明治三陸地震と三陸大王杉(1896年6月15日)
明治29年(1896年)6月15日に三陸沖でマグニチュード8.2~8.5の地震が起こりました。この地震の震源地は岩手県の釜石市の東方約200キロメートルの沖合で最大震度は震度4程度だったようですが地殻変動の影響により最大で海抜38メートルを乗り越える津波が発生しました。この地震は明治三陸地震と名付けられました。三陸という地名が広く知れ渡るようになったのはこの地震によると言われています。
この地震による死者・行方不明者は約2万1959人(死者2万1915名、行方不明者44名)、負傷者4398名となり9878戸の家屋が津波によって流され1844戸の家屋が倒壊しました。そして6930隻の船舶が失われました。
明治三陸地震の様子は明治時代の浮世絵師の歌川邦政によって「明治丙申三陸大海嘯之實況」(めいじひのえさるさんりくだいかいしょうのじっきょう)に描かれています。津波のものすごさが描かれています。津波はアメリカ西海岸まで届きハワイで最大で9メートルを超える津波が発生し大きな被害が出たようです。
この三陸町の杉下に樹齢が推定1500年(環境庁 日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版)の高さ約23メートル、幹の周囲11.6メートルの大きな杉の木があります。一説によると樹齢7千年以上の縄文杉とされています。この杉の木は三陸大王杉と呼ばれ市の天然記念物に指定されています。この地に大昔から佇んできた三陸大王杉は過去の震災による津波でも流されず地元の人たちにとって守り神となっています。2011年3月の被害日本大震では津波によってこの杉までの小道や階段は崩れ落ち他の杉の木も折れていたそですが三陸大王杉のあるところ後ろ側には被害がなかったそうです。
三陸大王杉は前述の明治三陸津波も見ていたことでしょう。樹齢1500年、あるいは7千年以上だとしたら、太古の昔に起きた大津波も知っていることでしょう。そして復興していく人々と町を見守って来たのでしょう。
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