新選組の源流「天然理心流」
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天然理心流は寛政年間(1789年〜1801年)に神道流剣術はじめとする諸流を学んだ遠江国出身の近藤内蔵助が「天に則り、理を悟り、心を正す」という教えに基づいて江戸時代後期に創始した比較的新しい古武術です。実戦を重んじる誠の剣術、居合術、小具足術、棒術、柔術などを含む総合武術として創出されました。道場は江戸に開かれましたが、内蔵助が江戸周辺の町村に出向いて指南したため、武士だけでなく豪農を中心とする農民にも広く受け入れたことにより門下生が増え発展しました。
二代目は近藤内蔵助とともに天然理心流を編み出したとされる近藤三助が継ぎました。当時、治安が悪化していた農村部では自衛のために武術を学ぶ必要がありました。天然理心流は江戸はもとより多摩地域、埼玉、神奈川まで広範囲に普及しました。各地域の名主や豪農たちは天然理心流を通じ団結を固めていきました。
近藤三助は指南免許や印可を誰にも与えないまま文政2年(1819年)に早世しました。しばらくして天保元年(1830年)に高弟の一人で剣術免許を受けていた島崎周助が三代目を継ぐことになり近藤周助と名乗りました。周助は天保10年(1839年)に江戸市中に天然理心流剣術道場の試衛場(試衛館)を構えました。
嘉永元年(1848年)11月11日、天然理心流の試衛場に入門したのが武蔵国多摩郡上石原村出身の農民の宮川勝五郎です。勝五郎は嘉永2年(1849年)10月19日に周助の養子となり嶋崎勝太と名乗りました。その後、勝太は勇と改名し、近藤家と養子縁組を経て、文久元年(1861年)8月27日に四代目に就任し近藤勇を名乗りました。試衛館には後に新選組となる多くの若者たちが集まりました。
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