カテゴリー「自動車」の32件の記事

2023年11月 7日 (火)

ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)

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 ずいぶん前に北海道千歳市で撮影した2ドアクーペのポルシェ911カレラの写真です。このモデルは1989年から1993年にかけて製造・販売された911の3代目モデルのポルシェ964です。

ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)
ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)(2005年6月撮影)

人気の高い911の後継モデルを開発するにあたり顧客の様々な要求に応える必要がありましたが、911の人気はそのデザインにありました。そこで964は930のデザインを踏襲しながら全体の80%のパーツを新規に製作しました。964のエンジンは空冷水平対向6気筒で排気量3,600 cc、最高出力250馬力、ターボ仕様のものは320馬力です。964には4WDのカレラ4と2WDのカレラ2があります。

 次の写真はポルシェ911ターボ(ポルシェ930)のミニカーです。

ポルシェ911ターボ(ポルシェ930)
ポルシェ911ターボ(ポルシェ930)

【関連記事】ポルシェ964(ポルシェ911カレラ)

ポルシェ・ボクスター987型

ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura)

ポンティアック・ファイヤーバード1968(Pontiac Firebird 1968)

ルパン三世の愛車「メルセデス・ベンツ・SSK」

トミカの日産スカイライン

ロータス・ヨーロッパ

スーパーカー全国縦断フェスティバル(1977年)|カウンタックLP-400

ロールス・ロイス社の創業(1906年3月15日)

快進社創立(1911年7月1日)

東京モーターショーの始まり(1954年4月20日)|自動車産業展示会 と第1回全日本自動車ショウ

スバル360発表(1958年3月3日)

日産自動車フェアレディZを発表(1969年10月18日)

HOND CVCCエンジンを開発(1972年10月11日)

 

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2023年10月28日 (土)

ルパン三世の愛車「メルセデス・ベンツ・SSK」

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 メルセデス・ベンツ・SSK(W06 II / W06 III / WS06)はダイムラー・ベンツが1928年から製造・販売した自動車です。当時、ダイムラー・ベンツに所属していたフェルディナント・ポルシェが同社を去る前に設計しました。

 ポルシェは自身が開発したSシリーズ・メルセデスベンツW06をもとにSSKを設計しました。SSKは Super Sport Kurzの略でKurzは「短い」という意味です。W06に比べてホイルベースが短縮され旋回性能向上と軽量化を実現しています。7.1リットル直列6気筒OHCスーパーチャジャー付きエンジンを搭載し最大250馬力を出すことができ最高速度190 kmに達し、レースでは敵なしでした。車体を短くしたため2座席のロードスターとして販売されました。当時の市販車としても最速の車両で、生産台数は33台とされています。

 メルセデス・ベンツ・SSKはルパン三世の愛車としても有名です。ルパン三世の第1シリーズ(1971~1972年)に登場します。次の写真はタカラトミー 『 トミカプレミアム unlimited 11 ルパン三世 メルセデスベンツ SSK 』です。

タカラトミー 『 トミカプレミアム unlimited 11 ルパン三世 メルセデスベンツ SSK 』

 

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2023年10月15日 (日)

ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura)

 ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura )はイタリアのアウトモービリ・ランボルギー社のV型12気筒エンジンをミッドシップに横置きした2シータークーペのスポーツカーです。流線形をしたミウラのデザインはベルトーネ社のマルチェロ・ガンディーニが手掛けました。点灯時に浮き上がるポップアップ・ヘッドライトが特徴的でした。ミウラの名前はスペインの闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラに因み命名されました。

ランボルギーニ・ミウラS
ランボルギーニ・ミウラS

 ミウラは1966年3月にスイスのジュネーヴで開催されたサロン・アンテルナショナル・ド・ロト(ジュネーヴ国際モーターショー)でP400が発表され同年から1973年までの7年間に759台(747台という説もある)生産されました。発表時の仕様では350馬力、980kg、最高速度300km/hとなっています。当時、実際に計測された最高速度で残っているデータはミウラSで278km/hです。

 ミウラの原型は1965年11月にイタリアのトリノで開催されたトリノ・オートショーに展示されたTP400です。TP400はミウラという名前も付けられておらず、ボディのないシャーシにV型12気筒エンジンをミッドシップに横置きしたコンセプトモデルでした。

 日本では1970年代のスーパーカーブームで人気となりました。池沢さとし先生の「サーキットの狼」では主人公の風吹裕也のお姉さんの恋人でプロレーサーの飛鳥ミノルがミウラに乗っていました。

 次の写真はトミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラです。これは現在は中古品でしか手に入りません。

トミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラ
トミカミュージアム M-15 ランボルギーニミウラ

 こちらは入手可能です。

トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV ランボルギーニ ミウラS 黄緑 完成品 318880

 

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2023年10月10日 (火)

トミカの日産スカイライン

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 スカイラインは1957年にプリンス自動車工業が製造・販売を開始した乗用車です。プリンス自動車工業は1966年に日産自動車と合併し、以降は日産自動車がスカイラインの製造・販売しています。

 タカラトミーのトミカのスカイランを買ってきました。17番が1972年に発売された4代目スカイラインC110型の2000GTです。ケンメリ、ヨンメリなどの愛称で呼ばれました。26番は1989年にj発売された8代目スカイラインR32型のGT-Rです。16年ぶりのGT-Rグレードの復活でした。34番は1968年に発売された3代目スカイラインC10型のGT-Rです。ハコスカの愛称で呼ばれました。

トミカのスカイライン
トミカのスカイライン

 

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2023年10月 3日 (火)

ポルシェ・ボクスター987型

 ポルシェ・ボクスターはドイツの自動車メーカーのポルシェのロードスターです。初代ボクスターは1996年にリリースされました。ボクスターは2人乗りのオープンカーです。ミッドシップに水平対向6気筒エンジンを搭載しており、水平対向エンジンを意味するボクサーとロードスターを組み合わせてボクスターと名付けられました。

 写真は2004年に発表された第二世代のポルシェ・ボクスター987型です。2010年にスイスで撮影したものです。987型は997型911とともに開発発され多くの部品が共有化されました。シャシーは前モデルの986型と同じすが、ヘッドライトの形状が変更となりました。987型ボクスターは2005年に発表されたポルシェ・ケイマンのベースとなりました。ケイマンはクーペですがボクスターとよく似ています。

ポルシェ・ボクスター987型
ポルシェ・ボクスター987型

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2023年9月 9日 (土)

【おもしろ映像】米国の国家を奏でるF1カー

 2012年に5年ぶりにF1世界選手権レースのアメリカグランプリが米国テキサス州オースティンで開催されました。このとき参戦したレッドブルのチームがF1のエンジンでアメリカ合衆国の国家を奏でるパフォーマンスを行いました。

Red Bull Racing F1 Car Plays The Star-Spangled Banner

 チームのメカニックがエンジンの出力を調整するコンピュータプログラムを使ってエンジン音を変化させることにより合衆国国家のメロディーを奏でています。

【関連記事】【おもしろ映像】米国の国家を奏でるF1カー

マルボロマクラーレン M23フォード

第1回インディアナポリス500マイルレース開催(1911年5月30日)

第1回全国自動車競走大会の開催(1936年6月7日)

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2023年7月28日 (金)

Good Yearのチャンピオンキャップ

 現在、F1のタイヤはピレリが供給していますが、ピレリは1950年代にもF1にタイヤを供給していました。この時代はダンロップなど複数のタイヤメーカーが参入していました。1960年代になるとダンロップが独占状態になりましたが、1964年から米国のグッドイヤーがタイヤを履いたチームが参戦し、これをきっかけとして翌1965年からグッドイヤーがホンダやブラバムにタイヤを供給するようになりました。1965年の最終戦となった第10戦メキシコGPでホンダのRA272が初優勝したことで、これがグッドイヤーの初優勝になりました。グッドイヤーの368勝の歴史の始まを飾ったのは日本のホンダだったのです。その後、複数のメーカーが参戦しますがグッドイヤーが独占状態となりました。

 自分がF1を見るようになったのは1970年代半ばです。 F1世界選手権の日本開催のきっかけ1974年11月23日に富士グランチャンピオンレース最終戦のイベントとして行われた5台のF1による20周のデモンストレーション走行でした。この2年後の1976年10月22日から10月24日にかけて富士スピードウェイで日本初のF1世界選手権となる「1976年F1世界選手権イン・ジャパン」が開催されました。このレースは1976年のF1世界選手権第16戦として開催されました。1977年10月23日に富士スピードウェイで1977年F1世界選手権第17戦目となる決勝レースが開催されました。このレースでは大事故が発生し、以降のF1日本開催は中止となりました。

 マルボロマクラーレン M23フォード 

 当時F1のメカニックがかぶっていたグッドイヤーの帽子がかっこ良くてどこかで売っていないかと友達と探しました。するとグッドイヤーのタイヤを販売しているガソリンスタンドで売っていることがわかり買いに行きました。当時の価格で2000円ぐらいだったように思います。このグッドイヤーの帽子はチャンピオンキャップではなく、スタッフがかぶっているつばに刺繍のない帽子です。この帽子は10年ぐらい使っていたのですがボロボロになってしまいました。

つばに刺繍のないGood Yearの帽子
つばに刺繍のないGood Yearの帽子

 ちょうどその頃F1の日本開催の気運が高まり1987年にF1世界選手権第15戦日本GPが開催されました。再びグッドイヤーの帽子を探して帽子屋さんやガソリンスタンドを回ったのですが、見つけることはできませんでした。結局、帽子が手に入ったのは1990年代に鈴鹿サーキットに行ったときです。つばに刺繍のないものを探しましたが見つからず、チャンピオンキャップを買いました。この帽子も長くかぶっていますが、すっかり色あせてしまいました。ジョギングのときにかぶっています。ジョギングの後に水で洗うのですが、そのときだけかつての色が蘇ります。

Good Yearのチャンピオンキャップ
Good Yearのチャンピオンキャップ


 グッドイヤーは1998年にブリジストンが年間王者となるとF1から撤退しました。この帽子も姿を消しました。

【関連記事】Good Yearのチャンピオンキャップ

マルボロマクラーレン M23フォード

第1回インディアナポリス500マイルレース開催(1911年5月30日)

第1回全国自動車競走大会の開催(1936年6月7日)

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2023年5月30日 (火)

第1回インディアナポリス500マイルレース開催(1911年5月30日)

 インディアナポリス500は米国インディアナ州のインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催される自動車レースです。モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースとして知られています。このレースは500マイル(約800 km)を走り、33台のマシンが参加します。オーバルトラックの最高速度は380 km/hにも達します3。

 インディアナポリス・モーター・スピードウェイは砂利とタールのコースとして1909年に建設されました。当初はオートバイレースなどの小規模なイベントが行われましたが、長距離レースが行われるようになりました。多くの観客が集まったことからコースはレンガで舗装されました。イベントに多くの観客が訪れましたが間もなく人気は下火となり観客数が減り始めました。そこで特徴のある単一のレースを開催することになり、当時の時速120 kmのレースカーで朝スタートして日が暮れるまでに完走できる500マイル(800 km)のレースを開催することになりました。 

 最初のインディアナポリス500は1911年5月30日に開催されました。エンジンの最大サイズは600立方インチ(9,800cc)でした。第1回の優勝者はマーモンモデル32を駆るレイ・ハルーンでした。平均速度は74.602マイル/時(120 km/h)でした。レースのルールではレーサーの他にライディングメカニックが同乗する必要がありましたが、レイ・ハルーンはバック・ミラーを装着したマーモンで単独で走行しました。ルール違反が指摘されましたが最終的には認められ、これが世界初のバックミラーを装着したレーシングカーによるレースとなりました。

1912年インディアナポリス500で優勝者ジョー・ドーソン(ナショナル)
1912年インディアナポリス500で優勝者ジョー・ドーソン(ナショナル)

 インディアナポリス500の平均速度は約360 km/hで最高速度は380km/hになります。この速度は周回レースの速度としては最も速く、F1レースの最高速度372.4 km/hを上回ります。単純な周回レースのように見ますが33台のマシンがテール・トゥー・ノーズでかつタイヤが接触しそうなサイドバイサイドで競い合う激しいレースです。

 このレースに初めて参戦した日本人ドライバーはヒロ松下で1990年のことです。その後、佐藤琢磨、中嶋一貴、小林可夢偉などの日本人ドライバーが参戦しています。とりわけ佐藤琢磨は2017年と2020年に2回の優勝を果たしています。

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2023年5月 7日 (日)

日本初の純国産蒸気自動車の試運転(1904年5月7日)

 世界初の実用的なガソリン自動車が発明されたのは1885年にベンツが開発した3輪自動車です。その4年後の明治31(1898年)、日本に初めて自動車がやってきました。この自動車はフランスから輸入した「パナール・ルヴァッソール」というガソリン自動車でした。輸入されたのはわずかな台数だったので人々の目に触れることはありませんでした。

 日本で国産自動車が開発されるようになったのは20世紀に入ってからです。明治36年(1903年)に大阪天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会でアメリカ製の8台の自動車が注目を受けました。

 この博覧会で初めて自動車を目にした岡山の資産家の森房造と楠木健太郎は自動車が魅了されました。しかし、当時の輸入自動車の価格は9千円もしたのです。この頃の日本の公務員の初任給は8〜9円ぐらいで1円は現在の2万円以上の価値がありました。当時の9000円は数億円に相当したのです。資産家とは言え簡単に買えるものではありませんでした。

 そこで森と楠木は国産自動車を開発し岡山で馬車の代わりにバスを走らせようと考えました。国内には自動車を製造する会社は存在していませんでしたから、自動車を開発できる能力がありそうな技技術者を探しまた。そして、官民で電気や機械の経験を積んだ後に岡山に戻り電気器具、動力用蒸気機関、発電機の修理製造をしていた山羽電気工場の山羽虎夫に自動車の製作を依頼しました。山羽は自動車技術の知識や経験がありませんでしたが自動車開発に興味を持ち着手することにしました。

 山羽は神戸で輸入会社をしていた兄の元を訪れ自動車開発について相談しました。その会社は自動車の輸入販売も手がけており、山羽が訪れたときに2台の輸入自動車がありました。山羽はイタリア人の自動車技術を紹介され、実物の自動車を見ながらその仕組みを学ぶことができました。岡山に戻った山羽は自動車に関する文献を読み自動車の研究開発を進めました。そして昭和36年(1903年)9月に全長4.55メートルの10人乗りの蒸気自動車の設計を始めました。ボディはケヤキを使った木製でした。2気筒の蒸気式エンジンがミッド・シップで配置され後輪の車軸をチェーンで駆動する構造になっていました。タイヤは空気入りのものを作ることができずゴムを使いました。そして、明治37年(1904年)4月に純国産としては日本初の自動車「山羽式蒸気自動車」が完成しました。

 「山羽式蒸気自動車」の試運転が行われたのは同年5月7日です。山根の会社近くから森の家までの10 kmがコースとして選ばれました。沿道でたくさんの人々が見守る中、「山羽式蒸気自動車」のエンジンは順調にスタートし時速15 km程度で走行を始めました。しばらく走行するとタイヤを取り付けるボルトが膨れタイヤのゴムが外れたり、タイヤが変形したりしました。修理をしながら走行したと伝えられていますが目的地にたどり着くことができたかどうかは諸説あるようです。当時の技術では国産の実用的なタイヤを開発する目処が立たず、また資金調達ができなくなったことから前年ながら「山羽式蒸気自動車」の開発は中止となりました。

日本初の国産自動車 山羽式蒸気自動車のレプリカが118年前の試走ルートをたどる【岡山】

 山根はこの経験から明治42年(1909年)にガソリンエンジンを開発し、これを改造した自転車の取り付けた自動二輪車の製造・販売を行いました。

【関連記事】日本初の純国産蒸気自動車の試運転(1954年5月7日)

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快進社創立(1911年7月1日)

タクシーの日(1912年8月5日)

バスガールの日(1920年2月2日)

円太郎バス走る|都バスの日 (大正13年 1924年1月18日)

個人タクシーの日(1959年12月3日)

第1回全国自動車競走大会の開催(1936年6月7日)

都内観光バス「はとバス」運行開始(1949年3月19日)

スバル360発表(1958年3月3日)

日産自動車フェアレディZを発表(1969年10月18日)

スーパーカー全国縦断フェスティバル(1977年)|カウンタックLP-400

ホンダのスーパーカブの生産台数が1億台に(2017年10月19日)

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2023年4月20日 (木)

東京モーターショーの始まり(1954年4月20日)|自動車産業展示会 と第1回全日本自動車ショウ

 「東京モーターショー」は日本自動車工業会が主催する自動車展示会です。世界中の自動車メーカーが集まり新車や自動車に関する最新技術やデザインを紹介する見本市です。その規模は世界最大級で「車の祭典」とも呼ばれています。

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 「東京モーターショー」は1954年4月20日~29日まで日比谷公園で「第1回全日本自動車ショウ」として開催されました。この「第1回全日本自動車ショウ」が開催されたきっかけは約1年前の1953年5月14日から17日まで上野恩賜公園で開催された「自動車産業展示会」に遡ります。

 世界で初めて発明された実用的なガソリン自動車は1885年にベンツが開発した3輪自動車でした。日本に自動車がやって来たのは明治31年(1898年)です。これはフランスから輸入した「パナール・ルヴァッソール」というガソリン自動車でしたが、わずかな台数しか輸入されなかったので人々の目に触れることはありませんでした。

 明治36年(1903年)に大阪天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会でアメリカ製の8台の自動車が出展され注目を受けました。これをきっかけに日本で国産自動車の開発の機運が高まりました。様々な国産自動車が開発されましたが、アメリカ製の自動車は当時既に量産体制が整っていました。アメリカのフォード・モーター社が大正14年(1925年)に横浜に工場、ゼネラルモーターズ社が昭和2年(1927年)に大阪に工場を設立してノックダウン生産を開始すると、両者は瞬く間に日本の自動車市場を席巻しました。このような状況のもと日本の自動車メーカーも優れた国産自動車を独自に開発するべく研究を重ねました。

 第二次世界大戦に向けて日米関係が悪化するとフォードとGMは日本から撤退を余儀なくされ、日本の自動車会社にチャンスが回ってきました。戦時中は日本の自動車会社が軍用車の開発製造を手がけたこともあり国産自動車の技術は高まりました。しかし、日本が第二次世界大戦に負けると、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は自動車の生産を禁止としたのです。再び自動車の生産が許可されると日本政府は経済復興のために国産自動車の生産を促しました。欧州の自動車会社と連携して自動車の開発製造をしたり、独自に自動車の開発製造が行われるようになりました。こうして国産自動車は息を吹き返したのです。

 昭和28年(1953年)に開催された「自動車産業展示会 」は大正12年(1923年)の関東大震災後に都電に替わって活躍したバス事業の
50周年を記念して日本乗合自動車協会が主催したものです。この「自動車産業展示会 」を開催するにあたって尽力したのが1951年に自動車会社の親睦と情報交換を目的として日産自動車、トヨタ自販、いすゞ自動車、日野ヂーゼル工業、民生デイゼル工業、三菱ふそうの6社の宣伝担当者が発足させた「六日会」でした。「六日会」のメンバーは競合各社の垣根を取り払い自動車会社が強力して世界に通じるモーターショーの開催をめざしました。

 「自動車産業展示会 」にはバスやトラックが主体の見本市でしたがトヨペットやプリンスの乗用車も展示されました。この展示会がモーターショーの開催の機運が高まり翌昭和29年(1954年)4月20日に「全日本自動車ショウ」が開催され自動車メーカー8社を含む自動車産業に関わる254社が参加したのです。展示された車両は267台、トラックなどの商用車やオートバイが主体の展示となりましたが、17台の乗用車が展示されました。当時は一般庶民が自動車を所有できる時代ではありませんでしたが10日間の開催で54万7000人が来場したのです。

 昭和39年(1964年)の第11回(1964年)に「東京モーターショー」と名称が変更され本格的な国際モーターショーを目指すことになりました。昭和48年(1973年)の第20回まで毎年開催されましたが昭和49年(1974年)はオイルショックで中止、昭和50年(1975年)の第21回以降は隔年の開催となりました。

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