カテゴリー「写真」の2件の記事

2022年11月18日 (金)

実用的写真術を発明|ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの誕生日(1787年11月18日)

 1787年11月18日は世界で初めて実用的な写真技術を発明したフランスの画家・写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの誕生日です。

 ダゲールは若い頃にパノラマ画家ピエール・プレボに師事し、建築、劇場の舞台美術、パノラマ画を学びました。タゲールは優れた劇場イリュージョン技術により劇場設計者として有名になり、1822年7月にパリでジオラマ劇場を開きました。

ダゲレオタイプで撮影したダゲールの肖像写真
ダゲレオタイプで撮影したダゲールの肖像写真

 同じ頃、写真の技術の基礎となる印刷技術ヘリオグラフィを発明したフランスのニセフォール・ニエプスはカメラ・オブスクラの画像を写真に残す技術の開発を始めました。写真の撮影はすぐに成功したものの長く定着させることができるまで数年かかりました。何とか画像を写真として残すことができるようになりましたが、写真を撮影するのに非常に長い露出時間を要するためこの写真技術は実用的なものではありませんでした。

 1829年、ニエプスは自身が発明した写真技術を実用化するためダゲールと共同研究を始めました。そして光化学反応で変色する銀化合物を写真に利用することに成功しました。しかしながらニエプスは研究途上の1833年にこの世を去りました。ダゲールは単独で研究を継続し、ついに銀板写真法を発明し1839年に発表しました。この写真技術はダゲレオタイプと呼ばれ、10~20分の露光時間で写真を撮影することができました。フランスの科学者フランソワ・アラゴはこの実用的な写真撮影法を政府に推薦しました。ダゲールは政府から終身年金を受け取るかわりにダゲレオタイプを公開しました。これによってタゲレオタイプは世界中に広まりました。

 ダゲールがこの世を去ったのは1851年7月10日、有益な技術を研究開発した科学者として彼の名前はエッフェル塔に刻まれています。

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カメラ発明の日(1839年8月19日)

カメラ発明の日は3月19日ではなく8月19日

写真の日(6月1日)

カメラと写真の仕組み

ピンホール現象とカメラオブスクラ 写真の仕組み(1)

カメラオブスクラの像を写真に残す 写真の仕組み(2)

白黒写真の仕組み 写真の仕組み(3)

カラー写真の始まり 写真の仕組み(4)

加色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(5)

減色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(6)

 

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2021年11月26日 (金)

世界初のインスタントカメラ発売(1948年11月26日)

 カメラの基本原理であるピンホール現象は紀元前3世紀から6世紀頃にまとめられたアリストテレスの「問題集」の中に言及があり、最初は太陽の観察などに利用されました。人物や景色などを模写する目的のカメラの原型カメラオブスクラが登場したのは15世紀頃です。

 このカメラオブスクラはスクリーンに映った像を眺めるだけで、像を写真として残すことはできませんでした。その後、感光材が発見され世界初の銀塩写真が撮影されたのは1822年です。その後、カメラと感光材が改良され1839年にジルー・タゲレオタイプというカメラが開発されました。しかし、最初のカメラは写真を撮影するのに長い露光時間を必要としました。わずかな時間で写真が撮影できるようになったのは1871年以降です。

 銀塩カメラの写真を得るには撮影したフィルムに現像・定着・停止といった操作を行い、印画紙に焼き付ける必要があります。写真屋さんにフィルムを持ち込んでプリントしてもらう必要があり、現在のデジカメで当たり前にできている撮影直後に写真を見ることはできなかったのです。

 米国の科学者・発明家のエドウィン・ハーバート・ランドは自身が発明した偏向フィルムを事業化するため研究所を設立しました。サングラスやカメラのフィルターなどを開発し事業は成功を収め、1937年に社名を「ポラロイド」に変更し、偏光フィルムをポラロイドという名前で売り出しました。このポラロイドは光学分野でさまざまな目的で使用されるようになり、ポラロイド社は広く光学分野の仕事を手掛けるようになりました。

 1940年代半ば、ランドは3歳の長女ジェニファーを連れてニューメキシコ州サンタフェに旅行しました。ランドがジェニファーの写真を撮影すると、ジェニファーは「どうして撮ったばかりの写真を見ることができないの?」と言いました。この娘の言葉でランドはインスタントカメラを思いつきました。ランドはさっそくインスタントカメラの研究を始め、フィルムだけで現像から停止までが行える拡散転写法という写真技術を発明しました。

 1947年2月21日、ランドはアメリカ光学学会でインスタントカメラのデモンストレーションを行いました。そして1948年11月26日、ポラロイド社は「ポラロイドランド95」と名付けたインスタントカメラをボストンのデパートで発売しました。このときポラロイド社はこのカメラを60台生産し3台を確保、残り57台を発売しましたが初日に完売したそうです。撮影してすぐに写真を見ることができるポラロイドカメラはその後も改良が重ねられ、1960年代には全世界で販売されるようになりました。

ランドとポラロイド635
ランドとポラロイド635

 カメラのディスプレイで撮影直後の写真を見ることができるデジカメが主流になると、ポラロイドカメラはほとんど使われなくなりました。しかしながら、銀塩カメラの常識を打ち破って登場したインスタントカメラはランドの娘の素朴な疑問に応えるものだけではなく、撮影した像を写真として残す技術を開発した最初期の技術者たちの夢を叶えたものだったと言えるでしょう。

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ピッカリコニカ コニカC35EF

CASIO QV-10A-コンパクトデジタルカメラの市場を開いたデジカメ

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