豊臣秀頼の自刃で大坂夏の陣が終結(慶長20年 1615年5月8日)
豊臣秀頼は豊臣秀吉の嫡男として生まれましたが23歳の若さで大坂の陣でその生涯を閉じました。
慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が没すると、五大老の中で徳川家康が台頭し豊臣家の勢力は次第に衰退していきました。慶長5年(1600年)、豊臣政権を守るため家康と対立を深めていた五奉行の1人の石田三成が挙兵したことにより「関ヶ原の戦い」が起こりました。
家康は「関ヶ原の戦い」で勝利し天下統一を果たし慶長8年(1603年)に征夷大将軍に就任、2年後の 慶長10年(1605年)に家督と征夷大将軍を徳川秀忠に譲り隠居しました。家康は徳川家に臣従しない豊臣家を処分することを考え始めました。
徳川家康は方広寺鐘銘事件をきっかけに豊臣家征伐の行動を始め慶長19年(1614年)「大坂の陣」を起こしました。
【参考】方広寺鐘銘事件から大阪の陣へ(1614年10月1日)
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では家康と秀忠が率いる幕府軍が豊臣秀頼と淀君が居住する大坂城を包囲しました。真田信繁をはじめとする豊臣側の諸将が奮戦しましたが秀頼は出陣せず籠城の末に徳川家と和議を成立させました。この和議によって大坂城の堀が埋められました。
和議の後も家康は軍備を整え豊臣家の処分を再開する機会を伺いました。家康は豊臣家が大阪城の堀の修理を行ったり豊臣家の浪人が大坂で狼藉を働いたりするなど不穏な動きが見られることを理由に慶長20年(1615年)5月に大阪城を再び包囲し「大坂夏の陣」を起こしました。
堀を埋められた大阪城で籠城する豊臣家は多勢に無勢で徳川家に勝利できるはずもありませんでした。奮闘する真田隊が壊滅すると、徳川軍は大坂城内に乱入を始めました。豊臣家で大坂城台所頭を務めていた大角与左衛門が徳川方に寝返り城の大台所を放火し大阪城を炎上させました。同年5月7日、大野治長は秀忠の娘で秀頼の正室となっていた千姫を徳川家に送り返すことと自身が切腹することを引き換えに秀頼と淀君の助命を嘆願する使者を徳川方に送りました。家康は嘆願書の対応を秀忠に任せましたが、秀忠は同年5月8日に秀頼に切腹を命じました。このとき秀頼と淀君らは大阪城の山里丸の焼け残った蔵にいました。徳川軍がこの蔵を包囲し鉄砲を放つと秀頼と淀君と長治をはじめとする32人が自害しました。蔵からは火の手があがりました。
秀頼の嫡男であった国松は逃亡しましたが捉えられて処刑されました。娘は千姫の助命嘆願により仏門に入ることを条件に助命され天秀尼となりました。天秀尼は正保元年(1645年)に死去しています。これによって豊臣家の血筋は断絶したのです。ただし、江戸初期の浄土宗の僧の求厭は臨終の際に自分は秀頼の次男と語っています。しかし真偽のほどは分かりません。
一説によると秀頼は真田信繁とともに薩摩に逃れたとされています。しかし1980年に大坂城三ノ丸跡での1人の頭蓋骨と首のない2人の骨、馬の頭骨が発見されています。頭蓋骨は介錯された20代男性のもので人為的に埋葬されたものであることが確認されたことから秀頼のものである可能性が高いと推定されています。
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