板垣退助らが日本初の近代的政党「自由党」の創立大会を開催(明治13年 1881年10月18日)
明治13年(1881年)、板垣退助や後藤象二郎らが中心となり日本で最初の近代政党「自由党」を創立しました。自由党は国会開設を求めて活動していた「国会期成同盟」を母体とし同年10月18日に東京の浅草井生村楼で創立大会が開かれました。自由党が正式に結成されたのは同年10月29日で初代総理(党首)に板垣退助が就任しました。
自由党はフランスの急進的自由主義を掲げ主権在民、一院制の議会、さらに薩長中心の藩閥政府の打倒を目指しました。自由民権運動の中心的な役割を果たし、自由党の結成は日本における民主政治の実現に向けた大きな一歩となりました。翌年には大隈重信を中心とする立憲改進党など他の政党も誕生し、日本の政治は新しい時代を迎え藩閥政府による政治から政党政治への変革が始まりました。
板垣退助は後に著書「自由党の尊王論」を発表し自由主義と尊皇思想は両立すると天皇制と民権思想の調和を主張しました。自由党は自由民権運動を進めましたが党内の急進派が秩父事件などの事件を起こし、内部対立と財政難により明治17年(1884年)10月29日に解党となりました。この解散により自由民権運動の勢いが衰退しましたが、民権運動はその後も継続されました。板垣退助は明治23年(1890年)9月15日に立憲自由党を創立し旧自由党を再興しました。
現在の与党「自由民主党」は板垣退助の自由党を源流としています。第二次世界大戦前の二大政党の立憲政友会、立憲民政党が戦後に離合集散しながら保守合同により結党された政党です。令和になると自由民主党は左傾化が進んだこともあり一党優位政党ではなくなりました。日本の政治は多党政治になりつつあります。
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