神戸海軍操練所が設置される(元治元年 1864年5月14日)
文久3年(1863年)3月、征夷大将軍の徳川家茂が上洛しました。家茂は同年4月23日に「順動丸」にて兵庫・西宮の沿岸の防備を視察しました。このとき軍艦奉行並の勝義邦(海舟)は異国船の来航に対応するため日本の海軍力を強化する必要姓を説明し神戸に海軍の教育機関の設置を建言しました。家茂は義邦に神戸海軍操練所設置を命令しました。義邦は門下生の坂本龍馬らと神戸海軍操練所の設立の準備を始めました。
元治元年(1864年)5月14日、神戸海軍操練所の開所の運びとなり義邦は軍艦奉行に昇格しました。 神戸海軍操練所は現在の神戸市中央区新港町付近に設置され、海軍の士官養成機関、海軍工廠の役割を果たしました。
海軍操練所では幕臣の子弟に限らず諸藩の藩士なども入学が許可され航海術や洋式兵学などが教えられました。しかし、広く生徒を集めたため中には倒幕派の志士もいました。「八月十八日の政変」で失脚した長州藩が京都へ進攻した「禁門の変」に一部の生徒が関与していたことが問題視されました。
結果的に義邦は激徒養成の嫌疑をかけられ元治元年(1864年)11月10日に軍艦奉行を罷免されました。これによって慶応元年(1865年)3月、神戸海軍操練所は幕府の反幕府的な組織としてわずか一年たらずで廃止されました。
【関連記事】
・幕府が軍艦教授所(軍艦操練所)を設立(1857年4月11日)
Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。
| 固定リンク | 0
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 江戸幕府が修学と商業目的の海外渡航を許可(慶応2年1866年4月7日)(2026.04.07)
- 自転車青切符導入で暴走三輪車の摘発を検討|ライアー新聞(2026.04.01)
- ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)(2026.03.19)
- 靴の記念日(靴の日)(明治3年 1870年3月15日)(2026.03.15)
- 新選組総長 山南敬助の最期( 元治2年 1865年2月23日)(2026.02.23)
「歴史」カテゴリの記事
- 江戸幕府が修学と商業目的の海外渡航を許可(慶応2年1866年4月7日)(2026.04.07)
- 新選組 近藤勇と土方歳三の出会い(2026.03.26)
- ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)(2026.03.19)
- 江戸城評定における小栗忠順と榎本武揚のすれ違い|明日なき戦いの果てに番外編)(2026.02.11)
- 近藤勇が本庄宿で芹沢鴨の宿を取り忘れる(文久3年 1863年2月9日)(2026.02.09)
「船舶」カテゴリの記事
- ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)(2026.03.19)
- 松前崇広とエゲリア号事件(文久3年 1863年11月20日)(2025.11.20)
- なぜ日本人だけが死んだのか?|ノルマントン号事件(明治19年 1886年10月24日)(2025.10.24)
- 潜水艇「タートル号」による世界初の軍艦攻撃(1776年9月7日)(2025.09.07)
- 戦艦「富士」が竣工(明治30年 1897年8月17日)(2025.08.17)
「幕末・明治」カテゴリの記事
- 江戸幕府が修学と商業目的の海外渡航を許可(慶応2年1866年4月7日)(2026.04.07)
- 新選組 近藤勇と土方歳三の出会い(2026.03.26)
- ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)(2026.03.19)
- 靴の記念日(靴の日)(明治3年 1870年3月15日)(2026.03.15)
- 新選組総長 山南敬助の最期( 元治2年 1865年2月23日)(2026.02.23)

コメント