カテゴリー「映画・テレビ」の204件の記事

2022年9月29日 (木)

ゴールデンバットとゴールドウルフ|キカイダーの良心回路とアイザック・アシモフのロボット工学三原則②

 ロボット工学三原則はアイザック・アシモフの短編SF小説『われはロボット(I Robot)』で示されたものです。ロボットはこの三原則の元に設計されなければならないということですから自律型のロボットについてはロボット自身の行動規範になるのだろうと思います。

第2回はキカイダーの漫画(原作)のゴールデンバットとテレビドラマのゴールドウルフについて考えます。

ロボット工学三原則

・第一条 

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

・第二条 

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

・第三条 

 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 ロボットがこの三原則に従って作られているかどうかは人工知能の設計者に委ねられるでしょう。

 ダーク破壊部隊にも良心回路が搭載されたロボットがいました。原作ではゴールデンバット、テレビドラマではゴールドウルフです。

ゴールデンバット

 ゴールデンバットの良心回路はプロトタイプでありジロー/キカイダーに取り付けられた良心回路よりも不完全なものでした。そのため、ゴールデンバットは光明寺博士に対し自分は実験台にされたと恨みを抱いていました。良心回路のためにギルの命令に対して善悪の判断にせまられるという苦しみを抱えることになってしまったからです。しかし、良心回路が不完全だったためジロー/キカイダーほど苦しむことはなく短時間でギルの命令に従う判断ができました。

 ゴールデンバットがジロー/キカイダーを追い詰めたとき、ミツコはゴールデンバットの戦い方が卑怯だと叫びます。するとゴールデンバットはジロー/キカイダーをそのまま倒すことをやめ、ロボットのプライドを見せてやろうと言いジロー/キカイダーと正々堂々と勝負を挑みます。窮地を脱したジロー/キカイダーは正々堂々の戦いでゴールデンバットを倒します。

 ゴールデンバットに良心回路が搭載されていなかったらゴールデンバットはプライドという言葉を口にすることもなければ正々堂々と闘うこともせずそのまま卑怯な手でジロー/キカイダーを倒していたでしょう。

ゴールドウルフ

 ゴールドウルフはゴールデンバットとは異なり光明寺博士のことが好きでした。ゴールドウルフは人間の姿をしているときは紳士的でした。光明寺博士をかくまったりミツコやマサルを助けたりしています。

 こうしたゴールドウルフの行動は良心回路の働きによるものですが、ゴールドウルフには月光電池という装置が搭載されていました。この月光電池の働きにより、ゴールドウルフは月の光を浴びると人間の姿から狼の姿をしたロボットになって良心回路が働かなくなります。そうなるとゴールドウルフにはジロー/キカイダーの説得は通じなくなります。恐るべしギルの仕掛けです。

プロフェッサーギル 

 ジロー/キカイダーはやむなくゴールドウルフと戦います。しかし、月が雲に隠されるとゴールドウルフは紳士的な人間の姿に戻りました。そこにギルの笛がなり始めジロー/キカイダーとゴールドウルフが苦しみ始めます。そして、再び月が現れるとゴールドウルフは狼ロボットとなりジロー/キカイダーに襲いかかります。ゴールドウルフの攻撃の金属音によってジロー/キカイダーは何とかチェンジします。そしてゴールドウルフを説得しようとします。しかし、説得は通じることなくジロー/キカイダーはデンジ・エンドでゴールドウルフを倒します。その直後、月が再び雲で隠されるとゴールドウルフは紳士の姿に戻り「月がもう少し早く隠れてくれたら」と言い残して絶命します。

 このとき、キカイダーの目から涙が流れ出てきました。月光電池は不完全な良心回路を凌駕し紳士的なゴールデンウルフをいとも簡単に悪の手先に変えてしまいます。ゴールドウルフが迎えた悲しい最期に加えて、自分も同じ運命を背負っていることを改めて悟ったジロー/キカイダー。回路に何らかの影響が出てオイルが染み出してきたものか・・・涙となって出てきたのでしょう。

 ゴールドウルフに搭載されていた良心回路はゴールデンバッドよりも完成度が高かったと思います。またゴールドウルフが悪になるのは、月光電池のためです。ですから光明寺博士がゴールデンバットに取り付けた良心回路が月光電池には勝らなかったとは言え、ゴールデンウルフの良心回路がどれぐらい不完全だったのかはわかりません。もしかするとジロー/キカイダーの良心回路と同程度だったのかもしれません。ジロー/キカイダーには月光電池のようなものが取り付けられていませんから。

 良心回路を抱えたロボットはロボット工学三原則にのっとって設計されたものではなく、自律的に考えて行動し、良心回路の働きで、結果として三原則と同様な考えで行動するように設計されているのだと思います。さまざまな知識や経験がデータとして蓄積され、それらの情報を元に何が善で何が悪なのかを見極めていけるように設計されているのでしょう。

【関連記事】

ダーク破壊部隊|キカイダーの良心回路とアイザック・アシモフのロボット工学三原則①

ゴールデンバットとゴールドウルフ|キカイダーの良心回路とアイザック・アシモフのロボット工学三原則②

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2022年9月25日 (日)

バカボンのパパ参上「天才バカボン」放送開始(1971年9月25日)

 「天才バカボン」は赤塚不二夫原作のギャグ漫画です。「天才バカボン」は1967年4月9日の「週刊少年マガジン」に登場しました。途中で「週刊少年サンデー」に連載が切り替わりましたが最終的には「月刊少年マガジン」の連載となり1978年12月号で終了しました。

 自分は漫画も見ていましたがやはりインパクトが大きかったのは「天才バカボン」のテレビアニメです。「天才バカボン」のテレビアニメは当初は1968年10月から日本テレビで放映する予定でパイロット版も作成されましたが諸問題により企画が頓挫しています。

 「天才バカボン」のテレビアニメが始まったのは1971年9月25日、読売テレビで毎週土曜日の19時00分~19時30分に放映されました。「天才バカボン」が始まる前、この時間帯は「巨人の星」が放映されていました。「巨人の星」の最終回の最後に星飛雄馬などの登場人物が登場し、バカボン一家を紹介します。飛雄馬がバカボンに後をよろしくと言うと天才バカボンの予告編が始まりました。

 テレビアニメ版の「天才バカボン」が原作に比べると過激な表現などが削られてずいぶんとマイルドな作りになっています。原作はナンセンスなドタバタ漫画ですが、テレビアニメ版はナンセンスでありながら人情的な物語に仕上がっています。

 キャラクターのデザインや設定は原作をほぼ踏襲していますが、原作では無職だったバカボンのパパがテレビアニメでは植木屋さんになっています。バカボンのパパに仕事を持たせるのはスポンサーの大正製薬やテレビ局の意向だったようです。バカボンのパパに仕事をもたせると言ってもスーツを着せて会社に通わせるわけにもいきません。そこで脚本を担当していた雪室俊一さんが植木屋という設定にしたそうです。植木屋さんであればスーツを着せることもありません。結果として同じ会社に通うサラリーマンと違っていろいろなところに出かけるので話が広げることができたそうです。一方でバカボンのパパは無職でなければいけないと考えていた赤塚先生は断りもなく設定が変更されてしまったことに憤慨し失望されたそうです。

 あとキャラクターデザインが大きく変わったのは本官さんです。原作では目がつながっていて鼻の穴も1つでしたが、テレビアニメでは目はつながっておらず鼻の穴も2つあります。次の絵は自分がずいぶん前に原作とかアニメの違いを考えずに何も見ないでパソコンでマウスで描いた本官さんです。まるで原作の本官さんに仕上がっています。今でも本官さんはアニメより原作の顔の方が強烈に記憶に残っています。

天才バカボンの本官さん
天才バカボンの本官さん

 今では人気の「天才バカボン」は最初から広く受け入れられてわけではありません。当時のPTAは「子どもに見せたくない番組」としてテレビ局にクレームを入れていました。その影響もあって放送開始直後は自分の家でも「天才バカボン」はなかなか見せてもらえませんでした。チャンネルを回すふりをしてバカボンのチャンネルでしばらくとめるなど姑息な手段を使って見ていました(^^ゞ

 あるとき父が自分と弟を「東宝チャンピオンまつり」(1972年公開)に連れて行ってくれたのですが、そのとき「天才バカボン 夜まわりはこわいのだ」が放映されました。これはアニメ第33話です。バカボンとパパと酔っ払いのおじさんが眼科の看板に背広を着せて本官さんをびっくりさせるシーンなどを見て3人で大笑いしました。

 この日を境に家では父の了承のもと「天才バカボン」を見ることが全面的に解禁になったのです。それ依頼、父と自分と弟で毎週3人で「天才バカボン」を大笑いしながら見るようになったのですが、母は納得がいかなかったようです。

電子版 天才バカボン(1) (少年サンデーコミックス) Kindle版

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2022年9月21日 (水)

ダーク破壊部隊|キカイダーの良心回路とアイザック・アシモフのロボット工学三原則①

 ロボット工学三原則はアイザック・アシモフの短編SF小説『われはロボット(I Robot)』で示されたものです。ロボットはこの三原則の元に設計されなければならないということですから自律型のロボットについてはロボット自身の行動規範になるのだろうと思います。

アイザック・アシモフ
アイザック・アシモフ

ロボット工学三原則

・第一条 

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

・第二条 

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

・第三条 

 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 ロボットがこの三原則に従って作られているかどうかは人工知能の設計者に委ねられるでしょう。

ダーク破壊部隊のアンドロイドたち

 人造人間キカイダーに登場するダークを率いるギル博士はダークの目的である世界征服を成し遂げるためにロボットを設計しました。ですからギル博士の設計はこの三原則には従っていないはずです。

 あえて三原則に照らし合わせると、ダーク破壊部隊のアンドロイドの設計思想には第一条がなく目的を達成するためには人間への危害など厭わないのです。そしてその目的とは第二条に基づいて世界征服を成し遂げるための命令に服従することです。第三条に基づいて目的を達するための自己防衛はします。

 ダーク破壊部隊のロボットたちは命令を成し遂げるために自ら思考して行動します。なかには行動にぶれがでたロボットもいました。不完全な良心回路をもち行動にぶれが出たロボットもいましたが、良心回路を持たないの行動がぶれたロボットもいました。

 自ら思考して行動するという点においてギル博士の設計も完全ではなかったのかもしれません。

人造人間キカイダー ソングコレクション

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2022年9月18日 (日)

ブラック・ジャック定期連載終了(1978年9月18日)

 手塚治虫先生の漫画「ブラック・ジャック」は秋田書店の漫画雑誌「週刊少年チャンピオン」の1973年11月19日号から連載が始まりました。

 手塚先生は1950年「ジャングル大帝」、1952年「鉄腕アトム」にはじめ少年漫画雑誌で数々の作品を生み出しました。しかし、1960年代後半になると少年雑誌が若手の漫画家を起用しはじめたり、劇画の人気が高まったりしたため活躍の場が少なくなりました。1973年には旧虫プロダクションと虫プロ商事が倒産し、手塚先生にとってこの時期は厳しい状況が続きました。

 「週刊少年チャンピオン」編集部は手塚先生の状況を憂慮し、手塚治虫の漫画家としての活動30周年を記念する作品の企画を立てました。この企画では手塚治虫作品の全キャラクターが出るスターシステムの作品とされました。連載を快諾した手塚先生は手塚漫画のキャラクターが病気となってブラック・ジャックという医者にかかっていく物語を考えました。また、これまでのヒーロー的な路線を変更し、ブラック・ジャックをアウトサイダー的な存在として描くことにし、卓越した腕を持つが無免許医で法外な手術代を請求する医者という設定にしました。

 「ブラック・ジャック」は短期間の連載の計画で始まりました。当初はそれほど人気も上がりませんでしたが連載を重ねるうちに人気が出始めその後10年間の「週刊少年チャンピオン」の人気を支える作品のひとつとなりました。

アッチョンブリケ
アッチョンブリケの変顔

  「ブラック・ジャック」の定期連載は1973年9月18日号の第229話「人生という名のSL」で終了しました。「人生という名のSL」ではSLに乗っているブラック・ジャックが次々と懐かしい知人と会って話をするという物語です。

 そういえば2007年に放送された「世にも奇妙な物語 春の特別編 2007年」の「回想電車」が「人生という名のSL」に似ていました。「回想電車」は赤川次郎先生の1999年の小説です。ある男が人生を回想するように電車で懐かしい人に出会うという物語です。結末は「人生という名のSL」とは全く異なります。

【関連記事】ブラック・ジャック定期連載終了(1978年9月18日)

アッチョンブリケ考


ブラック・ジャック 全25巻セット

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2022年9月 6日 (火)

宇宙戦艦ヤマト生還(2200年9月6日)

 時に西暦2199年、地球はガミラス星から遊星爆弾の攻撃を受け、人類は放射能汚染による滅亡の危機にさらされていた。

コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)

 宇宙戦艦ヤマトが放射能除去装置コスモクリーナーDを取りに行くため地球から遙か14万8千光年彼方にあるイスカンダルへ旅だったのは2199年10月8日です。

 地球とイスカンダルの往復距離は29万6千光年、人類に残された時間はわずか1年間しかありません。イスカンダルから提供された設計図を元に作られた波動エンジンがワープ航法でこの長旅を可能とします。

 しかし、ヤマトの行く先々にはガミラス艦隊が待ち受けています。ガミラスとの決戦を繰り返しながら任務を遂行する宇宙戦艦ヤマトが地球に生還したのは西暦2200年9月6日、人類は青い地球を取り戻したのです。最終回は地球に生還するヤマトとヤマト帰還後に赤色となった地球が青色を取り戻す映像とともに次のメッセージが流れました。

 西暦2200年9月6日ヤマト生還  宇宙は何事もなかったかのごとく 平和な時を息づいていた。

 さて宇宙戦艦ヤマトの放送開始は1974年10月6日でした。初回放送時はあまり人気がありませんでした。裏番組でカルピスまんが劇場の「アルプスの少女ハイジ」や円谷プロダクションの「SFドラマ 猿の軍団」が放送されていたのです。また、当時は子ども向けと考えられていたアニメ番組の中で宇宙戦艦ヤマトは異色の存在でした。宇宙戦艦ヤマトの視聴率は低迷、当初は全39回の放送が予定されていましたが短縮を余儀なくされ1975年3月30日に全26話で最終回を迎えました。しかし、再放送や映画化で宇宙戦艦ヤマトは大人気となり、子どもから大人まで幅広い年齢層が楽しめるアニメの先駆けとなりました。

【関連記事】宇宙戦艦ヤマト生還(2200年9月6日)

宇宙戦艦ヤマト放映開始(1974年10月6日)

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2022年9月 5日 (月)

Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー④

 Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダーの続きです。今回はページ7・8です。

 最後のページは仮面ライダーと怪人達の戦いが描かれています。トカゲ男が仮面ライダーに飛びかかる。仮面ライダーは直前に空中高く飛び上がる。トカゲ男をライダーキックで倒しますが、ハチ男、ワニ男、サソリ男が仮面ライダーを狙います。

 やんちゃな子どもが持っていた本ですからこのページも損傷が激しいのです。仮面ライダー(足がちぎれている)の左側にトカゲ男(頭部がちぎれている)、すぐ下側にハチ男(なんとか無事)、その下にサソリ男(上半身がない)、あれ?ワニ男がいない!

 このページの可動部分はサソリ男の上半身でしたが肝心な部品がないのでどのように動いていたのかはわかりません。しかし、ワニ男はどこにいってしまったのでしょう。部品がなくなったというわけでもなさそうです。最初から描かれていなかったのかもしれません。

ページ7・8 Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー
ページ7・8 Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー

 さて「Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー」の記事は今回が最終回です。この絵本の裏表紙で締めくくります。右下に価格が¥600とあります。600円だと当時の小学生の毎月のお小遣いで買える値段ではありません。

裏表紙 Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー
裏表紙 Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー

【関連記事】

Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー①

Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー②

Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー③

Banso(ばんそう)のとびだすえほん仮面ライダー④

仮面ライダー放送開始50周年(昭和46年 1971年4月3日)

仮面ライダーvs帰ってきたウルトラマン

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2022年9月 4日 (日)

「ノアの神」と「バラージの青い石」|ウルトラマン第7話

 「バラージの青い石」とはウルトラマン第7話「バラージの青い石」に出てくる石で、中近東に存在する幻の都市バラージ王国の女王チャータムの宮殿に祀られている「ノアの神」の石像が左手に持っていたものです。

 「ノアの神」の石像はウルトラマンとそっくりで右手を高々と突き上げていました。科学特捜隊にとってはウルトラマンですが、チャータムをはじめとするバラージ王国の人々にとってはあくまでもの「ノアの神」なのです。

 バラージ王国は5000年前に怪獣アントラーに襲われ壊滅しそうになりましたが、このとき現れた「ノアの神」によって滅亡の危機を救われました。このときアントラーをバラージ王国に近づけないようにするため「バラージの青い石」が「ノアの石像」とともに宮殿に祀られました。

 しかしながら5000年の時を経てついにアントラーがバラージ王国を襲撃してきました。アントラーが活動を始めたのは中近東の砂漠に落下した隕石の影響でしょう。

 再び壊滅の危機を迎えたバラージ王国。その危機を救うためハヤタ隊員はウルトラマンに変身します。突然、現れたウルトラマンを目の前ににして「ノアの神」が再来したと信じるバラージ王国の人々。ところがアントラーは強くウルトラマンは磁力光線に翻弄されます。そしてスペシウム光線も跳ね返されてしまいます。ついにウルトラマンのカラータイマーが点滅し始めます。

 このときチャータムがムラマツキャップに「この石を早くアントラーへ、ノアの神のお告げです」と言って「バラージの青い石」を差し出します。ムラマツキャップは手に取りそれをアントラーめがけて投げつけます。「バラージの青い石」はアントラーに見事に命中。爆発するアントラーを見届けてウルトラマンは宇宙に帰っていきます。

ウルトラマン第7話「バラージの青い石」
ウルトラマン第7話「バラージの青い石」

 さてウルトラマン第7話「バラージの青い石」で話題になるのは「ノアの神」の正体です。劇中ではウルトラマンが5000年前に地球を訪れバラージ王国の危機を救ったのではないかというやり取りがあります。「ノアの神」の正体には諸説ありますが、おそらく初代ウルトラマンが5000年前に現れてバラージ王国を救い人々から「ノアの神」と呼ばれるようになったのでしょう。青い石の力を知っていたウルトラマンは「ノアの神」のお告げとしてチャータムにテレパシーを使って青い石をアントラーにぶつけるように伝えてきたのではないでしょうか。

 ところで人類は青色を昔から使ってきました。特に植物の藍から得られる色素は太古の昔から利用されてきたと考えられています。絵画などで青色を表現する顔料としては鉱物の青金石を主成分とするラピスラズリという宝石から作られるウルトラマリンが使われました。

 ラピスラズリやウルトラマリンはたいへん貴重なものでした。旧約聖書や新約聖書に出てくる青い石もラピスラズリだったという説もあります。モーゼが神から授かった十戒が刻まれたサファイヤ製の石板もラピスラズリだったのではないかという説もあります。

 さて劇中で「ノアの神」を「ノアの方舟」と結びつけるような台詞があります。「ノアの方舟」は旧約聖書の創世記に出てくる物語でノアは「ノアの方舟」を作った人物です。神は人類の堕落を見て世界を洪水で洗い流すことを決めます。ただし、神はノアの家族と動物のつがいを残すことにしノアに洪水から避難するための「ノアの方舟」を建設するよう命じます。

 ノアはアダムが130歳のときに生まれたセトの子孫ですべての人類の祖先と言われています。ノアが方舟を完成させたときの年齢は600歳でした。ですからノアは普通の人間ではありませんが、ノアそのものが神ではありません。つまり「ノアの神」と言えばノアに方舟の建設を命じた神のことです。

 ウルトラマン第7話「バラージの石」の脚本は南川竜さんと金城哲夫さん。どうしてバラージ王国のウルトラマンそっくりな石像の名前を「ノアの神」としたのでしょうか。

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2022年9月 1日 (木)

沈没したタイタニック号を発見(1985年9月1日)

 イギリスの豪華客船タイタニック号が氷山に衝突したのは1912年4月14日午後12時前です。不沈船とも呼ばれたタイタニック号でしたがこの衝突事故によりわずか2時間40分後の15日午前2時20分に真ん中から折れるように割れて沈没しました。

 タイタニック号が氷山に衝突したのは北大西洋のニューファンドランド沖です。タイタニックはマルコーニ国際海洋通信会社規定の遭難信号CQDや国際条約による遭難信号を発し近く航行する船舶に救助を求めましたが救助の船が到着したのはタイタニック号が沈没してから2時間40分後のことでした。

 タイタニック号が沈没した場所はわかっていましたが同船が発見されたのは沈没から73年後の1985年です。米国の海洋学者ロバート・デュアン・バラードが率いるウッズホール海洋研究所およびフランス国立海洋開発研究所の合同調査チームが同年9月1日に海底3,650メートルに佇むタイタニック号の残骸を発見しました。2004年6月にはタイタニック号の損傷状態が詳しく調べられ、タイタニック国際保護条約が成立しました。

ロバート・バラードと沈没したタイタニック号の船首
ロバート・バラードと沈没したタイタニック号の船首

 2つに折れて沈没したタイタニック号は確かに船体が引きちぎられていましたが横転などはしておらず沈んでいました。沈没時の衝撃により多くのものが失われたと考えられていましたが、上記の写真のように船首部分の手すりは残っており、また船内の内装備品も当時のままの状態になっていることがわかりました。少なくても船の前方は緩やかに沈んだと考えられています。一方、船の後方部分はほとんどが吹き飛んでいました。

 通常、深海ではバクテリアによる船体の損傷が少ないため多くの遺物がそのまま残されていると考えられていましたが、この海域は水温が高く船体の損傷が進んでいました。このまま損傷が進めば2100年頃には船体が崩壊すると考えられています。

【関連記事】沈没したタイタニック号を発見(1985年9月1日)

タイタニック号が氷山に衝突(1912年04月14日)

豪華客船オリンピック号がUボートを撃沈(1918年5月12)

青函連絡船「洞爺丸」沈没(1954年9月26日)

タイタニック (字幕版) 

1997年。ジェームズ・キャメロン監督。レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット出演

1997

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2022年8月29日 (月)

オバケのQ太郎が放映開始(1965年8月29日)

 漫画「オバケのQ太郎」は昭和39年(1964年)1月22日に小学館の週刊少年サンデー6号で連載が始まりました。当時の回想によると編集部に出入りしていた子どもが描いたお化けの漫画に着想してお化けを主人公とした漫画を藤子不二雄に連載を依頼することになったようです。

 当時、不藤子不二雄は藤本弘(後の藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)の両先生がコンビとして漫画を執筆していました。漫画「オバケのQ太郎」は藤子不二雄とトキワ荘出身の漫画家で設立した「スタジオ・ゼロ」雑誌部のメンバーと手がけることになりました。週刊少年サンデーでの連載が始まりましたが読者の反応が鈍かったことや藤子不二雄自身もそれほど身が入らなかったため連載は9回にして終了してしまいました。

 ところが連載終了後に多くの読者から編集部に連載再開を求める手紙が押し寄せ、週刊少年サンデー編集部は3ヶ月後に「オバケのQ太郎」の連載を再開しました。再開された連載では藤子不二雄が中心となり、スタジオ・ゼロのメンバーは作画協力として参加する体制になりました。Q太郎の絵は藤本先生、正太君は安孫子先生、その他の人物は石ノ森章太郎先生と赤塚不二夫先生、背景画は北見けんいち先生(釣りバカ日誌)が担当していました。

 連載が再開すると「オバケのQ太郎」は大人気となり小学館の学年誌などにも掲載されるようになりました。さらにアニメ化が決まり昭和40年(1965年)8月29日にTBS系「不二家の時間」(日曜19:30~20:00)で「オバケのQ太郎」が始まったのです。この頃、テレビでは流行していたSFアニメの人気にかげりが出始めていました頃で、日本初のギャグアニメの主人公Qちゃんは子どもたちの心を鷲づかみしたのです。

オバケのQ太郎
オバケのQ太郎

  「キュッ!キュッ!キュッ!」で始まる石川進さんが歌う主題歌「オバケのQ太郎」、「オッ!オッ!オバケのケノケノマーチ」で始まるQ太郎の声優の曽我町子さんが歌う「オバQマーチ」が大人気となりました。また曽我町子さんの「オバQ音頭」は当時の盆踊りの定番となり多くの子どもたちがが「オバQ音頭」に合わせて踊りました。

【関連記事】オバケのQ太郎が放映開始(1965年8月29日)

パーマン誕生の日(1967年4月2日)

マッハGoGoGo放送開始(1967年4月2日)

「巨人の星」放送開始(1968年3月30日)

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2022年8月27日 (土)

「男はつらいよ」の日(1969年8月27日)

 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です...姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」。ご存じフーテンの寅さんの口上です。

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 フーテンの寅さんと言えば映画「男はつらいよ」ですが、もともと「男はつらいよ」は1968年10月3日から1969年3月27日までフジテレビ系列で放映されたテレビドラマでした。

 テレビドラマ「男はつらいよ」も葛飾区柴又帝釈天の門前町の老舗の団子屋「とら屋」に行方不明となっていたさくらの兄の寅次郎が帰ってくるところから始まります。もちろん寅さんの役は渥美清さん。さくらは長山藍子さんが演じていました。寅さんが帰ってくるなり、静かだった「とら屋」はいろいろな騒動が起こりてんやわんやとなります。おいちゃん、おばちゃん、さくらなど久しぶりに帰ってきた寅さんをやっかいものと考えていましたが、だんだん寅さんの人柄に魅力を感じるようになり騒動まで楽しむようになります。やがて体調を崩したおいちゃんは江戸時代から続く「とら屋」は店をたたむことにしました。

 店がなくなってしまった寅次郎は行く当てもなく弟の雄二郎(佐藤蛾次郎)を連れて奄美大島へと旅立ちました。一攫千金を狙ってハブを捕まえに行ったのです。寅次郎がいなくなり静けさを取り戻した葛飾柴又。時が流れてさくらに子どもができた頃、雄二郎が葛飾柴又に帰ってきます。雄二郎の話によると寅次郎はハブに噛まれて命を落としたとのこと。兄の形見の帽子を受け取り呆然とするさくら。ところが、その夜に寅次郎がさくらの前に現れる。しかし、寅次郎は「恋とゆう奴あどえらい奴だ♪」と喧嘩辰を歌いながら立ち去ります。自分の前に現れた寅次郎が幻影だったことに気が付いたさくらは兄の死を受け入れ泣き崩れるのでした。

 さてこのテレビドラマ「男はつらいよ」はお茶の間で大人気となりました。寅次郎が奄美大島でハブに噛まれて死なせてしまったことで、多くの視聴者がテレビ局に抗議の電話をかけたのです。当時はテレビ番組は映画よりも格下でテレビドラマが映画化される習慣はありませんでしたが、脚本を担当した山田洋次監督らの説得により映画化されることになりました。

 こうして視聴者の期待に応えるべく制作されたのが1969年8月27日に公開された松竹配給・山田洋次監督・渥美清主演の映画「男はつらいよ」でした。この第1作で寅次郎は復活し、1995年公開の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」まで48作に及ぶ長編シリーズの映画となりました。

 主演の渥美清さんは第49作「寅次郎花へんろ」の準備をしている1996年8月に亡くなりました。渥美清さんと寅さんの人気は衰えず、1997年には第49作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」が公開され、公開50周年にあたる2019年には第50作「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開されました。テレビドラマでハブに噛まれて死んだ寅さんが映画で戻ってきたように、渥美清さんは銀幕の中で寅さんを生き生きと演じていました。

 子どもの頃に母方の祖父に連れて行ってもらった映画が「男はつらいよ」でした。おそらく爺さんが見たくて行ったのだと思います。何作目だったのか思い出せませんがリリー(浅丘ルリ子さん)が出ていました。爺さんは寅さんと違って普通のおじさんでしたが、右目の眉毛のところに寅さんと同じようなホクロがありました。

【関連記事】「男はつらいよ」の日(1969年8月27日)

映画「七人の侍」公開(1954年4月26日)

ゴジラの日 1954年11月3日(昭和29年)

水戸黄門の放送開始(1969年8月4日)

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