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2025年11月16日 (日)

日本橋の銘板が徳川慶喜の揮毫の理由は

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 東京都の流れる日本橋川に架かる日本橋は徳川家康の全国の街道の整備計画の一環で慶長8年3月3日(1603年4月14日)に建造されました。初代の日本橋は木造の太鼓橋でした。

1830年頃の日本橋の浮世絵(歌川広重作)
1830年頃の日本橋の浮世絵(歌川広重作)

 現在の石造の2連アーチの日本橋が架けられたのは明治44年(1911年)4月3日です。

  【参考】日本橋が石橋になる(1911年4月3日)

石橋の日本橋
石橋の日本橋

 日本橋は国の重要文化財に指定されています。橋の四隅の親柱に掲げられた銘板には「日本橋」と刻まれています。その文字は江戸幕府最後の第十五代征夷大将軍の徳川慶喜が揮毫したものです。

日本橋の銘板(揮毫 徳川慶喜)
日本橋の銘板(揮毫 徳川慶喜)

 本来ならば明治政府の高官が揮毫するところですが、当時の東京市長の尾崎行雄の強い意志で慶喜に揮毫を依頼されました。尾崎は慶喜が戊辰戦争で江戸城の無血開城を選んだことから、江戸が戦火を交えずに東京へ移行できたのは慶喜が屈辱に耐えて恭順の姿勢を貫いたおかげであり東京の恩人にこそ揮毫を依頼するべきと考えたと伝えられています。

 【参考】江戸城の無血開城(慶応4年 1868年4月11日)

尾崎行雄 徳川慶喜
尾崎行雄(左)と徳川慶喜(右)

 慶喜の揮毫は江戸から東京への連続性と平和的な変革を象徴するものとなりました。尾崎東京市長は翌年の1912年に退任、慶喜は2年後の1913年に他界しています。

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