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2025年12月22日 (月)

太政官制が廃止され伊藤博文の第一次内閣が発足(明治18年 1855年12月22日)

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 明治政府は欧米諸国に肩を並べることができる近代国家を目指し、そのために政治制度の改革は進めました。しかし明治政府が導入した太政大臣、右大臣、左大臣を頂点とする太政官制は閣内不一致による分裂が生じやすく責任の所在も曖昧になりがちでした。憲法調査から帰国した伊藤博文は欧州で学んだ政治制度を参考に内閣総理大臣による強力なリーダーシップを発揮できる内閣制度の創設を模索しました。これに対して太政大臣の三条実美は従来の太政官制を維持するため黒田清隆を右大臣に任命しようとしました。

初代内閣総理大臣 伊藤博文
初代内閣総理大臣 伊藤博文

 伊藤博文は内閣制度の実現のためあえて黒田清隆の右大臣任命の意向に賛成し三条の警戒を解こうとしました。ところが明治天皇が黒田清隆の右大臣就任に反対したため三条実美は伊藤博文に右大臣就任を打診しました。伊藤博文は自分が右大臣に就任すると内閣制度を実現できなくなると考えてこれを固辞しました。三条実美は改めて黒田清隆を明治天皇に推薦しました。明治天皇は参議全員の意見の一致を条件にこれを了承しました。ところが当人の黒田清隆が西郷隆盛や大久保利通もなれなかった右大臣に自分はなるべきではないと固辞しました。

 伊藤博文は内閣制度の実現に向けて準備を進めました。三条実美は自身の立場が危うくなっていることに気がつきましたが、明治天皇が政治体制の改革を命じらました。明治18年(1855年)12月22日、政治体制の改革の必要姓に迫られた三条実美は明治天皇に自分は政治改革の任には堪えられないと太政大臣を辞任を表明しました。同日に太政官制が廃止されて内閣制度が発足しました。各省の長官が大臣として内閣を構成することになり、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しました。この日を境に日本の政治の仕組みは大きく生まれ変わったのです。

【参考記事】

大久保利通、木戸孝允、板垣退助が政府方針を協議|大阪会議(明治8年 1875年2月11日)

所得税法の公布(明治20年 1887年3月23日)

トラフグのおはなし

黒田清隆が内閣総理大臣に就任( 明治21年 1888年4月30日)

黒田清隆が「超然主義」を表明(明治22年 1889年2月12日)

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