カテゴリー「科学・技術」の59件の記事

2022年9月 7日 (水)

CMソングの日(1951年9月7日)

 日本で民間企業によるラジオ放送が行われたのは大正13年(1924年)です。大阪朝日新聞による昭和天皇の御成婚奉祝式典、大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継などが行われました。このときは放送局はなく未だ実験的な放送でした。

 ラジオ放送の必要性が高まってきたことから逓信省は1923年末に放送用私設無線電話規則を制定しました。これによってラジオ放送の免許制度が整えられ東京・名古屋・大阪で公益法人によるラジオ放送が許可されることになりました。そして大正14年(1925年)に東京放送局、大阪放送局、名古屋放送局の社団法人が設立されました。これらの社団法人はのちの日本放送協会で、それぞれNHK放送センター、NHK大阪放送局、NHK名古屋放送局となりますた。これによって民間放送の設置が制限されることになりました。この体制は第二次世界大戦後まで続きました。戦争直後GHQも日本国内のラジオ放送をNHK独占として民間の参入を制限しました。

 民間のラジオ放送局の設置が認められるようになったのは昭和25年(1950年)です。昭和26年(1951年)9月1日に愛知県の中部日本放送(CBC、現:CBCラジオ)と大阪府の新日本放送(NJB、現:毎日放送)が日本で初めてのラジオ放送を開始しました。CBCで放送された「服飾講座」は名古屋の複数の洋品店が提供する日本で初めてのスポンサー提供番組となりました。

 同年9月7日にCBCとNJBで小西六写真工業株式会社(現:コニカミノルタ株式会社)の「冗談ウエスタン」が始まり、日本で初めてのCMソングが流れました。このCMソングは同社の「サクラフィルム」を宣伝する目的で作られた灰田勝彦さんが歌う「ボクはアマチュアカメラマン」という曲です。

日本初のCMソングを歌った灰田勝彦さん
日本初のCMソングを歌った灰田勝彦さん

 この曲は「ぼくは特急の機関車で」の三木鶏郎の作詞・作曲したものですが歌詞には会社名も製品名も含まれていませんでした。

僕はアマチュアカメラマン 灰田勝彦

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2022年9月 2日 (金)

図解入門よくわかる最新プラスチックの仕組みとはたらき[第4版]

図解入門よくわかる最新プラスチックの仕組みとはたらき[第4版]

秀和システム 桑嶋幹・木原伸浩・工藤保広

 久しぶりに書籍の紹介です。この本は書籍としては新刊ですが、初版2005年7月、第2版2011年9月、第3版2019年9月と内容が更新され続けています。今回出版されたのは第4版です。

 ここ数年でプラスチックを取り巻く環境は大きく変化しています。プラスチックの自然環境や資源問題への影響が注目され、新たな法整備も進みました。

 この本はプラスチックの基礎(第1章)・合成(第2章)・用途(第3章、第4章)・新技術(第5章)・環境問題(第6章)について最新の情報が網羅されている入門書です。プラスチックの合成方法の解説では難しい化学式を使わずに様々な重合を解説しています。プラスチックの利用や環境問題に関わる統計データも最新のものに更新されています。

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 私たちの身の回りには、日用品や家電品、自動車や飛行機などプラスチックが使われているものがたくさんあります。ところがプラスチックをどうやって作るのかなどその詳細は、あまり知られていません。本書は、プラスチック(合成樹脂)の種類や特性、用途などをやさしく解説した入門書の第4版です。新しく施行された「プラスチック資源循環促進法」やSDGsに対応した、新しい生産・分解技術についての解説を追加しました。


目次

はじめに

第1章 プラスチックとは何か

1-01 プラスチックを探してみよう
1-02 そもそもプラスチックとは
1-03 人類とプラスチックの関わり合い
1-04 プラスチックの発展(合成樹脂の利用)
1-05 プラスチックはどのような物質か
1-06 プラスチックの種類と性質
1-07 プラスチックの見分け方(用途や品質表示)
1-08 プラスチックの見分け方(化学分析)
1-09 広がるプラスチックの利用

第2章プラスチックができるまで

2-01 プラスチックのもと(モノマーとポリマー)
2-02 手をつなぎ変えながら伸びていく重合(付加重合) 
2-03 手をつないで伸びていく重合(縮合重合)
2-04 どうすれば長くなるか
2-05 プラスチックの性質を決める(分子間相互作用の重要性)
2-06 2種類以上のモノマーやポリマーを使う(共重合とポリマーアロイ)
2-07 プラスチックに形を与える(成型)
2-08 熱による成型方法いろいろ
2-09 融けないプラスチックを作る(架橋)
2-10 ゴムとエラストマー
2-11 樹脂
2-12 プラスチックの大部分はプラスチックではない!
2-13 発泡体

第3章 私たちの暮らしとプラスチック

3-01 家庭用品には汎用樹脂が活躍
3-02 文具では用途に合わせて様々な素材が活躍
3-03 家電製品はメンテナンスが少なくてすむ素材が活躍
3-04 包装はプラスチックの最も大きな利用先 
3-05 衣料には適度な強度と肌触りが大事(合成繊維)
3-06 軽くて高機能なメガネ、コンタクトレンズ
3-07 錆びない材料で維持しやすい住居
3-08 スポーツ、レジャーでは軽くて強い素材が活躍
3-09 子どもが安心して遊べる素材を
3-10 携帯電話、スマホ、タブレットにもプラスチックを幅広く活用

第4章 産業で活躍するプラスチック

4-01 自動車では内装からエンジンルームまで幅広く使用
4-02 鉄道車両とプラスチック
4-03 駆体は鋼板から繊維強化プラスチックへ(船舶、航空機)
4-04 スポーツ施設で活躍するプラスチック
4-05 実は軽くて強い発泡スチロール(土木) 
4-06 季節に関わらず様々な食材を得るために(農業、水産業)
4-07 風雨などから素材を守る(塗料)
4-08 飛行機の構造材から付箋紙まで様々なものを結ぶ(接着剤)
4-09 自然エネルギー利用で活躍するプラスチック(風力発電、太陽光発電)
4-10 電子回路を使用した製品で活躍するプラスチック
4-11 医療用器具で幅広く使用されるプラスチック

第5章 進化するプラスチック

5-01 光とプラスチック(透明性と光応答性)
5-02 音とプラスチック(防音と発音)
5-03 包装を変えたプラスチック(食品はもう腐らない)
5-04 医療を変えたプラスチック(衛生と生体適合性)
5-05 微生物や光で分解するプラスチック(分解性材料)
5-06 プラスチックによる構造材料(強力なだけではなく)
5-07 電気と磁気とエネルギーとプラスチック
5-08 薄皮 1 枚で分ける(膜分離)
5-09 プラスチックを印刷する(3D プリンター)

第6章 プラスチックの課題と私たちの生活

6-01 プラスチックがもたらすもの
6-02 プラスチックの安全性
6-03 プラスチックと資源問題
6-04 プラスチックと環境問題
6-05 プラスチックとごみ問題
6-06 プラスチックのリサイクル
6-07 容器包装リサイクル法とは
6-08 ペットボトルのリサイクル
6-09 科学と技術でプラスチックの課題を解決することができるか 
6-10 持続可能な社会とは
6-11 心豊かで快適な暮らしを続けるために

索引 
参考文献

コラム

・目的によって作り出される複合材料
・高分子の概念を提唱したヘルマン・シュタウディンガー
・レゾール型とノボラック型のフェノール樹脂
・赤外分光法 
・超高分子量ポリエチレンとゲル紡糸法
・ポリマーアロイがもたらしたエンジニアリングプラスチック、PPE
・アクリルとは
・架橋と紙おむつ
・フッ素樹脂で加工した調理器具
・プラスチックと金属の表面の違い
・不織布マスクにもプラスチックが活用されています
・プラスチックボディの車?旧東ドイツのトラバント 
・接着剤による接着の仕組み
・太陽電池(PN 接合型太陽電池と色素増感太陽電池)
・高分子圧電材料
・プラスチックによる電線の被覆
・インテリジェント材料
・レジ袋に使われている原油の量
・洗濯バサミがバラバラに崩れる理由は?
・二酸化炭素からプラスチックの合成
・ゴミ収集車
・有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約 
・生分解性プラスチックは環境にやさしいと言えるか? 

出版社 :秀和システム; 第4版 (2022/8/31)
発売日 :2022/8/31
言語  :日本語
単行本 :318ページ
ISBN-10:4798068292
ISBN-13:978-4798068299
寸法  :14.8 x 2.3 x 21 cm

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2022年9月 1日 (木)

沈没したタイタニック号を発見(1985年9月1日)

 イギリスの豪華客船タイタニック号が氷山に衝突したのは1912年4月14日午後12時前です。不沈船とも呼ばれたタイタニック号でしたがこの衝突事故によりわずか2時間40分後の15日午前2時20分に真ん中から折れるように割れて沈没しました。

 タイタニック号が氷山に衝突したのは北大西洋のニューファンドランド沖です。タイタニックはマルコーニ国際海洋通信会社規定の遭難信号CQDや国際条約による遭難信号を発し近く航行する船舶に救助を求めましたが救助の船が到着したのはタイタニック号が沈没してから2時間40分後のことでした。

 タイタニック号が沈没した場所はわかっていましたが同船が発見されたのは沈没から73年後の1985年です。米国の海洋学者ロバート・デュアン・バラードが率いるウッズホール海洋研究所およびフランス国立海洋開発研究所の合同調査チームが同年9月1日に海底3,650メートルに佇むタイタニック号の残骸を発見しました。2004年6月にはタイタニック号の損傷状態が詳しく調べられ、タイタニック国際保護条約が成立しました。

ロバート・バラードと沈没したタイタニック号の船首
ロバート・バラードと沈没したタイタニック号の船首

 2つに折れて沈没したタイタニック号は確かに船体が引きちぎられていましたが横転などはしておらず沈んでいました。沈没時の衝撃により多くのものが失われたと考えられていましたが、上記の写真のように船首部分の手すりは残っており、また船内の内装備品も当時のままの状態になっていることがわかりました。少なくても船の前方は緩やかに沈んだと考えられています。一方、船の後方部分はほとんどが吹き飛んでいました。

 通常、深海ではバクテリアによる船体の損傷が少ないため多くの遺物がそのまま残されていると考えられていましたが、この海域は水温が高く船体の損傷が進んでいました。このまま損傷が進めば2100年頃には船体が崩壊すると考えられています。

【関連記事】沈没したタイタニック号を発見(1985年9月1日)

タイタニック号が氷山に衝突(1912年04月14日)

豪華客船オリンピック号がUボートを撃沈(1918年5月12)

青函連絡船「洞爺丸」沈没(1954年9月26日)

タイタニック (字幕版) 

1997年。ジェームズ・キャメロン監督。レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット出演

1997

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2022年7月 2日 (土)

蒸気機関の特許取得(1698年7月2日)

 蒸気機関の発明というとイギリスのトマス・ニューコメンやジェームズ・ワットが有名ですが商業的に実用可能な蒸気機関を世界で初めて発明したのはイギリスのトマス・セイヴァリです。

 蒸気機関の原型となるものは紀元1世紀頃の古代レクサンドリアの工学者・数学者ヘロンがアイオロスの球(ヘロンの蒸気機関)を考案しています。アイオロスの球は球体や円柱の容器に軸をつけて回転するようにしたものです。球体や円柱に複数のノズルがついており、そこから蒸気を噴き出しながら回転するもので蒸気タービンの原型のようなものでした。この措置が実際に動力として使われたかどうかはわかりませんが科学的な展示物として作られたと考えられています。

 1600年代末にイギリスで活躍したフランスの物理学者ドニ・パパンはゲーリケのマクデブルクの半球を参考に1690年に水の蒸気の凝縮現象を利用して真空を作り出し大気差を利用してピストンを動かす装置の模型を製作しました。蒸気圧を利用した蒸気機関とは異なりますが、圧力差でピストンを動かすアイデアはその後に発明された蒸気機関の原型と言っても良いでしょう。また、この装置はピストンを収納しているシリンダーを火で加熱し水をかけて冷却する必要があったため実用的なものではありませんでした。

 世界で初めて実用的な商用蒸気機関を発明したのはイギリスのトマス・セイヴァリです。セイヴァリは1968年に「火の機関」と名付けた蒸気機関を開発しました。同年、国王ウィリアム3世を前にした実験に成功し7月2日に特許を取得しました。翌1699年6月14日には王立協会で実演を成功させています。

 セイヴァリの特許「火力によって揚水する装置」には詳細な説明は記載されていませんでしたが、1702年に出版した著書「鉱夫の友;または火で揚水する機械」で装置の仕組みや使い方などについて説明しています。「火の機関」は蒸気の凝縮による負圧で配管から容器に吸い上げた水を蒸気圧で別の配管から圧し出す仕組みでした。

セイヴァリとセイヴァリの蒸気機関
セイヴァリとセイヴァリの蒸気機関

 セイヴァリは著書の中で鉱山の排水などの用途を掲げていましたが、効率が悪かったため水を汲み上げられる高さ(揚程)が低く組み上げられる水の量も少なかっため用途は簡単な組み上げポンプに限られました。しかしながらセイヴァリの特許は極めて広い請求範囲であったためその後の蒸気機関の開発に影響しました。特許の期限も14年から21年に延長されたためトマス・ニューコメンが開発した蒸気機関もセイヴァリの特許を利用する必要がありました。

【関連記事】

世界初の蒸気機関車の試運転(1804年2月21日)

スティーブンソンが蒸気機関車の試運転に成功(1814年7月25日)

【おもしろ映像】スケルトンな蒸気機関エンジン

 

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2022年6月30日 (木)

ロンドンのタワーブリッジが完成(1894年6月30日)

 世界一豪華な橋と言われるロンドンのタワーブリッジ。 

 19世後半のイギリス。イーストロンドンの商業開発が進みさらなる発展のためテムズ川にかかるロンドン橋の下流に新たに橋を建設することになりました。しかし、ロンドン橋とロンドン塔の間にはプール・オブ・ロンドンの港湾施設が存在するため通常の橋では船舶の妨げになることが問題となりました。さまざまな橋が提案されましたが問題を解決できるようなデザインの橋はありませんでした。

 橋の設計が承認されたのは跳開橋(ちょうかいきょう)の建設が決定する1884年のことでした。橋の建設にはエンジニアのジョン・ウルフ・バリーと建築家のサー・ホレス・ジョーンズが選ばれました。1885年に建設許可が降り、橋の開口部の幅61メートル、天井の高さが41メートルの橋とすることが法律で定められました。また橋のデザインはゴシック様式にすることになりました。

 バリーは2つの橋脚のそれぞれにタワーを持ち橋の中央が観音開きになる跳開橋を設計しました。これによって大型船が通行できるようにしました。タワーブリッジは1886年に着工され、8年後の1894年6月30日に完成しました。

 英国皇太子のアルバート・エドワード(後のイギリス国王、エドワード7世)と妻のアレクサンドラ・オブ・デンマーク(後の王妃、デンマーク国王クリスチャン9世の娘)によって、開通式が行われました。

ロンドンのタワーブリッジ(2002年撮影)
ロンドンのタワーブリッジ(橋を閉じているところ)

 開通当時、橋の稼働には蒸気機関が使われていました。跳開部の両端に水圧を掛けてシーソーの原理で橋を開閉するようになっていました。現在は電力を利用して橋を開閉しています。

ロンドンのタワーブリッジ(橋を開いているところ)
ロンドンのタワーブリッジ(橋を開いているところ)

【関連記事】

日本橋が石橋になる(1911年4月3日)

ゴールデン・ゲート・ブリッジが建設開始(1933年1月5日)

瀬戸大橋が開通(昭和63年 1988年4月10日)

レインボーブリッジの開通日(1993年8月26日)


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2022年6月 4日 (土)

熱気球の日(1783年6月4日)

 熱気球は球皮と呼ぶ袋にぶら下げられたゴンドラから熱した空気を送り込んで浮力を利用して飛行する気球です。

 熱気球の原理は簡単なため熱気球は古くから存在していたと考えられます。三国志で有名な諸葛亮が天灯(孔明灯)という熱気球の一種を発明していたという説があります。諸葛亮が平陽で司馬懿軍に包囲されたとき天灯を使って救援を要請したと伝えられています。天灯は大型の籠のような形をしていて情報を伝える紙が貼ってあったそうです。また1241年にモンゴル人が戦で通信手段として使ったという言い伝えや1709年にポルトガル人のバルトロメウ・デ・グスマンが熱気球の模型を飛ばしたという記録が残っています。しかし、これらの気球は小型のもので人が乗れるようなものではありませんでした。

 有人飛行が可能な熱気球を開発したのはフランスの兄ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエと弟ジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエのモンゴルフィエ兄弟です。最初に空を飛ぶことに興味をもったのは兄ジョセフでした。1715年にパラシュートのようなものを作り家から飛び降りたそうです。あるとき焚き火で干していた洗濯物が浮かび上がるように膨らんでいるのを見て熱気球を作ることを着想しました。

 当時は空気を温めると密度が低下することはわかっていませんでした。ジョセフは焚き火の煙と一緒に浮かび上がる火の粉や煤を見て煙の中に浮力をもつ特殊な気体があると考えました。そして、その気体を「モンゴルフィエガス」と名付け煙の出る燃料を使うことにしました。

 ジョセフは木材で1 m × 1 m × 1.3 m(3フィート×3フィート×4フィート)の箱を作り、上部と側面を軽い布で覆いました。箱の底に紙くずをおいて火をつけると箱が天井まで浮き上がりました。熱気球の模型の飛行試験に成功したのです。

 ジョセフはこの結果から兄弟を熱気球の制作に誘いました。これに賛同したのがジャックでした。さっそく2人はジョセフが作った模型の3倍の大きさの熱気球を制作しました。そして1782年12月14日、この熱気球の飛行テストを行いました。燃料には羊毛と干し草を使ったこの熱気球はあっという間に上昇しましたが浮力が想定より大きかったため制御することができなくなりました。熱気球は2 kmほど浮き上がった後に落下しましたが発見した人々が化け物が落ちてきたと怖がって破壊してしまいまいた。

 モンゴルフィエ兄弟は熱気球の発明を多くの人に知ってもらうため公開実験を計画しました。薄い3枚の紙で固めて補強した織物の亜麻布(リネン)で気球を作りました。4つの布袋を1800個のボタンで留めてひとつの大きな気球としました。そして補強のため全体を漁網で覆いました。気球の大きさは容量790立方メートル、重量225 kgにもなりました。

 1783年6月4日、フランス南東部の都市アノネーで公開実験を行いました。この公開実験には役人が招待されていました。飛行実験は見事に成功し、熱気球は1.6~2.0 kmほど上昇し距離2 kmほどを10分間で飛行しました。この飛行実験の成功はパリに伝えられました。ジャックはその後壁紙職人ジャン=バティスト・レヴェイヨンの協力を得て耐火性のある強度な気球を作り同年9月11日に飛行実験を行いました。

1783年6月4日の熱気球飛行実験とモンゴルフィエ兄弟(左:ジョセフ 右:ジャック)
1783年6月4日の熱気球飛行実験とモンゴルフィエ兄弟(左:ジョセフ 右:ジャック)

 ここまでの熱気球の飛行実験は無人で行われました。これは上空でヒトが呼吸ができるのか無事でいられるのかがわからなかったためです。やがて熱気球の飛行実験の成功が重なると有人飛行が注目されるようになりました。熱気球にいきなり人を乗せる案も出ましたがモンゴルフィエ兄弟はヒツジとアヒルとニワトリを乗せることにしました。そして同年9月19日、ベルサイユ宮殿でルイ16世とマリー・アントワネットと多くの群衆の前でヒツジとアヒルとニワトリ乗せた熱気球の飛行実験を行いました。レヴェイヨン気球と名付けられた熱気球は高度460 mで8分間飛行し3 kmほど移動して着陸し飛行を成功させました。

 初めての有人飛行の実験は同年10月15日に行われました。係留した熱気球にジャックが乗り込み飛行実験を行いました。続いて理科教師のピラトール・ド・ロジェが乗り込みました。この実験では熱気球を係留していたため高度は24 mで移動距離はゼロでした。

 この成功により同年11月21日に係留なしでの熱気球の有人飛行実験が行われました。熱気球にはロジェと軍人フランソワ・ダルランド侯爵が乗り込み高度90 mで約8.8 kmを25分で飛行しました。

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2022年5月18日 (水)

18リットル缶の日(5月18日)

 5月18日は「18リットル缶の日」です。18リットル缶、かつてはその用途から「石油缶」と呼ばれた四角形の金属製の容器です。その後、用途が広がり尺貫法で1斗の容量をもつことから「一斗缶」と呼ばれるようになりました。第二次世界大戦後は単位ガロンを使って「5ガロン缶」と呼ばれましたが、日本では「一斗缶」が定着しており「5ガロン缶」と呼ばれたのはわずかな時期だけでした。現在はJIS規格で正式名称が「18リットル缶」になっていますが、俗称として「一斗缶 」と呼ばれています。

一斗缶(18リットル缶)
一斗缶(18リットル缶)

 なぜ1斗が石油缶に選ばれたかというと1斗18リットルが人が運べる最大の容量とされたからです。四角形なのは倉庫や荷台すき間なく積み上げられるようにするためです。「一斗缶」の材質は鉄鋼にスズを加えたブリキです。内容物によって内側をコーティングしており様々な液体を入れることができます。

 「斗」は尺貫法における体積の単位です。尺貫法の体積は「升」が基本単位となっています。昔は「升」の大きさは地方によって異なっていましたが江戸時代に統一されました。メートル法に換算すると一升は約1.803 906 837リットルになります。「斤」は1升の1/100、「合」は1升の1/10、「斗」は1升の10倍、「石」は一升の100倍です。1斗は10升ですから約18リットルということになります。

 一方、ガロンはヤード・ポンド法における体積の単位です。ガロンの大きさは国によって異なりますが日本は米国液量ガロンの数値を採用しています。米国液量ガロンの1ガロンは3.785412784リットルですが、日本では3.785412リットルとされています。5ガロンは18.9リットルになり一斗より約1リットル大きな値となります。

 現在の18リットル缶も正確に容量が18リットルというわけではありません。JIS規格では18リットル缶はZ1602:2003で天板と地板の一辺の長さ238.0±2.0mm、高さ349.0±2.0mm、質量1140±60 g、容量19.25±0.45リットルと定めらています。積み上げることを考えて大きさは厳密に定義されていますが、質量と容量には値に幅があります。

 さて5月18日が「18リットル缶の日」とされたのは5ガロンの「5」と18リットルの「18」に因んだものです。

 昔はそこら中で一斗缶を見かける機会がありましたが最近はポリタンクが使われるようになりあまり見かけなくなくなりました。昔は一斗缶の天板をくり抜いてゴミ箱や灰皿として使ったり、たき火やゴミ焼きに使ったりしました。18リットル缶は優秀な容器であることから現在でもたくさんの使われておりリサイクルも行われています。

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2022年5月14日 (土)

温度計の日(1686年5月14日)

 5月14日は「温度計の日」です。この日は水銀温度計を発明し華氏温度(単位:°F)を考案したドイツ人物理学者ガブリエル・ファーレンハイトのユリウス歴での誕生日1686年5月14日(グレゴリイオ歴では5月24日)に由来します。ファーレンハイトが漢字で華氏となったのはファーレンハイトの中国語表記が「華倫海特」であることに由来します。最初の「華」に人名の接頭辞「氏」を加えて華氏となりました。

 ファーレンハイトが華氏温度を提唱したのは1724年です。ファーレンハイトが華氏温度を考案した経緯には諸説あります。

 ファーレンハイトは当時使われていたレーマー温度(霊氏)(注)が日常の温度にマイナス値が現れることに不便を感じていました。そこで自身が測定できる最も低い外気温を0度としヒトの体温を100度とすることにしました。0度は寒剤を使って再現し(-17.8℃)、100度は自身の体温(ヒツジの体温という説もある)37.8℃を測定しました。この100度を12等分しさらに8等分して96等分した0~96°Fの目盛を作成しました。つまり人工的に作り出せる最低の温度を0°F、人間の平均体温を96°Fと定義したのです。華氏温度によると水の凝固点(氷の融点)は32°F、水の沸点は212度となり、その温度差がちょうど180度になります。

ガブリエル・ファーレンハイトと摂氏と華氏の温度計の比較
ガブリエル・ファーレンハイトと摂氏と華氏の温度計の比較

 また異説としてはレーマー温度では水の凝固点が7.5度、沸点が60度だったため小数点をなくすためにそれぞれに4を掛けて30度と240度にしたという説もあります。ヒトの平均体温を96°Fとし水の凝固点との差を64度になるように調整した結果、水の凝固点(氷の融点)が32°F、水の沸点が212度となったというものです。差を64度としたのは2のべき乗(2の6乗は64)としたからです。

 華氏温度は1960年代まで多くの国で使用されまたが、メートル法で摂氏温度(セルシウス温度、単位:℃)が採用されると華氏温度が使われるようになりました。しかしながら、アメリカ、カナダ、イギリスなどでは体温や気温の表記に未だに華氏温度が使われています。

 摂氏温度Cと華氏温度Fの関係は以下の通りです。

 F = 9/5 × C + 32

 C = 5/9 ×( F - 32 )

(注)1676年に光速は有限であることを発表したデンマークの天文学者オーレ・レーマーが考案した温度 

【関連記事】

レーマーが光の速さは有限と発表(1676/11/22)

メートル法公布記念日(1921年4月11日)

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2022年5月11日 (水)

コンピュータがチェスの世界チャンピオンに初勝利(1997年5月11日)

 1988年、カーネギー・メロン大学の学生チームはディープ・ソートというチェスをプレイするスーパーコンピュータを開発しました。ディープ・ソートは当時チェス世界チャンピオンであったロシアのガルリ・カスパロフに挑戦しましたがカスパロフに勝つことはできませんでした。

チェス
チェス

 1989年、IBMはディープ・ソートの研究開発を引き継ぎディープ・ブルーというスーパーコンピュータの開発に着手しました。もちろん、ディープ・ブルーの開発目的もカスパロフにチェスで勝つことでした。

 ディープ・ブルーはたった1秒間の間に2億手を先読みすることができました。カスパロフの過去の対戦をもとに作った数式を使って、カスパロフが打ってくるであろう手を予測することができました。ディープ・ブルーはカスパロフと2回それぞれ6戦ずつ対戦しました。

 1回目の対戦は1996年2月に行われました。このときは、カスパロフが3勝1敗2引き分けで勝利しました。ディープ・ブルーはカスパロフにかろうじて1勝することはできましたが勝ち越すことはできませんでした。

 それから約1年3ヶ月後の1997年5月11日、ディープ・ブルーはカスパロフに再挑戦しました。均衡した戦いとなりましたがディープ・ブルーは2勝1敗3引き分けでカスパロフに勝ち越したのです。この対戦は客観的には互角でコンピュータが人間を超えたと判断できるほどのものではありませんでしたが「コンピュータがチェスの世界王者に勝利した」というニュースが世界中で報道されると大きな話題となりました。

 ディープ・ブルーはチェス専用のスーパー・コンピュータですが、この高性能コンピュータの開発で得られた知識や技術は現在のコンピュータに受け継がれています。

 なお世界最強のチェスコンピュータを作る研究開発はディープ・ブルーで終了したわけではありません。2000年代初めにアラブ首長国連邦でヒドラというコンピュータが開発されています。またIBMは2007年にディープ・ブルーの子孫の位置づけのスーパーコンピュータ、ブルー・ジーンを開発しています。

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2022年4月26日 (火)

エフエム東京が開局(1970年4月26日)

 FM放送は周波数変調(frequency modulation)方式を使った放送です。音声信号に応じて送信する電波の周波数を変化させる変調方式です。超短波を用いるため超短波放送とも呼ばれます。FM方式は1928年にアメリカの電気工学者エドウィン・アームストロングによって発明され、1941年にFM放送が実用化されました。日本では昭和32年(1957年)にNHK東京超短波実験局が開設され1969年に本放送が開始されました。

ポータブルラジオ
ポータブルラジオ

 1950年代にテレビ放送が普及すると文部省(現:文部科学省)は放送を利用した高等教育の検討を始めました。文部省がテレビやラジオを利用した教育の研究に助成金を支給し始めると、FM放送を利用したラジオ局を開設する私立大学が増えました。研究を先んじて進めていたのは東洋大学でしたが大学ラジオ局開設を目指して最も早く準備を始めたのは東海大学でした。

 東海大学は1957年6月に当時の郵政省(現:総務省)に超短波放送実験局の免許を申請、1958年4月に予備免許取得、同年12月から放送を開始しました。このときの識別信号(呼出符号 )はJS2AO、周波数86.5 MHz(当時はMc:メガサイクル)、出力1 kwでした。翌年1959年11月に周波数を84.5 MHzに変更し、1960年4月に東海大学超短波放送実用化試験局(JS2H)を開局、これがFM東海となりました。実用化試験局はスポンサーの獲得と広告の放送が認められており、FM東海は日本で初めての民放FM局になりました。毎日朝5時から1時間、月曜日から土曜日の午後7時から1時間に通信教育講座「望星高校の時間」の放送を開始しました。それ以外の時間は様々なジャンルの音楽番組が放送されていました。

 この頃、東洋大学も実験局を開局していました。東洋大学は国内の大学としては放送教育の研究を先んじて進めていたため教育放送局を実現する有力候補と考えられていました。ところが資金不足により東洋大学の実験局は実用化実験局に至らないまま事業を進めることができなくなりました。実験局と実用化実験局の違いが曖昧だったため、事業が継続できなくる実験局とスポンサーを得て事業を継続している実用化実験局の格差が大きな問題となりました。このような状況の中で文部省は方針を改めてテレビやラジオを利用した放送教育は国で行うことと決めました。郵政省もFM放送実施のための必要な資料が得られたとし放送局の継続を認めませんでした。これは開局している放送局にとっては梯子を外されたようなものでした。

 郵政省は実用化実験局の免許が切れた東海大学を不法無線局として電波法違反で告発しました。これに対して東海大学は誣告罪(虚偽告訴等罪)で郵政省を提訴しましたが、株式会社の民間放送局に移行することでは話がまとまりました。これによってFM東海は1970年4月25日に閉局となり、翌日26日にエフエム東京(JOAU-FM、80.0 MHz)となりました。


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