カテゴリー「鉄道」の29件の記事

2022年12月20日 (火)

四代目函館駅が落成(1942年12月20日)

 函館駅は1902年(明治35年)に北海道鉄道の函館ー南小樽を結ぶ起点駅として建造されました。当初、北海等鉄道は初代函館駅を現函館駅が所在する若松町に建造する予定でしたが住民との話し合いが進まず設置する場所を海岸町にしました。

 1904年に若松町に駅を建造できる環境が整い、同年7月1日に二代目函館駅が落成しました。1907年、鉄道国有法の施行により帝国鉄道庁(後の日本国有鉄道=国鉄)の駅となりました。海岸町の初代函館駅は亀田駅と改名されましたが1909年に駅舎が焼失して営業休止となり、1911年の五稜郭駅の落成に伴い廃止となりました。

 1908年、青函連絡航路の営業が開始し1910年には函館桟橋が設置されました。函館駅は本州と北海道を結ぶ玄関の役割を果たすようになりました。しかし、その二代目函館駅も大正2年(1913年)5月4日の函館大火により焼失、大正3年(1914年)12月に三代目函館駅が竣工しました。三代目函館駅では青函連絡船の設備が整えられ函館桟橋待合所が函館桟橋駅として営業を開始しました。

 昭和に入り鉄道が発展すると三代目函館駅は北海道の玄関口や道南の鉄道拠点駅として役不足なってきました。昭和9年(1934年)の函館大火後、昭和10年(1935年)頃から函館駅の改築の機運が高まり四代目函館駅の着工が計画されましたが、三代目函館駅が昭和13年(1938年)に失火により焼失、四代目函館駅が竣工するまで函館桟橋駅が使われました。

 四代目の函館駅が完成したのは昭和17年(1942年)12月20日です。四代目函館駅は函館市を象徴する建物でしたが老朽化のため建て替えられることになり、平成15年(2003年)6月21日に現在の5代目函館駅駅が開業しました。

四代目函館駅(撮影 昭和33年 1958年5月)
四代目函館駅(撮影 昭和33年 1958年5月)

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2022年12月18日 (日)

東京駅完成記念日(1914年12月18日)

 明治5年(1872年)10月14日、新橋駅(現汐留駅)と横浜駅(現桜木町駅)を結ぶ日本初の鉄道が運行を開始しました。その後、東京と関西を結ぶ鉄道の建設が検討されました。この鉄道の建設案には東海道経由と中山道経由の2つの案がありましたが、開発が進んでいない内陸の中山道経由とすることに決まりました。海岸線沿いを走る東海道経由は敵の艦船に狙わやすいという軍部の指摘も中山道経由を後押ししました。ですから最初に計画された関東と関西を結ぶ鉄道は東海道ではなかったのです。

 当時、日本の鉄道事業は国有鉄道で進めることを基本方針としていましたが、明治維新の混乱と西南戦争の影響で財政が困窮し鉄道敷設は進みませんでした。そこで民間企業に鉄道事業を認めることになり明治15年(1881年)に日本鉄道株式会社が設立されました。

 日本鉄道は政府の方針に従い関東と関西を結ぶ中山道経由の鉄道工事に着手し、まず高崎まで結ぶ鉄道の敷設を始めました。この鉄道の起点には土地の確保や工期の関係から上野が選ばれました。明治16年(1883年)7月28日に上野と熊谷を結ぶ鉄道が開通しましたが、この過程で中山道経由の鉄道工事が困難を極めることが判明しました。そこで政府は明治19年(1886年)に関東と関西を結ぶ中山道経由の鉄道を断念し東海道経由に計画を変更しました。この鉄道工事は国営で行うことになり既存の新橋駅と横浜駅を結ぶ路線を太平洋沿岸沿いに関西まで延長することになったのです。

 明治22年(1889年)7月、東海道本線の新橋ー神戸間が開通しました。一方、日本鉄道が建設した中山道の鉄道は北へ向かうことになり同年9月に上野ー青森間の東北本線が開通しました。明治23年(1890年)11月上野-秋葉原間の貨物線、明治31年(1898年)8月常磐線が開通しています。その後、中央本線(甲武鉄道)、総武本線(総武鉄道)、山手線(日本鉄道)が敷設されていきましたが起点となる駅はバラバラで旅客が路線を乗り換えるときには徒歩や人力車で移動するしかなくたいへん不便な状態でした。特に新橋と上野を行き来する乗客は多く馬車鉄道を経て路面電車が敷設されましたが輸送力が十分ではなく事故が多発するなど問題を抱えていました。そのため新橋と上野を結ぶ鉄道建設の機運が高まりました。そこで新橋と上野の中間かつ他の路線との接続も便利になる位置に駅を建設することになりました。

 この頃、東京市ではインフラストラクチャ整備のため市政改革が進められていました。明治17年(1884年)11月に東京市から内務省に提出された意見書の中に「新橋上野両停車場の路線を接続し鍛冶橋内および万世橋の北に停車場を設置すべき」とあり、この意見書をもとに新橋と上野を結ぶ鉄道と鍛冶橋の近くに中央停車場を建設することが決まりました。

 新橋と上野を結ぶ路線は高架鉄道とされ中央停車場には高架ホームを設けることになりました。この市政改革案は明治21年(1888年)6月に当時の日本の立法機関である元老院で審議されましたが、元老院は中央停車場の必要性を理解できず財政的に困難と却下しました。しかしながら、政府が閣議で元老院の決定を覆し1888年8月に東京市区改正条例として公布されました。これによって明治23年(1890年)に新橋と上野を結ぶ高架鉄道と中央停車場の建設が決定しました。この建設は中央停車場より南側の路線は国有鉄道、北側の路線は日本鉄道が担当することになりました。しかしながら、高架鉄道の建設には多大な資金を必要とし民間企業である日本鉄道が賄えるものではありませんでした。結果として、日本鉄道側の建設が始まったのは日本鉄道が国有化された後でした。予算が正立した国有鉄道側の建設は明治31年(1898年)に着任した>ドイツの鉄道技術者で建築技師のフランツ・バルツァーの指導のもとに進められました。

 フランツ・バルツァーは中央停車場の設計にも関わりました。当時、東京に洋風の建築物が次々と建てられていくのを見て、あえて和風のデザインの東京駅を設計しました。しかしながらバルツァーのデザインは受け入れられず、中央停車場の設計を実際に担当した建築家の辰野金吾はバルツァーのアイデアを一部取り入れながら再設計しました。

フランツ・バルツァーと辰野金吾 東京駅のバルツァーの和風デザインと辰野のデザイン
フランツ・バルツァー(左)と辰野金吾(右)
東京駅のバルツァーの和風デザイン(上)と辰野のデザイン(下)

中央停車場の駅舎の建設が始まったのは明治41年(1908年)3月25日です。中央停車場の建設は大がかりなものとなり6年9ヶ月の歳月を経て大正3年(1914年)12月15日に竣工しました。中央停車場の竣工を前に駅名を決めることになりましたが、東京にはたくさんの駅があるため中央停車場を東京駅と名付けるのは問題があるという指摘がありました。諸外国にならって中央駅と名付けるべきという意見も出ましたが、東京駅がわかりやすいということになりましたが正式に公表されたのは竣工日でした。

 東京駅の開業記念式典が執り行われたのは竣工日から3日後の大正3年(1914年) 12月18日でした。その後、来賓を乗せた京浜線の試運転でトラブルが発生し東京駅から横浜駅まで40分のところ2時間半もかかり大混乱となりましたが、開業記念式典から2日後の12月20日に東京駅は正式開業しました。開業当初の東京駅の利用者数は1日当たり約9千5百人でした。現在の利用者数は約82万2千人です。

 なお日本鉄道側の高架の建設は大正4年(1915年)11月に着工され、東京駅に中央線が乗り入れたのは大正8年(1919年)3月1日のことです。

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2022年10月14日 (金)

鉄道博物館(交通博物館)が開館(1921年10月14日)

 現在、鉄道博物館と言えば埼玉県さいたま市大宮区大成町の鉄道博物館のことですが、この博物館の前身は2006年まで東京都千代田区神田須田町にあっ交通博物館です。

 交通博物館は1911年5月4日に当時の鉄道院総裁だった後藤新平の提案で鉄道院で資料の収集が開始されました。「鉄道開通50周年」を記念して鉄道の日(10月14日)に合わせて1921年10月14日に東京駅に鉄道省直営の鉄道博物館として開館しました。ここでは資料のみの展示が行われていました。1923年の関東大震災で被災したため東京駅と神田橋間の高架下(呉服橋 )に再建されました。1927年に9850形蒸気機関車を展示しましたが、手狭なため1936年に旧万世橋駅に移転しました。1943年に旧万世橋駅が事実上廃止となり鉄道博物館となりました。

 第二次世界大戦の東京大空襲により1945年に旧館となりましたが戦後の1946年に運営が財団法人日本交通公社(現:JTB)に移管され交通文化博物館として再開されました。1948年に名称が交通博物館となり鉄道のみならず交通全般の博物館となりました。

 交通博物館と言えば入口に展示されていた0系新幹線とD51型蒸気機関車の先頭部分が印象的でしたが展示物も面白かったです。

 次の写真は1927年から展示されている9850形蒸気機関車です。

国鉄9850形機関車9856号(展示品)
国鉄9850形機関車9856号(展示品)

 次の写真は新立川飛行機製 R-HM型軽飛行機です。

新立川飛行機製 R-HM型軽飛行機(立飛 R-HM)
新立川飛行機製 R-HM型軽飛行機(立飛 R-HM)

 次の写真は子ども用のフライトシュミレーターです。

フライトシュミレータ「つばめ」T411(交通博物館、東京神田)
フライトシュミレータ「つばめ」T411(交通博物館、東京神田)

 交通博物館は施設の老朽化などの理由で2006年5月14日に閉館しました。この交通博物館に替わるものとして2007年10月14日にJR東日本創立20周年記念事業として埼玉県の鉄道博物館が開館しました。交通博物館は交通全般を展示の対象とする博物館でしたが、現在の鉄道博物館は鉄道のみを展示の対象とした博物館です。


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2022年8月22日 (月)

東京初の路面電車が開業(1903年8月22日)

 新橋駅(現:汐留駅)と横浜駅(現:桜木町駅)を結ぶ日本最初の鉄道が開業したのは明治5年(1872年)10月14日です。当時の東京府の交通機関は円太郎馬車と呼ばれた乗合馬車と人力車が担っていました。非常に多くの円太郎馬車と人力車が行き交っていましたが、東京府の人口が増加するにつれて交通の需要を満たすことができなくなってきました。そこで大量輸送の手段として考案されたのが馬車鉄道でした。

 馬車鉄道は明治15年(1882年)6月25日に新橋ー日本橋で開始され、10月1日には日本橋 - 上野 - 浅草 - 日本橋の環状線の営業が開業しました。この馬車鉄道は東京の交通需要の増加に伴い大成功を収めました。しかしながら馬の飼育の経費が膨大となり、また馬の糞尿が環境問題を起こし地域住民からの苦情が増えるなどの問題を抱えていました。さらに東京のさらなる人口増加により、馬車鉄道では交通需要に応えることができなくなりました。この問題を解決するために計画されたのが馬車鉄道に変わる路面電車でした。

 最初の路面電車の計画は大倉財閥の大倉喜八郎や東京電燈株式会社の藤川市助などによって明治22年(1889年)に申請されましたが当時は電車は時期尚早として却下されました。そのため東京電燈と関係者は明治23年(1890年)に東京・上野公園で開催された第三回内国勧業博覧会に路面電車を敷設し電車走行の実演を行いました。この実演は大人気となり路面電車の計画が推進するようになりました。この間に多くの路面電車お会社が設立されました。東京でも多くの会社が設立され利権獲得のため各社の対立が深まりました。明治33年(1900年)に内務省の主導によって合同会社が設立され東京市街鉄道、川崎電気鉄道、東京馬車鉄道(後に東京電車鉄道に名称変更)の3社が路面電車の計画を担うことになりました。

 この3社のうち最初に開業したのが馬車鉄道でインフラが整っていた東京電車鉄道でした。東京電車鉄道は明治36年(1903年)8月22日に馬車鉄道の品川ー新橋間を電化しました。当初は運転技術が未熟であったことや線路に石が挟まるなど運用上の問題が生じ、この路線は約1時間30分も要しました。同年11月25日に上野まで延伸され、明治37年(1904年)には上述の馬車鉄道の環状線がすべて路面電車となりました。

 なお東京電車鉄道の電車は日本初ではありません。日本で初めて電気鉄道事業を開業したのは京都電気鉄道で明治28年(1895年)2月1日に開業しました。東京の路面電車は全国で8番目の開業でした。

路面電車・箱館ハイカラ號
路面電車・箱館ハイカラ號

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2022年6月23日 (木)

東北新幹線開業(1982年(昭和57年)6月23日)

  東北新幹線は昭和57年(1982年)6月23日に大宮駅-盛岡駅間が開通しました。当時、函館から東京まで行くのには函館空港から羽田空港までひとっ飛びするのが早いのですが自分は好んで国鉄(日本国有鉄道)を使っていました。

 東北新幹線が開通する前は函館桟橋から連絡船に乗り青森に向かいます。青森駅から特急「はつかり」で上野駅に向かいます。高校生の修学旅行のときには函館桟橋に夜遅くに集合して4時間弱で青森に到着、早朝5時ぐらいの特急「はつかり」に乗り、上野に到着したのは午後1時ぐらいだったと思います。つまり函館から上野まで半日以上かかったのです。当時は東京から東北日帰り出張などは考えられなかったのです。

 東北新幹線が開通すると特急「はつかり」は約2時間で青森-盛岡間を結ぶことになりました。当時の盛岡から大宮までの所要時間はおよそ3時15分でした。大宮で新幹線リレー号に乗り換え約25分で上野に到着します。しかし、当時はまだ青函トンネルがありませんでしたので函館から盛岡までは青函連絡船と特急「はつかり」を利用しなければなりませんでした。東北新幹線が開通したからと言って大幅に所要時間が短くなったわけではなかったのです。そこで当時の自分は東北新幹線をあまり利用せず上野から青森まで寝台列車を利用することの方が多かったのです。

 青函トンネルが開通すると青函連絡船は1988年に営業を終え80年の歴史を閉じました。特急「はつかり」は青森から函館まで延伸され函館と盛岡を約4時間で結ぶようになりました。早朝に函館を出発する特急「はつかり」に乗るとお昼頃に盛岡に到着し夕方には上野です。東北新幹線をよく利用するようになったのはこの頃からです。

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2022年3月16日 (水)

初代のぞみ300系と初の2階建て車両100系新幹線引退(2012年3月16日)

 JR東海道・山陽新幹線で「のぞみ」の運行が開始されたとき、新幹線はずいぶん速くなったなと思いました。1992年に初代のぞみの車両として採用されたのが300系新幹線です。300系の導入により、新幹線の営業最高速度は100系の220キロから270キロにアップしました。300系は1993年には山陽新幹線にも乗り入れました。

 100系は0系の先端の部分がとんがったような形をしていて、ヘッドライトが横長の目のようになった車両です。1985年に「ひかり」として運行が開始されました。東海道新幹線としては2003年に姿を消しましたが、その後は山陽新幹線の「こだま」として使われました。100系で初めて新幹線の2階席が登場し、グリーン車両として使われました。

 新幹線は2008年に0系が引退、2010年に400系(山形新幹線つばさ)が引退しています。そして、2012年3月16日に100系と300系がそろって引退しました。

 次の写真は300系の新幹線です。ずいぶん前に新横浜駅で撮影したものです。

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300系新幹線(新横浜駅)

 こちらは豊橋駅に入線する300系新幹線

Pb270039_2
300系新幹線(新横浜駅)

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2022年3月 7日 (月)

青函連絡船が就航(1908年3月7日)

 青森と北海道を結ぶ定期航路は明治6年(1873年)2月に北海道開拓使によって開通されました。この青函航路は現在とは異なり青森県むつ市の大湊港と函館港を結び津軽海峡を渡る航路でした。

 明治12年(1879年)6月、青函航路は郵便汽船三菱会社に引き継がれ民営化されました。当時、郵便汽船三菱会社は日本の海運業を独占しており他の航路と同様に青函航路の運賃を大幅に値上げしました。この郵便汽船三菱会社に対抗するため、反三菱系の三井財閥などが明治15年(1882年)7月に共同運輸会社を設立しました。共同運輸会社はすぐに青函航路に参入しましたが、これによって青函航路の運賃値下げ競争が始まりました。顧客獲得のためこの価格競争は採算性を度外視し激化し、やがて両社の経営が立ちゆかなくなるほどの懸念が生じました。そこで政府は両社に合併することを提案し、明治18年(1885年)9月に日本郵船会社が設立されました。この新会社が青函航路を引き継くことになり毎日1往復の定期運航が行われるようになりました。

 明治24年(1891年)9月1日、日本鉄道の東北本線が上野駅ー青森駅まで全通すると人の往来や貨物の輸送量が増加しました。明治25年(1892年)8月1日に北海道炭礦鉄道の岩見沢駅ー室蘭駅が開通したことを受け、日本郵船は明治26年(1893年)2月に青函航路を室蘭港まで延伸しました。これによって函館と室蘭の間は海上輸送にはなるものの上野駅ー札幌駅が鉄道で結ばれることになりました。当初は毎日1往復の運航で間に合っていた輸送量も鉄道網の発展に伴い需要に追いつかなくなるようになりました。日本郵船は夜行便を増発したり、青森ー室蘭間の直通航路を開発したりすることで増加する輸送量に対応しました。

 明治37年(1904年)10月、北海道鉄道の函館駅ー小樽駅が開通し、明治38年(1905年)8月1日に北海道炭礦鉄道の小樽駅ー南小樽が開通すると青函航路の輸送量の需要はさらに増加しました。日本鉄道および北海道鉄道は日本郵船に増便を要望しましたが、当時は日露戦争中で船舶が不足していたことから定期運航を増便することができませんでした。そのため港に取り残される乗客や貨物が発生するようになりました。

 輸送の需要を満たすことがでいない日本郵船にしびれを切らした日本鉄道は青函航路への参入を検討し、明治38年(1905年)に高速で大型の連絡船の導入を決定し、明治39年(1906年)にイギリスの造船所に蒸気タービン船を発注しました。日本鉄道は国有化されることになりましたが連絡船の発注は継続され、2隻の蒸気タービン船「比羅夫丸」と「田村丸」を建造することになりました。

 明治40年(1907年)末、「比羅夫丸」が横浜港に到着し翌1908年(明治41年)初めから試験運転が行われました。同年2月29日に青森港に到着し、3月7日に青森港10:00発、函館港14:00着の青函連絡船として就航しました。「田村丸」は同年4月2日に就航し、青函連絡船は1日2往復運航となり函館と青森を4時間(夜行便は5時間)で結びました。

青函連絡船「比羅夫丸」
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2022年2月27日 (日)

八甲田トンネル開通(2005年2月27日)

 東北新幹線が埼玉県の大宮駅と岩手県の盛岡駅を結んだのは1982年(昭和57年)6月23日です。1985年(昭和60年)3月14日に上野駅まで延伸され、1991年(平成3年)6月20日に東京駅まで延伸されました。以降は盛岡駅から新青森駅を目指し八戸駅まで延伸されたのが2002年(平成14年)12月1日です。

 従来の東北本線は八戸駅を出て三沢駅・野辺地駅・浅虫温泉駅などを経て北回りで青森駅に向かいました。北回りとなった理由は八戸の西方には八甲田山系があり都市が少なかったことなどがあげられます。また八甲田山系を貫く長距離のトンネルを掘るのは困難だったのです。

 速度向上と所要時間の短縮を重視する東北新幹線では北回りの路線は選ばれず八甲田山系の北側に八甲田トンネルを建設することになりました。東北新幹線は八戸駅から七戸の方面に延伸され青森をめざすことになりました。そして八甲田山系の東側に七戸十和田駅、西側に新青森駅が設置されることになりました。八甲田トンネルは1998年8月に着工され、約7年後の2005年2月27日に貫通しました。その後、トンネル内の整備が進められ、2010年12月4日に東北新幹線の八戸駅-新青森駅間の開業に伴い運用が開始されました。現在、八戸駅から青森駅までの旧東北本線は青い森鉄道として第三セクターの青い森鉄道株式会社によって運用されています。

八甲田トンネル
八甲田トンネル

 八甲田トンネルは七戸十和田駅と 新青森駅の間に位置し青森市東部の東岳山の折紙山の北川の麓を貫いています。その全長は26.455 kmで岩手一戸トンネルの25.808 kmを抜いて陸上鉄道トンネルとしては世界一の長さとなりましたが2005年4月28日にスイスのレッチュベルクベーストンネル(34.577 km)が貫通しわずか2ヶ月で世界一の座を失いました。しかしながら、レッチュベルクベーストンネルは単線であり、複線の陸上トンネルとしては八甲田トンネルが世界一となっています。

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2022年1月10日 (月)

世界初の地下鉄がロンドンで開通(1863年1月10日)

 鉄道発祥の国イギリスでは世界に先駆けて鉄道の整備が進みました。ところが首都ロンドンは建物が密集しているため鉄道を敷設することができませんでした。1834年、テムズ川の水底に「テムズトンネル」が開発すると、これを参考にロンドン市内に地下鉄を走らせる構想が持ち上がりました。そして1854年にメトロポリンタン鉄道会社による地下鉄建設が認可されました。

 なにしろ世界初の地下鉄ですから最初からロンドン市内に地下トンネルを掘るわけにはいきませんでした。1855年にロンドンと地質が似ているギブルズワースに試験トンネルが作られました。ここでは地下鉄用の列車の開発も行われました。試験トンネルの成果からロンドン市内の地下鉄の建設工事も進められ、1863年1月10日にパディントン駅とファリントン駅を結ぶ世界初の地下鉄が開業しました。開業当日は38,000人の乗客を運び他の鉄道から列車を借りるほど大人気となりました。

 さてロンドンの地下鉄開業当時は未だ電車は開発されていませんでしたので、蒸気機関車がガス灯付きの木製の客車を牽引しました。上記機関車が出す硫黄を含む煤煙を逃すため地下鉄の駅は吹き抜け構造で路線の一部は堀のようになっていました。それでも駅は煤だらけとなり、木造のホームがしばしば小火(ボヤ)を起こすなど、地下鉄の環境は良好ではなく評判はよくありませんでした。そのような状況でもロンドン地下鉄は市民の足として活用されどんどん拡張されていきました。ロンドンの地下鉄が電化されたのは1905年のことでした。

世界初のロンドン地下鉄列車(GWR広軌蒸気機関車)
世界初のロンドン地下鉄列車(GWR広軌蒸気機関車)

 ところで地下鉄のことを「メトロ」と呼びますが、これは世界初の地下鉄を建設したメトロポリンタン鉄道会社に由来します。

【関a連記事】

 

地下鉄記念日 (1927年12月30日)(日本)

【おもしろ映像】驚愕の地下鉄ホーム

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2022年1月 8日 (土)

日本初の発車ベルが上野駅に設置(1912年1月8日)

 日本鉄道が上野駅-熊谷駅の路線を開業したのは1883年7月28日でした。当初、列車が発車する合図として笛や鐘が使われていましたが、20世紀に入り鉄道の利用が進み乗客数が増加すると笛や鐘の合図が聞こえないという問題が起きました。そこで1912年1月8日、日本で初めて上野駅に電子式の発車報知器つまり発車ベルが設置されました。

ホームで電車を待つ乗客
ホームで電車を待つ乗客

 金属音や電子音の発車ベルはけたたましくて忙しない(せわしない)という理由から発車メロディに切り替えられましたが、現在でも発車ベルを利用している駅もあります。 ジリジリとなる発車ベルは久しぶりに聞くと懐かしい音です。

 音量に注意してご覧下さい。

まるで火災報知機!?ことでん太田駅の発車ベル

電子音の発車ベルは次の映像で聞くことができます。

JR上野駅在来線ホーム 発車ベル・メロディー(~2016.10.31)

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