函館開港記念日(8月1日 安政6年 1859年6月2日)
嘉永6年(1853年)6月3日、アメリカ合衆国のペリー提督率いる黒船来航により日本は開国を求められました。幕府は第12代征夷大将軍徳川家慶の病気を理由に1年間回答を先延ばしとしました。ペリーもこれを了承し日本を離れましたが家慶の死去を知ると1年間猶予の約束を反故にし嘉永7年(1854年)1月16日に再び艦隊を率いて日本にやってきました。同年3月3日に日米和親条約が締結されました。この条約により伊豆の下田と蝦夷地の箱館が開港され日本は開国することになりました。貿易(通商)の開始は先送りとされたため、下田港と箱館港の役割は米国船に対する薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の提供と難破した米国船舶の乗組員の身柄の引き渡しなどに限られました。
下田は条約締結日に即日開港されましたが箱館は一年後の3月に開港することになりました。ペリーは箱館を検分するため黒船を率いて同年4月21日に箱館港に入港しました。箱館港の測量や各種調査を行い、函館港が地の利のある優れた港であることを認識しました。
【参考】函館と黒船と日本最古の写真の関係
安政2年(1855年)、幕府は箱館を直轄領として箱館奉行を置きました。幕府は日米和親条約をきっかけとしてイギリス、オランダ、ロシアとも和親条約を締結しました。箱館港は貿易港ではありませんでしたが多くの外国船が入港するようになると事実上の交易が始まりました。安政6年(1859年)には外国人居留地として大町が埋め立てられました。同年6月2日、「安政五カ国条約」により箱館が開港され貿易が始まりました。
函館では6月2日には開港を記念して「港まつり」が開催されていました。しかし、この時期は悪天候になることが多いため「港まつり」は昭和16年(1941年)から8月に開催することになりました。開港記念日については昭和10年(1935年)に新暦の7月1日に改められましたが、平成元年(1989年)から8月1日に「港まつり」の開会式として行われるようになりました。
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