江島生島事件(正徳4年 1714年1月12日)
正徳4年(1714年)1月12日、第七代将軍の徳川家継の生母の月光院に仕えていた御年寄の江島が門限に遅れたことをきっかけに江島生島事件が怒りました。この日、江島は月光院の名代として上野の寛永寺や芝の増上寺へ参拝に出向きました。その帰りに懇意の呉服商の後藤縫殿助の誘いで木挽町の芝居小屋「山村座」で人気役者の生島新五郎の歌舞伎を鑑賞しました。芝居の後に江島は生島たちを招いて宴会を催しましたが、宴会が長引き大奥の門限に遅れてるという失態を演じました。
江島は大奥の七ツ口で役人と押し問答となり、この話は江戸城中に知れ渡りました。江島の門限破りは評定所で審理されることになりました。取り調べでは江島の単なる門限破りではなく大奥の規律を乱したことが問題視され、江島と生島新五郎の密通疑惑が浮上しました。最終的に江島は死罪となるところを減じられて信濃国高遠藩への流刑となりました。役者の生島も三宅島へと流されました。芝居小屋の山村座は解体、江島の取り巻きなど多くの者たちが処罰を受けました。
江島は27年に渡り幽閉生活となり寛保元年(1741年)に享年61歳で死去しました。生島は寛保2年(1742年)に徳川吉宗により赦免され江戸に戻りましたが翌年享年73歳で死去しました。
この江島生島事件は大正時代に歌舞伎「江島生島」で演じられ戦後には小説「絵島生島」になりました。事件の顛末が一般にも広く知られるようになりました。現将軍の母の月光院派と先代将軍の正室の天英院派の大奥内での覇権争いで、月光院派の江島の失態が天英院派の格好な攻撃材料になったという言い伝えもありますが史実では確認できずこれは後の創作のようです。
Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。
| 固定リンク | 0
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- IT用語「オープンソース」が生まれた日(1998年2月3日)(2026.02.03)
- 千葉真一さん主演殺人拳シリーズ「激突! 殺人拳」日本公開(昭和49年 1974年2月2日)(2026.02.02)
- 雪原の屈辱から逆襲そして没落へ|カノッサの屈辱(1077年1月25日)(2026.01.25)
- 成人の日の由来「元服の儀」|小正月(1月15日)(2026.01.15)
「歴史」カテゴリの記事
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 雪原の屈辱から逆襲そして没落へ|カノッサの屈辱(1077年1月25日)(2026.01.25)
- 坂本龍馬を現代のビジネスマン風にしてみた(2026.01.22)
- 成人の日の由来「元服の儀」|小正月(1月15日)(2026.01.15)
「江戸時代」カテゴリの記事
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
- 坂本龍馬を現代のビジネスマン風にしてみた(2026.01.22)
- 江島生島事件(正徳4年 1714年1月12日)(2026.01.12)
- 赤城の山も今宵限り|國定忠治の最期(2025.12.21)

コメント