日米和親条約の調印(嘉永7年 1854年3月3日))
嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、アメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が率いる艦隊が浦賀に来航し日本に開国を要求しました。いわゆる黒船来航により江戸幕府は艦隊の軍事力の前になすすべもありませんでしたが、第12代征夷大将軍徳川家慶(いえよし)が病気療養中であることを理由に回答に1年間の猶予を求めました。ペリーは幕府の申し入れを聞き入れ1年後に再来日すると日本を離れ香港に向かいました。
将軍家慶は回復することはなく同年6月22日(同年7月27日)に死去しました。香港滞在中に家慶の死を知ったペリーは幕府との交渉を有利に進めようと考え1年間の猶予を棚上げし嘉永7年1月(1854年2月)に合計9隻の艦隊を率いて再び来航しました。ペリーは幕府との外交を有利に進めるために砲艦外交を行いました。
同年3月3日(同年3月31日)、江戸幕府とアメリカ合衆国の間で日米和親条約が締結されました。この条約によって日本は約200年続けた異国との外交の制限を解き下田と箱館の2つの港を開港しました。またアメリカの船舶に対する薪水・食料など必要な物資の供給、難破船の乗組員の救助と保護が約束されました。
その後、 日本は日米修好通商条約をはじめとする列強との不平等条約を結ぶこととなりました。列強との条約締結により日本は国際社会に組み込まれることになり日本は近代化の道を進むことになりますが、列強の排除を主張する攘夷派の反乱により幕政は混乱し江戸幕府が終焉するきっかけとなりました。
【関連記事】
・マシュー・ペリー提督の艦隊の再来航(1854年1月16日)
・ロシアのプチャーチン極東艦隊指令官が長崎来航(1853年7月18日)
・日蘭和親条約締結(1855年12月23日)
・日米修好通商条約に調印(1858年6月19日)
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