カテゴリー「宇宙」の19件の記事

2021年9月14日 (火)

世界で初めて月面に宇宙船到着(1959年9月14日)

 1950年代の終わりに米国とソビエト連邦(ソ連)による人工衛星の打ち上げをきっかけに宇宙開発競争が始まりました。最初の宇宙開発競争の目標は月面探査の成功でした。

 米国はパイオニア計画で1958年8月17日に月探査機パイオニア0号を打ち上げましたが、高度16キロメートルで第一段ロケットが爆発し打ち上げに失敗しました。その後、パイオニア2号、3号の打ち上げには成功しましたが月に到達することはできず十分な成果は得られませんでした。

 一方、ソ連はルナ計画で探査機の月面衝突を目指しましたが3号機(ルナ1958A、1958C、1958C)まで打ち上げの失敗を繰り返しました。1959年1月2日に打ち上げた4号機が月軌道に乗ることに成功し、月面衝突はできなかったものの月近傍まで到達し世界初の人工惑星となりました。ソ連はこの探査機をルナ1号と名付けました。

 続いて打ち上げられた5号機(ルナ1959A)は打ち上げに失敗しますが、1959年9月12日に打ち上げられた6号機、ルナ2号は13日に月近傍に到達し、14日に月面の晴れの海の西部に衝突しました。これによって初期の月面探査はソ連に軍配があがったのです。

ルナ2号機
ルナ2号機

 この後、米国とソ連の宇宙開発競争は有人宇宙飛行となりますが、米国はソ連はユーリ・ガガーリンの有人宇宙飛行の成功によって遅れをとりました。このことがきっかけとなって米国はアポロ計画で人類発の月面着陸を目指すことになったのです。

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スプートニク5号の宇宙犬ベルカとストレルカが生還(1960年8月20日)

地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号

「ハムちゃん宇宙へ行く」の巻(1961年1月31日)

ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す(1961年5月25日)

アポロ11号打ち上げ(1969年7月16日)

人類が初めて月面着陸(1969年7月20日)

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2021年8月20日 (金)

スプートニク5号の宇宙犬ベルカとストレルカが生還(1960年8月20日)

 1961年4月12日、ソビエト(当時)のユーリー・ガガーリンは宇宙船ボストーク1号で宇宙へと旅立ち世界初の有人宇宙飛行を成し遂げました。

  ココログ 夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号

 このボストーク計画を成功させる目的で打ち上げれたのがスプートニク計画のスプートニク2号でした。スプートニク計画は地球周回軌道に人工衛星をのせるための計画でした。1957年10月にスプートニクス1号の打ち上げが成功すると、同年11月に打ち上げられたスプートニクス2号には搭乗席が設けられ、ライカという1匹の雌犬が宇宙へと向かいました。ライカは世界で初めて地球軌道を飛行した動物になりましたが、スプートニクス2号は地球に帰還する機能はもっていませんでした。1958年2月に打ち上げられたスプートニクス3号は人工衛星による大気や宇宙空間の観測を目的としたものでした。

 1960年5月、コラブリ・スプートニク1号とも呼ばれるスプートニクス4号が打ち上げられました。スプートニクス4号の搭乗席には生命維持装置が取り付けられ設備の試験が行われましたが、大気圏突入のための耐熱シールドが装備されていなかったため生物は搭乗させませんでした。同年6月に2匹の犬が搭乗した宇宙船が打ち上げられていますが、ロケットが爆発して打ち上げに失敗しています。この宇宙船には名前がつけられませんでした。

 1960年8月19日、生命維持装置を備えた搭乗席と大気圏突入の対策を施されたスプートニクス5号(コラブリ・スプートニク2号)が打ち上げられました。宇宙船の安全性を確認するため搭乗席にはベルカとストレルカという2匹の犬がその他の動植物と乗り込んでいました。スプートニクス5号のミッションは有人宇宙船の試験でボストーク計画の試験機でした。宇宙船は翌20日に地球に帰還し、ストレルカとベルカおよびすべての動植物が生還を果たしました。

ベルカとストレルカと記念切手
ベルカ(上段左)とストレルカ(上段右)と記念切手(下段)

 スプートニクス5号の成功を受けて打ち上げられたのがボストーク1号です。ガガーリンの乗せた宇宙船ボストーク1号はスプートニクス5号と同じ軌道に乗り、世界初の有人宇宙飛行を成し遂げたのです。

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2021年7月31日 (土)

NASA月面探査機ルナ・プロスペクター運用終了(1999年7月31日)

 冷戦期の米ソの宇宙開発競争は米国がアポロ計画で人類を初めて月面に降り立たせたことによって終焉しました。この後、月面探査はほとんど行われなくなりましたが、NASAはアポロ計画で調査しなかった月の高緯度を含む月面全体の調査を行い資源を見積もる計画を立てました。しかし、この計画に予算がつくことはなく実行に移されることはありませんでした。

 1992年、NASAと弾道ミサイル防衛局は共同で月面探査を計画し、1994年1月25日に月面探査機クレメンタインがヴァンデンバーグ空軍基地からタイタン23Gロケットで打ち上げられました。このクレメンタインの月面探査により、月の南極のクレーターの内側に水が存在する可能性を示すデータが得られました。アポロ計画最後のアポロ17号が打ち上げられたのが1972年ですから、実に22年ぶりの月面探査となりました。

 月面に基地を作った際、水は重要な物資のひとつです。もし月面に大量の水が存在するのであれば、水を地球から運ぶ必要がなくなり、月における人類の活動の可能性が高まります。また、その先には月面の資源の探査も可能となります。さらに、月の地殻活動や月の内部構造に関するデータを収集する目的も加えられました。

 1998年、NASAはこれらの調査の目的のためルナ・プロスペクター計画を立ち上げ、 同年1月7日に月面探査機ルナ・プロスペクターがケープカナベラル空軍基地から アテナIIロケットで打ち上げられました。ルナ・プロスペクターは約4日後に月に到着し、月の北極と南極の上空を通過する高度100キロメートルの軌道を周回し始め、様々な測定機器で月面のデータを収集しました。同年3月、月の極地に水素が存在する観測データが得られたことが公表されました。その後の詳細な調査の結果、同年9月に月の両極には最大60億トンの水が存在する可能性があることがサイエンス誌で報告されました。

月面探査機ルナ・プロスペクター
月面探査機ルナ・プロスペクター

 ルナ・プロスペクターは1999年7月31日に月面探査の最終ミッションとして月の南極のクレーターに衝突し、その役割を終えました。最期のミッションはルナ・プロスペクターの衝突の衝撃により、月面に存在する氷を蒸発させることで水そのものを直接観測できるようにすることでした。この衝突に合わせてハッブル宇宙望遠鏡と地球の天文台が観測データを収集しましたが、水は観測されませんでした。

 ルナ・プロスペクターでは水は観測されませんでしたが、その後の月面探査によって月面には大量の水が存在していることがわかっています。現在、米国、ロシア、日本、中国、インドが月面基地の建設計画が発表されいます。当初は現実性に乏しいものでしたが、月面探査の競争は次第に激しくなりつつあります。

 米国は2019年に2024年までに最初の女性と次の男性を月面に着陸させることを目標としたアルテミス計画を発表しています。月着陸船の開発・運用はスペースX社が担当することになっています。目標地は月の南極付近のようですから、水の探索が視野に入っているでしょう。ある程度の大きさの月着陸船を着陸させ設置することができれば、次回の月面着陸の際に再利用可能な月面基地になるかもしれません。また、また月着陸船を繰り返し月面に送り込んで接続していけば大規模な月面基地が完成するかもしれません。水をうまく利用できれば酸素を得ることも可能です。人類が長期間滞在できる月面基地が建設される日はそう遠くない未来かもしれません。

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2021年7月23日 (金)

ランドサット1号の打ち上げ(1972年7月23日)

 1972年7月23日、アメリカ航空宇宙局 (NASA)の地球観測を目的とするランドサット計画の人工衛星ランドサット1号がカリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地からデルタ900ロケットで打ち上げられました。

ランドサット1号とデルタ900ロケット
ランドサット1号(左)とデルタ900ロケット(右)

 ランドサット1号は光や電波を使って地上や海洋や大気圏などから幅広いデータを収集することができ、宇宙からの地球規模の観測リモートセンシングを行うことができるようになりました。

 1976年、ランドサット1号のデータを使ってカナダの海岸調査が行われました。データ解析を行なっていたカナダ水路局のフランク・ホール博士は未開拓の地形の中から小さな島を発見しました。この島はランドサット島と名付けられました。

 ランドサット1号は地球を周回するうちに軌道がわずかにずれていき、やがて1日のほとんどを太陽光にさらされるようになりました。1978年1月6日に太陽光による過熱のため観測が打ち切られました。

 リモートセンシングの詳細ついてはココログ 光と色と「宇宙から地球を監視する リモートセンシング」をご一読ください。

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2021年7月20日 (火)

人類が初めて月面着陸(1969年7月20日)

 1969年7月16日、船長のニール・アームストロング、司令船コロンビアの操縦士マイケル・コリンズ、月着陸船イーグル号の操縦士エドウィン・オルドリンを乗せたアポロ11号のサターンVロケットがケネディ宇宙センターから月へと向かって打ち上げられました(ココログ 夜明け前「アポロ11号打ち上げ(1969年7月16日)」)。

Apollo 11 launch w/ altitude and velocity data

点火からリフトアップまでの30秒の映像です。

Apollo 11 Launch

別のアングルからの映像です。

Apollo 11: Launch July 16, 1969

 アポロ11号は7月19日に月の周回軌道に乗りました。そして、7月20日にマイケル・コリンズ操縦士が乗る司令船コロンビアとニール・アームストロング船長とエドウィン・オルドリン操縦士が乗り込んだ月着陸船イーグルが切り離されました。イーグルは月面へ降下し、米国東部時間7月20日午後4時17分、月面に着陸しました。

Landing on the Moon :July 20, 1969

アームストロング船長が月面に降り立ちます。

Restored Apollo 11 Moonwalk - Original NASA EVA Mission Video - Walking on the Moon

 アームストロング船長とオルドリン月着陸船操縦士はイーグルの上段部に乗り込み月面を離れコロンビアと合流しました。イーグルを投棄したあと地球に帰還する軌道に乗り、7月24日に太平洋に着水しました。

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2021年7月16日 (金)

アポロ11号打ち上げ(1969年7月16日)

 冷戦下の米ソ宇宙開発競争において当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディが「今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」と月面着陸の声明を出したは1961年5月25日でした。この目標を達成するべくアポロ計画が着々と進められ、ついに月面に人類を着陸させるアポロ11号のミッションが始まりました。

 1969年7月16日13時32分(UTC)、ニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ司令船操縦士、バズ・オルドリン月着陸船操縦士を乗せたアポロ11号はアメリカ合衆国フロリダ州のケネディ宇宙センターからサターンV型ロケットで打ち上げられました。

アポロ11号サターンVロケット
アポロ11号サターンVロケット

 アポロ11号は司令船、機械船、月着陸船の3つの船体から構成されています。サターンVで月に向かう軌道に乗ったアポロ11号はサターンVから切り離され、3日後に月の軌道に乗りました。

 同年7月20日20時17分(UTC)にアームストロング船長とオルドリン月着陸船操縦士が月着陸戦「イーグル」で静かな海に着陸、7月21日2時56分15秒(UTC)にアームストロング船長が船外に出て月面に降り立ちました。19分後にはオルドリン月着陸船操縦士が月面に降り立ち、2人は月面の物質の採取など船外活動を行いました。2人が月面で活動している間、マイケル・コリンズ司令船操縦士は司令船「コロンビア号」で月周回軌道上で待機しました。

 月面で21時間半過ごしたアームストロング船長とオルドリン月着陸船操縦士はコロンビアと合流し、イーグルを投棄したあと地球に帰還する軌道に乗り、7月24日に太平洋に着水し無事に地球に帰還しました。

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・ココログ 夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す(1961年5月25日)

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2021年4月19日 (月)

人類初の宇宙ステーション打ち上げ(1971年4月19日)

 1971年4月19日、旧ソ連によって人類初の宇宙ステーション「サリュート1号」が打ち上げられました。

 当時の宇宙開発は米国と旧ソ連の間で熾烈な競争が行われていました。1961年4月12日、旧ソ連がガガーリン宇宙飛行士を乗せた人類初の有人宇宙船を成し遂げると(夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号)、1961年5月25日に米国大統領ジョン・F・ケネディが「10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という声明をだしました(夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。そして、1969年7月20日、米国はアポロ11号で人類初の月面着陸を成功させました。

 人類初の月面着陸を米国に譲った旧ソ連は宇宙開発のミッションを宇宙空間での長期滞在を目指します。この計画のために開発されたのが人類初の宇宙ステーション「サリュート」でした。サリュートは1971年から1982年の間に1号から7号まで打ち上げられ、最後の7号は1986年まで運用されました。

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サリュート7号の記念切手とサリュート7号(右側)と補給船コスモス1686号。

 1986年には新しい宇宙ステーション「ミール」が打ち上げられます。1990年12月2日にソユーズで宇宙へと旅だった日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんもミールに滞在しました。

 現在は1998年から建造が開始されたアメリカ合衆国、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関 (ESA) が協力して国際宇宙ステーションを運用しています。

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2021年3月16日 (火)

液体燃料ロケットの打ち上げ成功(1926年03月16日)

 世界で初めての火薬で推進するロケットは13世紀頃までに宋王朝で開発されたと考えられています。当時のロケットは兵器として使われ、固体の黒色火薬が使われていました。兵器としての威力は限定的だったかもしれませんが、武器が自ら空を飛んでくるわけですから敵を威嚇するには十分な効果があったでしょう。また、当時はロケットで宇宙に行こうなどとは誰も考えていなかったでしょう。

 世界で初めて液体燃料ロケットを考案したのはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーです。ツィオルコフスキーは1903年に出版した「Исследование мировых пространств реактивными приборами(ジェット装置による宇宙空間の探求)」で液体酸素と液体水素を燃料としたロケットを発表し、多段式ロケットの仕組みなどについて言及しまいた。1879年にはロケットの打ち上げに必要なツィオルコフスキーの公式を発表しています。ツィオルコフスキーは実際にロケットを作りませんでしたが、ロケットで宇宙旅行が可能であることを示したことから「宇宙旅行の父」と呼ばれています。「Планета есть колыбель разума, но нельзя вечно жить в колыбели(地球は人類のゆりかごであるが、人類は永遠にゆりかごで生きていくことはできない)」という言葉を残しています。

 実際に液体燃料ロケットの打ち上げを世界で初めて成功させたのはアメリカのロバート・ハッチングズ・ゴダードです。ゴダードは高校生の頃からH・G・ウェルズの「宇宙戦争」やジュール・ヴェルヌの人間が大砲の弾丸に乗って月へ行く「地球から月へ」を読んで宇宙旅行に興味を持つようになりました。ゴダードは1912年にニュージャージー州のプリンストン大学の研究員となりロケットの研究を進め1919年に月飛行の可能性に関する論文を発表しています。

 この頃、世界各地でロケットの研究開発が行われていましたが、多くのロケットは固体燃料ロケットでした。固体燃料ロケットは構造が簡単で低コストで製作することができますが、点火後に噴射を制御することができないという欠点がありました。そこでゴダードが注目したのがツィオルコフスキーが考案した液体燃料ロケットでした。液体燃料ロケットは構造が複雑で高コストで製作が難しいという欠点がありますが、噴射を制御することができるためロケットの打ち上げを自在に行うことができます。

 しかし、当時は液体水素の入手は容易ではなく、ゴダードは燃料としてガソリンと液体酸素を選択しました。ロケットの研究は周りから理解が得られませんでしたが、資金難の中、1926年3月16日にマサチューセッツ州オーバーンで液体燃料ロケットを打ち上げの実験を行いました。ロケットは飛行時間わずか2.5秒でしたが、高度12メートル、飛距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。ゴダードは世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功したのです。

ゴダードと世界初の液体燃料ロケット
ゴダードと世界初の液体燃料ロケット

 1929年の打ち上げ実験では、打ち上げに成功したものの理解を得られず、消防署が出動する騒ぎとなり、地元の新聞はロケットの打ち上げは失敗し空中で爆発したという記事を掲載しました。実際にはロケットは爆発しておらず落下しときの衝撃で破壊しただけでした。このことが、きかけになって、マサチューセッツ州でのロケットの打ち上げ実験は禁止となりました。

 その後、大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの支援によって、ゴダードは資金援助を得てニューメキシコ州ロズウェルで実験を続けることができるようになりました。第二次世界大戦中に軍用のロケットの研究を行いましたが理解されないまま終戦間際の1945年8月になくなりました。

 当時、ゴダードの研究は理解されませんでしたが、ロケットの実用化が進むにつれゴダードの業績が高く評価されるようになり、ゴダードは「ロケットの父」と呼ばれるようになりました。

 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」、ゴダードが残した言葉です。

●下記はツィオルコフスキーの伝記です。ゴダードも少しだけ紹介されています。

 耳が聞こえず孤立するなか、「伝説の独学」によってロケットの基礎となる理論を打ち立てたロシア人科学者コンスタンチン・エドゥアールドヴィッチ・ツィオルコフスキー。人類みんなを宇宙に飛ばすことを夢見て、知性と理論による驚異的な未来予想で科学を発展させた「ロケット推進の父」の日本ではじめての伝記。

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2021年1月31日 (日)

「ハムちゃん宇宙へ行く」の巻(1961年1月31日)

 冷戦下の1957年、ソビエト連邦が人工衛星ストープクス1号の打ち上げに成功すると、米国はNASAを創設し、1958年に人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げを成功させました。これにより米国とソ連の宇宙開発競争が本格化しました。

 ソ連と肩を並べることができた米国が次に目標としたのは有人宇宙飛行でした。米国は1958年にマーキュリー計画を立ち上げ、ソ連よりも先に有人の宇宙船を地球周回軌道にのせて無事に帰還させることをめざしました。有人宇宙飛行を実現するため、1959年8月から1960年11月末までは無人ロケットによる実験を繰り返し、さままな実験やデータの取得を行いました。

 1961年1月31日、マーキュリー・レッドストーン2号(R2)がフロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられました。この宇宙船も無人でしたが一匹のチンパンジーが搭乗していました。そのチンパンジーはNo.65と呼ばれ、訓練中は愛称Chop Chop Changと呼ばれました。

 Chop Chop Changは1956年7月にアフリカのカメルーンで生まれ、捕獲されて米国フロリダ州マイアミのレア・バード・ファームで飼育されましたが、1959年にアメリカ空軍が購入し、ホロマン空軍基地に移送されました。Chop Chop Changのように宇宙飛行の実験のため集められたチンパンジーは40匹に及びました。試験などを経て最終的に6匹が宇宙飛行の候補となりました。

 1959年7月、2歳になったChop Chop Changは、光や音の刺激で5秒以内にレバーを引く訓練を受けました。成功するとバナナを得ることができ、失敗すると電気ショックを受ける訓練内容でした。Chop Chop Changは宇宙船の単なる乗員でなく、レバーを引くというミッションが与えられていたのです。

 Chop Chop Chang、No.65の船内でのバイタルと行動は地上管制基地でモニターされていました。No.65は宇宙服を着て搭乗、宇宙船の内圧の低下にも耐えることができました。そして、地上基地からレバーを引く命令が送られると、No.65は数秒後にレバーを正しく操作しました。このことによって、地上から命令が送られてから、わずかな時間で船内作業が可能なことが確かめられました。

 任務を終えた宇宙船は大西洋に着氷し、その日の晩に救助船に回収されました。No.65は16分39秒の宇宙旅行を終えました。不飛行実験は成功したものの、この宇宙旅行はNo.65にとっては災難だったようです。打ち上げ後にはロケットの起動が大きくずれ、電気系統が故障したこともあって、レバーの訓練装置が故障してしまいました。

 No.65は正しいレバー操作をしたにも関わらず、バナナを得ることができず、電気ショックをくらっていたようです。また、海面に宇宙船が着氷したときには、衝撃で宇宙船に浸水が生じ、No.65は溺死する寸前だったようです。そして、どこで受けたかわかりませんが鼻に傷を負っていました。救助されたときには大混乱していたそうです。

Ham the Chimp  Ham the Astrochimp,
地球帰還後に救助船の副長から握手で歓迎されるハム

 無事に地球に帰還した後、No.65はハム・ザ・チンプ(Ham the Chimp)、ハム・ジ・アストロチンプ(Ham the Astrochimp)と名付けられ、ハムという愛称で呼ばれました。ハム(Ham)はChop Chop Changの訓練を担当したホロマン宇宙医療センター(Holloman Aerospace Medical Center)の略称に由来します。

 飛行実験が終了すると、ハムは1960年4月からワシントンDC国立動物園で暮らし、1980年からノースカロライナ動物園で余生を過ごし、1983年1月19日に息を引き取り26年の生涯を終えました。

 ハムの宇宙飛行から3ヶ月後の1961年4月12日、ソ連がボストーク1号を打ち上げました。ボストーク1号は有人ロケットで、ユーリ・ガガリーンが搭乗していました(ココログ 夜明け前地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号」)。

 米国はマーキュリー計画の目的でああった世界初の有人宇宙飛行を成し遂げることはできなかったのです。米国宇宙飛行士のアラン・シェパードが宇宙飛行をしたのは同年5月5日のことでした(ココログ 夜明け前米国最初の宇宙飛行士 アラン・シェパード」)。

 米国はソ連との宇宙開発競争に打ち勝つために次の目標として月面着陸をめざすことになります(ココログ 夜明け前ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)

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2021年1月24日 (日)

科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

 世界で初めて月を探査するために立ち上げられたプロジェクトは米国のパイオニア計画です。米国は1958年から探査機の打ち上げを行いましたが失敗を繰り返し、十分な成果を得ることができませんでした。1959年3月に打ち上げたパイオニア4号で月の探査に成功しました。地球の重力圏から離れ、月面から6万キロメートルまで近づき、放射線の検出を試みました。

 同じ頃、ソビエト(現ロシア)も月探査を行うルナ計画を進めていました。1958年に探査機の打ち上げを3回試みましたが、いずれも失敗に終わりました。1959年1月に打ち上げで探査機を月に向かう軌道にのせることに成功し、月面から6千キロメートルまで近づくことに成功しました。この探査機をルナ1号と名付けました。1959年9月に打ち上げられたルナ2号は月面への衝突、ルナ3号は月の裏側の写真の撮影、ルナ9号は月面への着陸に成功しています。

 当時の冷戦化において、このソビエトの月探査の偉業やガガーリンを載せた有人宇宙飛行船ボストーク1号の打ち上げ成功は米国にとって衝撃的なものとなりました。宇宙開発でソビエトに遅れをとっていた米国は有人宇宙飛行による月面着陸をめざすアポロ計画を立ち上げたのです(ココログ 夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。

 20世紀末以降は月の探査がいろいろと行われています。最近では中国の探査機の嫦娥4号が2019年1月に人類初の月の裏側への着陸を果たしています。

 さて、ロシア、アメリカに次いで月へ向かった探査機は日本の探査機「ひてん」です。1990年1月24日、M-3SII-5ロケットによって鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)から打ち上げられました。「ひてん」は直径1.4 m、高さ0.79 mの円筒形の探査機で、燃料と孫衛星「はごろも」を含めた重量は197kgです。

工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)
工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)

 「ひてん」のミッションは将来の宇宙探査に必要となる技術やデータの取得、月の重力を利用した精密なスイングバイの実験などです。また、ミュンヘン工科大学の共同研究として、宇宙塵カウンターによって地球と月の間に存在する宇宙塵の分布の計測もおこなわれました。

 スイングバイは地球から遠く離れた宇宙探査に必要な技術で、全部で8回行われました。また地球の大気層の抵抗を利用して軌道を修正する世界初のエアロブレーキ実験を行いました。「ひてん」は他国の探査機では実現できていない極めて高度なスイングバイを成し遂げることに成功しました。また、1990年3月に孫衛星「はごろも」を分離し、月周回軌道へ投入することに成功しています。

 1993年4月、「ひてん」の任務は月面のステヴィヌス・クレーター(豊かな海)近傍に衝突することで終了しました。「ひてん」によって得られた知識と経験は、その後打上げられた探査機に活用されています。探査機「はやぶさ」の高度な制御も「ひえん」によって培われた技術がベースになっています。

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