榎本艦隊が鷲ノ木に上陸(慶応4年 1868年10月20日)
第1話 榎本武揚が旧幕府艦隊を率いて品川沖を脱出(慶応4年 1868年8月19日)
第2話 榎本武揚らが仙台城で奥羽越列藩同盟の軍議に参加(慶応4年 1868年9月3日)
第3話 仙台藩が降伏し奥羽越列藩同盟が消滅(慶応4年 1868年9月12日)
仙台藩の降伏により奥羽列藩同盟は完全に崩壊した。榎本艦隊が早めに仙台に到着していたらという「もし」がある。時間稼ぎはできたかもしれないが同盟の崩壊は免れなかったであろう。また榎本艦隊が早めに東北に到着し参戦していたら疲弊していただろう。箱館に辿りつくことなく戊辰戦争が集結していた可能性もある。
仙台はほとんど無傷ではあったが戦場になると大きな被害を被ることになる。新政府への恭順を決断した仙台藩にとってやっかいとなったのは榎本艦隊をはじめとする新政府軍に徹底抗戦を主張する幕臣たちであった。仙台藩は榎本艦隊に物資を提供し、仙台を離れる後押しをしたのである。慶応4年(1868年)10月12日、榎本艦隊は仙台の折浜を出港した。途中で宮古湾鍬ヶ崎港に寄港し蝦夷地に向かった。蝦夷地に向かったには開陽、回天、蟠竜丸、神速の4軍艦と長鯨、大江、鳳凰、千秋(のちの回春)の4輸送艦である。先鋒を回天、しんがりを開陽とした合計8隻の艦隊は北へ向かった。
榎本艦隊は箱館港に入港することを避けた。箱館港は開港されており外国船も入港していた。幕府が箱館防備のため五稜郭とともに建造した弁天台場は新政府軍の管轄下にあった。そんなところに榎本艦隊が現れれば戦闘状態になるのは必至である。榎本艦隊は五稜郭から北に約40キロメートル離れた鷲ノ木浜(北海道茅部郡森町鷲ノ木町)から蝦夷地に上陸することにしたのである。
慶応4年(1868年)10月20日の夜、榎本艦隊は鷲ノ木浜に到着した。翌21日にかけて雪が舞う荒海の沖合に集結した艦隊から旧幕府軍の兵士約3000名が小舟で次々と上陸を開始した。鷲ノ木村は大騒ぎになったが旧幕府軍は村の会所(役所)を拠点とした。
榎本艦隊が蝦夷地に向かったことを察知した新政府軍は箱館に兵を送り防備を固めたが旧幕府軍に対峙できるほどの体制にはなかった。一方の旧幕府軍も好戦的ではなかった。榎本武揚は戦闘を避けるため館府知事の清水谷公考のもとに人見勝太郎と本多幸七郎および精鋭の歩兵30名を使者として送った。彼らは榎本武揚の檄文と嘆願書を携えて五稜郭に向かったが同年10月22日に新政府軍の奇襲を受け戦闘状態に入った。喰う幕府軍は大鳥圭介が率いる部隊と土方歳三が率いる部隊の二手に分かれ、大鳥隊が峠下・七重方面から、土方隊が鹿部・川汲峠・湯の川j方面から五稜郭を目指して進軍を開始した。榎本武揚は旧幕府軍による蝦夷地の開拓と北方警備を許可する嘆願書を勝海舟らに送っているが新政府はこれを許すことはなかった。こうして箱館戦争の火蓋が切られることになったのである。
鷲ノ木は箱館戦争の終戦まで旧幕府軍の後方陣地とされた。旧幕軍の負傷兵や病人は鷲ノ木に移され治療を受けた。戦死したものは村の会所(役所)近くの霊鷲院に手厚く葬られました。
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