近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)
文久3年(1863年)、第3代将軍徳川家光以来229年ぶりに上洛することになった徳川家茂を警備するため浪士組が結成された。近藤勇と土方歳三は試衛館の同志たちと浪士組に参加しました。浪士組は7つの隊に編成され、近藤と土方は三番隊一に組み込まれました。この三番隊一には芹沢鴨・近藤勇・山南敬助・土方歳三・永倉新八・沖田総司・原田左之助・藤堂平助・平山五郎・野口健司・平間重助など後の新選組の主要メンバーとなる面々で構成されていました。
同年2月8日、浪士組は江戸を出発して中山道を通り京都をめざしました。翌日2月9日、一行は中山道六十九次(木曽街道六十九次)の江戸から数えて10番目の宿場である本庄宿に到着しました。宿割り役の池田徳太郎と近藤勇はこれに先乗りして各隊の宿舎を割り振りましたが、取締付筆頭(三番組小頭)の芹沢鴨の宿を手配し忘れるミスを犯してしまいました。
本庄宿に到着した芹沢は自分の宿が用意されていないことに激怒し「野宿でよい」と言い放って、芹沢一派を集めて宿場の街道の真ん中で巨大な篝火(かがりび)を焚かせたとされています。火の粉が飛び散り危険な状態となったため、宿役人が消化を命じると、芹沢は大鉄扇で役人を気絶させるほど殴打する乱暴を働きました。近藤と池田が芹沢に謝罪し宿を手配しましたが芹沢の怒りは収まりませんでした。
この事件は一般に「本庄宿篝火事件」または「大焚火事件」と呼ばれていますが、当時、本庄宿で火災が起きたという記録は残っていません。事件の顛末は永倉新八の「新選組顛末記」に残されていますが、永倉が近藤派だったため芹沢の乱暴さを強調した可能性が指摘されています。また、宿割りのミスをしたのは道中目付の岡田盟とされており近藤自身は宿取り役ではなかったという指摘もあります。いずれにせよ、この事件で芹沢派と近藤派の間に確執が生まれたのは事実とされてます。
芹沢は新選組になってからも狼藉を働くことが多く、朝廷から芹沢の逮捕命令が出ると新選組を預かる会津藩が芹沢の処分を命じました。これを受けて近藤は芹沢の暗殺を土方や沖田総司らに命じました。新選組が京都で狼藉を働いた集団という伝えがありますが、これは芹沢が新選組局長だった頃の話です。渋沢栄一郎は近藤や新選組のことを高く評価しています。
【関連記事】
・日枝神社|新選組「燃えよ剣」第10節「スタスタ坊主」の日枝明神
・近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)
・近藤勇が新選組解散を願い出る|近藤勇書簡(元治元年 1864年5月20日 小島資料館)
・新選組!! 近藤勇 最期の一日(慶応4年 1868年4月25日)
・榎本武揚と土方歳三が仙台城で奥羽越列藩同盟の軍議に参加(慶応4年 1868年9月3日)
・土方歳三を撮影した写真師|田本研造の命日(1912年10月21日)
・新選組!! 土方歳三 最期の一日(明治2年 1869年5月11日)
Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。
| 固定リンク | 0
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 新選組総長 山南敬助の最期( 元治2年 1865年2月23日)(2026.02.23)
- 南極で金環日食が観測される(2026年2月17日)(2026.02.17)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- IT用語「オープンソース」が生まれた日(1998年2月3日)(2026.02.03)
- 千葉真一さん主演殺人拳シリーズ「激突! 殺人拳」日本公開(昭和49年 1974年2月2日)(2026.02.02)
「歴史」カテゴリの記事
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 雪原の屈辱から逆襲そして没落へ|カノッサの屈辱(1077年1月25日)(2026.01.25)
- 坂本龍馬を現代のビジネスマン風にしてみた(2026.01.22)
- 成人の日の由来「元服の儀」|小正月(1月15日)(2026.01.15)
「幕末・明治」カテゴリの記事
- 新選組総長 山南敬助の最期( 元治2年 1865年2月23日)(2026.02.23)
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 坂本龍馬を現代のビジネスマン風にしてみた(2026.01.22)
- 新選組の色|隊服の浅葱色と誠の赤色(2025.12.19)
「新選組」カテゴリの記事
- 新選組総長 山南敬助の最期( 元治2年 1865年2月23日)(2026.02.23)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 新選組の色|隊服の浅葱色と誠の赤色(2025.12.19)
- 近藤勇が新選組解散を願い出る|近藤勇書簡(元治元年 1864年5月20日 小島資料館)(2025.12.04)
- 土方歳三の写真が箱館で撮影された根拠(2025.10.03)
「江戸時代」カテゴリの記事
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 坂本龍馬を現代のビジネスマン風にしてみた(2026.01.22)
- 江島生島事件(正徳4年 1714年1月12日)(2026.01.12)
- 赤城の山も今宵限り|國定忠治の最期(2025.12.21)



コメント