カテゴリー「宇宙」の13件の記事

2021年4月19日 (月)

人類初の宇宙ステーション打ち上げ(1971年4月19日)

 1971年4月19日、旧ソ連によって人類初の宇宙ステーション「サリュート1号」が打ち上げられました。

 当時の宇宙開発は米国と旧ソ連の間で熾烈な競争が行われていました。1961年4月12日、旧ソ連がガガーリン宇宙飛行士を乗せた人類初の有人宇宙船を成し遂げると(夜明け前「地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号)、1961年5月25日に米国大統領ジョン・F・ケネディが「10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という声明をだしました(夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。そして、1969年7月20日、米国はアポロ11号で人類初の月面着陸を成功させました。

 人類初の月面着陸を米国に譲った旧ソ連は宇宙開発のミッションを宇宙空間での長期滞在を目指します。この計画のために開発されたのが人類初の宇宙ステーション「サリュート」でした。サリュートは1971年から1982年の間に1号から7号まで打ち上げられ、最後の7号は1986年まで運用されました。

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サリュート7号の記念切手とサリュート7号(右側)と補給船コスモス1686号。

 1986年には新しい宇宙ステーション「ミール」が打ち上げられます。1990年12月2日にソユーズで宇宙へと旅だった日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんもミールに滞在しました。

 現在は1998年から建造が開始されたアメリカ合衆国、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関 (ESA) が協力して国際宇宙ステーションを運用しています。

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2021年3月16日 (火)

液体燃料ロケットの打ち上げ成功(1926年03月16日)

 世界で初めての火薬で推進するロケットは13世紀頃までに宋王朝で開発されたと考えられています。当時のロケットは兵器として使われ、固体の黒色火薬が使われていました。兵器としての威力は限定的だったかもしれませんが、武器が自ら空を飛んでくるわけですから敵を威嚇するには十分な効果があったでしょう。また、当時はロケットで宇宙に行こうなどとは誰も考えていなかったでしょう。

 世界で初めて液体燃料ロケットを考案したのはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーです。ツィオルコフスキーは1903年に出版した「Исследование мировых пространств реактивными приборами(ジェット装置による宇宙空間の探求)」で液体酸素と液体水素を燃料としたロケットを発表し、多段式ロケットの仕組みなどについて言及しまいた。1879年にはロケットの打ち上げに必要なツィオルコフスキーの公式を発表しています。ツィオルコフスキーは実際にロケットを作りませんでしたが、ロケットで宇宙旅行が可能であることを示したことから「宇宙旅行の父」と呼ばれています。「Планета есть колыбель разума, но нельзя вечно жить в колыбели(地球は人類のゆりかごであるが、人類は永遠にゆりかごで生きていくことはできない)」という言葉を残しています。

 実際に液体燃料ロケットの打ち上げを世界で初めて成功させたのはアメリカのロバート・ハッチングズ・ゴダードです。ゴダードは高校生の頃からH・G・ウェルズの「宇宙戦争」やジュール・ヴェルヌの人間が大砲の弾丸に乗って月へ行く「地球から月へ」を読んで宇宙旅行に興味を持つようになりました。ゴダードは1912年にニュージャージー州のプリンストン大学の研究員となりロケットの研究を進め1919年に月飛行の可能性に関する論文を発表しています。

 この頃、世界各地でロケットの研究開発が行われていましたが、多くのロケットは固体燃料ロケットでした。固体燃料ロケットは構造が簡単で低コストで製作することができますが、点火後に噴射を制御することができないという欠点がありました。そこでゴダードが注目したのがツィオルコフスキーが考案した液体燃料ロケットでした。液体燃料ロケットは構造が複雑で高コストで製作が難しいという欠点がありますが、噴射を制御することができるためロケットの打ち上げを自在に行うことができます。

 しかし、当時は液体水素の入手は容易ではなく、ゴダードは燃料としてガソリンと液体酸素を選択しました。ロケットの研究は周りから理解が得られませんでしたが、資金難の中、1926年3月16日にマサチューセッツ州オーバーンで液体燃料ロケットを打ち上げの実験を行いました。ロケットは飛行時間わずか2.5秒でしたが、高度12メートル、飛距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。ゴダードは世界初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功したのです。

ゴダードと世界初の液体燃料ロケット
ゴダードと世界初の液体燃料ロケット

 1929年の打ち上げ実験では、打ち上げに成功したものの理解を得られず、消防署が出動する騒ぎとなり、地元の新聞はロケットの打ち上げは失敗し空中で爆発したという記事を掲載しました。実際にはロケットは爆発しておらず落下しときの衝撃で破壊しただけでした。このことが、きかけになって、マサチューセッツ州でのロケットの打ち上げ実験は禁止となりました。

 その後、大西洋横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの支援によって、ゴダードは資金援助を得てニューメキシコ州ロズウェルで実験を続けることができるようになりました。第二次世界大戦中に軍用のロケットの研究を行いましたが理解されないまま終戦間際の1945年8月になくなりました。

 当時、ゴダードの研究は理解されませんでしたが、ロケットの実用化が進むにつれゴダードの業績が高く評価されるようになり、ゴダードは「ロケットの父」と呼ばれるようになりました。

 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」、ゴダードが残した言葉です。

●下記はツィオルコフスキーの伝記です。ゴダードも少しだけ紹介されています。

 耳が聞こえず孤立するなか、「伝説の独学」によってロケットの基礎となる理論を打ち立てたロシア人科学者コンスタンチン・エドゥアールドヴィッチ・ツィオルコフスキー。人類みんなを宇宙に飛ばすことを夢見て、知性と理論による驚異的な未来予想で科学を発展させた「ロケット推進の父」の日本ではじめての伝記。

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2021年1月31日 (日)

「ハムちゃん宇宙へ行く」の巻(1961年1月31日)

 冷戦下の1957年、ソビエト連邦が人工衛星ストープクス1号の打ち上げに成功すると、米国はNASAを創設し、1958年に人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げを成功させました。これにより米国とソ連の宇宙開発競争が本格化しました。

 ソ連と肩を並べることができた米国が次に目標としたのは有人宇宙飛行でした。米国は1958年にマーキュリー計画を立ち上げ、ソ連よりも先に有人の宇宙船を地球周回軌道にのせて無事に帰還させることをめざしました。有人宇宙飛行を実現するため、1959年8月から1960年11月末までは無人ロケットによる実験を繰り返し、さままな実験やデータの取得を行いました。

 1961年1月31日、マーキュリー・レッドストーン2号(R2)がフロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられました。この宇宙船も無人でしたが一匹のチンパンジーが搭乗していました。そのチンパンジーはNo.65と呼ばれ、訓練中は愛称Chop Chop Changと呼ばれました。

 Chop Chop Changは1956年7月にアフリカのカメルーンで生まれ、捕獲されて米国フロリダ州マイアミのレア・バード・ファームで飼育されましたが、1959年にアメリカ空軍が購入し、ホロマン空軍基地に移送されました。Chop Chop Changのように宇宙飛行の実験のため集められたチンパンジーは40匹に及びました。試験などを経て最終的に6匹が宇宙飛行の候補となりました。

 1959年7月、2歳になったChop Chop Changは、光や音の刺激で5秒以内にレバーを引く訓練を受けました。成功するとバナナを得ることができ、失敗すると電気ショックを受ける訓練内容でした。Chop Chop Changは宇宙船の単なる乗員でなく、レバーを引くというミッションが与えられていたのです。

 Chop Chop Chang、No.65の船内でのバイタルと行動は地上管制基地でモニターされていました。No.65は宇宙服を着て搭乗、宇宙船の内圧の低下にも耐えることができました。そして、地上基地からレバーを引く命令が送られると、No.65は数秒後にレバーを正しく操作しました。このことによって、地上から命令が送られてから、わずかな時間で船内作業が可能なことが確かめられました。

 任務を終えた宇宙船は大西洋に着氷し、その日の晩に救助船に回収されました。No.65は16分39秒の宇宙旅行を終えました。不飛行実験は成功したものの、この宇宙旅行はNo.65にとっては災難だったようです。打ち上げ後にはロケットの起動が大きくずれ、電気系統が故障したこともあって、レバーの訓練装置が故障してしまいました。

 No.65は正しいレバー操作をしたにも関わらず、バナナを得ることができず、電気ショックをくらっていたようです。また、海面に宇宙船が着氷したときには、衝撃で宇宙船に浸水が生じ、No.65は溺死する寸前だったようです。そして、どこで受けたかわかりませんが鼻に傷を負っていました。救助されたときには大混乱していたそうです。

Ham the Chimp  Ham the Astrochimp,
地球帰還後に救助船の副長から握手で歓迎されるハム

 無事に地球に帰還した後、No.65はハム・ザ・チンプ(Ham the Chimp)、ハム・ジ・アストロチンプ(Ham the Astrochimp)と名付けられ、ハムという愛称で呼ばれました。ハム(Ham)はChop Chop Changの訓練を担当したホロマン宇宙医療センター(Holloman Aerospace Medical Center)の略称に由来します。

 飛行実験が終了すると、ハムは1960年4月からワシントンDC国立動物園で暮らし、1980年からノースカロライナ動物園で余生を過ごし、1983年1月19日に息を引き取り26年の生涯を終えました。

 ハムの宇宙飛行から3ヶ月後の1961年4月12日、ソ連がボストーク1号を打ち上げました。ボストーク1号は有人ロケットで、ユーリ・ガガリーンが搭乗していました(ココログ 夜明け前地球は青かった ユーリー・ガガーリン 類初の有人宇宙ロケットボストーク1号」)。

 米国はマーキュリー計画の目的でああった世界初の有人宇宙飛行を成し遂げることはできなかったのです。米国宇宙飛行士のアラン・シェパードが宇宙飛行をしたのは同年5月5日のことでした(ココログ 夜明け前米国最初の宇宙飛行士 アラン・シェパード」)。

 米国はソ連との宇宙開発競争に打ち勝つために次の目標として月面着陸をめざすことになります(ココログ 夜明け前ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)

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2021年1月24日 (日)

科学衛星「ひてん」打ち上げ(1990/01/24)

 世界で初めて月を探査するために立ち上げられたプロジェクトは米国のパイオニア計画です。米国は1958年から探査機の打ち上げを行いましたが失敗を繰り返し、十分な成果を得ることができませんでした。1959年3月に打ち上げたパイオニア4号で月の探査に成功しました。地球の重力圏から離れ、月面から6万キロメートルまで近づき、放射線の検出を試みました。

 同じ頃、ソビエト(現ロシア)も月探査を行うルナ計画を進めていました。1958年に探査機の打ち上げを3回試みましたが、いずれも失敗に終わりました。1959年1月に打ち上げで探査機を月に向かう軌道にのせることに成功し、月面から6千キロメートルまで近づくことに成功しました。この探査機をルナ1号と名付けました。1959年9月に打ち上げられたルナ2号は月面への衝突、ルナ3号は月の裏側の写真の撮影、ルナ9号は月面への着陸に成功しています。

 当時の冷戦化において、このソビエトの月探査の偉業やガガーリンを載せた有人宇宙飛行船ボストーク1号の打ち上げ成功は米国にとって衝撃的なものとなりました。宇宙開発でソビエトに遅れをとっていた米国は有人宇宙飛行による月面着陸をめざすアポロ計画を立ち上げたのです(ココログ 夜明け前「ケネディ大統領が月面着陸の声明を出す」)。

 20世紀末以降は月の探査がいろいろと行われています。最近では中国の探査機の嫦娥4号が2019年1月に人類初の月の裏側への着陸を果たしています。

 さて、ロシア、アメリカに次いで月へ向かった探査機は日本の探査機「ひてん」です。1990年1月24日、M-3SII-5ロケットによって鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)から打ち上げられました。「ひてん」は直径1.4 m、高さ0.79 mの円筒形の探査機で、燃料と孫衛星「はごろも」を含めた重量は197kgです。

工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)
工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)

 「ひてん」のミッションは将来の宇宙探査に必要となる技術やデータの取得、月の重力を利用した精密なスイングバイの実験などです。また、ミュンヘン工科大学の共同研究として、宇宙塵カウンターによって地球と月の間に存在する宇宙塵の分布の計測もおこなわれました。

 スイングバイは地球から遠く離れた宇宙探査に必要な技術で、全部で8回行われました。また地球の大気層の抵抗を利用して軌道を修正する世界初のエアロブレーキ実験を行いました。「ひてん」は他国の探査機では実現できていない極めて高度なスイングバイを成し遂げることに成功しました。また、1990年3月に孫衛星「はごろも」を分離し、月周回軌道へ投入することに成功しています。

 1993年4月、「ひてん」の任務は月面のステヴィヌス・クレーター(豊かな海)近傍に衝突することで終了しました。「ひてん」によって得られた知識と経験は、その後打上げられた探査機に活用されています。探査機「はやぶさ」の高度な制御も「ひえん」によって培われた技術がベースになっています。

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2021年1月 7日 (木)

ガリレオが木星の衛星を発見(1610年1月7日)

 1608年、オランダの眼鏡職人ハンス・リッペルスハイは凸レンズ(対物レンズ)と凹レンズ(接眼レンズ)を筒にはめた望遠鏡を作りました。オランダ政府はリッペルスハイの望遠鏡の実用性を高く評価し、リッペルスハイに褒賞を与えました。このことからリッペルスハイが望遠鏡の発明者とされています。この凸レンズと凹レンズを組み合わせた望遠鏡をオランダ式望遠鏡といいます(望遠鏡の開発については、ココログ「光と色と」の「望遠鏡を発明したのは誰?」をご参照ください)。

 遠くのものが近くに見える望遠鏡はたいへん便利な道具で、オランダのみならず各国に広まりました。このオランダ式望遠鏡を改良して、天体観測をしたのがイタリアのガリレオ・ガリレイです。このことからオランダ式望遠鏡をガリレオ式望遠鏡ともいいます。ガリレオは製作した望遠鏡で月の観察を行いました。1609年に月の表面に凸凹があり、海(月の暗い部分)があることを発見しています。ガリレオは著書「天文対話」で月が明るく輝く理由について月の表面が凸凹だからと結論づけています。

1605〜1607年頃のガリレオとガリレオ式望遠鏡
1605〜1607年頃のガリレオとガリレオ式望遠鏡

 ガリレオはさらに天体観測を進め、1610年1月7日、木星の衛星「ガニメデ」「エウロパ」「イオ」を発見、後日さらに「カリスト」を発見しました。これら4つの衛星はガリレオ衛星と呼ばれています。ガリレオこの観測結果を1610年3月に論文「星界の使者(Sidereus Nuncius)」として発表しました。

 ガリレオは木星の周りを4つの衛星が回っていることを発見して、当時信じられていた天動説に異論をもつようになりました。当時、天動説は宗教的な支持もあり、ニコラウス・コペルニクスが提唱した地動説は異端とされ、圧倒的に優位な立場にありました。

 天動説の主張のひとつに、もし地動説の言う通りに地球が太陽の周りを回っているとするならば、その回転運動の影響によって月は軌道から外れてしまうという反論がありあした。この反論に対して、地動説は説明を与えることができなかったのです。しかしながら、ガリレオの木星の衛星の発見により、天動説の主張が崩れたのです。

 ガリレオは地動説を唱え続け、裁判で有罪判決を受けた話は有名です。裁判の経緯については諸説ありますが、最終的にガリレオが許されることはなく、1642年1月8日に軟禁されていた家で亡くなりました。その後、ヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンの研究成果によって、天動説は科学的に否定されましたが、ガリレオ裁判が覆ることはありませんでした。

 現代においては天動説が誤りであることは明白です。1992年10月31日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判が誤りであったことを認めガリレオに謝罪しました。そして、2008年12月21日にベネディクト16世が公式に地動説を認めました。

 ニュートンが論文「プリンキピア」を発表(1687年)から321年、ガリレオがこの世を去ってから(1642年)366年後のことでした。

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2013年6月 1日 (土)

巨大な小惑星1998QE2が地球から580万キロの位置を通過

 5月31日、巨大な小惑星1998QE2が地球からおよそ580万キロメートルの位置を通過しました。

1998qe2

 1998QE2は、1998年8月19日に発見された直径が2.7キロメートもある巨大な小惑星で、直径が約610メートルの惑星を従えています。もし、1998QE2が地球に衝突するようなことがあったら、大災害となってしまいます。

 NASAはこの小惑星を発見以来、監視を続けています。この小惑星が地球に次回接近するのは2028年7月12日ということですが、このときは今回よりも遠いところを通るため衝突の心配はないようです。また、この先200年位内に今回よりも近いとことを通ることがあるものの、やはり衝突の心配はないようです。

A SUPER GiNORMOUS Asteroid NAMED 1998QE2 ''9 CruiseShips Long'' to pass over Earth on May 31 2013

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2012年11月21日 (水)

Google 100,000 Stars で銀河系を宇宙探険しよう 

 Google が銀河系内の星を見ることができるサービス「100,000 Stars」を開始しました。このシステムには米国航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)のデータが使われています。Google Chromeで動きます。

100,000 Stars
http://workshop.chromeexperiments.com/stars/

アクセスするとマウスを使って銀河系内を見ることができ、10万個以上の星の詳細な情報を見ることができます。まるで宇宙旅行をしているような感じです。

銀河系全体

Stars1

拡大していくと恒星が見えてくる

Stars2

Googleはこのサイトのデータについて科学的に保証できないとしていますが、なかなか見応えのあるシステムにできあがっています。

Explore the stellar neighborhood with your browser
http://chrome.blogspot.jp/2012/11/explore-stellar-neighborhood-with-your.html

なお、惑星を含めたシステムとしては、日本のMITAKAの方がお勧めと思います。

天体シュミレータ Mitakta
https://starfort.cocolog-nifty.com/voorlihter/2007/05/mitakta_9b78.html

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2012年9月 8日 (土)

スター・トレックのシリーズが誕生46周年

GoogleのロゴがStar Trek(宇宙大作戦、スター・トレック)になっています。

スター・トレックのシリーズが誕生46周年ということのようです。スター・トレックがテレビで放送開始となったのは1966年9月8日ですから、ちょうど今日で46年ということです。ちなみに、日本でのテレビ放映開始は1969年4月27日でした。

Googletrek

宇宙大作戦 Star Trek TOS Episode1 Prologue~Intro Japanese ver.

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2012年6月 1日 (金)

キンカン日食

うな銃と同じノリですが・・・

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2011年11月22日 (火)

ホンジュラスに小惑星衝突

1996年11月22日(金)、中央アメリカのホンジュラスの首都デクシカルバの西方にあるセント・ルイーズの郊外に、 巨大な火の玉となって小惑星が落下しました。

幸い小惑星の大きさは地球環境に甚大な被害をもたらすものではありませんでした。それでも、落下地点には直径50 mのクレーターができました。

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