カテゴリー「城」の3件の記事

2020年5月13日 (水)

豊臣秀吉の京都新城が出土

 京都御苑の敷地内で豊臣秀吉の「京都新城」が出土したというニュースが流れています。

 

 京都新城は、秀吉が最晩年に嫡子の秀頼のために京都御苑の京都仙洞御所があるあたりに築城した東西400メートル、南北800メートルにわたる規模の平城です。この平城の記録はあまり残っていないことから「幻の城」と呼ばれていますが、実在していたのは確かです。

 残っている数少ない記録によると、この平城は1597年(慶長2年)1月に普請が始まりました。5月に秀吉が築城を直接監督しており、6月の終わりには完成していたと思われます。同年9月に秀吉と秀頼が移り住み、秀吉が城主となりました。9月末に秀頼が従三位左近衛権中将となると、秀吉は城主を秀頼に譲り、この城から退去しています。この平城は太閤御屋敷などと呼ばれていましたが、秀頼が城主になると、秀頼卿御城などと呼ばれるようになりました。

 1598年(慶長3年)8月に秀吉が隠居先の伏見城で死去すると、秀頼は豊臣家の家督をついで大阪城に転居しました。関ヶ原の合戦(慶長5年、1600年10月)の約2年前のことです。

 秀吉が死去したあとの豊臣政権では徳川家康が五代老の筆頭となりました。秀吉は秀頼が成人するまで政務は家康に任せるという遺言を残しています。これらのことから徳川家康は大阪で政務を執るため1599年(慶長4年)9月に大阪城の西の丸に入りました。このとき、秀吉の正室の高台院(北政所)がこの平城に転居しました。以後、この平城は高台院屋敷などと呼ばれました。

 関ヶ原の合戦の前に、高台院屋敷が城として利用されるのを避けるため、堀や石垣など防御のための施設が撤去されました。当時の記録が一切残っていないため、この城がどのような構造をしていたのかは謎となっており、幻の城と呼ばれる所以でもあります。

 高台院は関ヶ原の合戦以降も、ここに住み続けましたが、屋敷の規模は次第に縮小していったようです。1602年(慶長7年)には一部が取り壊され、二条城へ移動されたという記録も残っています。1623年(寛永元年)に高台院が死去すると、高台院の甥の木下利房が居住しました。なお、木下利房は秀吉とは血のつながりはありません。

 1626年(寛永4年)に後水尾天皇の譲位を受けて、この屋敷は解体され、仙洞御所(太上天皇・太上法皇・上皇の御所)が建設されました。この京都の仙洞御所の正式名称は桜町殿といいます。桜町殿の建設により、屋敷は完全に解体され、その跡には全く残っていませんが、西本願寺の飛雲閣をはじめとする施設がこの屋敷から移築されたものという説があります。

 今回の京都新城の出土は、消化設備の設置に合わせて、仙洞御所の敷地の一部を調査していたところ、8メートルにわたる石垣が見つかったことがきっかけとなったようです。周辺からは豊臣家の桐の家紋や金箔瓦も出土したころから、豊臣秀吉の幻の城「太閤御屋敷」「秀頼卿御城」「高台院屋敷」の跡であると結論づけられました。

 なお「京都新城」は現在の呼称です。そのため、当時を舞台とした小説やテレビドラマを見ても、「京都新城」という呼び方は出てきません

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2014年6月 1日 (日)

松前城(福山城)と蠣崎氏

蝦夷(北海道)の地にも戦国武将がいました。蠣崎氏(かきざきうじ)です。

蠣崎氏は元々は室町時代の武田氏の子孫である武田信廣を祖とする家柄です。

豊臣秀吉が関白になったときには、ここから上洛を果たしたそうです。そのことによって、秀吉に所領を安堵されました。江戸時代になると、徳川家につき、松前氏と名乗るようになりました。

蠣崎氏は、もともとは福山館という大きな屋敷に住んでいました。江戸末期に幕府から北方警備を命ぜられ築城されたのが松前城です。そのため、福山城とも呼ばれます。

松前城は日本最後の旧式城郭です。残念ながら昭和24年に天守閣が焼失してしまいました。現在の城は復元されたものです。

幕末、城主であった松前徳広は、五稜郭にやってきた旧幕府軍からの協力要請を無視し、これに怒った榎本武揚は土方歳三に松前に攻め込む命令を出しました。松前城は開戦から間もなく落城してしまいました。

Google Mapでは、はっきりと松前城のその姿を見ることができます。

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2012年7月17日 (火)

Google Street View で五稜郭公園を散策

昨日紹介した「Googleストリートビューでみる日本の観光ガイド - 夏休み特集を公開」で、五稜郭公園を散策してみました。

Google Mapで五稜郭公園を確認すると、公園の外堀周辺と内部の散策路を歩くことができるようになっています。

Gsgoryoukaku01

観光の際の散策路の王道は下の地図の左下の五稜郭タワーから、五稜郭公園内部へと入っていくコースです。

まず、五稜郭タワーです。

Map1

公園の敷地に入り、2つの橋をわたり、内部へと入っていきます。

まずはひとつめの橋。右側に五稜郭と書いた標石があります。うわー、人の頭が消えてますよ。

Map15

そしてふたつめの橋。

Map2

この奥には藤のトンネルがあります。

Map3

そして、藤のトンネルをくぐり抜けて少し歩いた先にある公園の真ん中には2010年に再建された函館奉行所があります

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このあたりは30年以上前は何もない広場で、子どもたちが野球などをして遊んでいました。昭和の終わり頃には、野外劇場が作られていました。

Google Mapは現在の状況を見せてくれるだけでなく、いろいろと昔の記憶がよみがえらせてくれます。

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