最初の屯田兵が入植(明治8年 1875年5月17日)
明治2年(1869年)5月18日に五稜郭が開城し戊辰戦争が終結すると、明治政府は同年7月8日に開拓使を設置し蝦夷地の開拓と防衛強化に乗り出しました。同年8月15日には太政官布告によって蝦夷地は北海道、北蝦夷地を樺太と改名されました。
明治4年(1871年)10月に北海道開拓次官となった黒田清隆は西郷隆盛が主唱していた士族による北方警備と開拓を実現するべく同年11月に太政官に屯田制を建議し、明治7年(1874年)に屯田兵例則が定められました。屯田兵は平時は農民として開拓に従事し、有事には軍隊として北方防備に当たる兵農一如の制度です。明治維新により特権や職を失い生活に困窮していた士族たちに職と土地を与え生計の道を立てさせる士族授産の目的もありました。
明治8年(1875年)5月17日、現在の札幌市西区琴似に最初の屯田兵198戸と家族ら計965人が入植し琴似兵村が発足しました。彼らは彼らは家族とともに移住し、政府から土地と兵屋(家屋)を与えられました。極寒の未開地での開拓生活は過酷を極めましたが、彼らは耐え抜きながら北海道における農業の基盤を築きました。
屯田兵は明治8年から明治32年までに、道内37の兵村に約7,300戸、家族を含む約4万人が入植しました。彼らが開墾した総面積は約7万4,000 haにも及びました。西南戦争、日清戦争、日露戦争の有事の際には出征し軍隊としての役割を果たしました。屯田兵制度は明治37年(1904年)まに廃止されまで続き、士族だけではなく平民も加わりました。
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