カテゴリー「宇宙」の54件の記事

2024年6月21日 (金)

モーリー島事件(1947年6月21日)

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 1947年6月21日、アメリカ合衆国ワシントン州モーリー島の巡視していたフレッド・クリスマンとハロルド・ダールは上空に非常に大きなドーナツ型の6機の飛行物体を発見しました。飛行物体の1機が中心部から何千枚も白紙のようなものを撒き散らしはじめました。この白紙は白色の軽い金属片であることが判明しました。このとき溶岩のような物体が巡視船に落下し作業員が骨折し犬が1匹死亡しました。

モーリー島事件(1947年6月21日)
モーリー島事件(1947年6月21日)

 この事件を聞いたSF雑誌「アメイジング・ストーリーズ」現編集者のレイモンド・アルフレッド・パーマーは1947年6月24日に未確認飛行物体を飛んでいるのを目撃したケネス・アーノルドに連絡しモーリー島の事件の調査を要請しました。アーノルドはクリスマンとダールに事件の状況をインタビューし調査に乗り出しました。ダールは事件の概要を説明し、事件後に黒服の男(メン・イン・ブラック)が現れ事件について話をしないように求められたと証言しました。クリスマンはモーリー島から金属片を回収し、また珍しい乗り物を目撃したと証言しました。

 アーノルドはさらなる調査のために7月4日にUFOを目撃したユナイテッド航空のエミール・J・スミス機長を雇いました。クリスマンはアーノルドとスミスに回収した金属片を見せましたが、その金属片はありふれたものでした。

 アーノルドはカリフォルニア州ハミルトン飛行場第4空軍軍事情報部フランク・ブラウン中尉に連絡、アーノルドはブラウン中尉とウィリアム・L・デイビッドソン大尉に会いました。デイビッドソン大尉とブラウン中尉は事件について調査を行いクリスマンの金属片を回収しました。その後、 2人はB-25ミッチェルでカリフォルニアへ帰還しましたがこの飛行機が墜落し2人とも死亡しました。

 墜落事故まで発生したため事件を重く見たFBIは捜査を開始しました。ダールは「当局に尋問されたらでっちあげだと言うつもりだった」と述べていることからこの事件が虚偽であると判断して捜査を進めました。その結果、FBIはクリスマンとダールが自分たちの作り話で報酬を得るため様々な出版社に連絡を取っていたことを確認し事件はでっちあげられたものと結論づけました。

 このモーリー島事件でクリスマンとダールが処分されなかったことから、政府が事件を隠蔽しようとしたという噂も流れました。しかし、捜査において2人のジョークが本人たちが意図せずに急激に広がり、B-25ミッチェルの墜落事故も直接的な関係がないと判断されたのが真相のようです。この事件はでっちあげと結論づけられたにも関わらず、その後もUFO事件として何度も取り上げられました。とりわけ「黒服の男(メン・イン・ブラック)」という概念が広がりました。

 

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2024年4月17日 (水)

アポロ13号が帰還(1970年4月17日)

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 アポロ13号はアメリカ合衆国のアポロ計画の3度目の有人月面飛行です。アポロ13号は1970年4月11日にサターンV 型ロケットでケネディ宇宙センター第39発射施設から発射されました。搭乗員はジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア船長、ジョン・レナード・"ジャック"・スワイガート・ジュニア司令船操縦士、フレッド・ウォレス・ヘイズ・ジュニア月着陸船操縦士の3名です。

アポロ13号の打ち上げ
アポロ13号の打ち上げ

 アポロ13号は発射直後に第2段ロケットの中央エンジンが予定より早く停止しましたが残りのエンジンで対応したため大事には至りませんでした。この原因はエンジンの振動によるもので空中分解の危険性があると判断し中央エンジンが自動的に停止したものでした。

 何とか事なきを得たアポロ13号は月を目指して飛行を続けましたが発射から2日後の13日、機械船の第2酸素タンクの残量表示の故障が発生しました。故障の原因を探るためにタンクの攪拌機のスイッチを入れたところタンク内部の電線が短絡し放電が発生、これによって第2酸素タンクが爆発してしまいました。

 このとき宇宙飛行士3人はこの爆発に気が付いておらず小惑星が衝突したと考えていました。しかし、この爆発により第1酸素タンクも損傷を受け数時間後には機械船の酸素が完全に失われることが判明しました。ジョンソン宇宙センターの管制官と宇宙飛行士は酸素を可能な限り維持するよう試みました。酸素タンクは司令船オデッセイ号にも存在していましたが、司令船の酸素は地球への帰還する大気圏突入時に必要となる10時間分しか搭載されていませんでした。月面着陸を目指していたアポロ13号には月着陸船アクエリアス号が連結されていました。宇宙飛行士たちは管制センターの指示で司令船の機能を停止し月着陸船に乗り移りました。

司令船オデッセイ号
司令船オデッセイ号

 アポロ13号の月面着陸のミッションは中止となり地球への無事帰還が新たなミッションとなりました。月に向かうアポロ13号が地球に帰還すするには機械船のエンジンを噴射して向きを変える方法(直接中止)と自由帰還軌道にそって月の裏側を回って向きを変える方法(月周回中止)の2つがあります。機械船のエンジンは爆発で損傷している可能性があるため直接中止は回避され、月周回中止が選択されました。

 ところがアポロ13号は月面着陸の目的地をめざすため自由帰還軌道からずれた軌道を取っていました。このまま進むと向きは変えられても地球に戻ることはできないため月着陸船の降下用エンジンの噴射を使って軌道修正が行われました。4月15日に月面から254.3 km上空を通過し月に最接近することに成功しました。これによってアポロ13号の地球への帰還の目処は立ちましたが宇宙飛行士が生還できるかどうかは先行きが不透明な状態でした。しかし、管制センターと宇宙飛行士はあらゆる手段を使って地球へ帰還することを目指したのです。

 宇宙飛行士が避難した月着陸船には酸素は十分に搭載されていましたが、2人が2日間滞在できるように設計されていました。宇宙飛行士たちが次に見舞われた問題は二酸化炭素の除去装置のフィルターに使われている水酸化リチウムの量でした。機内の二酸化炭素濃度が増えると中毒が発生します。月着陸船には3人が地球に帰還するまでに必要な量の水酸化リチウムはなかたのです。そこで管制センターは司令船の二酸化炭素除去フィルターを使うことにしました。司令船には十分な量のフィルターが搭載されていましたが司令船と月着陸船で使われているフィルターの規格が違っていたためその形状が異なりました。宇宙飛行士たちは管制センターの指示でビニール袋やボール紙をガムテープで貼り合わせフィルターを取り付ける枠を作成しこの難を逃れました。

 酸素と二酸化炭素の問題は解決しましたが電力と水の問題が残されていました。司令船と機械船には燃料電池が搭載されており発電とともに副産物として飲料水や冷却水を生成することができました。しかし月着陸船にはボタン電池に使われる酸化銀電池が搭載されていたため水を生成することができず電気も節約しなければなりませんでした。これによって宇宙飛行士は水を飲むことができず、船内の室温も下がり凍るほどの寒さとなりました。宇宙飛行士は汗をかいて水分が失われるのを恐れて宇宙服を着ませんでしたが、そのために船内のいたるところで水蒸気が凝縮して水滴がつきました。この結露による回路の短絡が懸念されましたが過去の事故の教訓から対策が施されていたため問題にはなりませんでした。

 苦難を乗り越えてアポロ13号は地球、目前の青い地球を見て飛行士3人は安堵したことでしょう。地球への帰還のためまず機械船を切り離しましたが、3人は機械船のタンクのカバーが全て失われているのを見て愕然としたそうです。

アポロ13号の機械船(大気圏再突入直前)
アポロ13号の機械船(大気圏再突入直前)

 3人は地球帰還直前まで滞在した月着陸船アクエリアス号から司令船オデッセイ号に乗り移りアクエリアス号を切り離しました。オデッセイ号は大気圏に突入し、1970年4月17日18:07:41 UTCに太平洋上の南緯21度38分24秒 西経165度21分42秒の地点に着水しました。こうして3人の宇宙飛行士たちが地球に生還することができたのです。アポロ13号が月面着陸を目的としたミッションでなければ宇宙飛行士たちは酸素不足で命を落としいたでしょう。

アポロ13号の宇宙飛行士(左からラヴェル、スワイガート、ヘイズ)
アポロ13号の宇宙飛行士(左からラヴェル、スワイガート、ヘイズ)

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ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す(1961年5月25日)

アポロ11号打ち上げ(1969年7月16日)

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2024年1月12日 (金)

H-IIAロケット48号機打ち上げ成功(2024年1月12日)

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 日本政府の情報収集衛星を搭載したH-IIAロケット48号機は2024年1月11日に打ち上げの予定でした天候悪化の懸念から12日に延期されていました。H-IIAロケット 48号機は予定通り12日午後1時44分に種子島宇宙センター(鹿児島県)から打ち上げられました。宇宙空間に到達後に人工衛星を軌道に投入し午後2時過ぎにミッション成功が伝えられました。

 H-IIAロケットは2001年に初めて打ち上げられて以来、失敗したのは2003回の6号機のみです。6号機も固体ロケットブースター1本が分離せず衛星軌道投入に必要な速度が得られないことから指令破壊信号により空中でロケットを破壊したものです。今回もミッション成功ですので7号機から42回連続打ち上げ成功になります。

H-IIAロケット
H-IIAロケット

 今回、打ち上げた人工衛星は光学センサーを用いて地上を撮影する光学衛星「光学8号機」という情報収集衛星です。光学衛星は地上の光の捉えることで観測を行います。「光学8号機」は周辺国のミサイル発射施設の状況や災害などの被害状況の把握などに活用されることになっています。

 情報収集衛星には光学衛星の他にレーダーで地上を調べるレーダー衛星があります。現在運用中の情報収集衛星は「光学5号機」「光学6号機」「光学7号機」「データ中継1号機」、「レーダ3号機」「レーダ4号機」「レーダ予備機」「レーダ5号機」「レーダ6号機」「レーダ7号機」です。

 H-IIAロケットは新型のH3ロケットの登場により50号機で退役する予定です。H3ロケットは2023年3月の初号機の打ち上げは失敗してしまいました。2号機の打ち上げは2024年2月に計画されいます。

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カテゴリ:宇宙

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2024年1月 8日 (月)

宇宙飛行士ワレリー・ポリャコフが地球を出発(1994年1月8日)

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 ワレリー・ポリャコフはソビエト連邦おびロシアの宇宙飛行士です。1988年に「ソユーズTM-6」で出発し宇宙ステーション「ミール」を訪れ240日間滞在し1989年4月27日に「ソユーズTM-7」で地球に帰還しました。これがポリャコフの初めての宇宙飛行になりました。

ワレリー・ポリャコフ
ワレリー・ポリャコフ
ロシア連邦国防省による提供(attribute Mil.ru)

 ポリャコフの2度目の宇宙飛行は1994年1月8日です。この日「ソユーズTM-18」で「ミール」に向けて出発し1995年3月22日に「ソユーズTM-20」で地球に帰還しました。この宇宙飛行でポリャコフは「ミール」で約437日間滞在、この宇宙滞在記録は史上最長の有人宇宙飛行となりました。

 ポリャコフが「ミール」で長期滞在した背景には火星への有人飛行の現実性を探る目的がありました。ポリャコフの経験から得られたデータはヒトが長期間宇宙飛行しても地上と同様な健康な精神状態を維持できることを示しました。「ソユーズTM-20」で地球に帰還したとき、ポリャコフはソユーズカプセルから歩いて移動しました。ヒトが火星に向けて長期間の宇宙旅行をした後でも自力で動くことができる身体能力を有しているということを証明することが目的でした。

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2023年11月18日 (土)

生誕100年 米国初の宇宙飛行士アラン・シェパード(1923年11月18日)

カテゴリ:宇宙 天文 今日は何の日

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 世界初の宇宙飛行士は旧ソビエト連邦(ソ連)のユーリイ・ガガーリンです。ガガーリンはソ連が1961年4月12日に打ち上げたボストーク1号で有人宇宙飛行に成功しました。宇宙開発でソ連に先を越されていた米国は1959年から有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」を進めていましたがソ連より先に有人宇宙飛行を成功させることはできませんでした。

 この米国のマーキュリー計画に宇宙飛行士と選ばれた7人のことをマーキュリーセブンといいます。その7人のうちの1人がアラン・バートレット・シェパード・ジュニアです。アラン・シェパードはニューハンプシャー州デリーで1923年11月18日に生まれました。17歳の頃から米国海軍のテストパイロットとして働き始め新型ジェット戦闘機のテスト飛行を行いました。テストパイロットとしての手腕が認められ米国航空宇宙局 (NASA) の宇宙飛行士とりマーキュリー計画に参加しました。

 1961年5月5日、アラン・シェパードはマーキュリー計画の「マーキュリー3号(フリーダム7)」に搭乗し大気圏外に出ました。わずか15分28秒の弾道飛行でしたがアラン・シェパードは米国人初の宇宙飛行士となりました。

アラン・シェパード(フリーダム7号)
アラン・シェパード(フリーダム7号)

 アラン・シェパードはその後もジェミニ計画やアポロ計画に参加しました。事故を起こしたアポロ13号に搭乗する予定でしたが中耳炎ため搭乗できませんでしたが、アポロ14号では船長として搭乗しました。この時のシェパードは47歳で月面を歩いた最高齢の人類となりました。また月面でゴルフをしたことでも有名です。アラン・シェパードは海軍少将として退役し1998年7月21日に74歳で他界しました。

 アポロ14号のアラン・シェパードの月面ゴルフなどについては米国初の宇宙飛行士アラン・シェパードの命日(1998年7月21日) を参照してください。月面ゴルフの映像などを見ることができます。

【関連記事】生誕100年 米国初の宇宙飛行士アラン・シェパード(1923年11月18日)

米国初の宇宙飛行士アラン・シェパードの命日(1998年7月21日)

 

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2023年9月24日 (日)

NASAの人工衛星UARSが大気圏突入(2011年9月24日)

 大気観測衛星UARS(Upper Atmosphere Research Satellite、和訳:上層大気観測衛星)は1991年にスペースシャトル・ディスカバリーとともに打ち上げられ、高度580キロメートの軌道を周回していました。地球の上層大気、オゾン層の観測が主たる目的でしたが、2005年に燃料がつきたため軌道高度を下げた後、同年12月15日に運用を停止しました。以降は制御不能な状態で地球を周回していました。

大気観測衛星UARS
大気観測衛星UARS

 2011年9月、米航空宇宙局NASAはUARSが23日頃に地球に落下するとの見通しを発表しました。UARSは全長10メートル、重さ6トンの大きさです。大気突入時に大部分は燃え尽きますが、分解した衛星の破片が地上に落下してくる可能性があります。破片が落下する正確な日時や場所について発表時点ではわかっておらず800キロ四方に分散して落下すると発表されました。このためNASAは落下の12時間前、6時間前、2時間前に、予想される落下時刻と落下点を発表することにしましたが2時間前の予想でも時刻で25分以上、落下点で最大1万2000キロの誤差が生じる可能性がありました。

 UARSの破片が地上にいる人に衝突する確率は3,200分の1と予測されました。一般に通常の人工衛星の落下で被害が出る確率は10000分の1と言われています。ですから3,200分の1は人工衛星の落下としては比較的高い確率です。他の確率と比較してみましょう。1回だけ5枚のカードを配るポーカーでフォーカードが出る確率は4165万分の1です。 18頭立ての競馬ででたらめに3連単を買ったときに当たる確率は4896分の1です。

 NASAは9月27日にUARSが9月24日午前4時1分(GMT)に南緯14.1度、西経170.2度の太平洋上で大気圏に突入したと発表しました。この場所は南半球の付近に陸地のない海洋です。UARSは海の藻屑となりました。破片による被害や落下の目撃の証拠もありません。

【関連記事】NASAの人工衛星UARSが大気圏突入(2011年9月24日)

宇宙・天文|今日は何の日

宇宙開発記念日(1957年10月4日)

米国サターンロケットの打上げに成功(1961年10月27日)

テルスター衛星打ち上げ(1962年7月10日)

ランドサット1号の打ち上げ(1972年7月23日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

パイオニア10号が太陽系を離脱(1983年6月13日)

・科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

木星探査機ガリレオが運用終了(2003年9月21日)

赤外線天文衛星「あかり」打ち上げ(2006年2月22日)

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2023年8月31日 (木)

ブルームーンのスーパームーン(2023年8月31日)

 本日2023年8月31日は満月です。月と地球の距離が最短になるため月の見掛けの大きさが通常よりも大きくなります。このような満月はスーパームーンと呼ばれます。また1ヶ月間に2回目の満月はブルームーンと呼ばれます。つまり本日の満月はブルームーンのスーパームーンということになります。次の写真は2023年8月31日午前1時過ぎに撮影したものです。

スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日 f:8 ss:320 iso:100)
スーパームーンのブルームーン(撮影2023年8月31日01:16 f:8 ss:320 iso:100)

 月の平均公転半径は384,400 キロメートルで月と地球の平均距離は約38万キロメートルです。この距離は季節によって変化します。2023年2月6日の満月は月と地球の距離が最大となり約40万6千キロメートルでした。見掛けの大きさが最も小さい満月となりました。2023年8月31日の満月は月と地球の距離が最小となり約35万7千キロメートルで見掛けの大きさが最も大きい満月となりました。

【撮影機材】

 この月の写真の撮影に使用したカメラはパナソニック デジタルカメラ ルミックス FZ85 ブラック DC-FZ85-Kです。焦点距離が20 mm〜1200 mmで、光学ズームでは60倍まで拡大可能です。超解像iAズームで2400 mm相当まで画質の劣化がほんどなく拡大できます。

 このカメラにパナソニックの純正のテレコンバージョンレンズ DMW-LT55を装着しました。倍率は1.7倍です。純正ではありますが、FZ-85で光学ズームを最大にすると、色収差の影響が出て月の縁が青みがかって写ります。

 なおFZ-85にこのテレコンをつけるには、パナソニック レンズアダプター ルミックス DMW-LA8が必要です。

 

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2023年8月26日 (土)

ソ連が世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM)の実験成功を発表(1957年8月26日)

 R-7セミョールカ(ロシア語: Р-7 Семёрка、GRAUインデックス8K71)は冷戦中の1957年にソビエト連邦が秘密裏に開発した世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)です。開発はセルゲイ・コロリョフが率いるOKB-1が担当しました。

R-7のロシアの切手
R-7のロシアの切手

 R-7の大元になったミサイルはドイツが開発したV2ロケットをソ連が1948年に複製したR-1です。このロケットはOKB-1によってR-2、R-3と改良されました。ソ連は同時期にドイツ人の技術者チームに射程距離3,000キロメートル、搭載弾頭3,000キログラムのG-4の開発に着手させました。G-4はR-3より優れていましたが、ソ連はR-3を採用しました。これによってOKB-1がミサイルの開発を進めることになりました。

 OKB-1がR-7の開発に着手したのは1953年です。R-7の当初の要求仕様は重量3,000キログラムの分離式弾頭を備えた射程距離8,000キロメートルの170トンの二段式ミサイルでしたが、セミパラチンスク核実験場での実験の結果から弾頭重量が5,500キログラムに変更されました。この仕様変更は設計を大きく見直す必要がありました。テストを重ねながら設計が完了したのは1954年でした。

 この背景でソ連はドイツ人チームに同じ要求仕様を提示しG-5の開発に当たらせていました。ドイツ人チームにはOKB-1でのロケット開発の情報は伝えられることはありませんでしたが、ドイツ人チームの成果はOKB-1に伝えられていました。ドイツ人チームはクラスター式ロケットを考案し、これがR-7にも採用されることになりました。クラスター式ロケットは現在のソユーズにも用いられています。

 R-7は1956年から製作され1957年3月にR-7 M1-5が完成しました。このロケットの試験はバイコヌール宇宙基地で行われ、同年5月15日19時01分(モスクワ時間)に初めて発射されました。これが世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM)の発射実験となりましたが、打ち上げ後400キロメートル先で燃料漏れを起こしたため破壊されました。2回目の発射テストは同年6月11日に行われましたが事前の試験でトラブルが発生し実験が中止となりました。3回目のテストは発射直前のトラブルで打ち上げが延期となりました。同年7月12日、再び3回目の発射テストが行われましたが発射後33秒でトラブルが発生しました。R-7の発射テストが成功したのは同年8月21日です。4回目の発射テストで6,000キロメートルの長距離飛行に成功したのです。この成功は1957年8月26日付けでソ連のタス通信によって「ソ連が多段大陸間弾道ミサイルの実験に成功」と配信されました。西側諸国は打ち上げまで把握していませんでした。 

 R-7自身は1961年までに28回打ち上げられましたが配備されることはありませんでしたが、改良形のR-7Aは1959年から1968年まで配備されました。またR-7は宇宙開発用ロケットにも転用され世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げや世界初の有人宇宙船ボストークの打ち上げに用いられました。ソユーズもR-7から派生したロケットです。R-7はソ連の宇宙開発の原動力となりました。

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宇宙・天文|今日は何の日

宇宙開発記念日(1957年10月4日)

スプートニク5号の宇宙犬ベルカとストレルカが生還(1960年8月20日)

ソ連がスプートニクス2号を打ち上げ(1957年11月3日)

地球は青かった!ユーリー・ガガーリン|ボストーク1号打ち上げ(1961年4月12日)

世界初の女性宇宙飛行士を乗せた「ボストーク6号」打上げ(1963年6月16日)

世界で初めて複数の人間を宇宙に送る(1964年10月12日)

 

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2023年8月24日 (木)

冥王星が惑星から除外され準惑星に(2006年8月24日)

 冥王星は1930年にクライド・トンボーが発見し長らく太陽系第9惑星とされていました。発見当初から冥王星は他の惑星と比較して離心率の大きい軌道と黄道面から傾いた軌道傾斜角を持つことが知られていました。1990年代に太陽系外縁天体(TNO)が発見されるようになると、冥王星が惑星であることに異論が出るようになりました。

冥王星
冥王星

 冥王星の質量は地球と同じか数倍程度と考えられていましたが、天体観測技術の向上により予想よりはるかに小さい質量であることが判明しました。また冥王星の氷の成分が彗星の氷と同じであることから冥王星は微惑星が集合したものと考えられるようになりました。 1990年代後半には様々な観測データから冥王星は太陽系外縁天体と考えられるようになりましたが、国際天文学連合(IAU)は冥王星の立場を変えることなく惑星のままとしました。

 しかしながら天体観測技術のさらなる向上によって多くの太陽系外縁天体が発見されるようになり、その中には冥王星の大きさに匹敵するものもありました。冥王星が惑星とするならば新たに発見された冥王星級の太陽系外縁天体も惑星ということになってしまいます。

 2006年8月14日からチェコのプラハで開かれたIAU総会で惑星の定義を改める議論が行われました。最初に提示された原案の定義では冥王星は惑星とされ、他に3つの天体が惑星が加えられて太陽系の惑星が12個となりました。しかしながら、この原案に対して多くの反対が声があがり大幅に見直されることになりました。そして、同年8月24日に「惑星」「準惑星 (dwarf planet)」、「太陽系小天体(small Solar system)」 が定義されることになりました。これによって冥王星は惑星ではなくなり準惑星となったのです。

【関連記事】冥王星が惑星から除外され準惑星に(2006年8月24日)

海王星の日(1846年9月23日)

冥王星が発見される(1930年2月18日)

準惑星エリスを新天体として確認(2005年1月5日)

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2023年8月20日 (日)

無人宇宙探査機「ボイジャー2号」打ち上げ(1977 年8月20日)

 ボイジャー2号はNASA (アメリカ航空宇宙局)の木星より離れた天体の観測を目的とする無人宇宙探査機です。1977年8月20日、ボイジャー2号は1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号に先行してフロリダ州ケープカナベラル空軍基地からタイタンIIIEセントールロケットで打ち上げられました。

ボイジャー2号
ボイジャー2号

 ボイジャー2号は打ち上げから2年後の1979年7月9日に木星に最接近しました。この観測で木星の大赤斑が反時計回りで回転していることがわかり、新たな衛星アドラステアが発見されました。1981年には土星に再接近し、土星の上層の大気の観測を行いました。ボイジャー2号の当初の任務は土星の探査まででしたが、天王星や海王星に到達できることから計画が延長されました。

 ボイジャー2号が天王星に再接近したのは1986年1月24日です。わずか24時間ほどの観測で環の調査、大気の調査、磁場の発見、新たな10個の衛星の発見など天王星に関する様々な情報を得ました。海王星に再接近したのは1989年8月25日です。海王星が太陽より受ける熱より多い熱を放射していることを発見しました。また海王星の新たな6個の衛星を発見し、環が海王星を中心に同心円状に1周していることを確認しました。

 ボイジャー2号は海王星を探査した後、衛星トリトンでフライバイを行い太陽圏外に向かいました。現在は太陽圏外の領域の探査を目的とした星間空間ミッションに取り組んでいます。2023年7月18日、ボイジャー2号はパイオニア10号を追い抜きボイジャー1号に次いで太陽から2番目に遠い宇宙船となっています。Voygaer 1号とVoyager 2号の現在の情報は下記のサイトで参照することが可能です。2023年8月時点でボイジャー1号は地球から約149億マイル(約240億キロメートル)、ボイジャー2号は約124億マイル(約200億キロメートル)を飛んでいます。

Voyager - Mission Status

https://voyager.jpl.nasa.gov/mission/status/

 さてボイジャー1号とボイジャー2号には地球外知的生命体によって発見された場合に備えて様々な情報を記憶させたゴールドディスクを搭載しています。そのディスクには地球と地球の生物の写真、科学的な情報、地球人類からの挨拶の声、様々な地球の音や音楽が記憶されています。両機は特定の天体に向かっているわけではなく地球からどんどん離れていきます。地球との交信ができなくなっても宇宙の果てに向かって飛行を続けます。遠い未来に地球外知的生命体に発見される可能性もありますが、そのときに地球が存在しているかどうかはわかりません。

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宇宙・天文|今日は何の日

パイオニア10号が太陽系を離脱(1983年6月13日)

 

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