カテゴリー「アニメ・コミック」の21件の記事

2023年1月13日 (金)

海底少年マリン放送開始(1969年1月13日)

 「海底少年マリン」は1969年1月13日から1970年7月27日までフジテレビ系で放送されたテレビアニメです。

 「海底少年マリン」は1966年に放映された「がんばれ! マリンキッド」を改題しエピソードを追加した作品です。海中をドラマとするSFアニメは当時としては目新しく、マリンが遭遇する事件や海洋生物をワクワクしながら見ていました。

 マリンは父親である海洋学の専門家・マリーナ博士が勤める海洋基地でパトロール隊員として働いてます。隊員のガラリンとブルトンと共にP1-0号で行動を共にします。ガラリンとブルトンは海中での活動にはアクアラングを必要としますが、マリンはオキシガムで酸素を補給することができ海中で長時間の活動が可能です。また靴底から出るハイドロジェットにより海中を高速で移動することができます。マリンの武器はブーメランです。マリンのブーメランは海中で水の抵抗を受けずに敵を倒し手元に戻ってきます。どんな仕組みなのでしょうか。

 マリンは海洋基地のパトロール隊員ですが、パトロール隊の他の仲間として人魚のネプティーナとイルカのホワイティがいます。マリンはガラリンとブルトン、そしてネプティーナとホワイティの協力を得て難事件を解決していくのです。

海底少年マリンと人魚ネプティーナとイルカのホワイティ
海底少年マリンと人魚ネプティーナとイルカのホワイティ

 海底少年マリンの声は「ドラえもん」ののび太の声を担当した小原乃梨子さん、ネプティーナはマッハGoGoGoの志村ミチの声を担当した松尾佳子さん、そしてホワイティの鳴き声は野沢雅子さんです。ガラリンは野沢那智さん、ブルトンはゲゲゲの鬼太郎の死神の声を担当した神山卓三さん、マリーナ博士は納谷悟朗さんでした。

 オープニングテーマの「ゴーゴーマリン」は小原乃梨子さんが歌っています。マリンの声は勇ましい少年の声で、のび太とはずいぶん雰囲気が違いますね。

海底少年マリン

 

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2023年1月 7日 (土)

スーパージェッターの日(1965年1月7日)

 スーパージェッターは漫画家の久松文雄原作のSFアニメで1965年1月7日から1966年1月20日までTBS系列局で放送されました。

 スーパージェッターは漫画の原作はなく最初からアニメとしてTBSが独自に企画したものです。TBSが「スーパージェッター」を独自に企画した背景には「エイトマン」での苦い経験がありました。TBSは「エイトマン」のアニメの放映権を米国の会社に英語の契約書を十分に確認せずに売却してしまいした。この契約書にはアニメの放映権のみならずキャラクター商品、音楽、出版などの諸権利が含まれていました。TBSは契約を撤回することもできず原作者や利害関係者に事前に確認せずに諸権利を売却してしまったのです。そこでTBSは「スーパージェッター」を全て独自に企画することにしたのです。

 さて当時見ている子どもたちはそんな大人の事情は露知らず「スーパージェッター」を毎週楽しみにしていました。ジェッターはもともと30世紀タイムパトロール723号でした。悪人ジャガーを追跡中の事故で流星号が故障し20世紀に取り残されてしまいました。30世紀に帰ることができなくなった723号は未来から来た少年ジェッターとして、国際科学捜査局で犯罪捜査を行うことになりました。

 ジェッターは特殊な腕時計を持っていてこれでタイムマシンの流星号を呼び出すことができます。流星号はもともと最高速度マッハ30で飛行することができたのですが故障によってマッハ15までしか出せなくなりました。流星号は空飛ぶ自動車です。金属製のはずなのですがその形をくにゃくにゃと変えることができます。腕度計にはタイムストッパーの機能もあり、30秒間だけ時間を止めることができます。

 ジェッターが持ってる銃はパラライザーで人を傷つけることなく麻痺させる銃です。パラライザーと言えばウルトラセブンの第2話「緑の恐怖」でアンヌ隊員がヤイアール星人の姿になった人間に向けて撃った銃です。アンヌ隊員はパラライザーを撃った後に「大丈夫、神経を麻痺させて動きを止めたの」と言っています。パラライザーはウルトラセブン初出ではなかったのです。

 様々な問題を解決していく少年の活躍がかっこよかったです。主題歌の冒頭には「僕はジェッター。1千年の未来から時の流れをこえてやってきた。流星号応答せよ、流星号、来たな良し行こう」という台詞が入っていてこれがまた良かったのです。

 玩具の腕時計をつけて「流星号応答せよ、流星号、来たな良し行こう」と呼びかけるのが子どもの間で流行しました。玩具の腕度計がないときは腕にマジックで腕度計を描いていました。いやマジックで描いた腕度計に呼びかけているのを見た親が玩具の腕度計を買ってくれたのかもしれない(^^ゞ

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スーパージェッターのお面をつけた欲張り過ぎた正義の味方

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2023年1月 1日 (日)

テレビアニメ「バビル2世」放送開始(1973年1月1日)

 横山光輝先生原作のテレビアニメ「バビル2世」は1973年1月1日から9月24日まで毎週月曜日午後7時から放送されました。

 バビル2世はもともと1971年に週刊少年チャンピオンで連載が始まりました。超能力者バビル2世と世界征服を狙う超能力者のヨミとの闘いの物語で第10話で2人がヒマラヤで闘う中で雪崩に飲み込まれて最終回となる予定でしが、人気が急上昇したため長期連載となりテレビアニメ化が決まりました。

 アニメ版でバビル2世が住んでいるのは「バビルの塔」ですが漫画版では「バベルの塔」でした。アニメ版第1話「五千年前からの使者」の冒頭ではバビロニアの「バベルの塔」の伝説が紹介され、神に壊された「バベルの塔」は密かに隠されていたとされています。しかしながら、第1話の後半ではバビル2世が「バビルの塔」と呼んでいます。

 どうして「バベルの塔」が「バビルの塔」になったのでしょうか。実は漫画版のタイトルは「バベル2世」でしたが、これを編集担当が「バビルの塔」と誤植してしまったのが原因なのだそうです。漫画版ではタイトルは「バビル2世」のままとなり塔の名前は「バベルの塔」のままでしたが、アニメ版では第1話の冒頭だけが「バベルの塔」とされその後は「バビルの塔」になっています。

バビル2世 1 (少年チャンピオン・コミックス) コミック – 1972/6/1

21

 東映アニメーションミュージアムチャンネルでバビル2世の第一話が公開されています。

 バビルの塔の主題歌はアニキこと水木一郎さんが歌っています。

【公式】バビル2世 第1話「五千年前からの使者」 <1970年代アニメ>

 

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2022年12月14日 (水)

アニキ初のアニメソング「原始少年リュウが行く」

 「原始少年リュウが行く」は1971年10月30日から1972年3月25日までTBS系列で放映された東映動画制作のテレビアニメ「原始少年リュウ」のOP主題歌です。作詞は石ノ森章太郎先生が手がけ、作曲は大塩潤こと渡辺岳夫先生が手がけました。 

 「原始少年リュウが行く」を歌ったのはアニメソング界帝王と呼ばれた我らがアニキ(ANIKI)こと水木一郎さんです。アニキは昭和43年(1968年)にレコードデビューを果たしました。5枚のシングルを発売しましたが残念ながら歌謡曲歌手としては成功しませんでした。1971年には作曲家に転身することを考えていましたが、そのときに仮面ライダーの音楽制作に関わり、アニメソングの女王こと歌手の堀江美都子さんの担当をしていた日本コロンビアの木村英俊プロデューサーの勧めで「原始少年リュウが行く」を歌うことにななったのです。

 「原始少年リュウが行く」はアニキにとって6枚目のシングルで初めて歌ったアニメソングです。このシングルには堀江美都子さんが歌うEDテーマ「ランのうた」が収録されました。

〇「原始少年リュウが行く」

歌:水木一郎
作詞:石森章太郎 / 作曲:大塩潤 / 編曲:高原哲

〇「ランのうた」

歌:堀江美都子
作詞:石森章太郎 / 作曲:大塩潤 / 編曲:高原哲

 次のレコードは当時よく販売されていたオムニバス版の「原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎」のレコードです。シングルですが33回転で片面に「原始少年リュウが行く」「ランのうた」の2曲が収録されています。もう片面は「ゲゲゲの鬼太郎」「カランコロンの歌」が収録されています。

原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎
原始少年リュウ/ゲゲゲの鬼太郎

 アニキが原始少年リュウの主題歌を手がけてから多くのアニメソングを歌唱するようになりました。「超人バロム1」「変身忍者 嵐」「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「バビル2世」「ロボット刑事」「仮面ライダーX」「仮面ライダーストロンガー」「がんばれ!!ロボコン」「宇宙の騎士テッカマン」など数多くの特撮・アニメソングを歌いアニメソング界帝王として不動の地位を築いたのです。

 水木一郎さんがアニキと呼ばれるのはNHKの「おかあさんといっしょ」の初代うたのおにいさんである田中星児さんの後を継いで1976年4月から1979年3月まで2代目うたのおにいさんとして活躍したからです。アニキは当時の子どもたちにとって身近な存在だったのです。

 ありがとうアニキ!アニキは我々にとって永遠の存在、永遠のヒーローです!

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2022年10月 2日 (日)

タイガーマスク放送開始(1969年10月2日)

 原作:梶原一騎、作画:辻なおきの漫画「タイガーマスク」は講談社の雑誌「ぼくら」1968年1月号から連載が始まりました。その後、同社の「週刊ぼくらマガジン」「週刊少年マガジン」で1971年まで連載が続きました。

 自分は世代的に漫画版よりもテレビアニメ版がきっかけとなって「タイガーマスク」を見るようになりました。放送当時は漫画版は見ていませんでした。テレビアニメ「タイガーマスク」の放送が開始したのは1969年10月2日です。虎のマスクをかぶった覆面レスラー。百獣の王のライオンではなくてトラだったこともインパクトがありました。

アムールトラ
アムールトラ

 タイガーマスク第1話は「黄色い悪魔」。アメリカのプロレス界で反則技を使いまくり「黄色い悪魔」と恐れられた覆面レスラーのタイガーマスクが日本に帰国してきるところから物語が始まります。日本での戦いぶりを見たジャイアント馬場はタイガーマスクが「虎の穴」出身のレスラーではないかと見抜きます。テレビの前で容赦のない反則技を繰り出すタイガーマスクを応援する「ちびっこハウス」の健太くん。その様子を見ていた若槻先生とルリ子はかつて「ちびっこハウス」を飛び出して行方不明となった伊達直人を思い出します。

 伊達直人は「ちびっこハウス」のルリ子さんや健太くんをはじめとする子どもたちと出会い、そしてタイガーマスクはジャイアント馬場と出会い、反則技を封印します。そして稼いだ賞金を「虎の穴」に上納せず「ちびっこハウス」の借金返済に充ててしまい「虎の穴」のミスターXに付け狙われるようになります。タイガーマスクであることを隠した伊達直人の孤独な戦いが始まったのです。

【公式】タイガーマスク 第1話「黄色い悪魔」

 後にアニメ版の後半が原作とずいぶん異なっていることを知り原作を読み始めました。確かにその通りでした。アニメ版の後半に原作とは異なる物語が多かったのはアニメ版が漫画版に追いついてしまったためだったようです。最終回も全く異なる展開で深く考えるとタイガーマスクの存在の意義まで考えてしまいます。これはまた別の機会に。原作の最終回はコミックの14巻です。

タイガーマスク(14) (週刊少年マガジンコミックス)


 そう言えばロッテのタイガーマスクのガムをよく買いました。懸賞に応募したところ当たってビニール製のタイガーマスクのマントが送られてきました。うろ覚えだったのですが「タイガーマスク ガム ロッテ」でGoogle画像検索すると記憶が蘇りました。

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2022年9月25日 (日)

バカボンのパパ参上「天才バカボン」放送開始(1971年9月25日)

 「天才バカボン」は赤塚不二夫原作のギャグ漫画です。「天才バカボン」は1967年4月9日の「週刊少年マガジン」に登場しました。途中で「週刊少年サンデー」に連載が切り替わりましたが最終的には「月刊少年マガジン」の連載となり1978年12月号で終了しました。

 自分は漫画も見ていましたがやはりインパクトが大きかったのは「天才バカボン」のテレビアニメです。「天才バカボン」のテレビアニメは当初は1968年10月から日本テレビで放映する予定でパイロット版も作成されましたが諸問題により企画が頓挫しています。

 「天才バカボン」のテレビアニメが始まったのは1971年9月25日、読売テレビで毎週土曜日の19時00分~19時30分に放映されました。「天才バカボン」が始まる前、この時間帯は「巨人の星」が放映されていました。「巨人の星」の最終回の最後に星飛雄馬などの登場人物が登場し、バカボン一家を紹介します。飛雄馬がバカボンに後をよろしくと言うと天才バカボンの予告編が始まりました。

 テレビアニメ版の「天才バカボン」が原作に比べると過激な表現などが削られてずいぶんとマイルドな作りになっています。原作はナンセンスなドタバタ漫画ですが、テレビアニメ版はナンセンスでありながら人情的な物語に仕上がっています。

 キャラクターのデザインや設定は原作をほぼ踏襲していますが、原作では無職だったバカボンのパパがテレビアニメでは植木屋さんになっています。バカボンのパパに仕事を持たせるのはスポンサーの大正製薬やテレビ局の意向だったようです。バカボンのパパに仕事をもたせると言ってもスーツを着せて会社に通わせるわけにもいきません。そこで脚本を担当していた雪室俊一さんが植木屋という設定にしたそうです。植木屋さんであればスーツを着せることもありません。結果として同じ会社に通うサラリーマンと違っていろいろなところに出かけるので話が広げることができたそうです。一方でバカボンのパパは無職でなければいけないと考えていた赤塚先生は断りもなく設定が変更されてしまったことに憤慨し失望されたそうです。

 あとキャラクターデザインが大きく変わったのは本官さんです。原作では目がつながっていて鼻の穴も1つでしたが、テレビアニメでは目はつながっておらず鼻の穴も2つあります。次の絵は自分がずいぶん前に原作とかアニメの違いを考えずに何も見ないでパソコンでマウスで描いた本官さんです。まるで原作の本官さんに仕上がっています。今でも本官さんはアニメより原作の顔の方が強烈に記憶に残っています。

天才バカボンの本官さん
天才バカボンの本官さん

 今では人気の「天才バカボン」は最初から広く受け入れられてわけではありません。当時のPTAは「子どもに見せたくない番組」としてテレビ局にクレームを入れていました。その影響もあって放送開始直後は自分の家でも「天才バカボン」はなかなか見せてもらえませんでした。チャンネルを回すふりをしてバカボンのチャンネルでしばらくとめるなど姑息な手段を使って見ていました(^^ゞ

 あるとき父が自分と弟を「東宝チャンピオンまつり」(1972年公開)に連れて行ってくれたのですが、そのとき「天才バカボン 夜まわりはこわいのだ」が放映されました。これはアニメ第33話です。バカボンとパパと酔っ払いのおじさんが眼科の看板に背広を着せて本官さんをびっくりさせるシーンなどを見て3人で大笑いしました。

 この日を境に家では父の了承のもと「天才バカボン」を見ることが全面的に解禁になったのです。それ依頼、父と自分と弟で毎週3人で「天才バカボン」を大笑いしながら見るようになったのですが、母は納得がいかなかったようです。

電子版 天才バカボン(1) (少年サンデーコミックス) Kindle版

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2022年9月18日 (日)

ブラック・ジャック定期連載終了(1978年9月18日)

 手塚治虫先生の漫画「ブラック・ジャック」は秋田書店の漫画雑誌「週刊少年チャンピオン」の1973年11月19日号から連載が始まりました。

 手塚先生は1950年「ジャングル大帝」、1952年「鉄腕アトム」にはじめ少年漫画雑誌で数々の作品を生み出しました。しかし、1960年代後半になると少年雑誌が若手の漫画家を起用しはじめたり、劇画の人気が高まったりしたため活躍の場が少なくなりました。1973年には旧虫プロダクションと虫プロ商事が倒産し、手塚先生にとってこの時期は厳しい状況が続きました。

 「週刊少年チャンピオン」編集部は手塚先生の状況を憂慮し、手塚治虫の漫画家としての活動30周年を記念する作品の企画を立てました。この企画では手塚治虫作品の全キャラクターが出るスターシステムの作品とされました。連載を快諾した手塚先生は手塚漫画のキャラクターが病気となってブラック・ジャックという医者にかかっていく物語を考えました。また、これまでのヒーロー的な路線を変更し、ブラック・ジャックをアウトサイダー的な存在として描くことにし、卓越した腕を持つが無免許医で法外な手術代を請求する医者という設定にしました。

 「ブラック・ジャック」は短期間の連載の計画で始まりました。当初はそれほど人気も上がりませんでしたが連載を重ねるうちに人気が出始めその後10年間の「週刊少年チャンピオン」の人気を支える作品のひとつとなりました。

アッチョンブリケ
アッチョンブリケの変顔

  「ブラック・ジャック」の定期連載は1973年9月18日号の第229話「人生という名のSL」で終了しました。「人生という名のSL」ではSLに乗っているブラック・ジャックが次々と懐かしい知人と会って話をするという物語です。

 そういえば2007年に放送された「世にも奇妙な物語 春の特別編 2007年」の「回想電車」が「人生という名のSL」に似ていました。「回想電車」は赤川次郎先生の1999年の小説です。ある男が人生を回想するように電車で懐かしい人に出会うという物語です。結末は「人生という名のSL」とは全く異なります。

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アッチョンブリケ考


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2022年9月14日 (水)

銀河鉄道999放送開始(1978年9月14日)

 銀河鉄道999は松本零士先生のSF漫画です。自分が初めて銀河鉄道999を見たのはアニメではなく少年画報社の少年キングでした。少年キングでの連載は1977年でテレビのアニメ化より1年以上前です。

 当初、銀河鉄道999の連載は10話が予定されており、松本先生は10話分を編集部に渡して自身はアフリカ旅行に出かけたそうです。1977年1月に連載が始まると宇宙戦艦ヤマトの効果もあり大人気となり、連載は1981年9月まで5年間続き全220回で終了しました。少年キングでの連載は松元先生が多忙だったため非常にゆっくりとしたペースで進みました。掲載のないときもありましたし、数ページしか掲載されていないこともありました。宇宙空間を背景に999号とメーテルと鉄郎が見開きで大きく描かれたような絵がよく掲載されていたことを覚えています。少年キングを読んでいるだけでは物語が途中でわからなくなってしまうこともあったためヒットコミックスを買い集めました。

 銀河鉄道999のテレビアニメが放送されたのは1978年9月14日です。漫画を見ていたのでアニメの放送開始は楽しみにしていました。宇宙戦艦ヤマトとは異なる宇宙観になるであろうことはわかっていましたが、「無限に広がる大宇宙」を改めて認識してしまいました。オープニングの映像、主題歌、鉄郎やメーテルの声、すべて自然に受け入れることができました。

 銀河鉄道999は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」とモーリス・メーテルリンク「青い鳥」がアイデアの元になっているそうです。銀河鉄道999の物語には星野鉄郎がメーテルと一緒に999に乗って機械の身体を無償提供してくれる終着駅を訪れるという大きな目標があります。そして終着駅めざす途上で停車する特異な星々での出来事の体験や教訓が全体の物語を創り上げていきます。見ている側もまるで一緒に旅をしているように感じました。

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光速エスパー放送開始(1967年8月1日)

宇宙海賊キャプテンハーロック 1 Kindle版


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2022年9月 6日 (火)

宇宙戦艦ヤマト生還(2200年9月6日)

 時に西暦2199年、地球はガミラス星から遊星爆弾の攻撃を受け、人類は放射能汚染による滅亡の危機にさらされていた。

コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)

 宇宙戦艦ヤマトが放射能除去装置コスモクリーナーDを取りに行くため地球から遙か14万8千光年彼方にあるイスカンダルへ旅だったのは2199年10月8日です。

 地球とイスカンダルの往復距離は29万6千光年、人類に残された時間はわずか1年間しかありません。イスカンダルから提供された設計図を元に作られた波動エンジンがワープ航法でこの長旅を可能とします。

 しかし、ヤマトの行く先々にはガミラス艦隊が待ち受けています。ガミラスとの決戦を繰り返しながら任務を遂行する宇宙戦艦ヤマトが地球に生還したのは西暦2200年9月6日、人類は青い地球を取り戻したのです。最終回は地球に生還するヤマトとヤマト帰還後に赤色となった地球が青色を取り戻す映像とともに次のメッセージが流れました。

 西暦2200年9月6日ヤマト生還  宇宙は何事もなかったかのごとく 平和な時を息づいていた。

 さて宇宙戦艦ヤマトの放送開始は1974年10月6日でした。初回放送時はあまり人気がありませんでした。裏番組でカルピスまんが劇場の「アルプスの少女ハイジ」や円谷プロダクションの「SFドラマ 猿の軍団」が放送されていたのです。また、当時は子ども向けと考えられていたアニメ番組の中で宇宙戦艦ヤマトは異色の存在でした。宇宙戦艦ヤマトの視聴率は低迷、当初は全39回の放送が予定されていましたが短縮を余儀なくされ1975年3月30日に全26話で最終回を迎えました。しかし、再放送や映画化で宇宙戦艦ヤマトは大人気となり、子どもから大人まで幅広い年齢層が楽しめるアニメの先駆けとなりました。

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2022年8月29日 (月)

オバケのQ太郎が放映開始(1965年8月29日)

 漫画「オバケのQ太郎」は昭和39年(1964年)1月22日に小学館の週刊少年サンデー6号で連載が始まりました。当時の回想によると編集部に出入りしていた子どもが描いたお化けの漫画に着想してお化けを主人公とした漫画を藤子不二雄に連載を依頼することになったようです。

 当時、不藤子不二雄は藤本弘(後の藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)の両先生がコンビとして漫画を執筆していました。漫画「オバケのQ太郎」は藤子不二雄とトキワ荘出身の漫画家で設立した「スタジオ・ゼロ」雑誌部のメンバーと手がけることになりました。週刊少年サンデーでの連載が始まりましたが読者の反応が鈍かったことや藤子不二雄自身もそれほど身が入らなかったため連載は9回にして終了してしまいました。

 ところが連載終了後に多くの読者から編集部に連載再開を求める手紙が押し寄せ、週刊少年サンデー編集部は3ヶ月後に「オバケのQ太郎」の連載を再開しました。再開された連載では藤子不二雄が中心となり、スタジオ・ゼロのメンバーは作画協力として参加する体制になりました。Q太郎の絵は藤本先生、正太君は安孫子先生、その他の人物は石ノ森章太郎先生と赤塚不二夫先生、背景画は北見けんいち先生(釣りバカ日誌)が担当していました。

 連載が再開すると「オバケのQ太郎」は大人気となり小学館の学年誌などにも掲載されるようになりました。さらにアニメ化が決まり昭和40年(1965年)8月29日にTBS系「不二家の時間」(日曜19:30~20:00)で「オバケのQ太郎」が始まったのです。この頃、テレビでは流行していたSFアニメの人気にかげりが出始めていました頃で、日本初のギャグアニメの主人公Qちゃんは子どもたちの心を鷲づかみしたのです。

オバケのQ太郎
オバケのQ太郎

  「キュッ!キュッ!キュッ!」で始まる石川進さんが歌う主題歌「オバケのQ太郎」、「オッ!オッ!オバケのケノケノマーチ」で始まるQ太郎の声優の曽我町子さんが歌う「オバQマーチ」が大人気となりました。また曽我町子さんの「オバQ音頭」は当時の盆踊りの定番となり多くの子どもたちがが「オバQ音頭」に合わせて踊りました。

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