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2025年3月15日 (土)

映画「ドラえもん のび太の恐竜」公開(1980年3月15日)

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 映画「ドラえもん のび太の恐竜」は昭和55年(1980年)3月15日に公開された藤子不二雄原作の日本のアニメ映画です。「ドラえもん」は現在は藤子・F・不二雄先生の作品として知られていますが、当時の漫画や映画では藤子・F・不二雄先生と藤子 不二雄Ⓐ先生の共同ペンネーム藤子不二雄がクレジットされていました。

ドラえもん のび太の恐竜(1980年)
ドラえもん のび太の恐竜(1980年)

 「ドラえもん のび太の恐竜」はもともとは昭和50年(1975年)8月に週刊少年サンデー増刊号(9月5日号)に掲載された23ページの短編漫画でした。ジョイ・アダムソンの小説「野生のエルザ」にヒントを得て描いたものです、のび太が発見した恐竜の卵の化石を「タイムふろしき」で元の卵に戻しふ化させます。のび太は卵から生まれた首長竜フタバスズキリュウにピー助と名付け育てます。成長するにつれてピー助の身体は大きくなり、やがて現代では育てられなくなりました。のび太とドラえもんはタイムマシンを使ってピー助を白亜紀の日本に連れていき別れを告げたところで終わります。翌昭和51年(1976年)にはてんとう虫コミックス10巻に27ページに加筆された作品が収録されました。

 

 昭和54年(1979年)にテレビアニメ「ドラえもん」の放送が始まると「東映まんがまつり」でテレビアニメ作品を上映する企画が持ち上がりましたが藤子・F・不二雄先生はテレビアニメを映画として上映することに難色を示し断りました。そこで小学館は藤子・F・不二雄先生にドラえもんの長編映画の制作を打診しました。自身を短編作家と自認していた藤子・F・不二雄先生は自分は長編は難しいと断りましたが「のび太の恐竜」を加筆して長編にするという提案を受けて了承しました。

 藤子・F・不二雄先生はシナリオの作成に取り掛かりましたが出来上がった原稿は長すぎて映画化するには短縮する必要がありました。そこで藤子・F・不二雄先生はこの映画の監督となった福冨博監督にシナリオの短縮を任せました。そのため映画はオリジナルのシナリオに登場している出木杉君が登場していないなど映画とは異なる部分があります。

 「ドラえもん のび太の恐竜」の映画化は昭和54年(1979年)10月に小学館の「コロコロコミック」で発表されました。「コロコロコミック」は同年12月に発売された昭和55年(1980年)1月号から3月号まで「映画ドラえもん のび太の恐竜」と題した漫画を連載し、ドラえもんの映画化を盛り上げていきました。そして同年3月15日、ドラえもん初の映画作品「ドラえもん のび太の恐竜」が公開されました。

 映画ではピー助を奪おうとする密猟者の恐竜ハンターや恐竜半たんを取り締まるタイムパトロールが登場します。ピー助は白亜紀の日本ではなく北アメリカに送り届けてられていたことになっており、ドラえもん、のび太、ジャイアン、すねお、しずかちゃんがビー助を助けるためタイムマシンで白亜紀の北北アメリカを訪れます。北アメリカから日本にピー助を移動させようとしますが、タイムマシンが故障したり、タケコプターのバッテリーが切れそうになったり、ティラノサウルスに襲われたり、密猟ハンターと戦ったりするなど手に汗握る冒険活劇に仕上がっています。

 映画「ドラえもん のび太の恐竜」は大人気となり次作「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」をはじめとする「ドラえもん のび太の〇〇」と題した映画が次々と制作されるようになりました。

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