カテゴリー「宇宙」の28件の記事

2021年11月15日 (月)

ソ連がオービタ「ブラン」の打ち上げに成功(1988年11月15日)

 ブランはソビエト連邦(ソ連)が開発した再利用が可能な宇宙船(オービタ、再使用型宇宙往還機)です。

ソ連のオービタ「ブラン」
ソ連のオービタ「ブラン」

 ブランはその姿が米国のスペースシャトルに似ているため発表当時ソ連版スペースシャトルと呼ばれましたが、ソ連はこの形状のオービタの構想を1960年代から持っていました。世界で初めて有人宇宙飛行をしたユーリイ・ガガーリンとブランのモックアップが一緒に写っている写真が残っています(Instituts TsAGI )。

 ブランとスペースシャトルは良く似ていますが大きな違いがあります。スペースシャトルはメインエンジンをオービタ本体に備えていますが、ブランにはメインエンジンがなく姿勢制御および逆噴射用のエンジンしか備えていません。スペースシャトルは大きな燃料タンク(茶色)と2基の固体燃料補助ロケットともに打ち上げられますが、ブランは大型ロケットのエネルギアに搭載されて打ち上げられます。

スペースシャトルとブラン
スペースシャトル(左)とブラン(右)

 ブランのオーブタにはメインエンジンが装備されていないためスペースシャトルのオービタに比べて軽量です。そのためスペースシャトより積載量を増やすことができ、大気圏突入時の速度制御や姿勢制御がしやすいという利点があります。

 またスペースシャトルはメインエンジンが不調になるとオービタが危険な状態になりますが、ブランはロケットを切り離すことが可能です。ブランには搭乗員の射出座席が搭載されており、オービタが不調の場合に搭乗員が脱出できるようになっています。

 1988年11月15日午前3時、ブランはバイコヌール宇宙基地から無人で発射されました。地球軌道を206分間周回した後、バイコヌール宇宙基地の滑走路に自動着陸しました。1992年にブランによる有人飛行が計画されていましたが、1991年12月25日のソ連が崩壊したことによりすべての計画が頓挫しました。

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2021年11月 3日 (水)

ソ連がスプートニクス2号を打ち上げ(1957年11月3日)

 ソビエト連邦(ソ連)は1957年10月4日(後の宇宙開発記念日)に世界初の人工衛星スプートニクス1号の打ち上げに成功すると、すぐにスプートニクス2号の打ち上げ準備に取り掛かりました。ソ連はこのスプートニクス2号にイヌを搭乗させました。スプートニクス2号は単なる人工衛星ではなく有人宇宙船の可能性を探るものだったのです。

 スプートニクス2号に搭乗した犬は名前は当初はよくわからなかったのですが、当時のソ連の関係者はこの犬のことを「クドリャフカ 」と呼んでいました。しかしながら、ニューヨーク・タイムズが犬はライカ犬と発表したことをきっかけに「ライカ」という名前が世界中に知れ渡り、ソ連も犬の名前を公式に「ライカ」と発表しました。ライカは犬種はよくわかっていませんが雌犬で体重は5 kg、性格は我慢強く他の犬と争うことはなかったようです。

世界で初めて地球周回軌道に到達した犬ライカ
世界で初めて地球周回軌道に到達した犬ライカ

 ライカを乗せたスプートニクス2号は1957年11月3日、バイコヌール宇宙基地からR-7ロケットで打ち上げられました。スプートニクス2号は軌道投入までは予定通り進みましたがロケットとの分離に失敗しロケットと一緒に軌道を周回することになりました。これによって温度制御ができなくなり船内の温度が41℃まで上昇しました。

 ライカを乗せたスプートニクス2号は機密が保たれ生命維持装置が備えられていました。しかしながら、地上へ帰還するための設備はありませんでした。スプートニクス2号は打ち上げから1週間後の11月10日には通信が途絶え、162日後の1958年4月14日に大気圏に突入し燃え尽きました。

 当初、ソ連はライカは打ち上げ10日後に安楽死したと報告していまいたが、後年の関係者が論文でライカは打ち上げから数時間後にストレスと船内の温度上昇で死んでいた可能性が高いと発表しています。

 ライカの尊い命が失われましたが、スプートニクス2号の打ち上げは後のユーリ・ガガーリンによる有人宇宙船の成功への第一歩となりました。打ち上げから40年後、モスクワの航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てらました。

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2021年10月30日 (土)

ラジオ番組「火星人の襲来」で全米大パニック(1938年10月30日)

 1938年10月30日、アメリカのCBS放送は流していたオーケストラの演奏を突然中断し緊急ニュースを伝えました。

 その緊急ニュースの内容は「最新ニュースをお伝えします。午後8時50分、隕石と思われる閃光を放つ巨大な物体が、トレントンから22マイルのニュージャージー州グロバーズミル近郊の農場に落下しました」というものでした。

 さらに「その物体は隕石ではなく地球上にはない金属で作られている、物体の中から怪物が姿を出し街を襲っている、これは火星人の来襲だ、派遣された軍が全滅した、人々はただただ祈るばかりである」などの実況が続きました。

 実はこの放送はCBSがH.G.ウェルズの「宇宙戦争」をハロウインの余興として流したものでした。番組の初めに、これから「宇宙戦争」のラジオドラマを流すというアナウンスがありましたが、たくさんの人が本当の出来事と勘違いをして大パニックが起こりました。

 このラジオは少なくても全米で600万人が聞いていたと言われています。100万人以上の人が不安になったり、おびえたしてし、病院に搬入された人や逃亡中に交通事故を起こした人もいたとの報告があります。また、実名のあがった地域で市民が猟銃を持って外出するなどの報道もありました。

 ラジオ局はこの事態を知り、途中で放送を中断したり、ニュースがドラマであることを伝えたりしました。放送中、4回も「宇宙戦争」のドラマを流していることがアナウンスされたのにもかかわらず、事態が収拾するまでかなりの時間がかかりました。

事態を伝えるニューヨーク・タイムズ紙(1938年10月31日)
事態を伝えるニューヨーク・タイムズ紙(1938年10月31日)

 下記が当時のラジオ放送です。

WAR OF THE WORLDS ORIGINAL RADIO BROADCAST, 30 OCTOBER 1938

 当時、大騒ぎとなったこの事件は現在では報告されているようなパニックは発生していなかったという説が有力のようです。ラジオを聞いた多くの市民が警察に問い合わせをした事実はありますが、そもそもラジオの視聴率は2%程度でした。多くのニュースが誤報だったことがわかっています。報告されたような事件は確認されておらず、猟銃を持って外出した市民の報道写真については捏造であったことが判明しています。

 この事件は情報を鵜呑みにすると大パニックが簡単に引き起こされてしまう例として社会心理学の研究材料になっています。

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2021年10月27日 (水)

米国サターンロケットの打上げに成功(1961年10月27日)

 米国の人類初の月への有人宇宙飛行を目指したアポロ計画で使用されたサターンロケット。サターンロケットの開発は元ドイツのロケット科学者で第二次世界大戦のドイツ降伏後に米国に亡命したヴェルナー・フォン・ブラウンが中心となって行われました。ブラウンは戦中にドイツでV-2ロケットを開発していましたが、宇宙ロケットの夢を語りすぎたため親衛隊と国家秘密警察に逮捕されました。V-2ロケットの完成にはブラウンが必要でしたが、国家秘密警察はブラウンを釈放しませんでした。国家秘密警察を懸命に説得しブラウンを釈放させたのはヒトラーでした。

 米国に亡命した後、ブラウンは1950年代半ばまで米国陸軍で弾道ミサイル用のレッドストーンロケット(PGM-11)を開発しました。ブラウンはロケットの宇宙開発での平和利用を望み1952年に宇宙ステーションの概念を発表、ディズニーの宇宙映画の技術監督を長らく務めました。その後、ブラウンはレッドストーンを改良したジュピターCロケットを開発、1958年1月に人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功しました。米ソ冷戦下の宇宙開発競争のもとのことでしたが、ブラウンの夢が叶い始めたのです。

 そして、1961年4月12日にソ連がガガーリンの有人宇宙飛行の成功すると、米国は宇宙開発の遅れに危機感をもち人類初の月着陸を目標としたアポロ計画を立ち上げました。アポロ計画に必要とされたロケットに求められたものは過去に米国が打ち上げたどのロケットよりもはるかに大型で燃料をたくさん積み込むことができ高推進力を有することでした。

 ブラウンは1957年4月にアポロ計画で地球周回軌道に衛星を乗せることを目的としたロケットの開発に着手しました。このロケットはジュピター(木星)ロケットの後に開発されたことからサターン(土星)ロケットと名付けられました。

 サターンロケットの初号機サターンI SA-1は1961年10月27日にフロリダ州ケープカナベラル宇宙基地34番発射台から打ち上げられました。サターンロケットは開発途上だったためSA-1はダミーの頭部を取り付けた一段目ロケットが発射されました。SA-1は高度136.5 kmに達し、ケープカナベラルから345.7 km離れた大西洋上に落下しました。

 SA-1は無人ロケットでその飛行時間は15分、地球周回軌道には到達しませんでしたが、将来人類を月面まで運ぶことになるサターンV型ロケット開発につながる第一歩となりました。

ヴェルナー・フォン・ブラウンとサターン I SA-1ロケットの打ち上げ
ヴェルナー・フォン・ブラウンとサターン I SA-1ロケットの打ち上げ

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2021年10月 7日 (木)

世界で初めて月の裏側の撮影に成功(1959年10月7日)

 月面着陸というと米国NASAのアポロ計画によるアポロ11号があまりにも有名ですが、これは人類を初めて月面に降り立たせたものでした。無人ながらも世界で初めて月面着陸した宇宙船はソビエト連邦(ソ連)のルナ計画によるルナ3号です。

 ルナ計画:世界で初めて月面に宇宙船到着(1959年9月14日)

 ルナ3号はルナ計画としては7番目に打ち上げられた無人月探査機で1959年10月4日にバイコヌール宇宙基地からルナ8K72ロケットで打ち上げられました。10月6日に月の南極付近に高度6,200 kmまで接近し、10月7日に高度65,000 kmから月面の撮影を開始しました。

 ルナ3号は月面の写真を29枚撮影した後に地球に戻る軌道に乗り、月面の写真を地球の地上基地に伝送しました。打ち上げ直後から送信機能に問題が発生したためすべての写真を送信することはできませんでした。ルナ3号は10月22日に送受信が途絶え、その後は地球の近くを周回していましたが1960年に大気圏に突入し消滅しました。

 月は地球に対して常に同じ面を向いているため、月の裏側の様子は地球から観測できません。当時、月の裏側はどのようになっているかは知る由もなかったのです。ルナ3号は月の裏側に回り、世界で初めて月の裏側の写真を撮影することに成功したのです。

ルナ3号が世界で初めて撮影した月の裏側の写真
ルナ3号が世界で初めて撮影した月の裏側の写真

 月の裏側には暗く見える「月の海」がほとんど存在しないことがわかりました。月の表に月の海が存在するのは、月が形成される過程で月の表側で巨大な衝突があったからと考えれています。その衝突の痕跡は日本の月探査衛星「かぐや」の観測データから発見されました。

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2021年10月 6日 (水)

宇宙戦艦ヤマト放映開始(1974年10月6日)

 時に西暦2199年、地球はガミラス星から遊星爆弾の攻撃を受け、人類は放射能汚染による滅亡の危機にさらされていた。

 そのような中、地球から遙か14万8千光年彼方にあるイスカンダル星から、放射能除去装置コスモクリーナーDを提供するので取りに来るようにと救いのメッセージが届けられる。

 人類に残された時間はわずか1年間、往復29万6千光年の旅を1年間で成し遂げるのは不可能である。しかし、イスカンダルからはメッセージと一緒にワープ航法が可能となる波動エンジンの設計図が届いていたのである。

 人類はその設計図をもとに、九州沖に沈んでいた旧日本海軍の戦艦大和を改造、戦艦大和は約250年の時を経て宇宙戦艦ヤマトとして生まれ変わる。

 沖田十三艦長が率いるヤマトはガミラス星人の攻撃を受けながら幾多の苦難を乗り越えて任務を遂行、西暦2200年、ついに人類はもとの青い地球を取り戻したのである。

 この壮大なSFアニメ、西崎義展原作、松本零士監督の宇宙戦艦ヤマトのテレビ放映が始まったのが1974年の今日でした。戦艦大和が宇宙に繰り出すという斬新なアイデア、ワープ航法・波動エンジンといったSF的な単語が子どもたちの心をつかみました。

 スターウォーズが公開されたのが1977年ですから当時としてはそれまでにはない本格的で画期的な宇宙を舞台としたSF作品だったのです。

コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
コミック版宇宙戦艦ヤマト(松本零士)

 物理学的に考えれば間違った設定もたくさんありましたが、宇宙戦艦ヤマトを見てアインシュタインや相対性理論を知った子どもたちもたくさんいたでしょう。 

 子どもたちは毎週番組の最後に流れる「地球滅亡まであと○日」というカウントダウンを見てハラハラしながら、宇宙戦艦ヤマトの放映を楽しみにしていたのです。

宇宙戦艦ヤマト2202 メカコレクション 宇宙戦艦ヤマト プラモデル

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2021年10月 4日 (月)

宇宙開発記念日(1957年10月4日)

 1957年10月4日はソ連のスプートニクス計画で打ち上げられたスプートニクス1号が世界初の人工衛星となったことから宇宙開発記念日とされています。

 現在における宇宙開発には軍事目的という側面もありますが、最新技術の粋を集めた宇宙探査や未来の宇宙旅行の実現など軍事から離れた目的の側面が大きくなってきました。しかし、宇宙開発の起源は冷戦下における米国とソ連の軍事的な緊張した状況下での宇宙開発競争にありました。

 第二次世界大戦中にドイツによって開発されたロケットが兵器として有用であることが認識されると、主要な連合国はロケットの技術開発に取り組みました。戦後、米国とソビエト連邦(ソ連)の関係は冷戦状態となりましたが、軍事面では米国がソ連より優位に立っており、とりわけ空軍の偵察機や戦闘機の能力においてソ連は米国に太刀打ちすることができませんでした。

 そこでソ連はスパイ衛星や弾道ミサイル攻撃に必要な技術力を高めるため宇宙開発に取り組み、地球の軌道を周回する無人人工衛星を目的としたスプートニクス計画を立ち上げました。その根幹をなすのがロケット技術であったことは言うまでもありません。ソ連は1953年からロケットの開発を進め、1957年にR-7ロケットを完成させていました。R-7を使った弾道ミサイルは同年5月15日にバイコヌール宇宙基地(カザフスタン共和国)から初めて打ち上げられ3度の失敗を経て8月21日に6,000kmに及ぶ長距離飛行に成功しました。

 1957年10月4日、R-7に搭載された人工衛星スプートニクス1号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げれました。この年が選ばれた理由は液体燃料ロケットを考案したロシアのロケット研究者コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100年および国際地球観測年に合わせるためでした。衛星は高度950 kmの軌道に乗り、地球を約96分で周回する世界初の人工衛星となりました。

R-7ロケットとスプートニクス1号
R-7ロケットとスプートニクス1号

 スプートニク1号は長さ2.4 mのアンテナが4本取り付けられた直径58 cmのアルミニウム製の球で重量は83.6kgでした。およそ3週間で電池が切れましたがその後も地球の周回を続けました。やがて高度が下がり始め1958年1月4日に大気圏に突入し焼失しました。

 スプートニク1号の打ち上げ成功のニュースは世界中に伝わりました。米国があらゆる分野で科学技術の先端を走っていると認識が崩れ去り、米国や西側諸国ではスプートニク・ショック(スプートニク危機)が起きました。米国はソ連の宇宙開発を追い抜くための宇宙開発を進め、これが米国とソ連の宇宙開発競争の始まりとなりました。ソ連のユーリ・ガガーリンによる有人宇宙飛行、米国のアポロ11号の月面着陸などが実現されていきます。

 冷戦下では米国とソ連はあらゆる分野で競争しましたが、とりわけ宇宙開発は人類の夢を実現させるという大義名分のもとに国の科学技術力と軍事力を誇示することができるプロパガンダとして有用だったのです。1957年10月4日は宇宙開発記念日でもあり宇宙開発競争記念日とも言えるのです。

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2021年9月21日 (火)

木星探査機ガリレオが運用終了(2003年9月21日)

 2003年9月21日はアメリカの木星探査機ガリレオは運用を終了した日です。ガリレオは1986年5月にスペースシャトルで打ち上げられ、スペースシャトルの軌道から液体燃料ロケットに搭載されて木星に向かう計画が進められていました。しかしながら、同年1月に発生したチャレンジャー号の爆発事故によって計画が延期されました。

 1989年10月18日、さまざまな検証が経てガリレオはスペースシャトル・アトランティスで打ち上げられました。スペースシャトルに液体燃料ロケットを搭載するのは危険という判断から、ガリレオは固体燃料ロケットに搭載されることになりました。この変更で木星に直接向かう計画が変更され、ガリレオは木星と反対方向の金星に向かって、金星と2回の地球のスイングバイを経て木星に向かうことになりました。

 ガリレオは約6年をかけて1995年12月に木星に到達し、木星や木星の衛星の探査を行いました。2000年12月に土星探査機カッシーニが木星でスタンバイする際、ガリレオとカッシーニは共同で木星の磁気圏の探査を行いました。

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ガリレオが撮影したガリレオ衛星(左:イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)

 2003年9月21日、その役割を終えたガリレオは木星大気圏に突入し木星探査のミッションを終えました。あえて木星大気圏に突入させたのはガリレオが衛星に落下した場合、環境に影響を与えることを防ぐためでした。特に衛星エウロパには生命が存在する可能性があり、探査機に付着している微生物がエウロパの環境に影響を与えることが懸念されました。

 ところでスペースシャトルの打ち上げが始まった頃はインターネットなどなく、写真や映像はメディアを通じてしか見ることができませんでした。1990年代に入るとGopherやWWWサービスが始まり、職場で写真や映像を得られるようになりました。当時、NASAのサーバーからスペースシャトルやガリレオが撮影した木星の写真などをダンロードしたことを覚えています。当初はWWWよりGopherを使って検索していました。

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2021年9月14日 (火)

世界で初めて月面に宇宙船到着(1959年9月14日)

 1950年代の終わりに米国とソビエト連邦(ソ連)による人工衛星の打ち上げをきっかけに宇宙開発競争が始まりました。最初の宇宙開発競争の目標は月面探査の成功でした。

 米国はパイオニア計画で1958年8月17日に月探査機パイオニア0号を打ち上げましたが、高度16キロメートルで第一段ロケットが爆発し打ち上げに失敗しました。その後、パイオニア2号、3号の打ち上げには成功しましたが月に到達することはできず十分な成果は得られませんでした。

 一方、ソ連はルナ計画で探査機の月面衝突を目指しましたが3号機(ルナ1958A、1958C、1958C)まで打ち上げの失敗を繰り返しました。1959年1月2日に打ち上げた4号機が月軌道に乗ることに成功し、月面衝突はできなかったものの月近傍まで到達し世界初の人工惑星となりました。ソ連はこの探査機をルナ1号と名付けました。

 続いて打ち上げられた5号機(ルナ1959A)は打ち上げに失敗しますが、1959年9月12日に打ち上げられた6号機、ルナ2号は13日に月近傍に到達し、14日に月面の晴れの海の西部に衝突しました。これによって初期の月面探査はソ連に軍配があがったのです。

ルナ2号機
ルナ2号機

 この後、米国とソ連の宇宙開発競争は有人宇宙飛行となりますが、米国はソ連はユーリ・ガガーリンの有人宇宙飛行の成功によって遅れをとりました。このことがきっかけとなって米国はアポロ計画で人類発の月面着陸を目指すことになったのです。

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2021年8月20日 (金)

スプートニク5号の宇宙犬ベルカとストレルカが生還(1960年8月20日)

 1961年4月12日、ソビエト(当時)のユーリー・ガガーリンは宇宙船ボストーク1号で宇宙へと旅立ち世界初の有人宇宙飛行を成し遂げました。

  ココログ 夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号

 このボストーク計画を成功させる目的で打ち上げれたのがスプートニク計画のスプートニク2号でした。スプートニク計画は地球周回軌道に人工衛星をのせるための計画でした。1957年10月にスプートニクス1号の打ち上げが成功すると、同年11月に打ち上げられたスプートニクス2号には搭乗席が設けられ、ライカという1匹の雌犬が宇宙へと向かいました。ライカは世界で初めて地球軌道を飛行した動物になりましたが、スプートニクス2号は地球に帰還する機能はもっていませんでした。1958年2月に打ち上げられたスプートニクス3号は人工衛星による大気や宇宙空間の観測を目的としたものでした。

 1960年5月、コラブリ・スプートニク1号とも呼ばれるスプートニクス4号が打ち上げられました。スプートニクス4号の搭乗席には生命維持装置が取り付けられ設備の試験が行われましたが、大気圏突入のための耐熱シールドが装備されていなかったため生物は搭乗させませんでした。同年6月に2匹の犬が搭乗した宇宙船が打ち上げられていますが、ロケットが爆発して打ち上げに失敗しています。この宇宙船には名前がつけられませんでした。

 1960年8月19日、生命維持装置を備えた搭乗席と大気圏突入の対策を施されたスプートニクス5号(コラブリ・スプートニク2号)が打ち上げられました。宇宙船の安全性を確認するため搭乗席にはベルカとストレルカという2匹の犬がその他の動植物と乗り込んでいました。スプートニクス5号のミッションは有人宇宙船の試験でボストーク計画の試験機でした。宇宙船は翌20日に地球に帰還し、ストレルカとベルカおよびすべての動植物が生還を果たしました。

ベルカとストレルカと記念切手
ベルカ(上段左)とストレルカ(上段右)と記念切手(下段)

 スプートニクス5号の成功を受けて打ち上げられたのがボストーク1号です。ガガーリンの乗せた宇宙船ボストーク1号はスプートニクス5号と同じ軌道に乗り、世界初の有人宇宙飛行を成し遂げたのです。

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