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2025年8月15日 (金)

蝦夷地が北海道に(明治2年 1870年8月15日)

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 江戸時代に蝦夷地は松前藩が統治していましたが本州と異なる独自の文化を持つ地域として認識されており統治が十分に行き届いていませんでした。明治2年(1869年)5月18日)の箱館戦争の終結により戊辰戦争が終わると明治政府は同年7月8日に開拓使を設置し蝦夷地の開拓と防衛強化に乗り出しました。同年8月15日、明治政府は太政官布告によって蝦夷地を北海道、北蝦夷地を樺太と改名しました。

 北海道の名は蝦夷地に私人として3度、公務で3度の合計6度赴き調査記録書を記した蝦夷開拓御用掛の松浦武四郎の提案に由来します。武四郎は政府に提出した建白書で「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6つの案を提示しました。明治政府はこの中から
「北加伊道」を選び「加伊」を「海」に改めて「北海道」としました。武四郎は「加伊」はアイヌが自分たちのことを「カイ」と呼んでいることか考案したと説明していますが、アイヌ語研究の言語学者の金田一京助は武四郎が説明したような事実はなかったと指摘しています。

松浦武四郎
松浦武四郎

 開拓使は屯田兵制度を導入し北方の防備を固め札幌農学校や開拓使麦酒醸造所などを設立し北海道の開発を進めました。次の地図は開拓使が出版した武四郎がまとめた「北海道国郡全図」です。左上の「遠致静寧」(寧静致遠)という題言は内務卿の伊達宗城によるもので「遠く隔たった地が静かに治まる」を意味ていします。

北海道国郡全図(1869年)
北海道国郡全図(1869年)

さて北海道は「県」ではありません。これは日本の昔の行政区分と明治政府の開拓の政策が関係しています。古来より日本は律令制のもとで全国を「五畿七道」という行政区分に分けていました。五畿とは都に近い5つ機内と呼ばれる地域のことで、七道とは幹線道路で結ばれた7つの地域のことです。「道」という名称はこの行政区分を踏襲しながら広大な蝦夷地を日本として開拓・統治していくという明治政府の強い意志が込められています。

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