カテゴリー「スポーツ」の348件の記事

2021年9月 3日 (金)

ホームラン記念日(1977年9月3日)

 1977年のプロ野球。注目されたのは読売ジャイアンツの王貞治選手のホームラン新記録達成でした。王選手の通算ホームラン数は前年引退したアメリカ大リーグのハンク・アーロンの記録755本を超える世界新記録756本まであと40本まで迫っていたのです。

 迎えた開幕戦4月2日の対中日ドラゴンズ戦では通算14本目の満塁ホームランを放ちますが、その後は調子が上がらずホームラン数や打率も低迷し始めました。30代半ばを超えた王選手に体力的な心配の声もあがり、ホームラン競争も首位の座を広島カープの山本浩二選手に譲っていました。

 しかし、5月に37歳を迎えると本来の調子を取り戻し、7月末には本塁打26号を記録しました。その後も調子をあげた王選手はホームランを量産し首位の座を取り返しました。8月31日、後楽園球場で行われた対大洋ホエールズ戦で三浦道男投手から39号ホームランを放ち、現役19年目の通算2425試合10145打席でハンク・アーロンの記録に並ぶ755号を達成しました。

 ファンや関係者の多くが王選手が次試合にでも756号を達成するだろうと予想しましたが、その後の2試合13打席はホームランが放たれることはありあませんでした。そして迎えた9月3日の対ヤクルトスワローズ戦の第2打席を迎えた3回裏、ツーストライク・スリーボールのフルカウントから投げた鈴木康二朗投手のシンカーを捕えてライトスタンドに放り込み、ついに世界新記録756号を達成しました。9月5日はその偉業に対して国民栄誉賞が贈られました。

756
王貞治選手756号を達成

 王選手は1980年まで現役を続け、現役22年、2831試合、9250打数、2786安打、2170打点、868本塁打、打率.301の記録を残して引退さました。

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2021年8月27日 (金)

1967年夏季ユニバーシアード開幕(1967年8月27日)

 ユニバーシアードは国際大学スポーツ連盟(FISU)が主催する全世界の学生を対象とする競技大会です。オリンピックの前年と翌年に2年おきに開催されるこの大会は学生オリンピックとも呼ばれます。ユニバーシアードはユニバーシティとオリンピアードに因んだ造語です。

 日本で初めてユニバーシアード大会が開催されたのは1967年で第5回目の夏季大会です。1967年夏季ユニバーシアードは同年8月27日に開幕し9月4日まで開催されました。1964年東京オリンピックの開場がそのまま利用され、東京オリンピックの興奮と感動の余韻もあり日本国中でたいへんに盛り上がりました。日本は金メダル19個、銀メダル18個、銅メダル24個の合計61個のメダルを獲得し、メダル総獲得数で第一位となりました。

1967年ユニバーシアード東京の入場式
1967年ユニバーシアード東京の入場式

 開幕式ではオリンピックの聖火さながら澤木啓祐選手が「ユウジョウノ火」の電光掲示板を背景に友情の火を掲げて走りました。澤木選手は陸上競技の5000メートルおよび10,000メートルで金メダルを獲得しています。

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友情の火を掲げて走る澤木啓祐選手

 

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2021年8月17日 (火)

プロ野球ナイター記念日(1948年8月17日)

 1948年8月17日、横浜ゲーリック球場においてプロ野球公式戦の日本で初めてのナイターが開催されました。これを記念し、8月17日はプロ野球ナイター記念日とされています。

 1876年、横浜の外国人居留地の彼我公園内にクリケット場が開かれ、多くの米国人により野球やサッカーなどが行われました。1896年には初の野球の国際試合が開催されました。1899年に横浜居留地が返還されると、彼我公園の名称は横浜公園に変更となり、ここに横浜公園球場が建設されました。この球場は関東大震災で崩壊しますが、その後再建されました。

 1934年にルー・ゲーリッグやベーブ・ルースなどを含むアメリカ大リーグ選抜軍が来日し、沢村栄治と久慈次郎、苅田久徳などを含む日本代表チームとの間で日米親善試合も開かれました(ココログ夜明け前「函館の野球の球聖 久慈次郎」)。

 横浜公園球場は第二次世界大戦中は使用停止となり1944年まで東京捕虜収容所第3分所として利用され、戦後の1945年9月に連合軍に接収されました。横浜公園球場は接収後も球場として利用され、名称は日米親善試合に来日した故ルー・ゲーリックにちなみ横浜ゲーリック球場(ルー・ゲーリック・メモリアルスタジアム)に変更されました。1946年には照明灯が設置され、ナイターが行えるようになり、大学野球や社会人野球のナイターが行われました。現在においてはプロ野球と言えばナイターが主流ですが、当時は大学野球や社会人野球の方が先んじてナイターを行なっていたのです。

ナイター試合(神宮球場)
ナイター試合(神宮球場バックネット裏)

 戦後のプロ野球は1945年に日本野球連盟が復活し、1946年にペナントレースが再開されました。そして、プロ野球でもナイターを行うことになり、横浜ゲーリック球場で初の試合が行われました。この試合は東京巨人軍と中日ドラゴンズで行われ、当日は観客があふれるほどの超満員だったそうです。

 試合は午後8時過ぎに始まり午後10時過ぎに終了、中日が巨人を3対2で下しました。開始時間を遅くしたのは日没前のナイターはボールが見えにくくなるという理由からです。当時の照明設備は現在のナイター照明に比べると十分ではなく、観客にとっては明るく見えても選手にとっては十分な明るさではなかったようです。巨人軍の青田昇選手がデッドボールを避けられず負傷したり、川上哲治選手が打ったホームランが二塁打に見間違えられたりするなどのハプニングもあったようです。

文庫 「野球」の誕生: 球場・球跡でたどる日本野球の歴史 (草思社文庫)

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2021年8月11日 (水)

ガンバレの日(昭和11年 1936年8月11日)

 昭和11年(1936年)8月11日、1936ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で日本の前畑秀子選手がドイツのマルタ・ゲネンゲルと激しく競り合い1秒の差をつけて優勝し、日本人女性として史上初のオリンピック金メダルを獲得しました。

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前畑秀子選手(左)と表彰台で一礼する同選手(右)

ベルリン五輪、前畑選手の泳ぎ

 この決勝の中継でNHKの河西三省アナウンサーは前畑選手の応援に力が入り、「マエハタ・ガンバレ」を38回も連呼しました。この河西三省アナウンサーの熱い応援はオリンピックの金メダル獲得を象徴する感動の実況中継となりました。

「前畑頑張れ!」 第11回オリムピック大會 女子200米平泳決勝

 

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2021年8月 2日 (月)

日本人が初めてオリンピック金メダル獲得(1928年8月2日)

 近代オリンピックの第一回は1896年にギリシアで行われました。日本が初めてオリンピックに参加したのは第5回目の1912年ストックホルムオリンピックです。

 日本人が初めてメダルを獲得したのは第7回1920年アントワープオリンピックです。男子テニスの熊谷一弥選手がシングルス、また熊谷一弥選手と柏尾誠一郎のダブルスで銀メダルを獲得しました。第8回1924年パリオリンピックでは内藤克俊選手がレスリングフリースタイルフェザー級で銅メダルを獲得しました。

 このころから国内の施設が整備され、海外の選手との交流が進み、日本人選手の実力が向上しました。第9回1928年アムステルダムオリンピックでは初の金メダルを2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得しました。

 この大会で一番最初に金メダルを獲得したのが三段跳びの織田幹雄選手でした。織田選手は前回のパリオリンピックで6位入賞を果たしており、オリンピック前には当時の世界記録にせまる記録を出していました。三段跳びは8月2日に行われ、織田選手は15 m21を記録し決勝へと進みました。15 m21が大会最高記録となり、金メダルを獲得しました。

 当時、日本人の金メダル獲得は想定外だったようで、掲揚する日本の旗も用意されていませんでした。織田選手が持参した勝者を包むための大型の日本の旗を国旗掲揚台の係員に渡し、他の国の旗より4倍も大きい日本の旗が掲揚されたのです。日本という国があまり知られていなかった時代です。国家も前半が飛ばされて「さざれ石の」から流されたのです。織田選手の三段跳びの活躍の様子と国旗掲揚は次の映像で見ることができます。

Oda Becomes Asia's First Individual Olympic Champion - Amsterdam 1928 Olympics

 さて、もう一人の金メダリストは競泳男子200m平泳ぎの鶴田義行選手です。鶴田選手がメダルを獲得したのは織田選手の金メダル獲得から6日後のことでした。同じオリンピックで日本人として初の金メダリストが2名も生まれたのです。

織田幹雄選手と鶴田義行選手
織田幹雄選手(左)と鶴田義行選手(右)

 なお銀メダルは陸上女子800 mの人見絹枝、競泳男子800m自由形リレーの米山弘選手・佐田徳平選手・新井信男選手・高石勝男選手、銅メダルは競泳男子100m自由形の高石勝男選手が獲得しました。

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2021年7月17日 (土)

1964東京オリンピックの聖火の点火

 1964年東京オリンピックの聖火は同年8月21日にギリシアのオリンピアのヘラ神殿の遺跡で採火され、翌22日に聖火空輸特別機「シティ・オブ・トウキョウ号(日本航空)」でアテネから日本に向けて運ばれました。聖火は11カ国を経由し、9月7日に沖縄に到着しました。

 当時の沖縄は米国の占領下でしたが、国内の聖火リレーは沖縄がスタート地点に選ばれました。9月9日に「聖火号(全日空)」によって、鹿児島空港、宮崎空港を経て千歳空港に向かいました。この3箇所が国内リレーの4つコース起点となりました。

 4つのコースは鹿児島から本州の日本海側を通って東京へ向かう第一コース(9/9〜10/9)、宮崎から四国を経て本州の太平洋側を通って東京へ向かう第二コース(9/9〜10/8)、千歳から本州の日本海側を通って東京へ向かう第三コース(9/9〜10/7)、千歳から本州の太平洋側を通って東京へ向かう第四コース(9/9〜10/7)が選ばれました。地上リレーの走破距離は6,755 kmにもなりました。

 各コースの聖火は東京都庁に集められ、9日に皇居前の聖火台で集火式が行なわれました。そして1964年10日10日午後2時35分、国立競技場に向けた最終聖火リレーが行なわれた。聖火は国立霞ヶ丘競技場の千駄ヶ谷門で10万713人目の最終聖火ランナーの坂井義則選手(当時、早稲田大学1年生)の手渡されました。そして、国立競技場のトラックに入ってきました。

最終聖火ランナー坂井義則選手
最終聖火ランナー坂井義則選手

 大勢の観客が見守る中、坂井義則選手はトラックを半周します。

トラックを駆け抜ける坂井義則選手
トラックを駆け抜ける坂井義則選手

 そして、聖火台までの階段を駆け上り、1964年東京オリンピックの聖火を点火しました。

1964年東京オリンピック聖火の点火
1964年東京オリンピック聖火の点火

 坂井選手は1964年東京オリンピックの400 mおよび1,600 mリレーの強化選手でしたが、代表選考会で敗退したため出場を逃していました。もともと聖火の最終ランナーは別の選手が走る予定でしたが、オリンピック組織委員会が1945年8月6日「広島原爆投下の日」が誕生日だった坂井選手に最終ランラーを託したのです。

地図と写真で見る東京オリンピック1964 (ブルーガイド)

戦後の日本が劇的に変化した東京オリンピックから50年。高度成長の真っ只中の1964年当時の東京を、200点以上の写真と古い地図で振り返る。

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2021年7月 9日 (金)

ターザンが競泳100メートルで世界初の1分を切る

 競泳100メートルの世界初の公式記録は1905年12月3日にハンガリーのゾルタン・ハルマイ選手が記録した1分05秒8です。この世界記録は更新されていきますが、1分の壁を破る選手はなかなか出てきませんでした。

 世界で初めて1分の壁を破ったのはアメリカのジョニー・ワイズミュラー選手です。1922年7月9日、ワイスミュラー選手は100メートル自由形でデューク・カハナモク選手の世界記録1分00秒4を58.6秒に更新し、人類で初めて1分を切る記録を成し遂げました。ワイズミュラー選手は1924年2月に記録を57.4秒に更新し、同年に開催されたパリオリンピックでは100m自由形、400m自由形、競泳男子4×200mリレーで金メダル、水球で銅メダル、1928年のアムステルダムオリンピックでは100m自由形、競泳男子4×200mリレーで金メダルを獲得しました。

ジョニー・ワイズミュラー選手
ジョニー・ワイズミュラー選手

 ジョニー・ワイズミュラー選手は1929年に下着メーカーのモデルとなり一躍人気となり、映画にも出演するようになりました。1932年に映画「類人猿ターザン」の主役ターザンを演じました。筋肉隆々のワイズミュラー選手が演じたターザンは大人気となってシリーズ化され、ワイズミュラー選手は合計12本のターザン映画に出演、世界的な水泳選手から世界的に有名な俳優となりました。

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2021年7月 7日 (水)

ブルーインパルスによる五輪マーク|1964年東京オリンピック開会式

 1964年に開催された東京オリンピック。10月10日に東京都新宿区の国立競技場で開会式が行われました。

 このとき航空自衛隊曲技飛行隊のブルーインパルスが国立競技場上空に五輪のマークを描きました。この写真は新聞報道写真記者がカメラ取材席から撮影したものです。

ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)
ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)

 当時のブルーインパレスの機体はF-86Fジェット戦闘機でした(現在はT-4練習機)。

光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみました。

綺麗な青空に白い五輪が浮かび上がりましたが、少し紫がかっています。

ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)AIカラー
ブルーインパルスによる五輪マーク(1964年東京オリンピック開会式)AIカラー

 オリンピックの五輪の制定の経緯や5つ色の由来については、ココログ 光と色とオリンピックの五輪の色の意味は?」に簡単な説明がありますので興味がございましたらご一読ください。

 さて、2020年東京オリンピックの開会式は午後8時から行われます。航空自衛隊は東京オリンピックとパラリンピックの開会式が行われる日にブルーインパルスが都内上空にシンボルマークなどを描くと発表しています。

ブルーインパルス
ブルーインパルス

トミカ トミカプレミアム 22 航空自衛隊 T-4 ブルーインパルス

 

東京オリンピック [DVD]

ドキュメンタリー映画 (出演), 市川崑 (監督, 脚本) 

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2021年7月 5日 (月)

1964年 東京オリンピックの開会式の入場券

 1964年に国立競技場で行われた第18回東京オリンピック競技大会の開会式の入場券です。実家のアルバムに開会式の写真とともに収められていたものです。シワも入っており保存状態は悪いのですが、56年間もひっそりと保存されていたと思うと感慨深いものがあります。

1964年 第18回東京オリンピック競技大会 開会式入場券
1964年 第18回東京オリンピック競技大会 開会式入場券

 座席は20後段M-53とあります。当時の国立競技場の青山門側のバックスタンドに近いところです。このあたりはメインスタンドの真正面で報道関係者の座席でした。入場券の持ち主は新聞社のカメラマンでした。

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2021年6月30日 (水)

1964年 東京オリンピックの模擬開・閉会式の入場券

 先日、1964年に開催された東京オリンピックの模擬の開会式と閉会式の入場券です。東京オリンピックの開会式は10月10日に国立競技場で行われましたが、模擬の開会式と閉会式は1週間前の10月3日に行われました。この入賞権は新聞社のカメラマンが保存していたものです。

964年 東京オリンピックの模擬開・閉会式の入場券
1964年 東京オリンピックの模擬開・閉会式の入場券

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