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2025年5月20日 (火)

幕末の志士が写っている?|フルベッキ群像写真

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 ときどき幕末の頃と思われる古い写真が出回ることがあります。この写真は幕末の志士たちの集合写真とされ西郷隆盛、大久保利通、勝海舟、坂本龍馬、桂小五郎、中岡慎太郎など、名だたる志士の名前が記入されています。右下には「尊皇攘夷志士 四十六人」左下には「写真撮影 上野彦馬 慶應元年(一八六五年)」と記されています。この写真は「フルベッキ群像写真」として知られているものです。

フルベッキ群像写真(尊皇攘夷志士 四十六人)
フルベッキ群像写真(尊皇攘夷志士 四十六人)

 もとのフルベッキ群像写真は次の通りです。志士たちの名前は記載されておおらず右下の尊皇攘夷志士、左下の上野彦馬の記載もありません。この写真はアメリカ合衆国に移民したオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキが在米オランダ改革派教会から日本に派遣されたときに撮影されたものです。フルベッキと娘エマの2名と佐賀藩の藩校「致遠館」教師・学生44名を撮影した集合写真です。写真には後に政治家や官僚として活躍した人物も写っていますが上記写真に記入されている幕末の志士の名前はフェークです。

フルベッキ群像写真
フルベッキ群像写真

 フルベッキ群像写真は幕末の長崎の写真師の上野彦馬が上野設営局で撮影されたものであることがわかっています。フルベッキ親子の左側の人物は和倉具視の三男の岩倉具経、右側の人物は同次男の岩倉具定であることがわかっています。この2人が「致遠館」に留学したのは明治元年(1886年)10月27日であることからこの写真はそれ以降に撮影されたものと考えられていましたが、2010年に明治元年10月8日に上野彦馬が撮影したフルベッキと佐賀藩士が一緒に写ったガラス湿板写真と日記が発見されています。「フルベッキ群像写真」は同じ日に撮影されたものと考えられています。

 「フルベッキ群像写真」は昭和49年(1974年)に雑誌「日本歴史」でフルベッキを囲む幕末の志士たちとして紹介されました。雑誌ですから学術的な価値はありませんでしたし学会でも相手にされませんでしたが、夢のある写真であったためか広まっていきました。「日本歴史」で紹介されたときには、特定された人物は22名でしたが、時の流れを経ていく中で増えていき、現在では(上記の写真)44人にもなっています。幾度となくフェーク写真であると指摘されているにも関わらず定期的に流行する傾向があるようです。

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