榎本武揚が旧幕府艦隊を率いて品川沖を脱出(慶応4年 1868年8月19日)
大政奉還と王政復古の大号令
慶応3年(1867年)10月14日、幕府の行き詰まりと身の危険を感じていた第15代征夷大将軍・徳川慶喜は大政奉還を申し入れ翌15日に受理された。これにより政権は江戸幕府から朝廷に返上された。幕府が政権を朝廷に返上した後も、日本の領土は依然として幕府に従属しており、朝廷および倒幕派の諸藩には日本の政治を統括する体制が整っていなかった。慶喜は大政奉還を行っても徳川家および幕府が実質的に政権を担うことになると考えていた。
慶喜の腹積もりを察知した倒幕派は徳川家が政治の中心的役割を果たすこと阻止するよう朝廷に働きかけた。慶応3年(1867年)12月9日、京都御所の御学問所において明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発された。これにより新政府が樹立され徳川家康以来260年間続いた江戸幕府は終焉を迎えた。新政府は慶喜に内大臣の官位を返上させ、江戸幕府の領地を朝廷に返還させた。これに慶喜と幕臣が反発し鳥羽伏見の戦いが勃発、ここに旧幕府軍と新政府軍の間で戊辰戦争が始まったのである。
江戸開城
鳥羽伏見の戦いでは、幕府軍は最新鋭の武器を装備した新政府軍に太刀打ちできなかった。さらに新政府軍が錦の御旗を掲げたことにより慶喜は戦意を喪失した。徹底抗戦を主張する抗戦派の幕臣たちを前に慶喜は内密に恭順を決断し江戸へ戻った。江戸において抗戦派の幕臣たちは戦闘継続を主張したが、慶喜は恭順の姿勢を変えず自らは寛永寺で謹慎することにした。
新政府軍は江戸城の開城を求めて東征を開始し、旧幕府軍を次々と沈静化させた。慶応4年(1868年)4月11日、徳川慶喜が寛永寺から水戸へ移り、江戸城は無血開城され大総督府に接収されたのである。
榎本武揚が旧幕府艦隊を率いて品川沖を脱出
新政府は降伏条件のひとつとして幕府が所有する軍艦の引き渡しを要求していた。これを断固として拒否したのが旧幕府海軍を統制していた海軍副総裁・榎本武揚である。武揚は抗戦派の幕臣らとともに艦隊を率いて品川沖を出港し館山沖へと移動した。
この事態を危惧した勝海舟は降伏条件の緩和を前提に武揚の説得を試みた。武揚はこれに応じて品川沖へ帰還し、新政府に軍艦「富士」「朝陽」「翔鶴」「観光」の4隻を引き渡す一方で「開陽」などの主力軍艦の温存に成功した。
海舟は武揚に対し振る舞いを自重するよう要請したが、新政府による徳川家への処分に不満を抱いていた武揚は恭順する意思を持ち合わせていなかった。同年7月、新政府の東征軍に抵抗する仙台藩をはじめとする東北諸藩で結成された奥羽越列藩同盟は武揚に援軍を要請した。これに呼応した武揚は同年8月19日に「開陽」を旗艦とする「蟠竜」「回天」「千代田形」の軍艦4隻と、「咸臨丸」「長鯨丸」「神速丸」「美賀保丸」の運送船4隻、計8隻からなる艦隊を率いて品川沖を脱出し仙台へと向かった。こうして旧幕府軍による最後の戦いの火蓋が切られたのである。
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