中島三郎助と堀達之助が黒船と交渉(嘉永6年 1853年6月3日)
嘉永6年(1853年)6月3日午後5時頃、それまで日本人が見たこともない4隻の大きな黒い軍艦が浦賀沖に現れました。浦賀奉行の戸田氏栄は4隻のうち司令長官旗を掲げている旗艦に浦賀奉行所与力の中島三郎助とオランダ語通詞の堀達之助を派遣しました。2人は小舟で旗艦に向かいました。
旗艦に小舟を横付けすると堀達之助が英語で「I can speak Duch」(私はオランダ語を話せる)と伝えました。旗艦に乗船していた通訳のオランダ人アントン・ポートマンが対応しオランダ語による交渉が行われました。与力の中島三郎助は自身を浦賀副奉行と称し交渉を始めました。
この交渉によって艦隊がマシュー・ペリー提督が率いるアメリカ合衆国の艦隊であること、艦隊の目的が将軍にアメリカ合衆国のミラード・フィルモア大統領の親書を渡すことであることがわかりました。ペリーは中島三郎助の階級が低いと親書を預けることを拒否しました。中島三郎助と堀達之助は奉行所に戻り顛末を報告、日本を大きく変化させるきかっけとなった幕府とペリーの交渉が始まったのです。
中島三郎助は砲術に長けていたこともありアメリカ合衆国の軍艦に興味があったようです。アメリカ側の記録には中島三郎助が軍艦の船体の構造、搭載されている砲、蒸気機関をスパイのように入念に調査していたことが記されています。ペリーの帰国後、中島三郎助は幕府老中の阿部正弘に軍艦の建造と蒸気船を含む艦隊の設置をするよう意見書を提出しています。その後、中島三郎助は日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」の建造で活躍し同軍艦の副将となっています。さらに長崎海軍伝習所に一期生として入所し築地軍艦操練所教授方出役に就任しました。幕末は榎本武揚とともに旧幕府軍として戦い箱館の千代ヶ岡陣屋で戦死しました。
堀達之助はアメリカ側の記録によると通詞としても人柄も高く評価されています。ペリーが嘉永7年(1854年)に再来航したときにも通詞を務め日米和親条約の翻訳にも関わっています。安政5年(1858年)9月、ドイツ商人から日本とドイツの条約締結を求められたとき幕府に報告せず独断で処理しようとしたと咎められ入牢処分となりました。このとき吉田松陰と出会い交流するようになりました。この入牢は冤罪とされ古賀謹一郎の支援で安政6年(1859年)12月赦免されました。文久2年(1862年)1月に日本初の新聞「官板バタビヤ新聞」を発行、翌文久2年(1862年)には日本初の英和辞書「英和対訳袖珍辞書」刊行、文久3年(1863年)には開成所教授となりました。慶応元年(1865年)、箱館奉行通詞に就任し、慶応2年(1866年)に「函館洋学所」を開設しました。「函館文庫」で箱館奉行所の洋書の保存を行いました。明治元年(1868年)に新政府の箱館裁判所参事席、文武学授掛となりましたが箱館戦争のため箱館を離れました。箱館戦争後は箱館に戻り開拓使に出仕しました。もし中島三郎助が戦死していなければ明治維新後は開拓使に出仕し堀達之助の再開していたかもしれません。堀達之助は明治5年(1872年)に依願退職し明治27年(1894年)に大阪で死去しました。
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