昭和43年(1968年)12月10日午前9:21分、日本信託銀行国分寺支店から東京芝浦電気府中工場へ従業員の賞与2億9430万7500円を運ぶ現金輸送車が府中刑務所の裏の学園通りを走行していたところ後方から警察の白バイが追いかけてきました。白バイは現金輸送車を追い抜き、現金輸送車を停止させました。
現金輸送車の運転手はなぜ白バイに停止させられたのかわかりませんでしたが、白バイの警察官から巣鴨支店長宅が爆破されたこと、この現金輸送車にも爆発物が仕掛けられていると伝えられました。現金輸送車の運転手と同乗していた銀行員は現金輸送車に不審なものは搭載されていないこと確認していると伝えました。警察官が車の下に爆発物が仕掛けられているかもしれないと言うと運転手と銀行員ら4人は現金輸送車から降りました。警察官はボンネットを開いて確認した後に車体下に潜り込んで爆発物が仕掛けられていないかを確認しました。
12月6日に同銀行支店長宛に現金300万円を払わなければ支店長宅を爆破するという偽の脅迫電話がかかっていたこともあり、銀行員たちは警戒するとともに緊迫していたのです。警官の様子を見ていたところ、突然車体下から白煙が立ちのぼりました。警察官は赤い火を噴くダイナマイトのようなものを持っており運転手たちにダイナマイトが爆発するから早く逃げるようにと伝えました。4人の銀行員は現金輸送車から100メートルほど離れたところに退避しました。銀行員たちは危険を伝えるために走行中の車を停車させました。このとき近くに自衛隊の車両もました。白煙と炎を目撃した自衛隊員は消火器をもって現金輸送車に駆けつけようとしました。
すると白バイ警察官は危険を察知したのか現金輸送車に乗り込み発進しました。現金輸送車が白バイに止められてからわずか3分ほどの出来事でした。このとき現金輸送車はエンジンは切れられていたもののキーはついたままでした。そのキーの束には現金を入れてあるジュラルミンケースのキーもついていました。現金輸送車の運転手と銀行員は白バイ警察官の勇敢な行動に感心していましたが、残されたダイナマイトは爆発もせずやがて単なる発煙筒だったこと、白バイも偽物であることが判明しました。ここで運転手と銀行員は偽物の白バイ警察官に三億円を盗まれたことに気が付き銀行に報告しました。犯行から10分が経過していました。
連絡を受けた銀行は警察に通報しました。しかし最初の通報は現金輸送車を止めた白バイ警察官がいるかという問い合わせだったため初動が遅れてしまいました。そのような白バイ警察官がいないことがわかり、警察は午前9:50分に東京都全域を緊急体制としました。この日は歳末特別警戒の初日で至るところで検問が行われましたが現金輸送車は発見されませんでした。その後、犯人が車を乗り換えたことが発覚しますが時既に遅しで検問で犯人を見つけることはできなかったのです。
事件後の捜査で犯人の遺留品もたくさん発見され、犯行までと犯行直後の犯人の行動もかなり見えてきました。犯行を疑われた容疑者もいましたが、7年に渡る捜査で真犯人を逮捕することができず昭和50年(1970年)12月10日に時効となり未解決事件となりました。1988年12月10日は損害賠償請求権も消失し完全にお蔵入りとなったのです。劇場型犯罪の三億円事件は完全犯罪となりました。また三億円事件は強盗ではなく詐欺と窃盗になります。盗まれた3億円は保険で全額が賄われましたがこの事件で翻弄され人生が狂ってしまった人もいました。
昭和43年、自分は幼少だったので事件当時のことはほとんど覚えていませんが、小学生になってからも繰り返し報道されたり、特集番組が組まれたりしたため、この事件がいかに社会的に問題になったのかは記憶に残っています。犯人のモンタージュ写真が公開されると「科学捜査」という言葉をよく耳にするようになり、雑誌の付録などに科学捜査の推理のクイズなどが取りあげられるようにもなりました。
三億円犯人のモンタージュ写真
盗まれた3億円の現金のうち100万円分の五百円紙幣(2000枚分)の番号がわかっていますが、これらの紙幣が市場に出回った形跡はありませんでした。当時の3億円は物価換算では現在では10億円以上の価値があります。この事件によって多くの会社が社員への給与の支払いを銀行振り込みに切り替えました。また現金の輸送で備会社が活躍し始めるきっかけにもなりました。
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