吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)
「松下村塾」を開き高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など明治維新で活躍した志士たちに多大な影響を与えた吉田松陰。松陰は嘉永7年(1854年)にアメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が日米和親条約を締結するため黒船艦隊を率いてやってきたときに海外渡航を単眼するも断られ密航の罪で投獄されました。その後、長州萩城下松本村の実家の杉家預かりとなり、安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾を引き継ぎました。松陰も弟子を指導しながら尊皇攘夷の思想を深めていきました。
【参考】吉田松陰と金子重之輔が黒船に密航を懇願|下田踏海(嘉永7年 1854年3月27日)
安政5年(1858年)に幕府が朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約を締結すると、松陰は孝明天皇への弁明のため上洛する老中首座の間部詮勝を捕らえて条約を破棄させ攘夷の実行を求め拒否された場合は討ち取る計画「間部要撃策」と「伏見要駕策」を画策しました。しかしながら、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎ら弟子たちの賛同を得られず頓挫しました。松陰は幕府に対する不信感を募らせ藩を超えた尊王攘夷運動を志して「草莽崛起」を唱えて尊皇攘夷の志士たちに倒幕の蜂起を促しました。長州藩は松陰を危険な思想の持ち主として幽閉しました。
安政6年(1859年)、幕府による思想弾圧の安政の大獄により梅田雲浜が捕らえられると雲浜と関係のあった松陰も連座され江戸の伝馬町牢屋敷に投獄されました。松陰は評定書で雲浜との関係を問いただされましたがあくまで参考人としての尋問で想定された罪も重いものではありませんでした。しかしながら、松陰は自身の信念を貫き尊皇攘夷と倒幕の正当性を論じるため幕府が把握していなかった「間部要撃策」を自白してしまいました。計画を知った幕府は松陰に死罪を宣告し安政6年(1859年)10月27日に伝馬町牢屋敷で執行しました。享年29歳。
松陰はいくつかの辞世の句を遺しています。そのひとつ 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」は 自らの死を受け入れて志が後世に受け継がれることを願ったものです。松陰の死は弟子たちを奮い立たせ尊王攘夷運動の原動力となり明治維新へとつながりました。
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