カテゴリー「生物」の17件の記事

2023年7月12日 (水)

ヒガシニホントカゲかな|ニホントカゲの仲間

 道を歩いていたら太陽光を反射して銀色や虹色に光りながら動く生き物がいました。良く見るとトカゲでした。最初はカナヘビかなと思っていたのですが写真をよく見るとどうやらニホントカゲのようです。近寄ると逃げてしまうので離れたところからスマホで撮影したので解像度はよくありませんが、身体の模様や尾の長さなどの特徴からニホントカゲと思います。

ニホントカゲ
ニホントカゲ

 ニホントカゲ(日本蜥蜴)は爬虫綱有鱗目トカゲ科トカゲ属のトカゲです。ニホントカゲはかつては1種類のみと考えられていましたが、現在では東日本に生息するヒガシニホントカゲ、伊豆半島に生息するカダトカゲ、西日本に生息するニホントカゲの3種がいます。これら3種類のトカゲは外見を見分けるのが難しいのですが、このトカゲは撮影場所から考えるとヒガシニホントカゲでしょう。

 ニホントカゲの体表面の鱗には金属光沢があります。カナヘビには光沢がありません。カナヘビが尾が胴体の2/3ほどあり細長い身体つきをしていますが、ニホントカゲの尾の長さは胴体に半分ぐらいです。ニホントカゲの幼体は頭部から尾部にかけて5本の縦帯があります。尾が鮮やかな青色をしていますが成長とともに薄れます。

ニホントカゲ
ニホントカゲ

 もう少し解像度の良い写真をと思ってそっと近づいたのですが、こちらに気が付いたようで向きを変えて逃げていきました。

ニホントカゲ
ニホントカゲ

【関連記事】ヒガシニホントカゲかな|ニホントカゲの仲間

ニホンヤモリ

 

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2023年7月10日 (月)

納豆の作り方|納豆の日(7月10日)

納豆の日

 7月10日は語呂合わせから「納豆の日」とされています。もともとは昭和56年(1981年)に関西納豆工業協同組合が関西であまり人気のなかった納豆の消費拡大を目指すため関西地域限定の記念日として制定したものでした。平成4年(1992年)に全国納豆協同組合連合会(納豆連)が全国的な記念日として改めて設定しました。

納豆菌で大豆を発酵

 現在、スーパーマーケットなどで販売されている納豆の多くはポリスチレンペーパー製や紙製の容器に詰められたものが多いのですが、なかには藁に包まれたものもあります。実はかつては藁に包まれたものが標準的でした。

 納豆が藁に包まれていた理由は納豆の製造方法に関係しています。藁には納豆菌が存在し、この菌を利用して大豆を発酵させたものが納豆なのです。納豆菌は藁などに生息する枯草菌(こそうきん)の仲間です。枯草菌のうち発酵して糸をたくさん引くものが納豆の製造に使われるようになったのです。納豆菌の学名はバチルス ナットウ(Bacillus natto)といい約1マイクロメートルほどの大きさです。

納豆の作り方

 伝統的な納豆の作り方は次の通りです。まず大豆を一晩ほど水に浸して水分を十分に吸収させます。この大豆を蒸し煮し、熱いうちに藁に包みます。大豆を包んだ藁を40~42℃の発酵室に入れます。すると藁の納豆菌が繁殖し大豆が納豆になります。納豆の作り方は非常に簡単ですから家庭でも作ることも可能です。藁や納豆菌が手に入らないときは販売されている納豆をそのまま混ぜるか、豆を使いたくないときは納豆を湯がいた液を使うと良いでしょう。発酵室の代わりにこたつを使うことができます。

納豆の作り方
納豆の作り方

 なお工場で納豆を作るときは蒸し煮した大豆に納豆菌を付着したものを容器に詰めて発酵させます。容器は藁と同じように通気性が良いものが使われています。

納豆のうま味

 納豆は大豆を発酵させて作るので発酵によってうま味の成分が生じます。納豆菌が作るさまざまな酵素によって大豆のタンパク質はアミノ酸に分解され、脂肪はグリセリンと脂肪酸に分解されます。納豆の発酵でたくさん生じるアミノ酸はグルタミン酸です。グルタミン酸は昆布などに含まれるうま味成分で、うま味調味料の主成分です。納豆の粘り気はポリグルタミン酸(PGA)です。

【関連記事】納豆の作り方|納豆の日(7月10日)

この納豆はうまい!三戸の「北の大豆」

レトルトカレーの日(昭和43年 1968年2月12日)|ボンカレーの秘密を探る

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マヨネーズの日(3月1日)

バウムクーヘンの日(1919年3月4日)

パンの記念日(4月12日)

アイスクリームの日(5月9日)

紅茶ブランド「リプトンの日」(5月10日)

マクドナルド兄弟がマクドナルドを開業(1940年5月15日)

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ソフトクリームの日(1951年7月3日)

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沖縄そばの日(1978年10月17日)

パスタとスパゲッティの違い|世界パスタデー(10月25日)

サンドウィッチの日(11月3日)

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2023年6月17日 (土)

足の蒸れと水虫を防止するアイテム

 このジメジメした時期になりやすいのが水虫です。水虫は足白癬といい白癬菌が足の指や足の裏など角質や皮下組織を侵食し痒みや炎症を生じさせる感染症です。水虫には、足の裏の角質が肥厚して硬くなる角化型白癬、水疱や皮が剥けて発赤や痛痒感などを伴う汗疱状白癬があります。

 水虫になる原因にはいろいろありますが革靴を履いていると足が蒸れることがあります。特に足の指の間は要注意で慢性的になると湿疹のようになり白癬菌に感染する水虫になります。

足の蒸れと水虫を防止するアイテム

 足の指の蒸れを効果的に防止してくれるお薦めのアイテムがアズマ工業足ゆびちゃん お徳用100枚入です。自分はこれを10年ぐらい使っていますが使う前に比べて足の指の蒸れが劇的に改善します。

アズマ工業足ゆびちゃん お徳用100枚入

 

 足の指が蒸れて水虫菌にやられてしまいそうなときに併用すると水虫防止になるのがこのクリームです。このクリームをつけて前述の足ゆびちゃんを使っていると水虫に至りません。常用する必要はありません。今日は蒸れたかなという日に使うと良いです。雨の日に足が濡れてしまったときには使うと良いでしょう。

【指定第2類医薬品】メンソレータム エクシブWディープ10クリーム 35g

 

 かつて長期間にわたってひどい水虫になったことがあります。いろいろな薬を使いましたがその場限りでした。いろいろ試してもっとも効いたのは木酢液でした。これを吹きかけているとしばらくすると角質が壊れていきます。足の皮や足の指の間の皮膚がぼろぼろになります。夜にこれをスプレーし、朝に足を洗って前述のエクシブを塗り足ゆびちゃんを装着して1日過ごします。これを繰り返していたらひどい状況から脱することができました。改善されたら木酢液はもう必要ありません。しばらくエクシブと足ゆびちゃんを使います。やがてエクシブも必要なくなります。足ゆびちゃんは蒸れを防止してくれるので日常的に使います。

木酢液200ml水虫 足のニオイ

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2023年5月16日 (火)

ガクアジサイの成長記録

 通勤途上にガクアジサイが咲いています。毎年綺麗な花を咲かせるのですが今年も開花の準備を進めています。今年はちょうどフェンスから飛び出した花が一輪。この記事ではこのガクアジサイの成長の写真を紹介してきます。

【2023年5月15日】

ガクアジサイ(2023年5月15日)
ガクアジサイ(2023年5月15日)

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2022年10月31日 (月)

蛇使いの秘密

 笛を吹いてコブラを巧みに操る蛇使い。蛇使いが笛を吹き始めるとカゴの中からコブラが現れ笛の音色に合わせて踊り出します。

蛇使い (アルフレート・ブレーム 1883年作品)
蛇使い (アルフレート・ブレーム 1883年作品)

 実はヘビは他の動物が持っているような耳はありません。ですからヘビには外耳もなければ耳の穴もありません。一方、音を感じる内耳は機能しています。ただし内耳は身体に埋もれているため音を聞くことができません。身体の表面に伝わった振動を内耳で感じることができます。音は空気の振動ですからヘビは全身を使って音を感じていることになります。全身が鼓膜の役割を果たすので聴覚は優れていると言えます。ですが、音を聞くというより音を感じると表現した方が的を射ているかもしれません。

 ですからヘビには蛇使いの笛の音色は聞こえていません。蛇使いは笛を吹いてコブラを操っているように見えますが、実際にはカゴを叩いたり、地面を叩いたりすることで振動をコブラに伝えているのです。振動を感じたコブラはカゴの中から出てきてコブラ踊りを始めます。コブラは笛の音色に合わせて踊っているわけではありません。蛇使いが笛の先をコブラに近づけると、コブラは笛の先を敵ととらえて威嚇をしているのです。蛇使いが笛を動かすとそれに合わせてコブラが動きます。これがコブラ踊りに見えるのです。蛇使いが笛の先をコブラから放すと、コブラはカゴの中に隠れてしまうというわけです。

 蛇使いはコブラの習性を良く理解し、コブラの行動に合わせて笛を吹いているのです。コブラが蛇使いを巧みに操っていると言えるかもしれません。

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2022年7月11日 (月)

世界人口デー|地球上で1人あたりの面積は?(1989年7月11日)

 7月11日は世界人口デー(World Population Day)です。1989年に国連人口基金(UNFPA)が1987年7月11日に世界の人口が50億人を突破したことをきっかけに世界中の人々に人口問題への関心を高めてもらうために制定しました。当時、国連はこの日に産まれたクロアチア(当時はユーゴスラビア)の首都ザグレブで生まれた子どもを50億人目と認定し祝福しています。

 さて世界の人口はいまや77億人を超えました。

 地球の表面積は510,065,600平方キロメートルです。このうち、海洋の面積が362,822,000キロ平方メートルで、陸地の面積は147,244,000平方キロメートルです。

地球(アポロ17号撮影)
地球(アポロ17号撮影)

 地球の陸地には人が暮らせないところもありますから、本当はもっと狭い値になるはずですが、約1億5000平方キロメートルとします。これは正方形で考えると、その1辺が約1万2,250キロメートルになります。この値は地球の直径1万2,472キロメートルよりやや小さい値ですが、地球の円がちょうど入る正方形と考えても良いでしょう。

 陸地の面積を人口で割り算してみると

1人あたりの面積=1億5000平方キロメートル/77億人

 =0.0195平方キロメートル

 正方形で考えると、その1辺が約0.14キロメートルなります。140メートル四方に1人です。

 陸地全体の面積の正方形の1辺が12,250キロメートルでしたから、

12,250/0.14=87,500

で、その正方形の一辺には8,8000人しか並べないことになります。人口が多いところ、少ないところもありますが、ならすと、これぐらいの密度ということになります。

 日本は人口減少といいますが、現在の問題は人口減少そのものではなく、少子化といわれているように、各年齢層の人口のバランスが崩れていることです。人口が減りすぎるのはまずいでしょうが未来の子孫にとっては年齢層のバランスが取れていれば人口が今より減るのは決して悪いことではないように思います

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2022年6月27日 (月)

真鯉の群れに紅一点の緋鯉を発見

 大雨の後、川の水がずいぶん透明になりました。川の中を真鯉の群れが泳いでいるのが見えました。

真鯉(マゴイ)の群れ
真鯉(マゴイ)の群れ

 たくさんのコイが泳いでいくのを見ていたら群れの中に紅一点、緋鯉が現れました。

緋鯉(ヒゴイ)
緋鯉(ヒゴイ)

 緋鯉(ヒゴイ)は真鯉(マゴイ)が突然変異したものですがコイとしての違いはあるのでしょうか。また、どうして色が赤いのでしょうか。下記の【関連記事】にまとめられています。

【関連記事】

真鯉と緋鯉の違い|緋鯉(ヒゴイ)が赤い理由

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2022年2月12日 (土)

ペニシリンの臨床実験が行われる(1941年2月12日)

 1928年、スコットランドの細菌学者アレクサンダー・フレミングはブドウ球菌をペトリ皿で培養中にアオカビが混入し、カビの周囲で細菌の生育が阻害されていることを発見しました。フレミングは追試を行い確かにアオカビが細菌の生育を阻害することを突き止めました。その物質を突き止めることはできませんでしたがこれをアオカビ(Penicillium notatum)の名称からペニシリンと名付けました。

 フレミングの発見からしばらくの間はペニシリンがどのような物質がわかりませんでした。1940年にオックスフォード大学の細菌学者ハワード・ウォルター・フローリーと生化学者エルンスト・ボリス・チェーンがアオカビからペニシリンを単離することに成功し、ペニシリンが1つの物質ではなく混合物であることを発見しその化学組成を突き止めました。その後、フローリーの部下だった生化学者ノーマン・ヒートリーがマウスを使ってペニシリンの効果を確かめました。

 当時ペニシリンの構造がわかっていなかったため人工的に合成することはできませんでした。アオカビから得られる天然のペニシリンは量が少なく大量生産ができませんでした。そのためヒトの臨床実験にはペニシリンが足りませんでした。ヒートリーはアオカビを培養する方法を考案し臨床実験ができる量のペニシリンを確保しました。

 1940年12月、警察官のアルバート・アレキサンダーは誤ってバラのトゲで顔を怪我し細菌に感染し敗血症となりました。サルファ剤を投与するなど従来の治療を施しましたが全く効きませんでした。ペニシリンの副作用が懸念されましたが、アレキサンダーが瀕死の重傷で末期状態であったため1941年2月12日にペニシリンが投与されました。これがペニシリンの臨場実験となりました。アレキサンダーの体温は下がり、食欲も回復、感染症も治り始めました。しかしながら、ペニシリンの量が不足していたためアレキサンダーは再発し亡くなりました。

 第二次世界大戦中のイギリスではペニシリンの大量生産は難しく、米国のロックフェラー財団と微生物学者アンドリュー・J・モイヤーがペニシリンの工業的な生産方法を確立しました。これによってペニシリンは第二次世界大戦で負傷した多くの兵士の命を救いました。

 1945年、ペニシリンの功績によりフレミング、フローリー、チェインの3人がノーベル生理医学賞を受賞しました。受賞者に3人の制限があったため研究の多くを手がけたヒートリーはノーベル賞を受賞できませんでした。

らフレミング・フローリー・チェイン・ヒートリー
左からフレミング・フローリー・チェイン・ヒートリー

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鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミン)を報告(1912年12月13日)

種痘の日(1796年5月14日)

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2021年12月23日 (木)

シーラカンス南アフリカ沖で発見(1938年12月23日)

 1938年12月23日、南アフリカのイーストロンドンの博物館で学芸員マージョリー・コートニー=ラティマーは南アフリカの東海岸チャルムナ川(現ティロムンカ)の沖合でヘンドリック・グーセン船長のトロール漁船が漁獲した魚の中にめずらしい形をした魚がいるのを発見しました。

 その魚の体調は約1.4メートルで古代魚のような姿をしていました。魚の研究をしていたラティマーは直感的に貴重な生物を発見したと考えそ保存を試みましたが傷みがひどいため剥製にしました。

ラティマーとシーラカンスの剥製
ラティマーとシーラカンスの剥製

 発見当初、多くの人はその魚が岩礁の海底に住むカサゴやメバルの仲間(ロックコッド)と考えました。そこでラティマーはグレアムズタウンのローズ大学教授の魚類学者ジェームズ・レナード・ブライリー・スミスに連絡を取り魚のスケッチを送りました。スケッチを見たスミスはその魚が絶滅したはずのシーラカンスであること確信し1939年2月に発表しました。

 シーラカンスは魚類が両生類に進化する頃に生きていた魚です。シーラカンスは中生代白亜紀以降の地層から化石が発見されていないことから約6500年前に絶滅したと考えられていました。しかし、1938年のラティマーによる発見によって、シーラカンスが6500万年もの時を経て生き続けていたということがわりました。そしてシーラカンスは「生きている化石」と呼ばれるようになりました。

 その後、シーラカンスはコモロ諸島・ケニア・タンザニア・モザンビーク・マダガスカル・イシマンガリソ湿地公園・クワズールー・ナタール南岸で発見されています。当初、シーラカンスの生き残りはこの西インド洋で発見された1種のみと考えられていましたが、1997年にインドネシアで2種目のシーラカンスが発見されています。

 また1952年12日20日に西インド洋コモロ諸島で発見されたシーラカンスに対して世界で初めて詳細な学術調査が行われたことから、1952年12日20日は「シーラカンスの日」とされています。

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2021年11月24日 (水)

進化の日(1859年11月24日)

 11月24日はイギリスのチャールズ・ダーウィンが1859年同日に「種の起源」を出版したことから進化の日とされています。

 ダーウィンは1809年に裕福な医師の家庭に生まれました。子どもの頃から博物学に興味があったダーウィンは医師になるため1825年にエディンバラ大学に進学し医学と地学を学びました。しかしながら、ダーウィンは医師の仕事は自分には向かないと考え1827年に退学します。自然科学に興味をもち昆虫採集や動物のはく製の製作技術を学んだのもこの頃でした。

 ダーウィンの父は医師を諦めたダーウィンを牧師にするため1827年にケンブリッジ大学神学部に転学させました。ダーウィンは牧師と博物学の仕事は両立できると考え父の提案を受けましたが、ケンブリッジ大学においても博物学や昆虫採集に没頭しました。ここで博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローと出会いその後の博物学の研究に大きな影響を受けました。また地層学者アダム・セジウィッグのもとで地学的能力を発揮しています。

 1831年にケンブリッジ大学を卒業したダーウィンはヘンズローの紹介で南米の探検に向かうイギリス海軍の測量船ビーグル号に研究員として乗船することになりました。ダーウインはビーグル号の航海で様々な動植物やその化石の調査を行いました。ダーウィンはこの航海における調査を通じて生物は環境に適用するように分岐して多様な種を生じると考えるようになり1938年に自然選択説に着想しました。そして長い時間をかけて自説の研究を重ねていきました。

 ダーウィンが研究をしている間にイギリスのアルフレッド・ラッセル・ウォレスは独自の調査結果からダーウインの自然選択説と同様な考えを着想しました。やがてウォレスはダーウィンと手紙でやり取りするようになり、1958年にダーウインに自説の論文を送りました。当時、ダーウィンは家族の看病をしており余裕がありませんでした。ダーウィンは急ぎまとめた自身の論文とウォルスの論文を知人の学者に送り、それらの取り扱いを委ねました。知人はダーウィンとウォルシュの論文を共同で発表しました。ウォルシュには事前の相談はありませんでしたが、ウォルシュは名高いダーウィンとの共同発表に満足しました。ウォルシュは自然選択説の有力な学者の仲間入りをしたのです。

 1859年11月24日、ダーウィンは長年の自分の研究をまとめた著書「種の起源」を発表しました。ダーウィンはこの著書で生物は自然選択、生存競争、適者生存などの要因によって環境に適応するように分岐し多様な種を生じると説明しています。

ダーウィンと進化論
ダーウィン(左)と進化論(右)

 ダーウインは自説を自然の生物の営みに限定していましたが、ダーウインの学説は「優れたものは変革して生き残る」というような誤った解釈で人間の社会活動に思想として適用され、政治や経済そして全体主義や民族主義に利用されるようになりました。しかし、ダーウィンの進化論は優れた生物が意図的に環境に適応して生き残るという意味ではなく、環境に適応できた生物が結果として生き残ることができるというものです。

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