カテゴリー「昭和の風景」の33件の記事

2024年4月29日 (月)

昭和の日|旧緑の日(4月29日)

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 昭和23年(1948年)の祝日法の施行以来、昭和天皇の誕生日4月29日は国民の祝日「天皇誕生日」とされていました。昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御すると皇太子明仁親王が即位し平成の時代が始まり天皇誕生日は12月23日となりました。

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 4月29日はゴールデンウィークの最初の国民の祝日で平日にすると国民の生活への影響が生じるため引き続き国民に祝日とすることになりました。当時の竹下登内閣の小渕恵三官房長官の私的諮問機関でこの国民の祝日の名称が検討され植物に造形が深く自然を愛した昭和天皇に因む祝日として「みどりの日」と定められました。

 「みどりの日」の新設に際し国会では「飛躍的な経済成長の結果、我が国の国民生活は、物質的にはほぼ満足し得る水準に達したものと考えられますが、これからは、これまでにも増して心の潤いやゆとりといった心の豊かさを涵養することが求められています。我が国は緑豊かな自然を持った国であることにかんがみ、この自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな、心をはぐくむことを願い、みどりの日として国民の祝日とするものであります」と説明され、実際の制定された祝日の趣旨には昭和天皇を偲ぶ趣旨は取りあげられませんでした。

 このような経緯から「みどりの日」を「昭和の日」に改称する法案が超党派の国会議員により平成14年(2002年)と平成15年に提出されましたが廃案となりました。平成16年(2004年)に法案が提出され平成17年4月の衆議院内閣委員会で賛成多数で成立しました。この法案では「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とされています。

 これによって「みどりの日」ゴールデンウィークの飛び石連休を埋める5月4日となりました。

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2024年4月27日 (土)

映画「醉いどれ天使」公開(1948年4月27日)

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 映画「醉いどれ天使」は昭和23年(1948年4月27日)に公開された東宝製作・配給の黒澤明監督の映画です。主演は志村喬と三船敏郎です。黒澤明監督の映画では三船敏郎と志村喬さんは欠かせない俳優です。三船敏郎さんはこの映画が初めて黒澤映画の出演となりました。志村喬さんは昭和18年(1943年)の「姿三四郎」から黒澤映画に出演していますが、この映画で初めて主演となりました。

映画「醉いどれ天使」
映画「醉いどれ天使」

 貧乏で酔いどれの中年医師の真田は傷を手当したことがきっかけで闇市で暗躍する若いやくざの松永と出会いました。ほどなく真田は松永が結核にかかっていることを知り治療を試みますが松永は言うことを聞かず相変わらずの荒れた日々を過ごします。松永の病気は悪化し、吐血した松永は真田の病院に運び込まれます。真田の治療で一命を取り留めた松永は再び荒れた生活に戻ります。抗争で殴り込みを仕掛けて返り討ちにあいこの世を去ります。真田は馬鹿と奴と松永の死を悲しみますが、闇市は何もなかったかのように相変わらずの活況ぶりでした。そんなときに真田は結核が治ったと喜ぶ女学生に再開し、わずかな希望の光を見出します。

 この作品は黒澤明監督らしいヒューマニズムに溢れる作品で第22回キネマ旬報ベスト・テン第1位となりました。 後の「羅生門」や「生きる」などを見るとラストシーンに共通点を見出すことができます。

 黒澤明監督は感情的で血気盛んに威勢を張る松永を通じて人間の弱さ、孤独と哀しみを見事に表現しました。三船敏郎さんは黒澤明監督が考える松永を見事に演じ、この映画をきっかけに以降の黒澤映画の主役に抜擢されました。

 なおこの作品にはブギを唄う女として笠置シヅ子さんが出演されています。

【映画】

映画「醉いどれ天使」公開(1948年4月27日)

映画「羅生門」公開(1950年8月25日)

映画「生きる」公開(1952年10月9日)

映画「七人の侍」公開(1954年4月26日)

映画「荒野の七人」公開(1960年10月23日)

映画「椿三十郎」公開(1962年1月1日)

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2024年3月21日 (木)

映画「カルメン故郷に帰る」公開(1951年3月21日)

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 「カルメン故郷に帰る」は昭和26年(1951年)に松竹大船撮影所が製作した日本映画です。監督は木下惠介、主演は高峰秀子です。

カルメン故郷に帰る
カルメン故郷に帰る

 日本では大正時代にはキネマカラー(二色映画)が作られるようになりましたが、日本で初めて製作された総天然色のカラー映画は1937年に製作された「千人針」です。1945年にもカラー映画「春の歌」が製作されています。この2つの映画は短編映画で「千人針」は外国産カラーフィルムで撮影されたものであり、「春の歌」は試作の国産カラーフィルムで撮影されました。「春の風」は戦災で焼失し、「千人針」は満州で公開されていたものを旧ソ連が接収したものの一部が残っています。「カルメン故郷に帰る」は長編映画で国産のフジカラーを使っていることから日本初の国産総天然色の長編カラー餌映画とされています。

 さて「カルメン故郷に帰る」は主役の高峰秀子が演じる東京でストリッパーのリリィ・カルメンとして働くおきんが、かつて家出をした故郷の上州北軽井沢浅間山麓ののどかな風景の田舎の村に同僚のマヤ朱美を連れて里帰りする物語を描いたものです。

 カルメンは自分たちは芸術家と称し村の人々も村から芸術家が輩出されたことを大喜びし歓迎します。ところがカルメンとマヤの派手な姿や立ち振る舞いに村の人々は驚愕してしまいます。やがて2人は村で芸術を披露すると言いだしストリップの公演を敢行することになり・・・。

 戦後に自由となった社会を生き抜くカルメンとマヤ、彼女たちの行動を通じて少し軽薄となった社会を風刺する喜劇です。当時としては新しい時代の幕開けを感じさせる映画でもありました。

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2024年3月 6日 (水)

慰問袋を手にして喜ぶ兵隊さん

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 慰問袋は戦地へ出征した兵士を慰め不便を改善し士気を高めるため届けられた袋です。慰問袋は木綿のさらしや手拭い二つ折りしたものですい。その中にはちり紙、手拭い、石鹸などの日用品、シャツ、腹巻きなどの衣料品、食料品、薬品、写真、絵画、お守り札などが入れられ、差出人の住所と氏名を記した手紙が添えられました。慰問袋は日露戦争から始まりました。次の写真の慰問袋はダニ二次世界大戦で東南アジアの戦地に届けられたものです。今では普段の生活で当たり前のものかもしれませんが、心がこもったたくさんの楽しみが詰まっていたのです。

慰問袋
慰問袋

 慰問袋の中身は戦地の戦況や生活環境なども考慮された内容となっていました。遙か遠く離れた日本から届く慰問袋は戦地で戦う兵士たちにとって楽しみでした。それを手にしたときには喜び、望郷の想いに駆られたことでしょう。

 次の写真は慰問袋を手にした日本陸軍の兵士たちです。同僚の兵士が撮影した写真との裏書きがありました。毎日、厳しい環境の戦地で戦っていたことでしょう。慰問袋を手にしたこのときばかりは同僚が向けたカメラのレンズの前でとても良い笑顔をしています。

遠い戦地で慰問袋を喜ぶ兵士たち
遠い戦地で慰問袋を喜ぶ兵士たち

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2024年1月28日 (日)

レトロな吸入器(昭和40年頃)

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 吸入器(ネブライザー)は液状の薬を霧状にして口から気管支や肺などに送る医療機器です。喘息や気管支炎、肺炎、副鼻腔炎などの治療に使用されています。。

 現在販売されている吸入器は超音波式でプラスチック製でおしゃれなデザインなものが多いですが、昭和30年代や40年代の吸入器は加熱式で金属製でやかんのような形をしていました。

レトロな吸入器(昭和40年頃)
レトロな吸入器(昭和40年頃)

 ただ口を開けているだけですがどんどん水蒸気が口に入ってくるのでなかなか大変です。吸入器に入れる水には薬を混ぜているので口の中にたまった水は飲み込んではいけないと信じて我慢しているとよだれだらけになってしまうのでした。

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2024年1月26日 (金)

ソウルドラキュラ|HOT BLOOD(昭和51年 1976年)

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 「ソウルドラキュラ(Soul Dracula)」はドイツのスタジオミュージシャンが結成した音楽グループのホット・ブラッド(HOT BLOOD)が昭和51年(1976年)に発表したディスコサウンドです。ソウル・ドラキュラは日本で大ヒットし同年オリコンランキングでは7位となり、シングルレコードは40万枚以上の売上になりました。

ソウルドラキュラ|HOT BLOOD
ソウルドラキュラ|HOT BLOOD

 このソウル・ドラキュラのヒットを皮切りに日本では奇怪ディスコサウンドが流行し、別の音楽グループの「セクシー・ドラキュラ」(ムッシュ・ゴラゲール)や「ソウル・フランケンシュタイン」(キャプテン・ダックス)などが発売されました。ホット・ブラッドも「怪傑! ソウル・キャット(1976年)」「ベイビー・フランケンシュタイン(1977年)」「ドラキュラ・パーティ (1977年)」などをリリースしましたが「ソウル・ドラキュラ」ほどは売れませんでした。この時代、日本ではディスコが流行っていましたが「怪奇ディスコサウンド」が大流行したのは日本だけだったようです。

「ソウル・ドラキュラ」はディスコサウンドというだけでなくイージーリスニングみたいな感じでラジオの深夜放送でもよくかかっていました。どんな曲だったかは次の影像を再生してみてください。

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2024年1月 5日 (金)

懐かしいポスト(郵便差出箱1号丸型)|昭和の風景

 最近はほとんど見かけなくなった昔のポストですが、ときどき現役のものや現役を引退したものを見かけます。

 ポストは明治4年(1871年)の郵便の開業時に初めてポストが設置されました。当時は「書状集箱」と呼ばれました。現在のポストの正式名称は「郵便差出箱」と言います。

 次の写真のポストは郵便差出箱1号丸型で、昭和24年(1949年)から設置されたものです。写真のポストは田舎のある建物の敷地内にあったもので現役では使われておらず色褪せています。

懐かしいポスト(郵便差出箱)
懐かしいポスト(郵便差出箱1号丸型)

 次の写真も郵便差出箱1号丸型ですが、こちらは2021年も現役で使われており、定期的に色も塗り直されているのでしょう。

現役の郵便差出箱1号丸型
現役の郵便差出箱1号丸型

 現在使われている郵便差出箱は14号まであるようです。

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2023年11月15日 (水)

函館山ロープウェイ開業(1958年11月15日)

カテゴリー:函館の話

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 函館山ロープウェイ株式会社は北海道函館市の函館山の山麓と山頂を結ぶロープウェイです。昭和33年(1958年)、函館観光事業会社が設立され同年5月にロープウェイの架設工事が初まり同年11月15日に開業しました。ロープウェイの開業により誰もが手軽に函館野からの景色や函館市の夜景を楽しめるようになりました。

 開業当時の初代のロープウェイはわずか31人乗りでした。昭和45年(1970年)に2代目の45人乗り、昭和63年(1988年)に当時としては日本最大の3代目の125人乗り、平成9年(1997年)に4代目125人乗りが導入されました。現在、運行されているロープウェイは平成26年(2014年)に導入された125人乗りのもので5代目です。次の写真は昭和37年7月に函館山の山麓駅で撮影したものです。ロープウェイは初代のものです。背景の塔はカトリック元町教会です。

初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月 山麓駅)
初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月 山麓駅)

 次の写真は山頂から撮影したロープウェイと函館市街です。

初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月)
初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月)

 次の写真は昭和33年(1958年)5月1日に函館山山頂から撮影したものです。函館山ロープウェイの着工は同年5月からですのでロープウェイも存在していませんがそれなりに観光客がいますね。

函館山山頂から(撮影昭和33年/1958年5月1日)
函館山山頂から(撮影昭和33年/1958年5月1日)

 函館山ロープウェイ株式会社は昭和51年に函館観光事業会社から現在の社名となりました。昭和61年(1986年)に函館市が出資し第3セクターとなり、平成4年(1992年)に日本初となるコミュニティFM放送「FMいるか」を開局しています。函館山ロープウェイ株式会社は函館観光の重要な役割を果たしています。

 これらの写真には五稜郭タワーが写っていません。初代の五稜郭タワーは五稜郭築城100年を記念して昭和39年(1964年)年12月に建造されたものです。

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2023年11月10日 (金)

紀元二千六百年式典(昭和15年 1940年11月10日)

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 昭和15年(1940年)11月10日から11日にかけて宮城前広場(皇居外苑)において内閣主催の紀元二千六百年式典が執り行われました。この式典には昭和天皇・香淳皇后が御臨席され約5万5千の人々が参列しました。紀元二千六百年の関連行事は11月14日まで行われました。 

紀元2600年記念式典会場
紀元2600年記念式典会場

 この式典は「日本書紀」に記された神武天皇即位2600年を記念して執り行われたものです。昭和10年(1935年)10月に当時の内閣総理大臣岡田啓介を会長とする「紀元二千六百年祝典準備委員会」が発足され橿原神宮周辺の整備などが計画されました。この準備委員は「紀元二千六百年祝典評議委員会」に継承されました。

 昭和15年(1940年)になると橿原神宮の初詣のラジオ中継が行われ、2月11日の紀元節(建国記念の日)には全国の神社で大祭が行われました。紀元二千六百年式典では「皇紀2600年奉祝曲」が演奏され、全国各地で記念事業が実施され多くの国民が祝福しました。

国民歌「紀元二千六百年」映像+歌詞付き / Kigen Nisen Roppyaku Nen

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2023年11月 3日 (金)

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公開(2007年11月3日)

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 2007年11月3日は「ALWAYS 続・三丁目の夕日が公開」された日です。前作「ALWAYS 三丁目の夕日」が公開されたのは2005年11月5日です。前作は昭和33年(1958年)の春から年末までの物語ですが、本作は 前作から4ヶ月後の昭和34年(1959年)の春から始まります。

 昭和34年(1959年)というと高度成長時代の幕開け期です。敗戦から復興する日本が東京オリンピックの開催を前にどんどん経済大国と成長していった時期です。その日本の姿と人間模様を描いたのがこのシリーズです。

 本作も前作同様に昭和の町の映像づくりのこだわりがありました。ストーリーと同じぐらい映像を楽しむことができます。ゴジラで始まる映画の導入の展開もちょっとびっくり。なぜゴジラが登場もすぐになるほどなとわかります。それから自分が「あ~」と思ったのは羽田空港でした。その他、作り込まれた色々な映像を見て昔の記憶も蘇りました。

 古いものは新しいものへとかわり都市の様子もどんどん変化していきます。となりの住人の喜怒哀楽を共有する人と人とのつながり、地域ぐるみの生活、そんな人間模様を見ていると、今の時代はちょっと寂しくなったと思います。昭和の時代の近所の友達、おじさん、おばさん、どうしてるかなとか思い出します。

 本作の中で超満員の映画館が出てきます。かかっている映画は石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」。裕次郎がドラムを叩くのに合わせて観客も大盛り上がりです。昔はテレビが高価で他のメディアもほとんどありませんでした。映画が大衆の娯楽だったのです。

 2007年公開時にこの映画を映画館に見に行きました。超満員で大盛り上がりの映画館の様子をスクリーンを映し出している我が町の映画館には観客がパラパラとしかいませんでした。となりのちょっと大きな町にも映画館があり、電車に乗っていけば有名な大きな映画館があります。地方都市の映画館は経営が厳しいだろうと思っていましたが、我が町の映画館も閉館してしまいました。

ALWAYS 続・三丁目の夕日[DVD通常版]

 

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