カテゴリー「宇宙」の11件の記事

2021年1月31日 (日)

「ハムちゃん宇宙へ行く」の巻(1961年1月31日)

 冷戦下の1957年、ソビエト連邦が人工衛星ストープクス1号の打ち上げに成功すると、米国はNASAを創設し、1958年に人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げを成功させました。これにより米国とソ連の宇宙開発競争が本格化しました。

 ソ連と肩を並べることができた米国が次に目標としたのは有人宇宙飛行でした。米国は1958年にマーキュリー計画を立ち上げ、ソ連よりも先に有人の宇宙船を地球周回軌道にのせて無事に帰還させることをめざしました。有人宇宙飛行を実現するため、1959年8月から1960年11月末までは無人ロケットによる実験を繰り返し、さままな実験やデータの取得を行いました。

 1961年1月31日、マーキュリー・レッドストーン2号(R2)がフロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられました。この宇宙船も無人でしたが一匹のチンパンジーが搭乗していました。そのチンパンジーはNo.65と呼ばれ、訓練中は愛称Chop Chop Changと呼ばれました。

 Chop Chop Changは1956年7月にアフリカのカメルーンで生まれ、捕獲されて米国フロリダ州マイアミのレア・バード・ファームで飼育されましたが、1959年にアメリカ空軍が購入し、ホロマン空軍基地に移送されました。Chop Chop Changのように宇宙飛行の実験のため集められたチンパンジーは40匹に及びました。試験などを経て最終的に6匹が宇宙飛行の候補となりました。

 1959年7月、2歳になったChop Chop Changは、光や音の刺激で5秒以内にレバーを引く訓練を受けました。成功するとバナナを得ることができ、失敗すると電気ショックを受ける訓練内容でした。Chop Chop Changは宇宙船の単なる乗員でなく、レバーを引くというミッションが与えられていたのです。

 Chop Chop Chang、No.65の船内でのバイタルと行動は地上管制基地でモニターされていました。No.65は宇宙服を着て搭乗、宇宙船の内圧の低下にも耐えることができました。そして、地上基地からレバーを引く命令が送られると、No.65は数秒後にレバーを正しく操作しました。このことによって、地上から命令が送られてから、わずかな時間で船内作業が可能なことが確かめられました。

 任務を終えた宇宙船は大西洋に着氷し、その日の晩に救助船に回収されました。No.65は16分39秒の宇宙旅行を終えました。不飛行実験は成功したものの、この宇宙旅行はNo.65にとっては災難だったようです。打ち上げ後にはロケットの起動が大きくずれ、電気系統が故障したこともあって、レバーの訓練装置が故障してしまいました。

 No.65は正しいレバー操作をしたにも関わらず、バナナを得ることができず、電気ショックをくらっていたようです。また、海面に宇宙船が着氷したときには、衝撃で宇宙船に浸水が生じ、No.65は溺死する寸前だったようです。そして、どこで受けたかわかりませんが鼻に傷を負っていました。救助されたときには大混乱していたそうです。

Ham the Chimp  Ham the Astrochimp,
地球帰還後に救助船の副長から握手で歓迎されるハム

 無事に地球に帰還した後、No.65はハム・ザ・チンプ(Ham the Chimp)、ハム・ジ・アストロチンプ(Ham the Astrochimp)と名付けられ、ハムという愛称で呼ばれました。ハム(Ham)はChop Chop Changの訓練を担当したホロマン宇宙医療センター(Holloman Aerospace Medical Center)の略称に由来します。

 飛行実験が終了すると、ハムは1960年4月からワシントンDC国立動物園で暮らし、1980年からノースカロライナ動物園で余生を過ごし、1983年1月19日に息を引き取り26年の生涯を終えました。

 ハムの宇宙飛行から3ヶ月後の1961年4月12日、ソ連がボストーク1号を打ち上げました。ボストーク1号は有人ロケットで、ユーリ・ガガリーンが搭乗していました(ココログ 夜明け前地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号」)。

 米国はマーキュリー計画の目的でああった世界初の有人宇宙飛行を成し遂げることはできなかったのです。米国宇宙飛行士のアラン・シェパードが宇宙飛行をしたのは同年5月5日のことでした(ココログ 夜明け前米国最初の宇宙飛行士 アラン・シェパード」)。

 米国はソ連との宇宙開発競争に打ち勝つために次の目標として月面着陸をめざすことになります(ココログ 夜明け前ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)

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2021年1月24日 (日)

科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

 世界で初めて月を探査するために立ち上げられたプロジェクトは米国のパイオニア計画です。米国は1958年から探査機の打ち上げを行いましたが失敗を繰り返し、十分な成果を得ることができませんでした。1959年3月に打ち上げたパイオニア4号で月の探査に成功しました。地球の重力圏から離れ、月面から6万キロメートルまで近づき、放射線の検出を試みました。

 同じ頃、ソビエト(現ロシア)も月探査を行うルナ計画を進めていました。1958年に探査機の打ち上げを3回試みましたが、いずれも失敗に終わりました。1959年1月に打ち上げで探査機を月に向かう軌道にのせることに成功し、月面から6千キロメートルまで近づくことに成功しました。この探査機をルナ1号と名付けました。1959年9月に打ち上げられたルナ2号は月面への衝突、ルナ3号は月の裏側の写真の撮影、ルナ9号は月面への着陸に成功しています。

 当時の冷戦化において、このソビエトの月探査の偉業やガガーリンを載せた有人宇宙飛行船ボストーク1号の打ち上げ成功は米国にとって衝撃的なものとなりました。宇宙開発でソビエトに遅れをとっていた米国は有人宇宙飛行による月面着陸をめざすアポロ計画を立ち上げたのです(ココログ 夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。

 20世紀末以降は月の探査がいろいろと行われています。最近では中国の探査機の嫦娥4号が2019年1月に人類初の月の裏側への着陸を果たしています。

 さて、ロシア、アメリカに次いで月へ向かった探査機は日本の探査機「ひてん」です。1990年1月24日、M-3SII-5ロケットによって鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)から打ち上げられました。「ひてん」は直径1.4 m、高さ0.79 mの円筒形の探査機で、燃料と孫衛星「はごろも」を含めた重量は197kgです。

工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)
工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)

 「ひてん」のミッションは将来の宇宙探査に必要となる技術やデータの取得、月の重力を利用した精密なスイングバイの実験などです。また、ミュンヘン工科大学の共同研究として、宇宙塵カウンターによって地球と月の間に存在する宇宙塵の分布の計測もおこなわれました。

 スイングバイは地球から遠く離れた宇宙探査に必要な技術で、全部で8回行われました。また地球の大気層の抵抗を利用して軌道を修正する世界初のエアロブレーキ実験を行いました。「ひてん」は他国の探査機では実現できていない極めて高度なスイングバイを成し遂げることに成功しました。また、1990年3月に孫衛星「はごろも」を分離し、月周回軌道へ投入することに成功しています。

 1993年4月、「ひてん」の任務は月面のステヴィヌス・クレーター(豊かな海)近傍に衝突することで終了しました。「ひてん」によって得られた知識と経験は、その後打上げられた探査機に活用されています。探査機「はやぶさ」の高度な制御も「ひえん」によって培われた技術がベースになっています。

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2021年1月 7日 (木)

ガリレオが木星の衛星を発見(1610年1月7日)

 1608年、オランダの眼鏡職人ハンス・リッペルスハイは凸レンズ(対物レンズ)と凹レンズ(接眼レンズ)を筒にはめた望遠鏡を作りました。オランダ政府はリッペルスハイの望遠鏡の実用性を高く評価し、リッペルスハイに褒賞を与えました。このことからリッペルスハイが望遠鏡の発明者とされています。この凸レンズと凹レンズを組み合わせた望遠鏡をオランダ式望遠鏡といいます(望遠鏡の開発については、ココログ「光と色と」の「望遠鏡を発明したのは誰?」をご参照ください)。

 遠くのものが近くに見える望遠鏡はたいへん便利な道具で、オランダのみならず各国に広まりました。このオランダ式望遠鏡を改良して、天体観測をしたのがイタリアのガリレオ・ガリレイです。このことからオランダ式望遠鏡をガリレオ式望遠鏡ともいいます。ガリレオは製作した望遠鏡で月の観察を行いました。1609年に月の表面に凸凹があり、海(月の暗い部分)があることを発見しています。ガリレオは著書「天文対話」で月が明るく輝く理由について月の表面が凸凹だからと結論づけています。

1605〜1607年頃のガリレオとガリレオ式望遠鏡
1605〜1607年頃のガリレオとガリレオ式望遠鏡

 ガリレオはさらに天体観測を進め、1610年1月7日、木星の衛星「ガニメデ」「エウロパ」「イオ」を発見、後日さらに「カリスト」を発見しました。これら4つの衛星はガリレオ衛星と呼ばれています。ガリレオこの観測結果を1610年3月に論文「星界の使者(Sidereus Nuncius)」として発表しました。

 ガリレオは木星の周りを4つの衛星が回っていることを発見して、当時信じられていた天動説に異論をもつようになりました。当時、天動説は宗教的な支持もあり、ニコラウス・コペルニクスが提唱した地動説は異端とされ、圧倒的に優位な立場にありました。

 天動説の主張のひとつに、もし地動説の言う通りに地球が太陽の周りを回っているとするならば、その回転運動の影響によって月は軌道から外れてしまうという反論がありあした。この反論に対して、地動説は説明を与えることができなかったのです。しかしながら、ガリレオの木星の衛星の発見により、天動説の主張が崩れたのです。

 ガリレオは地動説を唱え続け、裁判で有罪判決を受けた話は有名です。裁判の経緯については諸説ありますが、最終的にガリレオが許されることはなく、1642年1月8日に軟禁されていた家で亡くなりました。その後、ヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンの研究成果によって、天動説は科学的に否定されましたが、ガリレオ裁判が覆ることはありませんでした。

 現代においては天動説が誤りであることは明白です。1992年10月31日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判が誤りであったことを認めガリレオに謝罪しました。そして、2008年12月21日にベネディクト16世が公式に地動説を認めました。

 ニュートンが論文「プリンキピア」を発表(1687年)から321年、ガリレオがこの世を去ってから(1642年)366年後のことでした。

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2013年6月 1日 (土)

巨大な小惑星1998QE2が地球から580万キロの位置を通過

 5月31日、巨大な小惑星1998QE2が地球からおよそ580万キロメートルの位置を通過しました。

1998qe2

 1998QE2は、1998年8月19日に発見された直径が2.7キロメートもある巨大な小惑星で、直径が約610メートルの惑星を従えています。もし、1998QE2が地球に衝突するようなことがあったら、大災害となってしまいます。

 NASAはこの小惑星を発見以来、監視を続けています。この小惑星が地球に次回接近するのは2028年7月12日ということですが、このときは今回よりも遠いところを通るため衝突の心配はないようです。また、この先200年位内に今回よりも近いとことを通ることがあるものの、やはり衝突の心配はないようです。

A SUPER GiNORMOUS Asteroid NAMED 1998QE2 ''9 CruiseShips Long'' to pass over Earth on May 31 2013

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2012年11月21日 (水)

Google 100,000 Stars で銀河系を宇宙探険しよう 

 Google が銀河系内の星を見ることができるサービス「100,000 Stars」を開始しました。このシステムには米国航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)のデータが使われています。Google Chromeで動きます。

100,000 Stars
http://workshop.chromeexperiments.com/stars/

アクセスするとマウスを使って銀河系内を見ることができ、10万個以上の星の詳細な情報を見ることができます。まるで宇宙旅行をしているような感じです。

銀河系全体

Stars1

拡大していくと恒星が見えてくる

Stars2

Googleはこのサイトのデータについて科学的に保証できないとしていますが、なかなか見応えのあるシステムにできあがっています。

Explore the stellar neighborhood with your browser
http://chrome.blogspot.jp/2012/11/explore-stellar-neighborhood-with-your.html

なお、惑星を含めたシステムとしては、日本のMITAKAの方がお勧めと思います。

天体シュミレータ Mitakta
https://starfort.cocolog-nifty.com/voorlihter/2007/05/mitakta_9b78.html

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2012年9月 8日 (土)

スター・トレックのシリーズが誕生46周年

GoogleのロゴがStar Trek(宇宙大作戦、スター・トレック)になっています。

スター・トレックのシリーズが誕生46周年ということのようです。スター・トレックがテレビで放送開始となったのは1966年9月8日ですから、ちょうど今日で46年ということです。ちなみに、日本でのテレビ放映開始は1969年4月27日でした。

Googletrek

宇宙大作戦 Star Trek TOS Episode1 Prologue~Intro Japanese ver.

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2012年6月 1日 (金)

キンカン日食

うな銃と同じノリですが・・・

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2011年11月22日 (火)

ホンジュラスに小惑星衝突

1996年11月22日(金)、中央アメリカのホンジュラスの首都デクシカルバの西方にあるセント・ルイーズの郊外に、 巨大な火の玉となって小惑星が落下しました。

幸い小惑星の大きさは地球環境に甚大な被害をもたらすものではありませんでした。それでも、落下地点には直径50 mのクレーターができました。

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2011年9月20日 (火)

NASAの人工衛星は23日に落下 人的被害の出る確率は1/3200

米航空宇宙局NASAは、2005年に運用を停止した大気観測衛星UARS(Upper Atmosphere Research Satellite、和訳:上層大気観測衛星)が23日頃に地球に落下するとの見通しを発表しました。

UARSは1991年にスペースシャトル・ディスカバリーで打ち上げられ、高度580キロメートの軌道を周回していました。2005年に燃料がつきたため運用を停止し、以降は高度250キロメートルあたりを周回しています。

UARSは全長10メートル、重さ6トンほどの大きさです。大気突入時に大部分は燃え尽きてしまいますが、分解した衛星の破片が地上に落下してくる可能性があります。破片が落下する正確な日時や場所については未だわかっていませんが、800キロ四方に分散して落下すると考えられています。

落下の12時間前、6時間前、2時間前に、予想される落下時刻と落下点を発表するとのこと ですが、2時間前の予想でも時刻で25分以上、落下点で最大1万2000キロの誤差が生じる可能性があるそうです。

なお、破片が地上にいる人に衝突する確率は3,200分の1だそうです。現在、一般に通常の人工衛星での落下で被害が出る確率は10000分の1と言われています。ですから、3200分の1は人工衛星の落下としては比較的高い確率です。

他の確率と比較してみると・・・

1回だけ5枚のカードを配るポーカーでフォーカードが出る確率は4165万分の1です。 18頭立て競馬ででたらめに3連単を買ったときに当たる確率は4896分の1です。

1年間に交通事故にあう確率は人口1億2千万、交通事故の負傷者数100万人とすると、120分の1の確率となります。

【追加】

人工衛星は北米を追加した後の日本時間で24日午前1時から午後1時の間に、北緯57度から南緯57度の間のどこかに落下するようです。

日本時間24日正午から午後4時の間に大気圏に突入し落下する可能性があると発表。この時間帯に、カナダ、アフリカ、オーストラリア、太平洋、大西洋、インド洋の上空を通過。日本周辺で大気圏に突入する可能性はなし。

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2011年7月22日 (金)

米国最初の宇宙飛行士 アラン・シェパード

 1959年から開始した米国のマーキュリー計画は、米国の有人宇宙飛行計画であり、人間が乗った宇宙船を地球周回軌道に到達させるのが目的でした。この計画のために選ばれた7人の宇宙飛行士のことをマーキュリー・セブンと言います。

 マーキュリー計画はソ連に先駆けて有人宇宙飛行を実現することでした。当時、米国は人工衛星の打ち上げでソ連に先を越されていたからです。

 しかしながら、ソ連は1961年4月12日にボストーク1号でユーリイ・ガガーリンを宇宙に送り出し、有人宇宙飛行を成功させます。米国は有人宇宙飛行においても、ソ連に先を越されてしまいました。

 マーキュリー計画で初めて有人宇宙飛行のロケットが打ち上げられたのはそれから1ヶ月もたたない1961年5月5日のことでした。そのロケット(マーキュリー・レッドストーン3号、通称「フリーダム7」)に乗り込んだのが、マーキュリーセブンの一人、アラン・シェパード(Alan Bartlett Shepard Jr.)です。

 アラン・シェパードを乗せたフリーダム7はわずか15分28秒の弾道飛行ではありましたが、米国の初めての有人宇宙飛行の成功となりました。そして、アラン・シェパードは米国で初めての宇宙飛行士となりました。

 アラン・シェパードはその後、ジェミニ計画やアポロ計画にも参加しました。アポロ計画で1970年に事故を起こしたアポロ13号に搭乗する予定でしたが中耳炎のため搭乗できなくなりました。1971年のアポロ14号には搭乗し、月面に降り立ちました。

1971: Apollo 14 (NASA)

アラン・シェパードが月面でゴルフのパフォーマンスを行ったのは有名です。彼は月面に降り立った5人目の人間でした。また、当時47才で、月面に降り立った最高齢の人間ということにもなりました。

Golf on the Moon

アラン・シェパードは1998年7月21日、享年74才で亡くなりました。

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