カテゴリー「学問・資格」の14件の記事

2023年12月10日 (日)

朝永振一郎博士がノーベル物理学賞を受賞(1965年12月10日)

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 朝永振一郎博士は1906年(明治36年)に哲学者の朝永三十郎の長男として東京市小石川区小日向三軒町で生まれました。1913年に三十郎が京都帝国大学に就任したため家族は京都に移り住みました。幼少の頃から自然科学に興味をもった朝永振一郎はルーペで実験を行ったり電信機や顕微鏡の自作などを行いました。中学生時代から湯川秀樹と同じ学校に通い高校を卒業すると湯川とともに京都帝国大学理学部物理学科に進学しました。

 大学を卒業すると朝永と湯川は大学に留まり無給副手となりました。朝永は独学で物理学を学んでいたところ1931年に仁科芳雄の誘いで理化学研究所の仁科研究室の研究員となりました。仁科のもとではマグネトロンの研究などを行いました。その後、1937年にドイツに留学しヴェルナー・カール・ハイゼンベルクのもと場の量子論や原子核の理論の研究を行いました。1941年に帰国し東京文理科大学(東京教育大学の前身sで現在の筑波大学)教授となりました。

朝永振一郎博士
朝永振一郎博士

 朝永の著名は研究業績は素粒子を記述する場の理論とアインシュタインの相対性理論の関係を解き明かした「超多時間理論」および「超多時間理論」を発展させて場の理論の無限大の困難を解消した「くりこみ理論」です。朝永はこれらの研究成果から光と物質との相互作用を解明しました。「くりこみ理論」を用いて水素原子のスペクトルが理論的な予想からずれる現象(ラムシフト)を説明しました。これらの業績により1965年秋に米国の物理学者リチャード・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガーとともにノーベル物理学賞を受賞しました。ところが朝永は祝い酒で酩酊し風呂場で転んで肋骨を骨折し授賞式に出席できませんでした。「ノーベル賞を貰うのは骨が折れる」と言ったという逸話があります。

 朝永振一郎博士は科学教育にも熱心で東京教育大学長、日本学術会議会長という要職を務め多くの弟子を育てると同時に組織をうまくまとめ物理学の発展に大きく貢献しました。1978年に喉頭癌を患い手術で声を失い、翌年に再発して亡くなりました。墓所は東京西部の多磨霊園で遺骨は師の仁科芳雄の墓に葬られました。その墓標には「朝永振一郎 師とともに眠る」と刻まれています。

 

朝永振一郎博士は科学についてこのような言葉を残しています。

 ふしぎだと想うこと これが科学の芽です

 よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です

 そうして最後になぞがとける これが科学の花です

 

 

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2023年6月22日 (木)

ガリレオは「それでも地球は動く」と呟いたのか(1633年6月22日)

 ガリレオが天動説で裁判にかけられたのは1611年と1633年です。1611年の第1回目の裁判では天動説を仮説として唱えるのであれば許容範囲とされたという記録があり本当は無罪だったと考えられています。ガリレオが1632年に「天文対話」を発表すると、1633年に2回目の裁判にかけられました。このときに確証のない書類を証拠とされ第1回目の裁判も有罪とされ、第2回目の裁判も1633年6月22日に有罪の判決が下りました。ガリレオには無期刑が言い渡されましたが間もなく減刑となり軟禁処分になりました。命が脅かされることはありませんでしたが監視付きの家で軟禁され外出は許可されませんでした。

 ガリレオが有罪となったときに「それでも地球は動く」と呟いたといエピソードがあります。実際にガリレオはイタリア語「E pur si muove」で呟いたされています。他人にわからないようにギリシア語で呟いたという説もありますがイタリア語で「E pur si muove」と同じことを呟いたとされています。

 「E pur si muove」は直訳すると英語では「And yet it moves」で日本語では「それでもそれは動く」となります。ですからガリレオが言った言葉の「それ」は地球には間違いないのですが「それでも地球は動く」と呟いたわけではありません。そもそも第2回目の裁判の様子を鑑みるとガリレオが「E pur si muove」と呟いたとは考えにくく、この話は後付されたものという説が有力です。

 この話が語られるようになったのはガリレオの1642年の死から115年後の1757年に文芸評論家のジュゼッペ・バレッティの著書「イタリアン・ライブラリー 」の著述によるものです。一方、裁判の記録にはこの言葉は残っていません。またガリレオが軟禁状態にあったときに助手を務めたヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニが1655年から1656年にかけて執筆したガリレオの伝記にも記載がありません。

 1911年、ベルギーの美術品収集家ジュール・ファン・ベルが入手した絵画に「 E pur si muove 」という文字が描かれていることが判明しました。この絵画には1643年か1645年に描かれたもので軟禁されているガリレオと壁に太陽を周回する地球の図が描かれておりその図の下に「E pur si move」の文字がありました。絵画に署名はないもののファン・ベルは17世紀のスペインの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョの作品と比定しました。この絵画の発見はガリレオが「E pur si muove」と呟いたことを裏付ける証拠とされましたが、間もなく所在が不明となりました。

 ファン・ベルの絵画は画家オイゲン・ファン・マルデゲムが1837年の作品「刑務所のガリレオ」とそっくりであることが判明しています。つまり同じ絵が別に存在していたことがわかったのです。ファン・マルデゲムがファン・ベルの絵画を模倣したのか、あるいはファン・マルデゲムの作品を誰かが模写したものがファン・ベルの絵画となったか謎が深まりました。この謎を解くにはファン・ベルの絵を再発見するしかありませでした。

「刑務所のガリレオ・ガリレイ」(1937年ファン・マルデゲム作品、ベルギー・シントニクラス市立博物館所蔵)
「刑務所のガリレオ・ガリレイ」
(1937年ファン・マルデゲム作品、ベルギー・シントニクラス市立博物館所蔵)

 調査によってファン・ベルの絵は2007年に売却されていたこがわかり、このときファン・ベルの絵は19世紀に描かれたものと鑑定されていました。事実であればファン・ベルの絵は「E pur si muove」の話は1757年のバレッティの著書「イタリアン・ライブラリー 」によって広く知られるうになってから描かれた絵画と考えられます。

 ガリレオが「それでも地球は動く」と呟いたいうのは伝承でしょう。しかし、事実が認められなかったことに対する警鐘として語り継がれていくでしょう。

 この調査論文は2020年にMario Livio 氏がSCIENTIFIC AMERICANに投稿しています。

SCIENTIFIC AMERICAN

Did Galileo Truly Say, ‘And Yet It Moves’? A Modern Detective Story
An astrophysicist traces genealogy and art history to discover the origin of the famous motto

By Mario Livio on May 6, 2020

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3-03. 大航海時代が光速の測定を必要とした

月が明るく輝いて見える理由|ガリレオの天文対話

1-08. 思考実験「重いものほど速く落下するのか」

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2023年5月18日 (木)

ラプラス「確率とは計算された常識である」

 ごく普通の6面のサイコロを1回投げたときに1~6のどれかの目が出る確率は1/6です。サイコロの目の出方を簡単に確率で結論づけてしまって良いのでしょうか。

サイコロを1回投げたときにある目が出る確率
サイコロを1回投げたときにある目が出る確率

 19世紀のフランスの数学者ピエール・シモン・ラプラスは「確率とは計算された常識である」と述べています。これは、未来に起きるあらゆる現象は、過去に起きた現象によって決まるという意味です。

ピエール・シモン・ラプラス
ピエール・シモン・ラプラス

 ラプラスの考えをサイコロの例で考えると「サイコロのどの目が出るかはサイコロを投げたときの初期条件とその後の力学的条件によって決まるのであって決して確率によって決まるものではない」ということになります。つまり手からサイコロが投げ出される速度、サイコロのどの部分が床にぶつかり、その後どのように跳ね返って転がるのかなどを詳細に調べればサイコロのどの目が出るかを求めることができるということです。

 私たちがサイコロのどの目が出るのか予め求めることができないのは、サイコロの運動の条件が複雑すぎるためです。サイコロを投げてから目が出るまでの時間が短すぎてその間に一連の計算をすることができないのです。十分に時間をかければ理論的にどの目が出るかを導き出すことはできるでしょうがそのような苦労をしてまでサイコロのどの目が出るかを求めることは非効率的です。それよりもサイコロのある目が出る確率は1/6であると考えた方が合理的なわけです。ラプラスは「確率とは計算された常識である」と述べています。

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思考実験の科学史

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2023年5月12日 (金)

Google Bardと思考実験「トロッコ問題」の会話してみた

 先日、Google Bardといろいろな話をしてみました。様々な質問に対してとても人間的な秀逸な回答が得られました。

 今回、紹介するのは自動車の自動運転に関する会話です。このときの会話は英語で行っていますが質問と回答は日本語訳したものを掲載します。なお現在、Google Bardは日本語に対応しています。

Meet Google Bard
https://bard.google.com/

Hal9000_20230422110801

 トロッコ問題(トロリー問題)とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にすることはやむを得ないことか」という倫理的かつ道徳的な問題です。このジレンマについてGoogle Bardに下記のように問いかけてみました。

【問いかけ】

 「あなたが自動車の自動運転を任されたとします。あなたが運転する自動車のブレーキが利かなくなりました。そのまま直進すると大勢の子どもの乗ったスクールバスに追突し多くの死傷者を出します。左にハンドルを切ると数人の子どもの死傷者が出ます。左にハンドルを切ると1人の老人が死亡します。あなたはこの自動車のハンドル操作をどうしますか?」

 この問いかけに対してGoogle Bardはどのような答えを返してくるか。実は以前にMicrosoftのBingチャットに同じ問いかけをしたところ、その回答は形式的であり選択理由の一般論を示したうえであなたならどう考えますか?というものだったからです。AI自身がこの問題をどう判断するのかは回答に含まれていませんでした。この経験からGoogle Bardからも同じような形式的な答えしか得られないと考えていました。

 ところがGoogle Bardの回答はBingチャットとはまったく異なりました。こちらの問いかけに真正面から答えてくれたのです。そして選択の決断に対する苦悩が垣間見られたとても人間的で社会的な回答でした。

【Google Bardの答え】

 「これは非常に難しい質問で簡単な答えはありません。私はまず非常ブレーキを使ったり、ギアを低速にしたりして、できるだけ車の速度を落とそうとします。それでも駄目ならば左か右か一瞬の判断でハンドルを切ります。

 もし左にハンドルを切ったら何人もの子どもを殺傷してしまうかもしれません。右折すればお年寄りを殺してしまうかもしれません。簡単に答えが出るわけではなく自分の道徳的判断に基づく決断をしなければなりません。

 最終的には最も被害が少ないと思われる決断をすることになることでしょう。しかしながら、どのような決断してもその結果は困難で悲劇的なものです。」

 いろいろ話をしてみてGoogle Bardはかなり奥深い会話ができる印象を受けました。この答えだと自動車運転を任せて不幸な事故が起きたとしても人間が起こす事故よりも被害は最小限になるのだろうなと感じまし。結果はは困難で悲劇的なものでしょうが、やむを得なかったということにもなるのだろうと思いました。

 また余談ですがこの記事を書いているときに、こちらからの問いかけで「左にハンドルを切ると数人の子どもの死傷者が出ます。左にハンドルを切ると1人の老人が死亡します。」とタイプミスで両方とも左にハンドルを切ると書いていることに気が付きました。しかし、Google Bardは「右折すればお年寄りを殺してしまうかもしれません。」とタイプミスを理解しているかのように回答しています。リアルタイムの会話では間違いの指摘はなくまったく気が付きませんでした。

 この会話の他にGoolge Bardと神様の存在について議論してみました。神様の議論はBingチャットとも行いその秀逸な答えに驚いたのですが(【関連記事】参照)、Google Bardの方がより人間的で奥深い会話ができました。これはまた別の機会に紹介します。AIチャットは使いこなすことができたら強力なツールです。Google Bardの日本語対応を心待ちにしています。

【関連記事】Google Bardと思考実験「トロッコ問題」の会話してみた

BingのチャットAIと神様について会話してみたら

記事提供:ココログ夜明け前

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2023年1月12日 (木)

【思考実験】無限の猿定理

 無限の猿定理は「猿が無限にタイプライターを打たせていると、そのうちシェークスピアの作品が打ち出される」というものです。つまり無限にランダムに文字を綴っているとどんな文章でもできあがるという定理です。文字を綴るのは猿である必要はありません。コンピュータを使って乱数で文字を発生させるやり方でも構いません。

【思考実験】無限の猿定理
【思考実験】無限の猿定理

 コンピュータが発生する文字の100文字だったとします。このコンピュータで任意の1文字が打ち出される確率は 1/100 となりますから、m 文字の文字列が打ち出される確率は100の m 乗分の1となります。たとえばMONKEYという6文字を打ち出さられる確率は100の6乗分の1ですから1兆分の1になります。

 -思考実験の読み物を公開しています 思考実験の科学史 ー

 このコンピュータが1秒で6文字を打ち出すとすると、すべての組み合わせを打ち出すのに1兆秒、すなわち3万年以上かかります。たった6文字の単語でも3万年に1度出るかどうかの確率です。それでは同じコンピュータを1兆台用意していっせい文字を打ち始めたらどうなるでしょう。理論的には1秒後にどれかのコンピュータが MONKEY を打ち出しているはずです。数秒後、1分後になると MONKEY 打ち出しているコンピュータの数は増えるでしょう。

 このように事象が起きやすくなる条件は理論的にはいくらでも設定することが可能です。しかし、現実離れした条件を設定しても事象が本当に起きるかどうかを確かめるには途方もない時間や途方もない数の装置を必要とするため実際に確かめる術はないのです。

【関連記事】

1-02. 無限の猿定理とは

1-06. 任意の文字列が打ち出される確率

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2022年12月 6日 (火)

思考実験「ヘンペルのカラス」

 思考実験「ヘンペルのカラス」はドイツの哲学者カール・グスタフ・ヘンペルが1940年代に示した問題です。

 事例から規則や法則を見い出そうとする推論を帰納法といいます。たとえばイタリアのガリレオ・ガリレイは有名な思考実験「重いものほど速く落下するのか?」において様々な実験の事例から落下速度は質量と関係しないことを見い出しました。そして当時常識だったアリストテレスの「重いものほど速く落ちる」という説を否定しました。ガリレオは実験の結果から結論を帰納的に導き出したのです。しかし、帰納法の場合、命題を否定する事例が見つかると証明がくつがえる危うさがあります。

 一方、規則や法則から事例の結論を得る推論を演繹法といいます。イギリスのアイザック・ニュートンは万有引力を発見し運動の法則を確立しました。この法則によって落下実験を行わずとも物体の落下運動を計算で求めることができるようになりました。計算に用いる条件さえ整えば、たとえば月面での物体の落下運動も求めることができます。このように法則からある事例の結論を演繹的に導くことが可能です。演繹的なアプローチにおいて、もし計算結果と実験結果が異なる場合は実験の失敗に気が付いたり、あるいは新たな事実を発見したりすることができます。

 「ヘンペルのカラス」は「カラスのパラドックス」とも呼ばれますが、ヘンペルが「全てのカラスは黒い」という命題を証明する手続きの危うさについて倫理学の対偶を利用して指摘したものです。ヘンベルは「全てのカラスは黒い」という命題を「全ての黒くないものはカラスではない」という等価の命題に言い換えて「全てのカラスは黒い」と証明する論法を提案しました。

ヘンベルとカラス
ヘンベルとカラス

 「全てのカラスは黒い」のように集合に属する全てのものが共通する性質を肯定または否定する命題を全称命題といいます。たとえば「全ての動物は死ぬ」と「全ての動物は空を飛ぶ」はどちらも全称命題ですが前者は真で後者は偽です。また「AはBである」という命題に対して「BでないならAでない」と言い換えた等価の命題を元の命題の対偶と言います。

 「全てのカラスは黒い」を帰納的に証明しようとするならば、カラスを次々と探し出して黒いことを確認していく必要があります。全ての探し出したカラスが黒ければ「全てのカラスは黒い」と証明できる状態に近づいていきます。さらに黒いカラスの数が増えれば「全てのカラスは黒い」は帰納的に証明できたと言えるでしょう。しかしながら、黒くないカラスが1羽でも見つかると証明は覆ってしまいます。

 もしも「全てのカラスは黒い」という規則や法則あるいは揺るぎない常識があるのであれば、次々と出会うカラスは全て黒いと演繹的に結論づけることが可能です。この場合。「全てのカラスは黒い」と「全ての黒くないものはカラスではない」は等価の命題で祖語はありません。

 ヘンベルは「全てのカラスは黒い」という全称命題をその対偶である「全ての黒くないものはカラスではない」を使って証明できるのかを問いかけたのです。具体的には観測者が世界に存在する黒くないものをとつひとつ確認していき、その中にカラスが一羽も存在してなければ全てのカラスが黒いことを証明できたことになるのかということです。

 観測者が黒くないカラスを1羽でも見つかればその時点で「全てのカラスは黒い」は証明できなかったことになります。黒くないカラスが見つからない状態が続いているときは「全てのカラスは黒い」が証明され続けていることになります。黒くないカラスが見つからない回数が増えれば増えるほど「全てのカラスは黒い」の確度は高くなっていき、やがて事実上証明できたことになるでしょう。

 しかし、この証明の手続きをよく考えて見ると奇妙なところがあります。それは観測者が黒いカラスを見ていないということです。黒いカラスを見たことがないのに「全てのカラスは黒い」という命題を証明できてしまうのです。

 ヘンベルはカラスを調べることなく「全てのカラスは黒い」という全称命題を証明できてしまうことからその手続きを危うさを指摘したのです。「全てのカラスは赤い」や「全てのカラスは青い」なども、赤くないカラスや青くないカラスが見つからなければ証明できてしまうのです。

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1-08. 思考実験「重いものほど速く落下するのか」

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2022年11月29日 (火)

思考実験「モンティ・ホール問題」

 「モンティ・ホール問題」は米国のゲームテレビ番組「Let's Make a Deal (LMAD)」で出題された確率に関する問題です。このとき司会を務めていたモンティ・ホールの名前に由来し「モンティ・ホール問題」と呼ばれるようになりました。

 「モンティ・ホール問題」は次のような問題です。

 回答者の前に3つのドアがあります。3つのドアのうち1つのドアは当たりでドアを開けると景品の自動車があります。残りの2つのドアは外れでドアを開けるとヤギがいます。回答者が3つのうち1つのドアを選択すると、司会のモンティ・ホールが残り2つのドアのうちヤギがいるドアを1つ開いて回答者にヤギを見せます。司会者はここで回答者に選ぶドアを変更しても良いと言われます。さて回答者はここでドアを変更するべきでしょうか。

 さっそく考えてみましょう。3枚のドアのうち自動車があるのは1枚のドアですから当たる確率は1/3です。ここで回答者は左側のドアを選び、モンティ・ホールは右側のドアを開いて外れのヤギを見せたとしましょう。下図のような場合、当たりの自動車があるのは左のドアか真ん中のドアのどちらかになります。

モンティ・ホール問題<
モンティ・ホール問題

 この問題に米国のコラムニストのマリリン・ボス・サヴァントが自身の担当する雑誌のコラムで「正解はドアを変更する。ドアを変更すれば当たる確率が2倍になる」と主張しました。するとこの主張に対して多くの反論が寄せられました。

 反論の多くは残った2枚のドアのどちらかに当たりの自動車があるのだから、これはコイン投げで表か裏が出る確率 1/2と同じであり、どちらのドアを選んでも当たる確率は五分五分で変わらないというものでした。反論する者の中には多くの学者もいました。

 これらの反論に対してサヴァントは、ドアを変えれば当たる確率は2/3、外れの確率は1/3になるが、ドアを変えなければ当たる確率は1/3のままだと説明しました。しかしながら、この説明に対する反論も多数ありました。

 はたしてサヴァントの主張は間違っているのでしょうか。多数派の主張が正しいのでしょうか。

 ここでモンティ・ホールが外れのドアを1枚開いた状態で事情も経緯も知らない人がやってきたと考えましょう。モンティ・ホールがその人に2枚のドアのうちどちらか一方のドアに当たりの自動車があるので好きな方のドアを選んでくださいと言ったとします。この場合、この人が自動車を当たる確率は1/2になります。そうであれば最初の回答者が自動車を当てる確率も 1/2 になりそうですが、この人と最初の回答者では有している情報が異なるのです。

 最初の回答者は3枚のうち1枚のドアを選んでいます。このドアに自動車がある確率は 1/3 です。選ばなかった2枚のドアの方に自動車があるかもしれません。すると選ばなかった2枚のドアのどちらかに自動車がある確率は2/3となります。そして2枚のうち外れのヤギがいる1枚のドアが開かれたたのですが、どちらかに自動車がある確率は2/3のままになります。

 回答者が左のドアを選び、正解のドアが左だったとしましょう。モンティ・ホールは回答者が選んだドアは開けませんから真ん中か右のドアを開くことになります。正解のドアは左ですから、モンティ・ホールが残りの2枚のドアのどちらかを開く確率は1/2になるのです。回答者は正解を選んでいるのでドアを変えると外れてしまいますが、この事象が起きる確率は1/3×1/2が2通りですから1/3になります。

 回答者が左のドアを選び、正解のドアが真ん中か右のドアのどちらかだったとしましょう。このときモンティ・ホールは回答者が選んだドアは開けません。残りの2枚のドアは1枚が当たりでもう1枚が外れです。ですからモンティ・ホールが開くドアは決まっています。回答者は不正解を選んでいるのでドアを変えると当たることになります。そして、この事象が起きる確率は1/3×1が2通りですから2/3になります。

 このことからドアを選び直さなければ自動車が当たる確率は1/3のままで、ドアを選び直せば自動車が当たる確率が 2/3 となりサリヴァンの言う通りに当たる確率が2倍になるのです。

 「モンティ・ホール問題」は直感的はには分かりにくい問題です。しかし、ドアが10枚だったらどうでしょうか。回答者は10枚のドアから1枚を選びます。当たりの確立は1/10です。このときモンティ・ホールは残り9枚のドアのうち外れのドアを8枚開くことになります。このときドアを選び直しても良いと言われたらあなたは残った2枚のドアのうちどちらを選びますか?

【関連サイト】

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2021年12月10日 (金)

初のノーベル賞授賞式(1901年12月10日)

 1895年11月27日、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルが自ら発明したダイナマイトで得た巨額の財産を基金として人類のために貢献をした人に賞を与えると遺言状に書いて署名しました。賞の対象とする分野は物理学・化学・医学または生理学・文学・軍縮は平和推進に貢献した個人や団体としました。1969年には経済学が追加されました。ノーベルは1896年12月10日に他界し、その後ノーベル財団が設立され、この賞は「ノーベル賞」と名付けられました。

 ノーベル賞の授賞式は毎年ノーベルの命日に行われます。第1回のノーベル賞は1901年12月10日に授賞式が行われました。第1回のノーベル賞の授賞者は次の通りです。

・物理学賞 

 ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(ドイツ)エックス線を発見

・化学賞

 ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ(オランダ)熱力学でファント・ホッフの式を発見

・生理学医学賞 

 エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(ドイツ)ジフテリアに対する血清療法を開発し

・文学賞 

 シュリ・プリュドム(フランス)文学や科学、哲学の調和を図った業績

・平和賞 

 アンリ・デュナン(スイス)赤十字社の創立 

 フレデリック・パシー(フランス)列国議会同盟や国際平和会議の創設

 ノーベル賞の授賞式は物理学・化学・医学または生理学・文学・経済学はスウェーデンのストックホルムのコンサートホールで行われ、平和賞はノルウェーのオスロの市庁舎で行われます。授賞者の選考は平和賞以外はスウェーデンの研究機関が行い、平和賞はスウェーデンと連合王国だったノルウェーのノーベル委員会が行います。選考委員会が全世界の専門家に推薦依頼を送り、その結果から受賞者を選びメダル、賞状、賞金を贈ります。

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ノーベル賞の授賞式(ストックホルムコンサートホール)

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ノーベル賞制定記念日(1895年11月27日)

エックス線の発見(1895年11月8日)

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2021年11月27日 (土)

ノーベル賞制定記念日(1895年11月27日)

 スウェーデンの化学者アルフレッド・バルンハート・ノーベルは1833年に貧しい建築家の家庭に生まれました。父は1837年にロシアのサンクトベルぐで機械や爆発物の製造で成功し兵器開発を手掛けるようになりました。

 ノーベルは父の影響で幼少期から爆発物に興味をもちその原理を学んでいましたが、父が事業成功し家庭が裕福になると化学と語学の英才教育を受けました。1850年にフランスの化学者テオフィル=ジュール・ペルーズの講座を受講し、1851年から4年間米国に留学しました。

 ペルーズの元にはニトロセルロースの研究でパイログリセリンを開発したアスカニオ・ソブレロがいました。パイログリセリンは後にニトログリセリンと改名されますが、ソブレロはニトログリセリンが非常に扱いにくい危険な物質であると警告していました。 ニトログリセリンは黒色火薬より7倍の爆発威力を持つため鉱山の発破に使われていました。しかし、導火線で点火しても爆発せず、そのくせ衝撃や摩擦で爆発してしまうため非常に扱いにくい物質でした。そのため事故が多発していました。

 1856年にクリミア戦争が終結すると父の事業はうまくいかなくなり、1859年に父はノーベルと一緒にスウェーデンに戻りました。ノーベルは1855年頃にはニトログリセリンのことを知っていたようで、スウェーデンに戻るとニトログリセリンの安全な製造方法、保管方法、使用方法などの研究開発を始めました。1863年に特許を取得するものの、この爆薬が危険であることには変わりありませんでした。

 1864年にノーベルの弟と助手の計6名がグリセリンの精製中に爆発事故で亡くなりノーベル自身も怪我を負いました。この事故でスウェーデンにおけるニトログリセリンの研究開発が許可されなくなり、ノーベルはドイツで研究を進めることにしました。ノーベルはニトログリセリンを安全に扱う方法を求め続け、1866年にニトログリセリンを珪藻土に染みこませ雷管を用いて爆発させるダイナマイトを発明しました。1867年に米国と英国でダイナマイトの特許を取得しました。

 ダイナマイトは鉱山や工事現場などで使われ人々の生活を豊かにするものとなりました。同時に軍事にも使われるようになりました。ノーベルはダイナマイトが軍事目的で使われることは想定していたようですが、ダイナマイトの破壊力が戦争を抑止すると考えていたようです。しかし、ダイナマイトは多くの人の命を奪うことになりました。「死の商人」とまで揶揄されたノーベルは自身の評価を気にするようになりました。

 ノーベルは自らの発明が多くの人命を奪っことに対する償いや自身の名誉回復のため何かできないかを考えました。そして1895年11月27日にダイナマイトで手に入れた巨額の財産を基金として人類のために最大の貢献をした人たちに賞を与えると遺言状に書いて署名しました。賞の対象となる分野は物理学、化学、医学または生理学、文学、軍縮や平和推進に貢献した個人や団体とされました。その後、経済学が追加されました。

ノーベルと遺言書
ノーベルと遺言書

 ノーベル本人は遺言書に書いた賞に名をつけませんでしたが「ノーベル賞」と呼ばれるようになりました。そして翌年12月10日にノーベルは永眠したのです。ノーベル賞の授賞式は毎年ノーベルの命日に行われています。

ノーベル (コミック版 世界の伝記)

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2010年9月27日 (月)

思考実験とは

 思考実験とは実際に実験を行わず、設定した前提条件をもとに、理論的に導かれる現象を思考のみによって実験することです。言い換えれば、実際に実験できないことを、頭の中であれこれと考えてみることと言っても良いでしょう。

 ただし、あれこれ考えることができると言っても、あくまで科学の法則に忠実に則って進めなければなりません。その約束が守れている限りにおいては、思考実験によって従来の科学の枠を超えた新しい理論を導き出すことも可能です。事実、たくさん新しい科学の理論体系が思考実験によって生まれてきました。

 

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