カテゴリー「特撮のネタ」の213件の記事

2025年7月 8日 (火)

不完全な良心回路の人間らしさ|人造人間キカイダー放送開始(1972年7月8日)

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 人造人間キカイダーは石ノ森章太郎原作の東映による特撮ヒーロー番組です。テレビ朝日系列(当時はNET)で1972年7月8日から1973年5月5日まで毎週土曜日の20:00から20:30まで放送されました。

 人造人間キカイダーは単純な善悪の戦いを描いたものではなく、天才ロボット工学者・光明寺博士によって開発されたアンドロイドでありながら善悪や存在意義など内面的な葛藤を持ちながら悪に立ち向かうジロー(キカイダー)の活躍を描いたものです。この設定に重要な役割を果たしたのが未完成な良心回路で、正義と悪、怒りと抑制の狭間で苦悩しながら戦う姿が描かれます。正義とは何かを考えさせる哲学的な奥深い内容となりました。不完全なゆえに左右非対称のデザインを持つキカイダー、キカイダーを破壊するために生み出された単純な悪ではない複雑な内面を持つダークヒーロー・ハカイダーなどが登場しその後の特撮作品に多きな影響を与えました。

 さてスーパーヒーローに対して「正義の味方」という呼び方があります。「正義の味方」という言葉は古くからあったようですが広く知られるようになったのは月光仮面やレインボーマンなどの原作者の川内康範さんが使用を始めてからのことです。川内康範さんは作品を通じて「正義の味方」の意味を深めていきました。「正義の味方」はヒーローの立ち位置を表したもので正義そのものではありません。つまり本来の正義とは神仏のように普遍的なものであり、「正義の味方」は正義を守ろうとする者ではあるが、正義そのものではないといことです。

 ですから、「正義の味方」は、悪を懲らしめ、善を助けるが、裁きはしない。そして「正義の味方」は誰を守るのかという点において普遍的な正義から外れた判断や行動をせざるを得ない状況になります。たとえばウルトラセブンは地球の平和を守ることを目的として地球人のために宇宙人と戦います。多くの場合、ウルトラセブンが倒すのは地球を侵略しようとする宇宙人であり正義に対してウルトラセブンと地球人の価値観が一致しています。ところが地球人が行う地球の危機回避のための行動の中には、地球人の利益にはかなうが、相手を結果的に殺戮してしまうなど、普遍的な正義から大きく外れたものが少なからずあります。こうした場合、ウルトラセブンと地球人の価値観は必ずしも一致していません。しかし、地球と地球人をこよなく愛しているウルトラセブンは、地球人と行動をともにします。ウルトラセブン=モロボシ・ダンは、そのプロセスと結果に悩みます。しかし、決して地球人を裁くことはしないのです。つまり、ウルトラセブンは地球人にとっての「正義の味方」であり正義そのものではありません。

 キカイダーことジローの良心回路は不完全です。そのためジローは悩みます。ギルの笛の音により、善と悪の判断がつかない状況に追い込まれますが知識と経験の積み重ねにより、良心回路の不完全な働きを補おうとします。つまり、ジローは新しい知識と経験をデータとして記憶し、そのデータによって不完全な良心回路を補おうとする思考アルゴリズムを有していることになります。

 もし良心回路が完全だったらキカイダーは正義そのものになり得るでしょうか。良心回路は人間が作ったものです。つまり良心回路から生み出される正義感は良心回路の設計者の価値観で普遍的な正義ではないだろうと思います。キカイダーは良心回路が不完全だからこそ、「正義の味方」であり人間に近い思考ができるのでしょう。人間を模した完全なアンドロイドを作ろうとしたら不完全なジローが人間らしかったという皮肉も込められているのです。

 余談ですが当時土曜日の8時といえばTBS系列で放送されていた「8時だョ!全員集合」が子どもたちに大人気で高視聴率を記録していました。NETは「8時だョ!全員集合」に対抗するため「変身大会」として20:00から21:00まで変身ヒーロー番組の放映を始めました。またNETでは19:30から「仮面ライダー」を放映していましたので、当時の子どもたちは19:30~21:00まで変身ヒーロー番組を楽しむことができたのです。しかし「8時だョ!全員集合」も見たいためチェンネルを切り替えながら「人造人間キカイダー」を見ていた子どもも少なくなかったようです。

人造人間キカイダ- (1) (サンデー・コミックス)

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2025年5月13日 (火)

ウルトラマン(リピア)はどうなった?|映画「シン・ウルトラマン」日本公開(2022年5月13日)

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 「シン・ウルトラマン」は円谷プロダクション、東宝、カラーが共同製作、庵野秀明企画・脚本、樋口真嗣監督、斎藤工、長澤まさみ、山本耕史、西島秀俊出演の日本のSF特撮映画です。日本公開は2022年5月13日です。

シン・ウルトラマンのポスター
シン・ウルトラマンのポスター

 いろいろ話題となった「シン・ウルトラマン」ですが、自分が一番気になったのはラストシーンでした。

 オリジナルの「ウルトラマン」ではゼットンに倒されたウルトラマンの前にゾフィーが現れます。命を2つ持ってきたゾフィーはハヤタを助けたいと言うウルトラマンの願いを聞いて、ウルトラマンとハヤタを分離しそれぞれに命を与えます。ウルトラマンはゾフィーとともにM78星雲に帰り、ハヤタはウルトラマンだったときの記憶を全て失い人間のハヤタに戻りました。

 「シン・ウルトラマン」ではゼットンを倒した後、ウルトラマン(リピア)は異空間に飛ばされてしまいます。生き延びたいと願うリピアの信号を聞き届けゾフィーが現れます。ゾフィーはリピアに一緒に光の星に帰るよう話をしますが、リピアは神永の命と共存しており神永の命を維持するために地球に残ると答えます。ゾフィーは神永は理解してくれるはずだと言いますが、リピアは未熟な地球人をこれから先も守る必要があると答えます。ゾフィーはリピアを光の星に送還しなければならず、リピアは掟を破った責任を果たさなければならないと告げます。つまりリピアは地球に残ることは許されないということです。するとリピアは自分の命を神永に渡してこの身体は未来の人間に任せたいと答えます。ゾフィーはそんなに人間が好きになったのかとリピアの願いを聞き届け神永とリピアの身体を分離します。すると神永は禍特対のメンバーに見守られる中で目を覚まします。

 「シン・ウルトラマン」ではゾフィーは命を持ってきておらず、リピアと神永が同体のまま地球に残ることは許されませんでした。リピアが光の星に帰ることは神永の死を意味し、リピアの命で神永を生き返らせることはリピアの死を意味しました。結果的にリピアが選んだのは自分は死に神永を生かすことでした。リピアは自分の身体は未来の人間に任せたいと言っています。「シン・ウルトラマン」ではウルトラマンや外星人の身体はプランクブレーンと呼ばれる異空間に保存されています。たとえば人間体のリピア(神永)はベータカプセルでプランクブレーンから身体を通常空間に取り出すことによってリピアに変身しています。つまりリピアと神永が分離したとき、ネピアの命は神永のものになりましたが、ネピアの身体はプランクブレーンに保存されたのです。リピアは科学・技術を発展させた未来の地球人が自分の身体を復活させることを願ったのです。シン・ウルトラマンの次作が製作されるとしたら、このあたりの話がどのように反映されるかが楽しみです。

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2025年4月 4日 (金)

Google Geminiに「仮面ライダーブルースリー」の企画を考えてもらった

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  Google Geminiに「仮面ライダーV3を知っていますか」と尋ねたら詳しく説明してくれました。次に「ブルース・リーを知っていますか」と尋ねたらこちらも詳しく説明してくれました。

 両方の知識があることが分かったので「仮面ライダーシリーズとして仮面ライダーブルースリーを企画するとどんな物語になりますか?」と尋ねてました。いいかげんな回答をしてくるのかなと思っていたら、ずいぶんしっかりとした企画を練り上げてきました。バイクの名前や敵組織の名前まで設定しています。

仮面ライダーブルース・リー、面白い企画ですね!いくつかのアイデアを組み合わせて、物語の骨子を考えてみました。

物語のコンセプト:

武術と科学の融合:
ブルース・リーの武術「ジークンドー」を、科学技術で増幅させた力を駆使する仮面ライダー。
敵は、古代武術と現代科学を悪用する組織。

哲学的なテーマ:

ブルース・リーの哲学「己を知り、道を拓く」をテーマに、主人公の内面的な成長を描く。
悪との戦いを通じて、主人公が自身の「道」を見つけていく物語。

アクション:

ブルース・リーの動きを再現した、スピーディーで迫力のあるアクションシーン。
ヌンチャクや棒術など、多彩な武器を使った戦闘。

物語のあらすじ:

主人公は、武術の達人である青年、リー・シン。彼は、古代武術と現代科学を悪用し、世界征服を企む悪の組織「ドラゴン・エンパイア」によって、師を殺害されてしまいます。復讐を誓ったシンは、師の遺した「ジークンドー」の奥義と、秘密裏に開発されていた強化スーツを身にまとい、仮面ライダーブルース・リーとしてドラゴン・エンパイアに立ち向かいます。

仮面ライダーブルース・リーの特徴:

変身:

「ジークンドー」の構えを取り、特殊なベルトに「ドラゴン・クリスタル」をセットすることで変身。

能力:

「ジークンドー」の技をベースにした、多彩な格闘技。強化スーツによる、超人的な身体能力。
「ドラゴン・クリスタル」に蓄積されたエネルギーを放出する、必殺技「ドラゴン・ストライク」。

武器:

ヌンチャク、三節棍、棒術など、多彩な武術武器。
武器は、状況に応じて使いこなし、敵を翻弄する。

バイク:

専用バイク「ドラゴン・ロード」は、ジークンドーの動きを取り入れた、アクロバティックな走行が可能。

敵組織:

ドラゴン・エンパイア

古代武術と現代科学を悪用し、世界征服を企む悪の組織。
組織の幹部たちは、それぞれ異なる武術の達人であり、仮面ライダーブルース・リーの宿敵となる。
組織の目的は、世界の武術を支配し、人々の精神をコントロールすること。

物語のテーマ:

「己を知り、道を拓く」
「武術の精神」
「悪とは何か」
「正義とは何か」

これらの要素を組み合わせることで、従来の仮面ライダーシリーズとは一線を画した、新しいヒーロー像を描けるのではないでしょうか。

  そして最後にGoogle Geminiに「仮面ライダーブルースリー」のイラストを描いてもらいました。こんな絵を描いてくれました。ブルース・リーのトラックスーツのようなコスチューム、仮面ライダーとブルース・リーを思わせる上半身、そして仮面ライダーのベルト。なぜか仮面はかぶっておらずブルース・リー風の髪型に目だけが仮面ライダー風となりました。

仮面ライダーブルースリー
仮面ライダーブルースリー

 Geminiに「仮面をかぶせてください」と頼んだらこうなりました。顔をが仮面ライダー風になったと思ったら髪の毛はそのままです。っていうかかぶったのは仮面ライダー風のお面です。「お面ライダーブルースリー」になってしまいました(^^ゞ

お面ライダーブルースリー
お面ライダーブルースリー

 調子にのって「敵組織ドラゴン・エンパイアの怪人を描いてみてください」と頼んでみました。名前をどうするか尋ねてみたらいくつか候補をあげてきたので「決めてください」と言ったら「ドラゴノイド」と名付けました。

ドラゴノイド
ドラゴノイド

 「ドラゴノイド」の由来は「ドラゴンとアンドロイドを組み合わせた名前で、機械的な要素とドラゴンの要素を表現しており、この怪人にふさわしい名前だと考えます」だそうです。

 すごいなGemini!

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2025年2月 5日 (水)

映画「ジュラシックパーク」に登場するヴェロキラプトルは別の恐竜だった

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 1933年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督、マイケル・クライトン原作の映画「ジュラシック・パーク」。この映画にはさまざまな恐竜が登場しますが映画後半から存在感が高まりその名が広く知られるようになったのが小型の肉食恐竜「ヴェロキラプトル」です。

映画「ジュラシックパーク」に登場したヴェロキラプトル
映画「ジュラシックパーク」に登場したヴェロキラプトル

 「ヴェロキラプトル」はおよそ8千300万年から7千7万年前の中生代白亜紀後期に東アジアの大陸に生息していた獣脚類の恐竜です。細くてすらりとした小さな体格に比べて頭部が大きく後肢には大きな鋭い鉤爪があります。頭部から尾にかけての体長は約2メートルで体高は約50センチメートル、体重は約15キログラムです。だいたい七面鳥やコヨーテぐらいの大きさです。

 映画「ジュラシック・パーク」に登場した「ヴェロキラプトル」は実際の「ヴェロキラプトル」よりもずいぶん大きな体格をしています。原作の小説「ジュラシック・パーク」には「ラプトル」と呼ばれる小型恐竜が登場しますが記述されている特徴からこの「ラプトル」は「ヴェロキラプトル」と考えられています。

 映画では「ヴェロキラプトル」ではなくより全長およそ3.5メートル、体重およそ100キログラムの「デイノニクス」が採用されましたが、スピルバーグ監督が「ヴェロキラプトル」という名前を気に入り、「デイノニクス」を「ヴェロキラプトル」として登場させた経緯があります。

実際のヴェロキラプトルの大きさ
実際のヴェロキラプトルの大きさ

 映画公開当時は「ヴェロキラプトル」と「デイノニクス」は同属と見なされていましたが現在では異種であることがわかっています。映画では「ヴェロキラプトル」は知能は高く社会性を持ち集団で狩りする恐竜として描かれていますが実際にそのような痕跡を残す化石は見つかっていません。一方の「デイノニクス」は脳が大きく高い知能をもっていた可能性があり、化石が集団で発見されていることが多いことから群れを作り狩りをしていたと考えられています。また映画の公開直前に「ユタラプトル」という「デイノニクス」に似た新種の恐竜が発見されています。「ユタラプトル」は体長およそ7メートル、体重およそ500キログラムで「デイノニクス」より大きな恐竜です。

 結論として映画「ジュラシック・パーク」の「ヴェロキラプトル」は「デイノニクス」であり「ヴェロキラプトル」ではありませんでした。

 

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2025年1月12日 (日)

迷探偵 温泉でウルトラセブンを歌うおじさんの正体は

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 いつも行く温泉の常連のおじさん。このおじさんは本当に良く会うのですっかり顔なじみになりました。年を聞いてみると70歳だそうです。見た感じは60代前半に見えます。

 いつもと同じように湯船につかっていたら、そのおじさんが「よ~」と言って入ってきました。さあ、始まるぞと思っていたら、期待通りいつものように演歌を小声で歌い始めました。これがなかなか上手です。そのうち、あれこれ考え事をしていたら、おじさんの歌声が耳に入らなくなりました。おじさんは相変わらず歌っているので、音としては聞こえている状態です。

 すると自分の頭の中にウルトラセブンの主題歌が流れてきました。流れたのは「倒せ火を吐く大怪獣、ウルトラビームでストライク!」の部分です。

迷探偵 温泉でウルトラセブンを歌うおじさんの正体は

 脳内再生かと思ったら突然おじさんの声が聞こえてきました。なんと、おじさんが歌っているのはウルトラセブンの主題歌でした。「遙かな星がふるさとだ」の部分を「ふぅぁ~るくぁな星ぐぁ~、うぅるぅさぁとぉだぁ~」とこぶしを回しながら歌っています。さらに「進め銀河の果てまでも」の部分や歌詞のわからない部分は鼻歌で歌っています。

 自分もウルトラセブンの歌が頭に流れていたので、この偶然にびっくり。おじさんに「ウルトラセブンですか?」と聞いたら、おじさんはちょっと照れた顔をして「そうそう、よく知っているねぇ」と。「よく知っているねぇ」はこちらの言うことです(^^ゞ

 なんで、このおじさんはウルトラセブンの主題歌や曲を知っているのだろうと思ったら、その疑問も通じたのか、おじさんがぼそっと一言。

 「何度も聞いているので耳についちゃってさぁ~」

 自分が「えっ?」という顔をすると、おじさんは、手首を回して、「これこれ」と。

 そうおじさんはパチンコウルトラセブンの大ファンだったのです。そして、「狙われた街」などのタイトルや「メトロン星人」など宇宙人や怪獣の名前もよく知っているのです。そして、「ウルトラマンの歌も知っているよ」と。

 すると、そのまた横にいた常連のおじさんが声をかけてきてウルトラセブンのパチンコ台の話になりました。温泉で大人3人がウルトラセブンの話をしているというシーンになってしまいました。

CRぱちんこウルトラセブン 紹介ムービー

 

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2024年8月 3日 (土)

日本海軍の局地戦闘機「 震電」の初飛行(1945年8月3日)

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 震電は第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発した局地戦闘機です。零戦や隼など従来の戦闘機とは全く異なる形状の前翼型飛行機でした。特徴的なデザインと戦争末期に極秘裏に開発された高性能戦闘機だったことから現在も多くの飛行機ファンを魅了し、もし終戦に間に合っていたらと語り継がれています。

局地戦闘機「 震電」
局地戦闘機「 震電」

 震電を設計したのは海軍航空技術廠飛行機部の鶴野正敬技術大尉です。鶴野大尉は昭和17年(1942年)頃、連合各国の航空機の性能向上により従来の日本の戦闘機の性能に限界を感じ高性能な戦闘機の開発を考えるようになりました。鶴野大尉が行き着いたのはエンジンとプロペラを後方に配置し前方に強力な武装を装備した前翼型戦闘機でした。

 昭和18年(1943年)、軍令部参謀に着任した源田実中佐は敵戦闘機の性能向上に対してゼロ戦の性能に限界を感じ新たな高性能戦闘機の必要性を考えていました。源田中佐は鶴野大尉のアイデアに注目し前翼型戦闘機の開発を進めることにしました。

 前翼型戦闘機は前翼の揚力により主翼を小さくすることができるため機体を小型化することが可能でした。これにより機体の空気抵抗を小さくすることができ速度を向上させることができました。この頃、米軍の高高度爆撃機B-29による日本本土空襲が激化し、高高度で高い機動性と安定性を確保できる局地戦闘機が必要でしたが、前翼型戦闘機はその目的に合致していました。

 前翼型戦闘機は各国でも開発されていましたが実用には至りませんでした。鶴野大尉の前翼型戦闘機も特異的な形状に対する批判の声も少なくなく「異端の翼」と呼ばれました。前翼型戦闘機の風洞試験や滑空試験などに成功し基礎研究が終了すると、海軍は昭和19年(1944年)5月にB-29の迎撃を目的とする十八試局地戦闘機「震電」の試作を命じました。海軍は月産300機をめざし工場での量産体制を整えました。その後、設計は順調に進みましたがエンジンを開発していた工場が空襲されるなどして試作機の製作は大幅に遅れました。

 終戦間近で戦況が悪化していた中で始められた試作機の製造でしたが鶴野大尉を中心とする開発チームは1945年6月に試作機1号機の完成にこぎ着けました。蓆田飛行場(福岡空港)で鶴野大尉が自ら滑走試験を行いましたがこのとき機種を下げすぎてプロペラを地面に接触させてしまいました。プロペラは試作2号機用のものと交換され、プロペラが地面に接触しないよう垂直尾翼のかわりとなる側翼に車輪が取り付けられました。

震電の後部
震電の後部

 こうして完成した十八試局地戦闘機「震電」は昭和20年(1945年)8月3日に製造を担当した九州飛行機によって試験飛行が行われ初飛行に成功しまいた。その後の試験飛行でエンジンが故障し部品を取り寄せとなりましたが昭和20年(1945年)8月15日の終戦を迎えました。

 「震電」は実戦に投入されることはなく完成した機体も試作1号機のみとなりました。独特なデザインと終戦に間に合わなかった幻の戦闘機として人気の戦闘機です。実戦に投入される形で小説、映画、ゲームなどに登場します。

 試作1号機は米軍に接収され現在は米国国立航空宇宙博物館別館(スティーブン F. ユードバー=ハジー・センター)に操縦席から前部のみが展示されています。また2023年に公開された映画「ゴジラ-1.0」で実物大のレプリカが作られました。このレプリカは福岡県朝倉郡大刀洗平和記念館に展示されています。

ハセガワ 1/72 日本海軍 九州 J7W1 十八試 局地戦闘機 震電 プラモデル D20

ハセガワ 1/72 日本海軍 九州 J7W1 十八試 局地戦闘機 震電 プラモデル D20

【関連記事】

零戦の日(1939年7月6日)

零戦五二型61-120号機

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2024年7月 7日 (日)

円谷英二監督の誕生日(1901年7月7日)

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 円谷英二監督は明治34年(1901年)7月7日に福島県岩瀬郡須賀川町(須賀川市)で生まれました。小学生になると水彩画に興味を持ち大人も驚くほど上手な絵を描きました。明治43年(1910年)に徳川好敏、日野熊蔵両大尉による日本初の動力飛行機の飛行に成功すると、飛行機と操縦士に憧れるようになり模型飛行機の作成を行うようになりました。

 円谷少年が映画に出会ったのは明治44年(1911年)です。巡業に来た活動写真「桜島爆発」を見て映写の仕組みに興味を持つようになり、子ども向けの映写機を購入し手製の映画を制作するようになりました。

 模型飛行機作りの趣味も続け大正元年(1912年)には地元で新聞に取材されるほど話題になりました。大正5年(1916年)、15歳になった円谷少年は米国人飛行士アート・スミスが東京で披露した曲芸飛行のニュースを見てますます飛行機に憧れるようになりました。同年に学校を卒業した円谷少年は東京の月島機械製作所(月島ホールディングス)に入社しますが1ヶ月ほどで退社します。飛行機の操縦士になるべく同年11月に玉井清太郎と相羽有が8月に創設した日本飛行学校に第一期生として入学しました。

 こうして円谷少年は飛行機の操縦士になる夢を追いかけ始めました。しかし、大正6年(1917年)5月に唯一の教官だった玉井清太郎が墜落死、10月には台風による高波で飛行機が格納庫ごと流されてしまい日本飛行学校の継続が不可能となりました。操縦士になる夢を打ち砕かれた円谷少年は失意のうちに飛行学校を退学することになりました。

 その後、円谷少年は電気学校(東京電機大学)の夜間部に進学しながら玩具の製作会社で働き「自動スケート」「玩具電話」など様々な玩具を考案しました。大正8年(1919年)、考案した玩具が大人気となり多額の特許料を得ます。その祝いとして玩具会社の職工たちと王子の飛鳥山公園で花見を開きました。このとき職工たちが他の花見客と口論になりました。この喧嘩の仲裁に入ったのが若干18歳の円谷青年でした。この喧嘩が円谷青年の転機になります。実は職工が喧嘩をした相手は映画の制作を手がける天然色活動写真株式会社(天活)の社員だったのです。仲裁した円谷青年が聡明であると認められ同社に入社することになったのです。この会社で円谷少年はカメラマンを目指すことになりました。

 大正9年(1920年)、天活は後に国際活映(国活)に吸収され円谷青年はカメラマン助手として働いていました。このとき飛行機に搭乗して空中撮影を行う仕事が舞い込みましたが怖がって引き受けるカメラマンが誰もおらず円谷青年が自ら志願しました。パイロットを目指していた円谷青年は航空写真の撮影をやすやす成し遂げカメラマンに昇格しました。しかし、大正10年(1921年)、20歳になった円谷青年は国活を退社し兵役に就くことになりました。2年後の大正12年(1923年)に除隊し国活に復帰しカメラマンとして活躍しました。

 昭和3年(1928年)に松竹京都下加茂撮影所にカメラマンとして入社し映画の撮影を行いますが後の特撮技術に通じる特殊な撮影方法を取り入れるようになりました。昭和7年(1935年)に日活太秦撮影所から誘いを受け移籍しました。この頃、アメリカ映画「キングコング」を見て先進的な特撮に衝撃を受け特撮に興味を持つようになりました。しかしながらこの取り組みが日活と合わず昭和9年(1934年)に東宝の前身のJOトーキーに移籍しました。

カメラマンの円谷英二(1934年)
カメラマンの円谷英二(1934年)

 昭和10年(1935年)、連合艦隊の練習艦「浅間」に6カ月間乗艦し練習の様子を撮影し、初監督作品となるドキュメンタリー映画「赤道を超えて」を製作しました。同年、ファンタジー映画「かぐや姫」を撮影しています。

 昭和12年(1937年)に「東宝映画株式会社」が設立され東宝東京撮影所でカメラマンとして働くことになりましたがスタッフが特殊撮影を理解できなかったことから一人で特殊技術に取り組みオプチカル・プリンターの研究などを始めました。

 昭和14年(1939年)、陸軍航空本部の依頼で埼玉県熊谷陸軍飛行学校で飛行機操縦の教材映画を製作しました。飛行機を一人で操縦しながら空中撮影を行いました。陸軍関係者は円谷監督の飛行機技術にずいぶん驚いたようです。その後、ミニチュアを用いた戦争映画を手掛け特殊撮影が高く評価されました。昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が開戦すると軍の要請により戦意高揚を目的とした戦争映画を制作することになりました。特撮は必須となり円谷監督のスタッフが特殊技術を手がけました。

 多くの戦争映画を撮影しましたが昭和20年(1945年)8月1日に召集されましたが15日に終戦を迎え撮影所に戻りました。昭和23年(1948年)3月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は戦時中に戦意高揚の映画を作成したとして公職を追放され東宝を退職しました。退職後もあきらめずに自宅にプレハブを建て円谷特殊技術研究所を設立し特撮技術の開発に取り組みながら映画の製作に参加しました。

 昭和27年(1952年)に公職追放が解かれ東宝に復帰しました。昭和29年(1954年)のゴジラの特撮を担当したのを皮切りに多くの怪獣映画で特技監督を務めました。昭和31年(1956年)には自宅の円谷特技研究所での個人としての活動を再開しました。昭和38年(1963年)に東宝を退社し同年4月12日に株式会社円谷特技プロダクションを設立、テレビドラマの特撮を手掛けるようになりました。その後の活躍は関連記事の「ウルトラQ」「ウルトラマン」などをご覧ください。

 円谷プロダクションの作品は子どもたちに夢を与えるだけでなく正義とは何かを考えさせるなど多くの影響を与え続けています。

【関連記事】

日本における動力飛行機の初飛行(1910年12月19日)

日本のライト兄弟 玉井清太郎と玉井藤一郎|羽田空港が開港(1931年8月25日)

ゴジラの日 1954年11月3日(昭和29年)

ゴジラまでシェー 怪獣大戦争の公開(昭和40年 1965年12月19日)

ウルトラQ放送開始(1966年1月2日)

ウルトラマンの日(1966年7月10日)

ウルトラセブン放送開始の日(1967年10月1日)

 

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2024年6月21日 (金)

モーリー島事件(1947年6月21日)

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 1947年6月21日、アメリカ合衆国ワシントン州モーリー島の巡視していたフレッド・クリスマンハロルド・ダールは上空に非常に大きなドーナツ型の6機の飛行物体を発見しました。飛行物体の1機が中心部から何千枚も白紙のようなものを撒き散らしはじめました。この白紙は白色の軽い金属片であることが判明しました。このとき溶岩のような物体が巡視船に落下し作業員が骨折し犬が1匹死亡しました。

モーリー島事件(1947年6月21日)
モーリー島事件(1947年6月21日)

 この事件を聞いたSF雑誌「アメイジング・ストーリーズ」現編集者のレイモンド・アルフレッド・パーマーは1947年6月24日に未確認飛行物体を飛んでいるのを目撃したケネス・アーノルドに連絡しモーリー島の事件の調査を要請しました。アーノルドはクリスマンとダールに事件の状況をインタビューし調査に乗り出しました。ダールは事件の概要を説明し、事件後に黒服の男(メン・イン・ブラック)が現れ事件について話をしないように求められたと証言しました。クリスマンはモーリー島から金属片を回収し、また珍しい乗り物を目撃したと証言しました。

 アーノルドはさらなる調査のために7月4日にUFOを目撃したユナイテッド航空のエミール・J・スミス機長を雇いました。クリスマンはアーノルドとスミスに回収した金属片を見せましたが、その金属片はありふれたものでした。

 アーノルドはカリフォルニア州ハミルトン飛行場第4空軍軍事情報部フランク・ブラウン中尉に連絡、アーノルドはブラウン中尉とウィリアム・L・デイビッドソン大尉に会いました。デイビッドソン大尉とブラウン中尉は事件について調査を行いクリスマンの金属片を回収しました。その後、 2人はB-25ミッチェルでカリフォルニアへ帰還しましたがこの飛行機が墜落し2人とも死亡しました。

 墜落事故まで発生したため事件を重く見たFBIは捜査を開始しました。ダールは「当局に尋問されたらでっちあげだと言うつもりだった」と述べていることからこの事件が虚偽であると判断して捜査を進めました。その結果、FBIはクリスマンとダールが自分たちの作り話で報酬を得るため様々な出版社に連絡を取っていたことを確認し事件はでっちあげられたものと結論づけました。

 このモーリー島事件でクリスマンとダールが処分されなかったことから、政府が事件を隠蔽しようとしたという噂も流れました。しかし、捜査において2人のジョークが本人たちが意図せずに急激に広がり、B-25ミッチェルの墜落事故も直接的な関係がないと判断されたのが真相のようです。この事件はでっちあげと結論づけられたにも関わらず、その後もUFO事件として何度も取り上げられました。とりわけ「黒服の男メン・イン・ブラック)」という概念が広がりました。

 

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2024年4月10日 (水)

テレビドラマ「バットマン」日本で放送開始(1966年4月10日)

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 バットマンはDCコミックスのボブ・ケインとビル・フィンガー原作の「バットマン」に登場するスーパーヒーローです。1939年5月に「ディテクティブ・コミックス」に初登場し人気となりました。

 現在、バットマンと言えば1986年から公開されている映画が有名ですが、昭和40年頃の日本ではテレビドラマ「バットマン」が大人気でした。このテレビドラマは11966年1月12日から1968年3月14日までアメリカで放送され、日本では昭和41年(1966年)4月10日から昭和42b年(1967年)11月15日までフジテレビ系列で放送されました。バットマンことブルース・ウィリスを演じたのはアダム・ウェスト、ロビンことディック・グレイソンを演じたのはバート・ウォードです。日本語版はバットマンを広川太一郎、ロビンを森功至が吹き返しました。

バットマン(1966年テレビドラマ)
バットマン(1966年テレビドラマ)

 このテレビドラマのバットマンのコスチュームは現在知れているものとは異なりずいぶん軽装ですがコミック版を踏襲しています。このドラマを見ていた世代の人にとってはこちらのコスチュームの方が印象に残っているかもしれません。バットモービルもかっこ良かったです。

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 アクションシーンでは漫画の擬音のように「BAM!」「BOOM!」などの文字が表示され迫力がありました。グリーン・ホーネットが登場したときにはカトー役のブルース・リーが出演しています。

バットマン対グリーンホーネット カトー(ブルースリー)対 ロビン

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2024年4月 2日 (火)

新八犬伝放送開始(1973年4月2日)

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 人形劇「新八犬伝」はNHK総合テレビジョンで1973年4月2日から1975年3月28日まで放送された番組です。

新八犬伝
新八犬伝

「新八犬伝」の原作は江戸時代後期の文化11年(1814年)に滝沢馬琴(曲亭馬琴)が執筆を始めた長編小説の「南総里見八犬伝」です。馬琴はこの物語を28年間もかけて執筆し天保13年(1842年)8月20日(新暦:1841年9月24日)に全98巻106冊で完結させました。

 南総里見八犬伝の完成(1842年8月20日)

 南総里見八犬伝は非常に長い物語なので小説を全て読んだ人はそれほどいないかもしれません。しかし、短編にまとめた小説、映画、テレビドラマを見たことのある人は多いと思います。

 自分が南総里見八犬伝を知ったのは人形劇「新八犬伝」でした。九の文字が書かれた覆面をかぶった語り部の黒子を坂本九が演じ、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」「本日これまで!」など滑舌の良い名調子の口上が人気になりました。テーマ曲も軽快で良かったです。

新・八犬伝OP~めぐる糸

 残念ながら新八犬伝のマスターテープは残っておらず再放送はできない状況です。当時はテープが高価だったため上書きして使っていたのです。現在、4話を見ることができるだけになっています。

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