カテゴリー「自動車」の35件の記事

2024年8月28日 (水)

トヨタ自動車が分離独立(1937年8月28日)

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 愛知県豊田市に本社を置く世界最大規模の自動車メーカーのトヨタ自動車株式会社。トヨタ自動車はもともと独立した会社だったわけではありません。豊田が自動車を手掛けるようになったのは米国で自動車技術を学んで帰国した川越庸一氏が豊田自動織機製作豊田喜一郎(同社創設者の豊田佐吉の長男)に働きかけたことがきっかけです。川越氏は工業学校在学中に自動車に興味をもち、卒業論文も自動車の設計図を提出しています。卒業後、外車の輸入販売を手掛ける日本自動車に入社しましたが、米国の自動車技術を取り入れなければ日本の自動車工業の未来はないと考え、デトロイトへ赴きハドソンやダッジの工場で職工として働き自動車技術を学びました。帰国後、日本ゼネラル・モータース傘下代理店の昭和自動車のサービス部長を務めましたが、豊田喜一郎に自動車の開発と製造を提案したのです。

 昭和8年(1933年)9月に豊田自動織機製作所自動車部が設立され初代部長に川越氏が就任しました。自動車部は豊田自動織機製作所の鋳造や機械加工技術を活かして自動車の開発を始ました。昭和10年(1935年)11月、トヨタが最初に発表した自動車は乗用車ではなくトヨダG1型トラックです。同年に乗用車A1型を試作し、これを改良した国産初の量産型のトヨダAA型乗用車を昭和11年(1936年)9月に発表しました。同年にはGA型トラックも発表しています。

 昭和12年(1937年)8月28日、自動車部は豊田自動織機製作所から分離独立し新会社となりました。愛知県西加茂郡挙母町(豊田市)に本社と工場が設置されました。トヨタ自動車の創立記念日は本社工場が竣工された11月3日としています。

トヨタ自動車ロゴと本社ビル
トヨタ自動車ロゴと本社ビル

 川越氏は後に豊田式自動織機を離れ川越工業所を設立します。川越工業所は大同製鋼の支援を受け、1939年に自動車用軸受メーカーの大同メタル工業が設立されました。また川越氏は中京デトロイト構想を創案しています。

 自分が初めて購入した自動車はトヨタのスプリンター・トレノTE71型(E-TE71-FCMQF)でした。学生の頃、下宿暮らしで月6万円ぐらいで何とかやっていたのですが自動車免許と自動車が欲しくなりアルバイトをしました。家庭教師と自動車用バッテリー工場の夜勤で手にしたのは70万円ぐらいだったと思います。すぐに自動車学校に入学して(お金が続かないので)一発合格をめざして免許を取りながら中古車を探しました。欲しかったのはスプリンター・トレノ・アペックスです。ずいぶん探したのですがアペックス仕様はもちろんのことトレノもなかなか見つかりませんでしたが、ある日近所の自動車修理工場で見つけました。中古自動車店に納入しようと整備していたようですが店主に話をしたら直接売ってくれることになりました。学生さんだからと車検も保険も入れて42万円でいいや、いや42(死に)は演技が悪いから41万円で「良い」にしましょうというとてもやさしい店主さんでした。

 そのスプリンター・トレノTE71型(E-TE71-FCMQF)は5年落ちの中古車でしたが 1600 ccの水冷直列4気筒DOHC-EFIの2T-GEU型エンジンを搭載したトレノTE71型(E-TE71-FCMQF)は瞬発力がありました。後の86が名車になったのも頷けます。トレノ以来、トヨタ車に乗ってきましが都会に住むようになって自動車を使う機会が少なくなり手放してしまいましたが、トヨタレンタカーは利用しています。乗っていたTE71の写真があるはずなのですが見つかりません…

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トヨタ自動車が「パブリカ UP10」を発表(1961年6月30日)

 

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2024年6月30日 (日)

トヨタ自動車が「パブリカ UP10」を発表(1961年6月30日)

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 第二次世界大戦の敗戦によって日本は米軍を中心とする連合国軍の占領下におかれました。航空産業をはじめとする軍需産業の活動は厳しく制限されました。自動車産業も例外ではありませんでしたが鉄道や港湾が壊滅的な打撃を受けた日本では物資の輸送は自動車が担うしかありませんでした。そのためGHQは自動車産業の活動については早々に許可を出しました。1945年9月25日にトラックの生産、やや遅れて1947年6月30日に小型乗用車の生産を許可しています。ただし当時の日本経済は不況下にあり乗用車を所有できる人はほとんどいませんでした。

 戦後の高度経済成長により日本が復興しつつある中で昭和30年(1955年)5月18日に通商産業省(経済産業省)が進めようとしていた一定の条件を満たす自動車の製造・販売を援助する「国民車育成要綱案(国民車構想)」がスクープ報道されました。しかし、最高速度、燃費、月産生産台数、販売価格などの条件が厳しく当時の自動車メーカーにとって実現が不可能な内容でした。そのため国民車構想は公式な政策にはなりませんでしたが各メーカーが小型自動車の開発に着手しはじめました。
 
 国民車構想の報道より1年前の昭和29年(1954年)5月、トヨタ自動車は独自に実用的な小型自動車の要件を検討し大衆車の開発に着手していました。トヨタ自動車は国民車構想に乗じて本格的に小型自動車の開発に乗り出しました。トヨタ自動車はフランスのシトロエン2CVを参考に空冷2気筒エンジンを搭載した前輪駆動(FF)の開発を計画しました。

 ところがこの小型自動車の開発に横槍が入ったのです。横槍を入れたタクシー業界でした。小型自動車のタクシーが増加すると料金を低下せざるを得ないと懸念したのです。当時、タクシー業界は自動車メーカーにとって重要な顧客だったためトヨタ自動車はその意向を踏まえた試作小型自動車1A1型を昭和31年(1956年)9月に発表しました。1A1型は2ボックスでタクシーには使えないほど小さな車体でした。タクシー業界にタクシーとしては採用できない自家用車であることを示したのです。

 トヨタ自動車は翌年から小型自動車の開発を進め試験走行を行いましたが技術的難易度から実用的な前輪駆動を実現できず知見のある後輪駆動に変更することになりました。エンジンの排気量については国が500 ccの自動車に税制優遇するという噂があったことから500 cc程度のエンジンを搭載する予定でしたが、排気量500 ccの自動車では高速道路を満足に走ることができないこと、時速100キロメートルで巡航走行できる不必要性を考慮し700 ccのエンジンを搭載することになりました。結果として500 ccの税制優遇は実現されず700 ccの選択は正解でした。

 当時の軽自動車はリアエンジン・リアドライブ(RR)が主流でしたが、小型自動車に適したフロントエンジン・フロントドライブ(FF)を目指しました。しかし実現が難しくフロントエンジン・リアドライブ(FR)としました。FRにすると車両の重量が増えシャフトのスペースの確保が必要になりますが様々な技術的な工夫を施し重量580 kgの小型自動車を実現したのです。安価な小型自動車をめざすため製造原価を下げるために徹底的なコスト管理と効率的なものづくりを進めました。豊田市に専用の工場を建設し量産体制を整えることになりました。

 完成した自動車は労働者が購入可能な価格38万9千円で発売されることになりました。車名は発売キャンペーンとして公募を行い「パブリカ」と名づけられ、昭和36年(1961年)6月30日に「パブリカUP10」が発表されました。パブリカはPUBLICとCARの合成語です。

パブリカUP10
パブリカUP10

 初代のパブリカは質素な作りだったため自家用車としては人気がありませんでした。そこでデラックス仕様のパブリカ700デラックス(UP10D)が追加され、さらにエンジンを800 ccとしたパブリカ800スーパー(UP20S型)が追加されました。トヨタ・スポーツ800(ヨタハチ)はパブリカがもとになっています。

 パブリカは1961年の登場から国民に愛される車として1988年まで生産・販売されました。

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2024年5月26日 (日)

第1回ル・マン24時間レース開催|ル・マンの日(19235月26日 )

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 ル・マン24時間レースはF1モナコグランプリ、インディアナポリス500マイルレースと並ぶ世界3大レースとして知られています。またデイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースと並び世界三大耐久レースとしても知られています。

 第1回ル・マン24時間レースは1923年5月26日から27日にかけてラッジウィットワース杯24時間耐久グランプリ Grand Prix d'Endurance de 24 Heures "Coupes Rudge-Whitworth" としてフランス北西部の町ル・マンで開催されました。

第1回ル・マン24時間レースのスタート
第1回ル・マン24時間レースのスタート

 第1回ル・マン24時間レースは35台がスタートしました。参加チームはイギリスのベントレー1台とベルギーのエクセルシオール2台を除いてすべてフランスのチームでした。車は自国のレーシングカラーで塗装されイギリスのベントレーは緑色、ベルギーのエクセルシオールは黄色、フランスの車は青色でした。雨の中のレースで1位となったのはフランスのアンドレ・ラガシュとルネ・レオナールが運転するシュナール・エ・ワルケルのタイプ U3 15CV スポーツでした。公式記録は最長走行距離は2,209.54km、平均速度は92.06km/h、ファステストラップはイギリスのベントレーの9分39秒、時速107.33kmでした。

 日本の自動車メーカーがル・マン24時間レースに最初に参加したのはマツダです。マツダは1970年代から参戦し、1980年代に入ると日産自動車やトヨタ自動車、本田技研工業も参加するようになりました。そして1991年に、ロータリーエンジンを搭載したマツダ・787Bが日本勢として初めて総合優勝しました。

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2023年11月 7日 (火)

ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)

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 ずいぶん前に北海道千歳市で撮影した2ドアクーペのポルシェ911カレラの写真です。このモデルは1989年から1993年にかけて製造・販売された911の3代目モデルのポルシェ964です。

ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)
ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)(2005年6月撮影)

人気の高い911の後継モデルを開発するにあたり顧客の様々な要求に応える必要がありましたが、911の人気はそのデザインにありました。そこで964は930のデザインを踏襲しながら全体の80%のパーツを新規に製作しました。964のエンジンは空冷水平対向6気筒で排気量3,600 cc、最高出力250馬力、ターボ仕様のものは320馬力です。964には4WDのカレラ4と2WDのカレラ2があります。

 次の写真はポルシェ911ターボ(ポルシェ930)のミニカーです。

ポルシェ911ターボ(ポルシェ930)
ポルシェ911ターボ(ポルシェ930)

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2023年10月28日 (土)

ルパン三世の愛車「メルセデス・ベンツ・SSK」

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 メルセデス・ベンツ・SSK(W06 II / W06 III / WS06)はダイムラー・ベンツが1928年から製造・販売した自動車です。当時、ダイムラー・ベンツに所属していたフェルディナント・ポルシェが同社を去る前に設計しました。

 ポルシェは自身が開発したSシリーズ・メルセデスベンツW06をもとにSSKを設計しました。SSKは Super Sport Kurzの略でKurzは「短い」という意味です。W06に比べてホイルベースが短縮され旋回性能向上と軽量化を実現しています。7.1リットル直列6気筒OHCスーパーチャジャー付きエンジンを搭載し最大250馬力を出すことができ最高速度190 kmに達し、レースでは敵なしでした。車体を短くしたため2座席のロードスターとして販売されました。当時の市販車としても最速の車両で、生産台数は33台とされています。

 メルセデス・ベンツ・SSKはルパン三世の愛車としても有名です。ルパン三世の第1シリーズ(1971~1972年)に登場します。次の写真はタカラトミー 『 トミカプレミアム unlimited 11 ルパン三世 メルセデスベンツ SSK 』です。

タカラトミー 『 トミカプレミアム unlimited 11 ルパン三世 メルセデスベンツ SSK 』

 

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2023年10月15日 (日)

ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura)

 ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura )はイタリアのアウトモービリ・ランボルギー社のV型12気筒エンジンをミッドシップに横置きした2シータークーペのスポーツカーです。流線形をしたミウラのデザインはベルトーネ社のマルチェロ・ガンディーニが手掛けました。点灯時に浮き上がるポップアップ・ヘッドライトが特徴的でした。ミウラの名前はスペインの闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラに因み命名されました。

ランボルギーニ・ミウラS
ランボルギーニ・ミウラS

 ミウラは1966年3月にスイスのジュネーヴで開催されたサロン・アンテルナショナル・ド・ロト(ジュネーヴ国際モーターショー)でP400が発表され同年から1973年までの7年間に759台(747台という説もある)生産されました。発表時の仕様では350馬力、980kg、最高速度300km/hとなっています。当時、実際に計測された最高速度で残っているデータはミウラSで278km/hです。

 ミウラの原型は1965年11月にイタリアのトリノで開催されたトリノ・オートショーに展示されたTP400です。TP400はミウラという名前も付けられておらず、ボディのないシャーシにV型12気筒エンジンをミッドシップに横置きしたコンセプトモデルでした。

 日本では1970年代のスーパーカーブームで人気となりました。池沢さとし先生の「サーキットの狼」では主人公の風吹裕也のお姉さんの恋人でプロレーサーの飛鳥ミノルがミウラに乗っていました。

 次の写真はトミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラです。これは現在は中古品でしか手に入りません。

トミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラ
トミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラ

 こちらは入手可能です。

トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV ランボルギーニ ミウラS 黄緑 完成品 318880

 

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2023年10月10日 (火)

トミカの日産スカイライン

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 スカイラインは1957年にプリンス自動車工業が製造・販売を開始した乗用車です。プリンス自動車工業は1966年に日産自動車と合併し、以降は日産自動車がスカイラインの製造・販売しています。

 タカラトミーのトミカのスカイランを買ってきました。17番が1972年に発売された4代目スカイラインC110型の2000GTです。ケンメリ、ヨンメリなどの愛称で呼ばれました。26番は1989年にj発売された8代目スカイラインR32型のGT-Rです。16年ぶりのGT-Rグレードの復活でした。34番は1968年に発売された3代目スカイラインC10型のGT-Rです。ハコスカの愛称で呼ばれました。

トミカのスカイライン
トミカのスカイライン

 

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2023年10月 3日 (火)

ポルシェ・ボクスター987型

 ポルシェ・ボクスターはドイツの自動車メーカーのポルシェのロードスターです。初代ボクスターは1996年にリリースされました。ボクスターは2人乗りのオープンカーです。ミッドシップに水平対向6気筒エンジンを搭載しており、水平対向エンジンを意味するボクサーとロードスターを組み合わせてボクスターと名付けられました。

 写真は2004年に発表された第二世代のポルシェ・ボクスター987型です。2010年にスイスで撮影したものです。987型は997型911とともに開発発され多くの部品が共有化されました。シャシーは前モデルの986型と同じすが、ヘッドライトの形状が変更となりました。987型ボクスターは2005年に発表されたポルシェ・ケイマンのベースとなりました。ケイマンはクーペですがボクスターとよく似ています。

ポルシェ・ボクスター987型
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2023年9月 9日 (土)

【おもしろ映像】米国の国家を奏でるF1カー

 2012年に5年ぶりにF1世界選手権レースのアメリカグランプリが米国テキサス州オースティンで開催されました。このとき参戦したレッドブルのチームがF1のエンジンでアメリカ合衆国の国家を奏でるパフォーマンスを行いました。

Red Bull Racing F1 Car Plays The Star-Spangled Banner

 チームのメカニックがエンジンの出力を調整するコンピュータプログラムを使ってエンジン音を変化させることにより合衆国国家のメロディーを奏でています。

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マルボロマクラーレン M23フォード

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2023年7月28日 (金)

Good Yearのチャンピオンキャップ

 現在、F1のタイヤはピレリが供給していますが、ピレリは1950年代にもF1にタイヤを供給していました。この時代はダンロップなど複数のタイヤメーカーが参入していました。1960年代になるとダンロップが独占状態になりましたが、1964年から米国のグッドイヤーがタイヤを履いたチームが参戦し、これをきっかけとして翌1965年からグッドイヤーがホンダやブラバムにタイヤを供給するようになりました。1965年の最終戦となった第10戦メキシコGPでホンダのRA272が初優勝したことで、これがグッドイヤーの初優勝になりました。グッドイヤーの368勝の歴史の始まを飾ったのは日本のホンダだったのです。その後、複数のメーカーが参戦しますがグッドイヤーが独占状態となりました。

 自分がF1を見るようになったのは1970年代半ばです。 F1世界選手権の日本開催のきっかけ1974年11月23日に富士グランチャンピオンレース最終戦のイベントとして行われた5台のF1による20周のデモンストレーション走行でした。この2年後の1976年10月22日から10月24日にかけて富士スピードウェイで日本初のF1世界選手権となる「1976年F1世界選手権イン・ジャパン」が開催されました。このレースは1976年のF1世界選手権第16戦として開催されました。1977年10月23日に富士スピードウェイで1977年F1世界選手権第17戦目となる決勝レースが開催されました。このレースでは大事故が発生し、以降のF1日本開催は中止となりました。

 マルボロマクラーレン M23フォード 

 当時F1のメカニックがかぶっていたグッドイヤーの帽子がかっこ良くてどこかで売っていないかと友達と探しました。するとグッドイヤーのタイヤを販売しているガソリンスタンドで売っていることがわかり買いに行きました。当時の価格で2000円ぐらいだったように思います。このグッドイヤーの帽子はチャンピオンキャップではなく、スタッフがかぶっているつばに刺繍のない帽子です。この帽子は10年ぐらい使っていたのですがボロボロになってしまいました。

つばに刺繍のないGood Yearの帽子
つばに刺繍のないGood Yearの帽子

 ちょうどその頃F1の日本開催の気運が高まり1987年にF1世界選手権第15戦日本GPが開催されました。再びグッドイヤーの帽子を探して帽子屋さんやガソリンスタンドを回ったのですが、見つけることはできませんでした。結局、帽子が手に入ったのは1990年代に鈴鹿サーキットに行ったときです。つばに刺繍のないものを探しましたが見つからず、チャンピオンキャップを買いました。この帽子も長くかぶっていますが、すっかり色あせてしまいました。ジョギングのときにかぶっています。ジョギングの後に水で洗うのですが、そのときだけかつての色が蘇ります。

Good Yearのチャンピオンキャップ
Good Yearのチャンピオンキャップ


 グッドイヤーは1998年にブリジストンが年間王者となるとF1から撤退しました。この帽子も姿を消しました。

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