神武天皇が初代天皇に即位(紀元前660年1月1日)
日向の国の若き皇子の神武は天下を正しく治めるため中心地である大和に向かう必要があると考えました。これは正しい政治は中心から始まるという世界観に基づいた考えでした。神武は長兄の彦五瀬命をはじめとする親族や志を同じくする仲間たちと長い旅に出ました。
大和へ向かう神武一行を待っていたのは豪族の長髄彦の激しい抵抗でした。この戦で彦五瀬命は矢に当たり負傷しました。彦五瀬命は「我々は日の神の御子、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と助言し亡くなりました。神武一行は紀伊半島へ迂回し太陽を背に大和に向かうことにしました。
紀伊の山々はたいへんに険しく行軍は困難を極めました。神武一行は心身ともに疲労しました。遭難しそうになっていたところ、空を裂くような声が響き三本足の巨大な八咫烏が現れました。 八咫烏は神武一行が進むべく方向を示しました。神武一行は間一髪で遭難を免れました。八咫烏は天照大神の使いだったのです。
神武一行は太陽を背に大和に入り再び長髄彦との戦いに挑みました。激しい決戦が始まりましたが、どちらも一歩も引かず拮抗しました。膠着状態になったところ、突如として空からまばゆい光を放ちながら黄金の鳶が現れて神武の弓の先に舞い降りました。長髄彦の軍勢は強烈な光で目をくらませ、天が味方をしていると戦意を喪失し降参しました。
紀元前660年1月1日、大和を平定した神武は大和の橿原宮で初代天皇に即位しました。これが現在の「建国記念の日」の由来となっています。
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