五百円札の発行(昭和26年 1951年4月2日)
第二次世界大戦後の日本では物資が不足したことから物価が高騰しやすい状況にありました。戦時中の金融統制が解かれたため現金を確保するための全国規模で預金の引き出しが起こりました。また政府も物資の調達や復興などに多額な支払いをしていたため市場に多額のお金が流通しました。昭和21年(1946年)2月16日、政府はインフレショーンを防ぎ国民の現金保有を制限するため新紙幣を発行し従来の紙幣流通の停止とする通貨切替政策「新円切替」を発表しました。翌17日、政府は預金封鎖を実施、従来の旧円は強制的に銀行に貯金させ5円以上の旧紙幣の市場流通を差し止めました。さらに一世帯あたり1ヶ月の引き出し額を500円に制限しました。政府は市場に出回るお金を抑制することで物価の上昇を抑えようとしたのです。
このとき発行されたのが最高額面のA百円券をはじめとするA号券でした。しかしながら「新円切替」でインフレーションを抑えることができずA百円券の発行量が著しく増大しました。緊急的に製作されたA号券は粗末な紙幣だったため偽札が出回るようになりました。そこで政府は昭和25年(1950年)にB千円券を発行しましたがA百円券の流通量は減少しませんでした。そこで政府は昭和26年(1951年)4月2日に千円券と百円券の間にB五百円券を発行しました。
B五百円券の表面は岩倉具視の肖像が描かれています。この肖像画はイタリアの画家で明治時代にお雇い外国人として来日し西郷隆盛の肖像がなどを描いたエドアルド・キヨッソーネが描いた岩倉具視の肖像がもとになっています。裏面に山梨県側から見た富士山が描かれています。これは写真家の名取久作が山梨県大月市の雁ヶ腹摺山から撮影した写真がもとになっています。
昭和44年(1969年)11月1日、新しい印刷技術や偽造防止技術によるC五百円券が発行されました。C五百円券は基本的に岩倉具視と富士山を描かれたB五百円券のデザインを踏襲していますが、見た目で新券とわかるような変更が加えられています。
自分が子どもの頃に出回っていたのはC五百円券です。小学生の高学年の頃の月の小遣いが500円でした。毎月一度、岩倉具視と会っていたのですが、当時は500円の肖像画が誰なのかに名前を聞いてもわかりませんでした。
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