マツダ(東洋工業)がコスモスポーツ発表(1967年5月30日)
マツダ コスモスポーツは昭和42年(1967年)5月30日に発表・発売が開始された世界初の実用的かつ量産型ロータリーエンジンを搭載した自動車です。
1960年代の初め日本の通商産業省(経済産業省)は特定産業振興臨時措置法案(特振法案)により、国内日自動車メーカーをグループに統合しようと画策していました。
国内自動車メーカーとしては後発だった東洋工業(マツダ)は独立を守るため固有の技術を確立する必要に迫られていました。そこで目をつけたのが西ドイツのNSU社・バンケル社が開発したヴァンケル・スパイダーに搭載されていた世界初のロータリーエンジンでした。東洋工業はNSU社と技術提携をして特許ライセンスを取得しました。 しかし、入手した試作エンジンを動かしてみると重大な欠陥が見つかりました。その問題とはローターの回転により内壁に摩耗の溝チャターマーク(通称:悪魔の爪痕)の発生でした。これによりエンジンはすぐに使い物にならなくなってしまったのです。つまり世界初のロータリーエンジンは実用化にはほど遠いものだったんのです。
この問題を解決するため、東洋工業は昭和38年(1963年)にのちのマツダ社長となる山本健一をリーダーとするロータリーエンジン研究部を発足させ、実用的ロータリーエンジンの開発に着手しました。研究チームはあらゆる素材を使ってエンジンを作る実験を重ねた結果、ついに高強度カーボン材にアルミを染み込ませたアペックスシールを開発し、悪魔の爪痕問題を解決し、世界初の実用化10A型ロータリーエンジンへを生み出しました。
この10A型の試作エンジンは昭和38年(1963年)10月26日~11月10日に開催された第10回全日本自動車ショー(東京モーターショー)において出展されました。このときロータリーエンジンを搭載した試作車の写真パネルも展示されましたが、実際の車両の展示はありませんでした。しかし、自動車ショーが開催される6日前の同年10月20日に、朝日新聞紙がこの試作車をスクープしていました。当時の東洋工業の松田恒次社長が自ら試作車のMAZDA 802 (L402A)のステアリングを握り広島から遠路はるばる会場まで乗り付けるパフォーマンスを行いました。この松田恒次社長の行動に注目が集まり、試作車とロータリーエンジンは自動車ショーの話題をさらうことになりました。
この試作車は昭和39年(1964年)の第11回東京モーターショーにおいて正式に参考出品したのち、販売に向けて急ピッチに開発が進められました。昭和40年(1965年)の第12回モーターショーでマツダコスモの名が発表され、全国のディーラーへ試作車を貸し出され、ロードテスト(実走行試験)をかねたプロモーションが行われました。昭和41年(1966年)の第13回全日本自動車ショーには改良型の試作車マツダコスモスポーツが発表されました。
昭和42年5月30日、東洋工業はコスモスポーツ(L10A型)を正式に発表し、販売を開始しました。全高わずか1,165 mmでフロントからリアへ流れる近未来的なボディのコスモスポーツは一躍人気車種となりました。斬新なデザインが実現できたのはエンジンが小型・軽量だからこその賜でした。コスモスポーツの当時の価格は148万円です。大卒初任給の給与が2万6,000円ですから、誰もが憧れる超高級スーパースポーツカーでした。このコスモスポーツの成功により、マツダは「技術のマツダ」としての地位の礎を気づいたのです。
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