カテゴリー「科学・技術」の15件の記事

2021年6月15日 (火)

フランクリンが凧揚げの実験を行った日(1752年6月15日)

 雷の正体が電気であることを証明したのはアメリカのベンジャミン・フランクリンとされています。フランクリンは雷が電気であることを証明するために、雷雨になりそうな雲をめがけて凧を飛ばす実験を1750年に発案しました。

 1752年5月10日、フランスの物理学者トマ・フランソワ・ダリバールはフランクリンの論文を参考に凧の代わりに高さ12メートルの金属の棒を使って実験を行いました。ワインボトルで棒を接地し、高度の低いところにできた雲から電気を取り出すことに成功したとされています。

 つまり、雷の正体が電気であることに最初に気がついたのはベンジャミン・フランクリンですが、実際に実験で確認したのはトマ・フランソワ・ダリバールだったということになります。

 フランクリンがフィラデルフィアで有名な凧揚げの実験を行ったのは1752年6月15日とされています。フランクリンは同年10月19日にこの実験を「ペンシルバニア・ガゼット」紙に報告していますが、実際に実験を自分で行ったとは記していませんでした。

10ドル紙幣に描かれたフランクリンの実験の図
10ドル紙幣に描かれたフランクリンの実験の図

 プランクリンの凧揚げの実験を詳細に伝えたのはイギリスのジョゼフ・プリーストリーです。1767年にプリーストリーはフランクリンが金属の棒は危険なため凧の麻ひもを利用して電気を取り出す実験を行うことにしたなど、実験の背景まで説明してます。プリーストリーはフランクリンから詳細な説明を受けていたと考えられています。

 フランクリンの凧揚げの実験についてはココログ 光と色と「雷の正体見たり静電気」に解説がありますので、興味のある方はご一読いただければ幸いです。

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2021年5月22日 (土)

東京スカイツリー開業(2012年5月22日)

 東京スカイツリーは東京都墨田区にある電波塔です。東京スカイツリーができるまでは東京都の電波塔といえば東京タワーでした。しかし、都内では多くの超高層ビルが立ち並び、東京タワーが送信する電波が届きにくい地域が増えてきました。また、携帯電話の普及によってワンセグやマルチメディア放送の品質向上の必要性が高まり、2003年に高さ600メートルの電波塔を建設する「在京6社新タワー推進プロジェクト」が発足されました。

 この事業は東武鉄道の小会社の東武タワースカイツリー株式会社によって総事業費650億円、建設費400億円で進められました。東京スカイツリーの建設工事は2008年7月14日に着工し、2012年2月29日に完成、同年5月22日に展望台として開業しました。

 次の写真は2011年1月に羽田空港から撮影した東京スカイツリーです。高さ634メートルをめざして建設中で、第一展望台の上にクレーンが見えます。第二展望台の上部+αまでできています。ちょうど530メートルぐらいと思います。

羽田空港から望む建設中のスカイツリー
羽田空港から望む建設中のスカイツリー(2011年1月撮影)

 建設中の2011年3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって大きく揺れましたが、東京スカイツリーには異常は見つかりませんでした。このとき東京スカイツリーの高さは625メートルに達していました。

 東京スカイツリーは計画当初は高さ610メートルをめざしていましたが、2009年に武蔵(むさし)国を由来として634メートルとすることに計画が変更となりました。2021年現在、東京スカイツリーは世界一高いタワーとしてギネス世界記録に登録されています。人工建造物の高さとしてはアラブ首長国連邦のブルジュ・ハリーファ(828メートル)に次ぐ世界第二位です。東京スカイツリーには展望台が2つあり、第一展望台の高さは350メートル、第二展望台の高さは450メートルです。

 ところで東京スカイツリーの展望台からどれぐらい先まで見通せるでしょうか。ご興味がおありでしたら、ココログ 光と色と「東京スカイツリーから見える地平線までの距離」をご一読ください。

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2021年5月 4日 (火)

今も健在!ある扇風機の小さな物語(昭和38年)

 昭和38年(1963年)4月21日に秋葉原に若い夫婦が扇風機を買いに行きました。店員さんの話などいろいろ聞いて購入したのは東芝扇風機AA形。購入価格は8,000円でした。当時の大卒初任給は19,400円とのことですから、扇風機はたいへんな高級品だったのです。2020年の大卒初任給が約21万円ですから、当時の8,000円を現在の価値に換算すると約9万円にもなります。当時、生活に必要な電化製品の三種の神器と言えばテレビ・洗濯機・冷蔵庫でした。扇風機は贅沢品だったのです。

昭和38年(1963年)秋葉原で東芝扇風機AA形(上段真ん中)を購入
昭和38年(1963年)秋葉原で東芝扇風機AA形(上段真ん中)を購入

 さて4月21日にこの若い夫婦の家庭にやってきた扇風機。どうして春に贅沢品の扇風機を買ったのかというと、8月に子どもが生まれる予定だったからのようです。当時は今ほどは暑くなかったとはいえクーラーなどありませんから、生まれてくる赤ちゃんのために扇風機を買ったのでしょう。それから数年の歳月が経過した昭和42年の夏も扇風機は子どもを見守ってきました。

東芝扇風機AA形と子ども(昭和42年 1967年)
東芝扇風機AA形と子ども(昭和42年 1967年)

 そして、あれから60年近くの歳月が過ぎ去りましたが、扇風機は壊れることもなくずっと現役で動いています。

東芝扇風機AA形(令和3年 2021年)
東芝扇風機AA形(令和3年 2021年)

 東京芝浦電気株式会社製の「東芝扇風機AA形 羽根径30 cm」の小さな物語でした。 

東芝扇風機AA形の製品ラベル
東芝扇風機AA形の製品ラベル

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2021年4月19日 (月)

人類初の宇宙ステーション打ち上げ(1971年4月19日)

 1971年4月19日、旧ソ連によって人類初の宇宙ステーション「サリュート1号」が打ち上げられました。

 当時の宇宙開発は米国と旧ソ連の間で熾烈な競争が行われていました。1961年4月12日、旧ソ連がガガーリン宇宙飛行士を乗せた人類初の有人宇宙船を成し遂げると(夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号)、1961年5月25日に米国大統領ジョン・F・ケネディが「10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という声明をだしました(夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。そして、1969年7月20日、米国はアポロ11号で人類初の月面着陸を成功させました。

 人類初の月面着陸を米国に譲った旧ソ連は宇宙開発のミッションを宇宙空間での長期滞在を目指します。この計画のために開発されたのが人類初の宇宙ステーション「サリュート」でした。サリュートは1971年から1982年の間に1号から7号まで打ち上げられ、最後の7号は1986年まで運用されました。

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サリュート7号の記念切手とサリュート7号(右側)と補給船コスモス1686号。

 1986年には新しい宇宙ステーション「ミール」が打ち上げられます。1990年12月2日にソユーズで宇宙へと旅だった日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんもミールに滞在しました。

 現在は1998年から建造が開始されたアメリカ合衆国、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関 (ESA) が協力して国際宇宙ステーションを運用しています。

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2021年3月20日 (土)

電卓の日(1974年3月20日)

 1974年3月20日、日本における電卓の総生産台数が1000万台を突破し、1974年が電卓の発売開始から10年目にあたることから、日本事務機械工業会(現ビジネス機械・情報システム産業協会)が3月20日を「電卓の日」と定めました。

 世界初の電卓はイギリスのBell Punch社が1961年に発売した Anitaという製品ですが、国産初の電卓は早川電機(現シャープ)が1964年(昭和39年)3月18日に発表したCS-10Aです。CS-10Aフルキー式電卓で大きさは420×440×250mmで重量は25 kgもありました。同年6月に販売開始となり、価格は53万5千円、当時の大衆の自動車が買える価格でした。なお、同年3月18日にはソニーも電卓の試作品MD-5を発表していますが、発売開始は1967年でした。

 このような経緯から「電卓の日」を3月18日とする案もあったようですが、ちょうどキリが良くて新年度を迎える春の到来を象徴する春分の日の方がわかりやすいということで3月20日が選ばれたようです。

 自分が初めて使った電卓は、たしか「電子の力で答え一発」「こ~たえ~、いっぱ~つカシオ~ミニ~」だったように思います。

【懐かCM・1973年】答え一発!カシオミニ

下記の本は世界初から最新の電卓のデザインを紹介している本です。

電卓のデザイン DESIGN OF ELECTRONIC CALCULATORS

世界最初の電卓から超モダン電卓まで。計算するだけじゃ、ないんだね。とびきりポップでキュートなデンタク・コレクション。

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2021年3月19日 (金)

3月19日はカメラ発明の日?(1839年3月19日)

 国内の多くのサイトで3月19日を「カメラ発明記念日」や「カメラ発明の日」とし、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが1839年3月19日に「ダゲレオタイプ」という写真機を発明したことに由来しているると説明しています。

 しかしながら、カメラの歴史を調べても3月19日がカメラ発明の日と考えられるような史実は見つかりません。ダゲレオタイプのカメラの発明の歴史を調べてみると、フランスのパリで1839年8月19日に開催された科学アカデミーで発表され、その発明が公式に認めらています。

ダゲレオタイプのカメラ(1839年)
ダゲレオタイプのカメラ(1839年)

 海外のサイトでは「World Photography Day」を8月19日としていて、3月19日は見つかりません。国内で3月19日をカメラ発明の日としているのは、過去にそれなりの権威のあるメディアが8を3と見誤って紹介した可能性もありそうです。

 しかし、なぜこのような間違いが起きたのか調べていますが、有力な情報は未だ見つけられていません。

 カメラ発明の日についてはココログ 光と色とカメラ発明の日は3月19日ではなく8月19日」をご一読ください。

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2021年3月16日 (火)

液体燃料ロケットの打ち上げ成功(1926年03月16日)

 世界で初めての火薬で推進するロケットは13世紀頃までに宋王朝で開発されたと考えられています。当時のロケットは兵器として使われ、固体の黒色火薬が使われていました。兵器としての威力は限定的だったかもしれませんが、武器が自ら空を飛んでくるわけですから敵を威嚇するには十分な効果があったでしょう。また、当時はロケットで宇宙に行こうなどとは誰も考えていなかったでしょう。

 世界で初めて液体燃料ロケットを考案したのはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーです。ツィオルコフスキーは1903年に出版した「Исследование мировых пространств реактивными приборами(ジェット装置による宇宙空間の探求)」で液体酸素と液体水素を燃料としたロケットを発表し、多段式ロケットの仕組みなどについて言及しまいた。1879年にはロケットの打ち上げに必要なツィオルコフスキーの公式を発表しています。ツィオルコフスキーは実際にロケットを作りませんでしたが、ロケットで宇宙旅行が可能であることを示したことから「宇宙旅行の父」と呼ばれています。「Планета есть колыбель разума, но нельзя вечно жить в колыбели(地球は人類のゆりかごであるが、人類は永遠にゆりかごで生きていくことはできない)」という言葉を残しています。

 実際に液体燃料ロケットの打ち上げを世界で初めて成功させたのはアメリカのロバート・ハッチングズ・ゴダードです。ゴダードは高校生の頃からH・G・ウェルズの「宇宙戦争」やジュール・ヴェルヌの人間が大砲の弾丸に乗って月へ行く「地球から月へ」を読んで宇宙旅行に興味を持つようになりました。ゴダードは1912年にニュージャージー州のプリンストン大学の研究員となりロケットの研究を進め1919年に月飛行の可能性に関する論文を発表しています。

 この頃、世界各地でロケットの研究開発が行われていましたが、多くのロケットは固体燃料ロケットでした。固体燃料ロケットは構造が簡単で低コストで製作することができますが、点火後に噴射を制御することができないという欠点がありました。そこでゴダードが注目したのがツィオルコフスキーが考案した液体燃料ロケットでした。液体燃料ロケットは構造が複雑で高コストで製作が難しいという欠点がありますが、噴射を制御することができるためロケットの打ち上げを自在に行うことができます。

 しかし、当時は液体水素の入手は容易ではなく、ゴダードは燃料としてガソリンと液体酸素を選択しました。ロケットの研究は周りから理解が得られませんでしたが、資金難の中、1926年3月16日にマサチューセッツ州オーバーンで液体燃料ロケットを打ち上げの実験を行いました。ロケットは飛行時間わずか2.5秒でしたが、高度12メートル、飛距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。ゴダードは世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功したのです。

ゴダードと世界初の液体燃料ロケット
ゴダードと世界初の液体燃料ロケット

 1929年の打ち上げ実験では、打ち上げに成功したものの理解を得られず、消防署が出動する騒ぎとなり、地元の新聞はロケットの打ち上げは失敗し空中で爆発したという記事を掲載しました。実際にはロケットは爆発しておらず落下しときの衝撃で破壊しただけでした。このことが、きかけになって、マサチューセッツ州でのロケットの打ち上げ実験は禁止となりました。

 その後、大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの支援によって、ゴダードは資金援助を得てニューメキシコ州ロズウェルで実験を続けることができるようになりました。第二次世界大戦中に軍用のロケットの研究を行いましたが理解されないまま終戦間際の1945年8月になくなりました。

 当時、ゴダードの研究は理解されませんでしたが、ロケットの実用化が進むにつれゴダードの業績が高く評価されるようになり、ゴダードは「ロケットの父」と呼ばれるようになりました。

 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」、ゴダードが残した言葉です。

●下記はツィオルコフスキーの伝記です。ゴダードも少しだけ紹介されています。

 耳が聞こえず孤立するなか、「伝説の独学」によってロケットの基礎となる理論を打ち立てたロシア人科学者コンスタンチン・エドゥアールドヴィッチ・ツィオルコフスキー。人類みんなを宇宙に飛ばすことを夢見て、知性と理論による驚異的な未来予想で科学を発展させた「ロケット推進の父」の日本ではじめての伝記。

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2021年3月12日 (金)

中谷宇吉郎博士が雪の結晶の作製に成功(1936年3月12日)

 中谷宇吉郎博士は1922年に東京帝国大学理学部物理学科に入学し、寺田寅彦博士のもとでに物理学を学びました。卒業後は理化学研究所研究員を兼任していた寺田博士の助手となりました。1928年にキングス・カレッジ・ロンドンに留学、1930年に北海道帝国大学理学部助教授、1931年に博士号を取得したのち1932年に同教授となりました。

 雪の結晶に興味をもった中谷博士は1932年頃から雪の結晶の研究を始めました。まず自然の雪の結晶の写真を撮影し、雪の結晶の分類を行い気象条件との関係を調べました。その調査結果から中谷博士は実験室で人工的な雪を作ることが必要であると考えました。

 人工雪の結晶を作ることは簡単ではありませんでした。ガラス管の中に水蒸気を発生して冷却するなどの実験を試みましたが、氷の結晶ができるだけでした。雪の結晶を作るのに重要なポイントは雪の結晶が生成するきっかけとなる核の選択でした。

 中谷博士は最初は核の材料として木綿や羊毛を選びましたが、雪の結晶はうまく生成しませんでした。あるときウサギの毛皮に雪の結晶が生成していることを発見し、これを詳細に調べました。そして、1936年3月12日に低温実験室でウサギの毛の先に世界で初めて人工雪の結晶を作ることに成功しました。中谷博士は気象条件と雪の結晶の生成過程の関係を明らかにし、様々な条件での雪の結晶の生成を説明する「ナカヤダイアグラム」を発表しました。

中谷宇吉郎博士と雪の結晶
中谷宇吉郎博士と雪の結晶

 中谷博士の研究成果によって、1943年に北大に低温科学研究所が開所しました。この研究所では軍の要請による軍事研究も行われ「航空機への着氷防除」の研究などが行われました。中谷博士は実用化を急ぐ軍に対して、一貫して基礎研究を重要視し続けましたが、終戦後に軍事研究に関わったことを批判され、また人工結晶の記録映画の撮影用に米国GE社から提供されたフィルムの予算に米国空軍が支出していたことが問題となり、低温科学研究所を退所しました。

 中谷博士は寺田寅彦博士と同様に科学を一般の人々に分りやすく伝えるため執筆活動を行いました。気象条件と雪の結晶の関係について「雪は天から送られた手紙である」という言葉で表現しています。

 中谷博士の次の著書「科学の方法(岩波書店)」はおすすめです。ココログ 夜明け前「科学の方法 (岩波新書 青版 (313)) (新書)」で紹介してありますので興味がありまいたらご一読ください。

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2021年3月 2日 (火)

超音速ジェット旅客機コンコルドが初飛行(1969年3月2日)

 1950年代後半、イギリスとフランスはそれぞれ独自に超音速旅客機の研究を始めていました。しかし、同じような機体を開発しても営業上の競合が避けられないことや開発費用の削減などを考慮し、1961年に両国で共同開発をすることになりました。1963年11月29日に両国間で共同開発の協定書が結ばれました。当時のフランスのシャルル・ド・ゴール大統領はこのプロジェクトをフランス語で協調や調和を意味する「コンコルド(Concorde)」と名付けました。

 両国間で主導権や機体の名称の決定について論争がありましたが、開発は着々と進み、機体の名称も「コンコルド」でまとまりました。各国のナショナル・フラッグの航空会社から多数の注文が入り、1967年11月12日にフランスのトゥールーズで機体の原型が公開されました。

 その2年後の1969年3月2日、原型機が初飛行に成功、10月1日には超音速での飛行に成功しています。1976年1月21日からブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスが定期的な商業運行を開始しました

 コンコルドの機体は非常に長い流線型の胴体で、機首は離着陸時には視界確保のために機首を下方に曲げることができるようになっています。また、客室は4列配置の100席でファーストクラスのみの設定でした。

コンコルド
コンコルド(Author Arpingstone

 コンコルドはマッハ2(時速2,500km)の速度でパリ・ニューヨーク間をわずか3時間45分で結びました。当初は未来のジェット機として期待されましたが、客席数や燃料消費量による採算性の問題、離着陸時の騒音や大気汚染の問題などを解決することができず、ビジネスとしては成功しませんでした。原型機を公開した当時は100機を超える注文がありましたが、実際には20機(原型機4機と量産型16機)しか生産されませんでした。

 2000年7月、コンコルド自身の問題ではありませんでしたが墜落事故が起きてしまいます。また2001年の911米国同時多発テロにより航空業界が大打撃を受けると、2003年にブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスはコンコルドの運航を停止することを発表しました。そして、2003年10月24日、コンコルドは最後の飛行を終えました。その後、超音速旅客機が開発されることはなく、コンコルドの最後の歩行をもって、超音速旅客機は世界の空から姿を消すことになりました。

 コンコルドの詳細についてはココログ 夜明け前 「超音速ジェット旅客機コンコルドが就航(1976/01/21)」にまとめてありますのでご一読ください。

 

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2021年2月 2日 (火)

バスガールの日(1920年2月2日)

 関東大地震の影響により運行が困難となった東京市電の代替輸送手段として東京市営バスの運行が開始したのは大正12年(1923年)1月18日です(ココログ 夜明け前円太郎バス走る|都バスの日 (大正13年 1924年1月18日)」。

 実は東京市営バスの運行に遡ること約5年前の1918年(大正7年)10月、民営のバス会社である東京市街自動車が設立され、1919年(大正8年)3月1日からバスの営業運行を開始しています。東京市街自動車のバスは車体が深緑色であったため、都民から「青バス」と呼ばれ親しまれました。

 〜余談になりますが、緑色のバスが青色と呼ぶれたは日本人が緑色と青色を明確に区別する文化をもっていなかったからです。ご興味をもたれた方はココログ 光と色と青は進めの真実|交通信号の色」をご一読ください〜

 東京市街自動車は関東大震災後のバスの活躍により、営業路線を拡大していきました。東京市街自動車のバスには少年の車掌が常務していましたが、運賃の横領が多いため、女性の車掌を採用することにしました。大正9年(1919年)12月に女性車掌募集の新聞広告を出し、女性車掌を採用、大正10年(1920年)2月2日に女性車掌が登場しました。

東京乗合自動車のバスと女性車掌(白襟嬢)
東京乗合自動車のバスと女性車掌(1934年、撮影:石川光陽)

 東京市街自動車の女性車掌は白襟の洋服にベレー帽の制服を着ていたことから、都民から「白襟嬢」と呼ばれ大人気となりました。

 東京市街自動車と競争していた東京市営バスは1924年から女性車掌を乗務させるようになりました。東京市営バスの女性車掌は赤襟の制服を着ていたため都民から「赤襟嬢」と呼ばれました。

 昭和40年代、子どもの頃にバスに乗ったときには、女性の車掌が必ず乗務していました。顔見知りになった車掌さんもいて、バスに乗ると名前で呼んでくれた車掌さんもいました。昭和40年代後半になると「ワンマン」と書かれた車掌さんの乗っていないバスが走るようになりました。当時は「ワンマン」の意味がわからず、「このバスには犬が何か関係しているのか?」などと思ったりしたものです。

 バスの停留所で待っているときに「ワンマン」のバスがやってくると、とてもがっかりしたものです。やがて、顔を覚えていた車掌さんの姿も見えなくなり、すべてのバスが「ワンマン」になりました。ドア付近には車掌さんがいた場所が残っており、その場所を見ると何か寂しい気持ちになりました。時は流れて、整理券、降車ボタン、運賃表、テープによるアナウンスが当たり前になりました。

 科学と技術が発展し、世の中便利になってくると、競争も激しくなり、効率を重視する必要が出てきます。バスの車掌さんのような仕事が消えていくわけですが、便利になっていく反面で、精神文化的な何かが失われていくような気もします。

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