カテゴリー「宇宙」の35件の記事

2022年8月15日 (月)

「Wow! シグナル」6EQUJ5受信(1977年8月15日)

 地球外知的生命体探査SETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence)は地球外知的生命体の文明を発見する取り組みの総称です。世界各地でさまざまなSETIプロジェクトが展開されています。

 オハイオ州立大学でSETIプロジェクトに参加していたジェリー・R・エーマン博士は1977年8月15日にビッグイヤー電波望遠鏡でおよそ約72秒間にわたる狭い周波数に集中した強い電波を受信しました。この電波は恒星間通信に最適な信号の特徴を有しており、これに驚いたエーマン博士は信号を印刷物の当該電波を示す文字列6EQUJ5に赤丸をつけて「Wow!」と書き加えました。そのためこの電波は「Wow!シグナル」と呼ばれるようになりました。

Wow!信号の印刷物
Wow!信号の印刷物

 「Wow!シグナル」は太陽系外の地球外知的生命体が発したものではないかと考えられました。引き続き電波の観測が行われましたが2度と同じ電波を受信することはできませんでした。「Wow!シグナル」の正体は現在も謎のままになっています。

 「Wow!シグナル」は電波天文学で使用が禁止されている周波数を含むため地球から発せられた電波ではないことがわかっています。また発生起源について自然由来の可能性も検討されましたがあくまでも予想であり、「Wow!シグナル」の正体を突き止めるまでには至っていません。「Wow!シグナル」に着想して制作されたのがカール・セーガンのSF小説を映画化した1997年公開の「コンタクト」です。

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2022年8月10日 (水)

史上初の宇宙結婚式(2003年8月10日)

 ウクライナ系ロシア人でロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコさんと米国テキサス州のエカテリーナ・ドミトリエワさんは1998年頃に出逢い2002年末に婚約しました。その後、マレンチェンコさんはISSのクルーとして2003年4月末から国際宇宙ステーション(ISS)に滞在することになりました。2003年8月10日に2人の結婚式が米テキサス州ジョンソン宇宙センターにおいて衛星中継で行われました。

ユーリ・マレンチェンコ宇宙飛行士
ユーリ・マレンチェンコ宇宙飛行士

 2人の結婚式は史上初の宇宙空間に滞在する宇宙飛行士の結婚式となりました。このときマレンチェンコが搭乗していた国際宇宙ステーションはニュージーランド上空384キロメートルに位置していました。マリチェンコさんが任務を解かれたのは同年10月、2人が地球で再開したのは結婚式から約2ヶ月半後の10月末となりました。

 史上初の宇宙結婚式は世界中で報道され2人の結婚は多くの人に祝福されました。かつて冷戦で宇宙開発競争をしていたロシアとアメリカの友好な関係を象徴する出来事にもありました。

 世界に平和が訪れますように。

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2022年7月10日 (日)

テルスター衛星打ち上げ(1962年7月10日)

 テルスター衛星(Telstar)は米国航空宇宙局(NASA)が打ち上げた通信放送衛星です。

 テルスター衛星はベル研究所がAT&Tの依頼で製作したものです。テルスター1号は1962年7月10日にケープカナベラル空軍基地からソー・デルタロケットで打ち上げられ、約2週間後にアメリカとヨーロッパを結ぶテレビ放送の生中継に使われました。テルスター1号から送られてきた映像は劣悪で短時間の生中継でしたが当時の人々は遠く離れた場所のリアルタイムの映像を見ることができるようになったことに感動しました。

テルスター衛星
テルスター衛星

 しかしながらテルスター1号はわずか7ヶ月で運用を終了しました。これは打ち上げの前日7月9日に実施された米国による核実験で放出された電磁波に曝されたためです。テルスター1号はこの影響で異常な動作を示すようになりました。しばらくは衛星の電源の再起動で対応していましたが次第に応答が悪くなり送信機が故障し1963年2月21日に運用を終了しました。テルスター1号の技術は未熟ではありましたが、その後の進歩していく通信衛星の基礎となりました。

 テルスターの成功は世界的にも盛り上がりました。イギリスの音楽プロデューサーのロバート・ジョージ・"ジョー"・ミークは1962年にバンド「トルネイドース」のために「テルスター」と題するインストゥルメンタル曲を作曲しました。この曲は同年12月にイギリスのシングルチャートおよびアメリカのビルボードホット100で1位を獲得し大ヒットしました。この曲は後にシャドウズやベンチャーズなどがカバーしています。

The Tornados - Telstar - New improved stereo remix

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2022年3月10日 (木)

惑星直列(1982年3月10日)

 惑星直列は太陽系内の惑星が一直線に並ぶ現象のことです。実際には全ての惑星が一直線に並ぶことはありませんし、惑星直列という天文用語もありません。一般に惑星直列とは全ての惑星が太陽を中心とした中心角90度位内の扇形に入ったときのことを言います。この条件の惑星直列は過去に何度か起きていることが計算により確認されています。1128年には中心角が39度で最も直列に近い惑星直列が起きています。

惑星直列
惑星直列

 さて間近の惑星直列は1982年3月10日に起きました。この惑星直列は数年以上前からテレビ、雑誌、書籍などで取りあげられ、水星から冥王星(※1)までの全ての惑星が一直線に並ぶことにより惑星同士の引力が影響し合い天変地異が起こるなどの予言が流布しました。当時、本当に天変地異が発生するのでないかと心配になった人も少なくありませんでした。昭和時代に小中高校生だった人は学年誌などで読んだことを覚えているのではないかと思います。

 しかし全惑星が完全に一直線に並んでも引力の影響はほとんどないことがわかっています。計算では地球と月の引力よりも遙かに小さく地球で天変地異が生じることはありあません。実際、1982年に惑星直列が原因と考えられる災害は起こりませんでした(※2)

 ところで1982年の惑星直列は中心角が96度のため惑星直列ではなかったという指摘もあります。ちなみに1982年の直前の惑星直列は1817年で中心角は83.9度でした。次回は2161年に中心角68.7度の惑星直列が起きることが予測されています。

(※1)当時、冥王星は惑星だった

(※2)3月29日にメキシコのエルチチョン山が132年振りに噴火している。この大噴火で地球の気温が0.3~0.5度低下した。

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【おもしろ映像】地球の出と地球の入り

 

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2022年2月15日 (火)

【おもしろ映像】地球の出と地球の入り

 2007年に宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の月周回衛星「かぐや」が撮影した月の地平線から出てくる地球と地平線に沈む地球、つまり月から望む「地球の出」と「地球の入り」です。

 地球の出は、ちょっと地球が小さくて迫力がないのですが、地球の入りはそこそこ大きく映っていてとても綺麗です。

Kaguya HDTV Images of Earth Rise Over the Moon

 ところで、月には空気がありませんから、地球のように宇宙からやってくる光が大気で屈折するということはありません。つまり大気差がないということになります。

 夜空に輝く星の光は地球の大気で屈折しています。この屈折の度合いは天頂ではゼロですが、星の高さが低くなればなるほど大きくなります。そのため高度の低い星は実際に星がある位置よりも浮き上がって見えています。この現象を大気差といいます。水平線(地平線)近くの星では角度にして約0.6度もずれています。見かけの月の直径は角度にすると約0.5度ですから、私たちが月が沈んでいくのを見ているとき、月の実体はすでに水平線(地平線)に沈んでいることになるのです。

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2022年1月19日 (水)

巨大な小惑星7482(1994 PC1)が地球に大接近(2022年1月19日)

 日本時間19日午前6時51分(米東部時間1月18日午後4時51分)、約1.1キロメートルの大きさの地球近傍小惑星7482(1994 PC1)が地球に接近します。この小惑星が地球に衝突することはありませんが、地球から198万1398キロメートル離れたところを時速7万415キロメートルで通過すると予測されています。

7482(1994PC1)と地球の軌道の模式図
7482(1994PC1)と地球の軌道の模式図

 7482(1994 PC1)はオーストラリアのサイディング・スプリング天文台でスコットランド出身の天文学者ロバート・マックノートが1994年8月9日に発見した小惑星です。7482はこの小惑星の小惑星番号で1994 PC1は発見後に暫定的に付けられた仮符号です。後でわかったことですが実際には同天文台で1974年にも観測されていました。

 7482(1994 PC1)は潜在的に地球に衝突する可能性のある危険な小惑星に分類されていますが当面は地球に衝突する危険はないと考えられています。最も地球に接近したのは1933年1月17日で地球から月までの距離の約3倍の約113万 kmまで接近しました。

 本日2022年1月19日は午前6時51分に地球から月までの距離の約5倍の約198万 km離れたところを通過します。最接近時の見かけの明るさは10等級で肉眼で確認することはできませんが大口径の天体望遠極では観測可能です。

 さて地球から太陽までの距離は1億5000万キロメートル、月までの距離が38万キロメートル、地球と最接近したときの火星まで距離は7000万キロメートル、金星が4200万キロメートルです。ですから113万や198万キロメートルは本当に大接近なのです。

 NASAは今後200年の間ここまで接近する天体はないと予測していますのでひとまずご安心ください。

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2021年12月11日 (土)

アポロ計画最後の月面着陸(1972年12月11日)

 米国がソビエト連邦との冷戦下の宇宙開発競争で1961年に始めた米国のアポロ計画はアポロ11号による有人月探査船の月面着陸成功によって当初の目的を果たしました。その後、アポロ計画はアポロ13号を除いて月面着陸の成功を重ね、1972年に最後のミッションとなるアポロ17号を打ち上げました。

 アポロ17号は1972年12月7日に初めて夜間(米東部標準時間の午前0時33分)にサターンV型ロケットで打ち上げられました。発射30秒前にハードウェアの故障によりカウントが中断しましたが軽微なトラブルだったため復旧することができ2時間40分遅れの打ち上げとなりました。夜間の打ち上げだったためロケットの航跡は遠方からでも確認できたくさんの人が夜空を見上げました。アポロ17号は無事に地球周回軌道に乗り、発射から約3時間後に月に向かう軌道に投入され12月10日に月の周回軌道に入りました。

 アポロ17号のクルーは船長ユージン・サーナン 、司令船操縦士ロナルド・エヴァンス 、月着陸船操縦士ハリソン・シュミットです。ハリソン・シュミットは軍人ではなく一連のアポロ計画で初めて搭乗した地質学者でした。司令・機械船はアメリカ、着陸船はチャレンジャーと名付けられました。アメリカにはエヴァンスが残り、チャレンジャーにはサーナンとシュミットが乗り込みました。アメリカから切り離されたチャレンジャーは米国東部標準時間12月11日午後2時55分に静かの海と晴れの海の境目付近のタウルス・リトロー渓谷に着陸しました。

 サーナンとシュミットは船外活動を開始し、エヴァンスは軌道上から月の観測や実験を行いました。サーナンとシュミットは月面に3日間滞在し月面車で広範囲の探査を行いました。12月11日から13日までの3日間の滞在で66キログラムの試料を採集し、重力計測を9箇所で行いました。

 12月14日に着陸船チャレンジャーの上昇段が月面を離れ、司令・機械船アメリカとのドッキングに成功しました。上昇段はサーナンとシュミットおよび機器類が移動し、12月15日にアメリカから切り離され月面に衝突しました。地球に帰還する途上の12月17日、エヴァンスが船外活動を行い機械船からパノラマカメラなどの探査機器からフィルムを回収しました。

 12月19日、機械船が切り離され司令船は大気圏再突入しました。そして米国東部標準時間12月19日午後2時25分に太平洋に着水した。回収船タイコンデロガのヘリコプターがサーナン、エヴァンス、シュミットを回収し3人は無事に帰還、アポロ17号のミッションが終了しました。

アポロ17号のクルーとシュミットが操縦する月面車
アポロ17号のクルーとシュミットが操縦する月面車

 アポロ17号がアポロ計画最後の月面探査となり、当時としては最長の宇宙滞在時間、最長の月面活動時間、最長の月周回軌道滞在時間、過去最大量の月面試料の採集の記録を残しました。

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2021年12月 2日 (木)

日本人初の宇宙飛行(1990年12月2日)

 1981年4月に米国のスペースシャトル・コロンビア号が宇宙飛行に成功すると日本人として初の宇宙飛行士の登場が期待されました。日本人初の宇宙飛行士は1988年初めに計画された毛利衛さんのスペースシャトルの飛行となる予定でしたが、1986年のチャレンジャー号の爆発事故でスペースシャトルの打ち上げが中断となりました。再開後も安全性の確認のミッションなどが優先され、毛利さん搭乗のミッションは延期されました。

 1989年3月、TBSは創立40周年の事業として「宇宙特派員計画」を企画、ソビエト連邦宇宙総局と1,400万USドルで宇宙ステーション・ミール滞在の協定を結びました。TBSは社内で宇宙飛行士を公募し、記者の秋山豊寛さんとカメラマンの菊地涼子さんを選出しました。両名は1989年10月から1990年11月まで星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け、1990年11月に秋山氏がメインクルー、菊池氏がサブクルーと決まりました。

 秋山氏は同年12月1日に宇宙飛行士に承認され翌日の12月2日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた宇宙船ソユーズTM-11に搭乗しました。ソユーズTM-11は12月3日にミールとドッキングし、秋山さんはミールで8日間を過ごし12月10日に地球に帰還しました。これによって秋山さんは日本人初の宇宙飛行士となりました。また世界で初めて宇宙飛行をしたジャーナリストになりました。

秋山豊寛さんと宇宙ステーション・ミール
秋山豊寛さんと宇宙ステーション・ミール

 TBSは打ち上げの様子を生放送で伝えました。秋山さんは宇宙からの第一声として「宇宙は混とんとしている」と述べようと考えていましたが実際に宇宙は混とんとしておらず周回軌道に入った後スタッフと交信していました。その後、生放送が本番となりTBSの松永邦久アナウンサーが秋山さんに呼びかけましたが、秋山さんは思わず「本番ですか?」と業界人らしい応答をしています。

 毛利さんがスペースシャトルで宇宙に旅立ったのは1992年9月12日です。スペースシャトルエンデバーのミッション(STS-47)に搭乗し、ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗し、二人目の日本人宇宙飛行士となりました。菊地涼子さんは残念ながら宇宙飛行を経験することはできませんでした。

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ソ連がオービタ「ブラン」の打ち上げに成功(1988年11月15日)

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2021年11月15日 (月)

ソ連がオービタ「ブラン」の打ち上げに成功(1988年11月15日)

 ブランはソビエト連邦(ソ連)が開発した再利用が可能な宇宙船(オービタ、再使用型宇宙往還機)です。

ソ連のオービタ「ブラン」
ソ連のオービタ「ブラン」

 ブランはその姿が米国のスペースシャトルに似ているため発表当時ソ連版スペースシャトルと呼ばれましたが、ソ連はこの形状のオービタの構想を1960年代から持っていました。世界で初めて有人宇宙飛行をしたユーリイ・ガガーリンとブランのモックアップが一緒に写っている写真が残っています(Instituts TsAGI )。

 ブランとスペースシャトルは良く似ていますが大きな違いがあります。スペースシャトルはメインエンジンをオービタ本体に備えていますが、ブランにはメインエンジンがなく姿勢制御および逆噴射用のエンジンしか備えていません。スペースシャトルは大きな燃料タンク(茶色)と2基の固体燃料補助ロケットともに打ち上げられますが、ブランは大型ロケットのエネルギアに搭載されて打ち上げられます。

スペースシャトルとブラン
スペースシャトル(左)とブラン(右)

 ブランのオーブタにはメインエンジンが装備されていないためスペースシャトルのオービタに比べて軽量です。そのためスペースシャトより積載量を増やすことができ、大気圏突入時の速度制御や姿勢制御がしやすいという利点があります。

 またスペースシャトルはメインエンジンが不調になるとオービタが危険な状態になりますが、ブランはロケットを切り離すことが可能です。ブランには搭乗員の射出座席が搭載されており、オービタが不調の場合に搭乗員が脱出できるようになっています。

 1988年11月15日午前3時、ブランはバイコヌール宇宙基地から無人で発射されました。地球軌道を206分間周回した後、バイコヌール宇宙基地の滑走路に自動着陸しました。1992年にブランによる有人飛行が計画されていましたが、1991年12月25日のソ連が崩壊したことによりすべての計画が頓挫しました。

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2021年11月 3日 (水)

ソ連がスプートニクス2号を打ち上げ(1957年11月3日)

 ソビエト連邦(ソ連)は1957年10月4日(後の宇宙開発記念日)に世界初の人工衛星スプートニクス1号の打ち上げに成功すると、すぐにスプートニクス2号の打ち上げ準備に取り掛かりました。ソ連はこのスプートニクス2号にイヌを搭乗させました。スプートニクス2号は単なる人工衛星ではなく有人宇宙船の可能性を探るものだったのです。

 スプートニクス2号に搭乗した犬は名前は当初はよくわからなかったのですが、当時のソ連の関係者はこの犬のことを「クドリャフカ 」と呼んでいました。しかしながら、ニューヨーク・タイムズが犬はライカ犬と発表したことをきっかけに「ライカ」という名前が世界中に知れ渡り、ソ連も犬の名前を公式に「ライカ」と発表しました。ライカは犬種はよくわかっていませんが雌犬で体重は5 kg、性格は我慢強く他の犬と争うことはなかったようです。

世界で初めて地球周回軌道に到達した犬ライカ
世界で初めて地球周回軌道に到達した犬ライカ

 ライカを乗せたスプートニクス2号は1957年11月3日、バイコヌール宇宙基地からR-7ロケットで打ち上げられました。スプートニクス2号は軌道投入までは予定通り進みましたがロケットとの分離に失敗しロケットと一緒に軌道を周回することになりました。これによって温度制御ができなくなり船内の温度が41℃まで上昇しました。

 ライカを乗せたスプートニクス2号は機密が保たれ生命維持装置が備えられていました。しかしながら、地上へ帰還するための設備はありませんでした。スプートニクス2号は打ち上げから1週間後の11月10日には通信が途絶え、162日後の1958年4月14日に大気圏に突入し燃え尽きました。

 当初、ソ連はライカは打ち上げ10日後に安楽死したと報告していまいたが、後年の関係者が論文でライカは打ち上げから数時間後にストレスと船内の温度上昇で死んでいた可能性が高いと発表しています。

 ライカの尊い命が失われましたが、スプートニクス2号の打ち上げは後のユーリ・ガガーリンによる有人宇宙船の成功への第一歩となりました。打ち上げから40年後、モスクワの航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てらました。

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