カテゴリー「映画・テレビ」の161件の記事

2021年9月13日 (月)

【おもしろ映像】ターミネーターT-600の真実

 サイバーダインシステムズ・モデル101シリーズ600は世界初の量産型人形ターミネーター。

 T-600はT-800のひとつ前のモデルであり、皮膚がゴム製のため、アンドロイドあることがすぐにばれてしまいます。そのため骨格のままのアンドロイド兵士として使われることが多いモデルです。

 T-600が肩を揺らしながら歩いている姿はとても気味が悪く、こんなのが本当にいたら、ひとたまりもないという感じです。

 でも、本当はこんな風に歩いていたのだそうです。このT-600はCGではなくパペットを使った特撮です。

 最後の方に首を絞められながらT-600 に連行される男が出てきますが、T-600を動かしているのは・・・

TERMINATOR SALVATION Behind-the-Scenes: T-600 Puppet Test

 ところで2019年に「ターミネーター:ニュー・フェイト」が公開されています。これは「ターミネーター2」の続編という位置付けです。ディズニーが20世紀フォックス(現:20世紀スタジオ)を買収したため「ターミネーター」はディズニー配給作品となりました。

ターミネーター:ニュー・フェイト [AmazonDVDコレクション]

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2021年9月10日 (金)

カラーテレビ放送開始(1960年9月10日)

 日本のテレビ本放送はNHKによって昭和28年(1953年2月1日)に開始されました。テレビ放送の準備はNHKよりも民間の日本テレビが先に進めていましたが、機材の準備などで遅れを取りNHKに先をこされてしまったという経緯があります。

 テレビが登場する前は映像の娯楽と言えば映画でした。大画面ではないにしろ映像が家庭で見られるテレビ放送は大人気となりました。しかし、初期のテレビの価格は当時のサラリーマンの平均給料が数万円のところ20〜30万円もしたのです。ですからテレビを購入できるのは一部の富裕層のみでした。そこで駅や公園など街中に街頭テレビが設置されるようになり、街頭テレビは大衆の娯楽となりました。

 当初のテレビは白黒で、映画のようにカラー映像を見ることができませんでした。カラーテレビの放送がテレビ本放送から7年後の昭和35年(1960年)9月10日で、NHKおよび民放各社がカラーテレビ放送を開始しました。しかし、家庭に普及していたテレビの多くは白黒テレビであり、カラーテレビはそれほど普及していませんでした。経済成長に伴いサラリーマンの給与も増えてテレビの価格も下がり、1964年東京オリンピックをきっかけとしてテレビの普及率は上昇しましたが、カラーテレビの普及率はそれほど高くありませんでした。多くの国民は1964年東京オリンピックを白黒テレビで観戦していたのです。

 カラーテレビ放送開始後も白黒で放送された番組がたくさんあり、カラー放送の番組はめずらしかったのです。次の写真は1968年10月1日の新聞のテレビ欄です。この日はウルトラセブンの放送が開始した日ですがタイトルの前に[カラー]と表示されています。このようにカラーで放送される番組には[カラー]と表記されることが慣例でした。ウルトラセブンの後番組のパーマンのタイトルには[カラー]がありません。モノクロのアニメ作品だったのです。おそらく多くの子どもたちはウルトラセブンもパーマンも白黒で見ていたことでしょう。

カラー放送を示す新聞のテレビ欄
カラー放送を示す新聞のテレビ欄

 カラーテレビが本格的に家庭に普及し始めたのは昭和40年代後半です。昭和49年(1974年)にカラーテレビの普及台数が白黒テレビを超え、昭和50年代にはカラーテレビが当たり前となりました。

 我が家にカラーテレビがやってきたのは昭和45年(1970年)ぐらいだったでしょうか。親がカラーテレビを買ったというので、カラーテレビはいつくるのかと毎日しつこく聞いた記憶あります。そして、ある日のこと学校から家に帰ると、お茶の間に当時テレビCMで有名だった日立製作所のキドカラーがポンパの人形と一緒にあったのです。昭和48年(1973年)の許潤軍の長嶋茂雄さんの引退セレモニーや仮面ライダーはカラーテレビで見ることができました。

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日本初の民間テレビ局が放送開始(1953年8月28日)

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地上波アナログテレビ放送が終了(2011年7月24日)

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2021年9月 8日 (水)

欲張り過ぎた正義の味方(昭和43年頃)

 5歳ぐらいの少年が自分の持っているヒーローグッズを身につけて記念撮影。

 頭にはスーパージェッターのお面、腰には忍者赤影の刀と西部劇の拳銃です。着ている服もちょっと西部劇っぽい。

 使いこなせるのかどうかは別にして本人は完全装備に大満足だったようです。

欲張り過ぎた正義の味方
欲張り過ぎた正義の味方

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ウルトラマンの空気ビニール人形(昭和42年 1967年4月2日)

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あの子が描いたウルトラセブン(昭和42年)

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2021年8月28日 (土)

日本初の民間テレビ局が放送開始(1953年8月28日)

 日本で初めてテレビ放送が始まったのは昭和28年(1953年)2月1日です。同日午後2時に「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンでありま」のアナウンスとともにNHKによる日本初のテレビの本放送が始まりました。

 実は日本初のテレビ放送の開始をめざしていたのは民間の日本テレビでした。日本テレビは1952年7月にNHKに先駆けてテレビジョン放送予備免許を取得し、テレビ放送開始の準備を進めていました。しかしながら、放送機材の取り揃えでNHKに遅れを取り、日本初のテレビ放送開始を実現することはできませんでした。

 日本テレビがテレビジョン放送本免許を取得したのは1953年8月27日です。翌28日午後11時20分、「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」のアナウンスとともに日本初の民間テレビの本放送が開始しました。

 正午には日本初のテレビCMが精工舎の提供によって時報を知らせる時計のコマーシャルが放映される予定でしたが、フィルムを裏返しにセットしてしまったために反転した映像が流れてしまい中断となり日本初の放送事故となりました。このテレビCMは午後7時に改めて放映されました。

Seiko 日本初のテレビCM

 当初のテレビは1台30万円もしました。この頃の平均給与は3万円ぐらいですから、テレビを買える人はほとんどいなかったので。そこで多くの人が街頭テレビの前に集まり、テレビ放送を楽しみました。

 日本でテレビが普及し始めたのは1950年代の終わり頃からです。1959年の皇太子ご成婚のパレードのテレビ中継を多くの国民が見ました。一家に一台のテレビの時代がやってくるのは1960年代以降です。

一家に一台のテレビ(1960年代)
一家に一台のテレビ(1960年代)

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2021年8月27日 (金)

科学特捜隊ムラマツキャップを偲ぶ日(1996年8月27日)

 ウルトラマンの科学特捜隊のムラマツキャップ、仮面ライダーの立花藤兵衛と言えば俳優の小林昭二さんです。小林昭二さんは昭和5年(1930年)9月26日に生まれで平成8年(1996年)8月27日に他界されました。当時、まだ65歳でしたので訃報にびっくりしましたが、時はあっという間に過ぎてもう25年が経ちました。

 小林昭二さんは、たくさんの映画やテレビドラマに出ていますが、自分が初めて認識したのはやはり科学特捜隊のムラマツキャップでした。科学特捜隊の隊長としての厳しさ、人間としての優しさと面白さが画面を通じて伝わってきました。子どもながらにムラマツキャップの人柄を感じることができたのは小林昭二さんの名演技にほからりません。

 ウルトラマンの第34話「空の贈り物」では、怪獣スカイドンが空から落下した時に発生した地震で、作戦室に慌てて集まってきた隊員たちを叱る場面がありますが、ムラマツキャップも隊員服を後ろ前に着ていて、寝ぼけて大きな枕を抱いて出てきたイデ隊員に指摘されてバツが悪そうな表情となるシーンがあります。実装時監督の怪獣出現の緊張感の中でのコメディ演出を見事に演じています。

隊員服を後ろ前に着ているムラマツキャップ(ウルトラマン第34話「空の贈り物」)
隊員服が後ろ前のムラマツキャップ(ウルトラマン第34話「空の贈り物」)

 仮面ライダーでは改造人間となって人間の平和のために戦う本郷猛や一文字隼人を支えるおやっさんこと立花藤兵衛、強靭な本郷毅や一文字隼人が精神面ではおやっさんを信頼しており、おやっさんが2人を支えていることが伝わってきます。

 そして面白いのはウルトラセブン第47話「あなたはだぁれ?」のふくろう団地のサトウさん。最後のシーンで部屋を間違えてしまったお隣のサトウさん。あわてて階段を降りてきて念願の自分の家族にやっと会えて一安心。

 先日(2021年8月21日)、ウルトラマンのイデ隊員役の二瓶正也さんが他界されましたが、小林昭二さんが他界した翌年の作品「ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影」(1997年作品)では写真家役の二瓶正也さんが小林昭二さんの遺影を手にしていました。

 イデ隊員とムラマツキャップ、久しぶりに空に輝く星空の中で再開していることでしょう。

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2021年8月14日 (土)

【おもしろ映像】ジェダイの犬

 うちの犬はジェダイと題した映像です。ライトサーベルを持った犬が電子銃の攻撃をかわします。

Photo_20210813121701

 このような特殊効果の映像は現在は簡単に作れそうですが、この映像は2007年に作成されたものです。2007年というとiPhoneが発売された年です。なかなかの出来ばえと思います。この手のYouTube映像としては先駆的なものだったかもしれません。

My Dog is a Jedi - Clip Scene

 ジェダイの犬で検索してみたらワンちゃんのスター・ウォーズのコスプレの服がたくさん見つかりました。

 

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2021年8月 4日 (水)

水戸黄門の放送開始(1969年8月4日)

 水戸黄門は言わずと知れた江戸時代の権中納言、水戸藩主で徳川光圀のことです。黄門とは中国で皇帝のそばに仕えて勅命を伝える職務「黄門侍郎」のことで、日本の中納言の唐名にあたります。

権中納言 水戸藩主 徳川光圀
権中納言 水戸藩主 徳川光圀

 さて水戸黄門と言えばTBSで放送されていたテレビ番組「水戸黄門」を思い出す人が多いと思います。TBSのこの番組枠は松下電器産業株式会社の単独スポンサーで「ナショナル ゴールデン・アワー」「ナショナルTVホール」を経て「ナショナル劇場」となり、のちに「パナソニックドラマシアター」と呼ばれていました。この番組枠は松下幸之助氏の「世の為人の為、老若男女問わない番組を」の方針で1956年4月から放送が開始され、主に現代劇のドラマが放送されていました。

 水戸黄門の前作は青春コメディー「S・Hは恋のイニシァル」で、次作も同様な番組を企画する予定だったようです。しかし、松下幸之助氏の「世の為人の為になるような番組」の方針が改めて打ち出され、水戸黄門が企画されました。当初TBSは人気の番組枠がいきなり現代劇から時代劇へ転換すること、1966年にTBSでブラザー劇場「水戸黄門」が放映されていたことから難色を示しましたがスポンサーの方針ということで「水戸黄門」が制作されることになりました。

 ナショナル劇場「水戸黄門」の放映が始まったのは1969年8月4日です。当時の自分の年齢では時代劇を見るはずもなく、また父も母も「水戸黄門」を見ていなかったと記憶しています。母の実家に遊びに行ったときには、祖父と祖母は「水戸黄門」を見ていました。「水戸黄門」を見る機会が増えるうちに面白いと思うようになりました。

 子どもから見ると水戸黄門はお爺さんですが、このお爺さんが当時の勧善懲悪のスーパーヒーローにかぶったのです。

 越後のちりめん問屋の御老公一行の旅路、困っている被害者と出会う。事情を探ると悪代官などの存在が見えてくる。そして一行と悪人たちが対峙して殺陣。そして、助さん・格さんが御老公の前に立ち葵の御紋の印籠を出してあの名言。

格さん「こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも前副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」

助さん「一同、御老公の御前である、頭が高い、控えおろう!」

 そして、水戸黄門の裁きが声高々にくだります。

光圀「その方たちの悪事の数々、この光圀しかと見届けたぞ!!」「許し難い」「言語道断」「恥を知れ!」

 この後、悪人の態度はいろいろです。観念したり、開き直ったり。また、その悪代官の上司が出てきて改めて裁いたり。

いずれにしても悪人たちは断罪されてしまいます。

 最後に光圀がおろどく被害者に「末長く仲良く暮らすのだぞ」などと優しく声をかけます。

 そして万事を解決した御老公が「それでは、助さん、格さん参りましょうか」と言い後に旅立ちます。深く頭を下げる被害者たち、そして光圀の高笑い。「かっかっかっか!」

 毎度、同じように始まり、同じように終わる水戸黄門。演じるのは俳優の東野英治郎さん。他にもたくさんの役者さんが水戸黄門を演じていますが、東野英治郎さんは1969年8月から1983年3月まで約13年半も水戸黄門の役を務められました。ゴールデンアワーで視聴率も高い。水戸黄門と言ったら東野英治郎さんだったのです。

 ところで水戸黄門は「水戸黄門漫遊記」という幕末に作られた講談でした。つまり水戸黄門のお話しは今から150年以上も前にあったのです。1910年に最初の映画「水戸黄門記」が公開され、その後、たくさんの映画やドラマが作られました。にもかかわずTBSのナショナル劇場「水戸黄門」のイメージが強いのは、この番組が2011年12月19日最終回スペシャルまで42年間続いたからでしょう。

 水戸黄門が終了したときには、寅さんシリーズが終わったときのような何とも言えない寂しさを感じました。

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2021年5月25日 (火)

映画「スターウォーズ」米国公開(1977年5月25日)

 ジョージ・ルーカス監督作品の映画「スター・ウォーズ」が日本で公開されたのは1978年7月1日でした。日本ではその約4ヶ月前の1978年2月25日にスティーブン・スピルバーグ監督作品の映画「未知との遭遇」が公開されていました(コロログ 夜明け前「映画「未知との遭遇」日本公開(1978年2月25日)」)。国内では特撮テレビドラマやSFアニメなどが流行していたこともあって、これらアメリカのSF映画を見に行くのを楽しみにしていたことを覚えています。

Star Warsのポスター
Star Warsのポスター

 当時は地球人と宇宙人の戦いを主題とするSF映画やテレビドラマを見慣れていたせいもあり、地球人と宇宙人の出会いを壮大に描いた「未知との遭遇」はとても目新しく感じました。その一方で地球人と宇宙人の戦いのシーンがなかったため少し期待外れの部分もありました。

 その後の公開されたのが「スター・ウォーズ」でした。「スター・ウォーズ」は宇宙戦争の映画ですが、地球人と宇宙人の戦いではなく人間同士の争いを主題としたもので、これも目新しさを感じました。「スター・ウォーズ」は戦争映画、西部劇、日本の武士道や時代劇、ミュージカル、ヒューマニズムなどのエッセンスが取り込まれた壮大なスペース・オペラでした。「未知との遭遇」の宇宙人との接近遭遇を見た後、人間も宇宙人も当たり前のように登場する「スター・ウォーズ」には時間的なつながりのような印象を持ちました。

 ところが、後になってわかったのですが、米国では「未知との遭遇」が公開されたのは1977年11月16日で、「スター・ウォーズ」の公開は1977年5月25日でした。つまり自分も含めて多くの日本人は「未知との遭遇」を見た後に「スター・ウォーズ」を見たわけですが、実際には「スター・ウォーズ」の方が先に公開されていたのです。両作品の時間的なつながりのような印象は、自分が勝手に感じただけのものでしたが、今でもその印象が残っています。

 さて「スター・ウォーズ」は試写の段階では酷評されたため、ルーカス監督は自信をすっかり失ってしまったそうです。巨額の製作費をかけた映画が大失敗になることを悟り、公開時はハワイの別荘に雲隠れして外界との接触を途絶えてしまいました。ルーカス監督はスピルバーグ監督に「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」の印税の2.5%を交換することを提案し、スピルバーグ監督も了承しました。「スター・ウォーズ」は公開直後から大好評となり、スピルバーグ監督が雲隠れしていたルーカス監督にその事実を伝えました。「スター・ウォーズ」は世界中で大ヒットし、現在もスピルバーグ監督は交換した印税の収益を得ています。

 「スター・ウォーズ」公開から44年、次の「スター・ウォーズ」(ローグ・スクワドロン/ Rogue Squadron)は2023年クリスマス公開予定とのことです。スカイウォーカーの話は完結しましたが、新しい世代の若者が主人公となるようです。

 

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2021年5月15日 (土)

ミッキー・マウス「プレーン・クレイジー」に登場(1928年5月15日)

 ミッキー・マウスはウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスが創り出したキャラクターです。アメリカの文化を象徴するディズニーランドのキャラクターですが、その誕生の背景にはちょっとした裏話がありました。

 1927年、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスは映画会社ユニバーサル・スタジオの依頼で映画「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を制作しました。この映画の成功をうけて、ディズニーは製作費の上乗せを求めましたが、ユニバーサル・スタジオはこの要求を拒否するとともに映画に登場したキャラクターの所有権を主張しました。交渉は決裂し、ディズニーとユニバーサル・スタジオの契約は打ち切りとなりました。その後、ユニバーサル・スタジオはディズニーのアニメーターなどを引き抜き、ディズニーは「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」に関する権利と人的リソースを失ってしまいました。

 ディズニーとアイワークスはこの崖っぷちの状況で新しい作品を企画し、その作品の登場キャラクターとしてアイワークスが創作したのがミッキー・マウスでした。当初、アイワークスは様々な動物のキャラクターを考案しましたが、ディズニーはすべてのアイデアを拒否しました。そのような状況の中で2人はかつての仕事仲間のヒュー・ハーマンが描いたマウスにヒントを得て、ミッキーマウスを生み出しました

 ミッキー・マウスは1928年11月18日にニューヨークのコロニー劇場で公開された短編アニメーションのトーキー映画「蒸気船ウィリー」でスクリーンに初登場しました。この日がミッキー・マウスの誕生日とされています。

 実はミッキー・マウスは1928年5月15日に試写された「プレーン・クレイジー(飛行機狂)」という短編アニメーションのサイレント映画に登場していました。この映画は配給会社から相手にされずお蔵入りとなりましたが、「蒸気船ウィリー」の成功を受けて、トーキー映画として作り直され1929年3月13日にシリーズ3作目として公開されました。

Plane Crazy Mickey Mouse Classic Walt Disney 1928 Sound Cartoon

 

 「プレーン・クレイジー(飛行機狂)」に登場するミッキー・マウスはやんちゃなキャラクターです。

セレブレーション! ミッキーマウス [DVD]

ミッキーマウスのスクリーンデビュー90周年を記念し、デビューから現在までのミッキーの人気短編作品だけを収録した傑作コンピレーション!

<収録内容>
・蒸気船ウィリー(1928年)
・ミッキーの大演奏会(1935年)
・ミッキーの夢物語(1936年)
・ミッキーのライバル大騒動(1936年)
・ミッキーの造船技師(1938年)
・ミッキーの移動住宅(1938年)
・ミッキーの巨人退治(1938年)
・ミッキーの船長さん(1940年)
・ミッキーのつむじ風(1941年)
・ミッキーの誕生日(1942年)
・プルートの誕生祝(1952年)
・ミッキーの魚釣り(1953年)
・ミッキーのミニー救出大作戦(2013年)

 

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2021年4月27日 (火)

ウルトラマンの空気ビニール人形(昭和42年 1967年4月2日)

 実家の写真を整理していたらウルトラマンの空気ビニール人形を高々と掲げた子どもの写真が出てきました。写真の日付は昭和42年(1967年)4月2日とありました。ウルトラマンは1966年7月17日から1967年4月9日に放送されたので、この写真は最終回のちょうど1週間前に撮影されたものです。

ウルトラマンの空気ビニール人形を掲げる子ども
ウルトラマンの空気ビニール人形を掲げる子ども(昭和42年4月 写真掲載許可済)

 ビニール人形を拡大してみました。お腹の部分に「ウルトラマン」とあります。ロゴが再現されているように見えます。また、模様も良く再現されていて、カラータイマーも確認できます。そして、目とトサカの部分が膨らんでいます。少し形が変ですが、現在だとかなり綺麗に仕上がるのでしょうが、当時は造形がたいへんだったのでしょう。

ウルトラマンの空気ビニール人形
ウルトラマンの空気ビニール人形

 ウルトラマン最終回の1週間前。後に放映されたウルトラセブンの最終回が「史上最大の侵略」前後編の2話構成だったのに対して、ウルトラマンの最終回「さらばウルトラマン」は1話で終わりました。

 1週間前の第38話「宇宙船救助命令」ではウルトラマンが終了するような雰囲気はありませんでした。事情を知らない子どもたちはウルトラマンとのお別れすることになるとは考えてもいなかったのです。

 翌週、いきなり最終回「さらばウルトラマン」が放送され、ウルトラマンがゼットンに倒されてしまいます。そして、ゾフィーに命を救われたウルトラマンはM78星雲に帰り、ハヤタ隊員は記憶を失い、普通の人間に戻ってしまいました。

 あまりの突然の出来事に子どもたちはウルトラマンとの別れを悲しみ、その後、しばらくの間はウルトラマンを偲んで夜空を見上げたのです。

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ウルトラマン 科学特捜隊ネクタイピン(本七宝)

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