阪神タイガース記念日(昭和60年 1985年11月2日)
昭和60年(1985年)11月2日、プロ野球の日本シリーズ第6戦が西武ライオンズ球場で行われ、セ・リーグを圧倒的な強さで優勝した阪神タイガースがパ・リーグの優勝チームの西武ライオンズを9対3で破り日本一に輝きました。
阪神タイガースは甲子園球場を本拠地とする株式会社大阪野球倶楽部の大阪タイガースとして1935年に創設されました。
【参考】プロ野球の日(1936年2月5日)
戦前の1リーグ制のプロ野球では1937年秋、1938年春、1944年、1947年に優勝を果たしています。2リーグ制になってからは1962年と1964年にセントラルリーグで優勝していますが、その後は優勝の機会がありませんでした。
1985年の阪神タイガースは吉田義男監督のもと圧倒的な打撃力を有するチームで挑みました。同年4月17日には3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布が伝説の「バックスクリーン3連発」を放ち勢いづいたチームは勝ち続け首位を独走していましたが、日本航空123便墜落事故で球団社長が犠牲となり選手たちも1便前の飛行機に乗り合わせていたことから大きなショックを受けて連敗し首位から脱落してしまいました。しかし打撃力に加えてリリーフ投手陣の活躍により再び首位を奪還し同年10月16日に1964年以来21年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
同日夜、阪神タイガース優勝に狂喜した一部のファンたちが次々と道頓堀に飛び込み、そしてケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ入れるという事件が発生しました。その後、阪神タイガースが優勝の機会がなかったことからこの事件は「カーネル・サンダースの呪い」という都市伝説になりましたが、阪神タイガースは2003年にセ・リーグ優勝を果たしています。カーネル・サンダース像は平成21年(2009年)3月10日に発見さています。
日本シリーズに進んだ阪神タイガースは同年11月2日に4勝2敗で西武ライオンズに勝利、1リーグ時代からは38年ぶり、2リーグ時代としては初の日本一に輝きました。この阪神タイガースの優勝でセ・リーグ全球団が日本一となりました。この阪神タイガースの優勝を記念し、阪神タイガース後援会などによって阪神タイガース記念日が制定されました。
さて打者として大活躍したランディー・バース選手は最高殊勲選手賞を受賞しました。阪神タイガース記念日11月2日と同じ2004年11月2日にオクラホマ州議会上院議員選挙に勝利し同州上院議員に就任しています。
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