廃藩置県の日(明治4年 1871年7月14日)
江戸時代は徳川将軍を中心とした幕府が全国の大名を支配する幕藩体制を敷いていました。幕末には270~300の藩が存在していました。それぞれの藩の運用は藩主の大名に任されていました。黒船来航により江戸幕府の求心力が失われると幕藩体制が崩れはじめ幕末の動乱と明治維新へ繋がっていきました。
明治政府は近代国家建設のためにはこの封建的かつ分権的な幕藩体制を廃し中央政府により統一された支配体制を築く必要があると考えました。これによって国内の分裂を解消して行政・軍事・税制を一元化した中央集権国家を確立し欧米列強に対応する狙いがありました。しかしながら、早急な幕藩体制の廃止は混乱を生じさせるため新政府は各藩の版籍(土地と人民)を朝廷に返上する版籍奉還を行い藩主を知藩事に任命し権限を徐々に制限していきました。そして明治4年(1871年)暦7月14日、明治政府は藩を完全に廃止し、新たに府と県を設置する廃藩置県をおこないました。
廃藩置県により元藩主は知事藩を解任され東京への移住が命じられました。新政府は各府県に知事を新たに任命し地方行政を中央政府の支配下に置きました。廃藩置県により中央集権国家の確立し日本の近代化が促進されました。従来の身分制度は廃止されましたが、特権が失われた武士に不平不満が募り各地で反乱が起きました。一連の反乱は西南戦争で終焉しましたが西郷隆盛をはじめとする優秀な人材を失うことにもなりました。
廃藩置県後は府県は約300ありましたが廃止・統合・復活などが繰り返されていきました。
明治4年(1871年)11月には全国的な統廃合により75府県となり、明治21年(1888)年12月には45府県となりました。これに北海道と沖縄県が加えられ47道府県となったのは明治22年(1889年)1月です。現在の47都道府県の枠組みが出来上がりました。
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