松前崇広とエゲリア号事件(文久3年 1863年11月20日)
文久3年(1863)年11月20日午後8時、箱館港に向けて航行中のイギリス商船エゲリア号が松前町内大沢地区(大沢村大字櫃の下)の沖合で座礁しました。当時、箱館は日英修好通商条約によって開港されていました。しかし、孝明天皇は朝廷の勅許を得ずにアメリカ合衆国をはじめとする列強と修好通商条約を結んだ幕府に対して同年3月に孝明天皇は攘夷の勅命を下しました。第14代将軍の徳川家茂は攘夷を約束しましたが幕府内部の意見の対立もあり攘夷を実行することはできずにいました。同年5月、攘夷を実行しない幕府に業を煮やした長州藩は馬関海峡を封鎖し、航行中のアメリカ・フランス・オランダ艦船に対して砲撃を加えました。これによりイギリスは多大な経済的損失を受けました。
このような緊張が高まる中でエゲリア号の事故が起きると箱館奉行の役人や列強各国の箱館駐在領事が現場を訪れました。開港している箱館港以外での外国船の扱いについては難しい面もありました。箱館奉行の役人の対応は尊大で横柄で遭難者への対応も通商条約に反していため各国駐在領事は函館奉行に対して断固とした姿勢を取りました。そのような状況の中で当時の幕府の寺社奉行で開国派だった松前藩主の松前崇広はあくまでも人道主義を貫くことを主張しました。松前藩は現場近くに救難小屋を建てエゲリア号の遭難者を収容し、食料や衣類を提供するとともに負傷者を手厚く看護しました。松前藩は遭難者を厚遇して送還し、イギリスからの謝礼金の申し出も断りました。
松前藩の人命尊重の対応に対して各国駐在領事は感銘し、当事国のイギリス領事のラザフォード・オールコックは本国に顛末を報告しました。元治元年(1864年)5月、イギリスのハノーヴァー朝第6代女王ヴィクトリア女王は松前藩に感謝の意を込めて松前崇広に松前家の家紋の入った金の懐中時計を贈りました。
松前崇広は同年7月に幕府の老中格、同年11月に老中に就任しています。慶応元年(1865年)、松前崇広は老中の阿部正弘とともに朝廷の許可を得ずに兵庫開港を決定したため、同年10月に朝廷は2人は対して官位剥奪および謹慎を命ずる勅命を下しました。
【参考】兵庫開港要求事件(1865年9月13日)
松前崇広は死去するまでヴィクトリア女王から賜った金時計を肌身離さず大切にしていたと伝えられています。
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