カテゴリー「鉄道」の40件の記事

2024年5月25日 (土)

食堂車の日(1899年5月25日)

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 かつて列車の旅における楽しみのひとつだった食堂車。調理場を備えた食堂車は列車の高速化やコンビニ弁当の発達などで時代とともに姿を消していきました。東海道・山陽新幹線では2000年のグランドひかりの営業終了に伴い食堂車の運用が終わりました。その後、寝台特急などで食堂車が運用されていましたが利用するには事前の予約が必要でした。やがて食堂車を常時営業している列車は全廃となり現在は観光列車でのみ運用されています。ただし調理設備がなく電子レンジで軽食を提供する食堂車は存在しています。

特急列車の食堂車(昭和37年)
特急列車の食堂車(昭和37年)

 さて日本で初めて食堂車が運用されたのは明治32年(1899年)5月25日です。山陽鉄道が運行した京都~三田尻(現・防府)を結ぶ列車に食堂付1等車が連結されました。これは誰もが利用できる食堂車ではなく1等車に付随したもので列車の半分が客席で残りの半分が食堂となっていました。

山陽1227 - 1229号(ホイシ9180形)の食堂部分
山陽1227 - 1229号(ホイシ9180形)の食堂部分

 この食堂車の営業は当初は山陽鉄道の直営でしたが後に神戸の「自由亭ホテル」(後のみかど)が行いました。官営鉄道(国鉄)では明治34年(1901年)12月15日に新橋~神戸の急行で「精養軒」が営業する食堂車が搭乗しました。

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2024年3月24日 (日)

東武200系電車 1800系リバイバルカラー

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 隅田川のほとりを川上に向かって歩きました。東武伊勢崎線が走っている「すみだリバーウォーク」に辿り着いたところで、ちょうど東武200系電車 1800系リバイバルカラーが橋を渡っていきました。

200-1800
東武200系電車 1800系リバイバルカラー

 東武200系電車は東武鉄道の電車で特急「りょうもう」に使用されています。特急「りょうもう」は1800系電車で運用されていましたが都心と赤城・伊勢崎を結ぶことから通勤と観光で需要が拡大し運行本数の増加やスピードアップが図られました。しかし、1800系では性能上の理由でさらなる需要増に対応することは困難となり新型車両が開発されることになりました。200系は1990年に製造開始され1991年に運用開始となりました。200系車両は運用開始から塗装はとくだん変更されていません。そこでリバイバルカラーとしては先代車両1800系の赤地に白帯の塗色が採用されました。

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2023年12月 4日 (月)

東北新幹線12月4日に新青森駅まで開通(2020年12月4日)

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 2020年12月4日、東北新幹線の八戸駅から新青森駅の路線が運行開始となりました。

 新青森駅までの路線の開通前は東京駅から八戸駅まで「はやて」で約3時間、八戸駅から青森駅までは弘前行きの「つがる」や函館行きの「スーパー白鳥」で約1時間かかりました。乗り換えなど考えると最短でも4時間以上かかりました。新青森駅までの開通によって東京駅から新青森駅が当時の最短の列車で3時間20分で結ばれるようになりました。2011年3月には新型車両のE5系「はやぶさ」が導入され宇都宮駅から盛岡駅間を300 km/hで運転できるようになり所用時間が3時間10分となりました。2013年3月には新青森駅発着の全ての列車がE5系「はやぶさ」に置き換えられ同区間の320 km/hの運転が開始されました。ですので実質的には約1時間の短縮となります。青森駅と新青森駅が場所が異なるので多少不便にはなりますが1時間短縮はかなり大きいので青森市内で用事がある人も便利になりました。

 また八戸駅から北海道の函館駅まで行くにはスーパー白鳥で3時間6分かかりました。青森駅から函館駅までは同じスーパー白鳥で約2時間かかります。青森駅と新青森駅は非常に近いので新青森駅から函館駅までの所要時間は2時間はかからないでしょうが、それほど大きな短縮とはなりません。東京駅から函館駅は「はやて」と「スーパー白鳥」で6時間30分ぐらいかかっていまたが、新青森までの開通により3時間20分+2時間で5時間20分ぐらいになりまいた。

 現在は北海道新幹線「はやぶさ」により東京駅から新函館北斗駅まで4時間を切っています。新函館北斗駅から函館駅までは「はこだてライナー」で所要時間20分ぐらいで到着します。

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2023年11月15日 (水)

函館山ロープウェイ開業(1958年11月15日)

カテゴリー:函館の話

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 函館山ロープウェイ株式会社は北海道函館市の函館山の山麓と山頂を結ぶロープウェイです。昭和33年(1958年)、函館観光事業会社が設立され同年5月にロープウェイの架設工事が初まり同年11月15日に開業しました。ロープウェイの開業により誰もが手軽に函館野からの景色や函館市の夜景を楽しめるようになりました。

 開業当時の初代のロープウェイはわずか31人乗りでした。昭和45年(1970年)に2代目の45人乗り、昭和63年(1988年)に当時としては日本最大の3代目の125人乗り、平成9年(1997年)に4代目125人乗りが導入されました。現在、運行されているロープウェイは平成26年(2014年)に導入された125人乗りのもので5代目です。次の写真は昭和37年7月に函館山の山麓駅で撮影したものです。ロープウェイは初代のものです。背景の塔はカトリック元町教会です。

初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月 山麓駅)
初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月 山麓駅)

 次の写真は山頂から撮影したロープウェイと函館市街です。

初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月)
初代の函館山ロープウェイ(昭和37年7月)

 次の写真は昭和33年(1958年)5月1日に函館山山頂から撮影したものです。函館山ロープウェイの着工は同年5月からですのでロープウェイも存在していませんがそれなりに観光客がいますね。

函館山山頂から(撮影昭和33年/1958年5月1日)
函館山山頂から(撮影昭和33年/1958年5月1日)

 函館山ロープウェイ株式会社は昭和51年に函館観光事業会社から現在の社名となりました。昭和61年(1986年)に函館市が出資し第3セクターとなり、平成4年(1992年)に日本初となるコミュニティFM放送「FMいるか」を開局しています。函館山ロープウェイ株式会社は函館観光の重要な役割を果たしています。

 これらの写真には五稜郭タワーが写っていません。初代の五稜郭タワーは五稜郭築城100年を記念して昭和39年(1964年)年12月に建造されたものです。

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2023年10月12日 (木)

鉄道の古レールの刻印(UNION 1906 I.R.J.)

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 高校生の頃、夏になると北海道の十勝地方の親類の農家で住み込みのアルバイトをしました。古い農機具などが収められている納屋を片付けていたときに見つけたのが鉄道の古レールでした。古レールの刻印を見ると「UNION 1906 I R」と読み取れます。

ドイツのUNION社製鉄道レール(UINON 1906 I.R.J.)
ドイツのUNION社製鉄道レール(UINON 1906 I.R.J.)

 かつて日本の鉄道のレールは輸入品が使われていました。日本製のレールは八幡製鉄所が明治34年(1901年)に製造を始め、明治39年(1906年)の鉄道国有化された頃から使われるようになりました。当初は品質や価格の面で外国製レールがコストパフォーマンスが高かったことから昭和の初め頃までは外国製レールが使われていました。

 古レールのことはあまり詳しくありませんが、UNIONはドイツのウニオン(Union A.G. fur Bergbau u. Stahi Industrie zu Dortmund
)という会社名です。初期の刻印では「UNION D」だったそうですがこのレールはDはありませんでした。また1906年は製造年を表しています。I.R.とありますがUNION社製の他のレールの写真には I.R.J とありますので、これも I.R.J だったのではないかと思います。発注者名を意味しています。官営の鉄道の意味のようですから当時の鉄道局(現在JR)のことでしょう。

 なぜ農家の納屋にあったのかわかりませんが、このあたりには精糖会社が沿線で収穫されたビートを輸送する専用線が敷かれていました。昭和26年(1951年)に廃線となった十勝鉄道清水部線と思われます。私鉄と思いますが、この専用線で使われていたものでしょうか。

 この農家は既に人が住んでいませんが土地や建物は当時のまま残っていますのこの古レールもいまだ敷地のどこかに佇んでいるかもしれません。レールが途中で切られて J がありませんので価値はなさそうです。

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2023年9月15日 (金)

国鉄がシルバーシート導入(1973年9月15日)

 日本国有鉄道が高齢者向けの優先席シルバーシートを導入したのは昭和48年(1972年)9.月15日です。この日は当時は敬老の日です。東京の中央線快速なとで導入されその他の地域にも順次導入されました。

 シルバーシートの名前の由来は優先席の座席の色で高齢者の白髪などの色とは関係がありません。優先席を作るにあたって、座席の色を変えてわかりやすくすることになりましたがまとまった数の在庫があった座席の布は0系新幹線の普通座席に使われていたシルバーのものでした。

Photo_20230914211901

 この布が採用されたためそ優先席は布の色からシルバーシートと名付けられました。このシルバーシートの導入によってシルバーは高齢者の代名詞のようになりまきしたが、高齢者をイメージして優先席の色にシルバーが選ばれたわけではありません。

 1990年代後半には高齢者や身体障害者以外にも怪我人や妊婦や幼児連れの人が使えるようになり、名称もシルバーシートから優先席や優先座席となりました。

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2023年8月29日 (火)

日本初のケーブルカー|ケーブルカーの日(1918年8月29日)

 8月29日はケーブルカーの日です。大正7年(1918年)8月29日に大阪電気軌道(現:近鉄、近畿日本鉄道)の子会社の生駒鋼索鉄道が、奈良県生駒山の鳥居前駅~宝山寺駅間で日本初のケーブルカーを開業させたことに由来します。このケーブルカーは現在も近鉄生駒鋼索線(生駒ケーブル)として運用されており鳥居前から宝山寺を経て生駒山上駅までを結んでいます。

 生駒ケーブルは宝山寺への参拝客を見込んで大正2年(1913年)建設が計画されました。大正3年(1914年)に運用会社となる生駒鋼索鉄道が設立されました。大正5年に大阪電気軌道(現:近鉄)が経営参画、大正7年(1918年)8月29日に鳥居前駅~宝山寺駅間の営業を開始しました。

開業当時の生駒鋼索線
開業当時の生駒鋼索線(1918年)

 観光だけでなく市民の足として使われているケーブルカーはサンフランシスコのケーブルカーなどが有名ですが日本の多くのケーブルカーは観光用です。そのような中で生駒ケーブルは沿線が住宅地となっているため通勤通学にも使われており市民の足としての役割を担っています。住宅地を通っているため踏切も存在しています。

 生駒ケーブルは敷設された背景には大阪電気軌道と宝山寺の関係がありました。大阪電気軌道が開業まもなく資金繰りで困窮したときに宝山寺から賽銭を融通したそうです。その時の謝意も含んで生駒ケーブルカーが敷設されたと言われています。

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2023年7月25日 (火)

東海道新幹線が全線試運転(東京ー新大阪)を開始(1964年7月25日)

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 東海道新幹線は1964年東京オリンピック開幕直前の昭和39年(1964年)10月1日に開業しました。

  新幹線開業の日(昭和39年 1964年10月1日)

 東海道新幹線の建設計画が閣議決定されたのは昭和33年(1958年)です。昭和34年(1959年)に東海道本線の増設が認可され、同年に東海道新幹線の起工式が行われました。昭和36年(1962年)に軌道の起工式が行われ同年に綾瀬と鴨宮を結ぶモデル線(鴨宮モデル線)が完成しました。このモデル線を用いて昭和37年(1967年)6月23日から昭和39年(1964年)にかけて新幹線車両と設備の試験、運転士、乗員、保線要員の養成訓練が行われました。このモデル線は新幹線の広報の役割も果たし、乗客を乗せての試乗運転が行われました。このモデル線を活用することによって東海道新幹線を5年という短期間で完成することができたのです。

 モデル線での試運転を重ねている間に東海道新幹線の軌道の工事は着々と進められました。昭和39年(1964年)7月1日に東京ー新大阪間の工事が完了し川崎市のレール締結式をもって全通しました。同年7月25日から東京ー新大阪間の全線試運転が始まりました。

 次の写真は昭和39年(1964年)9月14日の試乗運転の写真です。

試乗会で入線する0系新幹線
試乗会で入線する0系新幹線

 新幹線をバックに記念撮影。この写真には「9月14日 夢の超特急試乗 新幹線 東京~小田原間」とメモ書きがありました。

試乗会で0系新幹線と記念撮影
試乗会で0系新幹線と記念撮影

 

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新幹線開業の日(昭和39年 1964年10月1日)

新幹線0系電車が定期運転終了(2008年11月30日)

東北新幹線開業(1982年(昭和57年)6月23日)

初代のぞみ300系と初の2階建て車両100系新幹線引退(2012年3月16日)

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北海道 大沼公園 流山温泉駅の200系新幹線

「北海道新幹線」開業(2016年3月26日)

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2023年3月26日 (日)

「北海道新幹線」開業(2016年3月26日)

 北海道新幹線は青森県青森市と北海道旭川市を結ぶ新幹線として計画され、昭和47年(1972年)に青森市と札幌市を結ぶ路線の建設計画が公示されました。札幌市と旭川市を結ぶ路線は建設計画が公示されたのは昭和48年(1973年)です。当初は整備新幹線の1路線として計画されましたが、国鉄の財政悪化により計画が頓挫しました。

 昭和63年(1988年)に開通した青函トンネルは当初は在来線用として設計されていましたが北海道新幹線の計画により新幹線規格の設計に変更されました。北海道新幹線が頓挫したため在来線として開業することになりました。

 平成16年(2004年)に青森市と函館市を結ぶ北海道新幹線の建設が認可され平成17年(2005年)5月に起工式が行われました。このとき東北新幹線は八戸駅までしか開業されていませんでした。八戸駅と新青森駅を結ぶ路線が開業したのは平成22年(2010年)12月4日です。

 当初は函館側の駅名は「新函館駅」とされていましたが、函館市は津軽海峡に突出した位置にあるため市内に新幹線の駅を建設することは困難であることから亀田郡大野町の渡島大野駅を新幹線の駅とすることになりました。平成18年(2006年)に上磯群上磯町と亀田郡大野町が合併し北斗市が誕生すると、北斗市は新幹線の駅名を「北斗駅」とするべきという主張をしました。これに対して旧来から北海道新幹線の誘致運動を展開してきた函館市は観光地の名称としても有名であることから従来通り「新函館駅」にすべきと主張しました。両市の意見は折り合わず、名称の決定はJR北海道に一任することになりました。JR北海道は両市の意見を鑑み2014年6月に駅名を「新函館北斗駅」とすることを発表しました。

 平成28年(2016年)3月26日、平成17年(2005年)の起工式から11年の歳月をかけて新青森駅と新函館北斗駅を結ぶ北海道新幹線が開通しました。現在、東京駅から新函館北斗駅の所要時間は最速で4時間2分、平均で4時間19分です。新函館北斗駅から函館駅の間は快足の「はこだてライナー」が所要時間15分で結んでいます。

北海道新幹線「はやぶさ」新函館北斗駅行き
北海道新幹線「はやぶさ」新函館北斗駅行き

 北海道新幹線の新函館北斗ー札幌駅間の開業は令和12年(2030年)と予定されています。2012年8月25日に新函館北斗駅で起工式が行われました。途中の停車駅は八雲駅、長万部駅、倶知安駅、新小樽駅(仮称)です。

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2023年3月13日 (月)

青函連絡船が運航終了(1988年3月13日)

 昭和の時代、北海道から本州に行こうとすると飛行機を利用するか、フェリーを利用するか、青函連絡船を含む鉄道を利用するしかありませんでした。鉄道を利用すると言っても東北新幹線は存在していませんでしたから青森駅から上野駅までは寝台列車や特急や急行を利用したものです。

青函連絡船>
青函連絡船

 東北新幹線が盛岡まで開通したのは昭和57年(1982年)6月23日です。東北新幹線の開通によって青森駅と大宮駅の所要時間が大幅に短縮され便利になりました。しかし、盛岡から青森までは特急「はつかり」に乗り継ぐ必要があり、函館には青函連絡船を利用するしかありませんでした。

 青森と函館を鉄道で結ぶ青函トンネルが完成したのは昭和62年(1987年)です。青函トンネルの開通により青函連絡船は役割を終了することになりました。昭和63年(1988年)3月1日に禁止されていた1964年の乗客転落事故以来禁止されていた「別れのテープ」が復活し、別れを惜しむ人々が桟橋を訪れるようになりました。

 そして同年年3月13日、青函トンネルを含む海峡線(津軽海峡線)の開業に伴い青函連絡船は運航を終了しました。この日は青函トンネルと青函連絡船の両方が営業を行いました。青函連絡船の最終便は函館発の「羊蹄丸」、青森発の「八甲田丸」となり、1908年に始まった青函連絡船営業80年の歴史が幕を閉じました。

羊蹄丸の出発のドラ(1988年3月13日)
羊蹄丸の出発のドラ(1988年3月13日)

 なお同年6月3日から9月18日まで青函博覧会と世界食の祭典の協賛で青函連絡船の1日2往復の暫定復活運航が行われました。9月19日 暫定運航を終えた十和田丸が函館に戻り、これをもって青函連絡船は津軽海峡から姿を消しました。

 自分は現在はすっかり飛行機での移動ですが、当時は好んで鉄道と青函連絡船を利用していました。上野発の夜行列車「八甲田」で青森駅まで8時間以上かけて行き連絡線に乗り継いで約4時間の旅でした。天気の良い日は青函連絡船は客室には入らず甲板で寝転んで過ごしました。

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