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2026年3月26日 (木)

新選組 近藤勇と土方歳三の出会い

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 梅村真也原作・ 橋本エイジ作画の漫画「ちるらん 新撰組鎮魂歌」において、土方歳三は石田散薬の行商をしながら剣を磨き、道場破りで偶然立ち寄った試衛館(試衛場)で近藤勇と出会い、勝負に敗れて試衛館に入門したとされています。しかしながら、この描写は史実とは異なり、2人が出会ったのは日野宿組合名主の佐藤彦五郎の道場です。

 佐藤彦五郎は文政10年9月25日に武蔵国多摩郡日野宿で長男として生まれました。11歳で祖父の10代彦右衛門から日野本郷名主、日野宿問屋役、日野組合村寄場名主を継ぎました。嘉永2年1月18日、日野宿の大火が発生した折、家族が殺害されたことで自衛の必要姓を感じ、八王子千人同心石阪組世話役の井上松五郎に天然理心流を紹介され、嘉永3年(1850年)に天然理心流3代目宗家の近藤周助の門人となり日野宿で道場を開きました。井上松五郎の弟は後に新選組六番隊長となった井上源三郎で、次男の井上泰助も新選組隊士になっています。

日野宿組合名主 佐藤彦五郎
日野宿組合名主 佐藤彦五郎

 近藤勇は天保5年10月5日に武蔵国多摩郡上石原村(東京都調布市野水)に農家の三男として生まれました。幼名は勝五郎で、後に勝太と改めています。嘉永元年(1848年)11月11日に牛込(東京都新宿区)の天然理心流剣術道場試衛場に入門しました。万延2年8月27日に府中六所宮で天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い流派一門の宗家を継ぎました。

新選組局長 近藤勇
新選組局長 近藤勇

 土方歳三は天保6年5月5日(1835年5月31日)武蔵國玉郡石田村(東京都日野市石田)の農家の末子として生まれました。14歳から24歳まで奉公に出て、その後は実家に戻り土方家秘伝薬「石田散薬」を行商しながら剣術の修行に励みました。このときに試衛場に道場破りをしたという事実はありません。土方歳三は実姉のらん(とく、佐藤のぶ)が佐藤彦五郎に嫁いでいた関係から佐藤彦五郎の道場に出入りしていました。ここで彦五郎と義兄弟の契りを結んでいた試衛館の近藤勇に出会いました。土方歳三が正式に天然理心流に入門したのは安政6年(1859年)3月9日とされています。

新選組副長 土方歳三
新選組副長 土方歳三

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