カテゴリー「自動車」の7件の記事

2021年10月19日 (火)

ホンダのスーパーカブの生産台数が1億台に(2017年10月19日)

 本田技研工業(ホンダ)のスーパーカブは同社が1958年に製造販売を開始した小型オートバイC100に名付けられた名前です。

 もともとホンダは1952年から自転車に装着できるカブという原動機を製造販売していました。競合他社から類似の製品が販売され、さらにスクーターの人気が高まり始めると、ホンダの藤沢武夫専務(当時)は本田宗一郎社長(当時)に原動機とボディ(自転車)を一体化した完成したモペッド(注)の開発を提案しましたが、本田社長は技術的に完成車は作れないと却下しました。

 (注)原動機で走行したり、人力で走行したりすることができるペダルの付いた小型オートバイ

 本田社長と藤沢専務が1956年にヨーロッパを視察したとき、藤沢専務は本田社長に小型オートバイの開発を再提案しました。ヨーロッパでスクーターやモペッドを見たホンダ社長も小型オートバイの開発に興味を持ち、2人はペダルのない小型オートバイの新製品の構想を始めました。

 本田社長は帰国後に小型オートバイの開発に自ら取り組みました。そして、自動遠心クラッチ式変速機、燃費が良く耐久性の高い空冷4ストロークエンジンを開発、これを搭載した小型オートバイ、スーパーカブC100の販売を1958年8月に開始しました。

ホンダ スーパーカブ
ホンダ スーパーカブ

 発売に先立ってこの小型オートバイを見た藤沢専務は月に3万台売れると見積もりました。当時の日本国内のオートバイの販売台数が2万台でしたから3万台という数字は大言壮語に聞こえました。スーパーカブの初年度の年間販売台数は約2,400台、1959年は約16万7千台、1960年は約56万4千台となり、藤沢専務の見積もりが正しかったことが証明されました。

 スーパーカブは1958年の登場以来、現在も人気の高いロングセラーの小型オートバイです。2017年5月、スーパーカブの独特のデザインが認められ、乗り物としては日本初の立体商標として登録されています。

 2017年10月19日、本田はスーパーカブの累計生産台数が1億台を超えたことを発表、同一シリーズの乗り物として世界最多の生産台数および販売台数となりました。

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日産自動車フェアレディZを発表(1969年10月18日)

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トミカ No.87 ホンダ スーパーカブ (BP)

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2021年10月18日 (月)

日産自動車フェアレディZを発表(1969年10月18日)

 日産自動車のフェアレディZは日本を代表するスポーツカーのひとつです。

 もともと「フェアレディ」とは日産自動車が1952年にダットサンのブランドで販売を開始したオープンカーの名前でした。1960年代後半に発売されたフェアレディは数々のレースで優勝を飾りスポーツカーとして輝かしい成績を残しています。

 しかしながら、北米でダットサンの市場を拡大しようとしていた北米日産会社にとって小型スポーツカーのフェアレディの市場競争力は必ずしも満足できるものはありませんでした。そこで北米日産の片山豊社長は北米でダットサンを拡販するには北米ユーザーのニーズに応えたスポーツカーの開発が必要であると日産本社へ要求しました。日産本社はこの要求にすぐに応じませんでしたが、片山社長の熱意を認め新しいスポーツカーの開発を決定しました。片山社長は自分が要望するスポーツカーのコンセプトを伝えました。このとき片山社長はスポーツカーの開発部門に勝利と激励の意味を込めてZ旗を送りました。

 Zを旗印として開発されたスポーツカーは1969年10月24日開幕の第16回東京モーターショーに先駆けて同年10月18日に発表されました。日本では翌11月から発売開始となり、Z、Z-L、Z432の3タイプが発売されました。Zは4速MT SOHC L20型エンジンのベースモデル、Z-Lは5速MT SOHC L20型エンジンで内装を充実させたモデル、Z432は5速MT 4バルブ、3キャブ、2カムのDOHC S20型エンジンを搭載した高性能モデルです。またレース用車両としてZ432Rも生産されました。海外ではSOHC L24型エンジンを搭載したダットサン240Zが発売されました。

フェアレディZ
フェアレディZ

 また、Zの特徴的な凹んだライトのフロントマスクとルーフからトランクにかけて滑らかに傾斜するファストバックのデザインは当時の海外のスポーツカーの匹敵する洗練されたデザインでした。

 Zはフェアレディの後継車種として発表されましたが、フェアレディZと名付けられたのは日本国内のみです。海外ではDATSUN ZやNISSAN Zと呼ばれておりフェアレディという名前は使われていません。本家のフェアレディの最終モデルフェアレディ2000はZが発売後も1970年まで生産が続けられました。

 片山豊社長は世界各国で「Z-carの父」として知られ、1998年には米国自動車殿堂入りを果たしています。

トミカ トミカプレミアム 09 日産 フェアレディZ

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2021年10月 3日 (日)

交通戦争一日休戦の日(1971年10月3日)

 高度経済成長の末期、街中をたくさんの自動車が走り交通渋滞や大気汚染が社会問題となりました。このような状況のもと東京都八王子市は昭和46年(1971年)10月3日に毎月水曜日に自家用車の利用自粛と公共交通機関の利用を呼びかけるノーカーデー(ノーマイカーデー)のキャンペーンを実施しました。「交通戦争一日休戦の日」がスローガンとされました。

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 この八王子市の取り組みは各地に広がり現在は多くの自治体でノーカーデー(ノーマイカーデー)のキャンペーン行われています。この日は公共交通機関の割引の一日乗車券が発売されるなどしますが、十分に認知されているとは言えない状態で、自治体の進め方の検討や企業への協力要請などが必要です。レジ袋やプラスチック製スプーンなどの有料化よりもノーカーデーの方が確実に二酸化炭素の排出量の抑制効果があるのではないでしょうか。

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2021年2月 2日 (火)

バスガールの日(1920年2月2日)

 関東大地震の影響により運行が困難となった東京市電の代替輸送手段として東京市営バスの運行が開始したのは大正12年(1923年)1月18日です(ココログ 夜明け前円太郎バス走る|都バスの日 (大正13年 1924年1月18日)」。

 実は東京市営バスの運行に遡ること約5年前の1918年(大正7年)10月、民営のバス会社である東京市街自動車が設立され、1919年(大正8年)3月1日からバスの営業運行を開始しています。東京市街自動車のバスは車体が深緑色であったため、都民から「青バス」と呼ばれ親しまれました。

 〜余談になりますが、緑色のバスが青色と呼ぶれたは日本人が緑色と青色を明確に区別する文化をもっていなかったからです。ご興味をもたれた方はココログ 光と色と青は進めの真実|交通信号の色」をご一読ください〜

 東京市街自動車は関東大震災後のバスの活躍により、営業路線を拡大していきました。東京市街自動車のバスには少年の車掌が常務していましたが、運賃の横領が多いため、女性の車掌を採用することにしました。大正9年(1919年)12月に女性車掌募集の新聞広告を出し、女性車掌を採用、大正10年(1920年)2月2日に女性車掌が登場しました。

東京乗合自動車のバスと女性車掌(白襟嬢)
東京乗合自動車のバスと女性車掌(1934年、撮影:石川光陽)

 東京市街自動車の女性車掌は白襟の洋服にベレー帽の制服を着ていたことから、都民から「白襟嬢」と呼ばれ大人気となりました。

 東京市街自動車と競争していた東京市営バスは1924年から女性車掌を乗務させるようになりました。東京市営バスの女性車掌は赤襟の制服を着ていたため都民から「赤襟嬢」と呼ばれました。

 昭和40年代、子どもの頃にバスに乗ったときには、女性の車掌が必ず乗務していました。顔見知りになった車掌さんもいて、バスに乗ると名前で呼んでくれた車掌さんもいました。昭和40年代後半になると「ワンマン」と書かれた車掌さんの乗っていないバスが走るようになりました。当時は「ワンマン」の意味がわからず、「このバスには犬が何か関係しているのか?」などと思ったりしたものです。

 バスの停留所で待っているときに「ワンマン」のバスがやってくると、とてもがっかりしたものです。やがて、顔を覚えていた車掌さんの姿も見えなくなり、すべてのバスが「ワンマン」になりました。ドア付近には車掌さんがいた場所が残っており、その場所を見ると何か寂しい気持ちになりました。時は流れて、整理券、降車ボタン、運賃表、テープによるアナウンスが当たり前になりました。

 科学と技術が発展し、世の中便利になってくると、競争も激しくなり、効率を重視する必要が出てきます。バスの車掌さんのような仕事が消えていくわけですが、便利になっていく反面で、精神文化的な何かが失われていくような気もします。

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2021年1月20日 (水)

スーパーカー全国縦断フェスティバル(1977年)|カウンタックLP-400

 漫画家の池沢さとしさんの作品「サーキットの狼」は昭和50年(1975年)から昭和54年(1979年)まで少年ジャンプで連載されました。主人公の風吹裕矢がライバルとともにレーサーとして成長していく物語です。「サーキットの狼」には現実の自動車が登場しました。特に欧州のスポーツカーの活躍を描くことにより、スーパーカーブームの火付け役となりました。

 スーパーカーブームがはじまると、スーパーカーの下敷き、消しゴム、カードなど多くの商品が登場しました。また、プラモデルもたくさん作った記憶があります。それでも一番の感動は実物を見ることです。街の中を颯爽と走るスーパーカーを見ると指を差して喜んだものでした。しかしながら、スーパーカーを街で見ることができる機会はそう多くはありませんでした。ですからデパートの屋上などにスーパーカーが展示されると、親にせがんで連れて行ってもらったものです。

 1977年に全国で開催された「スーパーカー全国縦断フェスティバル」の写真がありました。このスーパーカーショーはモーターマガジン社が主催したもので、黄色いランボルギーニカウンタックLP-400が全国各地で展示されました。札幌の丸井今井にカウンタックがやってきたのは6月です。当時は小樽市に住んでいたのですが、父が自分と弟を札幌まで連れて行ってくれました。

 たくさんの親子が見に来ており、本物のカウンタックを目の前にした子どもたちは大興奮していました。

ランボルギーニカウンタックLP-400
ランボルギーニカウンタックLP-400

 カウンタックのドアが開くと大歓声。カウンタックのドアはハサミのように開くのが特徴です。ガルウイングと呼ばれることが多いのですが、このタイプのドアは正しくはシーザードア(シザーズドア)と言います。

カウンタックのシザードア(シザーズドア)を開いたところ
シザードア(シザーズドア)を開いたところ

 次はリアからの写真です。カウンタックはミッドシップと言ってエンジンは車体中央に搭載されています。運転席の後側のリアパネルを開くとエンジンルームが現れます。その後ろのパネルを開くとトランクがあります。

カウンタックのリアからの写真
カウンタックのリアからの写真

 このショーでは抽選か何かで10人ぐらいカウンタックのコクピットに座らせてもらうことができました。写真がないので、自分たちは外れたのでしょう。

カウンタックのコクピット
カウンタックのコクピット

 このショーには次のレーシングカーが端の方にひっそりと展示されていました。車体や展示パネルにCOX R500、RACING SHOP ADACHIと書いてあります。Googleで検索してみましたが見つからず。マッハGOGOGOに出てくるようなレーシングカーですが、よくわかりませんでした。

COX R500
COX R500

フジミ模型 1/24 サーキットの狼シリーズ No.15 カウンタックLP400 ハマの黒ヒョウ

・製品では組み立て易いエンジン無しの簡易モデルをベースにしています。
・新たにデカール ゼッケン12を追加して、流石島レース仕様とします。
・ガルウイングドアは別部品、開閉選択可能です。

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2021年1月18日 (月)

円太郎バス走る|都バスの日 (大正13年 1924年1月18日)

 大正12年(1923年)9月1日、関東一円を襲った関東大震災によって東京は壊滅的な被害を受けました。当時、東京市では、都民の足として東京市電が走っていましたが、震災被害によって運行が困難となり、復旧作業にも相当な時間を要しました。そのため、東京市は市電の代替輸送手段として、同年1月18日に東京市営バスの運行を開始しました。これが現在の都営バスの始まり、この日は東京都交通局によって「都バスの日」とされています。

 最初に運行された東京市営バスの路線は「東京駅ー渋谷駅」および「巣鴨駅ー東京駅」を結ぶ2路線だけでした。昔のバスと言うと、運転手さんと車掌さんが乗っているイメージがありますが、最初の市営バスはワンマンバスで、切符は停留所で買うようになっていました。

 バスとして使われた車両はフォード社のモデルTの後部を荷台として小型トラックのように改造したモデルTTを利用しました。モデルTTの荷台部分に木製の簡易な枠組みの11人乗りの客室を備えた車両でした。客室は簡易や屋根の囲いの中にベンチが置かれたお粗末なもので、窓もありません。雨の日は幌を活用したそうです。

 このバスは当時としても見た目にもレトロな雰囲気で、明治の初めに通称「円太郎」の名で親しまれていた乗合馬車に似ていたため、いつの頃からか「円太郎バス」と呼ばれるようになりました。なお、「円太郎」は四代目橘家圓太郎のラッパの芸に由来します。圓太郎が乗合馬車の馬丁の吹くラッパを高座で真似して人気となり、馬車が「円太郎」と呼ばれるようになりました。

初期の円太郎バス
初期の円太郎バス

 円太郎バス」はお粗末な車両でしたが、小型で小回りが効くため、震災の跡地を走るのに都合がよく、多くの人々が利用しました。当初は1924年7月に運行を終了する予定でしたが、バスの売上も好調で、車両や設備の利用や従業員の雇用などを考え、運行を継続することになりました。

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2021年1月17日 (日)

マルボロマクラーレン M23フォード 

 中学生だった頃に作成したマルボロマクラーレン M23フォードのプラモデルの写真が出てきました。下手くそながら塗装、組み立てからデカール貼りまで、ずいぶん時間をかけて作った記憶があります。なぜマルボロマクラーレンのプラモデルを作ったかというと、初めて開催されたF1日本グランプリをテレビで見たからです。

マルボロマクラーレンM23フォードのプラモデル(カラー着色)
マルボロマクラーレンM23フォードのプラモデル

 1977年10月23日に富士スピードウェイで1977年のF1世界選手権第17戦目となる決勝レースが開催されました。日本でのF1レースは前年に「F1世界選手権イン・ジャパン」として開催されていました。このレースは富士グランチャンピオンレース最終戦のイベントとして開催されたもので、海外のF1チームやドライバーが参戦していますが、F1世界選手権の公式なレースではありませんでした。

 この日本グランプリには当時チャンピオンとして君臨していたフェラーリのニキ・ラウダ選手が参戦しておらず、代役として当時は無名のジル・ヴィルヌーヴ選手が参戦しました。決勝戦の6週目で14位だったヴィルヌーヴ選手のフェラーリT312T2の左前輪が第一コーナー入り口でロニー・ピーターソン選手のティレルの6輪車P34の右後輪に接触し、カタパルトで飛ばされたかのように空中に舞い上がりました。フェラーリは逆さまに落下し、側転してエスケープゾーンに突っ込んだ状態で停止しました。事故の規模にもかかわらずヴィルヌーヴ選手は無傷でしたが、立ち入り禁止区域にいた観客と警備員の2人が死亡しました。

 レースは中心とはならずに続行し、予選2位のジェームス・ハント選手のマルボロマクラーレンM23フォードがすべての周回においてトップのラップタイムを出す独走となりました。ハント選手は2位のカルロス・ロイテマンのフェラーリを約2分近く離してゴールし、優勝を果たしました。ハント選手は1976年のワールドチャンピオンで、1977年は5位となりました。このレースがハント選手の最後の優勝だったのですが、レース終了後に帰国することになっており、空港までの渋滞を避けたいという理由で帰ってしまい、表彰式には出席しませんでした。

 F1日本グランプリは次の年も行われる予定でしたが、発生した大事故によりF1レースに対する世論の風当たりも強くなったことや、採算が取れなかったことなどで、日本モータースポーツ協会はF1の開催契約を解除しました。

 このニュースを聞いたとき、自分はとてもがっかりしました。こういう経緯もあってTAMIYAのF1のプラモデルを買って作ったのです。

TAMIYA マルボロマクラーレンM23フォード
TAMIYA マルボロマクラーレンM23フォード

 実はマルボロマクラーレンの他に、フェラーリT312T2とティレルP34も作ろうと決めていたのですが、ランボルギーニ・カウンタックなどのスーパーカーのプラモデルが作りたくなり、お小遣いが足りなくなって買わなかったのです(^^;)

 ところで冒頭のカラー写真は下記の白黒写真をAIカラー化したものです。デカールの色の再現が悪く、黄色っぽいオレンジ色になっていたため赤で着色しました。しかし、デカールが赤系統の色であることはきちんと認識されていました。白黒写真も味がありますが、カラー化することで生き生きとします。

マルボロマクラーレンM23フォードのプラモデル
マルボロマクラーレンM23フォードのプラモデル

 最後になりますが、F1が日本で再開されたのは、10年後の1987年鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリでした。F1は瞬く間にブームになりましたが、1976年や1977年のレースのことを知っている人はあまり周りにはいなかったように思います。F1!F1と大騒ぎしていた年長の先輩に「え〜、あのレースを知らないの〜」とツッコミを入れたものです。

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