カテゴリー「昭和の風景」の22件の記事

2023年1月23日 (月)

昔のレコード・プレーヤー|昭和の風景

  昭和40年頃の汎用のレコード・プレーヤーです。この頃のレコード・プレーヤーはトランク型あるいはスーツケース型で持ち運ぶことができました。

昔のレコード・プレーヤー(昭和40年頃)
昔のレコード・プレーヤー(昭和40年頃)

 ターン・テーブルの大きさはシングルレコードの大きさです。大きなLPレコードははみ出ますがかけることができます。スピーカーはもちろんステレオであるはずもなくモノラルです。

 レコードを掛けるときには手でアームを慎重にレコード盤の上にのせるのですが、ミスをすると「ギー」と音がして最悪の場合はレコード盤の溝に傷が付いて音飛びが起こるようになってしまいます。

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2023年1月 8日 (日)

パンチキックをキック(昭和48年頃)

 タカラからパンチキックという玩具が発売されていました。商品名の通りパンチをしたりキックをしたりするものですが、底が重くなっているので転んでもすぐに起き上がってきます。パンチキックが静止している1回目の攻撃は簡単ですが、立ち上がってきたパンチキックを攻撃するのはタイミングがなかなか難しく返り討ちにあうこともあります。この写真は5歳ぐらいの男の子がパンチキックにキックしたところを撮影したものです。なかなか良いポーズで蹴りがしっかり入ったようです。

パンチキックをキック
パンチキックをキック

 少し年の離れたお兄ちゃんは布団の上でパンチキックをバックドロップしたり投げ飛ばしたり。

 それがついに家具に当たって・・・

 お母さんにこっぴどく怒られたようです。

【関連記事】パンチキックをキック(昭和48年頃)

一枚の写真

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2023年1月 7日 (土)

スーパージェッターの日(1965年1月7日)

 スーパージェッターは漫画家の久松文雄原作のSFアニメで1965年1月7日から1966年1月20日までTBS系列局で放送されました。

 スーパージェッターは漫画の原作はなく最初からアニメとしてTBSが独自に企画したものです。TBSが「スーパージェッター」を独自に企画した背景には「エイトマン」での苦い経験がありました。TBSは「エイトマン」のアニメの放映権を米国の会社に英語の契約書を十分に確認せずに売却してしまいした。この契約書にはアニメの放映権のみならずキャラクター商品、音楽、出版などの諸権利が含まれていました。TBSは契約を撤回することもできず原作者や利害関係者に事前に確認せずに諸権利を売却してしまったのです。そこでTBSは「スーパージェッター」を全て独自に企画することにしたのです。

 さて当時見ている子どもたちはそんな大人の事情は露知らず「スーパージェッター」を毎週楽しみにしていました。ジェッターはもともと30世紀タイムパトロール723号でした。悪人ジャガーを追跡中の事故で流星号が故障し20世紀に取り残されてしまいました。30世紀に帰ることができなくなった723号は未来から来た少年ジェッターとして、国際科学捜査局で犯罪捜査を行うことになりました。

 ジェッターは特殊な腕時計を持っていてこれでタイムマシンの流星号を呼び出すことができます。流星号はもともと最高速度マッハ30で飛行することができたのですが故障によってマッハ15までしか出せなくなりました。流星号は空飛ぶ自動車です。金属製のはずなのですがその形をくにゃくにゃと変えることができます。腕度計にはタイムストッパーの機能もあり、30秒間だけ時間を止めることができます。

 ジェッターが持ってる銃はパラライザーで人を傷つけることなく麻痺させる銃です。パラライザーと言えばウルトラセブンの第2話「緑の恐怖」でアンヌ隊員がヤイアール星人の姿になった人間に向けて撃った銃です。アンヌ隊員はパラライザーを撃った後に「大丈夫、神経を麻痺させて動きを止めたの」と言っています。パラライザーはウルトラセブン初出ではなかったのです。

 様々な問題を解決していく少年の活躍がかっこよかったです。主題歌の冒頭には「僕はジェッター。1千年の未来から時の流れをこえてやってきた。流星号応答せよ、流星号、来たな良し行こう」という台詞が入っていてこれがまた良かったのです。

 玩具の腕時計をつけて「流星号応答せよ、流星号、来たな良し行こう」と呼びかけるのが子どもの間で流行しました。玩具の腕度計がないときは腕にマジックで腕度計を描いていました。いやマジックで描いた腕度計に呼びかけているのを見た親が玩具の腕度計を買ってくれたのかもしれない(^^ゞ

欲張り過ぎた正義の味方
スーパージェッターのお面をつけた欲張り過ぎた正義の味方

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バカボンのパパ参上「天才バカボン」放送開始(1971年9月25日)

テレビアニメ「バビル2世」放送開始(1973年1月1日)

宇宙戦艦ヤマト放映開始(1974年10月6日)

銀河鉄道999放送開始(1978年9月14日)

ブラック・ジャック定期連載終了(1978年9月18日)

欲張り過ぎた正義の味方(昭和43年頃)

昭和の風景

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2023年1月 3日 (火)

チョコレートパフェを食べる兄弟|昭和の風景(昭和47年)

 昭和のある日、親に連れられてデパートのレストランでチョコレートパフェを食べる兄弟の写真。喫茶店やレストランのチョコレートパフェは家では食べられない上等のスイーツ。いやいや昭和の時代にスイーツなんて言葉はありませんでした。でも家庭では簡単には食べられないのは今も同じかもしれません。

チョコレートパフェを食べる兄弟(昭和47年)
チョコレートパフェを食べる兄弟(昭和47年)

 めったに食べられない美味しいチョコレートパフェ。背の高い容器に入っているので2人とも立ち上がって上から長いスプーンを使って美味しいクリームをすくおうとしています。よく見ると、この兄弟、おそろいの服を着ていますね。母親のコーディネートでしょうか。

 昭和のある日の子どもたちのひとときをとらえた写真でした。

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2022年12月19日 (月)

土管の中で遊ぶ子どもたち|昭和の風景(昭和40年頃)

 昭和40年代頃までの空き地には建設資材が無造作に置かれていました。当時は上水道、下水道、送電などのインフラが十分に行き渡っていませんでした。高度経済成長の中でインフラ整備のための土木工事工事が盛んに進められていました。

 空き地に置かれた建設資材の定番は土管でした。アニメ「ドラえもん」に登場する空き地にも土管が置かれ、そこで子どもたちが遊んでいる様子が描かれています。空き地で遊んでいて雨が降ると土管の中に逃げ込んだものです。

 ある日、空き地に行ってみたら普段より大きな土管が置いてあり子どもたちは大喜び。雨も降っていないのに土管の中へ入り込みます。狭い土管の中に入ると何となく落ち着きます。なんだか秘密基地を手に入れたかのようで満足げな顔をしています。

土管の中の子ども(昭和40年頃) width=
土管の中の子ども(昭和40年頃)

 当時は公園の整備も進んでおらず空き地は住民の広場としての役割も果たしていました。現在は空き地はめっきり少なくなり数少ない空き地には塀や柵などで囲まれていて中に入ることはできません。空き地で遊ぶ子どもたちの姿を見ることははほとんどできなくなりました。子どもが怪我でもしたら空き地に自由に入れるようにしていた土地の管理者側の責任問題になる時代ですから仕方がありません。

【関連記事】土管の中で遊ぶ子どもたち|昭和の風景

カテゴリー「昭和の思い出」

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2022年12月 7日 (水)

迷探偵 3人のヒーローの正体をあばく|昭和の風景(昭和41年3月)

 3人の子どもたちが風呂敷マントに身を包み鉄柱をつかんでぐるぐる回っている。

 当然のことながら何かのテレビのヒーローの影響を受けてやっているのだと思うが、いったい何になったつもりだろうか?

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3人のヒーロー

 マントと言えば「真っ赤なマントをひるがえし~♪」のパーマンである。パーパンの漫画の連載やテレビアニメの放送が始まったのは昭和42年。この写真の撮影日は昭和41年3月13日なのでパーマンはまだ存在していないのである。

 パーマンでなければなんのだろう。

 昭和42年でこのぐらいの年齢の子どもたちにとってマントをつけたヒーローとは誰だろう。

 月光仮面、ナショナルキッド、七色仮面は昭和30年代前半に放送されていたドラマなのでおそらく対象外だろう。

 黄金バットはもっと古いのだが昭和40年代にテレビアニメが放送されている。しかし放送開始は昭和42年4月とあるのでやはり対象外だろう。

 当時、アニメで放送されていたのは手塚治虫先生の「ビックX」。昭和39年から40年にかけて放送されていた。

 海外ヒーローではスーパーマンだが日本でテレビドラマが放送されたのは1956年、アニメ版が日本で放送されたのは昭和50年のようだ。となると対象外。

 バットマンはテレビドラマが昭和41年から42年にかけて放送されている。

 他にもいろいろあるが再放送の可能性もある。

 う~む、これは難題だ。

 いったいこの3人はなにごっこをしているのだろう。

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月光仮面登場の日(1958年2月24日)

黄金バット|金色|光と色のヒーロー列伝①

月光仮面|月光|光と色のヒーロー列伝②

七色仮面|虹色|光と色のヒーロー列伝③

ナショナルキッド|光源|光と色のヒーロー列伝④

仮面の忍者 赤影|赤青白黒紅|光と色のヒーロー列伝⑤

愛の戦士 レインボーマン|虹色|光と色のヒーロー列伝⑥

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2022年5月 7日 (土)

セシルチョコレートの写真|昭和の風景

 HDDの写真を整理していたら、グリコのセシルチョコレートの写真が出てきました。2008年に復刻発売されたものと思います。撮影日は2010年になっていましたが今も売っているのかどうかはわかりません。

 セシルチョコレートが発売されたのは1974年です。白い箱のと赤い箱のがあったように思います。

セシルチョコレート(ミルク)
セシルチョコレート(ミルク)

 三浦友和さんと山口百恵さんのCMをよく覚えています。

1977年 グリコセシールチョコレート CM 山口百恵 三浦友和

GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション

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2022年3月 5日 (土)

水彩画「のりもの」(1968年)

 水彩画「のりもの」(1968年)。作者は当時5歳の男の子です。初めて水彩絵の具で描いた絵と思われます。白黒写真しか残っていないため何が描かれているのかがよくわかりません。手前の右に黒丸が2つついたものが描かれています。これが「のりもの」でしょうか。

>のりもの(1968年)
のりもの(1968年)

 AIカラー化アプリでカラー写真にしてみました。色が正しく再現されているかはわかりませんが何が描かれているのか多少視認しやすくなりました。

のりもの(1968年)カラー化<
のりもの(1968年)カラー化

 やはり手前の右は「のりもの」です。おそらく自動車でしょう。この自動車、右側へ向かって進んでいるのでしょう。何か右上についています。これパトライト?ならば緊急自動車でしょうか。上部に綺麗な形の白い三角形が描かれています。パトライトの光でしょうか。う~む。

 この自動車の左側にも何かが描かれています。下部には黒丸をたくさん並べたものか黒いラインのようなものがあります。おそらくこれも「のりもの」でしょう。もしかするとこれはキャタピラ?となると重機や戦車かもしれません。いやいや当時放送していた特撮ドラマ「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊の特殊車両かもしれませんぞ。

 絵の上部には蛇のようなもの、何かが連なったようなものが描かれています。これは電車でしょうか。さっぱりわかりません。

 作者と思われる人物に聞いたところ「この絵を描いた記憶はあるが何を描いたのかはまったく記憶にない。雨降りの日の絵にしたような記憶がある」ということでした。すると上部の蛇のようなものは連なった黒雲でしょうか。青は雨や水たまり?

 本人も記憶の彼方ですから、この水彩画に何が描かれているのかは永遠の謎ですな。

【関連記事】水彩画「のりもの」(1968年)

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2022年2月26日 (土)

あゝやんなっちゃった♪

 1960年代、TVでよく流れていたのは牧伸二さんの「あゝやんなっちゃった 」。当時の子どもたちは歌詞の意味もわからず「あゝやんなっちゃった 」と歌うのでした。ある日、お爺さんの家に遊びに行ったらお兄ちゃん(叔父さん)がウクレレを買っているではないですか。ウクレレを手にして大喜び。適当に弦をはじきならがら歌い出したのはやっぱり「あゝやんなっちゃった 」で牧伸二さんのものまねなのでした。周りの大人達は大受けしたのです。ちょっと!左手は勢いよく弦を弾いているけど右手は弦を押さえてませんぞ。

牧伸二さん「あゝやんなっちゃった 」を歌う子ども
牧伸二さん「あゝやんなっちゃった 」を歌う子ども

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2022年2月18日 (金)

マーブルチョコレート発売(1961年2月18日)

 昭和30年代の初めチョコレートと言えばいわゆる「板チョコ」しかありませんでした。当時のチョコレートは気温が高くなると柔らかくなったり溶けてしまうため夏場にはあまり人気がありませんでした。そこで1961年に明治製菓が当時の日本にまだなかった糖衣チョコレート「マーブルチョコーレート」を開発しました。

 マーブルチョコレートは同年2月18日に発売が開始されました。1962年に当時子役の上原ゆかりさんが「マーブルちゃん」としてテレビCMに登場しました。「マーブル♪マーブル♪マーブル♪マーブル♪マーブルチョコレート♪七色そろったかわいいチョコレート♪」というキャッチフレーズの曲とともに時計を見ながら3時のおやつが待ち遠しいマーブルちゃん。3時になると同時に手の平に7色のマーブルチョコレートを乗せて食べ始める映像が流れました。このCMは当時の子どもたちに大人気となり、キャッチフレーズの曲が頭の中でいつまでも再生され続けました。

 マーブルチョコレートはその表面が「大理石(Marble)」のような光沢をもち、その形が「おはじき(Marble)」に似ている丸いことから名付けられました。糖衣チョコレートは小さな子どもが手にしても板チョコのようにベタベタにならないため、当時の親たちにとっても良かったのでしょう。また筒状の容器も子どもに持ちやすくチョコレートを簡単に取り出して食べることができます。また手塚治虫先生の「鉄腕アトム」のシールが付録として入っていました。お菓子の付録は画期的でマーブルチョコレートは大人気になりました。

 次の写真は1964年に撮影したもので「初めてチョコレートを握る」とありましたが、その手にはマーブルチョコレートがしっかりとにぎられています。この赤ちゃん、初めて食べたチョコレートがマーブルチョコレートということです。

初めてチョコレートを手にした赤ちゃん(1964年2月)
初めてチョコレートを手にした赤ちゃん(1964年)

 次の映像上原ゆかりさんの1961年のCMです。

マーブルチョコ

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