ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)
ロシア帝国の外交官・貴族で露米会社の総支配人を努めていたニコライ・ペトロヴィチ・レザノフは露米会社の経営改善やロシアの発展には南方の日本や清との交易を確立することが重要と考えて遣日使節の派遣を宮廷に働きかけました。
レザノフは寛政4年(1792年)にアダム・グラスマンが日本人漂流民の大黒屋光太夫らを送還する目的でエカテリーナ号で根室に来航した際に幕府に通商を求めていたことに目を付けました。江戸幕府老中の松平定信はグラスマンに長崎港の入港許可証(信牌)「おろしや国の船壱艘長崎に至るためのしるしの事」と交付しました。グラスマンは長崎には向かわずそのままロシアに帰りましたが、幕府はこれをきっかけに蝦夷奉行を設置しました。レザノフはこの入港許可書を利用して長崎を訪れ幕府に通商を求めようと考えたのです。
【参考】江戸幕府が蝦夷奉行を設置(享和2年 1802年2月23日)
レザノフは日本人漂流民の津太夫らを送還する目的でロシア皇帝アレクサンドル1世の親書を携えた正式な使節団を率いて日本に通商を求める遣日使節として長崎に向かうことになりました。レザノフはアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンの世界一周航海艦隊(旗艦ナジェージタ号)で、バルト海沿岸のサンクト・ペテルブルクから出航し南米回りで太平洋に出てハワイ王国を軽油してカムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーに到着しました。そして1804年(文化元年)9月に長崎に来航しました。
レザノフが来日したときには松平定信は失脚しており、老中の土井利厚が対応しました。通商条約を結ぶ考えのない幕府は艦隊の入港を認めず、海上で2ヶ月も待機させました。上陸後も出島の宿舎に半年近く滞在しました。レザノフらは長崎奉行を通じて交渉を行いましたが、長崎奉行の遠山景晋(遠山景元の父)は「唐山(中国)・朝鮮・琉球・紅毛(オランダ)以外とは通商せず」という「朝廷歴世の法」を理由に通商を拒否しました。漂流民は引き取りましたが、ロシア皇帝の親書や献上品を受け取らず退去を命じました。レザノフは幕府に非礼に憤慨しましたが、翌年の文化2年(1805年)3月19日に長崎を出港しカムチャツカへ戻りました。
日本の対応に憤慨したレザノフは日本に開港を要求するには武力による方法しかないと考えるようになり、部下に樺太や択捉島などの日本の拠点を攻撃するよう命じました。これが文化露寇(フヴォストフ事件)に発展しました。幕府は文化露寇の報復として文化8年(1811年)5月に軍艦ディアナ号で千島列島の測量を行っていたヴァーシリー・ゴローニンを拿捕、ロシアはその報復として文化9年8月13日に高田屋嘉兵衛を拿捕しました。いわゆるゴローニン事件が起こりました。
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