カテゴリー「旅行・地域」の139件の記事

2021年7月 8日 (木)

ロズウェル事件(1947年7月8日)

 1947年7月8日、ロズウェル陸軍飛行場のプレリリースに「第509爆撃航空群の職員がロズウェル付近の牧場から潰れた空飛ぶ円盤(flying disc)を回収した」という記事が掲載されました。このニュースは地元の新聞の記事でも取り上げられましたが、数時間後には「回収したものは空飛ぶ円盤(flying saucer)ではなく、気象観測用気球だった」と訂正されました。

ロズウェル・デイリー・レコード(1947年7月8日)
ロズウェル・デイリー・レコード(1947年7月8日)

 空飛ぶ円盤が初めて確認された日となったケネス・アーノルド事件があったのは1947年6月24日です(ココログ 夜明け前「空飛円盤記念日 ケネス・アーノルド事件(1947年6月24日)」)。ケネス・アーノルド事件の後、空飛ぶ円盤の目撃事例が急増していますが、その中でもロズウェル事件は象徴的なものでした。しかしながら、この事件はすぐに人々の記憶から消え忘れ去られました。

 ロズウェル事件が注目を受けるようになったのは、事件から30年も経過した1978年のことです。UFO研究家のスタントン・テリー・フリードマンが当時事件に関わった軍人ジェシー・マーセル少佐から情報を得て「軍は異星人の乗り物を回収した」と発表したのです。マーセル少佐のインタビューは1980年にダブロイド紙ナショナル・エンクワイアラーに掲載されました。このことをきっかけにロズウェル事件は世界中で注目されるようになり、空飛ぶ円盤の他に宇宙人の死体を回収して解剖したなど、さまざまな噂や憶測とともに語り継がれるようになりました。

 1997年6月24日、アメリカ空軍総司令部はロズウェル事件について報告書をまとめ、回収したものは調査気球、宇宙人については1956年6月26日にロズウェル陸軍飛行場で起きたKC97の墜落事故との記憶混同とされています。これが米国政府のロズウェル事件に対する公式見解となっており、空飛ぶ円盤の回収や宇宙人の死体の回収や解剖は否定されています。

 しかしながら、現在においてもロズウェル事件は小説やテレビドラマや映画の題材として取り上げら、空飛ぶ円盤や宇宙人の象徴的な事件となっています。

 ロズウェル事件は本当にあったのでしょうか。空飛ぶ円盤と宇宙人は本当に回収されていたのでしょうか。

 この答えはロズウェルの街に行くとわかります。ロズウェルの街は空飛ぶ円盤や宇宙人グレイの話題であふれています。

 ディズニーランドに行って「ミッキー・マウスは本当はいないんだよ」とわざわざ野暮なことを言う人はいないでしょう。

 ウルトラマンも仮面ライダーもいるのです。

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年6月17日 (木)

在りし日の品川区二葉町の風景(昭和38年6月)

 昭和38年(1963年)に撮影された品川区二葉町のある通りの写真です。ボンネット型のバスの後ろに同じくボンネット型のダンプカーが並んでいます。狭くなった通りでその様子を見ているいる人たち。

在りし日の品川区二葉町の風景
在りし日の品川区二葉町の風景

 写真には次の説明が書いてあります。

(38.6)二葉町交番前で。この通りはバスが一台通ると、車が交差できない程狭い。向こうのガードは貨物船の引き込み線だが、近々東海道新幹線が通る。来年10月に間に合わせようと突貫工事中だ。

 さて、この場所はどこだろうと思って探してみました。ヒントになったのは「二葉町交番前」。これは警視庁荏原警察署の二葉町交番のことです。Googleで検索すると交番が出てきました。ストリートビューで覗いてみると、そこには当時と同じような風景がありました。

 電柱の位置は異なるようですが、バスとダンプの後ろにある建物の窓の配置は同じような感じです。当時の建物を元に改築したのでしょうか。

荏原警察署二葉町交番前

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年5月31日 (月)

特急おおとり(キハ183形100番台)

 「おおとり」は昭和39年(1964年)10月から昭和63年(1988年)3月まで北海道の函館駅ー網走駅・釧路駅を結んでいた特急列車です。昭和45年10月に釧路発着編成は「おおぞら」となり、「おおとり」は函館駅ー網走駅を運行しました。昭和63年3月(1988年)のダイヤ改正で函館駅-札幌駅を結ぶ列車が「北斗」、札幌駅-網走駅を結ぶ列車が「オホーツク」となり、「おおとり」は廃止となりました。

おおとり(キハ183形100番台)
おおとり(キハ183形100番台)

 「おおとり」には80系気動車が使用されましたが、この写真の「おおとり」は80系ではなくキハ183形100番台です。キハ183形100番台は国鉄末期の昭和60年(1985年)3月のダイヤ改正で、北海道の特急の増発にあわせて導入された気動車です。当時、先頭車が不足していたため、中間間のキハ184系に運転台を取り付け、キハ183形100番台としました。分割併合を可能とするため貫通ドアを備えた車両となっています。キハ183形100番台は4両だけ作られました。

 このことからこの写真は昭和60年から昭和63年の間に撮影されたものであることがわかります。撮影場所も定かではないのですが、おそらく函館駅と思われます。

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年4月17日 (土)

八王子芸妓衆クラファン目標達成

 八王子の芸妓集の皆さんが「第三回八王子をどり(5月21日(金)〜22日(土)」に向けて準備を進めています(夜明け前『「八王子をどり」に向け八王子芸妓衆が再起動』)。その取り組みの中で開催に向けて支援をお願いしていたCAMPFIREのクラウドファンディングが期日を向かえ終了となりました。

 クラファンの目標額は500万円でしたが、ここしばらくの間は300万円ぐらいで停滞していた時期もありましたので期日までに目標を達成することができるかなと思っていましたら、あっと言う間に目標額を超えてしまいました。置屋ゆき乃恵恵さんから「本当にありがとうございました。感謝しかございません」というご丁寧なメッセージを戴きました。

 第3回「八王子をどり」は昨年開催予定でしたが新型コロナウイルスの影響で延期となっていました。5月21日(金)と22日(土)、それぞれ午前の部と午後の部があります。すでに満席になっていると思いますが、5月21日(金)午前の部はまだ余裕があるかもしれません。

Photo_20210217164501

 「八王子をどり」の概要についてはYouTubeの「八王子芸者衆の彩りチャンネル」で見ることができます。

 これからクラファンのリターンの品物が発送されるようです。「八王子をどり」に加えてこちらも楽しみにしています。

人気ブログランキングへ

 

| | | コメント (0)

2021年4月10日 (土)

瀬戸大橋が開通(昭和63年 1988年4月10日)

 瀬戸大橋は岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ本州と四国を結ぶ橋です。瀬戸大橋は大小10からなる橋の総称です。昭和53年(1978年)に着工し、9年6カ月後の昭和63年(1988年)4月10日に開通しました。瀬戸大橋には道路と鉄道が設置されており、橋の上部が道路、下部が鉄道になっています。鉄道は新幹線を通らせることができるようになっていますが、現在は在来線のみ運行されています。

 瀬戸大橋は鉄道と道路を併用する橋としては世界最長を誇り、2015年にギネス世界記録の認定されました。2017年に日本の20世紀遺産に選定されました。

 次の写真は2005年5月21日に福岡ー羽田フライトで上空から撮影したものです。雲が出ていなかったので全景を撮影することができました。全長9,368メートルですから、橋を縦に立てると飛行機に届いてしまいます。

瀬戸大橋(福岡ー羽田フライトで撮影 2005/5/21)
瀬戸大橋(福岡ー羽田フライトで撮影 2005/5/21)

 橋を過ぎたとろでもう1枚撮影しました。吊り橋の様子がよくわかります。上の写真の真ん中から上の部分です。 

瀬戸大橋(福岡ー羽田フライトで撮影 2005/5/21)
瀬戸大橋(福岡ー羽田フライトで撮影 2005/5/21)

瀬戸大橋の建造は大変だったようで、NHKのプロジェクトXでも取り上げられました。

プロジェクトX 挑戦者たち 男たち不屈のドラマ 瀬戸大橋 ~世紀の難工事に挑む~ [DVD]

【内容】
本州と四国を結ぶ本四架橋は、その規模も難易度も前例のない工事である。急な海流と複雑な海底地形、地元漁師との交渉、オイルショックによる着工凍結、多くの困難の末、海中基礎工事は成功し、昭和63年、「瀬戸大橋」は完成した。四国市民400万人と、自らの家族のために力を尽くした男たちの物語。

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年4月 3日 (土)

日本橋が石橋になる(1911年4月3日)

 東京都の中心を流れる日本橋川に架かる日本橋。初代の木造の太鼓橋の日本橋は徳川家康の全国の街道の整備計画で慶長8年3月3日(1603年4月14日)に建造されました。慶長9年(1604年)には東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道の起点となりました。その後は江戸の大火事で何度も焼失し、明治5年(1872年)に木造としては最後の日本橋が建造されました。

「東海道五十三次之内 日本橋」 歌川広重筆
「東海道五十三次之内 日本橋」 歌川広重筆

 明治44年(1911年)4月3日に石造の2連アーチの日本橋が架けられました。

日本橋(明治44年 1911年)
日本橋(明治44年 1911年)

 1964年東京オリンピックの前年1963年に橋の直上に首都高速都心環状線が架けられました。

日本橋(昭和39年8月)
日本橋(昭和39年 1964年8月)

 現在、国土交通省は日本橋直上の首都高速道路を地下に移設する工事を行っています。日本橋から青空を臨めるようなるのは2040年になる予定です。

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年3月26日 (金)

チケット入手できた!第三回八王子をどり

 5月21日(金)と22日(土)に八王子市芸術文化開館いちょうホールで開催される八王子芸妓衆「第三回八王子をどり」ですが、21日(金)の「昼の部13:00」をのぞいてほとんど完売のようです。平日の昼間は仕事があるので観劇できないし、新型コロナ対策で座席数も削減されているため、今回はチケットを取るのは難しいかなと諦めてかけていましたが幸いなことに22日(土)のチケットを取得することができました。

 「第三回八王子をどり」を成功させるためのクラウドファンディングは期限まであと20日のようです。目標500万円のところ現在330万円となっています。

   八王子芸者衆を応援してください~桑都の八王子花柳界~

 資金の使い道は下記の通りとのことです。

 「八王子をどりは、お客様にソーシャルディスタンスをとって安心してご覧頂くために、席数を半分にして開催する予定でございます。その為、チケット収入が半減してしまい、興業が難しい状況でございます。頂きました資金は八王子をどりの開催の為のお稽古代、またお稽古場の確保、及び舞台運営費などに使わせて頂きたいと思います」

 自分は千社札(額入り)を申し込みました。

Photo_20210326164501

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年3月23日 (火)

三陸鉄道リアス線開業(2019年3月23日)

 三陸鉄道リアス線は岩手県大船渡市の盛駅と久慈市の久慈駅を結ぶ鉄道です。自分は仕事で釜石や三陸方面にいく機会が多く、よく三陸鉄道にはお世話になりました。しかし、三陸鉄道は2011年3月11日の東日本大震災で大打撃を受けて不通となり、自分も釜石や三陸方面での仕事の機会がなくなりすっかり出かけることはなくなってしまいました。復興を願ってGoogle Mapで鉄道や街の様子を見守っているのですが、街は少しずつ街が姿を取り戻しています。

釜石には先日紹介した先輩(ココログ 夜明け前「バーチャルに話の腰を折る男」)と出かけていたのですが、2019年3月23日に三陸鉄道リアス線が開業したニュースを小料理屋で見たときには涙目で手を叩いて喜んだことをよく覚えています。一番、釜石や三陸のことを心配していた先輩は2017年に他界してしまいました。元気でいたらこの日は小料理屋で祝杯をあげていたことでしょう。

Photo_20210322143401
三陸鉄道 盛行きの電車(釜石駅 2004年5月撮影)

・ココログ 夜明け前「三陸鉄道(2011年4月11日)
・ココログ 夜明け前「三陸大王杉(2011年4月12日)
・ココログ 夜明け前「アワビのステーキ@三陸海鮮料理 釜石 中村屋

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年3月21日 (日)

旧函館郵便局(はこだて明治館)

 函館のベイエリアを歩いていると赤煉瓦造りの2階建ての建物を見つけることができます。この建物は現在は「はこだて明治館」と呼ばれていますが、かつては函館郵便局でした。明治44年(1911年)に建造され、函館大火や第二次世界大戦を経て現在も原型をとどめています。

 函館郵便局の移転後は北海道でも数少ない明治調の建物として保存されることになり、昭和37年(1962年)に民間に払い下げられました。その後は事務所や倉庫として利用され、昭和58年(1983年)にショッピングモールとなりました。

 次の写真は昭和37年8月に撮影されたものです。保存されることが決まった建物の前で記念撮影というところでしょうか。

旧函館郵便局(昭和37年8月撮影)
旧函館郵便局(昭和37年8月撮影)

 現在、函館のベイエリアは観光地として整備されていますが、1980年ぐらいまでは現在とはずいぶん違う雰囲気でした。当時はこの旧函館郵便局も金森赤レンガ倉庫も昔の姿のまま佇んでいましたし、近くにも興味深いものはたくさんありましたが、観光地とは言えるような場所ではありませんでした。金森赤レンガ倉庫近くの掘割にかかる石造の七財橋あたりで釣りをしている人もたくさんいました。

 さて、最後になりますが上の白黒写真をカラー化してみました。赤煉瓦の色が蘇えりました。

旧函館郵便局(AIカラー化)
旧函館郵便局(AIカラー化)

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

2021年2月27日 (土)

茨城県霞ヶ浦近くの大きな2つのトラックは?

 北の国から羽田空港に向かう航空機が茨城県の霞ヶ浦を通過した頃、眼下に写真のような広大な土地に2つの大きなトラックが現れます。

JRA美浦トレーニングセンター(航空写真)
JRA美浦トレーニングセンター(航空写真)

 この施設はJRA(日本中央競馬会)の美浦トレーニングセンター(美浦トレセン)です。美浦トレセンは競走馬のトレセンとしては日本で最大級の施設です。上空から見ても、Google Mapで見ても、すぐに見つけることができます。

 大きな2つの調教コースに挟まれた領域には厩舎や公園があります。敷地内には調教コースや厩舎のみならず、厩務員・騎手・JRA職員など家族を含めて約5000人が暮らす宿泊施設があります。その他、競馬に関わる産業を含めて考えると、周辺地域合わせて数万人の生活の馬となっており、ショッピングセンター、郵便局、病院など生活に必要な施設も存在しています。

 調教コースには芝コース、ダートコース、障害用コース、ウッドチップコースに加えて、オールウェザー対応の新素材を敷き詰めたニューポリトラックなどがります。また、プール調教用のプール、森林馬道、診療所などが設置されています。

美浦トレセン南側調教コース
美浦トレセン南側調教コース(上記写真では右側)

 美浦トレセンは競走馬の訓練施設としては最大級かつ最高級の水準にありますが、関西のJRA栗東トレーニングセンターに比べて所属馬の勝利数と獲得賞金が少ないという指摘が昔からあります。関東で行われる競争を予想するときに、関西馬が出場しているかどうかを気にする人もいます。いろいろな原因が考えられますが、有力な原因としては調教コースの坂路コースの問題があげられます。

 美浦トレセンが開場したのが1978年4月、栗東トレセンが開場したのは1969年11月です。関東の競馬場は坂が多く、関西馬は坂に慣れていないという問題がありました。1985年に栗東トレセンに坂路コースが作られると、関西馬の実力が向上し、東京競馬場や中山競馬場で関西馬の活躍が目立つようになりました。美浦トレセンには坂路コースがないため、関西馬と関東馬の実力に差がつき始めました。

 美浦トレセンに坂路コースを設置する場所を確保することは難しく、1993年まで坂路コースが設置されることはありませんでした。新設さらた美浦トレセンの坂路コースは栗東トレセンのものに比べて勾配が小さく、十分に競走馬を訓練することができませんでした。2004年に坂路コースの改修が行われましたが解決には至っていません。美浦トレセンの坂路コースのこれ以上の改善は環境的な要因から困難とされています。そこで、競走馬は栗東トレセンに留学したり、馬主都合で美浦トレセンから栗東トレセンに転厩する事例も少なくありません。

 この問題は関東馬の実力低下だけに止まらず美浦トレセンの存続にも関わることになります。そこでJRAは2018年に美浦トレセンの大規模改修を始めました。改善が難しいと言われていた坂路コースも距離を延長するのと同時に地下を掘り下げることによって高低差を栗東トレセンと同程度にすることになっています。坂路コースの完成は2022年、2026年に全体の工事が完了する予定です。

人気ブログランキングへ

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧