榎本武揚と黒田清隆の長い一日|五稜郭が開城で函館戦争終結(1869年5月18日)
明治2年5月14日、榎本武揚と松平太郎は連名で高松凌雲からの降伏勧告の手紙に降伏拒否と返信しました。このとき武陽は戦火によって失われるのは痛恨の極みとオランダ留学中に書き写した万国海律全書を送りました。この写本は後に黒田清隆の元に届けられました。
同日、薩摩藩士の田島圭蔵は弁天台場を訪れ武陽との面会を依頼し永井尚志と相馬主計と五稜郭に赴きました。圭蔵はかつて秋田藩の高雄丸で船長で函館政権に拿捕されたときに釈放された経緯もあり誠意を持って交渉しました。武陽は徹底抗戦を主張したが尚志と主計には密かに降伏の意向を伝えたとされます。弁天台場に戻った尚志と主計は直ちに降伏した。武揚と大鳥圭介は一本木関門に夜襲をかけるため出撃したものの部隊の士気は低く多勢に無勢となりました。武陽は五稜郭に撤収、圭介は中島三郎助が守備する千代ヶ岳陣屋に入りました。
明治2年5月15日、前日に千代ヶ岱陣屋に入った大鳥圭介は中島三郎助に陣屋を出て五稜郭に退避することを提案しました。しかし三郎助は断り最期まで徹底抗戦を表明しました。圭介は五稜郭に戻り武揚に報告。武揚は三郎助を説得するため太郎を派遣するも三郎助の決断を覆すことはできませんでした。この日、新政府軍は艦砲射撃は続けましたが陸軍の部隊を動かさず攻め込むことはしなかった。新政府軍陸軍参謀の黒田清隆は千代ヶ岱陣屋や五稜郭に対して降伏勧告を申し入れ不要な戦を避け寛大な処分を考えていた。
千代ヶ岱陣屋で徹底抗戦を主張した中島三郎助は軍議では榎本武揚をはじめとする「若者」たちに降伏を主張していました。三郎助が妻に当てた手紙には自身は最期まで戦う考えであるが息子たちや浦賀からやってきた若者たちに降伏を説得しても聞き入れてくれないと書き残しています。
明治2年5月16日未明、新政府軍は降伏勧告を拒否し徹底抗戦を主張した千代ヶ岱陣屋の攻撃を開始。この戦いで新政府軍の兵を率いたのは大村益次郎から西洋兵学を学んだ山田顕義でした。このとき黒田清隆は動かずに静観していたと伝えられています。
山田顕義率いる新政府軍が千代台陣屋に迫るとは投降兵が進入路を手引きしました。陣屋に侵入した新政府軍が銃で激しく撃ちかけると多くの兵が投降しました。中島三郎助らは抵抗を続けるも多勢に無勢、徹底抗戦を主張していた渋沢成一郎は湯の川に逃れました。
中島三郎助は大砲に破裂弾と散弾を詰め敵兵と自爆しようとしましたが大砲に点火しても爆発が起きませんでした。そこで胸壁に登り応戦をはじめたところを狙撃され堀の中へ落ちて絶命しました。長男恒太郎と次男英次郎、浦賀奉行の仲間も千代ヶ岱陣屋で三郎助の後を追いました。
同日、五稜郭に白旗を振る薩摩藩士騎兵が現れ弁天台場と千代ヶ岱陣屋の陥落を伝え清隆の手紙を届けました。手紙には海律全書の礼と酒肴を送ると書いてあり間もなく酒樽と肴が届きました。毒殺を恐れ誰も手をつけない中で星恂太郎が笑いながら樽を割り一杯飲むと諸将も安堵して酒を嗜みはじめました。
このとき武揚は自室に戻り全責任を取って短刀で自決しようとしました。しかし介錯を頼んだ側近の大塚霍之丞が素手で短刀を鷲掴みにして武揚の自決を阻止しました。武陽は我に返り明朝7時に城外に出て降伏することを決断したのです。こうして16日は夜が更けていきました。
明治2年5月17日朝7時、箱館政権は五稜郭を開城。城内から騎馬に跨がる榎本武揚、松平太郎、荒井郁之助、大鳥圭介が出てきました。武陽と太郎は黒田清隆と増田虎之助と近くの空き家の店舗で面会しました。清孝と虎之助は床にゴザを敷き酒徳利とスルメを用意して武陽と太郎を迎え降伏条件の交渉をはじめ合意しました。
明治2年5月17日、降伏条件交渉で榎本武揚と松平太郎は箱館政権幹部が罪を償くことを条件に兵士たちには寛大な処分を嘆願しました。清隆は申し入れを断り武陽に降伏手順の実行箇条の提出を要求しました。明治2年5月18日、一行は亀田八幡宮に赴き神前で降伏式を執り行ったのです。
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