信販売でブルース・リーの雑誌を取り寄せました。内容は広東語か英語なのでさっぱりわかりませんが、見たことのないブルース・リーの写真がたくさん掲載されていたのです。そして「死亡遊戯」を見てますますブルース・リーにはまってしまったのです。

Tribute  (死亡遊戯 ED)

 

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BRUCE LEE'S NUNCHAKU IN ACTION

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ブルース・リー 死亡遊戯ワイド特集号 月刊スクリーン 1978年5月号臨時増刊

ブルース・リー最新特集号 月刊スクリーン 1979年9月号臨時増刊

ブルース・リー 映画「死亡遊戯」のパンフレット BRUCE LEE'S GAME OF DEATH

ブルース・リー死亡遊戯のポスター

【おもしろ映像】ジェダイのリー|もしブルース・リーがジェダイマスターだったら

 

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